第2章:41 『校舎での対話』
「『フレイム・ヂ・バレット』」
詠唱と同時に、シャルナの手の平から炎の塊が連続して撃ち出される。
アリスはそれを、後方に連続してバク転しながら回避していく。
「おっらぁ!!」
大きく踏み込んだカズが、シャルナに向かって錆びた大剣を横に薙ぎ払う。普通なら、女性の腕力でこれを受け止めることなど不可能だ。しかし、シャルナはタイミングを合わせ、向かってくる大剣の下を長剣ではね上げるようにして軌道をずらし、回避する。
そして生じた隙に、カズに向かってその手の平を突き出した。
「――――ッ!」
大剣に振り回され、防御も回避も間に合わないと悟り、眼前にある手の平にカズの目が大きく見開かれ――、
「させない――!!」
風を纏ったアリスが咄嗟に距離を詰め、シャルナの背後から足を横薙ぎに払った。
しかし、シャルナは背後のアリスに視線だけをちらりと向け、背中の鞘に剣を収納するような動作で、片手で長剣を背中に回してアリスの攻撃を防ぐ。
そして――、
「『フレイム・ヂ・バレット』」
「――ッ! 『ダ・ウェア』!!」
詠唱と同時に、カズの体を薄い透明な膜が包んだ。
シャルナの手の平から炎の塊が撃ち出され、カズの胸部に直撃する。
「ぐっ――!?」
爆炎がカズの体を包み込み、反動でその体が吹き飛ばされる。
カズの体は床を何度も転がり、やがて静止した。
「カズ!!」
緊迫した声音でカズの名をアリスが呼ぶが、そのすぐ近から――、
「彼のことを心配している暇はありませんよ――」
「――――!?」
アリスがはっとして視線を下げると、姿勢を低くして踏み込んできたシャルナの赤い双眸とぶつかった。
腰から下を斬り飛ばそうと画策し、剣を振るおうとするシャルナだが、アリスは咄嗟に剣の柄を足で押し返すようにして蹴り付けて、初動を妨害する。しかしそこでシャルナは止まらず、剣の柄から片手を放すと、腕を折り曲げてアリスの顔を狙った肘打ちを放った。
「あぅ――っ!」
もろに肘打ちが通り、アリスが体をのけ反らせる。そこへ、シャルナが斜め下から長剣を一閃させた。
「――――ッ」
咄嗟にバックステップで背後へ避けたアリスだが、先の肘打ちの余韻がその初動を阻害し、胴体に斜めの線が入る。
アリスは後ろに大きく飛んで、すかさずシャルナから距離を取る。
「――――!」
ふとアリスが視線を下げると、服の前が斜めにはらりと裂け、そこから覗く白磁の肌から、つーっと血が流れ落ちた。しかし、同時に血液は煙を上げて蒸発し、傷は一瞬のうちに塞がってしまう。――吸血鬼の再生能力だ。
「――やはり、ただの斬撃では再生されてしまいますね……。なら――」
肩で息をするアリスの傷が消えた白い肌を見やり、シャルナが呟く。そして、長剣を体の前で構えると――、
「『エンチャント・サン』」
「――――ッ!!」
ぞくり――と、アリスの背筋を悪寒が駆け抜けた。
その悪寒の対象は、今しがたシャルナの口から紡がれた詠唱によって生じた、長剣にまとわり付く黄色い炎だ。
知らず知らずのうちに、アリスの喉がごくりと音を立てる。
あの炎はシンゴの腕を斬り飛ばし、あまつさえ吸血鬼の再生能力を阻害してしまうという、アリスにとって天敵のような力を持った炎なのだ。
そんな黄色い炎を長剣に宿らせながら、シャルナが独り言を呟くように、その淡いピンクの唇を開いた。
「先日、無謀にも白昼堂々、このわたくしに襲い掛かってきた『星屑』がいましたが、先ほどの彼のように、その腕をこの『陽焔』で斬り飛ばしてあげました。本来なら、吸血鬼の再生能力は阻害されるはずですが、先ほどのような抜け道があるとなっては、あの『星屑』の腕も今頃は元通りになっているかもしれませんね……」
そう言うと、シャルナは「なんとも厄介です……」と呟き、眼前のアリスを睨み付けると、
「大人しく投降し、この王都に潜伏している『星屑』たちの所在を吐きなさい! そうすれば、命だけは奪いません」
「……信じて貰えないかもしれないけど、ボクとシンゴは『星屑』じゃない」
「ええ、信じられません」
「…………ッ」
即断され、アリスは唇を噛む。
しかし、感情的になってはいけないと己に言い聞かせ、深呼吸すると、シャルナをきっと睨み返し、
「君のほうこそ、どうしてこんな所にいて、何故ボクたちの邪魔をするんだい?」
