影鬼
七話
炎の中を少女が走る。手には洋風の剣が握られている。走るスピードは、とても少女とは思えないほど早い。
巨大な火柱にとびこむが、身に纏った魔術のお陰で、火傷の心配はない。
「オオオオオ!!」
獣じみた咆哮に、少女がちらりと背後をみると、黒い塊が、文字通り炎を踏み潰すようしてにせまっていた。
「はっ!」
少女は黒い塊に向けて剣を振るう。すると、その斬撃をなぞるように炎がとばされ、黒い塊に直撃する。
しかし、塊は何でもないかのように突進を続ける。
「ちっ!」
舌打ちをしながら、横にとんで塊を躱す。
塊はそのまま家を破壊して止まった。
黒い塊を見る。
三メーターはあるかとう巨大な体躯と頭部の角。異常に発達した筋肉。全身は、赤く光る目を除いて黒一色。そして何より目を引くのは、背中から生えている三、四本目のあまりに巨大な腕。どう見ても人間ではないそれを、少女は知っていた。
「…まさに怪物ね。あれだけの魔術を受けて無傷って、反則もいいとこだわ」
塊はゆっくりと少女に向き直ると、再び突進の構えを見せた。
(やり合って勝てる相手じゃない。なんとかして逃げるしか…)
突進に備えて剣を構える。
しかし、黒い塊はふと突進を止めると、目の前の少女を無視するように、別の方角へ走り去っていく。
「…助かった? でもなんで」
少女は体調を確認する。
魔力は残り半分程度。幸いにも逃げていただけなので無傷。偵察なら問題ないだろう。
「避難させた人々の方向ではなけど…。念のため追うべきね」
疲労に音を上げる体に鞭を打ち、黒い塊を追う。
時刻は夜の4時を越えた頃だった。
「くそ、やっぱり来るんじゃなかった!」
ウィルは毒づきながら、燃える町を走っていた。表情からは明らかな焦りがうかがえる。
「それで、その化物はどっちに居るの?」
「右前方、二時の方角だ! 今三時の方に移動してる!」
すぐ後ろを走るシズネの問いかけに、叫ぶようにして答える。
ウィル達が目指しているのは町の西側、この町の人々が逃げているであろうキーアの方角だ。
町の惨状は酷いもので、家も地面も関係なく燃えている。しかし不自然なことに、人間の死体はどこにも見当たらない。
(どうなってる? この炎は? さっきの爆発のものか? なら何故死体が一つも見当たらない?)
考えても考えても思考がまとまらない。それもこれも、押し潰すようなバカでかい魔力のせいだろう。
町の近くに来た時から、ウィルは今までにないプレッシャーを感じていた。それはウィザードのそれと比べてもまるで異質で、今までにないほどはっきりと、方向まで手に取るように分かるほど巨大な魔力だ。
「!?」
「? どうしたの」
走っていたウィルは思わず立ち止まる。
「っ、シズネ走れ!! あの化物いきなりこっちに近づいて…っ!!」
ウィルの言葉を妨げたのは、目の前に落下してきた巨岩だった。
「ウィル下がって!」
「っ!」
ウィルが後方に飛ぶ。間をおかず、巨大な塊が岩を砕いてに落下してきた。
「ー」
それを見たとき、ウィルの中をこれまでにないほど明確な死の恐怖が駆け抜けた。しかし、それと同時に
ーウィルはどこか懐かしい気分を感じていた。
「ウィル!」
叫ぶシズネの声で我にかえる。見るとすでに後退を決めたようだった。
「わかってる!」
ウィルも二つ返事で同意すると、二人は来た道を全力で引き返す。黒い塊もすぐにウィル達を追い始める
(道理で馬鹿でかい魔力のはずだ)
全身の黒い影。異形の腕。塊の正体はすぐにわかった。
教科書に載っているほどの有名人。正確には「人」ではなく「災」、地震や大雨と同じ部類の天災。
対策はできても無効にはできず、防げても決して倒せない。会ったなら最後、逃げる以外に道はない。
千の時を経て朽ちず、億の戦場を渡り不敗。血に狂った帝国の守護者。
人はそれを「影鬼」と呼んだ。
八話
(影鬼!? なんでこんな所に?)
シズネは走る速度を落とさずに、背後に向けて電撃を撃つ。そのどれもが影鬼を捉えるが、まるで豆鉄砲かのように意にもかいさない。
(相変わらず硬い!)
横路や路上裏を利用して逃げるが、影鬼はまよいなく追いかけてくる。どうやってかは知らないが、こちらの位置を正確に掴めているようだ。
「こっちだシズネ!」
ウィルが地下道に入っいく。入口は狭く、影鬼の巨体では入れないだろう。
「オオオオオ!!」
咆哮に振り向くと、影鬼はすぐそこまで迫っていた。
「電の柱!」
地下道に向かって走りながら、電の柱をばらまく様に設置する。影鬼が触れるたびに電撃が弾け、僅かにスピードが落ちるが、たいして足止めにもならない。
「シズネ!!」
入口まであと少し。ウィルが手を伸ばす。しかし、影鬼はあと一歩のとこまで迫っていた。
(追い付かれー)
ドドン!
すんでの所で、何かが影鬼の側面に当たり体勢を崩させる。その隙にシズネは地下道に飛び込んだ。ウィルが受け止め、そのまま階段を転げ落ちていく。影鬼が構わずぶつかったのだろう、爆風に似た衝撃がウィル達に追い討ちをかけた。
「ゴ、アアアア!!」
シズネが顔を上げると、影鬼が入口から睨んでいた。やはり体格的に入るのは無理なようだ。
「おい、降りろシズネ。重い…」
「あ、ごめん」
下敷きにしていたウィルから降りる。確認してみたが、二人とも大した怪我はないようだ。
「ふぅ。で、どうする? 俺は上には戻りたくないな」
「それは同感。…とりあえず奥に進んでみよう。別の出口があるかもしれない」
「…ああ」
ウィルも立ち上がり、地下道の奥を見る。
光はなく真っ暗で気味が悪い。しかも下へと向かっていて、かなりの長さがありそうだ。下手を打って迷えば出てこれないかもしれない。だが…
「鬼と鬼ごっこするよりはましだな」
「食糧なら不備はないしね」
方針は決まった。
減らず口を言い合いながら、二人は暗闇へと歩き始めた。
「ぎりぎり間に合った」
ウィル達が逃げ込んだ地下道の入口を、廃屋の上から眺める者がいた。洋風の剣を持った、赤髪の少女だ。
「まさか逃げ遅れた人がいたなんて。地下に逃げればひとまずは安全だろうけど…」
下にいる影鬼と目が合う。迎撃のために身を構えるが、影鬼は邪魔をした相手を確認しただけのようで、興味がないかのように去っていく。
「まったく、一体なんなのかしら。あれにまともな思考力があるとは思えないど。読めないのも考え物だわ」
剣を鞘に戻すと、腕時計で時間を確認する。
「五時か…。あと一時間程で日が上る。それからが本当の勝負ね」
地下道の二人は追わず、影鬼と反対方向に走り出す。
すでに東の空は、僅かに明るさを取り戻していた。




