帰結【最後の結論や結果】2
「本当に1人でホブゴブリンを倒しに行くとは思わなかったぜ」
ホブゴブリンの姿をしたレッドは、落ち着いた様子のユウノを引っ張り起こしてそう言った。
「はぁ、はぁ……その姿は?」
立ち上がったユウノは、少し荒い呼吸のまま尋ねた。
「聞いてなかったか? 俺は変身の魔法使いだ。最初はフクロウに変身してお前を探していたんだが、先にホブゴブリンの集団を洞窟前で発見してな。様子をうかがっていたら、お前がのこのこと洞窟の中から出てきたってわけだ」
その時の状況はある意味、喜劇的だった。洞窟から出てきたユウノ、洞窟前のホブゴブリン達、そして木の上で監視していたフクロウのレッド。三者三様に驚きの表情を浮かべて、一瞬の間が空いて、そして大混乱の狂騒劇が始まったのだ。
「俺は騒ぎに便乗してホブゴブリンに変身し、奴らの中に紛れ込んでお前を探していたのさ」
レッドの奥義である『大変身』が使えれば、ホブゴブリンの集団を先に撃退することができたかもしれない。しかし、『大変身』は先日山賊を蹴散らすために使ったばかりだ。
その時の消耗もあって、レッドの魔力は回復しきっていなかった。現在も、あと1回変身できる程度の魔力しか残っていない。
「……どうして?」
ユウノがフラフラとふらつきながらそう聞いた。
「どうして? ってそりゃあ……王都で案内し忘れた所があることを思い出したんだよ」
レッドは照れ隠しをするようにそっぽを向いた。いかついホブゴブリンの姿でそんなことをされると、妙な愛嬌があった。
「……そんなことのために、僕を探してこんな所まで来たの? ハハハ……ケホッ……うっ」
ユウノは力なく笑うと、咳き込み始めた。そして、地面にペタリと座り込んだ。
「師匠に命令されてたしな……っておい、さっきから大丈夫かよ。なんか調子がおかしいぞ」
「はぁはぁ……宝箱……罠……麻痺毒だと……思う」
ユウノは途切れ途切れにそう言った。呼吸器にも影響が出始めているのか、喋るどころか息をするのも辛そうだ。
「おいおい、マジでヤバそうじゃないか。あっ! そういえば市場でお前に会ったとき、薬をやったろ? それを飲むんだ。大抵の毒ならそれで症状が抑えられるはずだぜ」
「……」
レッドの言葉を聞いて、ユウノは気まずそうに下を向く。
「運が良かったじゃないか……おい、どうした。なんで黙っている?」
「……った」
「なんだって?」
「だから……売っちゃったんだ薬。鎧を買う……お金、無かったから……」
ユウノは消え入りそうな声でそう言った。
ユウノの鎧は、レッドが丹精込めて作った秘薬を売った金でまかなった物だったのだ。
そもそも怪しい男から貰った薬など、ユウノは飲むつもりは無かった。なので秘薬を売ることに躊躇しなかったのだ。
まさかこんなことになるとは思わなかったのだろう。
レッドは無言で目をつぶると、頭を抱えるしかなかった。
遺跡の中を徘徊するホブゴブリン達を、ユウノと一緒に各個撃破しながら脱出するのが1番の手だった。しかし、今のユウノの状態では戦えそうにない。
弱ったユウノを連れて、ホブゴブリン達の包囲網を突破するのは容易ではないだろう。
レッドが想定していた以上に状況は悪かった。
しかし、その時、レッドはある閃きを得た。
「おい、ちょっとお前の鎧を脱がせるぞ」
レッドはそう言うと、ユウノの鎧の留め金を外す。
「えっ……ちょっと! なにを……ひゃっ……」
問答無用で鎧をはぎ取られたユウノは、あわてて自分の胸囲を隠そうとする。しかし、サラシの巻かれていないその豊かな膨らみは、ユウノの両手では隠しきない。皮の服の上からでも、柔らかそうに形を変えているのが余計に扇情的だった。
ホブゴブリンのレッドは一瞬ピクリと硬直する。そして妙に難しそうな表情を浮かべると、ユウノをがっしりと抱きしめたのだ。
「やっ・・…ま、待って……やめっ……」
ユウノは身をよじって逃れようとするが、レッドの拘束はびくともしない。それどころか、ユウノの身体を力強くまさぐり、こすりつけ始めたのだ。
ホブゴブリンのざらざらとした緑がかった肌が、ユウノの皮の服、そして素肌にすりつけられる。ホブゴブリンの体臭で鼻が曲がりそうだった。
「……ご、めんな…・・さ、あっ……助け……」
衰弱したユウノは抵抗できず、レッドにされるがままだ。
