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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:10 『平行線上の和解』

 ――バベルの塔。


 シンゴの元いた世界では、誰しもが一度は耳にした事のあるであろう塔の名称だ。

 しかしその認知度に反し、それがどのような塔なのかという質問に対してすらすらと答えが出てくる者はそう多くないだろう。

 無論、言うまでもなく、キサラギ・シンゴもその一人だ。


 モプラ・テン・ストンプは素性の知れぬ怪しい男の言葉に従い、己に宿る忌むべき力をどうにかしてくれるという人物に会う為、無法者が跋扈する『ウォー』に足を踏み入れた。

 しかし待っていたのは、騙された事にも気付かずのこのことやってきた無知な少女に向けた、ノーミ・エコという女の嘲笑だったという。


 そのノーミ・エコという女が居を構える場所であり、モプラが命からがら逃げてきた塔に付けられた名称――それが、バベルの塔だ。

 その名称を聞いたのが、ついさっきの事である。

 何故そのような名前が付けられたのかなど幾つか疑問が浮かぶが、その答えについて考えるだけ時間の無駄であるとシンゴは判断した。


 時読みの魔女による時読みに始まり、モプラの素性、そして『罪人』について――。話は紆余曲折あったものの、大ざっぱに概要をまとめると上記の通りだ。

 そして現在シンゴ達は、所々にヒビの入った石で造られた長い通路を歩いていた。

 ちなみにだが、ウルトの背後、子供達がシンゴ達を覗き込んでいたあの抜け道をくぐった先にあったのが、この通路である。――地下道とでも呼べばいいだろうか。


 そして地下と言えば当然、日の光は入ってこない。なのでこの地下道には、先ほどまでシンゴ達が居た部屋の四隅にあった光源――魔石の一種である『陽石』という光る石が等間隔で備え付けられ、通路を覆う暗闇を優しくも力強い黄色い光で散らしていた。

 ちなみにこの『陽石』とかいう魔石は発光していられる時間に限りがあるらしく、その発光時間は内に蓄えた『フィラ』が切れるまでで、人工的に充電するような事はできず、基本的には使い捨てらしい。


 順に過ぎ去っていくそんな『陽石』をシンゴは興味深げに見送りながら、先ほどウルトに言われた事を思い返す。


『まぁ、考える時間も必要じゃな。いっぺんにどうこうしようと頭をひねったところで、優れた案なぞ出やせん。ゆっくり時間を置き、ちゃんと整理してから、ひとつずつまとめていくのがいいじゃろう。まず、何について考えればよいのか、次にどう動けばよいのか、そして何より――どうしたいのかを、の』


 ――という訳で、しばらくは体と頭を休めるという名目で、シンゴ達は男女で二つ、空いている部屋を使わせて貰える運びになった。


 確かにシンゴとイレナは、シンゴの所為というのもあるが、『ウォー』まではあと少しで到着するからという理由で、休憩を挟まず残った旅程を消化している。

 それに加えて『ウォー』に入ってすぐ、これまたシンゴが原因でイレナを巻き込む形で迷子になり、さらにそこにテラとシアの双子による襲撃が重なり、正直言ってくたくたなのである。


 故にウルトの申し出を断る理由もなく、シンゴ達は二つ返事で厚意に甘える事にした。

 そういえばもう一つ、シンゴは己の旅の目的をその場で捏迷歪ねつまいいがみと、モプラ・テン・ストンプ、そしてウルトに話した。その上でウルトにイチゴについて何か知らないかと尋ねたのだが、結果はやはりというか、分からないと首を横に振られた。


