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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:15 『遅すぎた帰還』


 世界がまるごと切り替わる感覚は、何度経験しても慣れるものではない。

 直前までの驚愕や動揺、苦痛の残滓を引きずったまま、まるでチャンネルを前触れなく切り替えられるようなこれは、意識を順応させるのに時間を要する。

 いや、切り替わった世界という表現だけでは少し語弊があるだろうか。しかと補足するのなら――、



 ――戻ってきた、だ。



「うぶっ」


 仰向けの状態で目覚めたシンゴは、気が狂いそうになる頭痛と、内臓と骨を『影』に貪り食われる不快感の残滓に、せり上がってくる吐き気を感じて思わず口元を手で押さえた。

 慌てて身を回し、地面に手を着いて盛大に嘔吐する。


「うっ……ぉ……ぁっ」


 目尻に涙を湛えながらしきりに嘔吐し、胃液しか出なくなったところでようやく胃の収縮は収まった。それでも頭の芯に絡み付くようにして離れない不快感は、一向に弱まる気配を見せない。


「う……ああぁ――ッ!」


 ゴンッ――と鈍い音を鳴らし、シンゴは振り下ろした額に走った痛みに顔をしかめた。

 それでも尚、二度、三度と頭を石畳に叩きつける内に額が割れ、血が流れ出す。すぐさま吸血鬼の力が傷を治しにかかるが、シンゴは頭を地面に打ち付けるのを止めないため、治ったそばから傷が開いてしまう。


 傍から見れば気が狂ったとしか思えない行動だが、シンゴからしてみれば逆で、これは気が狂わないようにするための行動なのだ。

 やがて、不快感を痛みが凌駕した所でシンゴは自傷行為をやめ、ぐらぐらする頭に片手を当てながら肩で息をする。


 ようやくある程度の冷静さが戻ってきて、シンゴは思い切ってあの校舎で起きた事について考察すべきか逡巡していた時だ。今まで気が付かなかった、自分を呼ぶ嗚咽混じりの声の存在に気付いた。


「――――?」


 そちらに視線をやり、シンゴはようやく現状を正確に理解した。同時に、そのあまりの惨状に思わず絶句する。

 辺りには完全に夜の帳が下りており、見捨てられたこの区画には人工の光は皆無。結果、ゴーストタウンにはその名に恥じない薄気味悪さと静寂で満たされていた。


 その闇夜に目を慣らすという作業を飛ばし、シンゴの深紅に染まった右目がゆっくりとこの場に刻まれた傷跡を見渡す。

 そして、その目を覆いたくなるような光景を前に、辛うじて一言だけこぼした。


「なんだよ……これ?」


 辺り一面は鋭利な爪で引っ掻き回されたかのように抉れており、まるで巨大な爪を持つ化け物が暴れ回った後のような有様だった。

 その傷跡はこの路地を形成する壁にも深く刻まれており、よく目をこらしてみれば、大量の石の破片がそこらじゅうに散乱している。


 一体、ここで何が行われたというのだろうか。

 仮にだが、この景色を作り出したのが人間だとしたら、それは、この世界の人間を無意識に元の世界の人間と同一視していた、その勘違いに気付くには十分だった。


 むしろ、別世界にもかかわらず、ここまで姿形、その在り方が同一なのが奇跡なのだ。


「――さん! シンゴさん……!」


「――――!」


 再度自分を呼ぶ声で、シンゴの意識が現実に焦点を結ぶ。

 そして、改めてその悲痛な叫びをシンゴに向けて投げかけている人物に目を向け、その人物が見知った相手であった事と、無事を確認できて思わず破顔し――、


「助け……ひぐっ……ださい……シンゴさぁん……!」


 ――すぐに、笑顔が凍りついた。


「ウ……ウルト姉ちゃんがぁ……!」


 そこには、返り血で全身を真っ赤に染め上げた少年――マルスの涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔と、


「ウルト……さん?」


 右腕を切断され、息も絶え絶えの状態でマルスに支えられている、『時読みの魔女』の憔悴しきった姿がそこにあった。


「ウルトさん――ッ!?」


 咄嗟に駆け出し、マルスに支えられたウルトの傍に膝を着く。さっとその全身に目を走らせたシンゴは、その目を覆いたくなるような様相に言葉を詰まらせた。

 切り傷や火傷のような痕に、まるで銃弾に穿たれたかのような傷が複数。そして、最も深刻なのが右腕だ。


 ウルトの右腕は二の腕から先が存在していない。刃物を用いて切断したかのように綺麗な断面図がそこに展開されており、そこから覗く筋線維や血管がグロテスクに脈動していた。

