第3章:3 『ゴーストタウンの邂逅』
目の前にいるほぼ全裸と言って差し支えない男に、シンゴは頬を引き攣らせながら問うた。何故そんな恰好をしているのか――と。
すると、捏迷歪は自分の体を見下ろし、「ああ、これは――」と、
「ちょっと表で厳ついおっさんたちに絡まれちゃってさ。身ぐるみ剥がされながらも、近くにあった通路に咄嗟に飛び込んでここまで逃げて来た――って感じさ」
「そ、それで……」
割とちゃんとした理由で安心し、シンゴは内心ほっとした。なにせここはシンゴの暮らしていた世界とは違う世界だ。もしかして彼のようなスタイルもこの世界では常識なのかと思ってしまったのだ。しかしよくよく考えてみると、この世界の住人であるイレナの反応がもう答えみたいなものだった。
するとその当人であるイレナがようやく再起動したらしく、つんつんとシンゴの肩を突いてくる。何だ――と視線を向けると、イレナはそっと耳打ちをしてきた。
「ねえ、シンゴが持ってるあの服、いっぱいあるんだから一着あげちゃいなさいよ」
「ああ、そっか!」
「――――?」
内緒話を堂々と目の前でされ、歪はにっこりした顔のまま首を傾けている。
そんな歪に「ちょっと待っててな」と告げ、シンゴは背負っていたリュックを下ろす。留め具を外し中を覗き込むと、シンゴが現在着ている制服と全く同じ服が大量に詰め込まれていた。
王都での事件を経て、報酬の一つとしてシンゴは大量の制服を貰った。正直、好んでこの制服を着ていた訳ではなかったのだが、着慣れているという点では動きづらい服を貰うよりは良かったのかもしれない。
部屋一杯にあるその制服のうち何着かを着替え用として持ち出してきたのが、このリュックの中身の正体である。
シンゴは中から制服を上下分取り出すと、「はい、これ――」と歪に手渡す。
「見ての通り、同じやつが余るほどあるから、それは歪にやるよ」
「それは助かるな。ありがたく使わせて貰うよ」
歪は嬉しそうに感謝の言葉を述べ、シンゴから手渡された制服を早速身に着け始める。
着替え終わった歪を見ると、どうしてなかなか、かなり様になっているではないか。その黒髪黒眼も相まって全身真っ黒になってしまってはいるが、見ていて違和感は湧かない。
「驚いたなぁ。まるでぼくの為にあるような服だ。サイズもピッタリだし、色も凄く好みだよ」
「そりゃ良かった。てか、サイズぴったしなんだな……」
最初見たとき、確かに同じ身長だと思ったが、まさか体型までほとんど同じだとは思わなかった。
出会いこそ衝撃的だったが、シンゴは何かと共通点の多いこの少年に親近感を抱いた。
シンゴがそんな感慨を抱いていたときだ。次に歪が言った一言に、シンゴは軽く目を見張った。
「なんだか他人のような感じがしないぜ、シンゴくん――いや、シンゴとは。是非とも友達になりたいなぁ。――当然、イレナちゃんも」
「ちゃん……」
隣でイレナが何か呟いているが、今のシンゴの関心は完全に別にあった。まさか向こうも同じように感じてくれているとは思っていなかったのだ。
シンゴはしばし口を開けて呆然となっていたが、やがて徐々にその口角が持ち上がり、笑みを形作る。
不思議と喜びが込み上げてくるのを感じ、その衝動のまま歪に向かってぐっとサムズアップすると、
「ああ! 俺も歪と友達になりたい!」
「嬉しいな! 君とは長い付き合いになりそうな気がするよ、僕は」
「…………」
馬鹿と元全裸(ほぼ)の固い握手を見守るイレナの目は薄く細められ、その碧眼には呆れの色が浮かんでいた。
しかし、次に自分へと向いた歪に「よろしく」と手を差し出され、イレナは苦笑してからその手を握り返した。