「雇われたからです。それに、後者に関しては愚問ですね。あなた方は、あろうことかここ――カワード・レッジ・ノウの屋敷に不法侵入をしているのですよ? それに、その罪状がなくとも、あなたが『星屑』である以上、見過ごすわけにはいきません」
取りつく島もないとは、まさにこのことだろう。しかし、アリスも濡れ衣を着せられたあげく、誤認逮捕なんてされるのはまっぴらごめんだ。それに、アリスの憶測通り、シャルナ・バレンシールは強い。しかも、まだ本気を出していないようにも見える。
それを踏まえたうえでこの状況を鑑みてみると、この争いはあまりにも不毛であり、分が悪すぎる。だから、できることなら話し合いで解決したいというのが、アリスの正直な気持ちだ。
先の雇われたというシャルナの言から、おそらくその雇い主はカワードであると推測できる。なら、そこに付け入る隙がある。
つまり何が言いたいかというと、アリスはカワードの非道な行いを、シャルナに直接、伝えることにした。
「子供を誘拐した黒ずくめの人物が、ここにいるかもしれないんだ。ボクたちは、そのあとを追ってきただけなんだ。それに、おそらくその誘拐を指示したのは――カワード・レッジ・ノウだ」
「…………何を言い出すかと思えば……。そんな見え透いた嘘に、わたくしが騙されると思っているのですか? いっそ無礼です!」
「……ッ! お願いだよ、信じ――」
「言い訳は、拘束させてもらってから聞きます!」
シャルナの長剣を包む『陽焔』が火力を上げ、大きな火柱となる。その火柱の高さは、天井にまで達するほどだ。そしてそのまま、シャルナは長剣を大きく振りかぶり――、
「生きていたら――ですが」
「くっ……!」
アレはまずい。おそらくアレを喰らえば、アリスの体はちり一つとして残らないだろう。そして掠っただけでも、あの黄色い炎がアリスの再生を阻害してしまう。
アリスは素早く詠唱し、“風”を纏い直すと、全力で回避するために足へ渾身の力を込め――
「――シャルナお姉ちゃん?」
「――――!?」
ホールにぽつりと響いた場違いな声に、しかしシャルナの反応は驚くほど明確で、いっそ動揺しているようにも見えた。
長剣を包む『陽焔』が勢いを無くし、やがて鎮火する。そして、長剣をゆるゆると下げながら、シャルナは階段の方を見て大きく目を見開く。
アリスもそちらへと視線を向けると、そこには一人の少年を背負った少女が佇んでおり――、
「――……アンリ?」
シャルナの震える声が、少女の素性を明らかにした。
――――――――――――――――――――
「…………ぁ?」
うっすらと瞼を開けると、最初に視界に飛び込んできたのは、複雑だが、それでも美しく流れるような曲線を描く、大自然の産物である木目を刻んだ平らな板だった。
はっとして机から顔を上げると、シンゴの視界に見知った教室の様子が映り込む。しかし、教室内にはシンゴたった一人しか居らず、見上げた先の時計は反転し、逆さに時を刻んでいた。
そう、ここは――
「――なんで俺、毎回ここのこと忘れてんだ……?」
湧きだすように蘇る記憶に、シンゴが忌々しげに眉を寄せて呟く。
何故に忌々しげにかというと、前回ここに来たとき、シンゴはまるで自分のものではないかのような激情に囚われた。その激情はシンゴを狂わせ、その狂気の矛先はこの校舎の主である、半身のみの火の鳥へと向けられた。そしてそんなシンゴを、この狂った校舎は最大限の狂気でもって歓待した。
ふと前回の、階段を転がり落ちてくる無数の己が生首という光景が脳裏を掠め、シンゴは嫌悪に顔を歪ませる。
なんとかその光景を頭を振って遠ざけると、次に思い出されるのは狂気に塗れ、嬉々として窓から飛び降りた際に見た、この校舎の主――そう、半身のみの火の鳥のことだ。
今思えば、あの鳥はシンゴへ助言をくれた形になるのだろうか。
――『角』。
あの鳥から伝わってきた言葉のイメージにより、シンゴは“特異種”の弱点にいち早く気が付くことができた。
そう思えば、だ。あの鳥は、少なくともシンゴに対して友好的なの存在なのでは、と考えることもできる。
そんなことを、シンゴが考えていたときだった――。
「――――!?」
きぃ――と音を立て、扉が開くあの音が、シンゴの“背後”から聞こえた。
シンゴは恐る恐る、背後へ首を動かして視線を向けてみる。
果たしてそこには――、
「……もう、めちゃくちゃな構造じゃねえかよ、ここ……」
教室の後ろにある無数のロッカーの真ん中、そこに上へと続く階段が生まれていた。