 断たれた血管からはおびただしい量の血が滝のように溢れ出し、ウルトの顔は土気色となっている。


「う……ウルト……さん」


 そのあまりの重症ぶりに思考をフリーズさせられながら、シンゴは辛うじて喘ぐように呼びかけた。すると、生気のほとんど感じられないウルトが、薄く瞼を持ち上げた。

 光の感じられない瞳をシンゴに、そして泣きじゃくるマルスへと向けたウルトは、マルスの頬を濡らす涙を拭おうとしてか、右手を持ち上げる。


「――――?」


 しかし、彼女の腕の先は切断されて存在しない。ウルトはそれを理解できていないのか、なぜ涙を拭ってやれないのだろうと、心底不思議そうな顔をする。

 その傷で意識を保っていられる事には驚きを隠せないが、今はそんな事に感心している場合ではない。


「どう、すればいい……どうすれば……何か、何か使える物……っ」


「お姉ちゃあん……!」


 必死に頭を回すシンゴのすぐ目の前で、ウルトの命が刻一刻とこぼれ落ちていく。このままでは失血死してしまうのは目に見えていた。

 目の前で人が死ぬ。それは、否応なくあの光景をシンゴに想起させる。

 激闘の果てに、とある男の首が刎ねられ、転がった顔が無理解の表情を最後に“終わる”光景が――


「そうか……!」


 脳裏に過ったカワード・レッジ・ノウの壮絶な死に様。そこから派生する形で、今の状況と似たような窮地を乗り越えた時の記憶が呼び起こされる。

 そう、イレナの傷を癒した、あの力なら――と。


「翼は――ッ」


 咄嗟に背後を振り向き、ウルトを救うために最低限必要な翼の有無を確認する。


「ある――!」


 一度死んだ事で条件が満たされたのか、シンゴの右肩からは紅蓮の炎で出来た翼が、主に命令されるのを今か今かと待ち侘びるように揺らめきながら存在していた。

 その翼を見やりながら、シンゴは胸中に過る様々な感情を意識する。


 この翼の治癒能力を使ったのは過去に一度しかない。しかもその時はイレナを救おうと必死だったため、どうやったかなど覚えていない。

 だが、今だってあの時の状況となんら変わらない。目の前に死にそうな人がいる。そして、それを救う手だてがシンゴにはある。ならば、キサラギ・シンゴは何も考えず、ただ救うために馬鹿になればいいのだ。


 そんな、シンゴの想いに呼応してか――。

 翼が蠢いたかと思えば、突如広がり、ウルトの上で人を一人覆い尽くせるほどの大きさに拡大した。

 相当混乱していたのか、マルスは今になってようやくシンゴの翼の存在に気が付いたようで、その目を丸くしている。


「死ぬな……ウルトさんッ!」


 シンゴのその言葉を合図に、炎の翼がウルトの身体を包み込み――一気に燃え上がった。

 夜闇を散らしながら、紅蓮の炎がシンゴの想いに応えて火の勢いを増していく。


「……きれい」


 その瞳に炎を映しながら、マルスがポツリと呟いた。

 暗い路地に温かな炎が揺らめき、焼く者、焼かれる者、そして見守る者の心を優しい光で包み込んでいった――。



――――――――――――――――――――



「――それで、わたしは一命を取り留める事ができたわけ」


 事のあらましを語り終えたウルトが、小さく吐息する。

 場所は、シンゴ達がウルトと初めて会った、あのオカルトグッズが散乱する部屋だ。

 メンバーは、今しがた事件について説明していたウルトに、その事件に関わったシンゴとマルス、寝ている間に全てが終わった後だと知り、不機嫌そうな顔のイレナ・バレンシールと、まだ半分寝ている捏迷歪ねつまいいがみの、計五人だ。


 シンゴの『怠惰』の権威と思わしき治癒能力で完全復調したウルトが、「それにしてもねぇ――」と、自分の右腕を見下ろしながら苦笑する。


「腕が生えるというのは、さすがにこのわたしも初めての経験だわ。これが『罪人つみびと』の権威の力だと言うのなら、恐ろしいとしか言いようがないわね。それに……」


 ウルトはその紫紺の瞳を物珍しそうに細め、難しい顔で黙り込んでいるシンゴに向けると、怪しげな笑みをその口元に浮かべた。


「死んだはずの人間が自力で蘇生するなんて、未だにこの目で見ても信じられないわ。そんな事、吸血鬼にだって不可能よ?」


 面白いおもちゃでも見付けたような、ぞっとする怪しい光を宿した目を向けたウルトは、「ああ、キサラギも吸血鬼だったわね」と、くすりと笑う。

 そんなウルトをシンゴは憮然とした顔で見やり、「半分、ですよ」と返し、視線を逸らす。


「あら、つれない」


「ねえ、そんな事より……」


「ええ、分かっているわ」


 イレナの鋭い視線を受け、ウルトは表情を引き締め直すと、スッと頭を下げた。

 突然の行動に面々が目を白黒させる中、ウルトは真摯な声音で告げた。


「戦闘用の手持ちの魔具が一つしかなかったとはいえ、モプラちゃんが攫われるのを防げなかったのはわたしの落ち度。謝罪するわ。『時読みの魔女』として、恥ずかしい限りよ」


 ――そうなのだ。テラとシアとの激しい戦闘の末にウルトは敗れ、右腕を奪われた。その右腕はシンゴが治したが、既にあの場にテラとシアの姿はなく、モプラの姿もどこにもなかった。