そのときだった――。
「「――――?」」
「……どした、二人とも?」
何やら握手した途端、二人は目を見開いてお互いの顔を凝視し合う。しかしそれも一瞬で、シンゴが疑問の声をかけたときには二人の様子は元に戻っていた。
イレナが弾けるような笑みを浮かべて言う。
「こちらこそよろしく、捏迷歪くん! あたしも歪って呼んでいい?」
「もちろん構わないぜ、イレナちゃん」
「――――?」
互いに笑みを交換し挨拶を交わす二人を見て、シンゴは先ほどの二人の不自然な硬直はただの気のせいだったのかと、己の中で結論付ける。
すると、イレナが「そうだ!」と満面の笑みで手をポンと打つ。
「ねえ、歪! アンタさっき表から来たって言ってたけど、ここからどうやったら出られるか、道順分かる?」
「――! 分かるか、歪!?」
イレナにしてはなかなか頭が冴えてるな――と、そんな失礼なことを胸中で呟きながら、シンゴはイレナと共に歪に期待の眼差しを向ける。
歪は二人の期待の眼差しを受けると、片手をズボンのポケットに突っこみ、「ふっ」と余裕を含ませた笑みを漏らし――、
「覚えてない」
「「…………」」
――こうして、迷子が一人増えた。
――――――――――――――――――――
「あっはっはっ! ぼくも必死だったからさ、生き延びるのに懸命だったからさ、道順なんてさっぱりさ!」
笑いながらそう言う捏迷歪を先頭に、シンゴたちは彼の記憶に残っている限りで通路を進んでいた。もしかしたら運よく表に出られるかも――と、イレナが拳を握って提案してのことだったのだが、そのイレナのテンションは現在低迷気味だ。
というのも、あれから大分歩いているにも拘わらず、これといった進展は一つもないのである。最初のうちは記憶も新鮮なので、歪は「こっちだぜ――」とすいすい進んでいたのだが、今は「ここ、さっきも……」という具合である。
移動している間、特にやることもないので、シンゴは前を歩いている捏迷歪について考えてみた。少し気になることがあったのだ。
というのも、先ほど本人から名前はどういう字を書くのかを聞いた。するとシンゴの推測通り、彼はこの世界に来てから初めて会う『漢字』を用いた名を持つ人物だった。
『ねつまいいがみ』という名前は、日本では珍しい。というより、そんな名前の者はいない。
しかし彼の名は漢字。それも、見た目は日本人だと言われてもなんの違和感もない。
ここまでの捏迷歪の情報を整理すると、もしかして――という感慨が湧いてくるのも当然だろう。そして、分からないことは素直に聞く――が座右の銘であるキサラギ・シンゴは、早速本人に質問した。
「――なあ、歪」
「なに?」
「日本――って、知ってるか?」
さすがにイレナがいる手前、露骨に元の世界のことを出すのもどうかと思ってシンゴが出したのは、『日本』というワードだった。
今さらイレナに隠すことでもないと思うのだが、話しがもつれるのは確実なので、いずれアリスと相談した上で、カズもいるときに話すことにする。
そして尋ねられた歪はというと、肩越しにシンゴへ振り返り――、
「にほん……ぼくは知らないな。どこかの地名?」
「あー……まあ、そんなとこ。日本ってのは、俺の生まれた村の名前だよ」
咄嗟の返しにしては上々だろう。すると、隣のイレナからも「へ〜」という声が上がる。
「シンゴが生まれた村って、日本って言うんだ」
「まあな」
頷くシンゴに、今度は歪から質問が返ってくる。
「どうして、それをぼくに?」
「いや……俺の名前も、実は漢字で書くんだよ。んで、俺らの村の人以外で名前が漢字の奴って初めて会ったから、もしかして知ってるかなーって思って」