シンゴは意を決して立ち上がると、机の間を縫うように歩みを階段の手前まで進める。しかし、その足が階段の数メートル手前で止まってしまう。
「…………」
思い返されるのは、やはりあの光景だ。
どうやら階段から生首が転がってくるあの光景は、シンゴの心に深刻なトラウマとして深く刻まれているようだ。
そも、トラウマというのは、簡単に克服できないからトラウマなのだ。だから、シンゴが足を竦ませるのは仕方のないことだった。
すると、そんなシンゴの頭の中に――、
『大丈夫だ。上がってこい――』
「――――!?」
今までも何度か聞いたことのある『声』が、シンゴの頭の中に直接、響いた。
無駄だということを頭では理解していながらも、シンゴは自分の精神の安定を保つために、本能的に、無意識のうちに周りをぐるっと見渡し、声の主の所在を探してしまう。
しかし当然、その声の主の姿はどこにも見当たらず、シンゴの視線は一周して階段へと戻ってきてしまう。
『こい――』
「――! わ、分かったって……」
催促してくる『声』に、シンゴは渋々といった様子で止まっていた足を再び動かす。
一段目に足がかかった瞬間、シンゴは全身が粟立ち、肌に鳥肌が浮かぶのを感じた。しかし、口の中の肉壁を奥歯で思いっきり噛み、痛みで無理やり足を動かす。
「――――」
口の中に鉄の味を感じながら、シンゴは階段を上り、やがて半開きになっている扉の前に立った。
一旦、深呼吸をすると、シンゴは勢いよく扉を開け放つ。
最初に視界に飛び込んできたのは、星一つとして見えない真っ暗な空だ。しかし不思議なことに、闇の中にある街並みははっきりと視認することができる。どこか、吸血鬼の瞳による暗視を彷彿とさせる光景だ。
そして遠くに見える街並みは、以前とは建造物の形や位置が少し違うようにも感じるが、その建造物は物理法則がめちゃくちゃな状態で乱立しているという事実は、なんら以前と変わらなかった。
その不可思議で怪奇な街並みに、シンゴが眉を寄せていると――、
『あの街が以前と変わって見えるのなら、シンゴ――お前の心に何らかの変化があったからだろう』
「――――!?」
今までの直接、頭の中に話しかけられるテレパシーのようなものとは違い、普通に会話するように語りかけられた『声』に、シンゴははっとして背後へ振り返った。
『それがよい変化なのかどうかは、前までの私には知る由もなかったがな――』
「お、まえは……」
振り返った先、今しがたシンゴがくぐってきた扉の上――搭屋の上に、この校舎の主の姿があった。
全身が紅蓮の炎で形作られた、右半身のみの巨大な鳥だ。
およそこの世のものとは思えないようなその異様な存在に、シンゴが目を見開いたまま固まっていると、
『ようやく、ようやくだ――』
「な、何がだよ……」
返答しなければ、一体なにをされるのか分からない。機嫌を損ね、シンゴはその炎で生きたまま焼かれるかもしれない。そんな強迫観念がシンゴの口を無理やり動かし、言葉を紡がせた。
しかし火の鳥は、そんなシンゴの態度に『ふっ――』と笑うと、
『そんなに怯えなくとも、取って食ったりはしない。私はただ、お前と話がしたかっただけなのだ』
「俺と……話を?」
『ああ』
頷く火の鳥からは、確かに敵対的な雰囲気は感じられない。――と、なると、シンゴの先の憶測は、あながち間違いではなかったということになるのだろうか。
しかしそうと分かったところで、眼前の火の鳥のオーラというか、その存在感を易々と受け入れられるほど、シンゴの心は強くはない。
そんなシンゴの心の声が伝わったのか、火の鳥は『ふむ――』と言うと、
『そうだな……まずはお互いの距離を縮めることから始めるか。――私の名はベルフだ』
突然、始まった自己紹介に、シンゴは困惑の抜けきらないまま、しかしここで自分が無視すると後が怖いと判断。自分の身を守るため、ここは火の鳥の提案に乗っかることにした。
「え、と……俺はシンゴ。キサラギ・シンゴだ」
シンゴがそう自己紹介すると、
『ああ、知ってる』
「…………」
そういえば、この鳥は先ほどシンゴの名前を呼んでいたなと思い返し、シンゴは赤っ恥を掻いたことに渋い顔になる。
すると火の鳥――ベルフは、そんなシンゴを見やり、
『どうした? ツッコミはなしか?』
「…………」
