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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:8 『噛み合わない歯車』

 モプラ・テン・ストンプの頭頂部で揺れる二対のうさぎ耳を見て、シンゴ達は揃って唖然となり、そして絶句した。

 だが、シンゴはともかく、他の者はそう間を置かずに再起動する。理由は、シンゴ以外の三人は見慣れているからだ。つまり――、


「モプラ……アンタ、半獣人だったの?」


 イレナがごくりと喉を鳴らし、モプラ・テン・ストンプの素性に切り込む問いを絞り出すようにして吐き出した。

 おそらくそんなイレナの脳裏には、眼前の少女と同様にうさぎの耳を持つ、少々――というより、かなりおっかないメガネ少女の姿が浮かんでいるのだろう。

 遅れて再起動したシンゴも、『酔いどれ亭』で働く半獣人の少女達の姿を連想した。


 しかしモプラは、頭部の耳をふりふりと左右に揺らしながら首を横に振ると、


「わ、わたしは、半獣人じゃ……ありません。人間……です」


 イレナの半獣人ではないのか、という推測を否定したモプラは、閉じた瞼の上でまつ毛を震わせながら頭部の耳を手で撫で付け、


「この耳は、わたしが権威を授かった際に……気が付いたら、いつの間にか頭の上に……あったんです」


「そ、そんな事があるなんて……」


 後天的にうさぎの耳が生えてきたと語るモプラに、イレナが信じられないといった様子で戦慄を顕にする。

 モプラの言っている事が事実だとすれば、その頭上で忙しげに揺れるうさぎの耳が生じたのは、権威とやらを授かったのが原因だと見て間違いないだろう。


 確かに驚くべき事ではある。だが、シンゴは獣人の生態に詳しくはないので、客観的な判断は下し辛い。それも当然だろう。シンゴの居た元の世界で動物の耳が生えているのは、フィクションの世界の住人、もしくはコスプレイヤーのみである。


 だが、モプラの頭上にある耳は飾りの耳とは言い辛く、血が通い、動き、何より生々しいまでにリアルで、離れた所から見ていても生命の躍動を感じる。これを偽物の飾りだと言うには無理があった。

 たとえこの世界の技術で本物の耳を植え付ける事が可能だとしても、耳の存在を自ら露見させた時点で、モプラには嘘をつくメリットがあまりないように感じられる。


 以上の事から、モプラの言っている事は十中八九嘘ではないと判断できる。

 そして何度も言うが、これは異世界人のシンゴからしたら驚くべき事である。この世界に来てから非日常はいくつも見たし、モプラと同じような姿をしている半獣人のウェイトレス達とも会った。だが、こういうのは、そうそう慣れるものではない。


 ――まず、これが前提だ。


「――モプラ」


「は、はい……?」


 前提から言って、一番目立つのがうさぎの耳である事は間違いない。だから、シンゴの視線は真っ先にうさぎ耳に向けられたし、それは他の面々も同様だ。――だが、滑るようにモプラの頭部に向かった皆の視線は、シンゴのものだけが天辺で止まらず、引き返してしまった。理由は、途中で無視できないものが視界を掠めたからだ。そしてその視線は、先ほどからモプラ・テン・ストンプの額で固定されている。


 目を閉じたまま、不安げにシンゴの次の言葉を待つモプラの額を食い入るように見詰めながら、シンゴは問う。


「その額の痣……なんだよ?」


 ――モプラ・テン・ストンプの額には、バッテン印。もしくは、アルファベットの『Ⅹ』に酷似した痣が刻まれていた。


 見覚えがあるとか、そういう次元の問題ではない。何故なら、アルファベットと酷似した痣は、キサラギ・シンゴ自身の右手にも刻まれているのだから。

 全身の汗腺が開き、心臓が嫌にうるさい鼓動を打ち始める。

 何か、決して無視できない真実の一歩手前にいるような感覚に、シンゴは全身が粟立つのを感じた。


「モプラ……その痣は……なんだ?」


「え……ぅ」


 シンゴが足を一歩踏み出すのを敏感に感じ取ったらしく、モプラは詰められた分後退する。だが、その間にもシンゴは二歩目を踏み出している。さらに三歩、四歩と足を進めた所で、不意に肩を掴まれた。


