帰結【最後の結論や結果】3
「で、ホワイトがこう言ったんだ、『そうやって裸でうろつくのが趣味なのですか?』ってね」
ニワトリのレッドがホワイトの口調を真似ながらそう言った。
「アハハ、レッドは裸なのも忘れて、王都の街を走ってたんだね」
レッドの話を聞きながらエマは朗らかに笑う。
空は雲1つ無い晴天で、太陽が真上を少し下ったところにあった。
1人と1羽は、村はずれにある林の木陰に並んで座っていた。
そこからさらに村から離れると、木々の密度が増していき、やがてソダンの森へとたどり着くだろう。
ソダンの森ほどではないが、この周辺でも錬金術で使う素材は手に入るのだ。
ニワトリのレッドから教わりながら、エマは手際よく必要な材料を集めていった。
そうしていると昼食時になったので、エマが用意していた軽食を一緒に食べながら、レッドは勇者との出会いの冒険譚を話していたのだった。
「深夜喋る馬が走っていた! だとか、子供を抱えて全裸で走る不審な男が居た! っていう話で、しばらく王都は持ちきりだったんだぜ。アレには正直参った」
レッドの疾走を目撃していた者が何人かおり、その噂が広まったのだ。幸い本人を特定されることはなかったが、王都を離れるまで、レッドはビクビクしながら過ごしていたのだった。
「でも、ユウノ……ちゃん? はレッドのおかげで助かったんだよね。良かったじゃない。最初はツンツンしていたみたいだけど、その後からは仲良くなれたの?」
「んー、まぁ、仲良くなったというか……妙に懐かれてしまったな。俺みたいなヒーローになるだとか言ってたよ。そんなつもりで助けたわけじゃねーのに。俺を『師匠、師匠』って呼んで尻尾振ってる犬みたいにつきまとってきたよ」
レッドは少し遠い目をして思い返す。
「ふーん、ユウノちゃんにも『師匠』って呼ばせてたんだね。ねぇ、し・しょ・う」
エマは唇を少し尖らせてそう言った。レッドから錬金術の知識を教えて貰っている間は、エマもレッドの事を『師匠』と呼んでいたのだ。
「なんだよ、一番弟子じゃないからって、拗ねてるのか?」
レッドは意地悪そうに目を細める。
「いーえー、べつにー、あたしは2番目の女でもいいですよーだ」
エマもまたそう言って意地悪そうに微笑む。
「人聞きの悪い言い方やめろって。そもそも俺はアイツに何も教えてやることができなかったよ。変身魔法や錬金術の知識なんて、勇者のあいつには必要なかったしな」
ユウノと実際に旅をしてレッドは思い知ったのだ。
勇者は自分のような欠陥品の魔法使いとはかけ離れた存在なのだと。
ユウノは旅の中で次々と経験を吸収していき、驚くほどの早さで強くなっていった。
単純な格闘戦に関しては、早い段階でレッドはユウノにかなわなくなってしまった。
『完全なる魔法使い』ホワイトに勝るとも劣らない実力を、ユウノが発揮しだすのにあまり時間はかからなかった。
しかし、それでもなお、ユウノはレッドのことを『師匠』と呼び、尊敬し、慕い続けたのだった。盲信していたと言っても良いだろう。
そのことが逆に、レッドの事を深く傷つけることになったとしても。
「でも、それだけ懐いていたんだったら、レッドと別れる時、ユウノちゃん寂しがったんじゃない?」
「……そうでもないさ。」
レッドはそう言って押し黙る。
そう、アレは寂しがるというどころでは無い。半狂乱になっていたと言っても良いだろう。
師匠と離れるなんて嫌だ。
師匠は足手まといなんかじゃ無い。
師匠はずっと僕が守るから。
師匠はずっと一緒に僕と旅を続けるんだ。
ううん、もう、旅なんてどうでもいい。
勇者とか魔王とか、この世界の事なんて知らない。
今度は僕が師匠を助けてあげるんだ!