どうやら、今の会話は自己紹介を兼ねたベルフのボケだったらしい。「知ってんのか〜い!」とでもツッコめばよかったのだろうか。しかし、この状況でそんなツッコミを入れることはおろか、そもそもな話、よもやこのシリアスな場面でボケをぶっこんでくるなど、一体誰が予想できようか。
もしや天然か? と、シンゴがベルフの性格を疑うなか、その当人――というか、当鳥は咳払いを一つ挟むと、
『とにかく、私がお前に対して何も敵意など持っていないことは、理解してもらえたか?』
「……まあ、毒気が抜かれたというか、火属性っぽい見た目してんのに、氷属性の攻撃してくんだな――くらいには」
『…………』
押し黙るベルフに、シンゴはこのタイミングをもって、この火の鳥への警戒心を最低レベルまで引き下げることにした。
ベルフが望んだ通りに事が運んだかと言われればアレだが、結果的には二人――と呼んでいいのかは分からないが、とにかく二人の距離は縮められたことには変わりないはずである。
「――で、俺はこれからどうしたらいい? 用がねえなら、こっから出してくれよ。じゃねえと、じゃねえと…………」
『――――』
徐々に言葉が尻すぼみになり、シンゴの表情がどんどん深刻味を帯びていく。
青ざめ、唇が震えだすシンゴを黙って見守るベルフ。そんなベルフを震えたまま見上げ、シンゴはこんなことをしている場合ではないことを、現実でのできごとを思い出す。
そして、途切れた最後の記憶に指先がかかると、シンゴはその場面への“答え”を探そうとする。
どう動けばいいのか、何を言えばいいのか、どうすれば切り抜けられるのか――。
しかしその“答え”を見つけられず、シンゴはその“答え”を“外”に求めることした。そう、一度はシンゴに助言を与えてくれた、目の前にある“未知”に。
「……俺は、どうしたらいい?」
ベルフに問いかけた。
今もっとも可能性と呼べるものがあるなら、それは眼前のこの火の鳥だ。
ベルフはしばらく黙ってシンゴを見詰め、やがてゆっくりと言葉を紡いだ。
『……残念だが、私にはお前を救うことはできない』
「――――そ、んな……」
シンゴの顔を、絶望の色が染め上げる。期待していた分の揺り戻しがきた結果だ。
しかし、まだ終わりではなかった。
『――だが、可能性を繋ぐことはできる』
そう続けたベルフに、シンゴは顔に困惑を浮かべたまま、視線でその意味を問いかけた。
『そもそも、私とお前が“邪魔”されずに会話できているということは、ようやく“馴染んだ”ということだ』
「馴染んだ? 一体、なにが……」
言葉の意味が理解できず、シンゴは訝しげに眉を寄せる。ベルフは、そんなシンゴに諭すように、力強く言葉を放った。
『お前と私の――繋がりがだ』
「つな……がり?」
困惑を宿した表情のまま首を傾げるシンゴに、ベルフは頷くことで肯定の意を返す。
『そう、繋がりだ。今までは自分のことだけで精いっぱいだったが、今なら“外”にもいけるはずだ。――しかし、今はこの世界の理でお前を帰すことはできない。最初の時は、無理やり私が追い出すことでなんとかなったが、完全にリンクした今となっては、それも不可能だ』
「……なに、言って……?」
まるで暗号を並べ立てるような言葉を紡ぐベルフに、シンゴはただただ困惑するしかない。
そんなシンゴに、ベルフは突然その片翼を羽ばたかせると、シンゴの眼前に飛び降りてきた。
「――――ッ!?」
突然のベルフの行動に驚くシンゴに、ベルフは優しく語りかける。
『大丈夫だ。私の言葉の意味は、じきに理解できる。――そう、なっている。そして、やはりお前を帰すにはこれしか方法がないようだ』
「…………?」
疑問符を浮かべるシンゴに、ベルフは申し訳なさそうに呟いた。
『すまない、一瞬で終わらせる』
「は――――」
シンゴが声を上げる前に、ベルフの顔が視界いっぱいに広がった。
そして――
ごっ――と鈍い音が響いた。
「――――」
『…………』
次の瞬間、ベルフの口ばしに顔面を穿たれ、首から上が消し飛んだキサラギ・シンゴの亡骸がゆっくりと屋上に横たわった。
放射状に肉片と脳味噌をぶちまけ、頭部を失った胴体の首から滝のように血液が噴き出した。
その惨状を作り出した張本人である火の鳥は、無言でその亡骸を見下ろし、
『……これしか方法がないんだ。すまない……』
そう、懺悔するように呟いた。
そして、星ひとつとして見えない暗黒の空を仰ぐと、
『それにしても――』
ポツリと、
『私は――何なのだ?』
その曖昧な問いに答える者は、ここにはいない。




