第1章:4 『フレイズ一家』
シンゴとアリスは着替えを済ませると、廊下を進んで階段から一階に下りる。
階段を下りながら、シンゴはチラリと背後のアリスを窺い見る。アリスは何やら難しい顔で眉を寄せており、話しかけづらい。
シンゴはそんなアリスを見ながら、先ほど部屋で彼女から貰った強烈なビンタと、その後の出来事を回想する。
涙目ではたかれた頬を撫でながら、シンゴは制服を着ようとしてふと隣を見た。そして次の瞬間、思わず「ぶっ」と噴き出した。
シンゴの視線の先では何を血迷ったのか、男であるシンゴの目の前でアリスが服を着替えようとしていたのだ。
シンゴは激しく動揺しながら、そんなアリスに慌てて声をかけた。
すると――、
「あ……」
と固まり、みるみるその頬を羞恥の色に染めると、くるりとシンゴに背を向け、
「ご、ごめん! ボク、ちょっとまだ寝ぼけてるみたいで……」
「さ、さよですか……」
シンゴはそう呟きながらも、原因は寝ぼけてるだけではないのではないかと思った。
証拠に、アリスは背を向けたままの状態でおもむろに自分の胸へ手を当てると、はぁ――と、深いため息を吐いている。
どうやら先ほどのオレンジ毛の少女が放った一言と、シンゴの慰め方が不味かったせいだろう。
「――ああ、そっか」
ふと、シンゴはあることに気付く。
アリスの寝不足。もしやそれは、他ならぬシンゴのせいなのではないかと。
シンゴが目を覚ましたとき、アリスはシンゴのすぐ傍で眠っていた。つまり、アリスは眠るシンゴのことを心配し、付きっきりで看病してくれていたのではないだろうか。
それも、そのまま寝落ちしてしまうまで――。
理解がそこまで至ると、シンゴは考えるよりも先に口を開いていた。
「――ありがとな、アリス」
「え?」
「いや、俺が寝てる間、ずっと傍にいてくれたんだろ?」
「う、うん……それもあるけど……」
「――――?」
煮え切らない返答が返ってきて、シンゴは訝しげに眉を寄せる。
そんなシンゴの様子に、アリスは見え見えの話題転換を図った。
「そ、そんなことよりシンゴ! 早く着替えて下に行かないと!」
「……ああ、そうだ――っておい!? 俺の前で着替えんなって!」
ふと見ると、アリスは服を半分ほど捲し上げており、美しくも扇情的な曲線を描くくびれと、どこか可愛らしさと色香が同居した腹部が顕になっていた。
目を剥いて制止の声を上げるシンゴに、アリスは首を傾げ、次いで硬直。慌てて服を両手で一気に引き下げると、顔を真っ赤に染めて俯き、
「ご、ごめん……」
「…………」
さっきの今でこれだ。眉を寄せるシンゴは何かアリスの様子がおかしいと、心の中で静かに確信した。
しかしここで問題になるのは、その原因が分からないということにある。
「……ほら、俺も後ろ向いて着替えるから、アリスもさっさと着替えようぜ」
「う、うん……」
背を向けたシンゴの後ろから、布の擦れる音が聞こえてくる。
シンゴはなるべくその音を気にしないようにしながら、傷一つない自分の腹を見下ろす。
シンゴは傷がどうなったのかに加え、アリスが内に秘めている問題についても聞き出さなければと心に決め、ふと自分が今までパンツ一丁でアリスと会話していたことに気付き、慌ててズボンを穿くのだった――。
――――――――――――――――――――
「お、目ぇ覚めたか! 体の方はどうだ?」
下の階に下りた所で、シンゴはオレンジ色の髪を短く刈り揃えて逆立てた、活発な印象を見る者に与える青年に話しかけられた。
「あ、えと……はい、おかげさまで」
軽く会釈して答えるシンゴだったが、そんなシンゴの返しに対し青年は――、
「よせよ、堅っ苦しい。見たとこ、お前はオレとそう歳も変わらねぇだろ。歳の近い奴に敬語で話しかけられるなんて、柄じゃねぇよ。――っと、自己紹介が遅れたな。オレはカルド。カルド・フレイズだ。気軽にカズって呼んでくれや!」
二カッと笑い、カルド・フレイズ――カズは、シンゴに向かって手を差し出す。
そんな青年の親しみ易さに触れ、シンゴの顔にも笑みが浮かぶ。そして――、
「じゃ、敬語はなしで――」
シンゴは差し出された手をがっと握り返すと、
