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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:36 『悪魔が見えた』

「な……は?」


 ぽとり、と目の前の石畳に落ちた歯を見て、シンゴは呆けたように口を開けて理解不能を示した。

 生存が絶望的かと思われた捏迷歪ねつまいいがみがぴんぴんした状態で現れたかと思えば、今度は賀茂龍我かものりゅうがの容赦のない拳により殴り飛ばされた。

 これをすぐに理解しろという方が無理な話だ。


いがみ……あ、お……お前ぇぇッ!?」


 そんな理解に苦しむ状況を前に、シンゴは今しがた暴挙に及んだ賀茂龍我へ非を唱える事で、無理やりに精神のバランスを保とうとした。

 拳から血を滴らせる龍我に駆け寄り、その腕を掴む。そして怒りに赤く染まった顔で高い位置にある龍我の顔を見上げ、


「ふざ、ふざけんなお前!? 何しやがるこの人殺しがぁ――ッ!!」


「――――」


 激高するシンゴに龍我はなぜか取り合わず、今しがたいがみが殴り飛ばされて突っ込んだ瓦礫の奥を黙って見据えている。

 その目は鋭く細められ、どこか抑え切れない怒りが滲み出ているのがシンゴでも感じられた。


 だが、今はそんな事など些細な情報だ。

 無視された事実にこそ、シンゴの怒りは更に燃え上がって――


「――見ろ」


「あ……?」


 憤怒に顔を歪めたシンゴが殴り掛かろうとした瞬間、龍我が顎をしゃくって瓦礫の方を指し示した。

 それに釣られ、シンゴは拳を顔の横で握り締めたまま示された方向へと顔を向ける。


 ――ちょうど、そのタイミングで。


「痛いよー、ひどいよー。急にぶん殴るなんて、また死んじゃったじゃないですかー。――ねえ、龍我さん」


「い……いがみ?」


 瓦礫を押しのけながら姿を現した無傷の捏迷歪ねつまいいがみを見て、シンゴは今度こそ本当に意味が分からなくなる。

 いがみは確実に死んでいた。頭部を龍我の巨拳で潰されたはずだ。証拠に、龍我のいる位置から姿を現したいがみの立つ位置にかけ、まき散らされた血液と脳漿が点々と続いている。


