クエスト008 謎の部屋を探索せよ!
少女は空腹を覚えて目を覚ました。
辺りは真っ暗で、月明かりが僅かに差し込んでいる。
夢の中で何か食べた気もするが、現実に何か食べないとそろそろ命が危険だった。とても眠たいけれど寝たら死ぬ、と思って必死で起きていたのだが、案外寝たらすっきりしたような感じだった。
なんだかまだ身体中がふわふわしたものに包まれているようで心地良いが、食べ物を探さなければならない。
残飯にでも当たれれば御の字、せめてリンゴのひとかけらでも……
そう思って身体を起こした途端、昼でも日の差さない路地裏がぱっと明るくなった。
「…………えっ……!?」
驚きのあまり開いた口からは、かすれた声しか出ない。
そこは、少女が見たこともないような、清潔で手入れの行き届いた部屋だった。
決して高級感があるわけではないが、普通の庶民の家なんか比べ物にならない良い部屋だ。
壁の明かりは炎の色ではなく、白く明るい蛍光灯の色。
勝手についたことから見ても、シェードごしにも部屋を照らす明るさから見ても、間違いなく魔法のランプだ。
自分が寝ているのも、うず高く積まれたガラクタの山などではなく、真っ白なおろしたてのシーツが引かれた大きなベッドだった。
汚れた身体のままそこに横になっていたので、シーツも黒く汚れがついてしまっており、少女は慌ててベッドから飛び降りて手で払ったが、勿論どうにもならない。
「あうぅ、どうしよう…… って、ここどこ!? なんであたしこんなところで寝てるの!?」
人さらい、という単語が脳裏によぎるが、だとするとこんな立派な部屋に枷もつけずに一人で放っておく意味がわからない。
まさか自分は既に死んでいて、ここは天国か何かなのでは……と突拍子もないことを考えるに至り、きゅるるるぅ、とお腹が音を立てた。
生きているにしろ死んでいるにしろ、お腹が空いたからには何か食べ物を探そうと、寝室らしきその部屋を出る。
隣はリビングだ。座り心地のよさそうなソファに大きなテーブルがあるが、全体的にシンプルなつくりをしている。
そんな中でひときわ目立つのが、詰めれば少女が二人は入れそうな大きさの宝箱である。
まさかこの中に食べ物はないだろうと思いつつも、中が気になってしまい蓋に手をかける。
宝箱に鍵はなく、期待を持たせるような重厚な軋みをあげてぱかりと開いた。
つま先立ちになって身を乗りだし、中をのぞいてみる。
「………………………………」
あった。
そこに、食べ物があった。
しかもただの食べ物ではない。
珠を弾かんばかりの瑞々しい新鮮なサラダ。
そこに湯気を立てるコーンスープがついている。
さらに、見たことはあっても触ったことはないふかふかのパン。
前菜のエビのフリットなんて、想像すらしたこともない。
そして極めつけに、炒めた人参とブロッコリーが添えられ、ソースのかかった肉料理。
思わず真顔になるほどのご馳走だった。
何故、宝箱の中にご馳走があるのか。
何故、作りたてのように湯気を立てているのか。
そんな些細な疑問も、食べたい、という欲求に押しやられてしまう。
誘われるようにサラダに手を伸ばし、パリッとしたレタスを手に取り、口に運ぶ。
最初の一口を食べてしまったら、後はもう止まらない。
フォークもナイフもスプーンも使わない。手掴みで、あるいはお皿に直接口をつけて、食べかすで口元をべとべとに汚しながら、口の中に押し込むようにして食べる。
「お、いし……っ、おいひい、おいひいよう……! ふぅっ、ぇぐ、ふえぇっ……!」
食べながら涙が出てきた。
ぽろぽろと泣きながら、宝箱に頭を突っ込むようにして食べる。
それは、少女が食べたこともないような美味しいご馳走だった。
こんなに美味しいものが食べられるなら、死ぬのも悪くない。
スープ一滴、ソースひとすくいも残さずお皿を舐めて味わって、ようやく少女は落ち着いた。
お腹がいっぱいになるなんて、久しぶり……いや、もしかしたら生まれてはじめてのことだったかもしれない。
目元と口元をぐいっと拭う。
食べたあとのお皿はどうするか悩んだが、そのまま箱の中に入れて隠すように蓋をした。
これからどうしよう、と思って周囲を見渡す。
寝室とは反対側についたドアは、おそらく外に続くドアだろう。
外に逃げ出すことは簡単だが、逃げたところで今までと同じ、いつ死ぬかもわからない路地裏暮らしだ。
