第3章:2 『視線』
「ここが……『ウォー』!」
目を見開くシンゴの眼前に広がるのは、建造物のほとんどが石で出来た都市だ。
石で出来ていると聞くと少し時代が古いように感じるかもしれないが、それでも経済などの回り具合は王都にも引けを取らない。
「――ってな感じだ」
「へえ〜」
『ウォー』の経済事情について軽く説明を交えたカズだったが、シンゴは石のみで出来た街並みに目を奪われており、粗雑な返事で答える。
そんなシンゴのいい加減な対応を受け、カズは深いため息を一つ零し、
「お前に経済の説明をしたオレが馬鹿だった……」
「そ、そんなことないよ。ボクも田舎育ちで世間に疎いところがあるから、カズの説明は凄く勉強になる」
自嘲気味に「へっ」といじけるカズに、慌ててアリスがフォローを入れる。
ちなみにアリスだが、ちゃっかり「田舎育ちで――」と前置きを入れているところから、己にもシンゴと同様の疑惑――つまり、馬鹿ではないだろうかという疑いがかけられないように予防線を張っているあたり、さっきのやり取りからしっかりと学習していた。
――ただ、シンゴの場合は、とうの昔に疑惑は確信となっているが。
すると、そんなアリスの横から突然イレナが駆け出した。何だ――と疑問符を浮かべるアリスとカズの視線を背中に受けながら、イレナはシンゴの隣に並ぶようにして立ち止まる。そして隣のシンゴ同様に首をふりふりさせながら街並みを観察し始める。
首ふりふりは数秒続き、やがて二人は勢いよく同時に振り向くと、
「早く行こうぜ!」「早く行くわよ!」
瞳の奥に眩い星が見えそうな強い期待が込められた目を二人分向けられる。そんな二人の様子にアリスとカズは顔を見合わせると、思わずといった様子で吹き出した。
やがて、高速で振られる尻尾が幻視できそうな二人の期待の眼差しに耐え兼ね、カズは後頭部を掻きながら「分かった分かった……」と、今にも走り出しかねない二人を片手で『落ち着け』のジェスチャーで宥める。
「とりあえず、宿を確保するのが先だ」
「おう!」「分かったわ!」
カズの提案にぐっと拳を握り即答する二人。こちらの返事を待たずにさっさと歩きだしてしまうシンゴとイレナを見て、なんだか遊園地に遊びにきた子供みたいだなと、本人たちが聞いたら全力で首を横に振るであろう感想をアリスは抱いた。
放っておいたらガンガン先に行ってしまい、そのまま迷子になってしまいそうな勢いの二人に、カズとアリスは仕方ない――といった様子で、駆け足であとを追う。追うのだが――、
「「…………」」
徐々にシンゴとイレナのテンションが低落して行き、やがて底に到達した。
黙々と速度の落ちた歩みを続ける二人。そんな様子に訝しむアリスとカズだったが、ふと何故二人があんな状態になってしまったのかを遅れながら理解する。
「……なるほどな」
「凄そうな人たち、だね……」
石でできた街並みにばかり気を取られていて気付くのに遅れたが、先ほどから周りを行き交う人々は皆一様に強面の、それも荒くれ者といった風情の者たちばかりである。
比率的には男性が多いが、中には女性の姿も見受けられる。ただ、その女性たちも不用意に近付けばヤラれかねない危険な雰囲気と風貌をしていた。
しかも、よそ者感たっぷりのシンゴたちが珍しいのか、すれ違う者は皆シンゴたちに値踏みするような視線を這わせてくるのだ。これではシンゴとイレナのテンションが急落するのも頷けよう。
そうこうしているうちに、アリスとカズは完全に萎縮してしまっている二人に追い付く。
シンゴとイレナも二人が追い付いたと分かったのか、くるりと背後へ振り向いた。振り向いた二人は――、
「ここの人たち、おっかねえよ……!」
「やっぱり、ここは『ウォー』だわ――ッ」
「だろうな」
二人の今さら過ぎる発言に、真剣に相手をすると疲れると判断したカズが無関心な相槌を打つ。
アリスも少し上体を傾けて、覗き込むように二人の顔色を窺い見てみる。
二人の顔は同様に青く、目は完全に泳いでいた。