「シンゴ……それ以上はダメよ」


「――――?」


 振り返った先にいたのは、その碧い瞳に剣呑な色を宿すイレナ・バレンシールだった。

 何故、自分は止められたのか。そして、何故そんな目で見られなければならないのかが分からないシンゴは、振り返った顔に困惑の色を浮かべるしかない。

 すると、そんなシンゴの様子にイレナの顔がさらに真剣みを帯び、「自覚ないって……」と不可解な事を呟いた。


「――? どうしたんだよ、イレナ。俺はただ、モプラの額の痣をもっと近くで見ようと思っただけだぞ? 別にさっきの変な状態になってなけりゃ、別に悪意がある訳でもねえのに……」


 心底不思議そうに首を傾げるシンゴに、イレナはまるで得体の知れないものを見たと言わんばかりに嫌悪を滲ませ、「悪意はないって……」と呟くと、信じられない事を言った。


「そんなに殺気をダダ漏れにさせておいて……悪意がないですって?」


「――――は?」


 ――今度こそ、本当に意味が分からなかった。


 殺気。殺す気。殺したい気分――。

 そんなものを自分が抱いていた? それも、ダダ漏れで? 誰に向かって? もしかして、モプラに向かってだとイレナは言うのだろうか。だったらそれは有り得ない。シンゴは別にそんな物騒な感情など抱いていないし、そもそも抱く理由が見当たらない。


「これは……」


「へぇ――」


 ウルトと歪までもが、何やら含みのある視線をシンゴに向けてきている。

 何故そんな目を向けられなければならないのだろうか。分からない。シンゴはただ、自分のものと分類的に近しい痣に驚いて、もっと近くで見てみようと思っただけにすぎない。それが何故このような大事になっているのか、全くもって理解できない。


「お前さん……まさか、相当心を……」


 ウルトが何か小さな声で呟いたが、シンゴの位置からは遠すぎて聞き取れなかった。

 ――と、歪が顎に手を当てつつ、興味深い視線を怪しげな微笑と共にシンゴへ送りながら、不可解な事を述べてきた。


「君……だいぶ狂ってるね。自覚がない……いや、自覚すらもうできないのかな? ――へい、親友。ぼくの言ってる意味、分かるかい?」


「俺が狂ってるってか? いや……俺からしたら、お前らの方が急に何意味の分かんねえ事を言い出してんだって感じなんだけど……」


「ははっ! こりゃ重症だ!」


 シンゴの返答を聞いた歪は額に手を当て、上を仰ぎながら心底おかしそうに笑う。

 そんな歪の近くでは、何やらウルトが枯れ枝のような細い指を組み、フードに覆われた顔をシンゴに向けながら、困窮したような唸り声を上げている。

 そして、一番初めに妙な事を言い出したイレナは、今はモプラを背に庇うような立ち位置に移動している。


 明らかに異常だ。一体みんなに何が起きているというのだろうか。

 不可解で怪しい言動と行動をする周りの面々に、シンゴは言い知れぬ危機感が内に募っていくのを感じた。


「おい……どうしたんだよ、みんなして!? 何か変……まさか、モプラがなんかやったのか!?」


「へぅぇ――!? わ、わたしは! 何も、してない、ですよ!?」


 疑われたモプラはその場で大きく飛び上がって驚くと、うさぎ耳が遠心力で飛んでいきそうになるほどの速度で首を横に振り、その一振りごとに無実を叫んだ。


「――――」


 その様子をじっと無言で見詰めるシンゴ。すると、そんな視線を遮るようにして、イレナが体をシンゴの視界内に割り込ませてきた。

 シンゴの視線を受け止めたイレナは目を鋭く細めながら、不穏な気配を纏ってシンゴの事を見返してくる。


 そんなイレナの敵対的な態度に内心激しく動揺し、咄嗟に両手を上げて何もする気はないと意思表示しようと考えたシンゴだったが、シンゴの思いとは裏腹に、イレナは今にも攻撃を仕掛けてきそうな雰囲気である。ここで不用意に動けば、イレナは躊躇せずに魔法を使うかもしれない。否、かもしれないではなく、確実に使ってくるだろう。そう確信できるほどに、イレナがシンゴに向ける敵意は本物だった。


