第3章:26 『声の扇動』
『――親愛なる【ウォー】の諸君。私はノーミ・エコ。【バベルの塔】を治める者です』
突如、脳内に直接鳴り響いたその声に、誰もが足を止め、困惑を顕にした。
『突然の事で驚いている方は大勢いるでしょうが、どうか聞いてください。今、この都市は未曽有の危機に晒されています』
未曽有の危機、その不穏な言葉に誰もが不安を感じ、何かが起きようとしているという漠然とした予感を感じ取った。
それは、この声の主とつい先ほどまで対面していたシンゴ達も同様であり、また彼らにしか理解できない危機感がそこにはあった。
「これってまさか……!」
「ノーミ・エコ……!」
イレナが緊張の面持ちで呟き、こちらを振り向く。
シンゴもそれに頷き返し、今しがた『声』が名乗ったその名を苦々しげに復唱した。
『実はつい先ほど、【バベルの塔】が【罪人】による襲撃を受けました』
「――――!?」
その衝撃の一言に、辺り一帯がざわめきに包まれる。
ある者は目を見開き、ある者は隣にいる他の者らと顔を見合わせる。
――まずい。
ざわめきの伝播に、シンゴは焦燥感に顔を歪めた。
これが一体どういう原理なのかは分からないが、一つだけ確実に分かる事がある。それは、現在進行形でノーミ・エコにより“詰められ”ようとしているという事実だ。
「シンゴ……!」
「ああ、分かってる! でも、どうすりゃいい……ッ」
イレナが決断を迫るように声をかけてくるが、正直この『声』が都市全域に及んでいるとしたら逃げ場はない。
発信源は分かっているが、今からそこに戻って口を塞ぐというのも現実的ではない。かといって、他に名案が浮かぶでもない。
「相棒……これは、もう……」
歪が眉尻を下げながら、非情な現実を告げてくる。
何か言い返したいが、シンゴの開いた口は言葉を発する事はなく、やがて悔しげに閉じられる。
「くそ……ッ! なんで俺は、意識くらい刈り取っておかなかったんだよ……!」
後悔しても、状況は既にシンゴ達の手におえる段階ではなかった――。
――――――――――――――――――――
『【罪人】は二人の協力者を引き連れており、我々は奮戦しましたが、奴らの非道な手口に苦戦を強いられ、取り逃がす結果となってしまいました』
――『声』は響き続ける。
『【罪人】は今も都市内に潜伏しています。あろう事か、人質まで取られてしまいました。我々の力不足で、皆さんを危険に晒してしまう事になってしまい、本当に申し訳ありません。――謝罪します』
――『声』が憂いを帯びる。
『――問題はここからです』
――『声』の声音が真剣なものに変わった。
『悪辣非道な【罪人】の真の目的は、この都市の転覆です。そこに理由はなく、ただの愉快犯という最悪の動機。そしてまだ奴らは諦めていない。このままでは……【ウォー】が危ない』
――『声』は状況を語る。
皆が口を噤み、前触れなく突き付けられた非現実に、混乱した。
ある者は呆然と立ち竦み、ある者は絶望に顔を青くし、ある者は怒りを顕にした。
『――皆、許せるでしょうか?』
――『声』が問うた。
その問いに誰しもが顔を上げ、首を横に振った。つまり、許せないと。
『私も許せない。そこで、皆さんに頼みがあります。どうか、私と一緒に戦ってはくれないでしょうか?』
――『声』は呼びかける。
『【罪人】は謎の多い存在です。しかし、臆する事はありません。現に、私は撃退には成功しています。奴らは、打倒する事が可能なのです!』
――『声』が高らかに述べた。
人々の間に驚きと動揺が広がる。
いつ現れたのかも分からず、その活動内容も、目的も不明。その姿を見た者はおらず、憶測でしか語られない架空の存在――されど実在する恐怖の対象。『星屑』を傘下に置き、恐るべき力を振るうと言われる、あの『罪人』を、だ。
『お願いします。この都市を守るために、どうか皆さんの力を貸してください。無論、報酬は惜しみません』
――『声』は請う。
『私は……この都市が好きです。皆さんは嫌いでしょうか?』
――『声』が訊いてくる。
住民、旅人、吟遊詩人、人種、それら問わず、誰もが自分達もこの都市が好きだと声高に主張した。