 傷一つないいがみと、そのいがみに油断なく鋭い視線を向ける龍我。そんな二人の顔へ、シンゴは困惑の視線を幾度も往復させる。

 かぶりを振って、よろけながら後退するシンゴをちらりと見た龍我が、どこか不憫そうな視線を向けてきて、一言こう告げた。


「キサラギ・シンゴ。お前は、あいつに騙されている」


「騙され……何、は?」


 混乱に眉を寄せるシンゴから視線をいがみへと戻した龍我は、その眉間に皺を寄せると、吐き捨てるように呟いた。


「堕ちたな……日向ひむか


 龍我の発したその一言に、今まで薄ら笑いを浮かべていたいがみの表情が初めて凍り付いた。

 そして、そのまま一切の表情を消すと――、


「その名前で呼ばないでくださいよ。ぼくは賀茂日向かものひむかじゃない。今は、捏迷歪ねつまいいがみだ」


「…………」


 初めて聞くいがみの低い声に、シンゴは知らずして身体が震えるのを感じた。

 しかしいがみはすぐ、いつもの薄ら笑いを纏い直すと、嘆息と共に肩を竦め、


「はぁ……もう、やめてくださいよ、ほんと。勝手にネタばらしまでして……せっかく最後の楽しみに取っといたのに。ま、頃合いと言えば頃合いでしたし、構わないけど」


「おい……」


「ん? どうしたのさ、相棒。質問は手を挙げてからにしようぜ?」


 シンゴの小さな呼びかけに、いがみはシンゴの知る捏迷歪ねつまいいがみで応じてくる。

 だが、もはや取り繕う事は不可能だ。一度、芽生えてしまった不信感は、シンゴの中で膨れ上がり、大きな波となって心を揺らし立てる。

 それは既に、修復が出来ない域まで達しつつあった。

 だから――、


いがみ……お前、何の話してんだよ? ほら、俺ってバカだからさ……お前と龍我さんが何の話してるのか、さっぱりで……」


 無理やり浮かべた笑みを引き攣らせながら発したシンゴの言葉に、いがみは急に冷めたような表情を浮かべる。

 そして、冷たく昏い、無感情で凍えるような瞳でシンゴを射抜くと、


「相棒……そこまで鈍感だと、さすがにちょっと引くぜ?」


「だから……何を言って……」


「はぁ……」


 嫌々と首を振るシンゴに、いがみは腰に手を当てて盛大なため息を吐く。

 そして、あの薄ら笑いを――もう、過去と同じようには見れないその笑みを浮かべ、決定的な線引きを告げる一言を発した。


「ぼくだよ。――ぼくが、黒幕って奴」


 ――もう、引き返せない。



――――――――――――――――――――



「黒幕……?」


 いがみの告げた一言を復唱し、シンゴは心底意味が分からないといった顔で眉を寄せる。

 そんなシンゴに、いがみは心から楽しそうな、それこそ日に向かって伸びるひまわりのような満面の笑みを浮かべると、


「そう、黒幕さ! まず、周りを見て何も不審に思わないかい?」


「周りって……」


 思考が追いつかないまま、シンゴは混乱する脳を置き去りに、いがみに促されるまま首を回す。

 辺りは激しい戦闘の傷跡が刻まれ、シンゴを挟むようにしてテラとシア、イレナとモプラが壁にもたれかかって気を失っている。


 そんな四人と同様に、ノーミ・エコが発した『声』に扇動され、シンゴ達を追ってきていた者達が重なるように倒れ伏している姿が確認でき――。


「――なんで全員、気を失ってる?」


 テラとシアは龍我が倒したと言っていたので、気絶しているのは分かる。イレナとモプラに関しても、戦いを経て気絶しているならまだ理解できる。だが、それ以外はどうだ。見渡す限り、シンゴ達三人以外に動いている者は誰一人としていない。


 それに、だ。ここで倒れ伏している者達だけで、この都市にいる全員なはずがない。

 彼らは大衆のほんの一握りであり、シンゴを――『罪人つみびと』を追っている者達はまだ大勢いるはずだ。


 だったら、どうしていつまで経っても誰もやってこない。これほど激しい戦闘があったにも拘わらず、その戦闘音を聞き付けてやってくる者が一人もいないのは不自然ではないか。


 そんな不審点にシンゴが勘付いたのを、その表情から読み取ったらしいいがみが満足げに頷き、次に大きく両手を広げると――、


「正解は、ぼくが全員を眠らせたからでした! 残念、相棒は時間切れだぜ!」


 そう言って、ウインクをしながらシンゴにサムズアップを向けてくるいがみ

 全員を眠らせたとは、一体どういう意味だ。そのままの意味で受け止めるには、それはあまりにも荒唐無稽すぎる。


 それにいがみの告白が正しいのなら、この都市いる者全員を眠らせた事になる。

 そんな事が可能なのか。魔法――それも、特殊魔法と呼ばれる個性にも近しい魔法なら、他人を眠らせるものも存在するかもしれない。だが、やはり都市全域をカバーできるほど強力なものなど、存在しても良いのだろうか。