最後までユウノはそう言い続けていた。
しかし、勇者にはまだやるべき事が残されており、助けを求める声も多くあった。
ホワイトの説得にも耳を貸さないユウノに対して、レッドはある決断を迫られる。レッドはその時のことをあまり思い出したくなかった。
「さて、休憩はこれぐらいにしておくか。さぁ、勉強の続きだ」
「了解です。師匠!」
レッドが促すと、エマは元気よく立ち上がった。右手に持つ手籠には集めた薬草が入って居る。
後は屋敷に戻って、地下室の機材を使い、実際の錬成・調合作業を行うのだ。
本番はこれからと言ってもいいだろう。
その時、一瞬の光が閃き、バリバリと空間が裂けるような大きな音がした。そして何か大きなモノが倒れるような音と振動が響き渡った。
野鳥たちが声を上げて森の奥から飛び去っていく。
「え? えっ? 何? 今の音」
エマは思わず首をすくめて、耳を塞いでそう言った。
「この空気……振動……誰かが森の奥で雷撃魔法を使ったか」
レッドはそう感じ取った。変身魔法しかレッドは使えないが、魔法学校に通っていたため、その他の魔法の知識も一応はあるのだ。
「そういえばソダンの悪魔目当てに、森の中を調査している冒険者達が居るって言っていたよな。そいつらの仕業か?」
「たぶん……そうかも。たしか『稲妻の魔法剣士』さんって人がよく店に来てたよ」
「『稲妻の魔法剣士』? 知らないな。それにしても、ソダンの森みたいな木々が密集した場所で、雷撃魔法を降らせるとか素人かよ」
雷撃魔法は、草原などの平たい場所で使うのが基本だ。高い木々や建物があると、狙った場所に命中させることは非常に難しくなる。
「もしかしたら逆に凄腕の雷撃使いの可能性もあるが……」
再びの閃光。そして雷鳴が轟く。何度も何度も。
連続して雷撃魔法が使われているようだ。手当たり次第と言った感じだ。
「訂正。やっぱり素人だわ」
森の奥から聞こえる騒ぎが大きくなり、レッド達が居る場所にも響き渡ってきた。
動物たちの鳴き声、人間の雄叫び、そして異形の魔物達が興奮する叫び声。
戦いの音だ。
「ちくしょう。戦争でもやってんのかよ。エマ、村まで戻るぞ。嫌な予感がする」
「う、うん。わかった!」
そう言ってエマは手籠の取っ手を肘まで通して引っかけると、ニワトリのレッドを両手で抱き上げた。
「ちょ、なにしてんだよ!」
「こうしてレッドを抱えて、あたしが走ったほうが早いでしょ」
確かに短距離であればニワトリの足でも走れるかもしれないが、村までの距離を走るとなると、人間のほうが早いだろう。
「ぐぬぬ…・・転ぶなよ」
「そんなにドジじゃないって。行くよ!」
エマはレッドを抱きかかえたまま走り出した。
森の奥から聞こえる戦闘音はだんだんと近づいてきているようで、激しさを増していく。
その音に追い立てられるように、鳥が羽ばたき騒ぎ、兎などの小動物が狂ったように走り回っている。
「キャッ!」
エマが悲鳴を上げる。大きな鹿がエマのすぐそばを追い抜いて、別の林の奥へと逃げ込んでいったのだ。
「あぶねぇ……追突されていたらヤバかったな。後ろから他に来てないだろうな?」
レッドがエマの腕の中から注意を促す。
「はぁ、はぁ……わかった、見てみる」
エマは息を切らせながら背後を振り返る。すると、その表情が恐怖で硬直した。
再びエマは前を見据えると、さらに走る速度を上げた。
「おい、どうしたんだエマ!」
「ま、ままま、魔物がっ……後ろ、来てる!」
「なんだって?!」
レッドはグイッと首を伸ばしてなんとかエマの二の腕越しに背後を覗き見る。
確かにそこに居たのは魔物だった。小柄なゴブリンだ。口から泡を吹かせながら、狂気染みた表情でエマに迫ってきていた。
「くそっ、なんでこんなところにゴブリンが?!」
「ひっ……やだ、すぐ後ろに居るよ! はーっ、はぁー、あ、あたし、どうしよう、レッド、どうしたら!」
エマはパニック状態に陥っているようだった。それは無理も無いことだった。殺気だった魔物をこんなに身近で見たことが無いのだろう。
恐怖に締め上げられて、エマの肺が悲鳴を上げる。このままではすぐに走れなくなってしまうだろう。
レッドに決断が迫られる。
「おい、エマ。俺を離せ! 俺がアイツを倒す!」
「なに言ってるのレッド?!」
「あの魔物はゴブリンっていうやつで一番弱い魔物だ。今まで何匹も倒してきた」