「言い訳みたいに聞こえるかもしれないけど、一つだけいいかしら?」


「……なんですか?」


 顔を上げたウルトが薄紫の長髪を揺らしながら問うてくるので、シンゴは神妙な面持ちで先を促した。

 それに「感謝するわ」と微笑んでみせてから、ウルトは真剣な表情を纏い直すと、


「戦ってみて感じた事なのだけれど……そうね、言葉にするのが難しいけど、強いて言えば五感に近いものかしら。テラとシアの二人は、それが常人の比ではなかったわ」


「五感……?」


「ええ、最初はそうでもなかったのだけれど、あれは終盤。二人の反応と動きが、異常なまでに速くなったのよ」


「それって、途中までは手を抜いていたってこと?」


 眉を寄せながら質問するイレナに、ウルトは「分からないわ」と首を振る。


「あまりにも情報が少ない。それに、動きに変化があってすぐシアに腕を斬り飛ばされたから、それ以上の事は分からずじまいなのよ」


「それだけあの二人が強いって事、か……」


「それもあるけど、少し違うわ」


「――――?」


 意味深な事を言うウルトに、シンゴは眉を寄せる。するとウルトは間を取るよかのように目を閉じた。おそらく、あの時の事を思い出そうとしているのだろう。

 やがて、十秒ほどの時間が過ぎた頃、ウルトがその口を開いた。


「……一度も、懐には入られていないのよ」


「……つまり?」


 首を傾げて無理解を示すシンゴとイレナに、ウルトは「遠回しすぎたわね」と笑い、


「どうしても避けきれない攻撃は貰ってしまったけれど、正面からの剣戟は全て捌いたわ。それに、一人を相手にしている内にもう一人に背後を取られないよう、なるべく壁を背に戦っていたのよ。だから、どうして腕を斬られたのか……その原理が分からない」


「それって……見えない攻撃って事すか?」


「そうね……ええ、たぶんその理解でいいと思うわ。ただ一つだけ覚えているのは、腕を斬り飛ばされる前に、空気が震えるような音が聞こえた事ね」


「空気が震える……?」


 ウルトはなるべく噛み砕いて説明してくれているようなのだが、生憎シンゴにはいまいち理解できない。どうやらそれはイレナも同様のようで、隣で首を傾げている。いがみに関しては――立ったまま寝ていた。


「暗闇の中だったというのもあったし、二人の動きを一挙手一投足までは見れていなかったのも、不可視の攻撃の正体を看破できない理由でもあるわ。その点に関しても、あの二人はまるで見えているかのように正確に動いていたわ」


「それで、五感が常人の比ではないって事ね。……でも、それって」


「まるで獣人みたい――かしら?」


「う、うん」


 気が付いた事を先に言い当てられ、イレナが目を丸くしながら頷き返す。


「でも、見た限りあの二人は獣人ではないわ。四分の一が獣人……つまり、クォーターかもしれないという可能性も考えたのだけれど、そこまで獣人の血が薄まると、さすがに五感の性能はガクッと落ちるわ」


 つまり、テラとシアの双子には超直感的なものがあり、ウルトは序盤と終盤で緩急を付けた超直感と、見えない攻撃に敗北した、という事なのだろう。

 しかし、今の会話の中で一つ腑に落ちない点がある。シンゴは「あのさ」と声を上げて会話の主導権を引き寄せると、ウルトに質問した。


「腕はシアに切り飛ばされたってウルトさん言ったよな? なんで攻撃が認識できなかったのにもかかわらず、シアに……それも“斬られた”って分かったんだ?」


 不可視の攻撃だと自分で言っておいて、その攻撃に使われた武器、そして攻撃してきたのが誰かまで分かっているというのは、矛盾が生じる。

 その矛盾の真意を尋ねる質問に、ウルトはシンゴに感心したような目を向けた。


「頭が悪い割には、勘は働くみたいね」


「バカは余計だっつーの!」


「あら、バカとは言ってないわよ」


「似たようなもんだろ……あ」


 自分で言って、それが己のバカを認める発言だと気付き、シンゴの顔に後悔の色が走る。

 そんなシンゴを楽しげに見やりながら、ウルトはしなを作るように身をよじると、


「なんなら、今からわたしが頭を良くするいい方法を教えてあげてもいいわよ」


「……んで、さっきの質問の答えはどうなんだよ?」


 狙ったようなその軽口を流すと、ウルトは「つれないわね」と唇を尖らせる。その不真面目な態度を受け、シンゴは目を細めて睨み付ける。

 シンゴのそんな視線をウルトは余裕を持った笑みで受け流し、その毒々しい紫の唇を開いた。


「腕を斬られる前に、シアが剣を振るったのを見たのよ。距離がかなり開いていたのもあって、当たるはずがないと高を括っていたら……いつの間にか腕が斬られていたわ」


「それって、斬撃を飛ばした……とかか? そんな魔法って存在する……あ! 風の魔法か!」


 風の刃なら目には見えない。ウルトを襲った不可解な攻撃内容とも合致する。

 そう確信したシンゴだったが、ウルトの答えは首を振る、という否定だった。


「普通の風なら視認は出来ない。でも、魔法で生じた風は別だわ。魔法は『フィラ』に属性と“意味”を付加して外界に放出するもの。だから、魔法で生じた風は厳密には『フィラ』なの。――つまり、風であって風ではない、という事ね」


「……なるほど」


「その顔、まったく理解できていないという顔だわ。……そうね。どうかしら、わたしが一対一で個人授業してあげてもいいわよ?」


「――――」


 艶やかな笑みを浮かべ、そんな事を申し出てくるウルト。

 反射的に手を挙げようとしていたシンゴは、しかし途中で隣から向けられるイレナの冷たい視線に気付き、持ち上げかけていた手で誤魔化すように自分の頬を掻きながら、「そういえば……」と過去の記憶から心当たりを拾い上げた。


「確かに、アリスが纏ってた風は見えてたな……」


 アリスの周囲に渦巻く視認可能な薄緑色の風を思い出し、シンゴは一応の納得を得る。しかし、そうなるとますますシアの攻撃、その原理が分からなくなる。いや、だからこそウルトも頭を悩ませているのだ。


