クエスト004 いざ、グランドクエストの大地に降り立て!
グランドクエストを開始するための前準備は思いの外少ない。
というのも、その前準備の大半はキャラクタークリエイションであらかじめ用意することが出来るからだ。
プレイヤーの分身を用意し、最初のスキルを決めてしまえば、あとはひとつの工程を残すのみ。
名前の入力である。
「最後に、私に貴方の名前を教えてください」
「これで最後か。いやぁ、結構時間かかったな」
「貴方が変なことばかりするからです。私も、こんなに手がかかるなんて聞いたことがありません」
唇を尖らせてぼやく守護天使に、青年は笑いながらウィンドウへ名前を入力していく。
あらかじめ決めていた名前があるのか、特に迷うことなく入力を終える。
ところが、あとは決定ボタンを押すだけ、というところで手を止めてしまった。
「どうしました?」
「うーん…… いや、さあ。名前の入力が終わったら、天使ちゃんともお別れだなーって思ってさ」
「案ずることはありません。私は貴方の守護天使、常に貴方の行いを見守っています」
「えっ、お風呂やトイレの中も? それってセクハラじゃない?」
「そんなところまで見ませんっ! アカウント凍結しますよっ!?」
ちなみに、プレイヤーはお風呂はともかくトイレに行くことは無い。
食事はできるが、出す方の機能も器官もないのだ。
なので勿論、ゲーム内でエロいこともできない。物理的に。
「でも、見守ってても触ったり話したりはできないじゃん?」
「触らなくても結構です。……貴方は、グランドクエストに私の力を借りたいと言うのですか?」
「だってさー、これ絶対もったいないぜ。こんなに可愛いのに、ゲームが始まったらもう顔を見ることも声を聞くことも愛でることも出来ないなんて、ありえないって」
「可愛い……ですか」
守護天使は、意表を突かれたかのように目をしばたかせる。
強いとか弱いとか役に立つとかデータがあるとか、そういうことではなく、可愛いと言う。
守護天使は、自分達が人間の感覚において美しいと感じる造形をしていることを知識として知っているが、可愛いかどうか、という設定は確認することができなかった。
「……………………」
「天使ちゃん?」
「……私を顕現させる魔法があります」
ざわっ……!
青年の心の中で黒服の男達がざわめくイメージが広がった。
今、なんと言ったのか。
守護天使を顕現させる魔法がある。
それは、守護天使は最初にしか出てこないものであるという現在の認識を覆す事実である、と同時に、運営側からプレイヤーにリークされた攻略情報でもある。
本来、関係者がプレイヤーに攻略情報を漏らすなど、あってはならないことだ。
しかも、AIであるはずの守護天使がだ。
やばいことを聞いた、という以上の謎の危機感が青年を焦らせた。
一体これは何からのスタンド攻撃なのだ。
「それ以上は…… どうか貴方の手で確かめて下さい」
「……wikiには書けないなあ、今の話」
書いたところで未確認情報だ。ガセネタ乙、の一言でお終いだろう。誰も信じない。
守護天使からそれを直接聞いた青年を除いては、だが。
「じゃあ、いつか天使ちゃんを呼び出せたら、体の隅々までたっぷりこの手で確かめちゃおっかな!」
「……貴方が、それを実現するほどに私を求めるのであれば、その時は応じましょう」
「……なん……だと……?」
わきわきと指を動かして茶化した青年だが、頬を染めて恥じらいつつも微笑む守護天使の返答に、思わず真顔になる。
「い……いや待て、これは孔明の罠だ。守護天使にエロいことをすればアカウント凍結待ったなし……!」
「私達守護天使には、グランドクエストに相応しくないプレイヤーのアカウントを凍結する権限はありますが、同意の上で公序良俗を守るのであれば、規約にも私達の判断にも抵触しません」
「な、ん…………やて…………?」
青年は衝撃のあまり関西人になってしまう。
確かに利用規約は飛ばしていて読んでいないが、まさか運営の一部である守護天使から直接エロOKの言質を取れるなど、想定の範囲外である。
まあ、プレイヤーキャラクターの方に性機能がないので、見て触る以上のことは難しいのだが。
「ならば、今すぐ色々しても!?」
「ダメです。同意しません。アカウント凍結しますよ?」
「むうう、けーちー。……じゃあせめて、天使ちゃんの名前だけでも!」
「私達守護天使に名前はありません。私は、貴方の守護天使。それ以上でもそれ以下でもないのです。
……それより、そろそろ名前を教えて頂けませんか?」
「うーん……」
言われて、青年はしばらく考える。
やがて、よし、という声と共にひとつ手を打った。
「じゃあ、ハスミってどうかな」
「ハスミ、ですか。失礼ながら女性のような名前ですね」
「だって女の子でしょ、天使ちゃん」
「……えっ?」
「だから、天使ちゃんの名前。俺の守護天使なんだから、俺がつけてもいいよね?
このゲームで最初に出会ったから、ハスミちゃん」
「私の……名前」
今度こそ、完全に意表を突かれた。
守護天使……ハスミは、しばらく呆然としていたが、やがて自分の頬に手を当てる。
「……守護天使につける名前なんて聞いていません。貴方の名前を早く教えてください」
「ハスミちゃん、顔にやけてるよ?」
「アカウント凍結しますよっ!?」
手にした槍も放り投げて、両手で顔を覆ってしまう。
ちなみに魔法でもかかった武器なのか、ハスミの槍は彼女の手を離れても倒れることなく浮いていた。
「うんうん、気に入ってくれたみたいで嬉しいよ、ハスミちゃん」
「で、ですから…… 貴方の名前を……」
「うーん、もうちょっとイチャイチャしてたいんだけどしょうがない。俺もゲームは楽しみだし、ハスミちゃんを呼ぶ方法を見つけるか。
そしてじっくりたっぷりとエロいことする!」
「……グランドクエストを進めるのに大変やる気になってもえたのは良いのですが、何だかとても早まったことをしたような……」
「大丈夫大丈夫、身体を洗って待っててね」
あけすけな言い方に頬を染めるハスミをよそに、青年はほったらかしにしてあった名前入力ウィンドウの決定ボタンを押す。
これでグランドクエストを開始する準備は全て完了した。
守護天使の祝福を受け、ここに新たなる英雄の雛が旅立つ。
「俺の名前はトライヴ。いつになるかわかんないけど、ハスミちゃんをお迎えできるように頑張ってみるよ」
「これで、全ての祝福は成されました。私と貴方はここでお別れです。
しかし、私は──ハスミは貴方の守護天使。貴方の行く末を常に導き、見守っています。
いつか貴方が、グランドクエストを果たされんことを!」
それは、グランドクエストの大地に降り立つプレイヤーへと、守護天使が最後に手向ける言葉だ。青年……トライヴ自身も、動画で何度も聞いた。
トライヴの体が光を放ち始め、暗い闇だった周囲が逆に白く、何も見えないほどに白く染まっていく。
「貴方に、幸運がありますように──」
ハスミの姿も薄れていく中、彼女はトライヴの頬に手を添え、瞳を閉じて顔を近づけた。
そして、その唇がトライヴに触れ──