 確かに、ノーミ・エコの『声』は都市全域にまで及んだ。しかしそれは、まだバランスが取れているようにも感じられた。

 それに、シンゴが知らないだけで、何かしらの制限があってもおかしくない。


 しかしそれが、都市全域をカバーできる睡眠魔法となると、勝手が違ってくる。はっきり言って、バランスが悪すぎるのだ。

 パワーバランスの崩壊。そう言っても過言ではない。


 シンゴは特段、魔法――特殊魔法に詳しい訳ではない。だが、魔法とはいわば、この世界のシステムの一部のはずで、理にある内の一つだ。

 それが傾く様な強大な魔法が、一個人に宿る。そんな奇跡のような事があり得るのだろうか。


 ――問題はそれだけではない。


 シンゴの記憶が確かなら、特殊魔法とは一人に一つが基本のはずだ。

 いがみは既に『パラリシス・エアロゾル』を持っている。あれは通常の属性魔法に分類するには難しく、特殊魔法のはずだ。

 そこに、広大な射程範囲を誇り、かつ作用も強力な睡眠魔法まで持っているなど、イレギュラーすぎる。


 イレギュラー、例外、もしくは世界のエラーのようなものか。

 キサラギ・シンゴの脳では処理し切れない領域に踏み込もうとしている。だが、思考に意識を割かなければ、目の前の現実と対峙しなければならなくなる。


 それは、それだけは、とてつもなく嫌で――。


「『スリープ・インデュース』」


「――!」


 眉間に皺を寄せ、思考へ没頭するシンゴのそんな逃げを、捏迷歪ねつまいいがみの声が優しく現実へと引き戻した。

 唖然と目を見開くシンゴに、いがみは楽しげにネタばらしを始める。


「相手の『フィラ』に干渉して、睡魔に誘う特殊魔法さ。相棒も勘付いてると思うけど、これはそんなに広範囲に及ぶ魔法じゃない」


「……なら、何でみんなは」


「理屈は簡単さ。ほら、さっき『声』が聞こえただろ?」


「『声』……」


「そう、ノーミ・エコの特殊魔法さ。ぼくは彼女が繋いだ『フィラ』の残り道とも呼べるパスを使わせて貰って、彼女の『声』を聞いた者達全員にぼくの魔法を直接流したのさ」


「そんな……事が」


 動揺を顕にするシンゴに、いがみは笑顔で小首を傾げると、


「うん、やってみたら出来た。いやはや、ぼくって思ってたより、結構なやり手みたいだぜ?」


 あっけらかんと衝撃の事実を口にするいがみに、シンゴはただただ口を開けて固まるしかない。

 そんなシンゴの反応を見て、いがみは嬉しそうに口角を吊り上げていたが、不意に眉を寄せると、


「相棒は魔法の対象から故意に外したから分かるけど、龍我さんは……」


 そう言って、不可解を示す視線を黙って佇む龍我へと向けた。

 今しがたのいがみの言い分から察するに、どうやらシンゴは魔法の対象からわざと外されたらしい。


 その事実にシンゴは困惑を顔に張り付けつつ、隣で悠然と佇む龍我を見た。

 龍我は一度目を閉じ、そして鋭く開眼すると、


「気合で耐えた」


「…………」


 龍我のその告白に、シンゴは口を開けて絶句した。

 一方のいがみは、そんなシンゴとは違って驚愕はなく、苦笑をこぼすと肩を竦める。


「相変わらずの規格外だなぁ……。そういうとこ、昔と全然変わってなくて安心したぜ」


 そう言い、へらへらとした微笑を浮かべるいがみと、そんないがみを腕を組みながら鋭く睨み付ける龍我。

 対峙する二人を困惑の抜け切らないままの状態で見やり、ふとシンゴは引っかかりを覚え、隣の龍我へおずおずと声をかけた。


「すいません……龍我さんといがみって、兄弟なんですか?」


 先ほど龍我が口にした『賀茂日向』という人名と、会話の内容から察するに、それが捏迷歪を指した名である事は分かる。

 偽名だったとは驚きだが、よく考えてみれば、二人は苗字が同じだ。

 そう思ってのシンゴの質問だったのだが、龍我はシンゴを一瞥すると、首を横に振った。


「違う。日向と俺は兄弟じゃない」


「じゃあ……何で同じ苗字……」


「俺と日向は、『賀茂』の一族だ」


「賀茂の一族……?」


 首を傾げるシンゴだったが、龍我はそれ以上語るつもりがないらしく、口を固く閉ざしてしまう。

 すると、そんなシンゴと龍我の会話に割り込む形で、いがみが声をかけてきた。


「相棒。これが何か、分かるかい?」


