アレク、薬学を学ぶ
この世界の薬師は、余程腕が悪くない限り食いっぱぐれが無い。
それ故に、ポーション作成の知識は秘匿され、誰かに弟子入りしないと職に就けない。
それ程に、薬師とは求人倍率の高いジョブであるそうだ。幸いな事に、ボクは爺ちゃんに教わる事が出来る。
今日はこれから、ポーション作りを教わる事になっていた。
「さて、始めるとするかのう」
「え? 今から始めるの?」
ボクと爺ちゃんは、テーブルに向かい合っていた。
爺ちゃんは一冊の古い手帳しか持っていない。ポーション作りに必要な、薬草やフラスコ等の道具が一切用意されていなかった。
ボクが困惑していると、爺ちゃんは楽しげに笑う。そして、長く白い髭を撫でながら、ボクに授業を始める。
「ほっほっほ。楽しみにしていたなら悪いが、いきなりポーションを作ったりはせんよ。まずは、薬師についての基礎知識と、心構えから学ばねばならん」
「なるほど。それもそうだね」
ゲームの知識で考える、悪い癖が出てしまった。ゲームでは薬師になれば、その場でポーション作りが可能になる。
なので、座学の必要性を失念していた。普通に考えれば、ポーション作りがそんなに簡単な訳が無い。
「まず、アレクには良い薬師と、悪い薬師について理解して貰わねばならん」
「薬師の良し悪し?」
「その通りじゃ。アレクは良い薬師の条件はなんじゃと思う?」
爺ちゃんの質問にボクは考える。
ゲームの知識だと、上位精神ポーションは需要が高い。需要が高いアイテムを作れるという事は、それだけ周囲から必要とされる事になる。
「うーん……。難易度の高いポーションを作れるとか?」
「ほっほっほ。それも一つの答えじゃな。しかし、ワシの答えはそれとは異なるのう」
爺ちゃんはボクの反応をしばし伺う。
しかし、ボクの反応がイマイチと見て、すぐに答えを教えてくれた。
「ワシが考える良い薬師とは、常に高い品質を維持出来る者の事じゃよ」
「常に高い品質?」
ポーションの品質とは何の事だろう? そもそも、ポーションに品質があるのか?
……いや、ちょっと待てよ。この村の商人であるハンスさんは、爺ちゃんのポーションは人気が高いと言っていた。
ボクはそれを聞いて、爺ちゃんにファンでもいるのかと思った。しかし、あれがヒントだったのかもしれない。
「爺ちゃんのポーションが人気なのと関係するの?」
「ほっほっほ。自分で言うのもアレじゃが、確かにワシのポーションは最高品質じゃからな。何せ、回復量はそのポーションが持つ最大量に近く、消費期限も常に限界近く持つからのう」
「回復量に消費期限?」
爺ちゃんの答えに、ボクは再び唖然とする。
それはゲームには無いパラメーターだ。ゲームのポーションはいつまでも利用可能で、回復量は全て同じだった。
それが、この世界では違っているというのだろうか?
「うむ。質の低いポーションは、回復量が一定では無い。そして、もっとも酷いのが、使おうと思ったら魔力が既に切れておる場合じゃ。魔力を持たぬポーション等、ただの栄養剤でしか無いからのう」
「えっ! ポーションは効果が切れる事があるの!?」
ボクの驚いた顔に、爺ちゃんはニコニコと笑っている。そして、嬉しそうにボクへの授業を続ける。
「駆け出しの冒険者に良くある勘違いじゃな。ポーションは魔力の力で即効性を引き出しておる。品質が良ければ魔力は数か月程持つが、質が悪いと一週間程度で効果が切れてしまう」
「そんな……」
ポーションは通常、店売りで200Gである。ゴブリンを倒して得られるお金がその程度と考えると、それが決して安くないとわかるだろう。
実際に、爺ちゃんのポーションは150Gで卸し、250Gで販売されると聞いている。
しかし、ハンスさんの話しでは常に予約待ちで、入荷しても即日完売との事だ。ボクは愚かにも、流石はファンだと思っていた。
しかし、そうでは無いのだ。200G払って不良品が混じったポーションを買うなら、多少割り高でも確実に使えるポーションを買いたい。
ボクが冒険者の立場でも、同じようにお金を支払って購入すると思う。
「という訳で、薬師に求められるのは、そのポーションの信頼度と言えるな。ちなみに、そういう事もあって、ポーションは商人ギルドか、薬師ギルドで購入するのが常識じゃ。それ以外で買えば、割安でも必ず不良品を掴まされるからのう」
「ポーションの信頼度……」
これもゲームには無いパラメーターだ。
しかし、前世の現実世界を考えれば当たり前の事でもある。無名の会社の商品は信用出来ないから購入しない。
逆に大手の有名メーカーが作った物なら、下手な物は混じっていないだろと安心して購入する。
その常識が、こちらの世界にも通じるという事である。
「そして、次はポーション作りの極意についてじゃ」
「ポーション作りの極意……」
ボクは思わずゴクリと喉を鳴らす。まさか、そんな大層な話しが出て来るとは思っていなかった。
しかし、爺ちゃんのポーションは巷で人気の最高品質である。その極意を、喉から手が出る程に欲する人は多いはず。
ボクは今から、それを聞く事が出来るというのか……。
「ポーション作りの極意……。それは、清潔な環境で作る事じゃ」
「は……?」
ボクは再び言葉を失う。爺ちゃんは今、何と言った? 清潔な環境でポーションを作る?
それはもしかして、爺ちゃんなりのギャグなのか?