「俺はシンゴ。キサラギ・シンゴだ。部屋、使わせて貰ってサンキュな、カズ!」
「おうよ! 困ったときはお互い様。これくらい何でもねぇってことよ!」
熱い握手を交わした後、シンゴは背後のアリスを振り返り、
「でもって、こっちは――」
「ああ、もう知ってる。アリス・リーベ、だろ?」
「なんだ……もう知ってんのか」
意外感を顕にするシンゴの横に歩み出て、アリスが微笑みながら告げる。
「うん。シンゴが眠っている間、ボクは既にカズたちとは自己紹介を済ませてあるんだ。もちろん、さっきの女の子も合わせてね」
「そういうことだ。――さて、ちょうどこれから晩飯だ。シンゴ、アリス。お前らも来い。腹、空いてんだろ?」
歯を見せながら笑いかけてきたカズの言葉に、シンゴは自分が極度の空腹感を感じていることに遅れながら気付いた。そしてその事実を認識した瞬間、シンゴの腹がぐぅ~と情けない音を鳴らす。
「だはははははは! いい音鳴らしてくれるじゃねぇか!」
「う……っ」
腰に手を当て豪快に笑うカズ。そんな彼の豪快っぷりに、シンゴの中で芽生えかけた羞恥心が霧散する。
シンゴは苦笑して頭を掻くと、
「それじゃ、ちょっと厄介に……って、待てよ? 晩飯ってことは、俺は半日近く眠ってたことになんのか?」
ふと、途中で時間の経過について触れるシンゴに、隣のアリスは首を横に振ると、
「ううん。半日じゃなくて、“一日半”だよ」
「一日半!?」
まさかそんなに気を失っていたのかと驚きを顕にするシンゴだったが、ここでふと考えを改める。
「いや……腹に穴を空けられて一日半で目が覚めたって方が凄いのか……?」
一人でぶつぶつ言い始めるシンゴだったが、やがて――、
「ま、俺の生命力が半端なかったってことだな!」
そう結論を出すシンゴの肩を、突然カズがばんばんっと叩き、
「よく分からんが、とりあえず飯だ! 傷が治ったからって、栄養補給を疎かにしちゃあ本末転倒ってもんだぜ?」
「お、おう……んじゃま、ご相伴にあずからせてもらうか」
カズの思わぬ力によろめいたシンゴは、苦笑いしながらサムズアップで返す。
「おう! うちのおふくろの飯は天下一だぜ?」
そんなシンゴのサムズアップを受け、カズはにいっと、どこか人懐こさを感じさせる笑みを浮かべるのだった。
――――――――――――――――――――
カズに案内されて入った部屋の中央には料理の並んだテーブルが鎮座し、そのテーブルには既に二人の先客が椅子に腰かけていた。
その内の一人――先ほどの少女が、入室してきたシンゴたちを見て、手を振りながら声を上げる。
「あ! やっときたぁ!」
「おお……すっかりお元気になられたようで……ささ、座ってくだされ」
そうシンゴたちに着席を促すのは、少女の隣の椅子に座る老人だ。
そんな老人にシンゴは軽く会釈すると、
「晩御飯までご馳走になっちゃって……ありがとうございます」
「ほっほっ、気になさらんでくだされ。困ったときはお互い様ですわい」
そんなやり取りをし、シンゴは空いている席に、アリスはシンゴの隣の席に腰を下ろす。
「――ん?」
ふと隣から視線を感じ、シンゴは訝しげにその視線を送ってくる人物――アリスを見やる。振り向いた先のアリスは、何やら驚いたような表情をしている。
シンゴのそんな訝しげな目を受けて、アリスは「いや……」と目を見開いたまま――、
「さっきのカズとの会話でもそうだったけど、シンゴって思っていたより……礼儀を弁えているね」
「そりゃ礼儀くらい弁えるって!?」
あんまりな評価にシンゴが目を剥くと、アリスは唇を尖らせ、「だって……」と呟き、
「そういう割には、ボクと初めて会ったときはいきなり怒鳴ってきたし……」
「あれはごめんって!?」
意外と根に持つ質なのか、アリスは神社での一件を掘り返してくる。
反論するのが難しい話題を持ち出され、言葉を詰まらせるシンゴ。そんなシンゴをしばらくむっとして見ていたアリスだったが、やがてくすっと笑うと、
「冗談だよ」
「…………」
割とえげつないことをしてくるアリスに、シンゴは目元をひくつかせる。