 その後ウルトが見せた何かを思案するような様子が、今も印象に残っている。

 しかしその思案の真意を教えてもらえるでもなく、シンゴ達は案内人に連れられてあの部屋を後にした。

 そこまでざっと思い返したシンゴは意識を現在へと戻すと、バンダナとフードを被り直したモプラにちらちらと視線をやっているその案内人を見やり、


「そんなに気になんなら声かけてこいよ、マルス」


「――――ッ!」


 シンゴが呆れるような苦笑と共に発したからかい文句に、案内人――マルスが首を全力で横に振って否定の意を表する。

 そんな少年の初心な反応に微笑ましいものを感じていると、激しく首を横に振った勢いでマルスの胸元から飛び出した首飾りに目がいった。


 細い銀のチェーンに繋がれるのは、二本の棒が交差する神聖な形――つまり、十字架だ。

 十字架はまるでアメジストを加工して作られたかのようで、『陽石』の光を反射する紫の光沢は見る者の心に言い知れぬ美の感動を与える。


「――マルスくん。その胸のやつは何かな? いくらしたのか、ぼくにも教えてほしいな」


 下心を隠す気など微塵もない声が、シンゴの肩越しに発せられる。

 それが一体誰のセリフなのか、そんな事は当人の顔を見るまでもなく声で分かるし、なんなら字に書き起こしても分かる自信がシンゴにはある。

 シンゴは半眼をすぐ近く、シンゴの肩に顎を乗せるように後ろから顔を出している歪に向けて、


「お前なあ……」


「いやいやいや、我が友人も気になるかなと思ってさ。ぼくなりの気遣いだよ」


「んな気遣いなんかいらねえし、さらっと俺を巻き込むな」


 バレたか――と舌を出す歪。自分で可愛いと思ってやっているなら救えないし、隠す気があったのかも疑わしい。精神科、もしくは脳神経外科を奨める。

 そんなシンゴの呆れた目にウインクで返した歪は、シンゴから視線をマルスの胸元にある十字架に戻す。


「それで、おいくらかな?」


「……知らない。これはウルト姉ちゃんがくれたものだから、お金になんて変えられない」


 歪の下卑た視線から隠すように身をよじったマルスがそう告げる。

 残念――と、相変わらず何を考えているか読めないというか、いっそ悪人面だと言われても文句の言えない笑みを湛えて引き下がった歪は、今度はモプラをターゲットにしたらしく、シンゴから離れていく。

 シンゴはそんな捏迷歪の背中を見送りながら、短く嘆息する。


「この短い付き合いでも、あいつの事がよく分かってきたわ。つっても、分からん部分もそれ以上だけどな。――にしても」


 シンゴは、モプラの肩に後ろからぽんと手を置き、驚いて振り向いたモプラの頬に指を当てて喜んでいる歪から視線を外し、何やらジッとその様子を振り返って見ているマルス――そんな彼が服の中に仕舞ってしまった十字架、それがある位置におよそで視線を走らせる。


 ――十字架。この世界でキリスト信仰みたいなものがあるのかは定かではないし、そもそも頭の足らないシンゴの知った事ではない。だが、こうして元の世界ゆかりの物を見ると、自然と考察もしてみたくなる。――が、前述した通り、やはりシンゴの脳ではこれっぽっちも理解できなかった。シンゴは生憎、歴史は弱い方なのである。


「ま、他も大差なかったけどな。へへ――」


「…………」


 自嘲するように影を落とした笑みを漏らすシンゴから、マルスがそっと距離を取る。

 軽く泣きそうになるシンゴだったが、しかしそれがただの杞憂だったのだとマルスの向かった先にあったものを見て悟る。

 マルスは地下道の真ん中から端に逸れ、一つの石造り扉の前に立った。そしてその扉を無表情で指差すと、


「ここと――」


 次に十メートルそこら離れた所にある扉にも指を向け、


「あそこ」


 言葉少なだが、つまりは目の前のこの部屋と、あちらの部屋がシンゴ達に割り当てられた部屋なのだろう。


「どれどれ――?」


 言うが早いか、歪が早速扉を開いて中に入る。

 そんな歪に続きシンゴ、イレナ、モプラの順に部屋へ入る。


 部屋の中は奥に広がるように長方形になっており、広さも男女それぞれで二人が生活する分なら不便のないレベルだ。

 四方を囲む壁や天井、床の材質は当然の如く石で出来ており、さらにここも所々ヒビが入っているので、崩れ落ちてこないか物凄く不安になる。


 見れば、部屋の中央には申し訳程度に布切れが二枚敷いてあり、おそらくあの上に横になって休めというウルトのありがたい配慮に違いない。おそらく隣の部屋も似たような感じだろう。