 現状、テラとシアの二人について判明している事は、使用する魔法の属性と剣を主武器に用いること、そして常人離れした超直感を有している事と、あとはシアが放つらしい原理不明の見えない斬撃くらいか。

 シンゴが疲労を訴える脳を叱咤しながらテラとシアの情報を整理していると、ウルトが「それに」と言いながら、シンゴに視線を向けた。


「腕の断面を見れば、それが刃物のようなもので付けられたのだと見抜くのは、そう難しい事ではないわ」


「ああ、そういや確か……に」


 脈動する筋線維、波打つ血管に、白い骨。人の腕の生々しい断面図を思い出してしまい顔をしかめていると、シンゴが何を想像したのかを察したらしいウルトが、何やら己の身体を掻き抱くように腕を回して身を引いた。そして悪戯な笑みを浮かべると、


「乙女の中身を見て興奮するなんて……やだわ、汚らわしい」


「そんな嗜虐趣味はねえよババア――!?」


「あー、またわたしの事そう呼ぶぅー」


「…………ッ」


 ウルトのそのふざけた態度に、シンゴは苛立ちを覚えて奥歯を噛み締める。

 どうしてこの急を要する時に、そんなふざけた事を――と、額に青筋を浮かべてウルトを睨み付けていた時だ。ふと、さっきから妙に話の本筋がズラされるなと思い至り、シンゴは首を傾げた。


「なあ、ウルトさん。よくやる俺が言えた事じゃねえんだけど、さっきから変に話を脱線させようとするよな。……なんでだよ?」


「……別にそんな事ないわよー?」


「いや、そんな下手な芝居されてもさ……」


「そんな事より、この姿のわたしにババアは、いくらなんでもひどすぎるんじゃないかしら。それともなに? もしかしてキサラギには、そういった趣味が――」


「――ウルトさん」


 静かな、しかし抑えきれない怒りを孕んだ声が、隣から発せられた。

 そちらを見たシンゴが息を呑み、ウルトは目を丸くする。

 溢れんばかりの怒気を纏いながら、イレナがすたすたとウルトに歩み寄り、机を挟んで紫のローブ――その胸ぐらを掴み上げた。


「話を逸らさないで! こんなどうでもいい事に時間をかけてる余裕はあたし達にはない! 早くモプラを助けに行かなきゃダメなのに、どうしてさっきから話を脱線させようとするのよ!?」


 下手をすれば殴り掛かりかねないほどの勢いで、イレナが一息にまくし立てた。

 しばらく目を白黒させて驚いていたウルトだったが、イレナの目を見て冗談は通じないと悟ったのか、小さな吐息と共に表情を消すと――、


「簡単よ。あなた達を行かせないため」


「――――!?」


 先ほどまでのふざけた態度と打って変わったような、感情の抜け落ちた冷たい声。

 その一言と態度の落差に、イレナが息を呑む。シンゴも何やら怖気のようなものを背筋に感じ、身を震わせた。


 固まるシンゴ達をジッと見やると、ウルトはイレナの手をそっとローブから外し、目を見開いて固まるイレナを射竦めるようにして、細められた紫紺の双眸で見上げた。


「いいかしら? 言っておくけど、あなた達三人がかりでも今のわたしは倒せないわ。――そして、テラとシアはわたしよりも強い」


「…………っ」


 イレナが言葉を詰まらせるのを横目に、シンゴはウルトの発した言葉の意味を考える。

 イレナは、決して弱い訳ではない。しかし、そこに相手を麻痺させる魔法を使えるいがみと、ただしぶといだけが取り柄のヒーラーであるシンゴを加えたとしても、眼前の魔女を打倒できるとは到底思えなかった。


 たとえここにアリスとカズがいたとしても、勝てるビジョンは見えてこない。

 ウルトから感じるその言い知れぬ迫力には、こと戦闘に関しては素人であるシンゴにそこまで確信させるだけの、絶対的な説得力があった。


 唯一届き得るとすればイレナの持つ『ゼロ・シフト』だが、そのイレナ曰く、他者を飛ばすには体に触れる必要があるという。当然ながら、ウルトがそう簡単に接触を許すとは思えない。

 そもそもなぜウルトは、シンゴ達を行かせまいとしているのか。

 簡単だ。今しがたウルトが言っていたではないか。シンゴ達ではテラとシアには勝てないと。


 ――つまりウルトは、シンゴ達の身を案じてくれているのだ。


 テラとシアの二人と戦い、そして敗北したからこそ、ウルトのその言葉は現実味を帯びてシンゴの心に重く圧し掛かる。

 一度は逃げ延びる事も出来たが、あれは相手のペースを乱し、不意を突けたからこそだ。決して自惚れてはいけないと、ウルトは釘を刺しているのだ。


「……でも、ウルトさんはさっき、魔具の手持ちが少なかったからって……」


「ええ、確かに、万全の態勢で臨めば負けるとまではいかないと思うわ。でも、必ず勝てるとも言い切れない。それにおそらくだけど、あの二人はまだ力の全てを出し切ってはいない感じだわ。逃げるだけなら勝算はある。けど、それはわたしの場合であって、決してあなた達には当てはまらないの」