 故に、シンゴは不用意に動く事ができなくなった。不本意であるが、一触即発という状況らしい。

 冗談では済まされない鋭い敵意がイレナから放たれ、それを向けられるシンゴの額に汗が浮かび、そして頬に向かって落ちていく。


 その汗が果てに顎を伝い下に落ちれば、それだけでイレナは動くかもしれない。そう考えられるほどに、二人の間には見えない緊張の糸がぎちぎちに張り詰めていた。

 しかしそんなシンゴの嫌な想像を、お節介にも実現してやろうかと傲慢に、重力が汗を下へ下へと誘っていく。やがて汗はゆっくりと顎に到達、そして――、


「ほい」


「どわ――!?」


 汗の滴が顎から放たれたと同時に、急に膝が折れ、シンゴはその場でブリッジが失敗したような体勢になる。

 他人が見たら滑稽だと吹き出すような不格好な体勢で、シンゴは膝かっくんを喰らわせてきた下手人――捏迷歪ねつまいいがみを愕然とした顔で見やり、


「お、おま……!? この状況でアホか!」


 無様な体勢で目を剥くシンゴに歪は苦笑しながら鼻を鳴らすと、両手を上げて「やれやれ」と憎たらしい態度でジェスチャーする。


「今のは我ながらファインプレーだったと思うぜ? なにせ、今のタイミングを逃せば、ぼくの親友が氷柱串刺し冷凍肉になりかねなかったからね」


「…………!」


 歪の言葉にハッとなり、シンゴは臀部を打ち付けるように腰を下ろすと、ゆっくりと顔を上げ、前方のイレナを見た。

 イレナはモプラを片手で背後に庇うように押しやり、残った手をシンゴの方に向けた状態で固まっていた。

 その表情からは幾分か警戒の色は抜けていたが、その目はまだ油断はしていないといった様子でシンゴを見据えている。


「イレ、ナ……」


 弱々しい声でイレナの名を呼ぶシンゴの顔は、仲間だと思っていた者の裏切りを目にしたように、深い失望と悲哀の色で歪んでいた。

 すると、シンゴに品定めするような探る視線を送り続けていたイレナが、そっと目を閉じる。そしてホッと吐息し構えを解くと、柔らかい微笑を浮かべ、再び目を開いた。


「え……?」


 イレナから向けられていた圧が嘘のように消えた。だが、シンゴは急すぎる変化に付いていけず、眉間にしわを寄せて混乱の声を上げる。

 ひたすら困惑を顕にするシンゴに対し、イレナはバツが悪そうに目を逸らして頬を掻いた。そして、眉尻を下げながらも敵意の一欠けらもない笑みを浮かべると、視線を未だに混乱の中にいるシンゴに戻し、


「ごめん。ちょっと、あたしもやりすぎたかも……。でも、もう大丈夫よね! だって、あたしはシンゴの事を信じてたし、シンゴもそれに答えてくれた。ちゃんといつものシンゴに戻ってくれたんだから!」


「いつもの……俺?」


「そ、いつものシンゴよ!」


 突然すぎる態度の軟化に、シンゴは口をぽかんと開いてイレナを見やる。そうしてる間にも徐々にイレナの言葉が脳に浸透し、理解のプロセスを辿る。しかし言葉を理解しても、やはり意味は理解できなかった。

 それに、イレナはいつものシンゴだと言ったが、シンゴはいつも通りに振舞っていたし、特段パラダイムシフトも起こしていない。


 シンゴは不意に、何か自分だけが世界の変化から取り残されてしまっているかのような、言いようのない怖気に襲われた。張り詰めていた緊張感が緩んだ所為もあるのか、遅まきながら背筋を冷たい何かが駆け抜けて行くのを感じ、頬を強張らせる。


