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帰属【特定の組織に所属し従うこと】3

 薄暗く高い天井に、ぼんやりと漂うような灯りが浮かんでいた。

 小さな丸テーブルがあり、その上には紅茶のティーセットが並べられている。カップにはすでに紅茶が注がれており、白い湯気を立てている。どことなくヒンヤリとした空気が漂っているせいか、その紅茶はとても暖かそうに見える。


「さてと、まずはキミの報告を聞こうか。ホワイト君」

 氷湖の魔女がそう言った。

 古くから伝説として語り継がれている魔女とは思えないほど、その声は若々しい。

 しかし、その声を出すための口が、氷湖の魔女には存在しなかった。それどころか頭部全体が不透明な青白い氷で覆われていたのだ。それはまるで氷付けの兜のようで、表情どころかその輪郭すらつかめなかった。

 異形とも言える顔から下は、肌にピッタリと張り付くような特殊な魔法衣で覆われている。首元には丈の短いケープが巻かれてはいるが、それ以外の身体のラインがハッキリと現れている。

 その身体は永遠に歳を取らない石像のような美しさと、冬眠する白蛇のような妖艶さを放っていた。


「結果を先に言うと『まだ』魔王は目覚めていないようです」

 完全なる魔法使い、ホワイトがそう答える。

 特徴的だった大きな三角帽子は脱いでおり、長い銀髪が露わになっている。

 

 2人の魔女が向かい合って座るその光景は、まさに『魔女のお茶会』と言った様子だ。

 魔女のお茶会は今、魔法ギルド内にある、氷湖の魔女の私室で行われている。


「師匠の氷獄は依然堅牢で、ほころびは一切ありませんでした。しかし、その表面の氷壁を、一部破壊しようとしていた痕跡を発見しました。物理、魔法、そしてさまざまな『道具』を使って実験していたようです」

「ふむ……。低級の魔物は、アレに近づこうとすらしないだろう。賢い魔物なら、アレをどうこうできるとは考えず、同じく近づかないだろう。それでもなお破壊を目論む愚者がいるのなら……」

「魔王に近い眷属……もしくは」

「人間、の可能性か」

 氷湖の魔女は心底呆れたようにため息をついた。


「仮に魔王の眷属が封印から逃れ、暗躍していたとしても、それは杜撰な封印管理が原因であろう。結局封印を破るのはいつの時代も人間だ」

 氷湖の魔女はお手上げというように両手を上げる。道化のようなオーバーなリアクションだった。


「まぁいいさ。近い内に賢人会議が開かれる。どうせ責任の押し付け合いが始まるだろうが、ヘマした愚か者を必ず絞り上げてやるさ」


 氷湖の魔女の氷の仮面が、ピシリと音を立ててわずかにひび割れた。先ほどまではおどけているように見えたが、その内には刺すような冷たい怒りが秘められている事を、ホワイトは知っていた。