だったら、そのうち自分をここに連れてきた人も戻ってくるだろうし、後でひどい目にあうとしてもそれを待った方がいいと思えた。
ふと、そのドアの横にさらに続く小部屋があるのに気付いた。
片隅にカゴが置かれた小部屋の中には、さらに二つのドア。
片方を開いてみると、知識のない少女でもこれはおそらくトイレだろう、と思われる小部屋だった。
白磁で水洗洋式だが、便器の形に見覚えがあるのでかろうじてわかる。トイレとは思えない清潔さだったが。
もう片方の、何やらつるっとした不思議な素材のドアの向こうは、妙に音が反響するタイル張りの部屋だった。
お風呂、というものは話に聞いたことはあっても見るのは初めてだったから、少女にわかるのは壁から突き出た蛇口くらいのものだ。
フルコースにはスープはあったが飲み物はついていなかったので、水でも飲もう、と少女は蛇口に口を寄せて栓とおぼしきところをひねった。
シャワーからお湯が出た。
「ひにゃあああぁっ!!!?」
突然上から降ってきたお湯を頭からかぶった少女は飛び上がるほど驚き、裏返った悲鳴をあげて離れようとしたが、濡れた足場が滑って転んでしまう。
幸い頭などを打ったりはしなかったが、降り注ぐシャワーで全身ずぶ濡れになってしまった。
「あ、あ、あ……あったかい、お水が、こんなに……!?」
シャワーのお湯を浴びながら、少女は呆然とつぶやく。
身体を洗うのなんて、たまに降る雨に打たれながら寒さに震えながらが当たり前だった少女にとっては衝撃的だった。
温かいお湯に汚れが溶けて、黒くなった水が排水口に流れていく。
「ふあぁ…… すごい、いい気持ち……」
水を吸って肌に張り付いてきたので、身に付けていたボロ布を脱ぎ捨てる。
幼い裸身をさらした少女のお尻には、服を脱いだというのに黒い塊のようなものがついていた。
それは、毛が傷んでもつれてはいるものの、黒い毛並みの尻尾だ。
ぼさぼさの髪の毛が水に濡れてぺたんとなる中で、ピンと跳ねて震えて水を弾くのは一対の獣の耳。
少女は黒い毛並みの獣人であった。
獣人は狼を思わせるような耳と尻尾を持つ種族で、プレイヤーが選択できる種族のひとつでもある。
人間に比べて強靭で近接戦闘に向いてはいるが、逆に魔法に関するステータスは若干劣る種族だ。
それはさておき、じっくりとシャワーを浴びてさっぱりし、ついでにシャワーのお湯を飲んで喉を潤した少女は少しばかり困ったことになっていた。
「……服、どうしよう」
替えの服がないのである。
元着ていた服は汚れている上にずぶ濡れだし、服も着ないで外に出るわけにもいかない。
仕方なく、ベッドのシーツを巻き付けようと考え到り、濡れた身体のまま風呂場を出る。
そこで脱衣カゴの中にバスタオルを発見したが、身体を拭くにはともかく、衣服がわりにするには少々心もとなかった。
裸のままでリビングに戻り、寝室に向かおうとした少女であったが、ふと立ち止まり、宝箱に手をかける。
もしかして、この中に服や服のかわりになりそうな布が入っていたりしないだろうか……と思ったわけではないが、念のため、という感じで箱をあけてみた。
「………………………………」
あった。
そこに、服があった。
着心地のよさそうな木綿のローブである。
手に取り広げてみると、サイズも丁度良さそうな大きさだ。
あまりに都合のいい状況に、少女も思わず真顔になった。
そもそも、さっきの料理のお皿はどこにいったのか。
そもそも、食べかすやら何やら落としていたはずなのに、ローブには染みひとつついていないのはどういう訳か。
そんな些細な疑問は、少女はもう考えないことにした。
「魔法なんだ…… きっとここは、すごい魔法のお部屋なんだわ……」
ある意味、間違ってはいないことをつぶやきながら、素肌の上にローブを着込む。
着替え終わると、ふわぁ、とひとつあくびが出た。
目が覚めてから一時間少々しか経ってはいないが、お腹もいっぱいになり、シャワーも浴びて身体も暖まり、着心地の良い服に着替えたのである。
加えて何度も驚き続けたとあれば、神経が疲れて眠くもなろうというものだ。
少女はもはや抗うことなく、ふかふかのベッドに身体を投げ出した。
優しく暖かく身体を包み込むこの柔らかさが、尚更に眠りを誘う。
「ねむ……ちょっとだけ、ねよ……」
少女が眠りにつくことを何らかのセンサーで感知したのか、部屋の灯りもゆっくりと消えていく。
何に怯えることもなく、何を怖れることもない初めての眠りへと、少女は沈んでいった。