すれ違う人全てに怯えた目を向けるシンゴとイレナ。完全に最初のハイテンションはどこかに消えてしまっている。
――そう、ここは『ウォー』なのだ。
王都で最初に話しを聞いたとき、何かと物騒だとカズが言っていたではないか。そのことを完全に忘却していたシンゴと、楽観的に構えてしっぺ返しを食らったイレナ。自業自得という言葉がとても相応しい状況である。
その後、四人は大人しく、あまり会話することもなく大通りを進んだ。
すると――、
「――? なあ、あれって何だ?」
シンゴが指差す先には、この都市の建造物の中でも一際高い建物が見える。まるで塔のようなその建造物も、当然石で出来ているようだ。
おそらく位置的に、この『ウォー』の中心にそびえ立っているのだろう。
三人分の視線がカズへと向けられるが、当のカズは「あのなぁ……」と辟易した表情を覗かせ、
「全部オレに聞けば分かるってもんじゃねぇんだぞ? オレは生まれてからほとんど村の外には出たことねぇんだ。今知ってることも、大体が村に立ち寄った商人とかから聞いて得た知識だ。知らねぇことの方が多い。んで、あのでっけぇ建物は、知らねぇ方だ」
「そっか……使えねえな」
「泣くぞ!?」
多分に攻撃力を含ませたシンゴの何気ない一言に、カズが目を剥いて吠える。しかし周りの強面たちの視線が集まり、四人は咄嗟に愛想笑いを浮かべて事なきを得る。
やがてその強面たちが離れて行ったのを確認し、詰めていた息を四人同時に吐き出す。
そのときだった――。
「――――ッ!?」
「――? どうした、アリス?」
突然ばっと背後を振り向いたアリスが、鬼気迫る表情できょろきょろと視線を彷徨わせ始めた。
そんなアリスの突然な行動に、シンゴがぽけっとした顔で尋ねる。しかしシンゴ以外の二人はアリスのその行動を受け、何かただならぬ予感を感じ取っていた。
何故なら、アリスの勘は何かと当たる。それに改めて意識を背後にのみ絞って向けてみると、何やら不穏な視線を感じた。粘つくような悪意を多分に含んでおきながら、どこか憧憬にも似た念が乗せられた、矛盾を孕んだ視線だ。そのことに気付いたのは、シンゴを除いた三人のみである。
「――んん?」
状況から取り残されたシンゴは、とりあえず片手で日傘を作るようにして三人が見ている方向へと視線を向けてみるが、強面さんたちに睨み返されるだけで、他には何も見付けられない。
何か置いてけぼりを食らってるようで釈然としない。そうシンゴが感じ始めたときだ。急に三人がばっとシンゴへと振り返った。
「え……なに?」
あまりにも息の揃ったその振り向きに、本来なら思わず吹き出していただろう。しかし今はそんなことはできない。何故なら、シンゴを見る三人の顔は鬼気迫るものであり、それでいてどこか訝しむといったものだったからだ。
正直、訝しみたいのはシンゴの方である。それにあまり気持ちのいい視線ではない。なので、シンゴが遠慮がちに声をかけようとしたときだ。
三人は再びぎょっとして背後を見やる。
え、またかよ――と心の中で呟くシンゴだが、次の瞬間には三人共深々と息を吐き出して脱力した。
そんな不可思議なパントマイムを繰り広げる三人に眉を寄せながら、シンゴはいつものように分からないことは素直に聞く、を実行した。
「どしたん、三人して?」
「……視線を感じたんだよ。それも、あまり気分のいいものではない類のものをね。しかもその視線には、執念にも憧憬にも似た想いが込められていて……正直、ボクは凄く気持ち悪かった」
「ま、マジですか……」
シンゴは頬を引き攣らせて驚きを顕にするが、もっと驚いたのが、何者かの視線を感じ取ったというこの三人の人間離れした感覚だ。
どこの漫画だよとツッコミたいのは山々だが、目の前にいる三人は厳密に言えばシンゴとは違う人種である。
姿形は似ているとは言え、やはり世界の隔たりというものは大きいようだ。
しかしこの話しはここで終わりではなかった。次にイレナが告げた事実に、シンゴはうすら寒いものを感じた。