「はっ、はっ、でも、レッドは……」
エマが言わなくてもわかる。レッドは今ただのニワトリなのだ。
「ゴブリンには弱点があるんだ。それさえ知ってればニワトリの俺でもなんとかなるんだよ! だから早く俺を置いていけ! 俺を信じろ!」
「嫌だ! 信じない! レッドが嘘ついているのわかるもん! 子供の頃から一緒にいたから、それぐらいわかるよぅ!」
エマは涙声でそう言った。レッドの心が痛んだ。
次の瞬間、エマの身体が大きくぐらついた。
間近に迫っていたゴブリンが、エマに体当たりを喰らわせたのだ。
「っ……!!」
エマは悲鳴を上げることすらできずにバランスを崩すと、抱えたレッドを地面からかばうように横向きに地面に倒れた。
転んだその衝撃でエマの力が緩んだ。その隙にレッドはエマの腕の中から抜け出す。
「俺がゴブリンと戦う! その間に逃げろ!」
そう言ってレッドはゴブリンに向かって突進した。
「だめっ! レッド!」
エマの声は届かない。
レッドはゴブリンに肉薄する。
そのゴブリンはかなりの手傷を負っていた。顔を殴打されたのか左半分が膨れあがっている。切り傷も多数あり出血が酷い。このまま放って置けば間もなく死に至るだろう。
しかし、その目は激しい憎悪に燃えていた。手負いの獣染みた最後の火花が飛び散っているようだ。
確かにゴブリンには弱点と言えるものはいくつかあった。しかし、その弱点を突いたからと言って必ず無傷で倒せるわけでもない。
ましてただのニワトリにゴブリンを倒す手などありはしなかった。
レッドにできるのは、その身を犠牲にしてエマの逃げる時間を稼ぐぐらいしかなかった。
レッドは腹をくくった。
呪われた身であるこの鶏肉ははたして美味しいのだろうか? など場違いなことを考えていた。
ゴブリンの手がニワトリの首にかかった。
しかし、ゴブリンはまるで障害物を押しのけるようにニワトリのレッドを後方に押しやった。
そこには攻撃の意思すらなかった。
ゴブリンの目には、自分を傷つけた憎い人類の姿しか見えていないのだ。
放り投げられたニワトリのレッドは、振り返ってゴブリンの背中に手を伸ばそうとした。しかし、ニワトリの短い翼ではゴブリンを捕まえるどころか届きすらしない。
このままではエマが八つ裂きにされてしまう。
世界がゆっくりと流転していく。
レッドは奇妙なデジャブを感じていた。
そうだ、あの時もそうだった。あの時もレッドはすぐに手を伸ばせなかった。
ホワイトが呪われた、あの時の記憶が蘇る。
そこは深い闇に覆われていた。
それは人が触れてはいけないモノだと本能で感じられた。
その暗黒にホワイトは飲み込まれつつあった。
「この呪いは、私が終わらせた『物語』達の怨嗟の塊のようですね」
ホワイトは淡々とそう言った。相変わらず言っている意味はレッドにはわからない。しかし、ホワイトならそれぐらいなんともないだろうと、レッドは思っていた。いつものように。
思い返してみれば、それは『黄衣の呪術師』による巧妙な罠だった。ユウノとは離ればなれになり、ここにはレッドと呪われたホワイトしか居なかった。
「どれだけの数の恨みがあればこんな呪いができあがるのか……。さて、レッド。どうやらここでお別れのようです。最善の結果ではありませんでしたが、『彼女』も納得することでしょう」
ホワイトはあっけなく別れの言葉を告げた。その呪いは『完全なる魔法使い』ホワイトにもどうすることもできなかったのだ。
そんなモノがこの世に存在するなんて、レッドは考えたこともないことに気づく。
ホワイトにできないことなどないと思い込んでいた。
幾星霜の死と引き替えに生まれたその呪いは、ホワイトをこの『物語』から消し去るためにだけに存在しているのだった。
「さようなら、レッド。私のことは忘れてください。でも、『彼女』のことは……いつか思い出してあげて……」
そう言い残すとホワイトは呪いの奥底へと飲み込まれていった。
レッドだけが、その場所に取り残されていた。
また別の記憶が蘇る。
「いいかい、レッド君。キミの変身魔法で1番大切な事は、『変身する』事じゃあないんだ。変身後、キミ自身に『戻ってくる』事が大切なんだ。どれだけ姿形が変わっても、本当の自分を見失っちゃあいけないよ。わかったかい?」
氷湖の魔女その教えは、レッドの奥深くに刻まれている。
そうだ、本当の自分を取り戻せ。手を伸ばすんだ!!
