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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:27 『袋小路からの脱出』

『おい……なあ』『ああ……』『アイツらって……』『さっき言ってた奴らじゃ……』


 ――やばい。


 先ほどの真実を捻じ曲げたノーミ・エコの演説によって、打倒『罪人つみびと』の信念を一つにした『ウォー』の者達。シンゴ達はどうする事も出来ず、なるべく周りの注意を引かないように顔を伏せ、ゆっくりと逃げるように移動していたのだが、一人、また一人と、シンゴ達が先ほど『声』が言っていた『罪人』とその協力者の外見と一致すると勘付き始めた。


 気が付けば、シンゴ達は探るような視線の集中砲火を浴びていた。

 すぐ近くにターゲットがいたとはすぐに信じられないのか、どうやら周りの人達は確信し切れずにいる様子。だが、いずれその疑いが確信に変わるのは、時間の問題だった。


「…………」


 シンゴは冷や汗で背中をびっしょりと濡らしながら、この濃密な圧迫感に耐えつつ、必死に打開案を探して、何事も無い風を装いながら歩き続ける。

 バレるのは数十秒先か、はたまた数秒もないか、もしくは次の瞬間にも襲い掛かってくるのではないだろうか。そんな考えが頭の中をぐるぐると乱舞し、正常な思考を妨げてくる。


 今は隣のイレナ達の顔色を窺おうと視線を動かす事すら、大衆を刺激する材料になってしまうのではないかという強迫観念に駆られて実行に移せない。

 完全にやられた。本当に、あの曖昧な記憶の中で己の体を動かしていたもう一人の自分は、なぜこうなる事を予測しなかった。いや、何かそうせざるを得ない理由でもあったのだろうか。


 ――ダメだ。思考が脱線している。


 現実逃避をしようとする脳に喝を入れ、強引に現状の打開策へと思考を戻す。

 心臓が破裂しそうなほどに脈打ち、呼吸は静かに浅く、瞬きをする事さえ躊躇してしまうこの極限の緊張感の中で、シンゴは打開案を己の中に探して思考に没頭する。

 しかし、考えれば考えるほど、現状がどうしようもなく“詰んでいる”という事実が浮き彫りとなり、絶望に目の前が暗くなってくる。


 ――そんな時だった。


「…………!」


 目の前にガタイのいい二人の男が、まるでシンゴ達の進路を塞ぐように立ちはだかった。

 そしてその二人を皮切りに、二人の横に僅かに開いていたスペースを埋めるようにして一人、また一人と疑いの眼差しをシンゴ達に向けながら、人々が道を塞ぎ始めた。


「――止まれ」


「――っ」


 ドスの効いた低い声で、最初に立ち塞がった二人の内の一人が前に出ながらそう告げた。

 こうなってしまえば、さすがに立ち止まざるを得ない。シンゴ達は歩みを止め、緊張の面持ちで目の前の男の顔を見た。


「…………」


 目の前の男は訝しげに眉を寄せながら、シンゴ、いがみ、イレナ、ローブで全身を覆い隠しているモプラと順に見やった。

 その視線に、シンゴはイレナの『幻惑のローブ』が効力を発揮していない事実に気付く。おそらく、テラとの戦闘で激しく損傷したのが原因だろう。


 そうして男の視線が一周すると、やがて最初のシンゴに戻ってきた所で固定される。

 シンゴを見る男の視線が、徐々に鋭さを帯び始めた。


「――――」


 何か話しかけるべきだろうか。そうすれば、不意打ちで襲い掛かられる事態は避けられるかもしれない。問題は、不意打ちを避けられた所でシンゴ達には特に出来る事がないという事だ。

