帰投【兵隊などが拠点とする場所に帰りつくこと】1
約2年前
太陽が真上に昇る頃、黒い影が道を歩んでいた。
のどかな田舎道、明るい日差しの下には実にそぐわない光景だ。
黒い衣を着たその人物は、ある屋敷の前で足を止めた。扉の脇には大きな木の板が立てかけられており、そこには「錬金・魔法道具店『ドット』」と書かれてあった。
黒衣の人物が玄関の扉を開けると、その先にはエントランスホールがある。
ホールの奥には長テーブルのカウンターがあり、どうやらその場所が店の窓口になっているようだ。
しかしそこに店員の姿はない。
屋敷の中に足を踏み入れた黒衣の人物が、カウンターの向こう側をのぞき込む。影になっていて表からはよく見えなかったが、そこには椅子に座って居眠りをしている男がいた。
黒衣の人物がカウンターの天板を軽くノックすると、居眠りをしていた男がビクリと身体を震わせ、けだるげにその身を起こした。
「んぁ……客か。珍しいな。魔法ショップ『ドット』にようこそ。何かお探しの物でも?」
居眠りしていた男が目をこすりながら立ち上がる。
「……相変わらずですねレッド」
黒い魔法衣を着た人物が、軽く帽子をあげてその容姿をのぞかせた。
それは完全なる魔法使いと呼ばれるホワイトだった。双子の魔法使いの妹でもある。
「ったく、お前かよホワイト。客じゃねぇのかよ」
そして、彼の名はレッド。魔法道具店の店主であり、双子の魔法使いの兄でもある。
顔立ちはホワイトと似ているが、鋭い目つきをしていてその印象は大きく異なる。
特に目立つのはモヒカンのように刈られて逆立っている髪の毛だろう。元々の地毛は黒のようだが、その髪は中程までが赤く染められていた。
その容姿は一見して、スラム街に群れるならず者のように見えるだろう。
見るからにやる気を無くした様子のレッドは、再び椅子にどかりと腰掛ける。
「昼寝の邪魔だ。客じゃねぇなら、さっさとどっか行けよ」
「表に看板が出ていましたが、今は仕事中ではないのですか?」
「こんな良い天気に昼寝しないなんて罰が当たるぜ。それに客なんてほとんど来ねぇしな」
悪びれもせずにレッドはそう言った。
「仕事中でも居眠りばかりしているとエマが嘆いていましたが、どうやら本当のようですね」
「エマにはもう会ったのか」
「はい、ここによる前に挨拶してきました。元気そうでなによりです」
「あいつは変わらないからな。それで、なんの用だよ。客ってわけじゃないだろう」
「用事がないと来てはいけないのですか? ここは私の家でもあるのですが」
「あぁ、そういえばそうだったな。しばらく姿を見ねぇから、すっかり忘れていたぜ。しかしわざわざこんな片田舎に帰ってくるほど、暇じゃないだろうお前は」
どこかギスギスとした会話が続き、2人の視線がぶつかる。レッドは鋭い目つきでにらみつけるように。ホワイトは感情のこもらない目で見下すように。
「そうですね。無駄な会話は省いて単刀直入に伝えます。レッドに私の護衛を依頼したいのです」
「護衛? お前をか?」
「はい。これからソダンの森を越えて王都に向かいます。その道中の護衛と道案内をレッドに頼みたいのです」
その依頼を聞いたレッドは大きな声で笑いだした。
「ひひひっ、わざわざそんな依頼をしにここまで来たのかよ。笑えるぜ、まったくよ。お前に護衛なんて必要ないだろう」
「前金で500G。残りは護衛完了後に支払います」
そう言うとホワイトは金貨袋をカウンターの上にのせた。中身が詰まっているようでかなり重そうだ。
「……本気か?」
「先ほどエマから聞きましたが、仕入れた錬金素材をうっかりダメにしてしまったそうですね。何かと資金が必要なのではないですか?」
「エマめ……余計な事を喋りやがって。たしかに懐具合が寂しい所ではある。しかし、本当にお前の護衛と道案内をするだけなんだろうな」