こんな自由な所は他にない、ここで本当の自分を見付けられた、大事な家族がいる、歴史ある都市だ、それぞれ主張は異なるが、誰もが好ましいと声を上げる。
そんな人々の目には信念があり、憤りがあり、そして――怯えがあった。
『この愛する都市を守るために……私は命を懸けようと思っています』
――『声』が覚悟を告げる。
その覚悟に、不思議と人々の中から怯えが消えた。
『それとも、立ち上がるのは私だけでしょうか……?』
――『声』が自身なさげに揺れる。
人々から、否定の声が上がった。
僕も、俺も、私も立ち上がる。だから、そんな悲しそうな声で話すのはやめてくれ。貴女にはもっと、自信に満ちた声が似合っていると。
『……聞こえました。皆さんの声が聞こえました』
――『声』が自信を取り戻した。
『そうです……【ウォー】は決して滅びない。我々がいる限り!』
――『声』が不滅を断言する。
その一言に人々は沸き、所々から鬨の声が上がった。
歓声が収まる頃を見計らうように、『声』が詳細の説明に移った。
『それでは、今から【罪人】とその協力者、そして人質の特徴を説明します。【罪人】は、見た目は平凡な少年で、黒い服を身に着け、茶の髪をしています。次に協力者ですが、一人は黒髪に黒い服を着た少年。もう一人は、茶色の髪を二つに結った少女です』
――『声』が下手人の素性を並べ立てる。
そこに上げられた、世界の裏で暗躍する者達の素性のほとんどが子供で、ざわめきが一帯を包み込む。
しかし、すぐにそのざわめきも納得に変わり、落ち着きを見せる。
今までその素性が不自然すぎるほどに不鮮明だった『罪人』だ。まさかその正体が女子供などとは、誰もが思わなかった事だろう。そして考えもしなかったが故に、その油断が後手に回る結果を生み、真実を知り得た時には既にその情報を伝えらない状態にされた。
群衆は、そのような理解を辿った。また、理解できていない者には、理解できた者が真実を伝える事で、その理解は徐々に都市全域へと広まっていく。
『そして、最後に人質です。幼い少女で、髪は桃色。兎の半獣人です。彼女は、我々の誇りにかけて必ずや無事に保護しなければなりません』
――『声』が守るべき者について述べる。
人々はこれで、『罪人』に立ち向かう大義名分を手に入れた。
都市を守る、という大規模すぎて現実味の薄い理由ではなく、捕えられた少女を救う、というシンプルにして善悪の区別が容易い――そう、単純明快な行動理由を手に入れた。
『必要な情報は出揃いました。これから作戦を通達します。――大丈夫です。私達なら、【罪人】とその協力者を打倒し、人質も無事に救い出し、必ずや【ウォー】の安寧を取り戻せます!』
――『声』は鼓舞する。
誰もが天に向かって拳を突き上げ、声を上げる。
声は混ざり合い、大きな渦となって『ウォー』に轟いた。
人々の胸には、必ずや人質の少女を救い出し、『罪人』からこの『ウォー』を守るという確固たる決意が燃え上がっていた。
『まず手始めに、この都市の出入り口を封鎖してください。この都市から【罪人】を出してはなりません。ここで確実に仕留め、これ以上の被害を、不幸の連鎖を私達が断ち切るのです!』
――『声』が作戦を通達する。
その指示に従い、出入り口付近に居た者が使命を胸に駆け出す。この都市を守るために、少女を救うために、『罪人』を打倒するために。
見ず知らずの他人と手を取り合い、頷き合い、互いの健闘を祈り、己に出来る事をしようと各々が動き出す。
『――これより、【罪人討伐作戦】を開始します! 必ずや、我らの都市を守りぬきましょう!!』
――『声』が開戦を告げた。
全員が拳を振り上げ、誰しもが応と答え、皆が一丸となって打倒『罪人』を掲げる。
虚飾塗れの演説に、疑問を抱く者は、誰一人としていなかった――。
――――――――――――――――――――
「――アリス」
「うん……分かってる」
オレンジ色の髪を刈り上げ、背中に錆びた大剣を背負った青年の声に、白髪の少女は真剣な面持ちで頷き返した。
今しがた聞こえた『声』が言っていた中に、あの少年の面影を感じた。
どこを探しても見つからないと思っていれば、何やらとんでもない大事に巻き込まれているようだ。