「……確かにぼくの生まれ育った所は大体の人が漢字だったけど、残念ながらシンゴの言う『にほん』って村は知らないな。でも、漢字の名前がそこまで珍しいって訳じゃないとぼくは思うぜ?」
「え、そうなのか?」
歪の口から語られた事実に、シンゴは目を見開いて驚きを顕にする。
すると、隣のイレナからも同調するような声が上がった。
「そうよ。確かにあたしも、漢字が名前に使われている人はシンゴと歪しか会ったことないけど、そういう地域があるってのは知ってたわよ?」
「……そうなのか」
もしや捏迷歪は、シンゴとアリスと同様に向こうの世界からこちらに来たのかも――と思っての質問だったのだが、どうやらシンゴの推測は外れたらしい。
もし歪がそうだった場合、元の世界に戻る方法の手がかりが掴めるかもしれないと思ったのだが、現実はそう甘くないようだ。
不意に提示された希望だったため、少しは期待していた分、その反動は少なからずシンゴの心に暗雲をもたらした。しかしすぐさまかぶりを振ると、鬱屈とした気分を吹き飛ばす。落ち込んでいる暇があったら、まずはこの迷子状態をどうにかしなければならない。
そう思い、一度頭の中をリセットする為に深呼吸をしようと、鼻から肺いっぱいに空気を吸い込んだときだった。鼻から入ってきた空気に、何やら悪臭が混ざり込んだ。
シンゴはその悪臭に「うっ」と呻くと、
「……なんか、臭くないか?」
顔を顰めながら鼻をつまみ、この臭いの正体を探るべく辺りを見渡す。
イレナと歪もシンゴの言葉を受け、この異様な臭いに気が付いたようで、シンゴ同様に臭いの正体を探し始める。
「こっち……か?」
悪臭を辿って歩くこと約十数メートル。シンゴは人が通ることのできない、光の閉ざされた建物と建物の狭い隙間を覗き込んだ。すると、さらにその腐臭にも似た悪臭が強くなり、シンゴは鼻をつまむ指に力を入れた。
「くっせえな……それに、暗くてよく見えねえ」
闇に目が慣れるよりも速く、シンゴは右目を紅く染め、『吸血鬼』の暗視能力を使用した。
右目の視界が闇の先を見通し、悪臭の正体を露見させる。
「――――ッ!?」
目を見開き、跳ね退くように尻餅を着いたシンゴは、こみ上げてくる嘔吐感に抗えず、後ろを向いてそのまま吐瀉物をぶちまけた。
そんなシンゴの様子に歪とイレナも気付き、慌てて駆け寄ってくる。そしてシンゴが左目を向ける狭い隙間を覗き込んだ。そこには――、
「うわ」
「うっ……」
最初は暗くてよく見れなかったのか、しばらく不審げに奥を覗き込んだのち、歪とイレナが顔を嫌悪に歪ませて呻き声を上げた。
隙間にあったのもの、それは――、
「死体……」
イレナが鼻をつまんで、臭いの正体を告げる。
およそ人が入り込めることが不可能な隙間に、その死体は四肢を強引に折り曲げられて詰め込まれていた。
あまりにもぐちゃぐちゃで、性別すら分からない。さらに死後から大分経っているようで、腐敗が激しいのもその素性が分からない原因の一つだった。
ぶんぶんと耳障りな音が響く。死体に群がるハエのような虫の羽音に、遅まきながら気が付いた。
明らかに他殺。それも、以前『リジオン』の村で見たあの死体よりも凄惨な殺され方だ。
その凄惨さに拍車をかけているのが、辛うじて原型を留めていた死体の頭部にある。
「……顔の皮膚が剥がされてる」
余裕そうな顔でそう告げる歪だが、その頬には冷や汗が伝っている。
そして今しがた歪が言った通り、死体の顔面はただ腐りかけた肉のみしか見えず、本来そこにあったはずの皮膚は首元から頭部に至るまで綺麗に剥がされていた。
「げほっ……なん、だよ……なんなんだよ……」
