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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第2章 王都トランセル
59/214

第2章:45 『グッドエンド ≠ ハッピーエンド』

 雲ひとつない青く澄み渡った空の下に、幾重もの楽器による演奏が響き渡る。

 王都の中央にある巨大な広場。現在そこでは、盛大な催しが行われていた。

 そんな広場の奥では、中央に人で道をつくるように、騎士たちが胸の前で剣を天に向けてかざしながら、乱れの無い精錬された整列をしていた。


 そして、その多数の騎士によってつくられた中央の道の果て、最奥にある盛り上がった段差の上では、この催しの主役である少女が、今まさにこの国の王位を継がんとしていた。


 ――そう、今日は、ユピア・レッジ・ノウの戴冠式である。


 ユピアの頭上に、数々の宝石で飾り付けられた豪奢な王冠が乗せられ、同時に盛大な拍手と歓声が地鳴りのように巻き起こる。

 人々が作り出す熱狂の渦を一際高い位置から見下ろすユピアの顔には、少なからぬ驚きが見て取れた。


 というのも当初、カワード・レッジ・ノウがユピアの王位継承に異議を申し立てた際の根幹たる理由。それは、ユピアが女性であるということ。なので、ユピアはその点で少なからぬ反感が生まれるだろうと覚悟していたのだが――、


「――――」


 民たちのこの歓迎。蓋を開けてみれば、そこにはユピアに対する反感など微塵も感じられなかった。

 思わず目尻に浮かんだ嬉し涙を細い指で拭うと、ユピアは一歩、前に進み出た。それに合わせて歓声が徐々に遠ざかり、一時の静寂が広場を満たす。


 完全に歓声が鳴りやむまで待ち、ユピアは胸元に取り付けた音を増幅する特殊な魔石に手を添えると、広場全体に響く声で話し始めた。


「初めに、本日この戴冠式にお集まりいただいたことに、心より感謝いたします。本当に、ありがとうございます――」


 ユピアはこの場に集まってくれた民に対する感謝と礼を述べると、軽く頭を下げた。一国の王が頭を下げるなど、普通ならしない。そのせいもあってか、広場に微かなどよめきが起こる。


 しかしユピアが顔を上げると、そのどよめきもすぐに収まっていく。

 ユピアはそんな人々を、強い覚悟と意思を宿した碧い瞳で見渡し、薄く朱を入れた桃色の唇を開くと、喉を震わせた。


「皆さまもご存じの通り、前国王はレッジ・ノウに起こる消失現象――『星喰い』によって、その姿を消しました。『星喰い』によって消えた者が戻ってきたという事例は過去、一例もございません」


 前国王のことについて言及するユピアの言葉を聞いた民の顔に浮かぶのは、同様に悲しみと、そしてユピアに対する心配の色だった。

 そのことに胸の奥が熱くなるのを感じながら、ユピアは肺いっぱいに空気を吸い込んで演説を続ける。


「前国王は偉大な王でした。民のことを、国のことを第一に考える、まさしく理想の王でした。彼がこの国の王として君臨していた間、王都トランセルは過去一の安寧と平和に包まれていたと私は思っています。そしてそれは、皆さま同様に感じておられるかと思います」


 ユピアは息を継ぐと、声のボリュームを少し上げる。


「私は、そんな前国王の意思を継ぎ、この王都の安寧と平和、そして繁栄を全力で維持すると同時に、さらなる発展を目指していきたいと思っています。――ですが、私はまだまだ未熟者、言ってしまえば子供です。ですので、皆さまのお言葉に誠心誠意、耳を傾けていきたいと思っています。どうか、私に皆さん力を貸してください。全員で力を合わせ、この王都をさらなる高みへと押し上げましょう!」


 おおおおおおおおおおおおおおおおお――ッッ!!!!


