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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第2章 王都トランセル
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第2章:32 『道しるべ』

「あ〜、最高……」


 もうもうと湯気が立ち上り、視界を白く染め上げる湿った空間に、シンゴの気の抜けた声が反響した。

 シンゴは水面に映る自らの顔をぐにゃりと歪ませるように両手を湯船に差し入れると、すくい上げ、ばしゃばしゃと顔を洗って一息つく。


 シンゴ達が現在いるのは、王城備え付けの大浴場である。

 この空間には他に人の気配はなく、あるのはシンゴと――、


「心の底から温まるっていうのは、こういうのを言うんだな……」


 シンゴの真隣から、感慨深げな呟きが聞こえる。

 そちらを見てみると、両肘を縁に預け、弛緩した笑みを浮かべるオレンジ色の頭髪の青年――カルド・フレイズが同意を求めるように、シンゴへ片目を向けて来ていた。


「だろ? 俺んとこの故郷じゃ、偶然、湧き出た温泉があったからな。外で浸かれるような、露天風呂ってのもあったんだぜ?」


 ――という設定である。

 故郷という部分から、シンゴが特段、嘘をついている訳ではないというのが分かる通り、ようはそれを受け手がどう解釈するかである。まあ、どう曲解して捉えたところで、その故郷というのがよもやこことは別の世界などと、誰も想像できないだろうが。


 そんなシンゴの嘘ではない嘘を受け、カズはそのシンゴの故郷とやらへ思いを馳せるように目をつむり、ぽつりと、


「そいつはいいな……今度、連れてってくれや」


「――――」


 ちらりと反応を窺ってくるカズに、シンゴは沈黙を湛えたまま微笑のみを返した。カズはそのシンゴの反応を了承だと受け取ったらしく、鼻歌を歌いながら肩まで湯船に沈んだ。

 シンゴは未来永劫、果たされる事のない約束に心弾ませるカズを見やり、胸中に湧き上がる居たたまれなさと、少しの寂寥感を誤魔化すため、「それにしても……」と話題を切り替えるように、呆れたような、不審なものを見るような曖昧な表情ですぐ近くにある“それ”を見る。


「一体なんだ、これ?」


「……やっぱ、お前から見てもそんな感想になるんだな……」


 二人が難しそうな表情で見やる“それ”は、簡潔に言うなれば“人型の像”である。まずはパッと見で、その像の役割は理解する事ができた。何故なら、その像からは現在進行形でシンゴ達が身じろぎするたびに外へ流れ出す湯を足すために、絶え間なく新たな湯が注ぎ続かれているからだ。


 つまり、この像は減った分の湯を足す役割を担っているのだ。――設計者の、ほんの遊び心が窺える、そんな造りである。しかしその反面、設計者の意図が全く読めない部分があるのだ。そこが、シンゴ達が眉を寄せている部分である。それはつまり、何かと言うと――、


