帰結【最後の結論や結果】1
時は少しさかのぼる。
「ん……あれ? ここは……」
レッドが酒場でビールを楽しみ、陽気な気分で宿舎への帰路についてた頃、気がつくとユウノは王都の郊外を歩いていた。
日は完全に没しており、夜の闇が辺りを支配していた。酒場にいた時より幾分か時間がたっているようだ。
ここまで自分で歩いてきた記憶が、ユウノには無かった。
しかし、今までも目に見えない力に導かれることが何度もあったので、ユウノは動じていない。
きっとここで、勇者として何かなすべき事があるのだろう。
「うん、そうだ。きっと僕の力が必要なんだよ。さてと、まずは明かりが必要だね」
ユウノそう言って新品の鎧の首元から手を入れて、懐から鎖につながれた小さなメダルのようなモノを取り出す。
ネックレスのように首から下げていた小さなメダルを、ユウノは両手で包んで神に祈りを捧げる。
するとユウノの手の中で、小さなメダルは柔らかな白い光を放ち始めた。
昼の太陽のような激しい輝きではないが、夜の闇の中でも、ある程度の視界が確保できていた。
ユウノは明るくなった視界の中で、改めて周囲を見回す。
そこは王都の北門から抜けた街道だった。整備された王都とは違い、自然の草原と田畑が広がっていて、ぽつりぽつりと民家が所々に建っていた。
人の往来は無く、時折ふく風が草木を揺らす音しか聞こえてこない。
「そういえば、アイツは居なくなったのか」
さっきまでついてきていた、レッドというガラの悪い魔法使いは、ユウノのそばにはいなかった。
いつの間にかはぐれてしまったのだろう。しかし、ユウノは別に気にしていなかった。むしろホッとしていた。
ユウノはレッドが苦手だった。
髪を赤く染めて逆立たせている、チンピラのような風貌が苦手だった。
そしてなにより、レッドに一撃で倒されたのが悔しかった。
「別に悔しくなんかないよ」
ユウノは今まで故郷の村で、勇者となるため厳しい修行を積んできた。
修行を終えた頃には誰にも負けない自信があった、はずだった。
しかし、その自信はあっさりと粉砕されてしまったのだ。
「だから負けてないし。落ち込んでもいないって」
世界は広い。
ユウノはまだまだ自分が未熟であることを思い知った。自分自身の弱さが嫌だった。
だから少しでも経験を積んで、レベルアップしたいという思いがユウノの中にあった。
「……そこは否定しないよ」
ところで先ほどからユウノがこの物語の語り手である『わたし』の言葉に反応しているように見えるが、そこは気にしないで欲しい。
勇者であるユウノは、この世界を俯瞰して視ることができる力を持っている。
そのため、こうして『わたし』の語りに反応することがあるのだ。多感な時期の『独り言』だと思って、聞き流してくれれば幸いである。
「まるで僕が変な子みたいじゃないか」
実際そうである。
「ちょっ……」
その時、ユウノは視界の端で、何かの影を捉えた。
ユウノは独り言をやめると、ピンと気を張り巡らせる。バリバリと何か固いモノが砕けるような音が聞こえる。風に乗って嫌な悪臭が漂っている。
「この気配は……居るね」
ユウノは姿勢を低くして、気配の根源へと足を進めていく。
そして、ユウノは見つける。薄暗い緑色の肌をもった悪鬼の姿を。
ホブゴブリンは大胆に畑の中に座り込みながら、作物を貪り食っていた。
雑食性の彼らは人里に下りてくると、こうして畑を荒らしていくのである。
ユウノは木剣を握ると、ホブゴブリンの背後へと回り込んだ。
ホブゴブリンは飽くなき食欲を満たすことに集中しているようで、近づくユウノの気配に気づいていない。
そして、ユウノは仕掛ける。背後からのエンカウントによる先手必勝、それが勇者の基本戦術だ。
ユウノの振り下ろした木剣はホブゴブリンの頭部に命中する。
ぐしゃりという鈍い音を立てると、ホブゴブリンは声をあえげる間もなく絶命した。
「よぉし、やったぁ!」
ユウノは勝利の歓声を上げる。また少し強くなった気がした! ホブゴブリンは特に何も落とさなかった。
「グァ!、ぎゃぎゃ、ギャ!」」
少し離れたところから叫び声のような声が聞こえた。
その方向を見ると、別のホブゴブリンが憎悪の感情をむき出しにしながら、ユウノに向かって突進してくるところだった。