 湧き上がる大歓声に、ユピアは優しく微笑むと、


「ありがとう――」


 花のように綻ばせた顔で発せられたユピアのその小さな呟きは、大歓声の中に埋もれることなく、この広場にいる全員の耳に届いた。



――――――――――――――――――――



 戴冠式が終わり、場所は移って王城の中――玉座の間へ。

 現在ここには、この王都内の貴族や大臣などが煌びやかな衣装に身を包み、豪勢な食事に舌包みを打つと共に、それぞれが明るい表情で酒の入ったグラスを打ちつけ合い、会話に花を咲かせていた。


 そして以前は空席だった玉座には、つい先ほど正式にこの国の王となったユピアが座っており、代わる代わる挨拶に来る貴族の相手をしていた。

 そんなユピアを見やり、キサラギ・シンゴは感嘆の息を吐いた。


「こうして見ると、改めて王になったんだなって思うよな。まあ、元々王族だったけど」


 そう呟くシンゴは現在、黒い礼服のような服を身に纏っている。さすがにあのボロボロの制服で出席するわけにもいかず、こうしてこの城内にあった服を借りているのだ。ちなみに採寸等はサラスに一通りやってもらった。なにやら、やたらと念入りな採寸だったため、シンゴは訝しげに思ったものだ。


 シンゴが数時間前の出来事、主に採寸のために密着していたことによって感じられた、サラスの銀髪から漂ってきたイイ匂いを思い出し、鼻の下を伸ばしていたときだった。

 鼻を伸ばすシンゴの頭部に突如、衝撃が走った。


「いてえッ!?」


「馬鹿、改めて見ねぇでもユピア様は立派な王だ。――ま、オレは初めて会った時からこうなることが分かっていたがな」


 シンゴの頭をはたいてそうのたまうのは、シンゴと同じように黒い礼服に身を包んだカルド・フレイズ――カズだ。

 シンゴははたかれた頭を押さえながら、ユピアをニヤニヤ笑いで見詰める気持ち悪さマックスのカズを恨みがましく睨み、


「――ぶれねえよな、カズ。気持ち悪すぎて、さっき食った肉を吐きそう」


「あぁ!?」


 男二人が無様なガンのくれ合いをしていると、突然周りからどよめきが起こった。

 二人は揃ってどよめきが向けられる方へと視線を向けると、そこにはちょうど玉座の間へと入ってきた――、


「おまたせ、二人とも。相変わらず元気がいいね」


「アンタたち、時と場所を選びなさいよ。周りの人が見てるじゃない」


「「……………………」」


 シンゴとカズが揃ってフリーズする。そんな二人の態度に、アリスとイレナは顔を見合わせると、眉を寄せて首を傾げる。

 そんな二人は、シンゴたちと同じようにここで借りたドレスに身を包んでおり、普段とは全く違った雰囲気を纏っていた。


 まず、アリス。彼女は普段着ている服同様、黒一色のドレスに身を包んでいる。肩は剥き出しで胸元も大胆に開けており、漂う色香は大人のそれだ。

 しかしドレスの裾は足元まで長く、上半身に比べて下半身は肌の露出が極端に控えめ。そんなバランスの取れたコーディネートとなっている。


 そしてその手には、この王都に入ってからおなじみになった黒い手袋を嵌めている。しかしいつもの手袋とは違い、現在は長めの手袋を着用している。だが、彼女は今回、その綺麗な白髪をひとまとめにしており、肩から前へ流していた。普段とは違い、おっとりとした印象が目立つ。はっきり言って、めちゃくちゃ綺麗だった。


 次にイレナ。彼女は薄いオレンジ色のドレスに身を包み、こちらは肩から上が丸出しだ。男のシンゴから見たら、ずり落ちてしまわないか非常に不安になる形状だ。

 そして下半身は、アリスと違って片側が大胆にはだけ、そのみずみずしい太ももが顕となっている。シンゴの元いた世界でいうチャイナドレスの一部を採用したような、そんなデザインだ。


 しかし何より目を引くのが、その髪型だ。普段はツインテールに纏めている茶の髪を、現在は完全に解いている。普段の彼女は子供らしいような印象をしていたが、今のイレナは少し年齢が上がったように感じられる。平素とのギャップが感じられ、そのドレスとも相まって何とも言えない色香を放っていた。


