第3章:9 『バベルの塔』
「――モプラ・テン・ストンプ。お前さんは、『罪人』で確定じゃな」
モプラ・テン・ストンプが権威を消すという目的を胸に旅立ち、その旅がどういう経緯を辿り、現在に至ったのかについて質問をしようとしたシンゴの機先を制し、断言するようにそう言い切ったのは、紫のローブで全身を覆った老婆、時読みの魔女――ウルトだ。
自然、『色欲』の権威の発動を防ぐ為に目を閉じ、今の言葉でハッと息を呑むモプラ以外の視線がウルトに集まる。
ウルトはそれら複数の視線を全て落ち着き払った様子で受け止めると、やせ細り、生気の感じられない細い腕を顔の前で組み、
「わしも『罪人』を見るのは始めてじゃ。よもや、このような無垢な女子だとは夢にも思わなんだがのぉ」
じろじろと、興味深げにモプラをウルトが眺め回しているのが、目元をフードに覆われているにも関わらず伝わってくる。それでちゃんと見えているか分からないが、この世界にはシンゴの想像も及ばない事象が山のようにある。故に、シンゴは受け流せる事はなるべく受け流す事にする。
一方無遠慮な視線にさらされるモプラは、その視線を敏感に察知したらしく、頭部の兎耳を丸めながら肩を跳ねさせている。
「あー、ウルトさん。その『罪人』ってのに、詳しい感じで?」
震えて小さくなるモプラが見ていられず、シンゴが助け舟のつもり半分と、純粋に気になったというのが半分で構成された質問をウルトに投げかけた。
「なんじゃ、キサラギ。お前さん、『罪人』を知らんのか?」
「いや、知らんって訳じゃねえけど……そんなには知らんです」
シンゴの肯定とも否定とも取れない、その中間の回答に、ウルトは顎に手を当てて「ふむ」と頷くと、
「まあ、それも無理ないか。奴らについて出回っとる情報は『星屑』よりも少ない。そもそもな話、絶対数が少ないんじゃとわしは考えておる。現時点で分かっておる事の内の、『罪人』は『星屑』よりも強大で危険じゃという部分からも察せられる通り、強者が弱者よりも少ないという点に関しては、自然の摂理に則っておるとも言える」
「ぼくたち人間は、その法則には当てはまらないけどね」
そう揚げ足を取るような発言をするのは、キザったらしくポケットに両の手を突っ込んで微笑を浮かべる、捏迷歪だ。
ウルトはそんな歪の発言に「人間は例外じゃわい」と吐き捨てるように零し、
「嬢ちゃん――モプラちゃんの、その手の甲の痣。ローマ数字の『Ⅲ』じゃな。そして額の方は『Ⅹ』と。額に痣があるというのは聞いておらんが、右手の痣は『罪人』の証じゃ。それにその不可思議な目の力というのも、おそらく『罪人』縁のものじゃろうて」
「……やはり、そうなんですね。わたしは『罪人』……なんですね」
耳をしおれさせながら俯き、徐々に声を小さくさせていくモプラ。そんなモプラの肩にそっと手を置いて優しい微笑を向けるのは、イレナ・バレンシールだ。
「大丈夫よ、モプラ。あなたは望んで『罪人』になった訳じゃないのよね? だったら、少なくともあたし達は、あなたの理解者よ」
「イレナ……さん」
「ほら、女の子が泣いてちゃ、男の子に笑われちゃうわよ?」
「それ、普通男女が逆の考え方だよな……?」
ボソっと呟くシンゴに、イレナが振り返る。しかし、いつもならすぐさま飛んでくる明るく元気な声による反論が、なかなか飛んでこない。どころか、イレナは難しそうな顔で口を開こうと苦心し、最終的には閉口してしまう。
「…………」
そんな彼女の様子に、シンゴは無言で頭を掻く。非常にやりづらい。
そのやりづらい原因となっているのが、つい先ほどシンゴに掛けられた『狂人疑惑』である。
吸血鬼体質による弊害とでも言うべきか、シンゴは常人よりも多く、壮絶と言って過言ではない『痛み』を経験してきた。実際、死ぬような怪我も負った。首が胴から離れた経験を覚えている人間など、シンゴ以外にはいないだろう。いや、もしかしたらこの世界には経験者がいるかもしれないが、人間に限定すればいないに等しいはずだ。
そも、シンゴ自身も、純粋な人間だと断定するのも難しい体である。
短期間に、それも濃密なストレスが心にかかれば、人の体は自らを守る為に様々な現象を引き起こす。
たとえば記憶喪失。これは、心を守る為に辛い記憶を封じる事で生じるものだ。
だが、心が押し潰された場合、人はどうなるのか? 答えは簡単だ。個人差あれど、皆、どこか心に不調をきたすのだ。正常に機能しなくなるのだ。つまり――狂うのだ。
そうなった者を、人は――狂人と呼ぶ。
これ以上思案したところで、イレナとのぎくしゃくを改善する名案は、たった一つ――人によっては、それは逃げだと揶揄されてもおかしくない、ただ問題を有耶無耶にするだけの案を除いて他は浮かばない。
その案というのは単純明快。シンゴから謝罪し、イレナに対しオープンになる事である。
謝罪すると言っても、シンゴには謝るような事をした覚えはない。それでも、こういう場面ではまず、自分の非を認めなければ進展がないのもまた事実。