もう一匹仲間がいたようだ。
素手で飛びかかってくるその攻撃を、ユウノは身軽に回避する。同時につかみかかってきた右手に攻撃を加えた。
太い枝が折れるような音がした。関節が増えたかのようにホブゴブリンの腕がだらりと垂れ下がる。
新手のホブゴブリンは悲鳴を上げて折れた腕を抱えると、クルリと向きを変えて逃げ出した。
「待て! 逃がさないぞ!」
ユウノはその後を追った。
確実に殺さなければ、強くなるための経験値は得られない。そう教えられているからだ。
短い追跡劇の後、ホブゴブリンの断末魔の悲鳴が闇夜に響き渡った。
「あれ? もしかしてここは……」
ホブゴブリンが絶命したことを確認したユウノは、近くに洞窟を発見した。街道からほんの少しそれた目立たない場所に、その洞窟はあった。
逃げたホブゴブリンはこの洞窟に逃げ込もうとしていたようだ。おそらくここがホブゴブリンの巣なのだろう。
「こ、これが、モンスターの巣、ダンジョンってやつか!」
ユウノは瞳を輝かせる。
通常の冒険者であれば、単身でモンスターの巣を攻略しようとすることはない。ましては今は夜である。魔の者が活発化する時間だ。
しかし、勇者であるユウノは、冒険心がくすぐられて、躊躇せずにその中に入って行った。まだ見ぬ敵と戦い、敵が守っているお宝を欲していた。
ただ、強くなるために。
勇者のメダルの輝きがあるとはいえ、洞窟の中は暗く視界が狭い。敵との遭遇に注意しつつユウノは進む。
その洞窟は1本道で、しばらく歩くと天井の高い広い空間に出た。
どうやらホブゴブリンの集団はここで生活していたようだ。
「野菜の食べ残しに……これは何かの骨、人間の骨ではなさそうだけど……ホブゴブリンが住んでいたことは間違いないね」
ユウノは酷い悪臭に顔をしかめたまま、探索を続ける。
どうやら他のホブゴブリンはいないようだ。生き物の気配が無い。
ユウノはさらに洞窟の奥へと歩を進めるが、意外とすぐに行き止まりにたどり着いた。他に脇道の無い1本道の洞窟で、これ以上探索のしようがない。
当然。お宝も無かった。
「なんだ、もう終わりかぁ。ダンジョンってもっとワクワクするような場所だと思ったんだけどなぁ」
ユウノはがっくりと肩を落として来た道を戻ろうとする。
その時、メダルが放つ光が何かに反応するように一瞬強くなった。
ユウノは足を止めて周囲を見回す。しかし、そこには洞窟の壁しか見当たらない。
首をかしげながらもユウノは慎重に周囲の壁を探っていく。
「もしかして……あ、あった」
洞窟の壁に小さなくぼみを発見した。それはメダルの大きさとちょうど同じぐらいのくぼみで、ピッタリとはめ込むことができそうだ。
ユウノは高鳴る鼓動を感じながら、ゆっくりとそのくぼみに自分のメダルを近づけていく。
メダルの輝きが増していき、そして、壁のくぼみにピッタリと収まった。
一瞬の静寂の後、小さな地響きを立てて、目の前の壁が動き始めた。
壁の隙間からは神秘的な碧い光が漏れ出している。
やがて壁が完全に開くと、そこには石造りの豪奢な神殿のような回廊が現れていた。
魔術的な碧い炎が道を照らしている。
「こ、これは、隠しダンジョンってやつでは!」
ユウノはパァっと顔を明るくせると、元気よくその道へと足を踏み出していった。
こういう冒険を、ユウノは待っていたのだ。
突如現れた道は古代遺跡のようだった。
壁面には見たことも無い紋様や文字がびっしりと刻まれている。ユウノはその光景に心を奪われながらも歩く。
遺跡の奥には小さな正方形の広場があり、その先にはまだ通路が続いている。そして、広場の床の上には宝箱があった。
そう、それはどこからどう見ても宝箱だった。
「う、うわぁ! ホントにあった! 宝箱だぁ」
ユウノは初めて見た宝箱にさらに瞳を輝かせる。
今にもスキップしだしそうな軽い足取りで宝箱に近づく。
宝箱は人間1人ぐらいなら入れそうな大きな茶色い木箱で、真鍮の留め具と装飾がピカピカと輝いて見えた。
ユウノは膝立ちになってかがみ込むと、宝箱の蓋に手をかける。
カチリという手応えとともに、宝箱の蓋がわずかに開いた。
「おっ、ラッキー。鍵もかかってないよ。ふふふっ、きっと神様が僕の頑張り見ててくれたんだろうね。さてと、お宝とご対面だ!」
そしてユウノは宝箱を開いた。
