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クッキング・僕  作者: 龍淵灯
3/6

鮨屋に行こう

 父との約束どおり、ゴールデンウィークには実家に帰ることにした。

 新幹線で一時間半、こだましか止まらない駅に父が迎えに来ていた。会っていないのはわずか一か月なのに、少々老けたように見える。父は黒縁眼鏡を持ち上げて、にかっと笑った。


「信明の顔を一か月も見ないのは、初めてだな。まあ、寂しいもんだ。母さんなんか、いつも信明の分まで食器を用意してたからな。影膳でもあるまいに」


 親に寂しいと言われると、照れくさいような、親不孝をしているような、複雑な気持ちになった。


「ふうん」


 恥ずかしくて、そっけない返事になる。父は、軽く苦笑いを浮かべた。


「さ、乗った乗った」


 緑のフーガへ押しこまれる。車がするりと発進した。


「免許はいつ取るんだ。不便だろう?」

「バイトで教習所に通えるようになったらね」

「そのくらい、父さんが出してやる。まだひとり暮らしに慣れてないのに、リズムを崩さない方がいい」

「社会を見ろと言ったのは父さんじゃないか」

「苦労なんて向こうからやってくるんだから、不必要な苦労なんかしなくていい」


 昔から父は強情で、どんなささいな言い合いにも妥協することはなかった。好意は判るのだが、せっかく親元を離れたのだから、全部ひとりでやってみたい気持ちがある。

 それきり、会話は続かなかった。静かなエンジン音が響いてくるだけだ。


 一緒に暮らしていたときも、ふたりで車に乗る機会はあったが、そのときとは何かが変わっている。なんとなく、他者としての父を意識しているのではないか、と思う。

 やがて、実家に到着した。玄関に入ると、母が待ち構えていた。


「信明、お帰りなさい。おやつ用意してあるから、部屋に荷物おいといで。掃除しといたからね。ベッド

の下にあった変な本は、持ってったの?」

「捨てたよ」


 本の存在を認めてしまったことに気づく。耳を熱くしながら、そそくさと自室に向かった。

 確かにフローリングには埃ひとつ落ちていず、明らかに僕がいたときよりもきれいだった。必要なものや思い入れのあるものは下宿に移動している。妙にすっきりした元自分の部屋は、ずいぶんと新鮮だった。

 ダイニングに行くと、母が緑茶とどら焼きを用意していた。父はすでに半分ほど食べている。


「お父さんは、信明が来るまでも待てないのよね」


 母が呆れた顔を向けた。


「小さいころは、父さんが『いただきます』って言うまで食べられなかったじゃないか。自分に甘いね」

「まあ、躾だったからな。もう信明には必要ないだろう」


 そう言って、平然とどら焼きを食べ続けている。僕も椅子に座り、お茶をすすった。


「ねえ信明、ちゃんとしたものは食べてるの?」

「学食じゃあ、ちゃんとサラダとかつけるようにしてるよ」

「朝や夜は?」

「最近、少しずつ自炊を始めてね、まあ野菜は食べてるよ」


 嘘は言ってない。


「まあ、すごいじゃない」


 軽くうなずいて、黙った。どうも母に褒められると、子供扱いされているような気になってしまう。


「よしよし、今日は貧乏学生にごちそうしてやるからな。味嘉(みよし)に行くぞ」

「味嘉だなんて、子供にはもったいないわ。私を連れてってよ」


 味嘉というのは鮨屋で、父が大事なお客さんを連れていく店であり、僕は行ったことがなかった。


「若いうちから一流を知っておくのはいいことだ。稼げなくても、またあれを食べたいと励みになる。もちろん、三人で行くぞ」


 母がにんまりと笑った。


「ならいいわ。ああ、楽しみ! 行けるのは信明が修学旅行のときとか、それぐらいだったものね」

「なんだよ、ふたりだけでいいもの食べてたの?」

「今日からは信明も仲間入りだ」


 父がどら焼きの最後のひと口を食べ、楽しそうに目じりを下げた。

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