03
執務室に入るとユークは熱心に書類と向き合っていた。
「殿下」
オリエンスの声に顔を上げ、彼の背後の二人の姿を認めると少し微妙そうな表情になった。
「……ロゼも連れてきたのか」
「いけませんか?」
「――いや」
ユークは立ち上がるとルーチェの前へ立った。
「……本当にお前は私が王太子であろうと関係ないのだな」
視線を逸らす事なくむっとした顔で自分を見上げるルーチェに、ユークは苦笑した。
「申し訳ありません、ご不快でしたら帰ります」
「いや……まあ、そういう所に惚れたのだが」
伸びたユークの手がルーチェの髪に触れた。
「こうやって下ろしている方が可愛らしいのだな」
侍女として働いている時は邪魔にならないように髪をまとめているが、今日のルーチェはノワール家で借りたドレス姿で髪は結う事なく下ろしていた。
「……は?」
唐突な告白と甘い言葉に思わず後ずさろうとしたルーチェの腕を掴むと、ユークは自分へと引き寄せた。
「ちょっ……」
「そんなに私が嫌いか」
強い光を宿した緑色の瞳がルーチェを見据えた。
「我儘なら直す。後は何を変えればいい」
「え……」
真摯な眼差しと声にルーチェは息を呑んだ。
「何を……って……」
助けを求めるようにロゼを見ようとすると空いた手がルーチェの頬に触れそれを制した。
「何でも言ってほしい。どうすれば君はロゼよりも私を見る」
ユークとルーチェのやり取りを見守っていたロゼは伺うようにオリエンスを見上げた。
「殿下はこれまで思い通りにならない事がなかったからね、どうしたらいいのか分からないらしいよ」
ロゼにだけ聞こえるようにオリエンスは小声で言った。
「何せ〝恋〟も初めてだからね」
「……そうなのですか?」
「殿下の周りに集まってくる女性は地位狙いがほとんどだからね……自分を売り込もうとするしつこい態度と下心が見え過ぎてそういう目で見られなかったんだろう」
そういえば初めて会った時、ユークが貴族令嬢は姦しいと言っていた事をロゼは思い出した。
「ルーチェは媚びる事もないし殿下にはっきりと意見できる。そんな子は今まで殿下の周りにはいなかったからね」
オリエンスは笑みを浮かべて言った。
「できればルーチェには殿下を受け入れてほしいんだけどね」
「……そうですか……でもそれには……」
「放して!」
ルーチェの叫び声にロゼはハッとして視線を向けた。
見るとルーチェはユークに抱きすくめられていた。
もがこうとするほど強く抱きしめられる。
「……殿下……無理やりそういう事をするから拒否されるのでは」
「逃げようとするのだ、仕方ない」
「仕方ないじゃありませんよ」
オリエンスはため息をついた。
「ルーチェに嫌われますよ」
ユークはしぶしぶルーチェを放した。
すかさずルーチェはロゼへと駆け寄るとその背後に回り込み、ユークを睨みつけた。
「……そうやって距離があると強気になるのだな」
苦笑交じりに言うユークの表情は、どこか寂しそうだった。
いつもは男性に言い寄られる雫をひかりが盾になってかばっていたのだが。ひかり自身が言い寄られる経験は雫の記憶にある限りではない。
こんなにストレートにぶつかってくるユークに戸惑うのも仕方ないのだろう。
そしてユークも……オリエンスの話を聞く限り、自分から女性にアプローチした事はないのだろう。
二人とも恋愛には不器用なんだろうな、とロゼは思った。
――そういうロゼも人の事は言えないのだけれど。