思わずため息が漏れるが、今はすぐに行動を起こさなければならないだろう。
周りを見てみれば、誰もがこの奇妙な『声』に従って動き出している。
不思議と、アリス達も心のどこかでこの『声』を受け入れてしまっていた。だが、理性がそれをよしとしない。
そうして自我を保って周りを見てみれば、この状況は明らかに異常だと気付ける。
こんな事が出来る輩に、彼は狙われている。
このままでは危険だ。こんな所で油を売っている場合ではなく、すぐに助けに行かなければならない。
「ボク達も行こう」
「ああ、それは当然だが……あのバカがどこにいるか分かんねぇ事には……」
「大丈夫。ボクなら分かるよ」
唸る青年に力強くそう言い切り、少女は今も感じている不思議な存在感に意識を向ける。
逸れてから何度か、この都市に来てからずっと感じている不思議な存在感の近くに、彼の存在を感じたような気がした。
最初は何かの勘違いだと思っていたが、今となってはこれだけが彼へと繋がる手がかりだ。
つまり――、
「ボクの勘を信じて」
「やっぱそれなのか……アリス」
「いいから! 行くよ、二人とも」
今はその存在を感じられない彼の少年は、必ずこの不思議な存在の近くにいる。
そう己の勘を信じ、少女は黒い服を翻すと、人の波に逆らうように駆け出した――。
――――――――――――――――――――
「やってくれたな……」
騒然とする周りとは違い、その男は浮いていた。
大柄なその男とすれ違う際、誰もが立ち止まり、その顔を見ては怯えたように去って行く。
男の見上げる先には『バベルの塔』がある。
本来ならここに用があったのだが、どうやら辿り着くのが僅かに遅かったらしい。
「お前の目的は……一体何だ?」
低い声でそう呟くと、男は白いロングコートを翻し、人ごみの中に消えて行った――。
――――――――――――――――――――
「――……ふぅ〜」
『ウォー』全域への呼びかけを終えたノーミ・エコは、吐息と共に全身の力を抜いた。
この都市にいるほとんどの者は、どうやら思惑通りに動いてくれたらしい。しかし、本来ならこんな突拍子のない事を言われて、素直に受け入れる者などいない。なら、なぜこの都市にいる者達は一部の例外を除き、ほとんど全員がノーミ・エコの言葉を素直に受け取ったのか。
それは、彼女が使った『リード・ウィスパー』という特殊魔法による影響が大きい。
この魔法の特徴は、一度対面した事のある者に限定し、距離を問わず直接脳内に『声』を届けられるという、一種のテレパシーのようなものだ。
しかしそのテレパシーは術者からの一方通行であり、返答は不可能である。
他にも距離が限定され、『声』を届ける相手が選べないという欠点はあるが、面識のない相手にも『声』を届ける事も可能なのが、この魔法の面白い所だ。
ノーミ・エコが使ったのは、後者である。
それに距離が限定されるとはいえ、『声』の届く範囲は『ウォー』全域をカバーできるほどに広く、かなり緩い制限だ。
条件さえ揃えば、デメリットなど無いに等しい。
「こんな広域に『声』を届けるのは初めての試みでしたが、なんとか上手く“誘導”出来てホッとしました〜」
――“誘導”。
それこそが、『リード・ウィスパー』の真骨頂である。
この『声』にはかなり弱いが、催眠作用がある。ただし、その効力は本当に弱く、相手の意志を捻じ曲げ、行動を強制する事は不可能なレベルだ。しかし、ノーミ・エコはそのデメリットを打ち消すために、“話術”を用いた。
この微弱な催眠作用を、彼女の言葉の説得力として利用した。
つまりノーミ・エコは、誘導したのだ。大衆を煽り、催眠効果でさらにその感情の渦を助長。そうして出来上がった感情の波を、催眠効果で誘導した。それが、先ほどの演説の裏に隠された小細工である。
「舞台は整えましたよ~。弱者を怒らせたらどうなるか……身を以て味わってくださいな〜」
横倒しになっていた椅子を起こして穴の前に移動させると、優雅に足を組んで座り、ノーミ・エコは薄い微笑みを浮かべながら、『ウォー』のどこかにいるだろうあの少年達に思いを馳せるのだった――。
久しぶりにメインヒロインの登場!
ただし一瞬という悲劇。




