第3章:17 『バベルの塔攻略作戦・対面』
塔内部の警備に二人だけ残し、今から外の見張りらしい男達と、仕事が終わって帰路に着くらしい男達が喋りながら塔の外に出ていくのを見送ると、シンゴ、イレナ、歪の三人は頷き合い、残った二人の警備兵にバレないよう気を付けながら、静かに移動を開始した。
塔内部は思っていたよりも広く、上階へと続く階段は螺旋階段となっていた。
階段裏にあった物陰に身を潜めたシンゴはホッと息を吐くと、同様に身を潜める隣の歪に極力声を抑えて話しかけた。
「たしか、ノーミ・エコは最上階にいるんだったよな?」
「そうらしいぜ。――ウルトちゃん曰くだけど」
シンゴの確認に、歪が肩を竦めながら応じる。
「一定間隔のフロア構造になっていて、フロアごとに部署が分かれてるけど、この時間帯だと各部署の扉は閉じられてるらしいぜ」
「それなら、ほとんど気にせず前を通り抜けられるな。……問題は」
歪が改めて塔内部の構造について言及するのに頷き返し、シンゴは上を見上げながら懸念事項に眉を寄せる。
懸念事項――予測できない問題が、二つあった。
「まず、『幻惑のローブ』が効かない可能性があるテラとシアがどこにいるかと……」
「最上階のノーミ・エコの部屋に、モプラちゃんがいるかどうかだね」
現在シンゴ達は、ウルトから貸し与えられた『幻惑のローブ』の効力で周りから視認されない状態となっている。しかしそれには例外があり、優れた五感――超直感的な何かを有するらしいテラとシアには、見破られる可能性があるのだ。
そしてもう一つは、モプラが本当にノーミ・エコの元にいるかどうかだ。
これに関してはほとんど賭けの要素が強く、ノーミ・エコの部屋に突撃した時点でそこにモプラの姿がなければ、この作戦は頓挫する事になる。
「つっても、この二つに関してはどうもできねえんだよな。他にモプラが居そうな場所も、ウルトさんでも分からないって言うし……」
「それはしょうがないさ。そもそもこの救出作戦自体が無謀なんだ。ここまで苦労せず来られた幸運を女神ウルトちゃんに感謝して、作戦成功で応えようぜ」
「――ああ、そうだな」
相変わらずへらへらと不真面目で、緊張感とは無縁な様子の歪。
普段の調子なら思わずイラッとしてしまうその態度も、今では心強いと感じてしまうのがまた憎たらしい事この上ない。
「つかさ……ウルトさん、本当にこの塔のこと詳しいよな」
「もしかしたらウルトちゃん、過去、ここに潜り込んだ経験があるのかもしれないぜ?」
おどけるような仕草で歪が言うが、あながちその通りかもしれない。
ここには様々な情報も集まるはずだ。それを目的に過去、あの魔女が忍び込んでいた可能性は十分にある。
そもそも、今回の作戦はウルトが立てたものだ。過去の経験を基に立てられた作戦であれば、シンゴ達がここまで苦労せずに忍び込めた事にも頷ける。
しかし、その考えでいくと――、
「それって、ノーミ・エコに対する明確な敵対行動にならねえか? あれだけ子供達を危険から遠ざけようとしていたウルトさんが、そんな真似するか?」
「いやいや相棒、よく考えてみようぜ。あの人ならバレなきゃ大丈夫の理論で、一度ならず何度も侵入していても不思議じゃない」
「まあ、否定できねえのがあれだけど……それなら、テラとシアの二人はどうすんだよ?」
『幻惑のローブ』が通用しない可能性があると本人が言っていたのに、そう何度も忍び込むものだろうか。
しかし歪は、分かってないな――とでも言いたげな顔で首を振ると、
「ぼくらには『幻惑のローブ』しかないのに対し、ウルトちゃんには魔具を生み出す特殊魔法があるじゃないか。今はぼくらが“三つの枠”を全て使っているけど、普段の彼女は三枠全てを使える。それなら話は別だと思うぜ?」
「そうか……確かにそれなら、なんとかいけそうな気もするな」
ウルトには『ミーニング・ギフト』という特殊魔法がある。その効果は、指定した対象に特殊な力を付与できる、というぶっ飛んだ内容だ。