 そんな彼女たちの姿に目を奪われていたシンゴは、数秒のフリーズからようやく再起動すると、


「いや……視線を集めてんのって、どっちかというとそっちの方だと思うんだけど……」


「馬子にも衣装ってのは、こういうのを言うんだな……」


「ちょっと! なんであたしの方を見て言うのよ!」


 カズがこの世界にも存在したらしい、というかそのまんまのことわざを呟く。そしてその視線を向けられたイレナが、イメージ台無しの大声を上げた。

 シンゴがそんな二人の言い合いを苦笑しながら見ていると、アリスがすっと横にやってきて、薄く口紅を塗った唇を近づけてきた。


「アリスさん、大胆ですね。しかし! 男シンゴ、ここでキョドるなんて無粋な真似はいたしません! ぶちゅっといきましょうか!」


「……なに言ってるんだい、シンゴ?」


 目を閉じて満面の笑みで両手を広げるウェルカムなシンゴに、アリスは小首を傾げる。

 シンゴは「え?」と同じ方向へ首を傾げると、


「ボクはただ、君の体調のことを聞こうと思っていたんだけど……何かするのかい?」


「あ、いえ、なんでもありませんです……」


 肩を落として心の底からがっかりするシンゴに、アリスがおどおどし始める。


「や、やっぱりまだ体調が優れないのかい? 外の空気でも吸いに――」


「だ、大丈夫だって。うん、体調ね。見ての通り、どこも悪いところはねえよ」


「で、でも……いつにも増して様子が変――」


「素だよ! 平常運転で安全運転だよ!!」


 本気で心配してくるアリスに、シンゴは涙を流しながら慟哭する。

 カワード・レッジ・ノウとの一件のあと、シンゴは存在自体を抉られるような得体の知れない激痛に襲われ、気を失った。しかしその後、半日ほど眠った後に、何事もなかったかのようにけろっと目覚めたのだ。


 カワードの一件は口止めされており、その詳細はあの事件に関わった者のみが知っている。それ以外の人々には、カワードが王位継承を辞退したということにしてある。しかしそれも束の間の応急処置だ。いつかはカワードの死を公表しなければいけない時がくるだろう。


「はあ……」


「――――?」


 シンゴが疲れたようなため息を吐く。その隣では、アリスが「?」とそんなシンゴの様子に首を傾げている。

 正直、色々なことがありすぎて情報の整理がうまくできていないのだ。本当に、色んなことが立て続けに起きた。シンゴのしょぼい脳味噌では、許容量オーバーしてしまうのも無理がなかった。


 しかし一つ言えることは、この王都のいざこざはひとまず無難な所に落ち着いた、ということだ。なにせ、王都での混乱の最たる原因である王の不在が、今日をもって解消されたのだから。

 要するに、グッドエンドと言っても過言ではない終幕だ。


 ――ただ、グッドエンドであって、ハッピーエンドではない。何故なら――、


「――ってかさ、さっきから俺の後ろで隠れてるお前、一体何がしたいわけ?」


 シンゴは直前までの思考を中断すると、半眼を己の背後へと向けた。そこには、シンゴの体を壁のようにしてその後ろに隠れる少女の姿があった。

 金色の豪奢なドレスに身を包み、あちこちに装飾をあしらった、見るのが眩しくなるような美しい少女だ。


 声をかけられた少女はびくっとなると、次いでシンゴをキッと睨み付け、


「うっさい! 壁がしゃべんな!」


「…………」


 なるべく声量を抑えた声で、シンゴを罵倒した。

 シンゴを壁にしてその背後に隠れているのは、頭隠して尻隠さずな状態のシャルナ・バレンシールである。

 アリスたちも少なからずその美貌で周りの視線を集めているが、その視線の半数はこの少女に、そして壁として扱われるシンゴへと向けられている。


 そんなシャルナは、その体をほとんどシンゴに密着させているので、シンゴの背中は非常に幸せな状態となっている。しかし正直、この周りからの視線の圧迫感への居心地悪さと比べれば、後者が少し勝る。しかも、その視線の大多数がシンゴに対する殺意や怨念となると、尚更である。