 そんなあったまる配慮に対し立場上とやかくは言えないが、ゆとり育ちのシンゴとしてはちょっと思うところがある。しかしそれも、野宿に比べれば幾分かマシに見えてしまうのがまた複雑な心情である。


「……なんつうかまあ、想像通りって感じだな」


 床に敷かれた布以外に物と呼べるものは、壁で煌々と光を放つ『陽石』以外に見付からず、シンゴはこの部屋に対して渋い顔でそう評価を下す。

 おそらく床に敷かれたあの布は、星読みでシンゴ達がここに来る事を知り得ていたが故に、ウルトが前もって子供達にでも用意させたのだろう。


 そして同時に思い至る一つの可能性。ウルトにも確認したが、時読みで見たというここに来る面子の中に、シンゴはいた。なら、必ずしもシンゴの未来を読む事ができない訳ではない。ただ、シンゴの未来を直接読むのが無理なだけで、頑張れば他にも未来を知る事は可能なのかもしれない。


 しかしウルトはこうも言った。時読みで見る未来を選ぶ事はできないと。見れるのはどうやら、一番間近に迫っている『大きな事』らしい。イレナや歪の運命的な出会いや、モプラの選択。確かにどれも、その者の今後の人生に大きな影響をもたらす可能性を大いに秘めたものばかりだ。


 つまりシンゴが密かに考えていた、イレナの未来にイチゴの姿を見るという方法は難しいかもしない。回数制限には触れなかったが、結果は同じだろう。

 この世界のシンゴに対する辛辣さは、どうやらシンゴ自身が想像しているよりも強くて大きいのかもしれない。


「…………」


 シンゴは思わずため息が漏れそうになるのを我慢し、イレナに向けて顔は動かさずに目線だけを向ける。

 この部屋に来るまでにイレナのシンゴに対しての反応は普段通りだ。だが、やはりどこか固さのようなものが見え隠れしていた。その僅かな違和感に気付けたのは、この中でイレナと最も付き合いが長く、そしてその固さを唯一向けられているシンゴだけだった。


「……よし」


 シンゴは一人何かを決意するようにそう呟くと、一度部屋から退出する他の面々に続いた。

 最後にシンゴが部屋から出ると、石で出来た扉が重々しい音を響かせて閉じられる。マルスでも動かせる事と、この扉に使われている石だけ色が違う点から、どうやら軽い石を加工して作ったものらしい。

 そしてそのマルスがシンゴ達に告げる。


「ぼくは、もう一つ奥の部屋にいますから……」


「了解さん」


 シンゴの返答を受け、マルスは最後にチラリとモプラを見てから隣の部屋、さらにその奥にあるらしい部屋に向けて歩いて行った。

 その背を見送りながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべる歪が「青春だねぇ」と呟く。シンゴもその意見には大いに賛同だが、今は他に優先される事案があった。

 シンゴは「ふう」と息を吐くと、


「さて、これからの事だけど……とりあえずは各自休憩だな。ある程度時間が経ったら俺らの方から女子の方に行くし、それまではくつろぐ感じで。時間はそうだな……大体一時間くらいかな?」