「他人ごとみたいに言ってるけど、今の視線、途中からシンゴに向いてたわよ……?」
「え……は? なんで、俺なんかに……」
「それは分からんが、少なくとも好意的に捉えるのはやめた方がいいな」
「…………」
イレナに同意するようにカズが頷き、そうダメ押しを加える。
まさか自分にそんな視線が向けられるなんて思ってもみなかったシンゴは、全く予想していなかった事態に困り顔で腕を組んだ。
どこかで恨みを買うようなことをした記憶はないが、それはシンゴがそう思っているだけで、向こうはそうとは思っていない可能性だってある。というか、世の中そんな場合の方が多い。
「……シンゴ、この『ウォー』にいる間は念のために気を張っておいた方がいい。何か不審な人物を見たら、すぐにボクたちに伝えるんだ」
「あ、ああ……」
アリスの釘を刺すようなセリフに、シンゴはごくりと喉を鳴らした。
そのまま四人は沈黙してしまうが、やがてその重い沈黙を吹き飛ばすように、イレナが声を明るくさせて言った。
「ま、大丈夫よ! いざとなったら、あたしもアリスもカズもいるんだから!」
「……当然のことながら、俺は戦力外ね」
「だって、戦えないでしょ?」
「うぐ……ッ」
何も言い返すことができず、シンゴは喉を詰まらせて口を引き結ぶ。
そんな二人のやり取りに、アリスとカズも僅かに張り詰めていた気を緩め、その顔に少しではあるが微笑を覗かせた。
それらを見て取ったイレナは、腰に手を当て「うん!」とドヤ顔で頷くと、
「ビクビクしてても始まらないわよ! そもそもここはそういう所なんだから! いちいち気にしてたら、シンゴの場合は取り返しがつかないレベルで頭がおかしくなっちゃうわよ!」
「失礼な。お前も対して変わんねえだろ、知能レベル」
「そんなことないわよ! ……たぶん?」
「何故に疑問形……」
いつの間にかいつものやり取りをしている自分に気付き、シンゴはこの少女の明るさに心の中で感謝した。無理やりにでも明るく振る舞ってくれる者が一人いるだけで、この鬱屈とした気分も少しだけ楽になる。もちろん、口に出すなんてことはしないが――。
そんなイレナの陽気さに感化されたのか、カズは「そうだな」と腕を組んで不敵に笑うと、
「こんなとこでぐちぐちしててもしょうがねぇ。まずは宿、それからイチゴについての情報収集だ!」
「そしてあたしは、アルネの情報を!」
「そうだね。やっぱりまずは酒場とかが無難かな……?」
「――――」
それぞれに、それぞれの感情を含めた笑みを向けられる。だが、その視線には同様にシンゴへの気遣いが見て取れた。そんな三人分の視線がこそばゆくて、シンゴは顔を伏せる。
確かに少し驚いたが、今さら好意的ではない視線くらいでどうというのだ。それ以上の恐怖はもう十分に体験している。それに現在進行形で強面さんたちの鋭い視線が突き刺さっている。
シンゴは勢いよく顔を上げると、歯を見せて笑いながらぐっと親指を立て――、
「だな! こんな強面だらけのとこでイチゴを一人にさせておくわけに――ひっ!?」
強面――の辺りで周りから向けられる視線に苛立ちと怒りが含まれた。
どうやらシンゴにもこのような視線なら明瞭に感じ取ることはできるようだ。正直あまり嬉しい技能ではない。
顔面を蒼白にさせながら愛想笑いを強面さんたちに振りまくシンゴを見て、カズが深々とため息を吐いた。そしておもむろにシンゴに近寄ると、その背中を少し強めの勢いでばんっ――と引っぱたいた。「いぎっ!?」とよろめくシンゴの横に立つと、まるで手のかかる弟を叱りつけるように声をかけた。
「ほら、いい加減に行くぞ! もたもたしてたら日が暮れ――お?」
「どうしたのよ?」
イレナに続き、アリスもカズの視線を追って前方を見やる。シンゴも叩かれた背中の痛みが『吸血鬼』の再生能力で引いていくのを感じながら、左目だけをその方向に向ける。
三人が視線を向けた先では、何やら人だかりが出来つつあった。
すると突如怒号が鳴り響き、周りに集まった野次馬がはやし立てるように口笛を吹き鳴らし、口汚い言葉を飛ばし始めた。