そんなシンゴとアリスのやり取りに、カズたち他の三人が声を合わせて笑う。
最初こそむっとしていたシンゴだったが、この和やかな雰囲気にやがて相好を崩す。
そんなときだった――。
「あら、お目覚めになられたんですね」
穏やかな声と共に、奥の台所から料理の乗った皿を両手に持った、オレンジ色の髪をひと房にまとめて肩から前に流した美しい女性が現れた。
その表情はおっとりとして柔らかく、見る者に安心感を与える。そしてその体は起伏に富んでおり、男なら誰もが目を奪われてしまうような、見事なプロポーションを誇っていた。
シンゴが呆けたように口を開けてその女性を呆然と眺め、カズのお姉さんだろうかと思っていたときだった。
どうやらこの女性の髪形を真似ているらしい少女が、驚くべきことを口にした。
「おかあさん、はやくぅ。ユリカ、もうおなかぺこぺこぉ」
「お母さん!?」
思わず立ち上がって叫んだシンゴに視線が集まる。そんな中、シンゴはお母さんと呼ばれた女性を震える指で差し、
「い、いや……どっからどう見ても二十代前半にしか見えないんですけど!?」
「あら、お世辞がお上手ですね。それに、それだけ元気ならもう大丈夫ね」
シンゴの評価に嬉しそうに少しだけ頬染めた女性は、持っていた料理をテーブルに乗せて席に着くと、未だに驚愕に目を見開くシンゴへ優しく微笑んだ。
その笑顔で膝が折れたシンゴが席に腰を落とすのを見届けると、女性はふと隣のアリスへと視線を向ける。そしてその表情を困ったようなものに変え、頬に手を当てると「あらあら……」と呟く。
「――――?」
シンゴもその視線に釣られ、隣のアリスを見る。そこには――、
「ア、アリスさん……」
「…………」
アリスは無言で俯き、両手を胸に当ててぷるぷると震えていた。
シンゴはそんなアリスへ顔を向けたまま、視線だけをチラリと女性の胸部へ向ける。
女性の胸部は、それはそれは見事なもので――、
「私を見ると、何故かこうなってしまうのよね……どうしてかしら?」
自覚がない時点で、アリスの苦悩は絶対にこの女性には伝わらないだろうと、シンゴはしみじみ思った。
やがて、アリスが一向に再起動しないと判断すると、シンゴは頬をぽりぽり掻きながら、
「え、と……この子は時々こういう状態になるんですけど、別に病気でもなければ、体の調子がおかしいわけでもないので――」
どちらかと言うと、体の成長の調子がおかしいと本人は思っているのだろう。
「なんで、彼女のことはそっとしておいて大丈夫です」
「そう……」
女性は小鹿のように震えるアリスに心配そうな視線を送るが、やがて「では――」と微笑むと、手を合わせた。
それに合わせ、他の面々も手を合わせる。釣られたシンゴも手を合わせ――、
「いただきます」
いただきます――と、女性の声に合わせて唱和する。シンゴも不備なく口を開いたが、隣のアリスは相変わらず俯いたままだった――。
――――――――――――――――――――
「う、うまい……!」
奇形なフォルムをした魚――だと思いたい――の煮付けのようなものを食べ終え、感嘆の声を漏らす。
「な、言った通りだろ? おふくろの料理は天下一だってよ」
「ああ、めちゃくちゃうまい!」
得意気な表情のカズだが、それがただの身内びいきの誇張などではないということは、この料理の味を知った今となっては疑う余地もない。
一方そんなカズの隣では、彼の真似をするように少女も誇らしげに胸を張っている。
「ちょっと、やめてよ二人共……」
そう言い謙遜するが、二人の母は満更でもないご様子。
「――にしても、まさか箸が出てくるとはな……」
現在シンゴたちが使っている食器は、日本人にはお馴染みの二本の棒――箸だった。
ただでさえ使いこなすのが難しい箸を、この家族は全員が難なく使いこなし、魚の骨などを涼しい顔で取り除いている光景には驚いたものだ。
それに、先ほどは眼前の女性がカズたちの母親だと知って驚きのあまり流してしまったが、手を合わせて「いただきます」というのも、紛れもなくシンゴの元居た世界――それも、日本の文化だ。
「不思議なもんだよな……」
シンゴは箸を開閉させながら、感慨深げに呟く。
