帰郷【故郷に帰ること】1
『物語』を語ろう。
その世界には勇者と魔王が居た。
勇者は仲間と出会い、共に旅をし、様々な経験を積んで強くなっていく。
魔王は魔物を支配し、命令を下し、多くの命を奪って強くなっていった。
鏡あわせのような2つの陣営はやがて衝突する。
そういうよくある『物語』だ。
勇者とその仲間達は、激しい戦いの後、魔王を封印することに成功する。
そして、平和は訪れた。
それが、前回までの『物語』のあらすじだった。
それでは、今回の『物語』を改めて語ることにしよう。
まずそこには暗闇があった。
物音一つしない静寂の時がゆったりと流れている。
消毒液のような薬品の匂いが、停滞した空気と共にへばりついていた。
しかし、変化は時として突然訪れる。
空間ごと震えるようなイヤな音が、どこからともなく聞こえてくる。
時折青白い雷光が闇の中を走り、周囲を刹那に照らす。
地面に描かれていた幾何学模様が、力を持って輝きはじめると、周囲の様子が薄ぼんやりと浮かび上がってくる。
数多くの魔道書が納められた古めかしい本棚があった。壁際には頑丈そうな広いテーブルがあり、その上にはガラス製の器具や、書類などが雑多に置かれている。
その場所は、とある屋敷にある地下研究室だった。
部屋の中心に目に見えない力が集まっていく。地下の閉ざされた空間に風が渦巻き、テーブルのガラス器具がカタカタと音を立てて震える。
奇妙な圧迫感が頂点に達したその時、大きな音を立てて空間がひび割れ、そして引き裂かれた。
どこか遠くの空間とこの地下室の空間が繋がったのだ。
魔力によって引き起こされたこれらの超自然現象を、この『物語』では魔法と呼んでいる。そして、魔法を扱う者は魔法使いと呼ばれていた。
異なる場所の空間をつなぐその転送魔法は、始まりの時と同じように突然終息した。
風は止み、静寂が再び訪れる。しかし、地面の魔方陣は未だにわずかな輝きを放っていて、先ほどまで居なかったはずの、2つの影をぼんやりと映し出していた。
その片方は人間のシルエットのようだが、もう一つの影はとても小さかった。
「ここは……この懐かしい匂いは……まさか屋敷の地下室か」
小さな影がつぶやくようにそう言った。その声は若い男のものだった。
「そう、ここは『私たちの家』です」
もう一つの人影がそう答える。落ち着いた若い女の声だ。
「本当に転送魔法まで使いこなすとは。恐れ入ったぜ。さすが『完全なる魔法使い』様だ」
軽口を叩くように小さな影がそう言った。
この世界で転送魔法を扱える魔法使いは、確かに多くは居ない。
「事前に転送先のゲートを作成しておけば、それほど難易度は高くありません」
「魔法ギルドのエースであるお前なら簡単だろうがな。普通の魔法使い、そしてソレ以下の半端物の俺にはゲートの作成すら困難だっつーの。ははっ」
彼はそう言って自嘲気味に笑う。しかし、それも長くは続かなかった。
「……なぁ、この旅に俺がついて行った意味はあったのか? そもそも、俺が居なければ、あんなことにはならなかったんじゃないのか?」
彼の声はどこか遠く震えている。
「その質問に私が答える意味があるのですか?」
再び発した彼女の声はよどみなく澄み渡っていた。
「……質問に質問で答えるなよ。面倒臭ぇな。しかし、そうだな意味のある質問じゃないな。もう終わった事だ。やるべき事はやったよな」
「そうです。あなたの旅はもう終わりました。……しかし、私たちはあなたと、レッドと旅をすることができて良かったと思います」
姿勢良く、堂々としたたたずまいのまま、彼女はレッドに向かってそう言った。
「良かった……か、そうだな。確かに、色々あったが良い旅だったよ。しかしアイツは最後の最後まで泣き虫だったなぁ。勇者ならもっとシャキッとしろっての。なぁ、ホワイト、お前はこれからどうするんだ?」
小さい影、レッドはホワイトにそう問いかけた。
「少し調べてみたいことがあります。レッドは先に休んでいてください」