ビュンと何かが弾けるような音がした。
次にユウノは激しい衝撃をみぞおち付近に感じた。
そして、そのままユウノは膝立ちの状態のまま、背後に倒れた。
仰向けに倒れたユウノの鎧には、1本の矢が下から撃ち込まれたようにやや斜めに突き刺さっていた。
そう、宝箱の中には矢の罠が仕込まれていたのだ。
それからしばらく、ユウノは仰向けになったまま動かなかった。
やがて、ピクリとユウノの手が動く。その手がゆっくりと動いて、恐る恐る鎧の留め金を外した。
突き刺さった矢と共に鎧がゴロリと取り外される。
矢は鎧を貫通していたが、斜めに刺さったせいか、すぐに勢いは無くなったようだ。
ユウノは小さな穴が開いた皮の服をめくり上げる。
矢はみぞおちの下部あたりに刺さっていたようだが、鎧と皮の服、そして素肌にキツく巻いていた『サラシ』によって威力がおさえられたらしい。
真っ白なサラシにじんわりと血がにじんできたが、深い怪我ではないようだ。
「はぁ~~~~っ、驚いたぁ。死ぬかと思ったよ」
ユウノは盛大に安堵のため息を漏らすと、ゆっくりと上体を起こした。
そして恐る恐る宝箱の中をのぞき見る。そこにはやはり機械仕掛けの罠があった。それだけしかない。宝など入って居なかった。
「ちぇっ、そういえばおばあちゃんも言っていたな。宝箱を開けるときには罠に気をつけろって。うぅ……忘れてたなぁ。今後は気をつけないと」
ユウノは初めての冒険に舞い上がっていたことを自覚して自戒する。
「むぅ。たしかに舞い上がっていたかもしれないけどさぁ。……それにしても鎧を買ってなかったら危なかったなぁ。ある意味アイツに感謝……いやいやそれはないナイ」
ユウノはそう言って頭を振る。ユウノが思い浮かべたのは赤髪の魔法使いレッドだった。腹部に喰らった一撃でやられたので、その対策のために胴鎧を買っていたのだ。
この鎧を着ていれば、あんな奴に負けなかった! ユウノは今もそう思っている。
「いや、だってあの時は僕も油断していたというか……アイタタ……」
ジクリと傷が痛んで、ユウノは思わず声を上げる。ちゃんと怪我を治療しておいたほうがいいだろう。
「うん。そうだね。今のうちに」
ユウノは周囲の様子をうかがうが、罠のあった宝箱があるだけで、敵の気配は無い。
ユウノは隠れるように部屋の隅に移動すると、上半身の皮の服を脱いだ。そしてキツくまいたサラシを解いていった。
拘束が緩んでいくことで、男にはない柔らかいモノが徐々に晒されていく。日に日に大きくなっている気がする『ソレ』はユウノの悩みの種だった。
ユウノは自分の腹部の矢傷を再び確認しようとするが、膨らんだ現れた『ソレ』のせいでよく見えなかった。
「ううぅ……邪魔だなもう。勇者にはこんなの必要ないのに……」
ユウノは片手で胸をギュッと押さえ込んで矢傷を見る。
やはり深い傷ではない。鏃の先端が少し刺さった程度だろう。
ユウノは傷口に手を当てて祈りを捧げると、その隙間から光が漏れた。しばらくすると出血が止まった。痛みも無くなった。一時しのぎではあるが応急処置にはなるだろう。
「はぁ、これでヨシッと……あれっ? はぁ……変、だな」
傷の手当てを終えたユウノは、再びさらしを巻こうとした。しかし、手が痺れたように力が入らず、うまく巻き付けることができない。
胸が大きすぎるせいだろうか。
「べ、別にそんなに大きくないよ! はぁ、でも、どうしたんだろう」
ユウノは立ち上がろうとするが、足がもつれてしまった。
めまいがする。呼吸もしづらくて息も荒くなってきた。
「はぁ、はぁ……出血をしたせい? ……違う……もしかしてこの異常は……麻痺毒?」
ユウノの勇者としての本能が、自身のステータス異常を客観的に捉えていた。
どうやら宝箱の罠、その矢に麻痺毒が塗られていたようだ。
今のユウノは傷の応急処置程度はできるが、麻痺毒を解毒する力は無かった。
ユウノはサラシを巻くことを諦めて、脱いでいた皮の服を着た。胸部がパツパツになってしまったがなんとか着ることができた。
それから鎧に突き刺さった矢を苦労して引き抜いて、装備しなおした。さっきまでは感じてなかった鎧の重みで足が震えそうになる。
鎧に穴は開いてしまったが、まだ使えるだろう。そして何よりこの鎧は『高かった』のだ。捨て置くわけにはいかない。