日本語に、箸。それらはシンゴが居た世界の言語であり、文化だ。それなのに、全く関係性のないこの世界でもそれがある。これは単なる偶然なのだろうか。
「シンゴ、魚とにらめっこしてるところ悪いんだけど……」
「ん?」
箸を見詰めていたのだが、それをその視線の先にある魚とにらめっこしていると勘違いしたらしいアリスが、訝しげに眉を寄せて声をかけてきた。
反応するシンゴに、アリスはシンゴの箸を指差す。
「ああ、箸な。俺もびっくりしたよ。まさかこっちの――」
「えっと、箸じゃなくて――」
アリスは首を横に振ると、シンゴの箸を持っている方の手――つまり、右手を握ってくる。
「え? なに!?」
突然のボディタッチに狼狽えるが、ふとアリスが見詰める己の右手に視線をやる。その瞬間、シンゴの顔にも不審がる色が浮かぶ。
「なんだ、これ……?」
二人が見詰める先――シンゴの右手の甲には、何やらアルファベットの『M』の形に酷似した痣のようなものが浮かび上がっていた。
無論、シンゴはこんなもの見覚えがない。
「…………」
黙り込んだままシンゴの右手を覗き込むアリス。シンゴはそんなアリスが何か発言してくれるのを待っていたが、ふと咳払いが聞こえ、二人の視線はそちらへと向けられる。
「お取込み中のところすみせませんがのぅ。そろそろ、お互いの自己紹介くらい済ませておかんじゃろうか?」
老人の言葉に、シンゴははっとなる。確かアリスは自己紹介を済ませていたと言っていたが、シンゴはまだだ。それに、目の前のこの老人に、おそらくカズの妹であろう少女、そして二人の母親であるこの女性の名前すら知らない。
シンゴは「すいません……」と頭を掻いて謝ると、自分を指差し、
「俺の名前は、キサラギ・シンゴっていいます。見ず知らずの俺なんかのために部屋を一つ提供してくれて、本当にありがとうございます」
シンゴは自己紹介と感謝の言葉を告げ、深く頭を下げた。
そんなシンゴに続き――、
「それじゃ、ボクも改めて。ボクはアリス・リーベ。今回は寝床の提供に加え、食事まで頂いて……感謝の言葉しか出てきません。ありがとうございます」
改めて自己紹介を述べたアリスが、隣のシンゴ同様に頭を下げる。
アリスが頭を上げるのを待ち、次に発言したのは――、
「次はオレだな。オレもさっき言ったと思うが、カルド・フレイズ。十八だ。よろしくな」
腕を組んだカズが笑って自己紹介を済ませると、その隣で魚と格闘している少女の頭に手を乗せ、
「そんでこいつが、オレの妹のユリカ・フレイズ。十一歳だ。仲良くしてやってくれ」
「よろしく~」
紹介されたユリカは片手を挙げながら答えるが、その手と顔と意識は魚へと向けられている。
そんなユリカに微笑ましいものを見る目が集まるが、その当事者である少女は魚が優先の様子。
そんな妹の様子に「しょうがねぇなぁ……」と苦笑したカズが次に視線を向けたのは――、
「次におふくろだが――」
「私はケイナ・フレイズと申します」
カズの言葉の先を継ぎ、ケイナが軽く会釈して自己紹介をする。
改めて見ても、とても二児の母親とは思えないほどの若さだ。非常にその年齢が気になるところであるが、さすがにそれを女性に聞くのは自重した。
「そんで、最後が俺たちの祖父で、この村の村長の――」
「ジース・フレイズじゃ。よろしくの」
「――――!」
会釈するジースの肩書を聞き、シンゴは遅すぎる気付きを得る。
そう、この老人は確か、あの広場で三人組と言い争いをしていた際に村人たちの先頭に立っていた人物だ。
どうやらあの時のシンゴの予想は当たっていたらしく、ジースはこの村の村長だと言う。
こうしてお互いの自己紹介を終えると、ジースが顎の髭を撫でながら次の質問を投げかけてきた。
「それで、お二人さんはどこから? 一体この村に何用で?」
「ボクたちは、こことは違うせか――」
「ヒィィィィハァァァァァァッッ!!!!」
突如、奇声を上げながら立ち上がったシンゴに、複数の驚きの視線が突き刺さる。
しかしシンゴは意識してその視線を無視。隣で目を白黒させているアリスの手を掴んで立ち上がる。
「すいません、ちょっとトイレに」