レッドはそう心に決めたのだ。過去のあの時も、そしてこれからも。
ニワトリのレッドの中に渦巻く呪いが脈動する。それに応じるように、首元に巻かれた首輪が震えて光を放ち始める。
そして再び別の記憶が蘇る。
レッドは手を伸ばした。呪いの中へ。
暗い闇の奥へと沈むホワイトの手を握った。
「『彼女』だかなんだか知らねーが、誰がオマエを忘れるかよ、ホワイト! オマエみたいなクソ生意気な妹の事なんて、忘れたくても忘れられねぇよ! クソがっ!」
レッドの肉体、魂に呪いが侵食し激痛が走る。
それでもホワイトを掴んだ手は離さない。
呪いの渦の中で手をつかまれたホワイトは、何故か酷く悲しそうな表情を浮かべていた。
よく似た魂を持つ双子の間で、呪いもまた2つに分かたれる。
その結果、呪いは本来の役割、機能を大きく損なわれることになる。
生還したホワイトは、自身の膨大な魔力で呪いを押さえつけることができた。
しかし、レッドにはそんな力は無かった。レッドはこうして呪いの代償として、人の姿を失うことになる。
変貌したその姿のままでは、もう戦うことはできない。
だからレッドは勇者と旅を続けることをやめて、こうして故郷へ帰ってきたのだ。
レッドは今まで多くのモノを失ってきた。これからも失い続けることになるだろう。
しかし、それでもなお、レッドは手を伸ばして戦い続ける。
本当の自分を失わないために。
レッドの記憶の洪水がピタリと収まった。
レッドは再び手を伸ばした。
気がつくと、ゴブリンの背中が目の前にあった。
その肩に左手が届いた。掴んだ!
そのまま力任せに引っ張ってこちらに振り向かせる。
驚愕するゴブリンの顔。その顔に、レッドの右拳が叩き込まれた!
ものすごい勢いで殴られたゴブリンは、ワンバウンドしかねない勢いで道ばたに弾き飛ばされる。
「この、俺を! 変身の魔法使い、レッド様を無視するとは良い度胸だなクソゴブリン! かかって来やがれ! ボコボコにしてやる!!」
レッドが啖呵を切ってあおり立てるが、倒れ伏したゴブリンが起き上がる気配はない。元々重傷だったが、先ほどの一撃がトドメになったようだ。
森の奥から聞こえていた戦闘音もいつの間にか鳴りを静めていた。これ以上の災難はもう降りかかってこないだろう。
「なんだよ。これで終わりか。……って、エマ大丈夫か!」
レッドは転んだエマの下に慌てて駆け寄ると、両手で抱き起こした。
「……っ、大丈夫。ちょっとすりむいただけだから。……えっ! レッド……だよね? その姿って……」
「うん? あっ。あああああああ!! 身体、元に、戻ってる!!」
レッドは今更ながらに気づいて自分の身体を見る。そこには人間の手があった。立ち上がると目線は高く、2本のしっかりとした足で立っていた。
「やった、戻った! よくわからんが、人間の姿に戻ったんだ! よっしゃああああ!」
レッドは心の底から喜びの声を上げた。こんなに喜んだことは無かっただろう。
「えーっと、その、レッド、残念だけど……頭が…・・」
エマは少し気まずそうに声をかける。
「ん、頭?」
レッドが人間の手で自分の頭を触る。そこには逆立った『とさか』があった。『とさか頭』というような髪型の比喩ではない。
そこにあるのは、正真正銘ニワトリのとさかだった。
「えっ、えっ、ええええ!」
レッドはペタペタと自分の顔に触れるが、そこにもまた羽毛があり、よく見るとクチバシらしきモノが視界の中に残ったままだ。
つまり頭部はニワトリのままだったのだ。
「なんでこんな中途半端に戻ってるんだよ。くそっ、戻れ、イケメンの俺よ、戻れ!」
レッドは変に自画自賛をしながら、念じたり気合いを入れたりするが変化は無い。
依然奇妙な鳥頭人間がそこに居るだけだった。
そうこうしているうちに、レッドはある視線が自分に向けられている事に気づく。それはエマのものだ。鳥人間を見る奇異の視線ではない。どこかを凝視している。
「しばらく見ない間に……おっきくなったね」
エマが感心したように、それでいてどこか呆けたようにそう言った。
「は? 今度は何を言って……あっ」
またしても、レッドは遅れて気づく。そう、今回も首から下は全裸だったのだ。
「うぉおおおおおおい! そんな、まじまじと見るなって! 何ウンウンと頷いてやがんだこいつ! だから見るなって! やめろおおおお」
レッドがあたふたとすると同時に、首輪の輝きが失われた。
すると、ポンっと間抜けな音を立てて、レッドの体は再びどこにでもいるニワトリの姿に戻ってしまったのだった。