しかしそれは、結局のところ問題から目を背けているに過ぎない。ただし、この場合のシンゴにはそれが適用されるか怪しいところである。何故かと問われれば、まず逸らすべき問題自体が見当たらないからだとシンゴは答える。
だがそれでも、シンゴだってイレナとこのままの関係が続くのは嫌だ。だからここは、男であるシンゴが先に行動を起こすのが当然であり、そしてこの軋轢の原因を生んだ事への責任だ。
狂っている、狂っていない、という主張の食い違いはあるが、それでも互いに歩み寄ってはいけない理由にはならないはずだ。
まだ知り合って間もないが、濃密な時間を共に過ごしたのもまた事実なのだ。だから、シンゴがそうやって歩み寄れば、イレナの事だ。きっといつもの関係に戻れるはずである。
認識の食い違いは、その後に時間をかけてゆっくりと証明していけばいい。シンゴがどこも狂っていないという証明を。
「――ああ、そうだ」
後でイレナとちゃんと話をしようと決め、今は目の前の事案に視線を戻す。
そしてその視線をウルトに向けると、
「参考になるか分からないっすけど、俺とイレナは王都で『罪人』らしき男と会ってんですよ」
「なんじゃと?」
ウルトが反応するのを見て、続きを述べようとしたシンゴを遮るように、イレナが「ねえ」と声を上げる。
眉をひそめるイレナはしばし躊躇するような態度を覗かせるが、それもすぐにツインテールを振り子のように揺らしながら否定。己の懸念を口にする。
「あたしの記憶が正しかったらなんだけど、カワードの件って、内密にって言われてなかったっけ?」
イレナのその確認するような問いかけに、シンゴは口を開けて「あ」と、遅すぎる気付きを得る。
言われてみれば、確かにサラスとベッシュからそう念を押された事があるような記憶にぶち当たる。しかしすぐさまシンゴはハッとなり、
「つーかイレナ。お前もカワードって……」
「あ」
この場にアリス、もしくはカズがいてくれていれば、事前に釘を差す事もできただろうし、さらに暴走する二人の口を強引に塞ぐ事もできたはずだ。
しかし、この場には頭のチャックが緩いシンゴと、頭と口のチャックがほどよく緩くマイナスな相乗効果を生み出してしまっているイレナしかおらず、その口を塞ぐ必要がある事情を知る二人はこの場にはいない。さすれば、こうなるのも当然と言えようか。
「ま、まあ、ここまで言っちまったら大差ないよな!」
「そ、そうね! 今更よね!」
今はぎくしゃくしている余裕のない二人は、互いに笑って誤魔化すという連携をアイコンタクトのみで成して見せた。
腕を組んでうんうん頷くシンゴに、ぐっと両拳を握り締め、今の発言を強引に正当化しようと試みるイレナ。
確かに、これだけ口を滑らせておいて本当に今更である。幸いというべきか、ウルトは口が固そうであるのが唯一の救いだった。
問題は――、
「おいおい、『こいつの口って、絶対にチャック付いてないよな?』みたいな顔でぼくを見ないでくれよ。その点は安心してくれていい。こう見えてもぼく、口が固いので有名なんだぜ?」
「こう見えてもって、そうにしか見えねえし聞こえねえよ、今までのお前を顧みてみると」
「ははは! 信じてほしいなぁ。ぼく達、永遠を誓い合った親友同士じゃないか」
「その誤解を生む言い方やめろ!?」
唯一の不安要素である捏迷歪は、相変わらずへらへらと掴みどころのない笑みを浮かべ、何を考えているのかさっぱり読めない。
口が固いと本人は言い張っているが、彼の今までの言動と行動、そして性格を考えると、正直怪し過ぎるという評価を下さざるを得ない。
「――つっても、それこそ今更か」
王都に『罪人』がいて、その名がカワードだというところまで馬鹿二人が口を滑らせてしまっており、黙秘すべき部分は既に漏洩済み。
シンゴは「しゃあねぇ」と呟くと、強く深めに息を吐き、半ばやけくそという王都の大臣達が知ったら顔面真っ青になって卒倒必死の気構えで、王都『トランセル』最高機密を暴露しにかかった。
「カワード・レッジ・ノウ。新しく王都『トランセル』の王女になった、ユピア・レッジ・ノウのいとこだ。詳細は省くけど、なんやかんやあって、俺とイレナはそいつと対峙したんだよ。その時になんだけど、カワードの右手の甲にローマ数字の『Ⅶ』が刻まれてるのを見た」
「――なんと」
ウルトが心底驚いているのが、唯一見えるしわくちゃの口元からでも伝わってくる。
他人が自分の語った事実に驚きを顕にするというのは、語った当人に優越感という名の高揚をもたらす。そしてそれはシンゴも例に漏れず、鼻の穴が少しばかり膨らむ。
そんなシンゴを余所に、イレナも機密情報暴露に加わる。
「あと、自分の事を『激情』とか言ってわね」
シンゴの語った情報の不足を補うように、そう補足した。――というより、してしまった。
その『してしまった』という自覚が当人にないのが悲しいところである。
一方、知らずして王都の内部事情を聞いてしまったウルトはというと、
「『激情』……とな?」
「ああ、なんか単語の雰囲気とかもモプラの『色欲』と似てるし、今にして思えばそれってつまり、カワード自身の権威の名前みたいなもんだったんじゃねえのかなって、俺は思うんだよ」