「(そういやこいつ、普段は猫被ってんだっけな……)」


 当然、周りの面々はそのことを知らず、シャルナの表の顔しか知らない。知っていれば、シンゴがこのような視線による狙撃を受けることはなかっただろう。

 そんなシャルナをどうしたものかと、背中に感じる温もりに鼻の下が伸びるのを懸命に堪えながら、シンゴが眉を寄せていると――、


「――シャル、その馬鹿みたいな隠れ方……馬鹿にしか見えないわよ」


 イレナがシンゴの後ろへひょいと顔を出し、ジトっとした目で声をかけた。すると、シャルナは咄嗟に――、


「うるさいイレナ! アンタにだけは馬鹿なんて言われたくないっつの!」


「なんですって!?」


「ああ? また昔みたいに泣かしてやろうか、ああん?」


 シャルナは周りからの視線から隠れるようにシンゴ(壁)を引きずりながらイレナへと近付くと、下からガンを飛ばし、先ほどのシンゴとカズ同様にイレナと睨み合い始めた。

 同時に、腕を絡ませるようにシャルナに連行されるシンゴに突き刺さる周りからの殺意が度合いを増す。


 嬉しいやら、やめてほしいやら。複雑な状況へと追い込まれたシンゴは、目を閉じてほんの数秒だけ思案する。そして腕に押し当てられるシャルナの、イレナよりワンカップほど大きい胸に開いた目を向けると、全ての思考を投げ捨て、心の底から幸せそうにニコリと微笑んだ。


「――痛い!?」


 突然、腹部に激痛が走り、シンゴが悲鳴を上げて飛び上がる。が、途中でシャルナに引っ張られ、急降下。足首を軽く挫き悶絶する。

 右目を閉じて、オートで発動する吸血鬼の再生能力――その副次結果である真紅の瞳を隠しながら、今しがた的確にレバーを狙った攻撃を放った犯人へと視線を向けると、


「…………」


 なにやらむすっとしたアリスが、ジトっとした目でシンゴを睨み付けていた。

 それを受け、シンゴの脳裏に一つの可能性が電流となって駆け抜けた。そう、これはまさしく、世に言うあれでは――と。


「――アリスさん、まさか嫉妬!?」


 二度目の正直というか、リジオンの村を旅立つ際にも同じやり取りをして撃沈したが、今度こそはと瞳をキラキラさせるシンゴに対し、アリスはむすっとしたまま、


「……何故か、シンゴのニヤけた顔を見てたら無性に攻撃したくなった」


「……それ、嫉妬なんじゃねぇのか?」


 隣から腕を組んだカズがそう告げてくるが、アリスは前に流した白髪の束を揺らしながら首を横に振ると、


「確かにボク、シンゴのことは好きだよ?」


「マジっすか!?」


「暴れんな、壁」


「ごふっ……!?」


 アリスの方へと詰め寄ろうとしたシンゴに、先ほどとは反対側のレバーにシャルナの肘がめり込む。

 再び吸血鬼の真紅の瞳が顔を出すレベルのダメージを負い、シンゴは苦悶の声を上げる。

 右目を閉じて遠ざかる痛みにほっとするそんなシンゴへ、休む暇を与えないと言わんばかりに、アリスからさらなる追い打ちが放たれた。


「――でも、男の子を好きってのとは……少し違うかな」


「げはっ――!!」


 吐血せんばかりに腰を折るシンゴ。そんなシンゴを周りからは見えない角度で蹴り上げて無理やり立たせるシャルナの方は、イレナとの小声による舌戦へと発展していた。

 シンゴは、やっぱ離れて! と本人に直接言うと攻撃されるので心の中で叫び、シャルナに憎しみの込もった視線を向ける。


 ――次の瞬間、怒声が飛んできた。


「こらぁ! シャルナ! イレナ! こんなとこまで来て喧嘩かい!!」


「「ひっ……!?」」


 先ほどまでの険悪な雰囲気はどこへやら、二人は顔面を蒼白にさせて身を寄せ合う。そんな二人が恐怖の眼差しを向ける先には、『怒』のオーラで髪を逆立たたせた、アネラス・バレンシールの姿があった。


