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クッキング・僕  作者: 龍淵灯
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お誘い成功!

 5月の連休も終わり、下宿に帰ってきた。鍵を開けようとして、ノブにレジ袋が掛けられていることに気づく。何か箱状のものが入っているようだった。


 持ってみると、けっこう重い。耳を近づけてみても、怪しい音はしない。何やら菓子のたぐいと思われた。包装もしっかりとしてある。汚物などが詰めこまれたいたずらの可能性は否定しないが、確かめてみるまでは判らない。


 部屋に入って、袋から出してみる。ひらりと、ピンク色のメモ用紙が落ちた。


 実家のおみやげですが、ひとりでは食べきれないのでおすそ分けします。よかったらどうぞ。烏山


 メモを読んだ瞬間、中身を汚物だと思った自分を殴りたくなった。あすかセンパイからなら、たとえ汚物でも受け入れられるかもしれない。いや、センパイの汚物ならむしろ……と思考があらぬところに飛びそうになったので、誰にともなく咳払いをした。


 うぐいす色の包装紙を破いていくと、表に堂々と「鯉もなか」と墨書きされた紙箱が現れた。開けてみる。鯉の形をしたもなかが10、きれいにならんでいた。5つは普通のもなかだが、残りの5つはピンク色をしている。


 このままかじってもいいが、なんとなくお茶を用意したくなった。新生活が始まって以来開けたことのない茶筒を開け、お茶の葉を適当にきゅうすに振り入れる。お湯を沸かして注ぎ、牛乳から味噌汁まで汎用性の極めて高いマグカップに淹れた。


 ピンク色のもなかをひとつ取って皿に置き、おやつの時間にする。頭からがぶりといく。桜餡というのだろうか、ピンク色のこしあんがぎっしりとつまっていた。そして、ものすごく甘い。やや濃すぎたお茶で洗い流す。


 お茶の渋みが、甘さをほどよいものにしていった。これも小さな幸福なのかもしれない。

 ひらめくものがあった。思いつきの大胆さに、胸が高鳴ってくる。

 土産のお礼に、手間をかけた料理を振る舞おう。料理というレベルに達していないなら、簡単なつまみでの家飲みでいい。


 そしてあわよくば、センパイとさらに親密になれるのではないか。その可能性はある。土産をわざわざ買ってきてくれるのは、僕の地位がセンパイの中で平凡なものではないことを示しているし、そもそも選んだアパートが同じだというのも運命的だし、僕が隣人だからといって引っ越さないのは憎からず思っているからではないか……と、どうも今日は妄想がエスカレートして良くない。

 スマホを出してメールを起動し、センパイのアドレスをセットする。


 『お土産ありがとうございました。鯉もなかはとても美味しかったです。お礼と言っては何ですが、僕の手料理(つまみ程度ですが……)をご馳走します。酒はいくつか用意しておきますが、飲みたいものがあったら持ってきてください。

 今日の7時、僕の部屋でどうですか? お返事待ってます。』


 打ち終わり、即座に送信する。

 ついにセンパイを誘ってしまった。「僕の部屋でどうですか?」と打ちこんだときには、何がどうなのだと悶えそうになった。


 いやいや、まずは掃除からだ。料理の後では埃が舞う。床に散らばった本を本棚に押し戻し、服をクローゼットに投げ入れ、掃除機をかけていると、メールの着信音が鳴った。

 慌てて画面を見る。センパイからだった。


 『気を使わなくていいのに(´・ω・`)

 春田君の手料理には興味あるけど、来るの私だけ?(*ノωノ)』

 

 (*ノωノ)は照れているという意味のようだ。いくらか警戒心も見てとれて、弱気が起こる。しかし、ここでうやむやにしてはいけない。


 『はい。センパイに食べてほしいです。』


 送信したあとで、自分の乙女っぷりにのたうち回りそうになる。どれだけ健気でかわいいんだ、僕。

 すぐに返信が来た。


 『判りました(`・ω・´)ゞ

 楽しみにしてるね(´∀`*)ウフフ』


 ウフフ。それは僕のセリフだ。歓喜の声を上げそうになるのを必死でこらえ、掃除機を鷲づかみにする。

「センパイが、僕の部屋に!」

 勢いあまって、ベッドの足に掃除機が激しく衝突した。


 部屋をきれいにしたら買い出しである。もちろん出かける前に「うまいおつまみ200」を開いた。

 この前作ったのは野菜系ばかりだったので、もう少し腹のたまるようなものがいいだろう。簡単な肉料理はないかと探す。「豚バラはちみつ焼き」が簡単だ。あとは「酢トマト」レベルの野菜系をいくつか用意しよう。