シンゴがそう自分の推測を述べると、ウルトは顎を触りながら首をひねり、
「うむ……『色欲』に『激情』か」
そう呟くと、一人思案に没頭し始めるウルト。そんな老婆から視線を外し、シンゴは己の手袋に覆われた右手に視線を落とす。
ここまで話してしまえば、シンゴ自身の事もウルト、そして不安は非常に残るが歪にも暴露してしまってよいのでは、という考えが脳裏をよぎる。
二人共、知り合って間もない――どころの話ではなく、歪は数時間前、ウルトに至ってはついさっき知り合ったばかりだ。
だが、歪は自ら負傷してまでシンゴ達の逃走に協力してくれた。ウルトは見た目も相まって怪しさのメーターが振り切っているが、子供達を保護して育てているというところから、信用に値する人物であると判断できる。それに、ウルトならもしかして――と、曖昧な期待を抱いてしまう。
話す事で、何か分かるかもしれない。そうでなくとも、何か助言をしてくれるかもしれないとシンゴは考えたのだ。何より、ほぼ『罪人』だと確定しているモプラの存在を受け入れている様子の二人だ。シンゴの事もきっと受け入れてくれるに違いない。
そこまで考えたところで、何とも傲慢だなと自嘲するが、それでも今は情報が欲しい。
シンゴは自分の事についても話す事にした。だから、まずは右手の痣を見て貰おうと、手袋を脱ぎ――、
「――――は?」
――そう呆然とした声を零し、固まった。
「――む? どうしたんじゃ?」
「……シンゴ?」
ウルトとイレナの声に、しかしシンゴは目を見開いたまま固まってしまい、返答を返す事ができない。
そんなシンゴの様子を不審げに眺める面々の視線は、自然とシンゴの大きく開かれた目が向けられている部位に移動する。
――途端、全員が息を呑んだ。
「お、お前さん……それは、まさか」
「シンゴ……それ」
「わぉ」
「え? ど、どうしたんですか……?」
ウルトは動揺を顕に立ち上がり、イレナはハッと目を見張り、歪は目を丸くし、目を閉じているモプラは場の雰囲気の変化に戸惑いを顕にあたふたする。
そんな各々が抱いた動揺の中心にいるシンゴの胸中を簡単に言い表すならば、鞄を開けてみたら中身は全く見知らぬ他人の物だった、が一番近いだろう。
何故なら――、
「痣が……変わってる」
キサラギ・シンゴの右手の甲には、今まで見た事のない痣――ローマ数字で『ⅧⅤ』と新しく刻まれていた。
「どう、いう……」
戦慄し、ただ呆然とするしかないシンゴに、立ち上がったウルトが近づいて来る。そして、ウルトはシンゴの右手を見下ろすと、
「お前さんも……『罪人』じゃったのか」
「ち、ちが――」
違う――と、咄嗟に否定しかけるが、その言葉は寸でのところで詰まってしまう。
何故なら、これはもう否定しようがない状況だからだ。そもそも、シンゴは自分の不可思議な力、つまり炎の片翼とそれに起因する癒しの力。それらが、もしかしたら『罪人』のものではないのかと、薄々ではあるが疑っていたのだ。
それが、ここにきて確信に至った。この、アルファベットの『M』から変化した、『ⅧⅤ』という痣によって――。
先ほど考えた時読みが失敗した理由、その二つ目。それは、シンゴが『罪人』の力――つまり、権威を宿していたが故に失敗したのではないかという考察だ。
しかしその考察は、もしかしたらシンゴと同じ存在かもしれないモプラが時読みに成功した事により、否定する事が出来る。
以上の考察を経て、現在。シンゴが『罪人』だとほぼ断定的となった現時点をもって、考察の締めが否定で正しかったのだと肯定された。
――そして、キサラギ・シンゴはさらに一歩、状況を進展させる。
「――『怠惰』だ」
「なに――?」
ぽつりと神妙な声でシンゴが呟いた一言に、ウルトが反応する。
シンゴはそのフードの奥にあるウルトの目を見返すように顔を上げ、己が『罪人』だと改めて断定された衝撃の余韻が未だ抜け切らないままの状態で告げた。
「たぶん……俺の権威の名前、だと思う」
「権威……お前さん、それはいつからじゃ?」
いつから――というのは、おそらくいつ『怠惰』という権威をその身に宿したのか、という意味だろう。
しかしそれを説明するには、シンゴのもう一つの秘密を明かさなければならない。はたして、それすらも言ってしまっていいのだろうか。
話すべきか思案するシンゴだったが、それとは別に、シンゴは己の中でパズルがカチリとはまる音を聞いた。
白い少女がシンゴに向かってしきりに連呼して、アリスが言い難そうにしながらも漏らした『怠惰』。モプラの『色欲』。炎の片翼。超常的な癒しの力。そして――ローマ数字の痣。
全てがここで繋がった。そして、シンゴの推測が正しいなら、『罪人』とは――、
「やっぱり……七つの大罪と何か関係がある、のか?」
「七つの大罪、とな――?」
いつ――という質問とは全く異なる回答をするシンゴに、しかしウルトもウルトで、その話題に食いつく。
シンゴはそんなウルトに頷き返しながら、
「そう、七つの大罪だ。ウルトさん、知ってるか?」