「何かあったみたいだね」
「なんだ……喧嘩か?」
「ちょっと……あれじゃ人が密集しすぎて通れないじゃない!」
不満げに眉を吊り上げたイレナは、「ちょっと文句言ってくる!」と言うが早いか、人だかりに向かって走り出した。
そんなイレナの言葉と行動の速さにぎょっとなり、慌ててイレナを追い駆け出すアリスとカズ。当然シンゴもそのあとを追おうとして――、
「――え?」
首裏辺りに何か静電気が走ったような感覚がして、シンゴはばっと背後を振り返った。
視線を彷徨わせるように、行き交う人々、建物の影、強面のオッサンが店主の雑貨屋へと順に向ける。
どこにも不審なところは見当たらない。というより、挙動不審なシンゴの方が怪しい。その証拠に、先ほどから強面たちの奇異なものを見る視線が少し痛いし怖い。
首を傾げ、改めてアリスたちのあとを追うために振り向こうとしたとき――“アレ”が現れた。
「――――ッ!!」
不意に現れた、陽炎のような小さな『影』。――それも、複数。
『影』は一様にシンゴの腰くらいの高さで、四足歩行の動物の形を取っている。
そんな『影』たちの存在を認識した途端、シンゴの顔が恐怖で盛大に歪んだ。
――まただ。
逃げても、隠れても、“コイツら”はシンゴに追い付いてきて、そして見付かる。
最初にこの『影』を見たのは、バレンシール修道院でシンゴに与えられた一室で夜に。その後もこの『影』たちは度々現れている。しかし最初を除けば、シンゴの傍には必ず手の届く範囲に誰かがいた。しかし今は、手の届く範囲に仲間の姿はない。
アリスたちと自分の間にあるのは十メートルそこらの短い距離だが、今はその距離が途方もなく遠く感じる。
慌ててアリスたちの方へと駆け出そうとして、一歩踏み出した足に急制動をかける。
――新たに『影』が、まるでシンゴの行く手を塞ぐようにして生まれたからだ。
獲物を品定めするようなぎらついた視線が無数に飛んでくる。
舐め回すようなその視線に付随して照射されるのは、シンプルかつ非情な欲望――ただひたすら『食べたい』という願望だ。
首裏に走った違和感など、既に頭の中から完全に消え去っていた。
「ま、っ……て……!」
小さくか細い掠れ声が零れ落ちる。同時に、離れていく三人の背中に助けを求めるように手を伸ばそうとする。当然、声も手も、彼らには届かない。
喉の筋肉が痙攣したように震え出し、恐怖で塞がる。もはや満足に言葉を紡ぐことすらできなくなった。
――気付けば、周りを囲まれていた。
「はぁ、はぁ……くる……な……ッ」
徐々に小さくなる『影』の輪に、シンゴは頭を抱える。呼吸が速く、そして浅くなる。冷や汗がどっと吹き出し、ばくばくと速いリズムを刻む心音がうるさい。
心の状態は完全に平常時とは程遠く、乱れ、慌て、平静を失う。
この状況から逃れようと眼球がぎょろぎょろと動き回り、縋れるものを必死に探し求める。
やがて血走ったその目が、近くにあった細い通路で止まる。見付けるや否や、シンゴは迷わず駆け出していた。
背後を一切振り向かず、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、細い通路を全力で走り抜ける。
複雑に入り組む通路は、まるで王都で何度も使用したあの迷路のようだ。
石で出来た壁に囲まれた細い通路を右に左に、何も考えず走り抜ける。
頭の中を埋めるのは恐怖の二文字のみ。それ以外のことなど考える余裕すらない。
まさかあんなタイミングで『影』に見付かるなんて思いもよらなかった。
無我夢中で走り続けていると、知らぬ間に自分で聞いても気味の悪い掠れた笑い声が口から漏れ出ていた。
「ひ……ふひ……食べ、ないで……食べない……ひ……」
狂ったような笑みを浮かべながら、涙を流して通路を走り抜ける。
不意に前が開けた。目の前には左右に向かって伸びる階段が下に向かって伸びており、他に道はない。
一刻も早く距離を稼がなければならない。もっと速く、もっと遠くに――。