「その後はどうするんだい?」


「んーと、とりあえずは話し合い、かな。これからどう動くかとかについてだけど……たぶん、アリス達との合流が最優先事項になるかもな」


「アリス? それって誰だよ、ともくん」


「誰だよ、友くん……。つか今更だけど、レパートリー豊富な、お前……」


 照れる歪を面倒くさげに見やりながら、そういえばアリス達の事については話していなかったっけ、と遅過ぎる気付きを得る。

 確か、仲間と旅をしているとは先ほどウルトの前で述べたが、そのメンバーについては触れていなかった。


「アリスは俺とイレナの連れだ。今はちょっと、まい……訳あって、はぐれちまってんだよ。その事についても後で話すさ。――それと、イレナ」


「……なに?」


 そう言ってシンゴがイレナに向き直ると、二人の間に僅かに沈黙が流れる。

 イレナの表情は普段通りにこやかなのだが、シンゴが声をかけた一瞬だけが頬が強張ったのをシンゴは見逃さない。


 歪とモプラも空気を読んでか、口を挟まないでいてくれている。

 二人の気遣いには嬉しいが、あまりこのような状況を他人に見られているというのは、なかなか気分のいいものではない。

 だがら――、


「ちょっと残ってくれ。――話がある」


「……うん、分かったわ」


 その表情を真剣なものにしたイレナが頷くのにシンゴも首肯で応じ、その様子をニヤニヤと見守る歪と、基本的に言葉少ななモプラには先に部屋に行ってもらう事にする。

 そういえば、先ほど歪のちょっかいに驚声を上げた以外、モプラがここに来るまで一言も言葉を発していない事にシンゴは気付く。


 チラリとモプラを窺い見てみるが、その顔は今は再びフードに覆われてしまっており、さらに俯いてしまっているためにどのような顔をしているのか判然としない。

 気になるところではあったが、今は目先の問題が先だ。


「つーわけで、俺とイレナはちょっと話がある。だから、二人は先に部屋に行っててくれ」


「おっと、仲間外れはひど――」


「いいから行けっつの!」


 近付いてくる歪の肩を両手で捕まえると、その場で無理やり反転させる。「あら?」と零す歪の尻を蹴って部屋の中に放り込むと、さっさと扉を閉める。中から「相棒ぉぉぉ!!!!」と悲痛な叫び声が聞こえるが、スルー。

 やがてすすり泣くような音が聞こえてきたのを確認し、押さえつけていた扉から身を離す。


「――ったく。さ、モプラも……って、あら?」


「モプラなら先に部屋に行っちゃったわよ」


「そ、そうか……」


 イレナからそう教えられ、シンゴは軽くどもる。と、同時にモプラの様子にも意識を回す。話し合いが終わった後にでも、さりげなくお悩み相談をした方がいいかもしれない。

 モプラに関してはそう結論付け、シンゴは改めてこちらを黙って見詰めているイレナに向き直る。


「……向こう、行くか」


「うん」


 顎をしゃくったシンゴが示した方向、逆走する形で来た道を二人で並んで歩き始める。そうすると、やがて通路が左に折れている箇所を見付ける。来る際に見付けておいた所だ。

 その角を折れると、通路は更に奥へと続いている。一体この地下道はどれほどの広さがあるのだろうという疑問と共に好奇心が僅かに湧いてくるが、今はここでいいだろうと判断し、シンゴは曲がり角から数メートルの位置で足を止める。