「そう言った意味で言ったんじゃないんだがな……ま、いいさ。言われなくてもくつろいでやるよ。久しぶりの我が家だしな」
そう言ってレッドが歩き出すとホワイトもその後を追った。両者の足音は酷く違って聞こえた。
ホワイトが地下室の扉を開けると、レッドはその先の階段をぎこちない様子で上って行く。薄暗がりの中に浮かぶレッドのシルエットは、人間のソレとは大きく異なっていた。
そんなレッドを見送ると、ホワイトは小声で何かを唱える。
すると、光り輝く塊が現れた。魔力によって生み出された明かりだ。
そして、ホワイトと呼ばれていた人物の姿もまた照らし出される。
まず目を引くのは、まさしく魔法使いというような幅広の大帽子だ。
今もなお闇を引きずるような黒い大帽子と黒いローブを身に纏い、その手には魔法の杖が握られていた。
果てしない修練を重ねた、高位の魔法使いといったような姿だ。
しかし、彼女自身は若く、そして美しかった。
若返りの魔法では到達できない自然な瑞々しい肌と、整った顔立。心の奥底まで見透かされてしまいそうな魔眼のような瞳。浮き世離れした白に近い長い銀髪。
大帽子がその魅力の大半を覆い隠してしまっているが、わずかに垣間見える風貌だけで多くの人々を虜にしてしまうことだろう。
ホワイトは光を伴って本棚の前にやってくると、並べられた魔道書の背表紙を目で追っていく。
ふと、ホワイトの目が止まる。ホワイトは黒いローブの下から白い手を差し出すと、その魔道書の背表紙に触れた。
それは『呪術』に関する情報がまとめられた貴重な書だった。王都の大図書館であれば、厳重な閲覧制限がかかっているような危険な代物だ。
呪術書を本棚から抜き出そうとしたその時、階上で大きな音がした。
ホワイトは迷い無く本棚から離れると、地下室の階段をしなやかに駆け上った。
「何かあったんですかレッド」
1階に到着したホワイトがそう問いかけるがレッドの返事は無い。
階上の広い廊下は薄暗く、ひっそりとしていた。
窓の外の時刻は黄昏時を少し過ぎた頃合いだろうか。日は没し、夜が迫りつつあった。
ホワイトが足早に廊下を進んでいくと、ドアが開け放たれたままになっている部屋にたどり着く
そこは暖炉と大小のソファ-、テーブルがあるリビングルームだった。窓のカーテンが閉ざされたままの室内は、廊下よりも光に乏しく、奥からは何かがゴソゴソとうごめくような音が聞こえてくる。
「どうかしましたかレッド」
再びホワイトが問いかける。
「あぁ……クソっ、何でもねぇよ。明かりを点けようとしてランプを倒しちまっただけだ」
部屋の奥にあるソファーの物陰から、レッドの返事があった。
ホワイトが辺りを見回す。暗闇に目が慣れてくると、テーブルのすぐ脇にランプが倒れているのが見つかった。
「クソっ……どこに落ちたんだ。暗くて見えやしねぇ」
そのランプが落ちている場所とは全く違う方向から、レッドの声が聞こえる。
「ここにありましたよ」
ホワイトがランプを拾い上げてテーブルの上に置く。幸い損傷してはいないようだ。
「なんだそっちに落ちてたのか」
「夜目が利かなくなっているようですね」
ランプを操作しながらホワイトは淡々とそう告げる。
夕暮れを過ぎた薄暗い時刻、明かりの無い室内とはいえ、健常な人間であれば、落下したランプを容易に発見することができたはずだろう。
「……あぁ、そうみたいだな。こんなナリになっちまった影響かもしれねぇな」
渋々といった様子でレッドがそう答える。
「そうですね。あなたは変わってしまいました。今後も気をつけてください」
「クソっ……わかってる、わかってるさそんなこと!」
レッドの声には多くの苛立ちが含まれていた。容赦の無い現実を突きつけるホワイトと、ままならない自分自身の身体に対して、抑えがたい怒りがこみ上げてくる。
しかし、どうすることもできないのだ。『完全なる魔法使い』ホワイトでさえソレはどうすることもできなかったのだから。
ホワイトが黙ってランプを点けると、リビングが暖かな光に照らされる。