 アネラスの格好は相変わらず修道服だ。この場では違う意味で浮いている。

 そんなアネラスが、ズカズカとこちらへと歩いてくる。その凄まじい威圧感に、その怒りの矛先を向けられているわけではないシンゴまでも、思わずその背筋を正してしまう。


 そして、アネラスは二人の前まで来ると、鼻を鳴らして腕を組み、


「――言うことは?」


「シャルが!」「イレナが!」


 イレナとシャルナの指が、お互いの顔へと押し付けられた。

 再び睨み合って険悪な雰囲気となる二人に、アネラスはカッと目を開き、


「まずは謝罪さねッ!!」


「いたっ!?」「いてっ!?」


 アネラスの拳骨が振り下ろされ、二人の頭部に突き刺さる。

 涙目で頭をさする二人に、アネラスがさらに追い打ちをかけようとしたときだった。

 何やら周りからひそひそと話し声が聞こえてきた。その内容を大雑把に要約すると――、


「なあ……シャルナ・バレンシール、なんかいつもと様子が違わないか?」


「確かに……いつもの凛としたオーラが感じられないというか……」


「というか今、あの婆さんに殴られなかったか?」


 ――といった具合である。


 それを受け、シャルナは「まず……っ!」と顔をしかめて呟くと、爆発寸前のアネラス火山とイレナの手をがしっと掴み、王家直属近衛騎士団副団長――シャルナ・バレンシールのオーラを素早く纏って振り返った。


「――みなさん。わたくしは野暮用ができましたので、少し退席させていただきます。引き続き宴をお楽しみください。――では!」


「シャルナ! まだ話は――」


 シャルナが話を逸らそうとしたと勘違いしたアネラスが噴火しかけるが、シャルナが冷や汗を浮かばせながら咄嗟に対応する。


「お待ちください。ここでは皆様の迷惑になりますので、騎士団に対する苦情はわたくしが外でお聞きします。さあ、お進みください――マジでお願い、マザー……!」


 最後に小声で本音を伝え、噴火しかけたアネラスを左手で出口へとぐいぐい押しやる。そして右手では、さりげなく逃げようとするイレナを引っ掴まえ、「それでは、失礼いたします」と告げ、凛とした微笑みを最後に退出して行った。


「…………」


 静寂に包まれる玉座の間だったが、その静寂を破るように手を叩く音が響いた。その方向へと視線をやると、立ち上がったユピアが――、


「みなさん。シャルナ副団長のことはお気になさらず、宴を続けましょう」


 ユピアのその言葉で徐々に滞っていた会話が再開され、再び活気が空間を満たし始める。

 ほっとした様子で玉座へと腰を下ろしたユピアは、シンゴたちの視線に気が付くと、ぺろっと舌を出して「ごめんね」のジェスチャーを取った。


 何やら隣で天を仰ぎ、感動の涙を流すカズを全力で無視し、シンゴとアリスは顔を見合わせると、どちらからともなく苦笑した。

 今さらになって気付いたが、シャルナがシンゴを壁代わりにしていたのは、おそらくアネラスから隠れる為だろう。


 鼻から息を吐いて嘆息するシンゴに、アリスがその微笑を向け、


「――でも、イレナとシャルナ、普通に会話できるようになってよかったよ」


 微笑みながら、隣から顔を覗き込むようにしてシンゴへと声をかけてきたアリスに対し、シンゴはため息を吐きながら頷く。


「ああ、全くその通りだよ。……なんせ、俺が目を覚ました時があれだったもんな……」


「うん、やっぱり『家族』はああでないとね!」


「ま、喧嘩するほど仲がいいって言うしな」


 シンゴはアリスにそう返しながら、己が目覚めた時の状況を回想する――。



――――――――――――――――――――



「――――?」


 シンゴが目を覚ますと、視線の先にある天井は見知らぬものだった。

 この世界に来てからというもの、シンゴは気絶して目覚めるというルーチンにもそろそろ慣れつつある。しかし、やはり最初に認識するものが自分の知らないものだとなると、さすがに首を傾げるくらいはする。


「どの面下げて出てきたのよッ!!」


「――――!?」


 突如、発せられた怒声に、シンゴは慌てて跳ね起きる。眼前では、今まさに修羅場が展開されていた。

 目尻に涙を浮かばせて肩で息をするイレナ。そんな彼女に睨み付けられ、バツが悪そうにそっぽを向くシャルナ。その二人の間には、目を閉じて腕を組み、椅子に腰かけたまま沈黙するアネラス。そして、そんな三人を遠回しに見詰めるアリスとカズといった状況だ。