 そんな事を考えている内に、周りの人肉による包囲網が徐々にその隙間を埋め、縮小してくる。


 この絶体絶命の状況から脱するには、一体どうすれば――、


「あはは! お兄さん、眉間にしわが寄りすぎて凄い事になってるぜ?」


『――!?』


 突然のいがみの笑い声。続く緊張感をぶち壊しにするような馴れ馴れしい態度。

 ざわめく大衆の視線を一身に集めながら、いがみは余裕の佇まいで、まるで散歩をするかのような気楽さで悠々と前に歩き始めた。


「――を」


「――!」


 歩き始める瞬間、いがみはシンゴ達にしか聞こえないよう絶妙に調整された声量で一言告げた。

 そうすると、そのまま最初に「止まれ」と声をかけてきた、自分より頭一つ分以上大きいその男の目の前まで進み出た。


「…………っ」


「おやおや、どうしてそう怯えた表情を?」


 真下から見上げるようないがみの薄ら笑いを受け、大の大人――それも筋骨隆々の大男がたじろぐように後ずさり、頬を引き攣らせる。

 その男をニヤニヤとした笑みで見詰めると、やがていがみは、やれやれ――と腰に両手を当てて深い嘆息。


「あのさぁ、おじさん。ぼく達が一体何をしたっていうのさ? どうしてみんな、そんな怖い顔をしてとうせんぼうを……あ、もしかしてナンパ? ダメダメ、ぼくは女にしか興味ないから。そっちの趣味はなし。他を……あ、相棒とか当たって」


「お、お前……」


「何? はっきり言ってくれないと聞こえないぜ?」


 誰が見ても気圧されているのが見て取れる男だったが、彼は勇気を振り絞って掠れた声をこぼす。

 そんな男に、いがみが眉を寄せながら、わざとらしく耳に手を添えて距離を詰める。

 男は顔面を蒼白にしながら、すぐ目の前にある少年の微笑に喉をごくりと鳴らすと、


「お前は……お前達は……」


「んん?」


 片方の眉を吊り上げながら、いがみが更に一歩、距離を詰めた。

 慌てて後ずさろうとした男だったが、足がもつれたのか、すぐ後ろにいた男の仲間らしき数人を巻き込んで転倒した。

 周りの視線が、そちらに一瞬だけ向いた。


 ――その、一瞬の隙に滑り込むように。


「息! 『パラリシス・エアロゾル』!!」


 いがみが素早く詠唱し、彼を中心に黄色い煙霧が四方に吹き荒れた。

 その煙霧をモロに吸い込んでしまった者達は、皆同様に体を痙攣させながら膝を着き、その場に倒れ伏してしまう。


 辺りは騒然となり、辛くも魔法の範囲から逃れた者らが目の前の黄色い煙霧から距離を取ろうと道を開けた。

 そこに生まれた隙間を縫うように、黄色い世界の中から人影が四つ飛び出してきた。

 突然の事に対応が遅れる武装した者らの真横を、その四つの人影がすり抜けるように走り抜けて行く。


『――! お、追え!』『やっぱり【罪人】だぁ!!』『逃がすな、殺せぇ!!』


 遠ざかって行く四つの背中に怒号を張り上げ、剣や槌、槍などで武装した屈強な男達が我先にと駆け出す。中にはフライパンや木の棒で武装した一般人もおり、よく見れば、動きやすさを重視した革の軽装に身を包んだ半獣人や、女性の姿も見受けられる。


 人種、職業、性別を問わず、この『ウォー』にいる者達が一丸となり、平穏を脅かす『罪人』とその協力者を討つべく、大きな人の波を作りながら殺到する。

 その恐ろしい背後の光景を一瞥し、シンゴは見てしまった事を軽く後悔しながら前を向いて叫ぶ。


いがみのファインプレーでどうにかなったけど! あんまし状況は変わってねえ!!」


 先ほどいがみがシンゴ達に告げたのは、「息を」という短い一言だった。しかしシンゴ達は、その意図をすぐに察した。伊達に何度もあの黄色い煙霧を見ていない。

 だが、今しがたシンゴが絶叫したように、状況は決して芳しくはない。むしろ、開戦の狼煙を上げてしまったようなものだ。


「相棒! 口を動かす前に足を動かそうぜ!」


「分かってるけど! このままじゃジリ貧――」

「『アイス・ズ・ウォール』!!」


 何とかこの状況を打破しなければ、と主張するシンゴだったが、その言葉をイレナの詠唱が途中で遮った。

 何事かと目を剥いて振り向くと同時に、背後に展開された氷壁が爆発し、氷の破片が降り注ぐ。


「ま、魔法か!?」


「そうよ! 問答無用で撃ってきたわ!」


「くそっ……話し合いで平和に解決って訳には……!」


「何言ってんのよ!? そんな段階もうとっくに過ぎてるわよ!!」


「だよな、ちくしょうッ!!」


 先ほどの演説には真実が少しだけあったのにしろ、そのほとんどが嘘だ。大衆はそれを全て真実だと信じ込まされているだけで、罪はない。あるのは、真実を捻じ曲げて大衆を扇動したあの女だ。


 だからこそシンゴは、こんな状況ながらもなるべく彼らには危害を加えたくないと考えたのだ。我ながら甘いとは思う。しかし、罪もない者を傷付ける事には、どうしても良心が痛んだ。