 曲がり角からはシンゴが先導する形で歩いていた為、自然と後ろの足音も止まる。

 シンゴは何を話すかべきか急いで整理しようと試みるが、やはりシンゴに出来る事など一つしかないという結論に至る。つまり――、


「イレナ」


「――――」


 特に何も反応が返ってこないので、シンゴは決心して振り向く。と同時に、その場に素早く膝を着いた。そしてそのまま冷たい地面に勢いよく額を擦り付けると――、


「ごめん!」


「――――!」


 突然のシンゴの行動にイレナは目を白黒させている――のかもしれない。

 当然の如く、顔を伏せているシンゴにイレナの今の表情を知る事など出来るはずもなく、イレナが何か言う前に、シンゴはまくし立てるように言葉を紡いだ。


「俺さ、口下手だからさ……あんま上手い事は言えない。だから俺は……俺が思ってる事を正直に言う!」


 手が、指が、掻き毟るように冷たい床を掴む。


「俺……俺は、このままずっとぎくしゃくしてんのは……嫌だ」


「――――っ」


 頭上から息を呑むような気配が伝わってくる。

 ここで顔を上げるべきか? いや、まだだ。

 シンゴは上がりそうになる頭を意識して押さえ付け、さらに続ける。


「だから、お互い思ってる事、考えてる事をちゃんと話し合って、丁度いい落としどころを見つけて、それでちゃんと……和解したい!」


「シンゴ……」


 ――この、タイミングだ。


「でも――」


 シンゴはようやくその顔を上げると、眉を下げて自分を見下ろす碧眼を見据えた。

 おそらくこれは言ってはならないのだろう。言わないのが普通なのだろう。だが、それでも、シンゴははっきりしておかなければいけないと思う。だから――、


「やっぱり……俺は狂ってなんかいない」


「――――ッ!」


 イレナがハッと息を呑んで目を見開き、次いで悲しげに瞳が揺らぐのを見て、シンゴは胸の奥を掻き毟りたい衝動に見舞われる。だが、それでも、続けなければならない。これは後回しにしてはならない問題なのだ。


「お前や、ウルトさんや、歪……モプラは目ぇ閉じてたからか何も言ってこなかったけど、みんな俺が狂ってるっていう認識を共有してるのは理解してる。でも……やっぱり俺は狂ってなんかいない!」


 必死に思っている事を言葉にする。そろそろ自分でも何を言っているのかが分からなくなってきている。喉が、不安か、それとも恐怖か、言葉にし難い感情で塞がりそうになる。

 でも、まだ足りない。まだ、ちゃんと全部吐き出していない。

 シンゴは視線を落とすと、震える喉を意識して押し開くように言葉を吐き出す。


「俺はおかしくなんかねえ……かといって、お前らがおかしいなんて思うのはもっと嫌だ! だから……だから!」


「そう……よね。そうだよね……あたし、馬鹿みたい」


「……いれ、な?」


 不意にそう呟いたイレナをシンゴは不審げに、そしてどこか不安げに見上げる。

 そんなシンゴの目の前でイレナは、ほう――と瞑目して吐息。そして次に開かれた碧眼に宿っていたのは、悲哀でも、怒りでも、落胆でもなく、ただただ慈愛に満ちた、優しくて暖かい色だった。