余りにも当たり前の事過ぎて、ボクはどう反応して良いかわからなかった……。
「ほっほっほ。驚いておる様じゃな。ポーション作りと環境が、本当に関わるっているのか信じられんといった事かのう」
「えっと、その……」
爺ちゃんは何故か勘違いをしていた。
ボクが言葉を失ったのは、余りにも当たり前の事だからだ。決して、その意味を理解出来なかったからでは無い。
しかし、爺ちゃんはボクの心境を知らずに、説明を続ける。
「ちょっとした汚れ、それが不純物が混ざる原因となる。多くの者はレシピ通りに作り、いつも低い品質のポーションが出来る。そして、それはレシピか自分の腕が悪いと考えてしまう。しかし、そうでは無いのじゃ。劣悪な環境がポーションの質を低下させてしまう。その事に気付かぬ薬師がどれ程多い事か……」
「…………」
爺ちゃんは非常に悔しそうな顔であった。過去に何かあったのだろう。
しかし、ボクは口を挟まずに爺ちゃんの説明に耳を傾ける。
「だからこそ、アレクは工房と道具を、常に清潔である様に心がけよ。そうするだけで、人よりも品質の高いポーションを作り続ける事が出来るのじゃ」
「うん、わかった。工房と道具は常に清潔にだね」
ボクの答えに爺ちゃんは晴れやかな顔をする。
薬師の心がけとして話す位である。爺ちゃんにとっては、この話はとても大切な事だったのだろう。
ボクとしては肩透かしを食らった気分ではある。薬を作るのに、不潔な環境など考えられない。
とはいえ、爺ちゃんの心が晴れたなら、それだけで聞いた甲斐があったのかもしれない。
「うむ。それではアレクにはこれを授けよう」
「え? ボクにくれるの?」
ボクは爺ちゃんが差し出した手帳を受け取る。相当に年季が入っており、長く使い込まれたのがわかる。
ボクは受けっ取った手帳をめくって見る。そして、その中身の書き込み具合に絶句する。
「凄い……。色んな種類のレシピが載ってる……。それに、注意点や代用可能な素材についても……。これってもしかして……」
ボクは呆然として顔を上げる。
すると、爺ちゃんが優しい瞳でボクの事を見ていた。そして、ニコニコと笑いながら頷いて見せた。
「薬師となるアレクへ、ワシからのプレゼントじゃ。ワシの薬師としての全てが、そこに書かれておる。それを使い、薬師として成長していっておくれ」
「えっ……」
これは薬師としての、爺ちゃんの分身とも言える代物だ。何十年という経験の積み重ねが、ここには書き込まれているのだ。
これは決して簡単に受け取って良い物では無い。ボクはこれを返すべきか、真剣に考えてしまう。
「アレクの気持ちは嬉しく思う。しかし、その手帳もアレクに使われた方が喜ぶじゃろう。ワシはその中身が全て頭に入っており、既に使う事が無いからのう」
「本当に貰って良いの?」
爺ちゃんの考えはわかった。
しかし、それでもボクは躊躇ってしまう。ボクはまだ、薬師として何の修行もしていない。
それなのに、ボクは極意書の様な物を手に入れようとしていた。
爺ちゃんはそんなボクの気持ちを察した様だ。その目を少し厳しくして、ボクに強い口調で告げた。
「勿論、受け取って欲しい。ただし、それを受け取るからには、ワシからの願いも聞いて貰う必要がある」
「爺ちゃんの願い?」
ボクは首を傾げる。爺ちゃんが自分から、ボクに何かを望む事は少ない。基本的には全てボクの好きにさせて貰っている。
爺ちゃんの珍しく、そして厳しい言葉にボクは緊張感が高まって来た。
「その手帳はアレク同様に、ワシの子どもの様なものじゃ。だからこそ、その中身は世の中の為に役立てて欲しい。その手帳を受け取るという事は、ワシの意思を継いで貰うという事に他ならない」
「え? そんな事で良いの?」
爺ちゃんからの願いに、ボクはまた呆気に取られてしまう。今日だけで、爺ちゃんには何度驚かされたかわからない位だ。
しかし、爺ちゃんはボクのそんな態度を嬉しそうに笑う。
「ほっほっほ。そんな事と言うか。アレクにとってそれは、当たり前の考えだったのかもしれんな。だとしたら、アレクは正にワシの後継者と言えよう。その手帳は、アレクにこそ相応しい物と言う事じゃな」
「爺ちゃん……。ボクは爺ちゃんの意思を継ぐよ」
ボクは爺ちゃんの目を真っ直ぐに見つめる。この状況で断れる訳が無い。ボクは爺ちゃんの子であり弟子なのだ。
ならば、ボクには爺ちゃんの意思を継ぐ義務がある。
「そうかそうか。アレクはワシの意思を継いでくれるのか。これでワシは、何も思い残す事無く逝けそうじゃな」
「……縁起でも無い。まだまだ教わる事は一杯あるんだから。少なくともボクが成人するまでは元気でいてよね」
爺ちゃんの言葉に、ボクは冷たく言い返す。
こんな嫌な事を言うつもりじゃ無かったのに、気が付いたら口から出てしまっていた。
「ほっほっほ。ワシが悪かった。だから、そんな風に泣かんでおくれ?」
「泣いてないよ……」
ボクは爺ちゃんから顔を背ける。ボクは自分でも動揺していた。
爺ちゃんの冗談に、どうしてここまで反応してしまったのだろう?
「よしよし。つい忘れてしまうが、アレクもまだ六歳の子どもじゃからのう。何も恥ずかしがる事は無いのじゃよ?」
爺ちゃんは背中からボクを優しく包む。爺ちゃんの温もりを感じ、どうしようも無く安心してしまう。
きっと、ボクの体の方が、そう出来ているのだろう。
この日、ボクの薬師レベルは上がらなかった。しかし、ボクは確かに薬師となり、爺ちゃんの弟子になる事が出来た。