 そんなシンゴの様子を怖がらせたと勘違いしたのか、イレナは頭を掻きながら片手で手刀をつくり、「ご、ごめんね? 怖がらせるつもりはなくて……」と少し困ったような、しかし屈託ない笑顔を浮かべて謝ってくる。――それが、今のシンゴにはひどく気持ち悪いものに見えた。


 しかし、イレナはそんなシンゴの心情になど気付いた様子もなく、その場で腕を組むと、「でも――」と眉根を寄せながら、困ったような視線を座り込んで硬直しているシンゴに向け、


「やっぱり……シンゴのそれって、今までの色んな辛い経験が原因……なのかしら?」


「は……え?」


 何か、シンゴ自身が知らないキサラギ・シンゴを語るかのようなイレナのセリフに、シンゴの困惑の度合いはさらに増していく。

 自分の事を言われているはずなのに、これっぽっちも理解が及ばないシンゴの頭の中は、先ほどからぐちゃぐちゃしていて、混乱は深まる一方である。


 眩暈と吐き気がしてきて、混乱の渦に囚われている脳がずきずきと痛みだし、シンゴは手で頭を押さえる。

 何かがおかしい。何かおかしいのは分かっているのに、その原因の取っ掛かりすら掴めない。それがひどくもどかしくて、腹立たしかった。


「――ちょっと、聞いてるの、シンゴ?」


「――――!?」


 いつの間に移動してきたのか、イレナの心配そうな顔がすぐ目の前にあった。

 心臓がリズムを数段飛ばし、肺はより多くの酸素を求めて呼吸を荒くさせる。

 そんなシンゴに、イレナが「大丈夫……?」と声をかけてくる。その声音には先ほどシンゴに向けていた敵対的な感情は一切なく、ただひたすらにイレナ・バレンシールという少女の優しさが多分に含まれていた。それが、本当に、気持ち悪くて――。


 ――だが、シンゴはせり上がってくるそれらを、苦労して全て飲み込んだ。


 飲み下し、消化し、出かかった言葉を完全に消し去る。でなければ、口を押し広げて飛び出していただろう。気持ち悪い――と。

 シンゴは意識して規則正しいリズムで空気を吸う事で、混乱する心を落ち着かせにかかる。頭の中は意識して真っ白にして、一度リセットする。そうして、ようやく平常心と呼べる状態にまで己を落ち着かせたシンゴは、眉尻を下げて見詰めてくるイレナを見返すと、


「えっと……なん、だっけ?」


「……アンタねぇ」


 シンゴの問いにイレナは深々とため息を吐きながら腰に手を当て、険しい表情で「だから――」と人差し指を立てると、


「これからは、もっと慎重に行くわよって言ったの。危険な事からは全力で逃げるか、せめてあたし達、他の人にその場を任せて隠れるか。きっとシンゴのそれは、今までの積み重ねが招いた結果よ。だから、これ以上はまずいと思う。それに、さっきのも本当に危なかったわ。あの殺気……ううん。もっと異質で、別のもの。それと、これは少し言い訳になっちゃうけど、その殺気みたいなやつの所為で、あたしも思わず魔法を使っちゃいそうになるくらいよ。だから、今のシンゴは――」


 さらに続けようとしたイレナの肩に、不意に手が置かれた。ビクッとして振り返ったイレナが見たのは、怪しげな笑みを浮かべながら首を横に振る捏迷歪の姿だった。


「イレナちゃん、いくら言っても無駄さ。ほら、ちゃんと、見てみなよ」


「…………ッ」


 歪の指の先を追い、シンゴの顔を見たイレナの表情が苦渋に歪んだ。

 一方そのシンゴはというと、首を傾げ、全く意味が分からないとでも言いたげな顔をしていた。

 イレナは唇をきゅっと引き結んで俯くが、すぐさま顔を上げると、笑みを苦労して浮かべようと試みるが、結果、弱々しい笑みになってしまう。


 その事実にイレナはぐっと唇を噛むが、やがて沈痛な面持ちで、何か訴えるような感じで、言葉を紡ぎ始めた。


「だ、だから……ね、シンゴ? あなたはその体の所為で、普通の人よりも濃く、痛くて、苦しくて、辛い経験をしてきてる。この前アリスから、あたしと会う前にシンゴの身に起こった事を詳しく聞いたわ。聞いてるだけでキツかった。だから、その……そうなるのは当然というか……」