シンゴは未だに抜けきらない不快感に抗いながら、日常に突如割り込んできたこの死体という異物に対し、顔を歪め、ただ疑問の言葉を吐き出す。
もしかしたら、自分は舐めていたのかもしれない。ここ『ウォー』は確かに危ない奴らが跋扈する所だ。だが、それは対岸の火事であって、その火の粉は決してこちらの岸には飛んでこないと、そう心のどこかで楽観していたのかもしれない。
しかしどうだ。現実は悲惨なまでに残酷で、そして日常は非日常と表裏一体なのだと、この死体の惨たらしさが雄弁に語りかけてくる。
認識が甘かったのだ。あれだけ痛くて苦しい経験をしておいて、未だにキサラギ・シンゴは、あのぬるま湯のように優しい世界の感性が抜けきっていない。
もうここは、あの平和な世界ではない。大人の庇護下で悠々とした安寧を享受できていた、あの日常がある日本ではない。
――ここは『ピスト・リドルワーツ』。
地球とは違う、別の世界。魔法があり、人間以外の種族が存在する世界。
改めてそのことを強く認識する。そして、こんな世界のどこかにいるイチゴを早く見付けなければと、強く意識させられた。
「……さっきの、階段の下にあった小さな広場に戻るわよ」
「…………あ、ぁ」
イレナの提案に、異論を唱える者は誰もいなかった。
――――――――――――――――――――
「――落ち着いた、シンゴ?」
「ああ……なんとか」
シンゴが無謀なダイブを試みたあの小さな広場には、石で囲まれた小さな噴水があった。
小さな粒となって落ちてくる水滴を両手で受け止め、顔を洗い、口を濯ぐ。何度かそれを繰り返す内に、水の冷たさが心にへばり付いたヘドロのような不快感を洗い流してくれた。
水の滴る髪を犬のように頭を振って飛ばしながら、シンゴは待ってくれていたイレナと歪の元まで来て感謝の言葉を一言述べる。
すると、石壁にもたれ掛っていた歪がポケットに突っ込んでいた両手のうち片方の手を抜きだし、ひらひら振りながら答える。
「構わないよ。あんなものを見たあとじゃ、そうなるのも当然さ」
そう薄く微笑みながら告げ、もう片方の手をポケットから抜くと、両手を左右に広げるようにして告げる。
「ここは物騒な所だからね。死体の一つや二つ転がっていても不思議じゃない。――ま、さっきみたいな死体は珍しいけどね。まるで遊び半分でああしたみたいな感じだった。……ぼくは凄く不快に感じたし、あんなことをする奴は許せない」
「まったくよ! あんな人を侮辱するようなやり方……やった奴の顔が見てみたいわ! そしてその顔に一発キツイのを入れてやるんだから!」
「殺さない程度にな……」
シンゴはそう答えながら、二人は強いな――と心の中で称賛する。
もし二人のような強い心があれば、自分の馬鹿も少しはマシになるかもしれない。しかし、そう簡単に強い心など手には入らないことは分かっている。こればかりは、ちょっとやそっとの覚悟でどうこうなるものではないのだ。
だが、それでも、キサラギ・シンゴは欲しい。何ごとにも動じない鋼の心を。でなければ、そう遠くないうちに大切な何かを取りこぼしてしまうような気がしたから――。
「――ともあれ、これからどうする?」
シンゴは一度目を閉じて意識を切り替えると、再び開いた目を二人に向ける。
一人はポケットに片手を突っ込み、もう片方の手を顎に当て、もう一人は腕を組んで思案げに眉を寄せる。
「こういうのはどうかな」
顎に当てていた手を外して人差し指を立てた歪が、その指をすっと反対側の――シンゴたちが来た上の通路とは逆の、この小さな広場から伸びている通路を指差した。