「え!? ボクと一緒にかい!?」
「そこは気にしちゃだめ!!」
頬を染めて驚愕するアリスの手を引いて廊下に出ると、後ろのアリスからちょんちょんと肩を突かれた。
「シンゴ……本当にボクも一緒に行くのかい?」
「トイレは忘れて!」
未だに信じているらしいアリスが、もじもじしながら尋ねてくる。
そんなアリスの誤解に、シンゴはフレイズ一家に聞こえないように声のボリュームを極力抑えてツッコミを入れる。
一方シンゴの返答にアリスは「なんだ……よかった」と胸を撫で下ろすと、次いで眉を寄せながら首を傾げる。
「じゃあ、どうしてボクを連れ出してきたのさ」
訊いてくるアリスに対しシンゴは、はぁとため息を吐き、訝しげに眉を寄せるアリスに向き直ると、人差し指を一本立てた。
「アリス。カズたちに俺たちがこことは別の世界から来たってことを言うのは無し」
「ど、どうしてさ?」
鬼気迫る表情のシンゴに、アリスが若干のけ反りながらその理由を尋ねてくる。
アリスにのけ反られたシンゴは少しだけ心にダメージを受けつつ、その理由を小声で述べる。
「そりゃ決まってんじゃん。こことは別の世界から来ました――なんて言っても、まず信じて貰えないって。それどころか、頭のおかしい奴らっていう印象を持たれて、最悪ここから追い出されるかもしれないだろ?」
「……ボクは、彼らはそんなことしないと思うけど……」
「……まあ、俺も追い出すまではしないとは思うけどさ。でも、やっぱり聞くことを聞くまでは、妙な印象を持たれたくはねえんだ」
「……それって、イチゴのことかい?」
「……そうだ」
頷くシンゴを、アリスはその真紅の瞳でしばし見詰める。――が、やがて嘆息すると、苦笑し、
「分かった。ボクたちがこことは別の世界から来たっていうのは、彼らには伏せるよ。でもそうなると、ボクとシンゴの素性が不鮮明になるから、余計に怪しまれるんじゃ……」
「そこは心配ご無用!」
「――――?」
自信ありげに胸を張るシンゴに、アリスはきょとんと首を傾げる。
そんなアリスに、シンゴは「何故なら――」とサムズアップし、
「既にそれとな~く、俺らの“設定”は考えてある!」
「――! 本当かい?」
「おうよ」
とは言ったものの、別にシンゴが今考えたものではない。
以前、前田が『俺の考えた壮大ファンタジー~草原に咲く一輪の花~』とやらの主人公の設定を丸々パクらせて貰ったのだ。
おそろしくつまらないうえに、多分に前田の願望と理想の詰まった妄想を延々と聞かされた当時は思わず発狂しそうになり、シンゴは前田の溝内に掌打を叩き込んだものだ。
「すまん、前田。お前の死は無駄にしねえ……」
「――――?」
腹を押さえて悶絶した後に果てた悪友の姿を脳裏に浮かべながら、シンゴは合掌する。
そんなシンゴの様子を不思議そうにアリスが眺めていたが、とりあえずは深入りしない方がいいだろうと考えたらしく、くるりと体を反転させ、
「それじゃ、ボクたちの設定はシンゴに任せるよ。ボクはそれとなく話を合わせるから、よろしくね」
「オーケー、任された!」
シンゴはアリスにサムズアップで返すと、フレイズ一家の待つ部屋へと引き返した――。
――――――――――――――――――――
「――と、いうわけでして」
「ふむ、なるほどのぉ」
シンゴが前田の話を下敷きにして捏造した二人の“設定”に、ジースは深々と頷く。
「お二人さんはこの地よりも東から来られて、生き別れた妹さんを探す旅の途中である――と」
恩を仇で返す思いで大変心苦しかったが、ここは割り切るしかない。それに、妹を探しているというのは嘘ではなく事実だ。
「見たところ、お二人は兄妹には見えませんね。共に旅をする仲というと……ご夫婦でしょうか?」
「――――!?」
ケイナの口から飛び出たシンゴとアリスの関係についての憶測に、隣のアリスから激しく動揺する気配が伝わってきた。
そんなアリスの動揺っぷりを横目に楽しみながら、どうやらこの世界ではシンゴたちの歳で結婚するのは、決して珍しくないことなのだと理解する。
「ふ、夫婦……」
何やら隣からチラチラと窺い見るような視線を感じる。