「…………ッ」


 突き放すようなウルトの言葉に、イレナが俯き、奥歯を噛み締める。

 肩を震わせるイレナを見て、シンゴは胸の奥が重くなるのを感じた。急かされるように何か言わねばと思い、シンゴは口を開きかけ、そこでハッとなる。


「なら、ウルトさんも一緒に来てくれれば――!」


「わたしは行く事が出来ないわ」


「な……なんで!?」


 目を剥き、詰め寄ろうとするシンゴを制するように、ウルトは指を一本立てた。


「まず、モプラちゃんはわたしの“子”ではないわ。それに見たでしょう、あの化け物を。モプラ・テン・ストンプは『罪人つみびと』なのよ」


「それは……でも、それなら俺だって!」


「そうね。確かにキサラギ、あなたもおそらく『罪人』。でもその権威は、わたしの勘だと人に仇を成す類のものではないはず。……腕を治して、命を救って貰った事には感謝しているわ。でも、それとこれとは話が別なのよ」


「…………ッ」


「今のが二つ目よ」


 そう言い、ウルトは二本目の指を立て、更に続けて三本目を立てる。


「最後に、最も重要な事。それは、わたしがこれ以上ノーミ・エコに目を付けられないようにするためよ」


「でも、それはもう……」


「ええ、だからこそ“これ以上”なのよ」


 もうあの二人と戦ったのだから、既に目を付けられているのでは――とシンゴが言おうとしたのを先読みし、ウルトが被せるように告げた。

 鼻白むシンゴを見据えながら、ウルトは「いいかしら?」と、


「路地でわたしが戦ったのは、あくまでマルスを守るためよ。なのに、わたしがこれ以上首を突っ込んで、わざわざ子供達を危険に晒すのは論外。――それに、モプラ・テン・ストンプはマルスを殺しかけたわ」


「それは……!」


「ええ、故意ではないのは分かってる。でも、わたしが『時読み』でマルスに危険が迫る事を読んで、事前に『警鐘の十字架』を渡していなかったら、確実にこの子は命を落としていたわ」


 そう言うと、ウルトは黙って佇むマルスにその紫紺の瞳を向ける。シンゴもその視線を追ってマルスを見た。

 マルスは何か言いたそうな顔をしていたが、結局は何も言おうとはしなかった。他ならぬ彼自身が、殺されかけたという事実がこの場でどういう意味を持つのかを、ちゃんと理解しているのだ。


 俯き、苦渋に満ちた顔で奥歯を噛み締めるマルス。そんな我が子の姿を、魔女は優しく、そしてどこか悲しげな瞳で見詰めた。


「この子は……賢いわ。感情を心の奥に押し込んで、現実を見据える事が出来るほどに。わたしとしてはもう少し子供らしく育ってほしかったのだけれど、わたし自身も助けられる事が多々あるのも事実よ。だから、わたしにとやかく言う資格はないのよね……」


「お、ねえちゃん……」


「あなたはそれでいいのよ、マルス。自分を責める必要はないし、させないわ。――そのために、わたしがいるのだから」


 血の繋がりはなくともこの二人は、親子――もしくは、本当の姉弟のような存在なのだ。

 そこには紛れもない家族の絆が存在し、シンゴはバレンシール修道院のアネラスと子供達の姿が目の前の二人に重なるのを感じた。


 そして、おそらくシンゴと同じ事を感じているであろうイレナは、無言のままウルトとマルスの二人を見詰めていた。――が、やがてその沈黙も、かぶりを振って何かを振り払ったイレナ自身の言葉で終わりを告げる。


「つまりウルトさんは、テラとシアに挑むのは無謀で、かといって自分が手を貸すのは子供達を危険に晒しかねないから、それも出来ないって……そういうこと?」


「……そうよ」


 イレナの静かな確認に、視線を戻したウルトが笑みを消すと、イレナ同様に静かな声音で返した。


「…………」


 シンゴは――何も言う事が出来なかった。

 ウルトの言っている事はどれも正論で、隙を探そうにもどこにも見当たらない。

 むしろマルスを守るためとはいえ、本心ではあの二人と対峙する事すら避けたかったはずだ。その行動は、結果として他の子供達までをも危険に晒す可能性があったのだから。


 ――しかし、ウルトは“子”を守るために、戦った。


 目の前で、家族の命が危険に晒されるという場面。そして、応戦する事でノーミ・エコに目を付けられる可能性のある、他の子共達の存在。おそらく彼女の中では、シンゴの想像も及ばない激しい葛藤があったに違いない。

 それでもウルトは、マルスを救った。


 つまり彼女は、マルスを救い、ノーミ・エコからも子供達を守ってみせると、あの場で決意してみせたのだ。

 それはとても尊く、気高い決意だ。そんな彼女の覚悟を踏みにじり、助けて下さいなどという図々しくも無礼な事は、とてもシンゴには言えなかった。


 それに、故意ではないにしても、モプラがマルスを殺しかけたのは紛れもない事実だ。

 そのモプラを助けるために“子”を危険に晒せなど、口が裂けても“親”である彼女には言えない。――いや、言ってはならない。


 ここまで厳しい言葉でシンゴ達を否定するのも、ひとえにシンゴ達の身を案じてのこと。――そう、『時読みの魔女』ウルトは、とても優しい女性なのだ。

 彼女の行動、言動からは、他者を思いやる優しさが滲み出ている。だが、ウルトも万能ではない。大切なものを守るのには、時に取捨選択を迫られる事がある。


 そして、ウルトは選んだのだ。家族を守るための道を。その先に、モプラの姿はないと理解しながら。

 その決断を、彼女を、非道だというのは間違っている。守るべきものを、本気で守り抜くための責務を果たした彼女は――勇敢だ。


 慢心せず、己の手の届く範囲をしっかりと熟知した者のみが出来る選択だ。ウルトは、捨てる強さを持った、強い女性なのだ。

 それに対し――、


「俺は……」


 本心では、やはりモプラを助けたい。

 確かにモプラは、過去に人を殺した事があるのかもしれない。でもそれは、決して本人の意思ではない。

 わざとでなければ殺人は許されるのか、という難しい事はシンゴには分からない。しかし、あんな小さな女の子が、苦しそうに泣き、助けを求めていた。それを見捨てるのは、シンゴには無理だ。