「あの死体は死んでから時間が経ってるけど、必ずしもあの辺りに危険がないとは限らない。それに、押してダメなら引いてみるってのも手だぜ?」
「なるほど……逆転の発想か」
「うん、あたしは歪の案に賛成よ」
確かに延々とあの通路を彷徨うよりは現実的かもしれない。さらに歪が言った通り、あの死体をあそこに詰め込んだ誰かがまだ近くにいるかもしれない。可能性は経過時間的に薄いのかもしれないが、危ないと安全なら、安全を選んだ方がいいだろう。こういうところでの選択が、後々訪れる運命の分岐点なのかもしれないから。
それに、逆に進んでみたら案外簡単にこの通路を抜けられるかもしれない。そういうことは、世の中では何かとあるものだ。
そうと決まれば行動だ。三人は歪を先頭にして広場を後にした――。
――――――――――――――――――――
「おお! 本当に出た!」
シンゴが喜びの声を上げ、後ろの二人に向かってサムズアップする。
イレナは苦笑し、歪は薄い微笑を浮かべながら、ポケットから出した片手をサムズアップさせることで応じる。
通路からの脱出を湛え合う三人だったが、やがてそれが落ち着くと、シンゴがぽつりと呟いた。
「――で、ここってどこだ?」
「「さあ」」
三人は確かに開けた場所に出た。出たのだが、そこは大通りではなく、そもそも見知らぬ場所だった。
シンゴはぐるっと辺りを見渡す。目に飛び込んでくるのは、半ば崩れ落ちた石の廃墟に、石の壁。荒れ果てひび割れた地面だ。なにより、人が一人もいない。
そう、言うなればここは――、
「ゴーストタウン……みたいな感じ、か……」
おそらくここは『ウォー』の中だろうが、まさかこんな所があるとは思ってもみなかった。カズが言っていた経済云々に関しても、やはりその恩恵を享受できる者とそうでない者たちがいるのだろう。そしてここは、享受できない人たちが住んでいた区画の成れの果て――。
「あの迷路を抜けたはいいものの、状況的には対して変わってないな……」
ため息を零して肩を落とすシンゴだったが、隣から「そんなことないよ」と歪が声をかけてくる。
「少なくとも、簡単に迷うことはなくなる。視野が開けた分、目的地も探しやすいさ」
「歪の言う通りよ。とりあえず人を探して道を聞けばいいんだから、難易度はずっと低いはずよ!」
「そっか……そうだよな!」
二人の意見に後押しされ、シンゴは現状がそう落ち込むような状況ではないと認識する。そう認識すると、ちゃんと前進していると感じられ、目標まで近付いている実感が湧く。
実際は後退した分頑張って前進しているだけであって、現状ではまだマイナスなのだが、そのような自覚は当然のことながらシンゴの頭の中にはない。
「さて……そうなると、どっちに向かうかだけど――」
シンゴはそう呟いてきょろきょろ辺りを見渡しながら、ゴーストタウンの中へと足を踏み入れる。
ここは『ウォー』の中のはずだから、ちゃんとここからも人が賑わう場所にまで続く道があるはずだ。
まずはその道を探す。そして人に会い、道を尋ねる。この方針だ。
強面さんでも、きっと話が通じる人がいると思う。しかし、話しかける相手は慎重に選ばなければならない。でなければ、歪と同じ末路を辿ることになってしまう。
三人は寂れた廃墟たちに視線を彷徨わせながら、どんどん歩みを進めていく。
――それは、数分歩いたところで起きた。
「ぐほッ!?」「きゃ!」
どこから現れたのか、突然シンゴの脇腹に何者かがぶつかった。
シンゴは『吸血鬼』の再生能力が発動するのを感じながら、激しいデジャブを感じて首を傾げた。つい先ほど、このような出会いを捏迷歪としたばかりだ。