「……なにこれ?」


「――! シンゴ!」


 シンゴが目覚めたことに気付いたアリスが駆け寄ってくる。そしてシンゴの顔に自分の顔をずいっと寄せると、


「平気かい!? 体に異常は何もないかい!?」


「え? ん、まあ……頭もすっきりしてるし、体に気怠さもなけりゃ、目覚めて最初に驚いたことを除けば、うん、正常」


 アリスの顔がすぐ目の前に迫り、シンゴは咄嗟に体をのけ反らせながら自分の体に意識を向け、そう判断する。

 それでも心配そうに見詰めてくるアリスに、シンゴは「まじで大丈夫だって。それより――」と、まるでシンゴなど眼中にないというか、そもそも気が付いていない様子で険悪なムードを継続させるイレナたちへと不審げな視線を向け、


「これ、どういう状況?」


「……えっと、これは……」


 答えに窮するアリスだったが、そんな彼女が答えを告げる前に、イレナたちの方に動きがあった。


「イレナ、あんたにゃ関係ないことだっつーの。だからこれ以上、詮索すんな」


「――――ッ!!」


 素っ気なく答えたシャルナの頬に、イレナの張り手が打ちこまれた。しかし一方でシャルナは、特に反撃するでもなく無言のままでイレナを見据えるだけだ。

 そんなシャルナに対しイレナは、だんっ――と床を足で踏み鳴らすと、


「どうしてよ!? なんで修道院を出て行ったのよ!?」


 長年、胸の奥につっかえていたものを吐き出せた。イレナの今の慟哭からは、そんな印象を感じ取ることができた。

 水面ギリギリまで水が注がれたコップの縁から、与えられた刺激によって水が流れ出すように、とうとうイレナの目尻から涙が溢れ、頬を伝った。


「…………」


 そんなイレナに対し、シャルナの反応は変わらずの無言。しかし、その表情にはどこか困ったような色が混じっているようにも見えるのは、シンゴの気のせいだろうか。

 おそらくだが、このやり取りに似た問答は、既にシンゴが目覚めるまでに数回は繰り返されたのだろう。今の状況を見れば、何となくだが察せる。


 しかしそんな重々しい沈黙を、今まで黙したままだった人物が打ち破った。


「――イレナ、それくらいにしときな」


「――ッ! マザーも分かってるでしょ!? こいつが出て行ってから、子供たちがどれだけ落ち込んでたか! それに、マザーだって――」


「イレナ」


「――――ッ」


 名前を呼ぶだけでイレナを黙らせたアネラスは、閉じていた目をゆっくりと上げる。そしてその視線を天井へと向け、


「もともとバレンシール修道院は、あたしら夫婦が始めた小さな孤児院が始まりだったさね――」


「――――え?」


 話の筋から大きく外れたことを語り始めたアネラスに、イレナが困惑を含んだ声を上げる。そしてその困惑はシャルナにも、そしてシンゴたちにも同様に伝播する。

 そんな周りの反応などおかまいなしに、アネラスは続ける。


「徐々に、徐々に子供たちが増えていったさね。――やがて孤児院は修道院へ。そしてその規模も大きくなっていった、ある日さね。旦那がぽっくり逝っちまったのさ。死ぬときはみーんな、呆気ないもんさね……」