 酒はどうしようか。センパイは、新入生歓迎会でビールしか飲んでいなかったような気がする。

 ああ、締めのご飯系もあるといい。「カップスープのチーズリゾット」は失敗するポイントが見当たらない。


 調理デビューしたばかりで、これだけの料理を揃えるのはかなりの挑戦だ。しかし臆してはいけない。やってみなければ何も起こらない。

 食材をスマホのメモ帳アプリに打ちこみ、家を出た。

 近所のスーパーで揃えたものは、


 トマト。明太子。柚子胡椒。キュウリ。クリームチーズ。かつお節。キャベツ。百パーセントレモン果汁。梅干し。海苔。ネギ。豚バラ。はちみつ。カレーのカップスープ。とけるチーズ。ビール六本セット。


 カートに乗せたかごをいっぱいにして、酒の棚を通りかかる。眼が止まった。

 大吟醸。

 そう書かれた瓶があった。父と行った味嘉を思い出す。小ぶりなのは、おそらく二合瓶だろう。値札を見て驚いた。二千円。ビール一本の量でビール六本セットより高い。


 センパイにも、飲んでみてほしい。ええい、とかごに入れた。

 レジに行く。一週間ぶんの食費に相当する出費だったが、いつの間にか鼻歌を鳴らしていた。

 食材が自転車の前かごに入りきらず、ハンドルにレジ袋をぶら下げてよたつきながら帰っていく。心臓の高鳴りは以前よりも激しい。ただ作りたいだけでなく、センパイに食べてもらえるという楽しみが加わっている。

 やっとの思いでアパートにたどりつくとすぐに、ひと休みさえしないで食材を並べ、調理を開始した。


 山紅葉。

 ①明太子をほぐし、柚子胡椒と混ぜる。


 立派な料理である。


 クリームチーズのおかかしょうゆ。

 ①クリームチーズをサイコロに切り、かつお節としょうゆであえる。


 手順がワンステップしかない料理が続くが、気にしない。


 キャベツの手もみサラダ。

 ①キャベツをちぎり、塩を振ってもむ。

 ②しんなりしたらレモンを絞り、かつお節とあえる。


 出来合いのレモン果汁を使った。ろくに包丁を使っていない。


 チーズの磯辺巻き。

 ①チーズを薄く切り、わさびをつけて海苔で巻く。


 これで四品目。以前の記録を超えた。


 焼きネギの明太あえ。

 ①ネギを斜め切りにする。

 ②フライパンに油を引かず、ネギの両面を焼く。

 ③明太子とあえ、海苔をまぶす。


 思えば、焦がした肉じゃが以来の火を使う料理だ。さすがに緊張したが、慎重なのが幸いしたのかうまくいった。


 豚バラはちみつ焼き。

 ①豚バラを角切りにする。

 ②塩・胡椒をして焼く。

 ③焼き色がついたら弱火にしてはちみつをからめる。


 今日のメインディッシュである。本によればはちみつが焦げやすいとのことだったので、特に慎重になった。幸い、焦げ付かずに済んだ。最初の肉じゃがを焦がしたのは、そう悪い経験ではなかったかもしれない。


 これで作るべき料理はすべて完成した。

 いやいや、まだご飯を炊いていない。しまった、ビールもグラスも冷やしていない。そういえば、フライパンも包丁も洗っていない。ああ、大吟醸をどう冷やそうか。


 時計はすでの6時を指していた。センパイが来るまであと1時間だ。

 急いでビールを冷蔵庫に、グラスを冷凍庫にぶちこみ、米を2合研いで炊飯器にセットする。まだ熱の残るフライパンに水をかけると湯気が立った。ひるまず一気に洗う。ふきんで水気をふき取ったときには、7時まであと10分だった。


 まだやることがある。ボウルに製氷室の氷をありったけ入れ、氷水を作って大吟醸の小瓶を浮かべた。さすがに味嘉のように、オシャレなガラスの器というわけにはいかない。

 カップスープリゾットを作るお湯がないことに気づく。電気ポットに水を入れ、コンセントに差しこんだと同時に、玄関のチャイムが鳴った。

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