またかよ――と胸中で呟きながら上体を起こすと、目の前に尻餅を着いている少女の姿があった。しかしシンゴの視線は、そんな少女の後ろに向けられた。
少女が倒れ込む後ろには、おそらく昔は飲食店だったであろうぼろぼろの建物が見えた。その程度ならここに来るまでに何度も似たような建造物を見たが、シンゴが目を付けたのはそこではない。
旧飲食店の壁に、人が一人だけ通り抜けられるような綺麗な穴が空いていたのだ。
あまりにも不自然な形だ。専用の器具でも使わなければ、あんな穴は空けられない。しかも、シンゴがぶつかった少女が走ってきた方向にはあの飲食店があり、近くには通れるような道はなかった。
「――――?」
シンゴは不思議に思いながらも、ようやく尻餅を着いている少女に目を向けた。
白と赤のパーカーのような上着に、赤色のショートパンツのようなズボン。手には赤い抜き手のグローブを付けており、そして左右の耳元で束ねただけの淡いピンクの髪が、白いフードの隙間から覗いていた。
しかし少女の顔はフードで上半分ほどが隠されており、その顔は口元しか見えない。
慌ててイレナがその少女に駆け寄り助け起こそうとするが、少女はイレナが近くに来たのを見てびくりと肩を震わせた。
その反応を受け、イレナが少女に伸ばしかけた手を途中で止めた――そのときだった。
捏迷歪が壁に穴の空いたあの旧飲食店を見ながら、微笑を浮かべてぽつりと呟いた。
「――なにかくるね」
「え――」
――次の瞬間、旧飲食店の石壁が爆炎に包まれて吹き飛んだ。
「あ……がっ……!?」
飛んでくる瓦礫に、シンゴは咄嗟に身を伏せて頭部を守るように両手を回す。
腕の隙間からちらりとあの少女はどうなったと覗くと、イレナが氷で作った人間大の盾を構え、飛んでくる瓦礫の嵐から少女を守っていた。ふと見れば、歪もちゃっかり盾の影に隠れて瓦礫をやり過ごしている。
「――――」
やがて土煙が立ち込める中で、シンゴはゆっくりと体を起こした。見れば、イレナたちも同じように体を起こし、突然の爆発に眉を寄せている。
そんな彼女たちの元にシンゴが駆け寄ろうと立ち上がったときだった。爆発した飲食店があった方向、土煙の奥から二人分の声が響いてきた。
「ようやく見つけましたね、シア」
「うん。やっと見つけたよ、テラ」
「――――ッ」
女と男の声。その声を聞いた途端、少女が息を呑んで、イレナの服の袖をぎゅっと握った。
やがてうっすらと晴れてきた土煙の向こう側に、二つのシルエットが浮かび上がった。
その二つのシルエットを見据え、シンゴが掠れた声を精一杯に張り上げて質問を投げかけた。
「だ……誰だッ!?」
「……うるさい馬鹿がいるようですね」
「……うん。うるさいアホがいるね」
「誰が馬鹿でアホだ!?」
まだ話してすぐで、しかも姿も見ていない輩にそんなことを言われる筋合いはないと慟哭するシンゴの目の前、土煙を突き抜けて歩いてきた二人の姿が顕となる。
一人は紅髪に藍色の軍服のようなもの着込んだ美しい少女だ。そしてその隣にいるのは、藍色の髪に紅色の軍服のようなものを身に着けた、紅髪の少女と瓜二つの顔を持つ少年だ。
さらに二人は腰にそれぞれ剣を帯びており、シンゴが呆然としている目の前で二人はその剣の柄を握ると、しゃん――という流麗な音を響かせ引き抜いた。
そのまま二人は、鋭い風切り音を鳴らせて切っ先をシンゴたちに突き付けると、まるで命令するように告げた。
「「『肉欲』を渡せ。さもなくば――殺す」」
「――は?」
廃れたゴーストタウンにて、キサラギ・シンゴは邂逅した。
剃刀のような鋭い剣気を発する男と女。そして彼らに追われる、謎の少女に――。