小さな影を組み伏せる大きな影。奇妙な石像が並ぶ小さな部屋の片隅で、2つの影がうごめき続けた。
《コッチ、イタゾ、ミナ、アツマレ!!》
大きなうなり声が、遺跡に散らばる同胞を呼んだ。それはホブゴブリン特有の言語だった。
声の元にホブゴブリン達が次々と集まってくる。少し大柄で、左耳が欠けているホブゴブリンが最後にやってきた。それが、この集団の長だった。
《オレ、ツカマエタ、デモ、コレ、ヌイデ、ニゲタ》
仇敵を見つけたらしいホブゴブリンが、壊れた鎧をつまみ上げてそう言った。
欠け耳の長はジロリとその鎧を睨め回すと、クンクンと匂いを嗅いだ。たしかにその鎧からは人間の匂いがした。長の目が鋭く光る。
《オマエ! エモノ、サキドリ、シタナ!》
欠け耳の長は犬歯をむき出しにして、鎧を持つホブゴブリンにそう言った。そのホブゴブリンからも人間の、メスの匂いがしたからだ。
《ウッ、ア、スマン……》
鎧を持つホブゴブリンは、叱責を受けて尻込みする。
しかし、エモノを勝手に独り占めしようとするのは、ホブゴブリンの間では日常茶飯事のできごとだ。こんな小さな事を糾弾しても仕方が無い。
《フンッ! エモノ、ドコ、ニゲタ》
《コッチ、モット、オク、ニゲタ、アイツ、ヨワッテル、ミナ、オイカケル、ハヤク!》
せかすようにそう言って、獲物が逃げた方向を指し示す。そちらはまだ未探索の領域だった。
《イクゾ、ミナ! エモノ、ニク、タマシイ、スベテ、ケガシテ、オカシテ、コワシテ、クウゥゾォオオ!!》
欠け耳の長はそう言って周囲の仲間をたきつけると、自ら先陣を切って遺跡の奥へと駆け出した。他のホブゴブリンもそれに続く。
この先に彼らの獲物がいるのなら、発見されるのは時間の問題だろう。仲間を殺されて怒り狂うホブゴブリンに捕まった獲物が受けるのは、この世の地獄とも言える苛烈な責め苦であることは間違い無かった。
獲物が発する苦悶の叫びは、ホブゴブリンにとって、極上の音楽となるだろう。そんな予感を感じているのか、ホブゴブリンの集団の昂ぶりは最高潮に達しようとしていた。
激情に身を任せて、ホブゴブリンの集団は進んでいく。
しかし、一匹のホブゴブリンが、少しずつそのペースを落としていく。やがて周囲に他のホブゴブリンが居ないことを確認すると、踵を返して来た道を戻り始めた。
戻ってきたのは、ユウノに逃げられたと証言していたホブゴブリンだった。そのホブゴブリンは石像が建ち並ぶ小さな小部屋に入る。
「やつらを、遺跡の奥に誘い込んだ。今のうちに逃げるぞ」
ホブゴブリンは人間の言葉でそう言った。そう、このホブゴブリンはレッドが変身した姿だったのだ。
石像の物陰からヨロヨロとユウノが顔を出す。その姿は薄汚れていて憔悴した様子だった。ユウノの服と身体には、ホブゴブリンの匂いが染みついていた。
「うぅ……汚されちゃったよぅ」
「おい! 人聞きの悪いことを言うんじゃねぇよ! オマエの、人間の匂いを薄めるために、俺の、ホブゴブリンの匂いを付けただけだって! そうしないと、ホブゴブリンの連中に感づかれるかもしれなかったからな! それだけだからな! ホントに!」
レッドはそう言って念入りに釘を刺すが、ユウノはメソメソとしている。
「あぁ……もう俺も悪かったって! オマエがその、女……女子だったとは気づかなかったんだ。その意味では……悪かったと思う」
「……スンっ……うん。そう……だよね。僕も変なこと言って……ごめんなさい」
「お、おぅ……」
ユウノがしおらしく謝ったことに、レッドは驚いて言葉を濁した。
「とにかく! さっさと脱出するぞ。歩けそうか?」
「……ううん。もう、足の感覚が無いんだ。ごめん」
うつむいて再度謝るユウノの姿に、レッドは心が締め付けられた。思っていた以上に、麻痺の症状が進行しているようだ。
「勇者がそんな顔するんじゃない。俺が、絶対にここからだしてやる。さぁ、いくぞ! つかまれ」
そう言ってレッドは座り込むユウノの腕をつかんだ。
「うん……」
ユウノは大人しくレッドに身を任せた。
まずレッドはユウノを抱き上げると、腕を持ち上げて、その脇の下に頭を置いた。そしてユウノの股下に腕を入れて、肩の上にユウノを担ぎ上げた。
別の世界ではファイヤーマンズキャリーと呼ばれる担ぎ方だ。、俗に言うお米様抱っこというやつだった。