この世界に七つの大罪の概念があるかどうかを問うシンゴの質問に、ウルトはしばしの沈黙を経て、やがて口を開く。
「――暴食」
「――え?」
「傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、そして――色欲と怠惰」
問いの答えとしては要領を得ないウルトの『暴食』という返答に、シンゴは伏せていた顔を上げる。そのタイミングを見計らったかのように、ウルトのしわがれた声が残りの大罪の名を羅列した。
するとウルトは次に、目を見開くシンゴの右手をやせ細った手で持ち上げてくる。
乾き切った老いの感触が手から伝わってくるのを感じながら、シンゴはウルトの次の行動をただ黙して待った。
シンゴの手の甲に刻まれた新たな痣を見下ろすウルトは、やがて鼻を小さく鳴らすように空気を外に出すと、
「確かに、七つの大罪と被る点があるのは確かじゃ。しかし、それは『色欲』と『怠惰』だけ。お前さんが語った男が口にした『激情』は七つの大罪のどれとも違う。強いて言うなら『憤怒』に近いが、『激情』と言うからには『激情』なんじゃろう」
「……別の呼び方、とか?」
辛うじて発したシンゴの推測に、しかしウルトは首を横に振り「分からん」と零す。
確かに、『激情』という権威の名は七つの大罪には存在しない。シンゴ自身、特段七つの大罪に詳しい訳ではない。有名だから知っているだけで、ウルトがこうして大罪の名を羅列してくれなければ、全ての大罪の名を思い出すだけでかなりの時間を要しただろうレベルだ。
眉を寄せながら唸るシンゴを余所に、ウルトは持ち上げていたシンゴの手をそっと離すと、下に向けていた顔を上げ、
「それに、お前さんの痣もいまいち要領を得ん」
「要領を得んって……それって、どういう?」
「数字が二つあるって意味さ、相棒」
「二つ?」
隣から割り込んできた声にシンゴが振り返ると、そこには捏迷歪が小指と親指を立てるといったコミカルな仕草にて、その立てた指で『二』を示していた。
首を傾げるシンゴに歩み寄りながら、歪はウルトと同じようにシンゴの手を持ち上げて、
「ほら、よく見るんだ。――これ、八と五だぜ?」
「え? あ……ほんとだ。八と五……八十五?」
確かに言われてみれば、シンゴの右手の甲に新たに刻まれた痣は、『ⅧⅤ』で、八と五、つまり八十五を意味していた。
片側の眉を上げて確認するように問うシンゴだが、しかし歪はそれに対し首を横に振り、
「違う違う。八十五じゃなくて、八と五さ。八十五なら、『LXXXV』になる。――ここ、授業に出るぜ?」
「そ、そうすか……」
聞いた事もないローマ数字の羅列と意外な博学っぷりを見せる歪に、シンゴは頬を軽く引き攣らせる。そして改めて歪の手から解放された己の手に刻まれた痣に視線を落とす。
シンゴが再び痣の姿を確認したのは、実はカワードの一件以来、初である。
手袋はずっと付けていた訳ではなく、もちろん時折外してはいた。そしてその際に確認した時は、痣はちゃんと消えていたのだ。
つまり、カワードの一件から、ここ『ウォー』に来るまでの間で痣は変化した事になる。それも今度は、アルファベットではなくローマ数字に、だ。
ここに来て、幾つもの謎が明らかになったのは事実である。しかし、それに比例するように増えるシンゴ自身の謎。これにはさすがに首をひねるしかない。
未来の不鮮明、己に宿った『怠惰』という権威、そして変化した痣――。
イチゴを見付け出し、そして元の世界に帰る事ができたとしても、この謎を解明せずにそのまま持ち帰るのは不安が残る。ならばこの先、シンゴは己自身の謎とも向き合っていかなければならないだろう。
しかし、優先順位は前述した二つに劣るのもまた事実。目下の最優先事項は、イチゴを見付ける事だ。これは揺るがない。
「分からん事だらけだし、正味、俺のキャパもオーバー気味。となるとやっぱり、一つずつ潰してくしかない、か……」
つまり、分からない事は後回しにするという事だ。
それこそ、シンゴにおこがましくも寄生するかのように宿る『怠惰』という権威さながらの所業だが、いっぺんに全てをこなそうとして失敗するよりは断然いいはずだ。
シンゴの脳は、並行作業には向いていない。
そうと処理の仕方が定まったなら、今すべき事は――、
「――と、その前に、やっぱり話とくか」
シンゴは目を閉じると、右目に意識を集中。右目が熱を帯びたかのように熱くなるのを感じると、そっと開眼した。
「――! お前さん、その目は――」
「相棒……君、それは――」
シンゴはここまでくれば――という考えで、己のもう一つの秘密を明らかにした。
深紅に染まるシンゴの右目を見て驚愕を顕にするウルトと歪。もう一人、モプラにも見せたかったが、そうなると必然的に目を合わす必要がある。そうなれば、再び『色欲』の権威に囚われてしまう事になる。それはあまりにも愚行だ。故に、モプラには申し訳ないが、言葉による説明だけでシンゴのもう一つの秘密――半吸血鬼体質の事を知ってもらうしかない。
「不本意……本当に不本意だけど、俺も『罪人』とかって得体の知れない連中の一人だった訳だ。それに加えてなんだけどさ、俺、見ての通り吸血鬼――半、吸血鬼なんだよ」