不意に己の内で何かが脈打ったが、今はそんな意味の分からないものの相手をしている暇も余裕もない。
シンゴは走る速度を緩めることなく、階段を無視して“直進”した。下手をすると十メートルはあろうかという段差からなんの躊躇もなく飛び降りる。
「――――ぁ」
飛び降りてから、何故こんなことをしたのだろうと内心首を傾げるが、後悔の念が生じる前に地面が近付く。
しかし訪れるはずの衝撃はこなかった。代わりに響いたのは、力強い詠唱だ。
「『アイス・ズ・メイク』!!」
冷気が迸り、落下するシンゴを追い越す。その冷気は一足先に地面に到達し、瞬く間に氷の滑り台を形成する。
「うぁ――!?」
途中で曲線を描いているとはいえ、急な角度なことには変わりない。
シンゴの体は地面にぶつからなかったが、そのまま物凄い速度で氷の上を滑って行く。そして――、
「おがッ――!?」
止まれることもできず、シンゴは割と洒落にならない速度で壁に激突した。
潰れたカエルのように壁に張り付いたまま、徐々にずるずると地面に滑り落ちてうつ伏せに倒れる。
すると、何やら遠くから聞き慣れた少女の声が聞こえた。
「よかった! なんとか間に合――」
途中で言葉が切れたのは、壁の近くで伸びているシンゴの姿を確認したからだろう。
一瞬だけ意識が飛んでいたシンゴは慌てて跳ね起きると、血走った目を辺りに彷徨わせた。鼻血が『吸血鬼』の力で蒸発し、煙を顔から上げる。数秒の沈黙を経て、『影』の姿が見えないことにほっと安堵の息を吐く。
ようやく心に余裕が生まれたシンゴはその場に座り込みながら、今しがた無謀なダイブを試みた階段へと視線を向ける。
見れば、その階段の片側を駆け下りてこちらに向かって走ってくる少女の姿が見えた。
――イレナだ。
どうやらシンゴが突然通路に入って行ったのを見て、そのあとを追いかけてきたらしい。
ここまで走ってきた道順は正直覚えていないが、めちゃくちゃな道順を辿ったのはなんとなくだが覚えている。――にも拘わらず、イレナがシンゴに追い付けたのはそのあとをずっと追って来たからだろうか。
やってしまった――と乾いた笑みを零すシンゴに、駆け寄ってきたイレナが腰に手を当てながら眉を吊り上げた。
「急に何してんのよ! 何度呼んでも全然反応しないし、挙句の果てにあんな高い所から飛び降りるなんて!」
「わ……わるい。ちょっと持病の突然走り出したくなる衝動が……」
「え、そうなの?」
「……ごめん、嘘です」
まさか信じるとは思っていなかったので、思わず嘘だと答えてしまった。当然イレナは怒り心頭で――
「とりあえず無事でよかったわよ……もう、なんで急に自分から迷子になるようなことしたのよ……」
「え……と、それは――」
いつもなら、ぷんぷんという擬音が付きそうな勢いで怒り出すのだが、今回はいやに真摯な態度でシンゴのことを心配してくれる。
そのことに不信感を抱いたが、つい先ほど妙な視線を感じたばかりなのでそれも当然かと考え直す。
「……ちょっと、やばい視線を感じて……激しく混乱した」
半分は本当だ。あの『影』たちの視線は、何度経験しても身震いしてしまいそうになる。
しかもあの『影』はどうやらシンゴにしか見えていない様子。一度さりげなくカズに相談したところ、頭の方を心配された。
「そうなんだ……確かにあの視線はシンゴに向けられていたし、あたしたちが感じたものより、もっとこう……強かったのかもね」
「…………」
イレナの推測の言葉に、シンゴは沈黙で返す。
そんなシンゴの様子に対し、イレナは膝に手を当てて屈みこむように視線を下げ、「本当に大丈夫なの……?」と心配そうに声をかけてくる。
そんなイレナの声音と表情に、いつまでもビビって蹲っている訳にはいかないと己を叱咤する。そして「よし!」と呟いて立ち上がると、未だに心配そうな視線を向けてくるイレナにぐっとサムズアップし、
「もう大丈夫だ! 確かにめちゃくちゃ怖かったけど、今は何も感じないしな! そんなことより、さっさ――と……」