ユウノはちょっと思った。「あれ? 思っていたのと違う」と。
どうやらユウノはもう少しロマンチックな方法を想像していたようだ。
「そ、……そんなこと……思って……ないっ!」
「なんだって? なんか言ったか」
「ううん……なんでも……ない……」
「そうか。このまま走って逃げるから、舌を噛まないように気をつけろよ」
レッドはなるべくユウノを揺らさないように気をつけつつ、遺跡から脱出するべく足早に進み始めた。
いくつかの通路を抜けて、部屋を横切っていく。そして十字路にを左に曲がろうとしたその時。
「違う……そっちじゃないよ」
担がれているユウノがうめくようにそう言った。
レッドは慌てて立ち止まる。
「ここは……真っ直ぐ行って、次のT字路を左……だよ」
「本当か?」
レッドの記憶ではこの十字路を左に曲がったきがしたのだが、たしかに言われてみれば、T字路だったような気もした。
碧い魔法の明かりが灯っているとは言え、道は薄暗く先は見通せない。どちらの道が正しいのかレッドにはわからなくなってきた。
ここで道を間違えて迷ってしまったら、時間を大きく無駄にしてしまうだろう。
「間違い……無いよ。はぁ、はぁ、僕を……信じて」
「あぁ、わかった。オマエを信じる」
レッドは決断すると、十字路を真っ直ぐに進んだ。それからすぐにユウノの言うとおりT字路が見えてきた。レッドはそのT字路を左に曲がった。
そこから先はほぼ1本道だった。罠の宝箱があった部屋を越えて、ついに遺跡の入り口、そして洞窟の出口へとたどり着いた。
ホブゴブリンの気配はない。まだ遺跡の奥で獲物を探し続けているのだろう。
「よし、外に出たぞ、ユウノ!」
「うぅ……あぁあ……」
レッドは呼びかけるが、ユウノはうめき声上げることしかできなかった。
予想以上に症状が悪化している。このままでは呼吸すら止まってしまいかねない。
「おいおいおいおい、嘘だろ、しっかりしろよ! こんなところで死ぬんじゃねぇぞ!!」
ユウノを担いで走りながら、レッドは新たな変身の呪文を唱える。
ホブゴブリンだったレッドの体がぐにゃりと歪むと、そこには清廉な白馬現れた。その背にはぐったりとしたユウノが乗せられている。
「しっかりしろ! ユウノ! 俺の首にしっかりとつかまれ! 落ちるんじゃねぇぞ!」
ユウノはモゾモゾと動いてヒシとレッドの首回りに手をまわした。その力がとてもか細くて、レッドの心に突き刺さってくるようだった。
「今すぐ王都に戻る。行くぞ!」
白馬のレッドは駆け出す。素早く、しなやかに闇を駆ける。その姿はまるで流星のようだった。
「おい、ユウノ! まだ起きているよな! ったく、初日からこんな冒険になるなんて思ってたか? えぇ?」
ユウノの意識をつなぎ止めるため、レッドは話しかけ続ける。
「1人で、ホブゴブリンの集団を倒しに行くなんて、俺は考えたことなかったよ! 別に馬鹿にしているわけじゃないんだ。俺がオマエぐらいの歳の時は、魔法の勉強したり、馬鹿なことやったり。それだけだったよ。魔物と戦おうなんて思ったこともなかった。誰かを助けようとか……できなかったんだ」
レッドの話がとりとめのない物になっていく。そもそもレッドはユウノの事をほとんど知らない。出会ってから半日も経っていないのだ。何を話しているのか自分でもよくわからなくなっていた。
「だから……オマエの行動力は尊敬する。それにホブゴブリンを1人で2匹も倒したんだろう? 畑にあるもう一つの死体も見たよ。その死体はまだ他のホブゴブリンに見つかってないみたいだった。だから俺はその死体のホブゴブリンに化けてたんだ。そのおかげであいつらに気づかれなかったんだ。っと、話がそれたな。つまり何が言いたいのかっていうとだな……ユウノ、オマエはまだきっと強くなれる。これからの冒険だって実は俺、楽しみにしていたんだぞ。おいっ! 俺の楽しみを奪うつもりか! だから……毒なんかに負けるんじゃ無い!」
レッドの背中で揺られながら、ユウノの閉じられた瞳にうっすらと涙がにじんだ。