「不愉快な結果にはなったが、今回の依頼はよくやった、ホワイト君。さすが我が愛する弟子だ。それではもう一つの依頼結果と、話しをしてみようではないか」

 そう言って氷湖の魔女はぐるりと頭をめぐらせる。


「まったく。キミほど愚かな弟子をもったことがないよ、レッド君。師匠の授業をサボったあげく、何も言わず田舎に引きこもるとはねぇ」


 氷湖の魔女の視線は氷に覆われて見えないが、それでもレッドを冷たい目で見ているのがわかった。

 双子の魔法使いの妹、ホワイトは素知らぬ顔で紅茶をコクリと飲んでいる。

 2人の魔女のお茶会のすぐそばで、双子の魔法使いの兄、レッドは床の上で正座させられていた。

 そのレッドはガチガチになっていた。濃い冷気が地面の近くを漂っているせいもあったが、それ以上に氷湖の魔女、『師匠』を恐れていたのだ。


 レッドとホワイトは6歳の頃、師匠に拾われた。

 それから12歳になるまでの6年間をカンポカ村の屋敷で過ごした。

 その後、師匠は双子の才能をさらに磨かせるため、共に王都へ移り住み、魔法ギルド直下の魔法学院へと通わせた。

 その間も師匠は教師として、厳しく双子を指導し続けた。


 まさに手塩にかけて双子を育て上げた、と言っても過言ではないだろう。

 その成果もあって、ホワイトは『完全なる魔法使い』の名を得るまでに至った。

 しかし、レッドは師匠の前から突如姿を消し、カンポカ村へと逃げ帰ったのであった。


「ですが、あのまま学院で魔法の勉強を続けても……俺には魔法の才能は無いようですし」

 レッドが敬語で答える。色々な意味で師匠には躾けられているのだ。


「またそれか。……いいかい、レッド君。キミは確かに変身魔法しか使えない、希有な魔法使いだ。そもそも変身魔法自体、近代魔法学では下火の魔法だ。空を飛ぶためタカに変身するぐらいなら、最初から飛行魔法を使ったほうが確実だ。タカに変身したからといって、タカのように飛ぶ技術があるとは限らないからね。それに姿を偽るなら、幻惑魔法を使った方が手っ取り早いだろう」

 幼い子供に話すように、師匠は身振り手振りを交えて話す。氷の仮面で表情が閉ざされているせいか、こういった所で感情が表れているのだ。


「今は衰退しつつある旧い魔法。それが変身魔法だ」

 現実を確かめるように師匠はそう言った。レッドもその事を自覚していた。

 先行きの暗い寂れた魔法。それにすがることしかできない自分自身が嫌いだった。

 レッドは小さくなるようにうつむいた。


「しかし、それでも魔法は魔法だ。全ての魔法は神秘の結晶なんだ。無駄な事など無いのさ。それに、古今東西含めて、キミほど巧みに変身魔法を使いこなす魔法使いはいなかっただろう。キミならば変身魔法の新たな境地に、たどり着けると期待していたんだよ」

 初めて聞く、師匠の思いもよらぬ言葉に、レッドの心は揺さぶられた。他の学院教師がそんなことを言っても、レッドは鼻で笑っただろう。

 しかし、他ならぬ師匠の言葉は、レッドの胸に深く突き刺さった。


「師匠に迷惑をかけたことは謝ります。すみません……」

 心の奥からツンとこみ上げてくるモノがあったが、レッドはそれを押さえ込んだ。ただ謝罪の言葉を述べるだけにとどまった。

 ソレを表に出してしまうほど、レッドはもう子供ではなく、弱くもなかった。


「ふむ……。まぁいいさ。ところで、キミはこの師匠に対して自責の念があるというわけだね?」


 ガラリと空気が変わる音すら聞こえたような気がした。

 レッドは少し赤くなった目を上げると、そこには両手を広げて大きく腰掛ける師匠がいた。そして、ちょうど見せつけるように、師匠は優雅に足を組み替えた。

 その動作は、蛇が舌なめずりをする様子に似ていた。


「埋め合わせをするために、愛する師匠のためならどんなことだってやってのける、という固い意思がキミにはあるんだね?」


 レッドのうなじの毛がピリピリとして逆立つのがわかった。

 久しぶりに思い出したその感覚は、師匠からの無茶振りにおびえる、身体的な反射だった。

 こうなってしまったら、もうどうすることもできない。レッドは覚悟を決めると小さく頷いた。


「よろしい。それではホワイトと一緒に、勇者と旅をしてきなさい」

「……はい?」

 予想していなかった展開に、レッドはあっけに取られる。


 師匠と双子の兄のやりとりを他人事のように傍観し、ちびちびと紅茶を飲んでいたホワイトが、ティーカップを受け皿にガチャリと置いた。


「どういうことですか、師匠。聞いていませんが」

 ホワイトもまた師匠の無茶振りに振り回されているようだ。


「ホワイト君。キミの報告にもあった通り、魔王の封印がどうもきな臭い。最悪の事態にそなえて、今のうちに『勇者』を育成することが、議会で決まったんだ。その『勇者』を優秀な我が弟子2人に任せたいと思っているのさ」