 呆然とそんなイレナを見上げるシンゴを見下ろしたまま、イレナは突然「ぷっ」と吹き出す。

 ますます困惑の度合いが強くなるシンゴに、イレナは込み上げてくる笑いを呑み込んで言った。


「シンゴのそれを見てたら、初めて会った時の事を思い出しちゃったのよ」


「え、ああ……確か、見習騎士とかいうチンピラに追いかけられて……俺がグラウンド・オブ・ヘッドバットで……」


「そう、それ。もう、ほんとおかしかったんだから。だって、ただの土下座なんだもん。今とやってる事一緒よ。――ふふ」


「あ、まあ……そう、なるな」


 笑うイレナを見て、その反応が予想していたどれとも違って、シンゴは目を白黒させたまま二の句が継げない。

 そんなシンゴの困惑の眼差しを浴びるイレナはその視線に気付き、恥ずかしげに頬を赤く染めて「えっと……」と頬を掻くと、


「あたしも――ごめん!」


「――は?」


 勢いよく頭を下げられ、目の前を二つのツインテールが通過するのを見届けたシンゴの口から出たのは、ただ一文字だけだった。

 呆気に取られるシンゴの目の前を再びツインテールが上っていく。それを目で追っていると、顔を上げた少女と視線がぶつかった。


 どこか気恥ずかしさを含んではいるが、やはりイレナ・バレンシールの瞳にはただ慈愛の色が浮かんでいて――つい、見惚れてしまう。


「――――?」


 だが、ふとここでシンゴは何か違和感に気付いた。

 イレナの目に浮かぶのは、ひとえに慈愛――慈しむようなそれだ。しかし、シンゴにはそれがどこかシンゴを憐れんでいるようにも見えてしまったのだ。

 まるで、弱くて無力で無防備な赤ん坊を見るような目。包み込んで、守ってあげようという聖母のような優しさ。


 ――それを実感した瞬間、シンゴは背筋がすうっと冷え込んでいくのを感じた。


 何故かは分からない。そもそも、何故そのような感情を向けられるのかも分からなかった。

 しかし、次にイレナの発した言葉で、シンゴは理解する。


「一人で背負えない荷物は、あたしにも背負わせて。――ううん。アリスにも、カズにも、それこそあの歪にだってよ。あなたの傍には、あたし達が……仲間がいるって事を忘れないで。――別にいいのよ。重たいって感じたら、ちょっと持ってほしいって言えば。それを拒絶するような人なんて、シンゴの近くには一人もいないんだから」


「――――ッ」


 ――ああ、どうしようもなく理解してしまった。


 シンゴはどこか諦念にも似た感慨を胸に、優しく微笑むイレナを見上げたまま、未だ消える事のない悪寒に身を震わせて口を開く。


「そうか……そうだよな。俺、何を勘違いしてたのか……」


 ――勘違いなんかしていない。


「よく重たい荷物とか、前田に全部押し付けてたもんな、俺。全部って訳にはいかねえけど、それと同じって事か……」


 ――そもそも、重いものなど持っていない。気持ち悪いほどに、体も心も軽い。強いて言えば、今この瞬間が重い。


「――! シンゴ……!」


 立ち上がるシンゴを見て、イレナが嬉しそうに笑みを深める。シンゴはそんな彼女の笑みに苦笑で応じて、片方の眉を上げると、


「これからは、お前らを……仲間を頼りにさせてもらう。ありがとな、ようやく気付けた。でも、気付かせたお前は覚悟しろよ? 全部ぶん投げてやるから」


「そ、それはちょっと勘弁かも……」


 サムズアップするシンゴに、イレナも苦笑いで応じる。

 二人はしばし見つめ合うと、やがて頬に朱を差したイレナがシンゴに背を向け、


「さ、さて! じゃあ、さっさと戻って一休みしましょうか! もうあたし、色んな意味でくたくたよー」


「ああ……俺もだ」


 イレナは肩越しに背後のシンゴを見やると、まるで喉に引っかかっていた魚の小骨でも取れたような、晴れ晴れとした彼女らしい太陽のような笑みを弾けさせ――、


「行こ!」


「――だな」


 シンゴが苦笑しながら頷くのを見て、イレナは鼻歌交じりでスキップしながら、割り当てられた部屋へと続く道を進み始める。そんな彼女の背中を追いかけながら、シンゴの心は途方もない諦めの感情に支配されていた。


 これからの行動で示すとは決意した。だが、ここまで双方の認識が決定的に噛み合っていないとは思ってもみなかった。こんな状態で、そのまま進んで、互いが互いを理解できる日などやって来るのだろうか。