 必死に、何かをシンゴに伝えようとしてくるイレナ。だが、そこで言葉は途切れ、イレナは言葉を探して視線をさまよわせ、やがて下を向いて服の裾をぎゅっと握った。

 そんなイレナを見て、シンゴはようやく理解した。なんとも簡単な事だったのだ。

 ――だから、シンゴは答えた。


「つまりイレナは、俺があの体質の所為で何度も痛い目に合ったから、それでどっか精神がおかしくなってる。だから、これからはなるべくそうならないように立ち回れって、そう言いたい訳か」


「――――ッ!」


 ――精神が、おかしくなっている。


 敢えて明言するのは避けていた事をズバリと言い当てられ、イレナは思わず目を見開いて口を噤んだ。

 なるほど、どうやら図星のようだ。だが、イレナの推測は間違っている。何故なら、それはシンゴが一番よく分かっている事だからだ。つまり――、


「よっこいしょ――っと」


 シンゴは腰を上げると、服に付いた汚れをはたき、目を大きく見開いてこちらを見てくるイレナの碧眼を見据え、嘆息した。


「そうならそうと最初から言えよ。遠回しすぎ。自分で言うとあれだけど、俺の理解力が低いのは同レベルのお前が一番よく分かってんだろ」


「な……」


 頬を引き攣らせるイレナを見て、シンゴは苦笑する。頭の中はもうスッキリしていた。

 つまり、イレナの先ほどからの不可解な行動や言動は、シンゴが今までに受けた数々の苦痛に耐えかねてどこか狂ってしまったと、そう勘違いした結果だったのだ。そうと分かれば、先ほどのイレナの行動や言動にもある程度の納得がいく。


 その上で、シンゴはちゃんと告げなければならない。キサラギ・シンゴは別に――、


「俺、狂ってなんかねえぞ?」


「――――なに、言って……」


「いや、だから……」


 シンゴは困ったように頭を掻こうとして、「ああ」と、イレナが困惑する原因に思い至った。原因――それは、シンゴの表情だ。おそらく今のシンゴの表情は、説得力が足りないのだ。安心ができないのだ。だったら、説得力があって、安心もできる表情――笑顔を作ってやればいい。


 そう判断したシンゴはいつものようグッとサムズアップし、口角を持ち上げ、不敵な笑みを浮かべると、


「俺は平気。確かに色々とヤバい目にはあってきたけど、だからってそう簡単に折れる俺じゃねえよ」


 シンゴは「なにせ――」と、己の胸をドンと強く叩き、


「俺のここには、既にぶっとい支柱があるからな! イチゴを助け出すまでは絶対に折れねえし、誰にも折る事なんてできねえ、鋼の柱だ!!」


 なかなかにいい事を言ったのではないだろうかと思ってドヤ顔を晒すシンゴだったが、もちろん、今しがた語った内容に嘘偽りは一つもない。シンゴは狂っていないし、そう簡単に折れる事のない頑強な支柱が心の下に添えられているのも、また事実だ。その支柱となっているのは、当然――イチゴの存在である。


 キサラギ・シンゴは、キサラギ・イチゴを救い出すまでは決して折れない。否、折れるはずがないのだ。シンゴが――兄が折れてしまったら、誰が妹の傍にいて支えてやれるというのか。

 イチゴがシンゴの支柱なら、シンゴはイチゴの支柱でありたい。だったら、折れている暇なぞありはしない。


 シンゴにとっての妹はイチゴただ一人であるように、イチゴの兄はシンゴただ一人なのだ。お互いに代わりのいない、無二の存在。だからこそ、自分という存在は必要不可欠だ。

 イチゴは必ず見付けるし、元の世界にも絶対に帰る。それまで絶望に押し潰されるなど、誰がしてやるか。


 誇らしげに胸を張るシンゴの目の前では、イレナが「嘘でしょ……」と驚愕に表情を固めてしまっており、そんなイレナの後ろでは歪が鼻から息を吐き、キザったらしく肩を竦めている。