「そういえば、案内し忘れた場所があるって行っただろ。それが、あれだ。この王都の北門だ。王都には4つの門があるが、俺はこの北門が1番好きだ。初めてこの門をくぐって王都にやって来たとき、心がはずんだよ。なぁ、ユウノ、オマエはどこから来たんだ? ちくしょう! 俺はまだオマエのこと全然知らないぞ。なぁ、話してみろって。って、さっそく北門が見えてきたぞ! 早く喋らねぇとすぐ着いちまうぞ、おい!」
白馬のレッドは声をかけ続けながら、王都の北門を通り抜けた。
その時、レッドは敷き詰められた石畳の角に、蹄をとられてしまった。
通常であれば些細な事故だろう。しかし、かろうじて背中にしがみついていたユウノはその衝撃に耐えられず、バランスを崩した。今にも落馬しそうだ。
「く、っそおおおおお! 変身解除っ!」
白馬の姿が一気に瓦解して、人間の姿を形作る。レッドは勢いづいたまま空中でユウノを抱き留めると、なんとか地面を踏みしめた。裸足の足が地面に削られて血がにじんだ。
「つうっ! まだまだぁ!」
レッドはユウノを抱きかかえたまま、死にものぐるいで走り続けた。
そして……、
「おい、ホワイト! 手を貸せ!!」
レッドは宿舎の扉を蹴破ると、大声で双子の妹を呼んだ。
「相変わらず行儀が悪いですね。レッド」
入り口すぐのラウンジにいたホワイトは、読んでいた本を閉じるとレッドの元へ向かった。
それから……、
「治療は完全に終わりました。後遺症も残らないでしょう」
ホワイトがそう言った。
ここは宿舎の一室だ。ユウノはベッドで寝かされている。ホワイトによる解毒治療も済んで、安定した寝息をたてていた。
「そうか……良かった」
ホワイトのすぐ近くに居たレッドはホッと胸をなで下ろした。
「ところで、レッド」
「待て待て、何があったかなんて聞くなよ。もう今日はつかれたぜ。魔力も尽きて体力もねぇ。体中ガタガタだ」
ホワイトの言葉を遮ってレッドはそう言った。
「いえ、その話には興味無いです。しかし、そうやって自分の裸体を晒すのが、最近の趣味なのですか?」
「……え?」
その時になってようやくレッドは気づいた。
自分が今、全裸であることを。
「うぉおおおおおおおああああああああああ!!!」
レッドは自分の身体を隠すと、脱兎のごとく部屋から出て行った。
途中テーブルにぶつかって、そこに置いておいた小説が落ちた。ホワイトが読んでいた本だ。
「やれやれ、です」
ホワイトは肩をすくめて、落ちた小説を拾う。
その小説に挟まれたしおりは、レッドがユウノを探しに行く、といった時に読んでいた場所から動いていなかった。。
ホワイトは本を読んでいたふりをしていたが、実際ずっとレッドが帰ってくるのを待っていたのだろう。
ホワイトはひた隠しにしているが、そこにはうるわしの兄妹愛が……
「うるさい」
? 誰に話しかけるでもなく、ホワイトは突然そう言った。この部屋には寝ているユウノしかいない。ではホワイトは誰に向かってそう言っているのだろうか。
「……まぁ、いいです。後始末をすれば、今日の話は終わりです」
ホワイトは独り言を続けると、部屋の窓をあけた。夜の風が吹き込んできた。
ホワイトは右手に魔力を集める。まばゆい輝きが濃縮されて、集まっていく。
ベッドで寝かされているユウノは少し苦しそうに顔をしかめた。
そしてホワイトは、その純粋な魔力の塊を窓から放り投げた。ゴミでも捨てるかのように。無造作に。
ホワイトが放った光は、矢のように夜空をかける。
夜空を見上げて愛を語らっていた恋人達は、それを流れ星だと勘違いした。
その光はゆっくりと弧を描くと、吸い寄せられるように落ちていく。
だんだんと地面が近くなってくる。街道、畑、そして、洞窟。
洞窟の中に飛び込んだ光はさらにその奥、遺跡の入り口に達する
その後……。
ドンと小さな地鳴りがした。
王都に住む住人の多くが、その衝撃に気づいた。しかし、すぐにそれぞれの生活へと戻っていった。
その地鳴りは多くのモノには影響を与えなかったが、その威力は絶大だった。
ホワイトが作り出した魔力の塊は炸裂し、爆発した。
その結果、ユウノが見つけた遺跡は、入り口の洞窟ごと崩落したのだ。
「これで魔物も片付きました。二度と外にでてくることは無いでしょう」
ホワイトは戸締まりをして涼しげにそう言った。
ベッドのユウノは再び安らかな寝息を立て始めた。
平穏が訪れた。
部屋から出て行こうとしたホワイトは、扉の前で立ち止まる。
そして、こう言った。
「私はこの物語が嫌いです」