目の下の皮膚を指で引っ張り、深紅に染まる右目を強調するシンゴ。
ここまで己の秘め事を開示するのも、ひとえにシンゴなりの信頼の証である。
シンゴは、より鮮明になった右の視界に目を見開く歪と呆けたように口を開けるウルトを収めながら、誰かしらから声が上がるより先に口を開いた。
「吸血鬼って言っても、俺は元人間だ。経緯はアリスがいねえし、この後もまだモプラに聞きたい事があるから省かせてもらうけど……。あと、ウルトさんがさっき聞いてきた、いつ――って質問に対する答えは、俺がこの中途半端な体になった時だ」
最後に先ほどの質問の回答を付け加えながら、シンゴはすぐに思案の海に身を沈める。
自分が生粋の吸血鬼ではないと明言し、遠回しに『星屑』とは関係ないと伝えたつもりだが、そもそもシンゴは今しがた『罪人』であると判明したところである。――となると、今のシンゴの供述は、証拠が出揃ってから言い訳をしているようにも聞こえてしまう。
だが、よくよく考えみれば、だ。序列とか、そもそも繋がりがあるのかも分からない『罪人』と『星屑』。しかし、力関係では上だと言われる『罪人』だとほぼ断定されたのに等しいこの状況で、わざわざその下であり、奴ら特有の痣は持っていないシンゴを『星屑』ではないかと疑う必要はないはずだ。
それでも、シンゴは奴らとの関係も繋がりもないという事実だけは分かってもらいたくて、敢えて言葉にした形だ。
そしてそんなシンゴの心配は、受け入れがたい根拠により杞憂に終わる。
「ふむ……わざわざ自分から情報を開示するような馬鹿が『星屑』とも思えんな。それに『罪人』じゃろうと、その馬鹿さで暗躍がどうのこうの言われても、説得力は当然、威厳ものぉ……」
「ちょっと待って。今俺、二回馬鹿って言われなかった?」
「安心していいぜ、マイフレンド。ぼくは元より君が悪人だなんて思ってないさ。君のその無謀で馬鹿な心意気に誓って、ぼくはキサラギ・シンゴの盟友であると誓うよ」
「んなもんに誓うな!?」
――結果オーライと言えば、聞こえはいいだろうか?
二人の評価に不服げに顔をしかめるシンゴだが、なんとか即攻撃や即捕縛、もしくは敵対されるなどといった最悪の自体にはならなかっただけ良かったはずだ。それがたとえ、己のおつむの弱さが無害認定の根拠だとしても――だ。
「それにしても、片目だけが深紅に染まる吸血鬼、のぉ……。いや、従者の仕組みは未だ分からん事の方が多い。それだけに、このような不可解な状態になる事も……うーむ。奴らの鎖国の狙いが己らの情報漏洩を防ぐ側面があると推測するならば、まさに狙い通りという事になる訳じゃが……」
「――――?」
徐々に小声になりながら一人で思案を始めるウルト。穴抜けでなんとか聞き取れた言葉の端々からおそらく吸血鬼の事を考えているとは推測できるが、やはり要領を得ない事に変わりなく、シンゴは眉を寄せて首を傾げるという反応を示す他ない。
――すると、
「吸血鬼……」
その呟きに振り返ると、モプラが頭上で兎耳をぴょこぴょこと跳ねさせながら、その瞑目した顔に興味津々と書かれているのが容易に読み取れる顔をこちらに向けていた。
どうやら今の吸血鬼関連の話に、幾分か興味を引かれたらしい。
そんなモプラの様子にシンゴは苦笑を零すと、
「その辺については、いずれ落ち着いたら話してやるよ。それよりさ、あと一つだけ聞いておきたい事が残ってんだけど。てか、普通なら一番初めに聞かなきゃならなかった事なんだけどな……」
「な、なんでしょうか……?」
瞑目したまま可愛らしく小首を傾げるモプラに、その頭上の耳も相まって子兎みたいだな――と、本人が聞いたら顔を真っ赤にさせて首を横に振る事間違いなしの感慨を抱きながら、シンゴもモプラと同じ方に首を傾け、
「そもそも、なんであの二人――紅色と藍色の髪をした二人に追われてたのかって質問だよ」
そう、本来なら真っ先に尋ねるべきだった質問だ。紅髪の少女と、藍髪の少年。この二人にモプラが追われていた理由。シンゴが言った通り質問の順序が逆になった訳だが、今ここで改めて問おう。なぜ、モプラ・テン・ストンプは追われる必要があったのか――を。
シンゴの問いかけに、再び会話の矛先と視線がモプラに向けられる。
モプラは自分に集まる視線と意識に、よくそんなに何度も同じリアクションを取れるなと感心してしまう程に、もう既にお約束となっている肩を跳ねさせて驚く――事は、今回はせず、鷹揚に頷くという今までにない反応を見せた。
その事に逆に軽く驚かされるシンゴ達を余所に、モプラはまるでその質問がくるのを予想していたかのように、さほど間を置かずに語り出した。
「わたし……さっき、この力を消す為に旅に出た、と言いました……よね?」
「あ……おう」
逆に問いかけられ、軽く動揺していたシンゴの返事はそんな曖昧なものになってしまう。しかし、モプラは今のシンゴの返事に特に反応を示す事はなく、頷く事で話の続きに戻る。
「まず、結果から言いますと……わたしは、この力を――権威を消す方法を見付け出す事は、未だに出来ていません」