「はい。それだけです」
「なんでわざわざ森を、ソダンの森を抜ける必要がある? 王都まで迂回する道はいくらでもあるだろう」
「急いでいるのです。ある報告をするために、私は早急に王都に着かなければいけません。」
「報告? なんだそれは」
「……」
ホワイトはその質問には答えない。
「おいおい、ここまで来てだんまりかよ」
「北の大地に封印された魔王とその配下の監視、それが師匠から私に与えられた任務でした」
「……は? 一体なにを……」
「その魔王の封印が解けかけているのです」
「おいおい、冗談だろう?」
レッドは苦笑いを浮かべてそう尋ねるが、ホワイトの表情は真剣そのものだ。それを見たレッドの表情も固まった。
かつて魔王と呼ばれるモノが存在し、世界を混沌へと導いていた時代があった。レッドは師匠からそう教わった事がある。当初はおとぎ話のたぐいだとレッドは思っていた。しかし、レッドの師匠はそういった夢のある話を、聞かせてくれるような人物ではなかった。
多くの人々が、村が、国が、無残にも蹂躙されるような暗黒世界が、過去に間違いなく存在していたのだ。
「一刻も早く私はソダンの森を抜けて王都へ向かう必要があります。そのためにはレッドの協力が必要なのです。お願いします」
そう言ってホワイトは頭を下げた。それにはレッドも驚いたようだ。
たしかにこのカンポカ村を経由してソダンの森を抜けるのは、王都へ向かう最短のルートだろう。
「……いいぜ。その依頼、受けてやるよ」
しぶしぶと言った様子で、レッドはホワイトからの依頼を受けることにした。
「ありがとうございます。それではさっそく旅に出る準備をしてください。私も準備したいことがあります。ここの地下室を使わせてもらいますね」
「地下室か……俺の私物も置いているから、それはいじくるなよ」
「わかりました。それでは準備を終えましたら、ここで集まりましょう」
ホワイトはそう言って地下室へと向かった。この時、ホワイトは地下室に転送魔法のゲートを設置していたのだ。それを後にレッドは知ることになる。
「お前も変わらないな、ホワイト」
久しぶりにやってきた肉親の姿を見送って、レッドはそんな独り言を漏らした。
気合いを入れるようにレッドは立ち上がると、玄関から表に出て、立てかけていた看板を室内に運び込んだ。しばらく「錬金・魔法道具店『ドット』」は休業だ。
レッドはそのまま1階のキッチンに向かうと、水筒に水をためこみ、持ち運べるような食料も準備した。
その準備を終えると、次にレッドは2階にある自分の部屋へと向かった。
森歩きや旅にも耐えられる長袖長ズボンの服装に着替え、旅の必需品を背負い袋の中に適当に詰め込んでいく。
全ての旅支度を済ませると、レッドはしばらく使っていなかった杖を手に取り、戸締まりを確認しながら1階へと下りた。
「準備はできたのですか? 早かったですね」
すでに自身の準備を終えて、玄関で待っていたホワイトがそう問いかける。
「あぁ。近いうちに森の奥まで入って、素材を集めるつもりだったからな。ある意味ちょうど良かったぜ」
「そうですか。それでは出発しましょう」
ホワイトが先に立って玄関の扉を開くと、レッドは室内を振り返って辺りを見回した。
もっと良く見ておくべきなのではないか、という妙な不安にレッドはせき立てられた。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。ちゃんと戸締まりしたか不安になっただけさ」
奇妙な気持ちを振り切ってレッドは館から出ると、玄関の鍵を閉めた。
双子屋敷があるのはカンポカ村という名の小さな村だった。気候は穏やかで、キノコが特産品の小さな村だ。
ソダンの森と呼ばれる大森林が村を取り囲むように広がっているため、交通が不便で人の行き来は少ない。