ただ、そんな都合のいい魔法ではなく、色々と制限があるらしい。その内の一つが、三つを超えて力を付与できない、というものだ。
三つを超えて力を付与したければ、他のどれかを“潰し”、空き枠を確保しなければならないという。
マルスを助けに現れた際にウルトが元の姿に戻っていたのは、『幻惑のローブ』を潰してブーツに脚力増強の力を付与したからだそうだ。
そして『警鐘の十字架』が壊れたのも、あの短剣に力を付与したかららしい。
ちなみにだが、あの水晶にも力が付与されているとのこと。
「ただそれも、今回はモプラちゃんを救出するのが目的だから話は別って事さ。その過程でノーミ・エコと顔を合わす可能性が高いから、ウルトちゃんは危険だと感じて参戦を辞退したんだろうぜ」
「……なるほど」
「ちょっと、なに普通に雑談してるのよ……!」
後ろからかけられたボリューム抑えた声に振り向くと、三人の中で一番不測の事態から安全に脱出できるからという理由で階段の様子を見に行っていたイレナが戻ってきていた。
腰に手を当てながら半眼で見下ろしてくるイレナに、シンゴは手を上げて応じる。
「どうだった?」
「……巡回の警備兵以外は誰もいなかったわよ。そもそも、まだ人が来るには早すぎる時間帯だから当然じゃない」
歪との会話のおかげもあって、緊張がいい具合にほぐされたシンゴの態度に、イレナは憮然としながらもちゃんと答えてくれる。
そんなイレナを落ち付けのジェスチャーで宥めつつ、シンゴは未だに心の奥底でくすぶる不安を誤魔化すように意識して不敵な笑みを浮かべると、
「だからこの時間帯なんだろ? それで、巡回してるのは何人だった?」
「えっと……見てきた感じだと、たぶん一人のはずよ」
「たぶん、の部分がすごく不安だけど、とりあえず、壁に張り付いて息を止めながらやり過ごす方針に変更はなしだな。残る最大の懸念事項は、テラとシアの二人だけど……」
「相棒、あの腰抜け二人組に関しては、もう考えてもしょうがないって。当たって砕けて藻屑となって消えた後に天国で幸せに暮らせるといいよね、の精神で行こう」
「……あえてツッコミは入れん」
あと、腰抜けとはまさか、初遭遇の際に歪発した煽り文句についてだろうか。
当初は演技だと思っていたのだが、今となっては歪の素だったのではないかとシンゴは疑っている。
そんなシンゴと歪の軽口の応酬を目の前に、イレナは深々とため息を吐いた。
「なんか、あたしまで変に緊張感が薄れてきちゃったじゃない……」
「そもそも不確定要素の多い作戦なんだし、臨機応変に動かねえと。緊張しすぎるのも逆によくねえよ。だから、ほどよい具合にふやけてた方がたぶんいいんじゃねえか?」
「相棒の言う通りだぜ、イレナちゃん。柔軟な姿勢で臨もうよ」
シンゴと歪の意見に、イレナは「柔軟すぎて不安なんだけど……」と肩を落とすが、やがて考え直したのか――、
「……でも、そうかな。あたしも、ちょっと肩に力が入りすぎてたかもしれない」
イレナはそう言って苦笑を浮かべると、静かに、ゆっくりと深呼吸した。
そして肺の中の空気を吐き切ると、いつもの彼女らしい笑みを浮かべ、胸の前で小さく拳を握りながら、「よし!」と囁くような声量で気合を入れた。
イレナの深呼吸の間に立ち上がっていたシンゴと歪は、互いに拳をぶつけ合うと、そのまま二人して拳をイレナに向けた。
一瞬だけ鼻白んだイレナだったが、すぐに不敵な笑みを浮かべ、握った両拳を二人の拳にぶつけた。
「んじゃま、囚われの姫さんを助けに行きますか」
「ええ、やるわよ」
「うわ、くさいセリフ。――でもぼくは、相棒のそんなところ、嫌いじゃないぜ」
シンゴのセリフに二人が各々の反応で応じた後、三人は縦一列に並び、階段を上り始めたのだった――。
――――――――――――――――――――
静かすぎるほどに静まり返った螺旋階段を慎重な足取りで進みながら、シンゴは言い知れぬ薄気味悪さを感じていた。
先ほど降りて行った警備兵はやり過ごしたので、この先にはおそらくノーミ・エコと、テラとシアの三人しかいないはずだ。