「――?」


 そう言っていがみが懐から取り出したのは、黒く焦げた一枚の布だ。

 首を傾げるシンゴに、いがみは「あちゃー」とその布をひらひらと揺らめかせ、


「完全に焦げちゃってるよ。でも、ここをこうして、こうすれば……」


「――?」


 黒く焦げた布を丁寧に広げ始めたかと思えば、いがみはその布を自分の顔に張り付けるように重ねた。

 焦げてはいるが、辛うじて形は崩れていないそれは、大小のバラつきはあるものの、計五つの穴が開いている。


 そしてその穴がいがみの顔と重なる事で、その布の正体が判明する。

 下部にある一番大きな穴は口に、その上にある二つの穴は鼻に、一番上部にある二つの穴から、いがみの目がこちらを覗いており――


「ひっ――!?」


 ――黒く焦げたあの布は、人間の顔の皮膚だった。


「あっははー、いいリアクションをどうもだぜ、相棒!」


 シンゴが顔を引き攣らせるのを見て、いがみは顔面の皮膚――その口の部分に指を差し込んでくるくると振り回す。

 そしてぐしゃりと握りつぶすように顔面の皮膚を掴むと、あの怪しげな微笑を浮かべながら衝撃の事実を口にした。


「これはぼくと相棒が出会ったあの通路で、相棒がゲロった死体のものさ」


「あの死体の……!?」


「そうそう。――で、あの死体をあそこに詰め込んだのもぼくさ」


 あの身体をぐちゃぐちゃに折り曲げられて細い通路に詰め込まれていた死体は、自分の仕業だと告げるいがみ

 どこまでも残酷で、非情で、無慈悲な、人間の醜悪を練り混ぜて固めたとしても、あの所業には遠く及ばない。


 人間の命どころか、その尊厳すら踏みにじるやり方には反吐が出る。

 しかし今、シンゴの胸の内に渦巻く濁った感情は、その所業に対する嫌悪感が最たる原因ではない。


 もちろん、猛烈な不快感は感じている。だが今は、そんな事を平然とやってのける男と共に行動していたという事実に対し、どうしようもなく――、


「気持ち悪い……っ」


「はっはっはっー、相棒〜。そんなに褒めてもお金くらいしかあげないぜー? あ、いくら欲しい?」


「……っ」


 最大の嫌悪を目の前の男に感じ、シンゴは盛大に顔を引き攣らせる。

 腹の奥底がひどく重い。まるで見えない何かに地の底へと引きずられているようだった。

 そんなシンゴへ追い打ちをかけるように、いがみが続ける。


「人の顔面を媒介に、その人物の肉体を模倣する『フェイス・ロバリー』でこのおっさんに成り代わって、モプラちゃんにノーミ・エコの事を教えたのはぼくで――」


 いがみはもう片方の手で懐を漁ると、もう一つの焦げた布を――否、人の顔面の皮膚を取り出し、それを顔に重ねると、


「そのノーミ・エコにこっちのキャミーちゃんの顔を使って、『肉欲』の事を教えたのもぼくさ」


「…………」


 もう、押し黙るしか出来なかった。

 あれは、本当に同じ人間なのだろうか。いや、住む世界が違うのだから、厳密には同じ人間であるはずがないのは分かっている。


 そもそも、あの薄ら笑いを浮かべて人間の顔の皮膚を弄ぶ男は、この世界の住人とも乖離している。

 もう、どうしようもなく、別の存在――。


 どこか甘かったのかもしれない。自分は心のどこかでまだ、あの男を仲間だと――それこそ、『相棒』だと感じていたのかもしれない。

 出会って日は浅くとも、数々の苦難を共に乗り越え、そこには確実に絆が紡がれていたと思っていた。


 しかしシンゴとあの男の間に結ばれていたのは、もっといびつで、忌々しく、腐り果てた別の何かだったのだ。

 でも、それでも――、


「……ッ」


 ――前を見ろ、現実を見ろ、キサラギ・シンゴ!


 どこかに希望を見出そうとした己を制して、シンゴは固く目を瞑る。

 一度完全に視界を断ち、やがて、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

 そこには、開けた視界の先には――、


「おや? 目でも乾燥した? だったらこの顔パック使いなよ。あ、目には効果ないか。もちろん美容にも! ……おいおい、今の笑いどころだぜ? あいっぼうッ!」


 ――悪魔が見えた。


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