 分からない。どうしてこんな事になってしまったのかが、本当に分からなかった――。

 無理やり分かってもらおうと声を荒げても、泣いて縋っても、きっとイレナの認識は変わらないのだろう。

 そう思えるほどに今のやり取りで、イレナの瞳に映るキサラギ・シンゴは本当に狂ってしまっているのだと、そう思い知らされた。


 覆せるのだろうか。アリスとカズにもちゃんと相談して、二人の助力を得れば、この奇怪に捻じれた認識の齟齬を正す事はできるだろうか。

 だが、もしあの二人もシンゴが狂っているとでも言い始めたら、それはもうある可能性を考慮しなければならない。


 ――つまり、第三者から何らかの干渉を受けているかもしれないという可能性を、だ。


 もしそうなれば、シンゴはたった一人でその原因に立ち向かわなければならない。

 誰一人としてシンゴのそんな案は信じてくれないはずだ。だから、一人で警戒し、一人で考え、一人で探し、一人で戦い、一人で解決しなければならない。

 できるだろうか? いや、やらなければならない。でなければ、僅かな亀裂はやがて大きなひずみを生み、決定的な崩壊を招く。


 それはなんとしてでも避けなければならない。

 幸いというべきか、イレナのシンゴに対する評価はある程度は改善された様子だ。未だ双方の認識のズレはあるが、シンゴがそのズレから目を逸らせばこれ以上の亀裂の拡大はなんとか食い止められるはずだ。


 一人でやると言っても、所詮シンゴは一人では何もできないのだ。だから、イレナ一人でも一方通行ながら和解できた事は、シンゴにとってプラスに働く――


「――――ぃッ!?」


「――!? どうしたの!」


 イレナが振り向くとそこには、今しがた曲がってきた通路の角を鬼気迫る表情で凝視するシンゴの姿があった。

 そのただならぬ様子にイレナも何かを感じ取り、慌てて駆け寄ろうとした時だった。不意にシンゴが「なんだよ……」と胸を撫で下ろし、体の強張りを解いた。


「……シンゴ?」


「あ、ああ……驚かせてわりぃ。ちょっと物音が聞こえてびっくりしたんだけど、よく見たら壁の石の欠片が落っこちた音だった。……つか、まじでここ崩れ落ちねえよな?」


「はぁ……驚かせないでよ、もう」


 シンゴが申し訳なさそうに頭を掻いて指差す先に、壁から取れた石片が転がっている。

 それを見たイレナが安堵にほっと息を吐くが、次第にここにいる事への恐怖心が煽られたらしく、自分の体を抱くように身を震わせて周りの壁に走る亀裂に視線を走らせながら、


「は、早いとこ行こ?」


「……だな」


 改めて歩みを再開しながら、シンゴの意識は全て背後へと向けられていた。

 暴れまくる心臓と荒くなる呼吸を必死に落ち着かせながら、シンゴはチラリと紅く染めた右目を背後に向ける。しかしそこには先ほど見た『影』の姿はもうないし、気配もなかった。

 その事実に、イレナには聞こえないほどの大きさで安堵の吐息を漏らし、シンゴは右目を元に戻す。


 そしてシンゴは――、


「――え!? ちょ、え!?」


「…………」


 イレナの隣に並び、その手を無言で掴んだ。

 突然のシンゴの行動に慌てまくるイレナだったが、シンゴが一向にその手を放そうとしない事から、顔を真っ赤に染めて俯いて沈黙。

 しかしシンゴはそんなイレナの反応になど気付いた様子もなく、思考も別のところにあった。


 その思考が行きつく先は、もしあの『影』がシンゴ以外にも牙を剥くなら、身を挺してでもイレナを守らなけばという義務感だ。

 もしかしたらあの『影』も、シンゴに宿る権威とやらの影響かもしれない。それならシンゴにしか見えない理由も頷けるし、証明のしようがないから先ほどウルト達に打ち明けなくて正解だったと思う。

 だって――、



 ――他人の見えないものが見えるなど、それこそ本当に狂人だと疑われてもしょうがないのだから。



 決定的なズレを生んでいるひずみが己自身だと気付かないまま、キサラギ・シンゴは背後に細心の注意を払ってイレナの手を引く。そして寿命で輝きの死んだ『陽石』の下にゆっくりと踏み込み、徐々にその全身を影で暗く、昏く染めていくのだった――。


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