 感慨深げに目を細めるアネラスに、この場にいる誰もが口を噤んだ。

 そのことに気が付いたアネラスは、「らしくなかったさね……」と苦笑し、そして表情を真剣なものに変えると、イレナへとその視線を向けた。


「子供たちが増え、旦那が死んだ。そうなると、経済的にもかなり苦しくなってね。それは今でも変わらないさね」


「……でも、だからこそあたしが依頼を受けて、少しでも生活費の足しにって……。確かに今でもギリギリだけど、それでもどうにか――」


 イレナの返答に、アネラスは首を横に振った。眉を寄せて「え?」と声を漏らすイレナに、アネラスは嘆息すると、


「このことは、アンタがもう少し大きくなったら話そうと思ってたんだがね。ここから先に話を進めようとするなら、これは避けて通れない話さね」


 アネラスは一旦、間を置くと、神妙な面持ちで告げた。


「うちはもう経済的には駄目さね。赤字も赤字、大赤字さね。既に蓄えは尽き、修道院の資金はゼロを通り越してマイナス。本来なら、とっくの昔に潰れてるさね」


「え!?」


 アネラスの衝撃の告白に、イレナは大きく目を見開いた。それは今の話を聞いていたシンゴたちも同様だ。


「じ、じゃあ、なんで修道院は……あたしたちは普通に生活できてたのよ!?」


 一歩分アネラスに詰め寄ったイレナが、驚愕の抜けきらないままそう問いかけた。

 今のアネラスの話が本当なら、バレンシール修道院はとっくの昔に終わりを迎え、イレナたちを含めた修道院の子供たち、そしてアネラスとコネリアは路頭に迷っていたはずだ。それが何故、と疑問を抱くのは当然のことである。そしてその疑問は、シンゴたちも同様に抱いた。


 しかし――、


「ところが、さね。どこかの誰かさんが、修道院に毎月お金を送って来てねぇ……」


 含みを持ったアネラスに告白に、イレナやシンゴたちも目を丸くする。しかし、先ほど修道院の経済事情を聞いても反応を示さなかった人物が一人いるとことに、アリスのみが気付いていた。その人物とは、周りから顔が見られないようにそっぽを向き、心なしか耳が赤い――、


「君のことかい、シャルナ?」


「――――え?」


「…………」


 アリスの問いかけに、イレナが驚いた顔でシャルナを見やる。

 視線が集中し、もうだんまりを決め込むことも無理だと判断したらしいシャルナは、舌打ちを一つすると、はぁ――とため息を吐き、


「……んだよ、なんか悪いかよ」


 向けられる視線に対し、若干頬を染めたままでぎろっと睨み返す。しかし、その態度には覇気がなく、あるのはただの照れ隠しだ。


「…………」


 ぽかんと口を開けて固まるイレナの反応に、シャルナは再び舌打ちをすると、「ふん」と後ろを向いてしまう。

 そんなシャルナの素直じゃない態度に、アネラスは鼻を鳴らすと、


「こいつはね、偶然、修道院の経済事情について知ってしまったのさ。一体どうやって知ったんだか……」


 そう呟くアネラスに対し、同じように後ろを向いたままシャルナが鼻を鳴らし、


「ふん。ちゃんと家計簿くらいガキの目の届かないとこにしまっとけっつーの……」


「…………」


 周りからジトっとした目を向けられ、アネラスは誤魔化すように咳払いをひとつする。

 そんなアネラスに変わり、カズが事の顛末をまとめにかかる。


「つまり、ばあさんの不手際で修道院の懐事情を知っちまったシャルナは、その状況を打開しようとして――」


「――修道院を出て、騎士になった……?」


 カズの言葉の先を引き継いだイレナが、そう締めくくる。そしてイレナは、驚愕が抜けきらないまま、


「でも、どうして騎士団なんかに……。それに、黄色い炎なんて魔法まで……」


 再び集まる視線に、しばらく無視しようと奮闘していたシャルナだが、いつまで経っても沈黙している背後の気配に、「だーもうッ!!」と金髪に指を差し込んでがしがしすると、ようやく振り返り、


「えっと……アレだよ。修道院を出てみたはいいけど、どこでなにすりゃいいかさっぱりだったわけ。そしたら、ちょうど騎士団の入団試験みたいなのがやってたから受けた。んで、受かった。そんだけ」


「そ、そんだけって……」


 呟くイレナに、シャルナは面倒くさそうな視線を向け、


「『陽焔』に関しちゃ、試験ときに偶然出た。まあ、アタシが天才肌だったってのもあるけど、採用の一番の理由はこれだな」


 シャルナの手の平に、こぶし大の黄色い炎――『陽焔』が生まれる。次の瞬間、その炎の明かりに照らされたシンゴの背筋に、何やら得体のしれない悪寒が駆け抜けた。

 知らず知らずのうちに、自分の体を掻き抱くように腕を回すシンゴ。ふと視線を向けると、アリスも同じように顔を青ざめ、服の裾をぎゅっと握っていた。


「――と、アンタらにはこの炎は猛毒だったっけ。わり」


 シンゴたちの様子に気付いたシャルナが、手の平を閉じて『陽焔』を消す。それに伴い、シンゴの体を苛んでいた悪寒が嘘のように消えた。見れば、シンゴと同様に悪寒が消えたのか、ほっと息を吐くアリスがシャルナの手の平へと不審そうな視線を向けていた。