「……そうなのか」
「……はい」
シンゴとしても、この不可解な権威とやらを消し去る方法があるなら、是非とも知りたかったのだ。その可能性を微かながらモプラの旅の成果に期待していたのだが、どうやらもうしばらく炎の片翼との付き合いは続くようだ。
落胆とも、望んだ通りになるほど現実は甘くはないと感じ始めている部分からくる、諦念とも取れる感慨に苦笑を零すシンゴには気付かず、モプラはさらに話を先に進める。
「手がかりと呼べるようなものの片鱗すら掴めず、わたしの胸中は……諦めと、長旅の疲れで……疲弊し切っていました」
「…………」
子供の、それも女の子一人での旅だ。きっと、シンゴの想像を遥かに超える苦難や障害が山のようにあったのだろう。そして旅の目的の成就がどういう結末を迎えたのかを知っていれば、歯を食いしばり、それこそ血反吐を吐くような思いまでして乗り越えただろう山の向こうには、果たして何もない平野が広がっており、その景色を前に、折れそうになる体を支えていた心さえ屈してしまったのだと容易に想像できてしまうのが辛いところだ。
だが、それを責める事は誰にもできまい。シンゴであれば、道中の石ころ一つにでも躓いて、すぐに楽な逃げ道を探そうとしてしまうに決まっているのだから。
「でも、そんな時でした――」
「――――?」
蹲り、膝を抱えて丸くなるモプラの姿を幻視していたシンゴのそんな勝手な想像を否定するように、モプラがそう言葉を継いだ。
「ここ……『ウォー』の近くに、立ち寄った際の事です。ある……一人の男の人に、出会ったんです」
「男……?」
首を傾げるシンゴに、モプラは首肯する事で応じ、
「はい、男の人です。……全身、黒いフードみたいなもので覆った、顔に傷のある、中年くらいの男の方でした」
「――で?」
シンゴが反応を示す前に、相変わらず憎たらしい笑みを携えた歪が言葉少なに、それこそ配慮に欠けていると指摘されてもおかしくない促し方をする。
当然そんな歪に眉を寄せて振り返るシンゴだったが、シンゴが何か言葉を発するよりも前に、モプラは「は、はい」と声を上げ、
「その人が、わたしに近寄ってきて……言ったんです。お嬢さん……君、その身に『大罪』を宿しているね――って」
「――――!?」
モプラの放った――というより、正しくはモプラの話に出てくる男の放ったその一言に、シンゴ達は揃って息を詰めた。
そんなシンゴ達の驚きをさも肯定するように、モプラは「わたしも……驚きました」と賛同するように呟き、
「驚くわたしに、その人は……色々と教えてくれたんです。わたしの持つ力が、『色欲』という名だという事。そして、に――……それらの力の名を総称して……『権威』と呼ぶ事も、その人に教わりました」
「……怪しいってもんじゃねえぞ、その男」
今の話を汲む限り、その男はあまりにも事情に詳しく、そしてモプラの素性にまでも精通していた。これを怪しい以外の言葉で、どう表現すればいいのだろうか。
歪を除く、眉根を寄せる面々に頷きかけたモプラは、その後、恥じ入るように顔を伏せ、
「今にして思えば、その……すごーく、怪しいです、よね……」
「いやいや、モプラちゃん。怪しいってもんじゃないぜ、その男。もしぼくがその男なら、そのままモプラちゃんに優しくそっと眠り薬の入った飲み物を差し出して、ころっといった他人を疑う事を過去の戒めから全然学んでいない、純真無垢で脳みその足らない可愛い少女に現実ってものを知らしめるように、目が覚めるぎりぎりまでその眩しい太ももを舐め舐めするね」
「ひゃぁわ――!?」
「話の腰を折るな、この――変態が!」
「痛い――ッ! うわ、非道いな友人……折角ぼくが、その無謀な警戒心のなさがどういう結末を生むのかを懇切丁寧に教授してあげたってのに……」
「お前のそれはただのセクハラだ!」
歪のセクハラ発言に顔を熟れたトマトのように真っ赤に染め上げたモプラは、その短いズボンの隙間から覗く白い太ももを必死に両手で覆い隠す。
その様子に満足げに頷く変態の頭を割と加減抜きで再度はたくシンゴに、はたかれた歪が抗議の目を向けるが、シンゴはそれを黙殺する。
しかし――、
「いや、考えてもみようぜ? 今の話の流れからして明らかにモプラちゃん、その男の話を最後まで聞いちゃってるよね? ダメだよそれは……。そういう時は一目散に逃げるのが常識ってもんだぜ」
「そ、それはまあ……そうなんだけど」
「だろ?」
「――だからと言って、お前のセクハラがなくなる訳じゃねえんだよ! あと、その論破完了みたいなドヤ顔やめろ――ッ!!」
確かに歪の言う通り、今のモプラの話しぶりから察するに、おそらく彼女はその男の話を最後までとは言わず、ある程度はちゃんと聞いたのだろう。
その後どうなったかは、目の前に本人がいるので最悪な事にはならなかったと分かるが、それでも少々警戒心が足りないのではないだろうか。――いや、それもよくよく考えれば仕方のない話か。心身共に疲弊している所に、まるで砂漠で見付けたオアシスのような情報を携えた男だ。否応なく耳を傾けようとしてしまう気持ちも理解できてしまう。