もしかしたらまだ確認できていない警備兵が上にいるかもしれないが、それを加味しても、異様なまでの静けさだった。
役員の出勤時間前に忍び込んだのだから当然といえば当然だが、この静けさが返って不安を煽る要因となっており、シンゴはダメだと分かっていても、つい喉を鳴らしてしまう。
「…………ッ」
シンゴはかぶりを振り、頭を使う事で不安を誤魔化そうと試みた。
考えるのは、この作戦が成功した後の事だ。
まず、ウルトの所にはもう戻れない。というのも、これからシンゴ達がしようとしている事は、ノーミ・エコとの明確な敵対行為だ。
現在シンゴ達が使っている『幻惑のローブ』は、実はウルトの着ていたものよりも格段、性能が劣る。
ウルトの『ミーニング・ギフト』は、シンプルな能力なら短時間で、そして複雑になるほど能力付与に時間がかかるのだ。
三人分を時間内に作るにはいくつかの機能を省く必要があり、シンゴ達のローブは姿を消す事しかできないという劣化版なのだ。
さらに、誰か一人にでも認識されてしまうと、他の者にも気付かれてしまうという厄介な弱点がある。
これは、元々それで完成している『幻惑のローブ』を無理やりスペックダウンさせたために起きた、所謂バグのようなものだとウルトから説明された。
つまり、テラとシアに見付かれば、必然的にノーミ・エコにもバレるという事になり、乗り込む場所が場所だけに、ノーミ・エコに顔を見られる確率は非常に高い。
そんなシンゴ達がウルトの所へ戻ってしまえば、子供達を危険に晒す事になる。
さらに、追手がかかるのはほぼ確実とみていい。追ってくるのはおそらく、テラとシアの二人に、警備兵達だろう。
特にテラとシアの二人を振り切るのは、シンゴ達の実力ではほぼ不可能だ。
敵を引き連れたままウルトの元に戻るなど、出来るはずもない。
ならどうするかだが、モプラを無事に救出したら、シンゴ達はそのまま『ウォー』を去るという方針になっている。
ここで問題となるのが、アリスとカズの二人とどう合流するかだ。
追手から逃げつつ、二人と合流しなければならない。
これがこの作戦の中で、最も難しい点だった。
最悪の場合、合流を諦めてシンゴ達だけ先に『ウォー』を出て、都市外でアリス達と落ち合うという案もあるが、それはなるべくしたくなかった。
それはなぜか。まず、アリスとカズは、シンゴ達が『ウォー』の外に出たという情報を得る手段がない。そうなると、二人はしばらくこの都市に滞在するだろう。
その後、二人はシンゴとイレナを探すために聞き込みをするに違いない。いや、もうしているかもしれない。
そうなると、ノーミ・エコの耳に二人の情報が入るのは時間の問題だ。
するとどうなるかは、明白だ。シンゴ達の関係者として、今度はアリスとカズの身に危険が及ぶ事になる。
以上の理由から、なるべく二人と合流してからこの都市を出たいのだ。
同時にそれは、イチゴの捜索を諦める事を意味する。しかし、イチゴの立場になって考えてみれば、こんな治安の悪い場所に長居するとも思えない。故に、ここに彼女はいない可能性が高いと結論が出た。
ほとんど憶測で、そうあって欲しいという希望に基づく考えだが、今は仕方がない。
仮に、本当にイチゴがこの都市にいるとしたら、シンゴは何が何でも『ウォー』に戻ると決めている。たとえ、一人でもだ。
ちなみに、アリスとカズとの合流方法だが、残念ながらいい案はない。つまり、足を使って二人を探すしかない。
ここでどれだけ時間を短縮できるかで、追手から逃げおおせる確率が大きく変動する。
なんとしてでも、短時間で二人と合流する必要があった。
「いや、今は……」
前を歩く二人にも聞こえないほどの小さな声で、シンゴは否定の言葉を呟いた。
今は目先の問題をどうにかしなければ、二人との合流どころの話ではないのだ。
「…………」
何回目とも知れぬ、階段から各フロアへと伸びる通路を――そしてその先の閉じられた扉を見送り、シンゴは未だ終わりの見えない階段の上を見上げた