 そんな二人の様子に、自分って信用ないな――と肩を落とすシンゴだったが、ふと肝心な話からかなり脱線してしまっている事に気が付いた。


「よ――っと」


 シンゴはイレナを避けるように、その背後を覗き込んだ。そこには完全に蚊帳の外に置かれてしまい、おどおどとうさぎ耳を揺らすモプラ・テン・ストンプの姿があった。

 シンゴが何もおかしくはないと証明できたところで、そろそろあの話題に戻りたい。つまり――、


「モプラ」


「ひゃわい!?」


 いちいち体を跳ねさせるモプラにもそろそろ慣れてきたシンゴは、モプラのオーバーリアクションに特に反応はせず、自分の額をトントンと指で小突きながら、


「お前のその額の痣。それって、アルファベットの『Ⅹ』だよな?」


 モプラの額の痣について問うシンゴは、同時に自分の右手の甲に意識を向ける。

 モプラの返答次第では、自分に宿っている得体の知れないモノの正体が分かるかもしれないのだ。

 だが、そんなシンゴの推測は、根本の部分で間違っていた。

 モプラは額の痣を撫でながら、言い辛そうに、


「あの、これ……アルファベットの方じゃなくて、数字……らしい、です」


「――は? 数字!?」


「は、はいィ――!? わ、わたしも! 最初はアルファベットの方かなぁって思ってたんですけど……実際は、十を表すものだって……教えてもらって……あ! あと、こっちも――」


 驚愕に固まるシンゴを余所に、モプラはおもむろに右の指ぬきグローブを脱ぎ始めた。

 そして、やがてその下から現れたものを見て、シンゴは当然、イレナ達も目を大きく見開いて息を呑んだ。

 指ぬきグローブの下から現れたもの、それは――、


「ローマ数字の『Ⅲ』……か?」


 呻くように尋ねたシンゴの言葉に、モプラはうさぎ耳を揺らしながら首肯した。

 シンゴは先ほどのやり取りで僅かに残っていたしこりのようなものの存在も忘れ、驚きの抜け切らないまま、イレナに含みを込めた目を向けた。すると、イレナもちょうどシンゴの方を見てきて、先ほどの一件は取り敢えず後回しにする事にしたのか、シンゴと同じような表情をこちらに向けてくる。


 視線の交換で、二人は互いが脳裏に思い浮かべている人物を把握した。

 モプラと同じように、右手の甲にローマ数字を持っていた男――カワード・レッジ・ノウの事だ。


 実は王家直属近衛騎士団の団長だったらしい、あの中年の男――本名がベッシュ・ウゥユ・ヴジトというらしい――がシンゴの元を尋ねてきたのが、あのカワードとの一件の直後に謎の激痛で気絶し、その後無事に目を覚ましてすぐの事だ。


『いや〜、別に騙すつもりはなかったんだぜ? ただ言わなかっただけ。――にしても、俺もよく気付いたもんだわ。お前が……っと、今日はそんな話をしに来たんじゃねかった』


 ベッシュはがしがしと後頭部を掻くと、初めて見せる真剣な面持ちで告げた。


『まず、最初に言っておく。カワード・レッジ・ノウは、《罪人つみびと》だ。俺も初めて見た。まあ、結局死んじまったから、分かった事は少ねぇけどなぁ』


 そう言うと、ベッシュはベッドの上で首を傾げるシンゴに向かって指を三本立てた。


『いいか? まず、右手の甲に刻まれた、ローマ数字だ。これは元からある程度知られていた《罪人》の特徴だが、今回の件で確定的となった。んでも、死体にはもう痣は残ってなかったから、お前らの証言しか証拠がない訳なんだが……ま、その辺は俺の担当分野じゃねぇからどうでもいい』