「――ん?」
ここでふと、シンゴは何か引っかかるようなものを見付けた気がして、眉根を寄せる。モプラが語った話の中にある断片的な情報から、一つの推論が見え隠れしているのだ。
だが、シンゴがその引っ掛かりの答えに辿り着くよりも先にその答えに至ったらしいイレナが、隣から首を傾げながら口を開いた。
「ねえ、確かにその男の人は怪しすぎるけど、モプラがここにいるって事は、特になにもされなかった訳よね? で、モプラがその男の人とお話をしたのって、『ウォー』の近く……もしかしてだけど、その男――」
「あの人は……わたしが権威を制御できていないって事も、見抜いていて……そして、『ウォー』に行けば――ノーミ・エコに会えば、権威をどうにかしてくれるって……」
「ノーミ……エコ?」
新たに出てきた名前に、シンゴとイレナの声が重なる。チラリと隣を見れば、イレナもシンゴの事を見ており、しかしイレナはすぐさまその視線をモプラに戻すと、
「その、ノーミって人に会えば、あなたの権威をどうにかしてくれるって、その男はそう言ったのね?」
「そうです……けど」
「――――?」
煮え切らない返答と共に顔を伏せていくモプラに、イレナは困惑と憂慮をその顔に浮かべて首を傾げる。
そんなモプラとイレナを横目に見ながら、シンゴは先ほど感じた引っ掛かりがつまり、無法者の聖地である『ウォー』にこんなか弱い少女が何故踏み入ったのかという疑問と、そしてモプラの話に出てきた男の間に見え隠れしていた繋がりの線が正体なのだと理解し、内心納得に首肯した。
『ウォー』の近くに立ち寄った際、とモプラは言ったのだ。そしてそこに現れ、『ウォー』の中にいる人物――ノーミ・エコとやらに会うよう勧めた男。
だが、結果モプラは権威を消すどころか制御もできておらず、さらに人追いに合う始末。つまり、その男が言った最後の言葉は――、
「――――」
シンゴはチラリと、伏せられたモプラの横顔に浮かぶのが後悔であり、そして裏切られ、騙された事に対する失望と悲哀、そして怒りを見て取った。
最早、モプラのその表情が答えみたいなものだ。――つまり、モプラは嵌められたのだ。そして、そんなシンゴの断定に近い考えを肯定するように、
「わたしは……言われた、通り……ノーミという人に会いました。でも……でも、その人は――!」
ぎゅっとズボンの裾を握り込み、悔しさからか、それとも容易に騙された自分に対する怒りからか、モプラの異性を残酷なまでに魅了する瞳を覆うその瞼の隙間から、それら激しい感情がほろほろと滴となり、伝い落ちた。
「ひっ……ぅ」
「モプラ……!」
とうとう目元を覆って涙を流し始めたモプラにイレナが駆け寄り、そっと抱き締めた。モプラもモプラで、イレナの胸に顔を埋めてくぐもった嗚咽を漏らす。
そんな彼女らをやるせない気持ちと共に見やりながら、シンゴは視線をそのまま、背後の魔女に言葉を投げかけた。
「なあ、ウルトさん」
「……なんじゃ?」
返答するウルトの声は低く、多分の怒りが含まれているのを確認するまでもなく察する事ができた。
だが、それはシンゴも同じだ。モプラはきっとその胸に期待を、希望を宿し、しかしそれらは無残にも叩き壊されたのだ。誰がそれをしたかなど、考えなくても分かる。――ノーミ・エコにだ。
そしてモプラの不運はそれで終わらず、理由はまだ分からないが、あの二人に追いかけ回されるに至った。
まだ、十代前半の、こんなか弱げな少女が、だ。きっと悲しかっただろう。苦しかっただろう。怖かっただろう。その感情の一欠けらでも理解してあげられるのであれば、その者はモプラの傍にいてやりたいと、支えてあげたいと思うのは必然ではないか。
だが、シンゴの心に渦巻く赤い炎は、それ以上だ。
モプラを見ていると、その涙を流す姿がしきりにイチゴとだぶって見えた。
――奥歯を噛みしめ、拳を強く固め、顔を伏せる。
そんなシンゴを微笑を湛えながら横目に見る歪。そんなシンゴの次の言葉を黙したまま待ってくれているウルト。
やがて、シンゴは暴れ出しそうなほどの激情を深く息を吐く事で必死に抑え込むと、冷静であれと己に言い聞かせながら、問いを発する。まずは――、
「その、ノーミって奴は……なんだ?」
しばしの沈黙の後、ウルトの声が後ろから聞こえる。
「ノーミ・エコは、ここ『ウォー』の実質的トップに位置する女の名じゃ」
「……女?」
後ろへ半身で振り返りながらのシンゴの問いかけに、ウルトは首を横に振りながら、咎めるような口調で言う。
「ただの女じゃと侮ってはならん。あやつは、人の心を掌握する」
「人の心を……掌握?」
「そうじゃ。ノーミ・エコは人心掌握に長ける。それを武器に、無法者の跋扈するこの『ウォー』のトップまで上り詰めたのじゃ。只者ではない。それにの……ここ『ウォー』の経済を回しとるのは、何を隠そう、そのノーミ・エコじゃ」
「ここの……経済を?」
「うむ。ここまで『ウォー』が発展できたのも、あやつの存在あっての事じゃ」