直線距離では王都とも近いのだが、そのためにはソダンの森の最深部を通らなければならない。ただでさえ迷いの森として有名な、ソダンの森の最深部を、わざわざ通ろうとする人間は少なかった。
鬱蒼な森の近くにある辺鄙で陰気な村。それがカンポカ村の一般的なイメージだった。
ホワイトと共にレッドが畑道を歩いていると、何人かの村人に出会った。
「あら、双子ちゃん久しぶりじゃない。2人でお出かけかい」
「あぁ。ちょっと王都まで行ってくる」
「へー、王都に行くのかい。何かお土産買ってきておくれよ」
「覚えていたらな」
「ホワイトちゃん、見ないうちに綺麗になったわねー」
「ありがとうございます」
「やぁ、レッド君。この前は薬のおかげで助かったよ。また何かあったらよろしく頼む」
「いいけど、あまり酒飲み過ぎるなよ、じいさん」
「「せーのっ、ばかレッドー」」
「おい、待てクソガキ共」
偏ったイメージを持たれているが、カンポカ村の村人は、皆おおらかで快活な人達だった。双子の魔法使いにも気軽に話しかけてくる。
そんなふうに村人と軽く挨拶を交わしながら双子は歩いて行くと、特に見知った顔がやってきた。
「おーい、レッドー、ホワイトちゃーん」
「よぉ、エマ。どうかしたか?」
幼なじみの少女エマだ。走っていたせいか栗色の髪が乱れていて、その手には何かの包みを持っている。
「間に合ってよかったぁ。はい、これ」
軽く息を整えると、エマは小包をレッドに手渡した。
「ん? なんだこれは」
「これから王都に行くために森に入るんでしょ。サンドイッチを作ったから、よければ後でホワイトちゃんと一緒に食べて」
手渡された包みの奥から暖かさが伝わってくる。どうやら作りたてのようだ。急いで準備してきたのだろう。
「そうか。ありがとう。俺たちが王都に行くこと知っていたのか?」
「うん、ホワイトちゃんから聞いたよ。これからレッドと一緒に少し旅に出ることになるかもって」
「なら話は早い。2、3日ほど屋敷を空けることになる。もし店に客が来てたら適当に言って追い返してくれ」
「えーっ、せっかくのお客さんを逃したらダメだよ。アタシがちゃんと店番と掃除もしてあげるって」
「そんなことしても小遣いは出ねえぞ」
「ちぇーっ、レッドのけちー」
エマは唇を尖らせて不満を訴える。
「すぐ帰ってくるから何もしなくていいっての。……しかし、念のため鍵を渡しておく。もし村で薬が必要になったら使ってくれ」
そう言ってレッドは屋敷の鍵をエマに渡した。
「うん。わかった。あの戸棚に入ってる薬だよね。レッドのお店の手伝いをしているうちに覚えちゃったよ。今ならレッドよりあたしのほうが詳しいんじゃないかな?」
「たまに屋敷の掃除をしているとはエマから聞いてはいましたが、店の手伝いまでさせているのですか?」
ホワイトがあきれ顔でそう言った。
「そーなの。レッドはテキトーで整理整頓ができないから、お店の商品管理はほとんどあたしがやってるんだよ」
「店の手伝いねぇ……畑仕事をサボるために、入り浸ってるだけだろ?」
「ちょっとー、たまにご飯も作ってあげてるんだから、それは秘密にしててよねー」
エマが頬を膨らませてレッドをつつく。
「おい、やめろ。地味に痛ぇ。はいはい、いつも助かるよ。だからつつくのはやめろって」
「……苦労してますねエマ。いろいろな意味で」
その光景を眺めるホワイトが、ひっそりとため息をついた。
「お前と話していると太陽が沈んじまう。さっさと行くぜホワイト」
「それじゃあ、ホワイトちゃん、気をつけて行ってきてね。まだまだ話したいことがいっぱいあるから、たまには帰ってきてね」
「はい、エマもお元気で。」
エマと村人達に見送られながら、レッドとホワイトは森の中へと足を踏み入れた。
こうして双子の魔法使いの旅は始まった。