 平和な日本で暮らしていたが故のシンゴの価値観だが、この世界ではシンゴの価値観の方が不自然なのだ。しかし、他人を気にかけている余裕などないのもまた事実。イレナが怒るのも無理ない話だった。


「あ、あの! 前と右から……たくさん来ます!」


 シンゴが悔しげに唇を噛んでいた時だ。何気に足の速いモプラがそう警告してきた。

 なぜそんな事が分かるのか気になる所ではあるが、こんな状況で嘘をつくとも思えない。シンゴは素早く前方の様子を確認する。


 シンゴ達が進む道は数十メートルほど先で左右と前方の三方向に分岐しており、目を凝らせば、確かに前方にかなりの量の人が見えた。そしてモプラの言う通りなら、右の通路にも前方と劣らぬ量の人が迫っているのだろうと予測できる。

 ここで取り得る選択肢は、もう一つしかない。


「左!」


 シンゴの簡略な指示に従い、四人は道を左へと折れた。

 すると背後から、地鳴りのような足音と怒号が響くのを感じられた。どうやらモプラの言った通り、右からも人が来ていたようだ。


「ナイスだモプラ!!」


「み、耳には自信があるんです……!」


 こんな状況ながら――いや、こんな状況だからこそ役に立てた事が嬉しいのか、フードの隙間から覗くモプラ口元が、シンゴの賞賛を受けて嬉しそうな笑みを浮かべる。

 普段なら頭の一つでも撫でてやりたいのだが、生憎この状況ではそんな余裕などない。


「あーもう! アリス達を探す余裕なんて全然ないじゃない!!」


「かといって、都市の外に出る事も叶わない……はっきり言ってこれ、完全に詰み――」


「それでもどうにかすんだよ! こんなとこで簡単に終わってられるかッ!!」


 全力疾走を続けながら、イレナが後ろから度々放たれる魔法を氷壁で防ぎつつ、大声で不満をぶちまけた。それに続く形でいがみが言おうとした後ろ向きな言葉を遮り、シンゴが吠えるように否定する。


 ――しかし、心構えだけでどうにかなるほど、現実は甘くない。


「ま、前からいっぱい……ッ!」


「な――」


 モプラの警告に、シンゴ達は揃って立ち止まる。

 なぜならここは一本道で、咄嗟に駆け込めるような路地裏への道も存在していない。かといって、民家や店内に立て籠もろうにも、ほんの少しの時間稼ぎにしかならない。どころかその選択は、自ら追い詰められに行くようなもので、自分達の首を絞める行為に等しい。


 それに後ろからも追っ手が来ている。先ほど前方と右方から来た人達も合流しており、かなりの人数となっている。

 前からも、後ろからも追っ手。そしてここは一本道で、近場の家や店に逃げ込むのは愚策。


 ――つまりシンゴ達は、またしても“詰められた”という事らしい。


 数の暴力。これほどその言葉が相応しい状況はないだろう。

 短時間でここまで“詰み”の状態を作られている事からシンゴは、前提条件からして自分達は分が悪いのだと唇を噛み締めた。

 地形の熟知もさる事ながら、ずっと逃げ続けなければならないシンゴ達に比べ、向こうは”代わり”がいて総合的な体力も上。更にシンゴ達には、アリス達との合流という必須通過地点がある。