ユウノは木剣を杖代わりにして来た道を戻る。
1本道の道のりだが、毒に侵されたユウノにとって、それははてしなく長い道のりに思えた。
遺跡の扉を通り抜け、ホブゴブリンの巣を渡り、ようやく出口が見えた。
王都まではまだ少し距離があるが、洞窟から出て街道に戻れば、もしかしたら人がいるかもしれない。近くの民家に助けも呼べるだろう。
「はははっ、危ないところだったよ。まったく……」
ユウノは安堵の笑みを浮かべたが、しかしそれはすぐに凍り付いた。
洞窟の出口の広場に、ホブゴブリンの集団がいたのだ。6匹はいるだろう。
洞窟の近くで地面に倒れ伏した仲間の死体を見て、ホブゴブリン達はなにかわめき声を立てている。魔物の言葉をユウノは知らないが、それでも怒りと憎悪の感情が渦巻いていることは誰にでもわかるだろう。
ユウノはその光景を呆然と眺めている。そして間の悪いことに、外にいる一匹のホブゴブリンと目があってしまった。そのホブゴブリンはギョッと目を見開くと、ユウノを指差した。
あっ、と声を上げてユウノは洞窟の奥に身を引いたが、ユウノを発見したホブゴブリンはギャーギャーと大きなわめき声を立てた。それに続いて多くの足音が殺気立つように近づいてきた。
「ひぐっ……!」
ユウノは喉までこみ上げてきた悲鳴と嘔吐感を押さえ込んで、洞窟の奥へと逃げ出した。
迫り来る危機と毒に震える身体をむち打って、なんとか遺跡の中まで逃げ込むことができた。
自分たちの寝床に現れた謎の入り口を前にして、ホブゴブリンは驚きの声を上げているのが聞こえてくる。
ユウノは神に祈った。
どうか、この遺跡を警戒して、ホブゴブリン達が中に入ってきませんように!!
しかし、神にその祈りは届かなかった。仲間を殺されたホブゴブリンの怒りは強かった。
雄叫びを上げながらホブゴブリンが近づいてくる気配がする。
「クソぉ……っ!」
ユウノは涙目になりながらさらに遺跡の奥へと走った。
罠の宝箱があった広場を通り過ぎると、三叉路に出た、それから十字路、小さな広場、大きな広場と次々と駆け抜けていく。悠長に観察している暇は無かったが、この遺跡はかなり入り組んでいるようだ。
そしてユウノはついに行き止まりに行き着いてしまった。
何の用途に使うのかわからない小さな部屋だ。奇妙な石像が建ち並んでいる。
ここまで無理に走ってきたユウノの足が崩れて、ついに座り込んでしまった。
ホブゴブリン達の怒声のような声はやまない。
声で仲間の居場所を確認しつつ、ユウノを探しているようだった。ホブゴブリンは洞窟や遺跡に住み着くこともある魔物なので、こう言った場所の探索は得意なのだろう。
遺跡を守るガーディアンがいれば、ホブゴブリンとの相打ちを狙えたかもしれない。しかし、この遺跡にはガーディアンは存在しないようだ。
このまま立ち止まっていてはいずれ見つかってしまうだろう。
そうなれば……。
最悪の想像がユウノの頭をめぐる。
「だめだ……ダメだ駄目だ。諦めちゃだめだ。勇者は諦めちゃいけないんだ! きっと、突破するチャンスはあるはずなんだ!」
ユウノはネガティブになりそうな思考を振り払って、自分を鼓舞する。
来た道を引き返そうとユウノは振り返った。
その目と鼻のすぐ先に、一匹のホブゴブリンが居た。
思わず悲鳴を上げそうになったユウノの口が、ホブゴブリンの手で押さえつけられる。そして、がっしりとした腕に抱きかかえられてしまった。
ユウノは力の限り暴れようとしたが、毒で弱った身体ではどうすることもできなかった。
圧倒的な力の差によって、ユウノは石像が並ぶ部屋の奥へと連れ込まれる。
そして、ホブゴブリンはユウノを地面に押し倒すと、その上に覆い被さった。
緑色の肌。コウモリの翼のように広がった耳。闇を煮詰めたような濁った目。裂けるように広がる口からは乱ぐい歯と悪臭が飛び出してくるようだった。
醜悪なホブゴブリンの顔が間近に迫り、ユウノは目を閉じて顔をそらす。
こんなのは嘘だ。
こんなところで僕は……。
ユウノは必死に現実を否定しようとするがそれが現実だった。
ホブゴブリンの顔がユウノの耳元まで近づいた。
そして、こう言った。
「静かにしろ、声を出すな。俺だ、レッドだ」
それは、赤髪の魔法使いの……『人間』の声だった。