 しかし、ウルトの優しさを正面から突っぱねるような真似も出来ない。

 ならば他にいい案が浮かぶかと問われれば、まったくそんな名案は浮かばず、何も考えずに助けに行くと叫ぶにも、『死』を知るが故の恐怖が、口を固く噤ませる。

 シンゴに出来たのは、ただ俯き、黙っている事だけだった。


 ――しかし、彼女は違った。


「それでも……あたしはモプラを助けに行くわ」


 堂々と、胸を張って、イレナ・バレンシールはウルトの優しさを正面から突っぱねた。

 シンゴはそれに驚いて目を見開き、ウルトは逆に目を鋭く細めた。


「確かに、簡単じゃないのは分かってる。でも、あの子はきっと今、苦しいって泣いてる。助けてって叫んでる。聞こえなくても、はっきりと分かる。あたしはその叫びに応えたい!」


 強く、確固たる己の意思を、提示する。

 不可能な事は重々承知だと、それでもどうにかしなければいけないのだと、その碧眼に強い光を宿し、イレナは高らかに宣言する。

 そしてそのまま目を閉じると、そっと胸の上に手を当てた。


「それに、あたしは約束した。――待ってるって」


 優しく、囁くような声。しかしその声には、確かな芯が通っていた。

 そしてイレナは目を開けると、真っ直ぐウルトを見据え、


「あたしは行くわ! モプラを助けに行く!!」


「…………」


 ――なんという、強さだ。


 イレナの言葉には、覚悟が滲み出ていた。自分で言った通り、簡単にいくはずがないと、むしろ不可能に近いと分かっているはずだ。それでもイレナ・バレンシールは、それを全て呑み込んで理解した上で助けると、そう言ってのけたのだ。


「…………っ」


 それに比べ、キサラギ・シンゴはどうだ。

 自分可愛さに委縮し、心のどこかでモプラの事を諦めていたのではないだろうか。

 恥ずかしい。本来ならそれは、シンゴが言わなければならないセリフだ。


 キサラギ・シンゴという男は、その場に居合わせた癖に何も出来ず、その小さな肩に圧し掛かる業にすら気づいてやれなかった、ただのクソ野郎だ。

 仮にも同じ『大罪』を背負っているのなら、その『罪』の重さに気付いてやらなければならないのも、シンゴの役割ではないのか。


 それを全部イレナに丸投げして、一体自分は何をしている。

 楽な道に逃げ、甘い言葉に流されるだけの、なんと愚かな事か。


 これ以上、恥を重ねる愚行だけは――犯せない。


「俺も……行く!」


「シンゴ――!」


 笑みを向けてくるイレナに力強く頷き返し、無言で表情を消すウルトに向かい合う。

 キサラギ・シンゴは死なない。つまりそれは、他人よりもチャンスが多いという事だ。

 力はない。知恵は、下手をすれば並以下。それに加え、不幸に愛されているという最悪体質。それでも、諦めずに何度も挑み続ければ、きっと何か掴めるはずだ。

 そのためなら――、



 ――命など、惜しまない。



「お前さん……っ!」


 意図せずだろうが、年寄り口調に戻ったウルトがシンゴの顔を見て苦渋に顔を歪ませた。

 自分の顔を見る事など不可能なシンゴには知りようもないが、今、キサラギ・シンゴは――笑っていた。


 口の端を歪ませ、瞳の奥に昏い何かを光らせながら――。

 イレナが首を傾げながらシンゴの顔を覗き込むが、そこにはもう先ほどの昏い笑みはない。シンゴもシンゴで、周りの反応に訝しむ。


「むぅ……」


 豊満な胸を支えるように腕を組んだウルトは、眉間にしわを寄せながら目を閉じると、小さく唸った。

 何を考えているのかは分からないが、シンゴとイレナは黙って見守った。

 やがて数十秒ほどの沈黙を経てウルトは、脱力と共に深いため息を吐くと、その口から覇気の抜け落ちた声をこぼした。


「分かったわ……協力してあげる」


「――! ほんとう!?」


「ウルトさん――!」


 ウルトのその一言に、イレナとシンゴの顔に笑みが弾ける。

 しかしウルトの次の言葉に、二人は目を見開き驚愕の声を上げる事となった。


「わたし自身は参戦しないわ」


「ええ――!?」


「なっ……」


 いや、確かに、子供達を危険に晒す訳にはいかないのは分かる。しかし、協力すると申し出ておいて、間をおかずの手のひら返し。ウルトの考えている事が分からず、シンゴ達は首を傾げるしかない。