変質してしまったレッド自身の姿もまた、明るみに立たされる。
その時、彼らの背後で開け放たれたままになっていたリビングルームの入り口に、何者かが突然現れて立ちふさがった。
「こ、コラー! ドロボー! 早く出て行きなさい!! ここは双子の魔法使いの屋敷なんだからね! すっごい、マホーとかいっぱい使うんだからね! 呪われても知らないんだから!!!」
突如乱入してきた人物がまくし立てるようにそう言った。
その人物は、両手でホウキを振り上げて精一杯威嚇していた。しかし、その瞳は若干涙目で、腰が引けているただの少女だった。
「落ち着いてくださいエマ。私です。ホワイトです」
今の状況をいち早く察したホワイトは、乱入してきた少女エマに声をかける。
「あ、アレ? ホワイトちゃん? いつの間に帰ってきてたの?」
「えぇ、先ほど転送魔法で到着したところです」
「テンソーマホー? よくわかんないけど、てっきりドロボーかと思っちゃった」
エマは振り上げていたホウキを降ろすと安堵の笑みを浮かべた。サイドテールでまとめた栗色の髪が、安心したように揺れる。
彼女はこの屋敷のすぐ近くに住んでいる、村長の娘だった。
双子の魔法使いであるレッドとホワイトは、昔から村長とその娘エマにはよく世話になっていた。
「それじゃあ、改めまして……お帰り! ホワイトちゃん!」
そう言うと、エマは喜びを隠しきれないようにホワイトを抱きしめた。
「……はい。ただいま戻りました。お元気そうでなによりです。エマ」
ホワイトも優しくエマを抱きしめ返した。『完全なる魔法使い』と呼ばれる偉大な魔法使いとしてではなく、ただの少女として親友をその胸に迎え入れたのだ。
「その様子だと、屋敷の掃除をしようとしていたのですか?」
抱擁を終えたホワイトは、エマが持っていたホウキを見てそう問いかける。
「うん、そうなの。家で夕飯作って家事が終わると、ちょっと暇でさ。今日も少し掃除しようと思って来てみたの」
エマはこの屋敷の鍵を預かっていて、自由に出入りすることができたのだ。
「玄関の前で屋敷の中から物音がするの気づいてね。もしかして、ドロボーでは! って思っちゃったんだ。勘違いしちゃってごめんね」
エマは照れくさそうに笑う。
「いえ、私たちのほうこそ突然帰ってきてすみません。帰ってきたことをすぐにあなたに伝えるべきでした」
「ううん、気にしないでよ。ここはレッドとホワイトちゃんの家なんだから。いつでも帰ってきていいんだよ。あっ、ということは、もしかしてレッドも帰ってきてるの?」
エマの顔がより一層喜びに輝いたように見えた。
「……えぇ。私と一緒に帰ってきましたよ」
ホワイトはほんの少し目をそらすと、そう答える。
「そうなんだ! もう、あいつったら屋敷を散らかしっぱなしにしたまま、突然旅に出ちゃうんだから。時々やってくるお客さんの対応も私がしなきゃいけなかったし。ふふっ、あいつからはお掃除代と店番代として、お小遣いをせびってやろうかしら。それで、今どこに居るの?」
エマは無邪気に笑いながらそう言う。
「兄ならそこに、居ますよ」
ホワイトがソレを指し示す。気配を消していたソレはドキリと体を震わせた。
「え? んもう、ホワイトちゃんたら、からかっちゃって。たしかにあいつみたいなトサカ頭だけど……って、あれ? おかしいな、どうしてこんなところに? 戸締まりはちゃんとしていたはずなんだけど……どこから迷い込んできたの?」
エマはしゃがみ込むと、ソレをのぞき込みながらそう言った。
「レッド……いえ、兄さん。黙っていないでそろそろ喋ったらどうですか」
「え、え? ホワイトちゃん?」
困惑するエマを前にしてソレは、1羽の『ニワトリ』はおずおずとくちばしを開いた。
「よ、よぉ、エマ。ただいま。……その、いろいろあって俺、ニワトリになっちまった」
「へ? ……え、えええええええええ!!!」
エマの大きな驚きの声が、屋敷中に響き渡った。
これは呪われた双子とひとりぼっちの勇者、そして恋する少女の物語である。