「どうしたの?」
「い、いや〜……」
シンゴはきょとんと首を傾げるイレナの視線からそっと目を逸らすと、心底参ったといった様子で頬をぽりぽり掻く。そして、すっとイレナの背後を指差すと――、
「アリスとカズが、さ……」
「――? アリスとカズがどうしたのよ? ……そう言えば、さっきからあたししか話して――」
後ろを振り向いたイレナは、自分の後ろに誰もいないのを見て固まる。
そんなイレナの様子から、おそらくアリスとカズがちゃんと自分に付いて来ていると思っていたのだろうと考える。
一瞬だけ固まったイレナは、まるで錆び付いた機械のような動きで、ぎぎぎ――と視線をシンゴに戻す。
光の灯っていないイレナの目に見詰められ、とりあえず先に土下座しておく。
しかし、当然そんなことで許してもらえるわけもなく――、
「はぐれちゃったじゃない!?」
「ごめんなさい……ッ!」
「どうするのよ……あたし、全然道順なんか覚えてないわよ!? きっとアリスかカズが覚えてると思って……」
「…………」
ここで他人任せかよ――とツッコミを入れるのは無粋、というよりお前が言うなと怒鳴られかねない。
こうなってしまったのはシンゴのせいだ。なら、ここは汚名返上のための行動を起こすべきか――。
「――まあ、とりあえずあの大通りに戻ろうぜ。というか、イレナ。お前の……あの、ゼロなんじゃらを使ってどっかの屋根に上がれば、大通りのある方角くらいはすぐに分かるんじゃねえかな?」
我ながら名案を捻り出したと胸中で自画自賛するシンゴだったが、何やらイレナは乗り気ではない。
曰く――、
「『ゼロ・シフト』を使うとあたし、体力ごっそり持ってかれちゃって歩けないんだけど……」
「……でもお前、一度だけじゃなくて、二回とか三回とか使ってたじゃん」
過去を振り返ってみても、確かにイレナは『ゼロ・シフト』を複数回使用してからぶっ倒れている。なのに、何故そんなに渋る必要があるというのだろうか。
訝しげに首を傾げるシンゴに、イレナは「はぁ……」とため息を零すと、
「万全の状態なら何回か使えるけど、シンゴが『ウォー』までもう少しだから、休まず一気に行こう――なんて言うから、正直残りの体力で使えるのは二回が限界よ。それに一回目を使ったあとは、歩くこともできなくなると思うし……」
「じゃあ……」
「手探りで戻るしかないわね」
そう結論を出すと、イレナは「そうと決まれば行くわよ!」と歩き出してしまう。
相変わらず即断即決なイレナの態度に、シンゴは胸中でたくましいなと、本人が聞いたらまた喚き出しかねない感慨を浮かべる。
当然そんなことは口には出さず、シンゴはその背中を慌てて追いかけて横に並ぶと、ふと気になったことを尋ねた。
「そういやさ、さっきの魔法――」
「『アイス・ズ・メイク』のこと?」
「そう、それ! その魔法って確か、武器とかしか作れないんじゃなかったっけ?」
「ああ、それね――」
王都でイレナがあの氷の魔法を使った際、色んな武器を生成していたが、逆に武器以外のものは見ていない。しかし先ほどは滑り台のようなものを生成していた。そこがふと気になっての質問だったのだが、質問されたイレナは少し言いづらそうに頬を掻く。
しかし観念したのか、「実は――」と前置きしてから話し始めた。
「あたしも最初は武器を作る魔法だと思ってたんだけど、どうやらあの魔法は込められた『フィラ』の量に比例して、色んな大きさの物を作り出せるみたいなのよ。あたしは今まで武器しか作ってこなかったから、込める『フィラ』も一定量だったから全然気付かなかったんだけどね」
「す、すげえ便利な魔法じゃん! ……でも、いつそうだって気付いたんだ?」
「それはほら、サラスから貰ったあの本のおかげよ。あの魔法のことについても記されていて、すっごく驚いたわよ」
「ああ、あれか……」
王都を旅立つ際にサラスから貰った餞別。確か『魔道書』とか言っただろうか。
生憎シンゴは魔法が使えないので中は見てないのだが、少し気になってカズにどんなものなのかを聞いたことがあった。