シンゴが振り向くと、アリスは高速で顔を背ける。
「なにこれ……まさかの春到来?」
アリスの様子にシンゴが可能性を感じ始めたときだった。当の本人であるアリスがテーブルをばんっと叩いて立ち上がる。
「“私”とシンゴは所謂、幼馴染というやつです」
「そ、そうですか……」
目が据わり、口調どころか一人称まで変化したアリスが、眼前のケイナを細めた真紅の瞳で睨み付ける。
その迫力たるや、ケイナが思わず目尻に涙を浮かべるほどである。
「あ、あの……ごめんなさいね?」
「……うん。分かってもらえればいいんだよ。ボクとシンゴは幼馴染だ。この事実は揺るがない」
「ア、アリスさん……そこまで……」
そんなに嫌だったのだろうか、とシンゴはショックを受け、心の底から肩を落とす。
そんなシンゴの様子には気付かず、そのまま座り直すアリス。そんなアリスに何やら思わしげな視線を向けて黙っていたジースが、おもむろにその口を開いた。
「……失礼ながら、アリスさんは『吸血鬼』でございますね?」
「――――ッ!!」
ジースの問いかけに、アリスが今までにない驚きを孕んだ反応を見せた。
アリスはがたっと椅子を揺らして立ち上がると、驚愕に見開いた真紅の瞳でジースを見据える。そして、震える唇から掠れた声で質問を発する。
「ジース、さん……ボクのような存在を、ご存知……なのですか?」
アリスが見せる狼狽の大きさに、隣のシンゴも思わずゴクリと唾を飲み込む。
一方、問いに問いで返されたジースは、そのことについては特に気分を害した様子は見せず、その白い顎髭を一撫でし、
「はい……アリスさんのその瞳。それは『吸血鬼』特有のものですわい。それに我々と同じ食事をしておられたことから、おそらくは……従者」
「…………」
途中シンゴには理解できない部分もあったが、どうやらこの世界でも『吸血鬼』という存在が周知されている――どころか、話しぶりから察するに、どうやら実在するらしい。
しかしよく考えてみれば、今まさに隣にいる少女がその『吸血鬼』ご本人さんだったりする。
初対面時から怒涛の展開が続き、今ではその真紅に染まった長円瞳孔の瞳も見慣れてしまい、ついつい失念していた。
そう、アリス・リーベは『吸血鬼』なのだ。
「……ボクは、シンゴのいた村に捨てられていたんです。自分の素性を知るというのも、ボクがシンゴに付いてきた理由の一つなんです」
「――――!!」
今、何か重大な事実をさらりと言われた気がする。
前半の部分は作り話なのは確実なのだが、それに対し後半部分は――。
「いやはや……そうでございましたか」
アリスの事情に納得を示すジースだったが、真剣な面持ちで下を向くアリスの横顔を見るシンゴの胸中は複雑だ。
先ほどの話が半分事実だとすると、アリスが当初言っていたこの世界ですべき“用”とは、自分のことについて知るだということになる。
「俺は……」
シンゴは小さく呟きながら自覚する。まだ付き合いこそ短いものの、シンゴは今隣にいるこの少女のことを何も知らない。いや、そもそも知ろうとすらしてこなかった。
しかしそれも仕方ないのかもしれない。今は自分のことだけで――イチゴのことだけで手一杯なのだ。
後でアリスに聞いてみるべきか。そう考え、シンゴは隣で俯くアリスに視線を向け――、
「――――」
シンゴは、アリスの素性を尋ねるのはやめることにした。
それは何故か。理由は自分でもよく分からない。でも、アリスの横顔を見れば少なくとも、何か複雑な事情を抱えていることは窺えた。
そもそも、何故アリスはあの神社の近くにいたのか。そもそも、アリス・リーベという『吸血鬼』の少女は、一体何者なのか――。
聞きたいことは沢山ある。しかし、それは今ではないような気がした。
故にキサラギ・シンゴは、待つことにした。アリス本人が、シンゴに自分のことを自ら話してくれる、その時を――。
己の中でアリスについての疑問をそう結論付けると、シンゴは長い吐息をする。
同時に、今自分がやらなければならないことへと意識を切り替える。そう、シンゴが自らこの世界に飛び込んだ、その最たる理由へと。