 そんなシンゴとイレナが抱いた疑念をその表情から察したのか、何やらウルトは拗ねるように唇を尖らせると、シンゴ達から視線を逸らし、


「情報提供と、魔具を貸してあげる、という意味での協力よ。――だから、勘違いしないこと! いいわね!!」


「――――っ」


 淡く頬を染め、ツン――とそっぽを向くウルト。

 まさかのババアのツンデレという衝撃に包まれて、シンゴは思わず口を開け、しばらく絶句して立ち竦む羽目になった。



――――――――――――――――――――



「――おい、いい加減に起きろアホ!」


「おぶ――っ」


 振り下ろされたシンゴの手刀が、立ったまま寝るという器用な真似をしていたいがみの頭頂部に突き刺さる。

 なんとかウルトの協力を取り付ける事に成功したシンゴ達は、次の段階――詳細部分を詰めるための話し合いに移ろうとしていた。


 故に、いい加減に起きてもらわなければ困るという事で、シンゴがいがみを乱暴に叩き起こしたのだ。

 一方、目を覚ましたいがみは涙目で叩かれた頭をさすり、目の前にいるウルトを見て驚愕に目を見開いた。

 そして光の速さで首をシンゴの方にねじると、充血させた目を剥きながら吠えた。


「この美人は一体誰さ相棒!?」


「あ? あ、あー……」


 いがみの反応と、完全に開き直った様子で微笑むウルトを順に見やり、シンゴはその反応も仕方ないか、と頭を掻く。

 とりあえずいがみに事情を説明しようとした時だ。何やら袖を引かれるのを感じ、「ん?」と振り向く。


「ねえ、真面目なお話してたから、あたしも完全に聞くタイミング逃しちゃってたんだけど……この人って、本当にあのウルトさんなの?」


「え゛っ」


 首を傾げ、遅すぎる疑問に眉を寄せるイレナのセリフで、楽しそうにニコニコしている美女の正体に気付いたらしいいがみがフリーズした。

 凍り付くいがみを横目に、シンゴが「そ」と短く答えると、イレナは驚きに丸くした目を興味深そうにウルトへ向ける。

 そして、いがみはというと――、


「この美女があの出涸らしみたいなミイラだなんて……ついていい嘘とそうじゃない嘘があるのが分からないのか相棒――!?」


「失礼ね。わたしは正真正銘、『時読みの魔女』よ」


「嘘だぁ――ッ!!」


 下唇を噛み締め、滂沱の涙を流すいがみは無視し、シンゴはチラリとウルトを見やる。

 もう協力すると公言したためか、ウルトの態度はもう元に戻っている。さらに今は、何やら意味ありげな視線をシンゴとイレナに送ってきている。


「はぁ……」


 ウルトのそのキラキラした瞳を見て、シンゴはなんとなく要求されているのが何なのかを理解した。おそらくウルトは、自分の正体について聞いてほしいのだろう。シンゴも気になっていた事ではあったので、この際に改めて質問する事にした。


「で、実際ウルトさんの本当の姿って、どっちなんすか?」


「あら、知りたい?」


「まあ、一応……」


 口元に手を当て妖艶な笑みを浮かべるウルトを見る。協力してもらった手前、無視して話を先に進めるのは少々気が咎めた。だからシンゴは、話を先に進めたいと逸る気持ちを、心の奥底にそっと押しやろうとした。

 しかし、シンゴのそんな考えもしっかりと見抜いたらしいウルトが、「大丈夫よ」と苦笑する。


「モプラちゃんはおそらく、その身に宿した権威を目的に連れ去られているわ。だから、危害を加えられるという可能性は低いはずよ」


 断言はできないけどね――と補足しつつ、ウルトは組んだ手に顎を乗せると、神妙な面持ちで続ける。


「それに、下手に手を出そうものなら、あの怪物が出てくるかもしれないわ。彼女、自分でも言っていたでしょう? うまく制御できないって。それを向こうが認知しているかまでは分からないけれど、わざわざ危険を冒すような真似はしないはずだわ」


 ウルトのその推察を聞き、気休め程度ではあるが焦燥感が薄まるのを感じ、頬の強張りが和らぐシンゴ。

 そんなシンゴの様子を微笑んで見ていたウルトは、やがて表情を真剣なものに戻すと、


「それよりも今は、少々時間をかけてでもしっかりと準備をしておくのが先決よ。ただでさえ無謀な特攻をしようというのに、作戦も立てないようでは論外だわ。あと、休息を取って万全の態勢にしておくのも必要な事よ」