 やはりこの人数差が大きい。単純な見方で、自分より大きい奴の方が強いのが基本だ。それと同じように、個は全の前では無力なのだ。

 この状況は、当然と言えば当然なのかもしれない。なぜなら、今シンゴ達が相手にしているのは、『ウォー』という一つの都市なのだから。


「ああ、くそっ! どうする……!?」


「イレナちゃん! もう一度『ゼロ・シフト』を!」


「や、やってみるわ! みんな、あたしに掴まって!」


 いがみの提案を受け入れ、イレナが再び奥の手の行使に踏み切る。

 己の体に三人が触れたのを確認すると、イレナは緊張の面持ちで詠唱した。


「『ゼロ・シフト』!!」


「――――だめだ! 移動してねえ……ッ」


「……ッ」


 またもや不発。その事実にイレナは苦渋に顔を歪ませ、悔しげに奥歯を噛み締めた。

 しかし今は、彼女を慰めている余裕はない。イレナ本人もそれは分かっているようで、すぐに悔しさを呑み込むと、咄嗟に別の魔法を詠唱した。


「『アイス・ズ・ウォール』!!」


 詠唱に従い、氷壁がシンゴ達を挟む形で通路に二つ出現する。

 確かにこれなら、多少は時間を稼げるだろうが、問題は何一つとして解決していない。

 氷壁に向かって魔法が、剣戟が撃ち込まれるのを横目に、シンゴはカラカラに乾燥した眼球をあちこちに向け、何かこの状況を打破できる要素がないかを必死に探した。


 ――そんな鬼気迫る表情のシンゴに、いがみがとある提案を持ちかけてきた。


「相棒がさっき塔で見せた……あの力。あれを使って、ぼくらを抱えながら屋根の上に飛び移るってのはどうかな?」


「あの……力を?」


「そう、あの物凄い力を――」


「だめッ!!」


 崩れかける氷壁の裏に、更に氷壁を多重展開させながら、イレナが苦しげな表情で叫んだ。しかしすぐにハッとなると、今の自分の言葉に動揺したように一瞬だけ黙り込むが、すぐさま首を振ってシンゴを困惑気味に睨み付けると、


「うまく説明できないけど、あれを……あの男の力をシンゴが使うのは……なんかいや!」


「いやって……イレナちゃん」


 イレナの子供のような言い分に、さすがのいがみも困ったような表情を浮かべるが、そもそも二人は前提が間違っている。

 確かにあの力を――『激情』の権威を使えば、この窮地を脱する事も可能だろう。しかしそれは、シンゴがあの力を使えればの話だ。

 つまり――、


「そもそも、どうやって使うのかなんて分からねえんだよ……!」


 シンゴがテラとシアを圧倒した際に使った、おそらく『激情』の権威と思わしき力だが、シンゴは自分の意志で使った記憶がない。

 実の所、ここに来るまでの間にイレナ達には内緒で密かに使おうと試みていた。しかし、どうやって使えばいいのかがさっぱり分からない。


 あの不思議な感覚――胸の奥底で何かが脈打つ感覚が関係しているのではないか、とシンゴは考えているのだが、そもそもその脈動すら今は感じられない。

 まさか一度使うと、再び使用するまでにクールタイムのようなものが存在しているのだろうか。

 詳細は判然としないが、一つだけ言える事は、今すぐに『激情』の権威を使うのは難しいという事だ。


 ――そんなシンゴの悔しげな顔を見て、声を発する者はいなかった。


 イレナが作り出した氷壁を境界線に、外と内で世界が異なっているのではないか、という錯覚がシンゴを襲う。

 外はあれほど熱気に包まれているのに、ここはどこか空虚で重い。


 この追い詰められた状況で、打つ手が見当たらない。何かしなければならないのは頭では理解している。しかし、どう動けばいいのかが分からない。

 そうしている内に悟る。もう何も出来ないのだと。そうやって終わりを認識すれば、思考はそこで止まる。固く握り締められた拳から力が抜け、ゆっくりと開かれた。


 思考は死に、顔は下を向き、心は沈黙する。魂が器を置いて行ってしまったかのように、空虚な体がそこに佇むだけだ。

 いがみが無言でそんなシンゴを見やり、イレナは氷壁の生成が破壊に追い付かず、苦渋の表情を浮かべる。

 みんな悟っていた。終わりが近いと。それでもまだ抗い続けているのは、イレナただ一人だけだ。


 ――いや、もう一人いた。


 ふとシンゴは、下げていた視界の中で動き出す足を見た。

 その足の主は何を思ったのか、何もない民家の壁に向かって駆けて行く。


「――モプラ?」


 顔を上げたシンゴが眉を寄せ、その少女の名を口にする。

 モプラ・テン・ストンプは壁の前まで行くと、緊張を落ち着けるためなのか胸の上に手を置き、目の前の壁にそっと手で触れた。


「ん――」


 モプラがどこか祈るように、壁に当てた手に力を込めた。

 最初は何をしたのか理解出来なかったが、ふと視界の中に映る光景が先ほどとは違っている事実に気付いた。


「――――は?」


 誰がこぼしたのだろう、素っ頓狂な声が怒号に挟まれた空間に落とされる。

 その声にモプラは振り向くと、成功して嬉しかったのか胸の前で小さくガッツポーズを作り、彼女にしては珍しく弾んだ声で告げた。


「あの……行きましょう!」


 ――モプラ・テン・ストンプの後ろの壁には、人が一人通り抜けられるほどの穴がぽっかりと開いていた。


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