「すいません。ちょっと妹のことで質問があるんですけど、いいですか?」
手を挙げて周りの意識を自分に集め、シンゴは切り出す。
「えっと、見た目は制服――って言っても分かんねえか。えっと……髪はこう、後ろで短くまとめてて、色は黒。目は少し青みがかってて、服はたぶん凄く珍しいもんを着てます。それで本人は、よく喋るうるさい奴――ってな感じの、十五歳の女の子なんすけど……この村に来ませんでしたか?」
イチゴの外見の特徴と本人の性格等を説明し、シンゴは縋るような目でこの村の村長であるジースの返答を待つ。
そんなシンゴの視線を受け止め、しかしジースは首を横に振ると、
「残念ですが、そのような女の子は見かけておりませんな……」
そう言うと、ジースは他の面々にも確認するような視線を向ける。
しかし返ってくるのは、無言の否定のみ。
「そう……ですか……」
期待していた分に、なかなか応える結果だった。
もしかしたら、イチゴはあの道を反対方向に進んだのではないだろうか。そう考え、ジースに聞いてみるが、
「ここらの近くには、他の集落はございませんな」
――とのこと。
そもそも、あの裂け目自体が不確定要素なのだ。シンゴとアリスは一緒に飛び込んだからあそこに出ただけで、もしかしたら転移先はランダムなのではないだろうか。そうなると、捜索範囲はさらに――、
「くそ……っ」
振り出しに戻るどころか、さらに距離を足されたような気分だった。
突き付けられた現実に肩を震わせるシンゴだったが、やがて脱力して肩を落とす。
すると、今まで腕を組んで話を聞いていたカズが、突如閃いたといった様子でぽんと手を打つ。
「トランセルなら、なんか分かんじゃねぇか?」
「……とらん、せる?」
「そうね。トランセルなら、何か情報が得られるかもしれないわね」
息子の提案に、ケイナが手を合わせてにこりと微笑むが、生憎シンゴには何のことだかさっぱりである。
そしてそれは当然アリスも同様の様子。とりあえずは自分のことは後回しにすると決めたらしい彼女は、シンゴと同じように首を傾げている。
「あの……トランセルって?」
知っているという前提で話を進められても仕方ないので、シンゴは大人しく尋ねることにした。
しかし返ってきたのは、一様に驚きという反応だった。
「シンゴ、お前……トランセルを知らねぇのか?」
信じられないといった様子で目を見開いたカズが問いかけてくる。
その様子から何となく察せたが、どうやらトランセルというのはこの世界では一般常識らしい。
「……知らんです」
「マジかよ……」
観念して両手を挙げたシンゴに対し、カズは驚愕に染めた顔を信じられないといった様子で横に振る。
そんなシンゴを見かねたのか、ジースがトランセルとは何なのかを教えてくれた。
「トランセルとは、王都のことです」
「……王都」
目を見開いて呟くシンゴに、ジースは頷いて肯定すると、
「やはり何か情報を集めたいというなら、トランセルに向かわれるのがよいでしょうな。じゃが、ここからトランセルに向かうにはそれなりに時間がかかる……。それにもう遅いことですし、今日はここに泊まって、明日出発するのがよいでしょうな」
「え、でも……」
裂け目の先がランダムで決まるかもしれない。そう先ほど考えたが、それがもし時間によって決められていた場合、ほとんど時間差なく裂け目に落ちた“あの女”のことが――。
「シンゴ」
「――――ッ」
不意に手を握られて気付く。自分の体が知らぬ間に震えていたことに――。
「アリス……」
自分は今、情けない顔をしている。
そう自覚していても、シンゴはその表情を取り繕う気力もなくて――。
そんな悲壮な様子のシンゴに、アリスは優しく笑いかけると、
「大丈夫。ボクも一緒に悩むから。一緒に考えるから。――だから、今日はお言葉に甘えて泊めさせてもらおう。そして明日……とりあえず、そのトランセルに向かってみよう」
「…………そう、だな」
シンゴはしばし目を閉じていたが、やがてゆっくり頷く。そして、その視線をジース、カズ、ケイナ、ユリカの順に向け、
「お世話に……なります」
シンゴたちのフレイズ家滞在の延長が決まった。