苦労して説明を理解したシンゴが『魔道書』に下した評価は、学校の教科書みたいだな――だった。
結局、詳しくは理解できなかったのだが、『魔道書』には詠唱名、属性、効果、そして『フィラ』に与える“意味”とやらについて書かれていた。
「――ま、でも良かったじゃん。すっごく使い勝手よさそうだし……そうだ! その魔法で屋根までいけるような階段とかを作れば……!」
名案だと言わんばかりに隣のイレナを見るが、しかしイレナは「無理よ」と素っ気なく答える。
「階段なんて複雑な形状のもの、あたしが作れる訳ないじゃない。それにこの高さの階段を作るとなると、たぶん棒にしかならないわよ? あと、氷だから滑って落ちると思う」
すらすらと自分と魔法の欠点を上げるイレナに、シンゴは目を見開いて戦慄する。
そんなシンゴの様子に気付いたのか、イレナは「?」といった様子で首を傾げてくる。
シンゴは頭の上に疑問符を浮かべるイレナを震える指で指差すと、血を吐くように言葉を捻り出した。
「イレナ、お前――賢くなった?」
「それどういう意味よ!?」
目を剥いて怒りを顕にするイレナに、シンゴは信じられないといった顔で首を横に振る。
「だって……イレナだろ?」
「あたしの存在を否定してないそれ!?」
二人でぎゃーぎゃー言い合いながら、複雑な通路を進んでいた、そのときだった――。
「うおっ」「――ッ」
曲がり角を折れようとして、シンゴは何者かとぶつかって尻餅を着く。
尾てい骨に走る痛みに悶絶すること二秒。その間に『吸血鬼』の再生能力が痛みを消し去る。
「てぇ……」
シンゴは紅くなった右目を咄嗟に閉じて瞼の下で元に戻すと、ふとイレナが静かだなと感じ、ぶつかった相手よりも先に隣のイレナを見上げた。
「…………」
イレナは口をぽかんと開け、目を丸にして固まっていた。
その視線は今しがたシンゴがぶつかった人物へと向けられている。
すると前方から起き上がる気配を感じ、シンゴもその人物に謝るべく視線を向けた。
「――――」
シンゴは自分の目がおかしくなったのかと思い、目をこすってから再び目を開く。しかし目の前に提示された事実に変化はない。
唖然とするシンゴに、起き上がった人物が近寄ってくる。そして目の前にすっと手を差し出された。
「ごめん、大丈夫かい」
「あ、うん、まあ、俺は……そっちは――」
「ぼくは大丈夫だよ。それより、こうやってずっと手を差し出してると、なんか無視されてるみたいで泣きそうになっちゃうぜ」
「あ、わりい!」
「あはは、冗談だよ」
シンゴは差し出された手を掴むと、その手を支えに起き上がる。
そして改めて眼前の人物に顔を向ける。
性別は男。髪は黒く、中肉中背で、どこにでもいるような平均的な顔立ち。年齢はシンゴと同じくらいに見える。それに身長も同じくらいだ。
しかしそんな中で、異質な部分がある。それは、光をも吸い込んで消し去ってしまいそうな、昏く淀んだ黒眼だ。
ただ、その点を除けばどこにでもいるような――いや、この世界にというよりは、どちらかというとシンゴが居た世界、日本人によく似た容姿だ。
すると、目の前の少年は人懐っこい笑みを浮かべると、改めて手を差し出してきた。
「ぼくの名前は捏迷歪。君たちは――?」
「あ……っと、俺は……キサラギ・シンゴ。で、こっちが――」
捏迷歪の手を握り返して自己紹介をしたシンゴは、ちらりと隣に視線を向けてみる。
イレナは変わらず固まっていた。いっそ凍っているのではないかと疑うレベルの硬直っぷりである。
なので、シンゴが苦笑いを浮かべながらイレナの分の自己紹介をしてやる。
「イレナ・バレンシールって言うんだ」
「そう……シンゴに、イレナだね」
「そうだ。――ところで、さ……」
「なにかな?」
シンゴは顔中に冷や汗をだらだら流しながら、当初から気になっていたことを尋ねた。
つまり――、
「歪……なんでパンツ一丁なの?」
「――ん?」
捏迷歪――彼は、パンツ以外の服を身に着けていなかった――。