 痣について触れるベッシュの前で、シンゴは再び姿を消した痣――それが浮き出る箇所である右手の甲をさすりながら、冷や汗を流したものだ。なにせ、騎士団はシンゴ達の世界で言うところの警察的な役割も兼ねているらしいのだ。その団長様に、わざわざ『罪人』の証と酷似している痣の事を暴露するなど、自主するのに等しい。わざわざお縄にかかりに行くなどという破滅願望は、生憎シンゴは持ち合わせていなかった。


 それに、その場にはアリスもいた。シンゴの痣はアルファベットの『M』なのに対し、アリスの痣は『星屑』にとても近しい。幸いな事に、アリスの痣もその時は消えていたのでバレる事はなかったが、彼女も緊張を隠せないでいた。

 するとベッシュは片目を閉じ、もう片方の碧眼でシンゴ達を見渡すと、指を三本立ててきた。、


『後はまぁ、これもお前らの証言だが……出鱈目な怪力と、相手の動きを予測するってな摩訶不思議パワー。あと、目が合うと龍に睨まれたみたいに動けなくなるっていう、長円瞳孔で紫紺の瞳。あと、ジャイルさんが首を切り飛ばした時にゃ、髪が銀髪だったらしいな』


『……三つ、超えてね?』


『お? 細けぇこたぁ気にすんな! 男は器も含めて、色々とデカくなきゃ女にモテねぇぞ!』


 ――と、いったやり取りがあった。


 その時にほとんど確実となった『罪人』の証明となるもの。それは、右手の甲に刻まれたローマ数字の存在だ。

 そして――、



 今、目の前に、右手の甲にローマ数字が刻まれた少女がいる。



 つまり、モプラ・テン・ストンプは――、


「モプラ、お前……『罪人』なの、か……?」


 ごくりと喉を鳴らしてシンゴが投げかけた問いに、モプラは困惑したように硬直し、やがて俯くと、


「分かり……ません。でも……たぶん、そうなんだと……思います」


「そっか……。なあ、モプラ。お前が権威とかいうのを授かった時に何が起こったのか、お前が話したくないなら別に話さなくてもいい。けど、その権威ってのについては、出来得る限りで教えてくれ。……どうだ?」


「…………」


 シンゴの譲歩を含んだ問いに、モプラはしばし考え込むように沈黙。やがて、小さくこくりと頷いた。

 そして、その小さな唇を震わせながら、語り出す。


「まず、権威は先ほど言った通り……男の人に襲われそうになった際に、授かりました」


「その授かったってのは、具体的にどういう風に授かったんだ? 誰かに貰ったのか?」


「いえ……誰かに貰ったとか、そういう感じでは……。本当に、突然、気が付いたらわたしの中にあったんです」


 モプラの言葉が正しいのであれば、権威は突然モプラの中に入り込んだ、もしくは生じたという事になる。選ばれたというのであれば、その選定方法は基準があるのか、それともランダムか――。


「ごめんなさい……それも、分からないです」


「いや、別に落ち込まなくても大丈夫だって。分からねえのは恥ずかしい事じゃないからさ。だってそれでいくと俺、羞恥で悶え死ぬほど分からねえ事多いからな」


 うさぎ耳を垂れさせて落ち込むモプラに、なるべく優しい声音でそう励ます。

 元より、期待していた訳ではない。おそらくモプラは分からないだろうとは思っていた。しかし、念には念を――だ。


「じゃ、次はその権威ってのについて、詳しく教えてくれ」


 進行役はシンゴに一任するつもりなのか、他の者からは特に声は上がらないので、シンゴは次の質問に移った。

 シンゴの自虐を交えた励ましが効いたのか、モプラは「は、はい!」と元気よく返事をする。頭上の耳が主の活力を反映してピンと立った。


「わたしが授かった権威……『色欲』についてですが……これは、わたしと目を合わせた異性を、その……わたしの虜にするもの、です……ッ」


 異性を虜――の部分で赤面して俯くモプラだが、最後まで言い切ったところから、彼女の真面目な性格の一端が垣間見る事ができる。

 しかし、そんな可愛らしいモプラを微笑ましく思ってはいられない。何故なら、シンゴはその『色欲』の権威の恐ろしさを、身を以て体験している。今思い返すだけで、身震いしてしまいそうなほどの甘美な衝動――。