「……作戦、か」


 ウルトの言葉に、シンゴは顎に手を当てる。

 確かに作戦も無しに突撃するのはあまりにも無謀だ。しかし、そのためにはまず――、


「分かっているわ。情報については、わたしの知っている範囲でちゃんと話してあげるから、今は順を追って事を進めましょう」


 こちらの不安をちゃんと理解し、ウルトが安心させるように優しく微笑みかけてくれる。

 頭が上がらないとは、この事だろう。たとえ戦力としての力を借りられなくとも、こうした形で協力をしてくれるだけで本当にありがたい。


「ありがとな……ウルトさん」


「……別に構わないわ。もう協力すると公言したのだし、するならするでしっかりしなければ、『時読みの魔女』の名折れだもの。……ただ」


「――? なんすか?」


 ジッと見詰められ、シンゴは眉を寄せながらウルトのその意味深な視線の真意を尋ねる。

 しかしウルトはすぐに、「なんでもないわ」と首を振ると、


「話を戻すわね。本当のわたしはどっち、という当初の疑問に対する答えなのだけれど……」


 神妙な面持ちから一転、まるでおもちゃを自慢する子供のような笑みを浮かべたウルトが、おもむろに自分の着ている紫のローブを細い指で摘み上げた。


「これは、『幻惑のローブ』という魔具よ」


「げんわくのろーぶ?」


 明らかに理解できていない様子で首を傾げるイレナに、ウルトは悪戯が成功したような笑みを漏らすと、「ええ、そうよ」と首肯した。


「今は訳あってその効力は失っているけれど、このローブには着た者の姿を自由に“弄れる”力が付与されているの」


「すごい!」


 素直なリアクションをするイレナに、ウルトは気をよくした様子で頬を緩める。

 シンゴも『幻惑のローブ』の効果内容については驚いたが、同時に気付く事もあった。今しがたウルトは、ローブの効果は失われている、と言った。

 という事は、つまり――、


「じゃあ、ウルトさんの本当の姿って……」


「ええ、こっちよ」


 シンゴの言葉をニコリと微笑んで肯定したウルト。

 本来の姿が今の若い方だと判明し、崩れ落ちて絶望していたいがみが復活と同時に歓喜の咆哮を上げる。

 うるさいので、再度その頭部に手刀を叩き込んで黙らせていると――、


「この『幻惑のローブ』を、あなた達に貸してあげるわ」


「え、ほんとう!?」


 ウルトのその申し出に、イレナが前のめりになりながら喜びの声を上げる。

 そう、先ほどウルトが言っていた魔具を貸すというのは、『幻惑のローブ』の事だったのだ。


「この魔具を使えば、不要な戦闘は省略できるはずよ。ただ、テラとシアの二人にはバレる可能性があるという事を肝に銘じておいて」


「え……でも、認識を弄るローブなのよね?」


「ええ、わたしがしていたみたいに姿を別のものに見せる事もできれば、姿を消す事も可能よ。……だけど、そこに存在しているという事実までは誤魔化せないの」


「じゃあ、存在している限りは、あの二人の目は……鋭い五感は欺き切れないってこと?」


「そういう事よ」


 つまり、ウルトが言った通り、『幻惑のローブ』はあくまで不要な接触を避けるための物であり、過信は禁物という事だ。


「向かうべき場所は、『バベルの塔』よ。中の構造や警備状態についてもこれから詳しく説明するわ。ただ、その前に一つだけ。――キサラギ」


「な、なんですか?」


 急に名指しでシンゴを呼んだウルトは、驚くシンゴを見据えながら、まるで子供に注意をするように、腰に手を当てつつ指を立てた。そして「少し話が変わるけど――」と前置きすると、


「自分の素性をおいそれと他人に話すのは、もうやめておきなさい。特に、『大罪』と『半吸血鬼』……この二つについては、絶対に喋ってはダメよ」


「それは……」


「いいかしら? あなたはおそらく、これまでに何度か自分の事を他人に話してきたと見えるわ。それは相手を信用して、“イイ人”だと判断したからなのでしょうけれど、それがもしも“悪い意味でのイイ人”だった場合、どうなっていたか。……ここまで言えば、わたしの言いたい事、分かるわね?」


「…………?」


「はぁ……」


 首を傾げるシンゴを見て、ウルトが頭を抱える。

 いや、シンゴも『怠惰』の権威と『星屑』に通ずる吸血鬼体質の事をぺらぺらと喋る事が危険だというのは理解できる。だが、“悪い意味でのイイ人”とは、一体どういう意味なのかが分からないのだ。


 首をひねるそんなシンゴに助け舟を出したのは、ようやくトリップ状態から帰還したいがみだった。


「ウルトちゃんが言いたいのはつまり、相棒と親交がまだ浅くて、正義感の強い真面目な人がその素性を知ったら、ほぼ確実に騎士団やらに通報するだろうね……という意味さ」


「ああ、そういう……ヤバいなそれ」


 確かに普通の人なら、『罪人』の権威に、『星屑』と同じ吸血鬼――そのどちらか片方でも知り得れば、そういった行動を取ってもなんら不思議ではない。

 もしもの話だが、王都でアネラスが騎士団にシンゴの事を通報していれば、どうなっていただろうか。


 吸血鬼の再生能力を阻害する黄色い炎を操る、シャルナ・バレンシール。カワード・レッジ・ノウを一瞬で殺害してのけた、グリストア・ジャイル。そして、騎士団団長のベッシュ・ウゥユ・ヴジト。もしかしたら、彼らと対峙するという最悪の事態になっていた可能性も、十分に考えられたのだ。


 ――他ならぬシンゴの、浅はかな考えなしの行動の所為で。


「……肝に銘じとくよ、ウルトさん」


「ええ、そうしてちょうだい」


 シンゴの青ざめた顔を見て、自分の迂闊さを理解したと見て取ったウルトが優しく頷く。

 そして表情を引き締めると、シンゴ、イレナ、いがみを順に見やり、一度目を閉じると、空気が引き締まるような不思議な力を持った声で告げた。


「それではこれから、『バベルの塔』攻略作戦の詳細について説明するわ。各自、不明な点があった場合、もしくは有効活用できそうな魔法、特技、作戦があれば、遠慮せず述べる事。――いいわね?」


「おし!」

「わかったわ!」

「いいぜ、ウルトちゃん」


 ウルトの言葉に、シンゴはサムズアップで、イレナは胸の前でぐっと拳を握り、いがみは不敵な笑みを浮かべ、それぞれで了承の意を返す。




 モプラ・テン・ストンプ救出のための、作戦会議が今――始まった。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] ウルトとの話し合いの際、 「その顔、まったく理解できていないという顔だわ。……そうね。どうかしら、わたしが一対一で個人授業してあげてもいいわよ?」 「ぼくが受けましょう」  艶や…
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