もうだいぶ上っているようにも感じられる。実に順調に進めてはいるが、いつ来るか分からないテラとシアの襲撃に警戒を割いている分、精神的疲労はかなり大きい。
そんな事を考えている今にも、二人が背後から音もなく忍び寄っているかもと想像し、後ろを振り返っては誰もいない事に安堵する、を先ほどから何度も繰り返していた。
極度の緊張感で胃がきりきりと痛みを発し始め、息もだいぶ上がってきた頃だ。三人は、とうとう――、
「――――!」
――最上階に、到着してしまった。
辺りに警備兵の姿は見当たらず、正面には華美な装飾が施された両開きの扉が存在し、その荘厳な雰囲気にシンゴは思わず喉を鳴らす。
この扉の先に、おそらくノーミ・エコがいる。そしてモプラがいれば、作戦は本格的に始動。いなければ――、
「――ッ」
かぶりを振り、マイナスな想像を頭から叩き出す。
モプラは必ずこの扉の先にいる。そう信じて、シンゴも全力で己の役割を全うするのだ。
深く息を吸い、長めに吐き出すと、シンゴは懐に忍ばせてあるアイテムの存在を確認し――、
「――なぜ、お前が生きてる?」
「――――!?」
背後から発せられた静かな声に振り返ろうとしたシンゴだが、その直前、横腹に激痛が走り、体が宙を舞った。
一瞬の浮遊感の後に、今度は反対側の半身に衝撃。二回目の衝撃は一瞬で、最後に全身を打ち付ける痛みがシンゴを襲う。
「が……ぁッ」
激痛に顔をしかめ、明滅する視界に最初に映り込んだのは、真っ赤な絨毯だ。
シンゴがそれを認識すると同時に、隣からも苦鳴が二つ聞こえた。シンゴは吸血鬼の再生能力で痛みが引いた上体を起こし、素早く左右に視線を向ける。
そこには、シンゴ同様に赤い絨毯の上に転がるイレナと歪の姿があった。
一体何が起こったのかを理解する前に、今度は聞き覚えのある声がシンゴの鼓膜を震わせた。
「シンゴさん――!?」
「モプ、ら――……ぁ?」
その声の主の姿を確認しようと、咄嗟に顔を前方に向けたのが間違いだった。
シンゴが最初に見たのは、鎖で全身をぐるぐる巻きにされて椅子に縛り付けられているモプラの痛ましげな姿だったのだが、気が付けばシンゴの視野は狭窄し、ただ一点に吸い込まれていた。
「あ……ダメ!」
「あぅ……ぁ」
咄嗟にモプラが顔を逸らすが、もう遅い。
シンゴの網膜に焼き付いた艶美な桃色の光は、神経を、脳を狂いそうなほど甘い衝動で優しく侵食していき、やがて中心部で爆発――
「がぁ――ッ!!」
シンゴは理性が完全に『色欲』の権威に侵される前に、頭を床に思い切り振り下ろした。
ある程度は絨毯が衝撃を吸収してしまったが、二度目ともなれば、目を覚ますのにはこれで十分だった。
「はっ……はぁ……ッ!」
なんとか『色欲』の権威の浸食から脱したシンゴは、喘ぐように空気を貪る。
額に汗を浮かばせながら、自分の浅慮な行動を恥じる。こんな事故のような事をあっさりしでかすとは、なんと愚かなのだろうか。
シンゴが憤りに歯を噛み締めた時だ。粘つくような何かを孕んだ、場にそぐわぬ間延びした声が響いた。
「おやおや、突然の来訪者が三人ですか〜」
「――――!」
その声に顔を上げると、『色欲』の権威が発動しないようぎゅっと目を閉じたモプラのすぐ横に、一人の女が立っていた。
緑色の軍服に似た服で起伏に富んだ肢体を包み、これまた緑色の手袋をはめた手で長い緑髪を掻き上げると、女は緑色の双眸を楽しげに曲げた。
「お前は……!」
「これはこれは、私とした事が申し遅れました。――私はノーミ・エコ。不肖ながら、この『バベルの塔』の頭をやらせていただいておりま〜す」
優雅な仕草で頭を垂れた女――ノーミ・エコは、「それにしても〜……」と、腰を折った体勢のままで顔だけを上げ、興味深げな視線をシンゴに向けながら首を傾げた。
「貴方は今、『色欲』の権威に魅了されたはずですよね? なぜ、正気を保っていられるのですか〜?」
「――――ッ!?」
ノーミ・エコの粘つくような視線に全身を舐められて、シンゴは嫌悪感に思わず顔をしかめ、背筋に走った戦慄に身を震わせたのだった――。




