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クッキング・僕  作者: 龍淵灯
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肉じゃが、失敗

 ガスが、漏れています。

 ガスが、漏れています。


 妙に滑舌のいい声が、部屋の中に響きわたる。

 僕のワンルームは、白煙に包まれていた。トイレに入っている間の出来事だった。

 突然の事態に、数秒間ぼうっとしていたが、焦げくさい臭いで我に返った。急いでガスレンジに駆けより、恐ろしい勢いで煙を巻き上げる鍋の火を切る。窓を全部開放して、煙を追い出す。


 ガスが、漏れています。


 明瞭な声で、ガス警報器が叫び続けている。くんくんと鼻に意識を集中したが、ガス独特の玉ねぎ臭は感じられなかった。

 ほっとして、警報機のひもを引く。声が止まった。火災報知器が反応しなくてよかった。もれなく自動で消防車数台が集まるところだった。

 元凶となった鍋はすっかり高温で変色し、中にはかつて肉じゃがになる予定だったものが、別の存在になっていた。


 ポケットのスマホが、いきなり鳴る。実家からだった。ほっとしたような、少し腹立たしいような気持ちで、通話モードにする。


「信明か? うちから送ったものは届いたか?」


 父だった。少し、涙が出そうになる。


「うん、昨日届いた。野菜ばっかりあんなにもらっても、使いきれないよ」

「届いたらすぐに報告しろ。会社で怒られるぞ」

「まだ入学したばかりだよ」

「大学のうちにそういう習慣を身につけておくんだ。勉強ばかりしてないで社会も見ろ」


 苦笑いがこぼれる。父は、けっこう電話をかけてくる。少なくとも母よりは多い。娘を心配する父親は多そうだが、息子をかまう父親は珍しいのではないか。


「たった今、大事な教訓を得たところさ。送ってもらったジャガイモを使っているときにね」

「ほう、どんなことだ?」

「スマホを持ってトイレに入るべきではない、ということさ」


 鍋を火にかけているにもかかわらず、便器に座ってアプリに夢中になっているうちに、さっきの惨劇が起きたというわけだ。


「ふうむ……」


 父はジャガイモでどうやってその教訓を導いたのか考えているようだった。


「まあ、大したことじゃないよ。ゴールデンウィークには帰るから」

「おっ、そうか! いいところ連れてってやるからな、早く帰ってくるんだぞ」

「楽しみにしてるよ」


 明るい父の声に多少罪悪感を覚えながら、通話を終了した。

 ため息をつく。春の穏やかな風が窓から吹きこみ、焦げた臭いを追い払っていく。

 初めての自炊は、完全に失敗だった。四月から大学に入ってひとり暮らしになり、なんでも自分でやらなくてはいけなくなった。食事は学食やコンビニで買ったりしていたが、思ったより高くついた。


 そんなとき、実家から野菜が届いたのをきっかけに、何か作ってみようと思ったのだ。ウェブでレシピを見ながら肉じゃがに挑戦していたのだが、鍋をひとつだめにしてしまった。


 僕には、難しすぎたのかもしれなかった。ともかく、家にひとつしかない鍋が使い物にならなくなったので、ホームセンターで買わないといけない。鍋がなければ、インスタントラーメンさえ作れない。


 ついでに、簡単な料理の本でも探してこよう。上着をはおって靴をはき、玄関の扉を開けた。


「きゃっ……」


 小さな悲鳴が、耳を突く。


「あっ、すいません……大丈夫ですか、センパイ」

「ちょっと驚いただけだから。春田君、お出かけ?」


 肩まで髪を伸ばした女性が、はかなげに微笑む。同じ文芸サークルの二年生で、烏山あすかさんだ。縁があったのか、お隣さんである。

 かわいらしいけれど少し影があって、正直、初めて会ったときから気になっていた。


「ええ、ちょっと買い物に」


 あすかセンパイが不思議な顔をした。鼻がひくひくと動く。


「料理するの? なんだか香ばしい匂いがするけど」


 開け放たれたドアから、焦げた肉じゃがの香りが流れ出ていた。慌ててドアを閉める。


「自炊しようかなと思って」


「すごいね。私、自炊っていい思い出ないな」


 センパイが寂しそうに笑う。失礼だが、そんなに料理が下手なのだろうか。


「じゃあ、またね」


 くるりと背を向けた髪から、シャンプーの匂いが散った。

 しばらく陶酔してから、僕は買い物に出かけた。





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