トップとは、どういう意味でのトップなのか――と、そう疑問に思ったシンゴだったが、今のウルトの言葉でおおよその察しがついた。
つまり――、
「そうか……経済を牛耳ってしまえば」
「誰にも奴には逆らえん。なにせ奴を失えば、『ウォー』は一気に落ちる。戻るではなく、落ちるじゃ。高ければ高いほど、落ちた時の衝撃は強くなる。必然な事じゃわい。――まぁ、わしら地下に生きる者にはさほど影響がないのが救いかのぉ」
自嘲するように乾いた笑みを漏らすウルトにかける言葉がすぐには出てこず、シンゴはしばしの沈黙を選ぶ。そしてその沈黙を破ったのもまた、ウルトの呟きだった。
「そう、誰にも奴には逆らえんのじゃ。なにせあやつには、テラとシアの双子が付いておるからの」
「テラと……シア? それって……まさか!」
「紅色の長髪に藍色の軍服に身を包む、姉のテラ。その姉と対を成すように藍色の髪を持ち、そして紅色の軍服に身を包む弟のシア。数多おるノーミ・エコの私兵の中でも飛び抜けた実力者で、主に忠実な奴らじゃ。……その反応を見るに、お前さん、二人を知っておるのか?」
「知っておるのかってどころの話じゃねえよ! 間違いねえ……その特徴。テラとシア……モプラを追ってた二人ってのが、そいつらなんだよ!」
「……何じゃと? いや、そうか……ノーミと相対し、そしてここにおるという事は――」
何かに気付いたように顎に手を当てて思案し出すウルトに、シンゴは「どうしたんだよ!?」と、湧き上がってくる焦燥感に抗えず、叫ぶ。しかしウルトはシンゴのそんな叫びには取り合わず、ようやく落ち着きを見せ始めたモプラにふと顔を向けると、
「モプラちゃんや、ちょっと話を聞かせてくれんか?」
「う……ひぐっ……は、ぃ……」
流れ落ちる涙を袖で拭きながら、必死に嗚咽を噛み殺して返事を返すモプラに、ウルトは「強い子じゃ」と、口元に柔らかな微笑を浮かべてそのしわをより一層深め、
「さっきの今で酷じゃとは承知の上で尋ねる。ノーミ・エコと相対したお前さんは、一体あやつと何を話し、そして追われるに至ったのじゃ?」
「――――ッ!」
ウルトのその問いに、シンゴは思わず息を呑んだ。
ウルト自身が前置きした通り、その問いかけは今のモプラにはあまりにも酷な質問だ。だが、それはウルトも百も承知のはず。だが、単なる社交辞令的な前置きではなく、ウルトはきっと本心からそう思っているのは確かなはずだ。しかし、その上で尋ねなければならないからこそ、こうして質問を発したのだろう。
――そして、モプラ・テン・ストンプもまた、ウルトの意を汲める賢い少女であった。
「あの、時……は」
嗚咽を噛み殺し、目元をごしごしと擦りながら、モプラは必死に瞑目したまま顔を上げ、
「あの、人は……わたしが来るのを知っていて……わたしに、こう……言ったんです」
当時の記憶を思い出すように、モプラは一度顔を伏せ、
「待っていましたよ、に……『色欲』。あなたは、今から私、ノーミ・エコの所有物だ――って」
「し、所有物……だとぉっ?」
怒りに震えるシンゴの肩に、隣の歪が苦笑しながら落ち着けと目で示しながら手を置いてくる。
そんな彼に諭され、シンゴは噛みしめた奥歯を離し、その隙間から熱い吐息を外に吐き出す。
どうにか感情の発露を抑え込んだシンゴから、ウルトはフードに覆われてこちらからは見る事の叶わない視線を外し、再びモプラに向き直った。
「それで……どうなったんじゃ?」
「わたしは……計画の要だからって、あの二人に幽閉されて……でも、どうにか隙を見て逃げ出して……それで……」
「あたし達に出会った……って事ね?」
事の顛末を引き継いだイレナの言葉に、モプラはこくりと頷く事で肯定の意を示す。
「……隙を」
「――? どうしたんだよ、ウルトさん?」
「いや、別に何もない」
「――――?」
意味ありげなウルトの呟きに対するシンゴの反応は、曖昧に濁される事で躱される。
そんなウルトの態度にシンゴは不審げに眉を寄せるが、すぐさまかぶりを振り、
「その、計画っていうのは……?」
――と、視線をモプラに戻しながら問いかける。
そんなシンゴの問いかけにモプラは顔を伏せると、小さく「ごめんなさい……」と一言。つまり、モプラ自身にもその計画とやらは語られてはいないらしい。
「なんなんだ、そのノーミって奴は……! 一体モプラを使って何を企んでる? つか、まずどこにいやがんだよ……!」
「――『バベルの塔』じゃよ」
「バベルの……塔、だって?」
意図して発言した訳ではない出鱈目に述べた呟きに返答があり、そしてその返答にあった単語がシンゴの知っているものであるのも重なり、シンゴはその瞬間だけは湧き上がる理不尽に対する怒りを霧散させて目を見開く。
そして、シンゴはその見開いた目をウルトにまじまじと向け、
「今……バベルの塔って、言ったか?」
「いかにも。奴――ノーミ・エコは、ここ『ウォー』の中心にそびえ立つ塔――『バベルの塔』に居を構えておる」
――元の世界、シンゴの居た世界では誰もが知るその名を冠した塔は、異なる世界にて、ノーミ・エコなる不貞の輩を主に据え、シンゴの行く手に荘厳とそびえ立つのだった。