 そんなシンゴたちの反応を受け、シャルナは「そういや――」と呟くと、


「結局、アンタら二人は生粋の吸血鬼だったってわけな。――いや、二人とも従者みてえだから、生粋ってわけじゃないか。それに、アイツらずっと鎖国中だし……ま、いっか。どうでも」


「――――?」


 二人して首を傾げるシンゴとアリスに、シャルナは「ああ、メンドイからいい」と手を振る。

 お互い顔を見合わせて眉を寄せるシンゴとアリス。すると、イレナの口から小さな声でぽつりと言葉が漏れ出た。


「……ごめん。あたし、修道院がそんなに大変なことになってたなんて、知らなかった……」


 目を伏せて落ち込むイレナに、シャルナは苦虫を噛み潰したような顔をすると、「はあ……」と嘆息し、


「どうせ馬鹿なアンタのことだし、いいんじゃね? それに、アンタもアンタで稼いでたんっしょ?」


 腕を組んだシャルナに問いかけられ、イレナは伏せていた目を上げ、「うん……」と弱々しく頷く。そんなイレナの態度がやりずらいのか、シャルナは困ったように眉を下げると、


「イレナ、アンタはアタシと違って馬鹿なんだから、しょうがないって。だからさ、えっと、ほら……」


「素直じゃないのも変わんないさね、シャル」


「う、うっさい!」


 アネラスの茶々に吠え返すシャルナ。そんなシャルナへイレナが――、


「シャル……」


 イレナの弱り切った目を向けられ、シャルナは「うぐっ……」と後退する。しかし壁にぶつかり、これ以上は後退できないと悟ると、深いため息を吐きながら手をぷらぷら振り、


「別にアンタに謝られる筋合いはないっつの。これはアタシが勝手にやったことだし、イレナ、あんたにゃこれっぽっちも関係ない」


「でも……」


「うっさい! この話はこれで終わり! これ以上続けるってんなら、ここにいる全員にアンタが過去やらかした醜態を余すことなく全て暴露してやっからな!?」


 ぎろりと睨み付けてくるシャルナに対し、イレナは顔面を蒼白にさせて首を横にブンブン振る。


「わかりゃいいんだよ――」


 満足そうに頷くシャルナ。そんな彼女に、イレナが再び口を開く。


「ねえ、シャル……」


「ん?」


 シャルナは腕を組み、片目だけ開いてイレナを見やる。その先では、イレナが縋るような目で、


「また、昔みたいに話しかけてもいい……?」


 イレナの言葉を受け、目を見開くシャルナ。そんな二人を、アネラスは黙ったまま微笑ましげに見詰めている。

 やがてシャルナは嘆息し、片手で頭を掻くと、


「……別にいいけど、人前ではやめてくんない? アタシ、こう見えても清純派で通ってんだからさ」


「う、うん!」


 ぱあっと笑顔を弾けさせて首を何度も縦に振るイレナに対し、シャルナは世話の焼ける妹を見るような目で苦笑する。

 そしてイレナはニコニコしたまま、


「もちろんその時は、ユピ姉も一緒にね!」


「……いや、ユピ姉は政治的なことで忙殺されて――いや、あの女なら業務ほっぽり出して飛んできそうだな……」


 嫌そうに顔をしかめるシャルナ。そんな彼女に、イレナはうんうん頷きながら、


「たまには修道院にも帰ってきてよ! そしたら、子供……たちとも……」


「…………」


 イレナの言葉が尻すぼみになっていき、太陽のように弾けていた笑顔が雲に閉ざされていく。同時に、この部屋の中にも重い空気が漂い始める。

 シンゴはすぐには理解できなかったが、記憶を掘り返し、そしてイレナの今の言葉とリンクする事柄を掘り当て、表情を曇らせる。そう、つまり――、


「……マザー」


「なにさね?」


「あたしたち、どこに帰ればいいの?」


「…………」


 イレナの問いにアネラスは答えない。そして次にイレナは、おそらくこの場にいるシャルナを除いた全員が気付いているであろう、もうひとつの暗雲について口にした。


「アルネは……どうなったの?」


「…………」


 返ってきたのは、またしても沈黙だった――。


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