「ねえ、シンゴ。結局、どんな感じになるの?」


「ん? ああ、それは――って、もう隠す意味もないか……」


 イレナの問いに目を逸らし、話も逸らそうとしたシンゴだったが、今さら隠す必要もないなと考え改める。なにせ、シンゴがモプラに欲情したという事実は、モプラ自身の口から暴露済みである。


「えっとだな……確かにあの時、俺はモプラに欲情してた……んだと思う」


「なんで濁すのよ? 今更でしょ」


「あー、いや、言い訳しようって訳じゃなくてだな……」


 シンゴは頭を掻きながら、ジトっとした目を向けてくるイレナに振り返り、


「あれをただ欲情してたって言うのは、ちょっと抵抗があってさ……」


「どういう意味?」


「なんというか……あれはさらに上。欲情を数段飛ばしで飛び越えて、絶対的な崇拝に近い感じ、かな。それも、自分を見失いそうになるほどの、だ」


「……アンタ、よく耐えられたわね」


「そ、そこなんです!」


「――――?」


 イレナの言葉に激しく首を縦に振り、うさぎ耳が自分の顔に当たって「ぴゃ――!?」と叫ぶモプラ。

 そんなモプラに苦笑いしながら、


「そこって……俺が『色欲』の権威ってやつに耐えた事か?」


「は、はい……本来なら、『色欲』の権威に耐えられる人なんて、いるはずないんです。……今までがそうでしたし、わたしには分かるんです。『色欲』には……決して、抗う事ができない」


 神妙な面持ちでそう断言するモプラだったが、「でもさ」と、歪が挙手しながら一歩前に進み出て、


「ぼくの親友は耐え切ったぜ?」


「あ、ああ……。俺、耐えちゃったけど」


「だから……そこが不思議なんです。わたしには……これがどんなものなのか、ちゃんと分かる。だからこそ――」


 モプラ・テン・ストンプは胸に手を当てながら、その閉じた目をシンゴに向け、言う。


「わたしは……あなたが、分からない」


「……分からないって言われてもなぁ」


 困ったように眉尻を下げて頬を掻きながら、シンゴは思考する。

 またしても、自分だけが特別。特別とは聞こえの良い言葉だが、シンゴとしては素直に喜べる待遇でもなければ、状況でもない。またしても、キサラギ・シンゴ自身の謎が増えてしまう結果になっただけだ。


「ま、その辺は俺自身もよく分からん。だから、とりあえずは後回しな。んで、次だけど、『色欲』は目が合った異性にのみ発動するって言ったよな? それってつまり、イレナ……と、一応ウルトさんには効かないって事か」


「はい」


 後ろから「一応とは何じゃ!?」と抗議の声が上がるが、今は無視。

 シンゴは顎を手でさすりながら、次の質問を飛ばす。


「その能力さ、オンとオフの切り替えってできねえの?」


「……無理なんです。いえ、本当はできると思うんですけど……わたしが上手く権威の制御ができなくて……ずっと発動したままなんです」


「なるほど……制御できれば、おそらくその耳も――」


「はい。消えてくれるはず、なんですけど……」


 この答えは、ある程度予測の範疇だ。何故なら、制御ができてオフにできるなら、あんな厳重に隠すようにバンダナとフードは着用しないだろう。それはつまり、制御できないと明言しているようなものだ。馬鹿なシンゴでも、さすがに事ここに至れば察する事ができる。


「だから、わたしは――」


「――――?」


 胸元でぎゅっと強く手を握り込んだモプラが、真剣味の増した声音でそう言うと、未だ『色欲』が発動しないように目を閉じたままの顔にも真剣な色を宿し、


「わたしは、この力を消す方法を探す為に……旅に出たんです」


「権威を……消す方法――」


 その旅はどういった経緯を辿り、こうしてこの場に立つに至ったのか。

 シンゴはさらに質問を重ねる為に、その口を開いた――。


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