 『魔王』の存在すら半信半疑だったレッドにとっては、旧い物語の『勇者』まで、今の世に存在していることに驚きだった。


「話しの経緯はわかりました。その依頼、喜んで引き受けます。しかしレッドは必要ですか? 足手まといにならなければ良いのですが」

 あっさりとホワイトは師匠の依頼を受け入れたが、その一点だけ難色をしめした。


 思わず乱暴な言葉がレッドの口から飛び出しそうになったが、師匠の前なので声を出さずに口をゆがめると、ホワイトを鋭くにらみつけた。

 ホワイトはレッドのほうを一瞥すらせず、師匠の答えを待っている。


「レッドの変身魔法もそれなりに役にたつはずさ。偵察、情報収集、もしくは囮にでも使えば良い」

 師匠は雑に片付けるようにそう言った。先ほどレッドの心を響かせた言葉がまるで夢だったかのようだ。


「はぁ……師匠がそういうのであれば従います。しかし、足を引っ張るようでしたら容赦なく切り捨てますからね。わかりましたか? レッド」

 ホワイトは冷淡な瞳で双子の兄を見やった。


 師匠の雑な言葉に、ほんのりとしょぼくれていたレッドだったが、ホワイトのその言葉に闘志が湧いてきた。

「あぁん、誰に向かってモノを言ってるんだ。やってやるよ! 勇者だろうがなんだろうがついて行ってやるよ。てめぇこそ足下をすくわれるんじゃねぇぞ、優等生風情が!」

 レッドは正座した状態から機敏に立ち上がると、ホワイトを見下ろしながら、宣戦布告するようにそう言い放った。


「ふむ、ふむ。相変わらず仲が良いようで、師匠は安心したぞ。おや……?」

 師匠がふと顔を上げると、天井からフワリフワリと白いモノが降ってきた。それは巨大な雪の結晶のようだった。

 師匠が手を伸ばして触れると、その結晶はあっという間に溶けて無くなった。


「ふむ。どうやらそろそろ『勇者』がこちらにやってくるようだ。皆で出迎えようではないか」

 結晶に込められた情報を読み取った師匠が、そう言って双子をうながした。


 ホワイトはすくっと立ち上がると、スタスタと先に歩いて行った。

 レッドもすぐにその後を追いたかったのだが、長く正座をしていたせいか足が痺れて、思うように動き出せなかった。


 レッドは唇を結んで痺れに耐え、なんとか部屋の出口に振り返った。その時、背後から師匠の手が伸びて、ポンとレッドの頭に置かれた。


「レッド君。我が愛する弟子よ。もっと広い世界を見てくるんだ。期待しているぞ」

 師匠はそう言ってレッドの頭をクシャリとなでると、ホワイトに続いて部屋を出て行った。

 その師匠の背中が、レッドには少しだけにじんで見えた。


 1人残されたレッドは服の袖で目元をぬぐうと、大股に歩き出した。

 もう足のしびれは気にならなかった。レッドはもう子供ではなく、弱くもないのだから。




 魔法ギルドは様々な仕事を担っていた。

 魔法の介在が疑われる事件の相談。正体不明の魔道具の解明。『エンシェント』と称される古代魔法の探求。

 そして魔法使いの派遣、斡旋も行っていた。


 魔法ギルドの1階ロビーは神殿のように広々としているが、今も多くの人々が行き交っていた。

 ロビーの中程には魔法ギルドの象徴である獅子の銅像が建てられている。今にも動き出しそうな精巧な銅像だ。実際日付が変わると、いつのまにか姿勢が変わっていることもあるそうだ。


 その獅子の銅像近くに、師弟は並んで立っていた。


 ホワイトから煽られた勢いでレッドはこの依頼、というか師匠の無茶振りを引き受けてしまったが、実際『勇者』という存在に興味があった。


 おとぎ話に出てくる勇者はいつも強くて諦めず、人々を導いていった。

 もし、そんな人物がいるのなら、直接会ってみたいとレッドは思った。勇者と関わりを持てば、変身魔法しか使えないこんな自分でも、真の意味で変われるのではないかと、そう思ったのだ。


「ふむ、どうやら来たようだね。ようこそ勇者様」

 師匠が深々と頭を下げてそう言った。

 レッドも慌てて頭を下げる。物思いにふけっていたせいか、まだ勇者の姿は見ていなかった。


「はいっ! 僕が勇者のユウノです!」

 元気な少年のような声がロビーに響いた。レッドにとってそれは、つい最近、どこかで、聞いたことのある声だった。


「僕と一緒に旅をしてくれる、魔法使いと会えると聞いて……って、あああああああっ!! その赤い頭!!」


 驚いた少年の甲高い声が、再びロビーに響いた。赤く染めた髪をもつ男、レッドは驚いて顔を上げる。


 そこにはレッドをワナワナと指差し、怒りで顔を真っ赤に染めた小さな子供がいた。

 商店が並ぶ繁華街で、レッドが恐喝をしていると勘違いしていた、正義感溢れる子供だ。

 そしてレッドがうっかり一発でダウンさせてしまった、お世辞にも強いと言えない子供だった。


 あまりの偶然に、レッドは頭を抱えた。勇者とのファーストコンタクトは、こうして最悪の形で幕を開けたのだった。

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