「率直に言う。――なんでそっからお湯が出てんだよ!?」


シンゴが目を剥いて指差すのは、シンゴ達の浸かる湯船にお湯を注ぎ入れている部分――像の股間である。

 像は人型で、男性の形を成している。そして男性の象徴たる部分からお湯が流れ出ているのだ。それはもう、どこからどう見てもあれにしか見えない。


 しかし、まだこれだけではない――。


「……シンゴ、その像のポーズに意味は――」


「ねえよ、たぶん!」


 男を象ったその像のポーズは、体を扇情的にくねらせ、艶めかしくその手を体に這わせた、所謂――セクシーポーズである。

 シンゴは水面を激しく叩き付けると、


「意味分かんねえよ――ッ!?」


 到底、理解する事の出来ないモノを前に、シンゴとカズの脳内を占めるのは、ただひたすらの困惑であった。

 そしてそんな二人の困惑は、実は二人だけのものではなく――。



――――――――――――――――――――



 シンゴ達が像に対してオーバーリアクションで困惑を顕にしている隣の空間では、そんな二人と似たような感想を抱く少女が居た。


「――なんか、隣からあたしの思ってる事と似たような感想が聞こえてくるんだけど……」


 髪を解き、自由となった長い茶髪から水を滴らせながら、湯船に浸かるイレナが肌に張り付く髪を掻き上げ、隣の壁を見上げて呟いた。

 イレナが見上げる先――壁の最上部は一メートルほど存在せず、その部分だけが隣の男湯と空間を共有していた。


 その部分を通して、先ほどから男二人の驚愕の声が聞こえてくるのだ。

 イレナがこの大浴場に来るのは、実はこれが初めてである。何故かと言うと、実はこの大浴場、つい最近、大改装を行ったらしいのだ。

 前身となる大浴場には入った事はあるのだが、改装後の大浴場に入るのは初めてなのだ。


 当然の事ながら、大浴場の中はイレナの知る過去の光景とは様変わりしており、新鮮な気持ちで入ってきたものだ。しかし、便利になった箇所がいくつもあるのに対し、今の男湯と女湯が一部分ではあるがその空間を共有している事など、設計者の意図が汲み取れない改装が先ほどからちらほらと見受けられるのだ。


「――――」


 そして、イレナは改めて、その設計者が何を考えているのか読めない設計の、その最たる例である眼前の像へとジトっとした目を向けた。

 隣からシンゴ達の困惑の声が聞こえた事から、どうやら男湯にもこの像は存在するのだろう。――しかし、イレナは知らない。この自分が見やる眼前の像と、男湯にある像が全く違った姿形をしている事に。


「――あ」


 そんなイレナの視線の端に、白い何かが映り込んだ。咄嗟にそちらを見やれば、その白い何かの主は、水面に顔を半分ほど沈めた状態でスーっと移動している。

 やがて、少女――アリスは不可解な像の存在に気付き、ビクッとしながら水面から顔を上げる。


 そんな彼女の反応に、イレナは軽く吹き出す。そんなイレナへアリスは視線を向け、やがてトプンと音を立てて再び湯船に顔を沈める。若干その頬が赤いのは、お湯に温められての事なのか、それとも今の一幕を覗き見られた事に対する羞恥からなのか。


 そんな事を考えていると、アリスが水面に波紋を伴いながら、こちらへスーっと移動してきた。そしてイレナの隣まで来ると、その顔を水面から上げ、


「さっき、シンゴ達の声が聞こえた気がしたんだけど」


「ああ、それは……ほら、あれが原因よ」


「…………あ」


 視線の先に壁の穴を見つけ、アリスの頬がより赤くなった。

 おそらく従来の彼女なら、そんな反応は示さなかっただろう。しかし、今朝方イレナから人体の神秘について聞かされてすぐのアリスには、少々、刺激が強すぎたようだ。


 再び湯船に顔を沈め、泡をぶくぶくさせるアリスに苦笑していると、そんな二人の近くに新たな闖入者が大きな波紋を水面に立てて入ってきた。

 イレナとアリスの視線が、自然とその闖入者――ユピアの体の一部分へと注がれる。


「――ぁ」


 湯船に浸かったユピアの口から、艶めかしい吐息が漏れる。そして満足気に緩められた顔へと、両手ですくったお湯をかける。そして再び「はぁ――」と肺から空気を絞り出すように吐息すると、肩までお湯に沈む。

 ――しかしその瞬間、アリスとイレナの目が驚愕に見開かれた。


 ユピアはお湯に体を沈める際、さもそれが当然の事のように、浮力で浮かんでくるその胸部を上から押さえ付けたのだ。

 アリスとイレナの視線に、僅かな殺気が含まれたのを敏感に察知したユピアが、戸惑いながら二人の事を見やり、小首を傾げてくる。


 そんな無自覚な王女様に、イレナは深呼吸して気を静める。そして、意識して話題を変える事にする。

 イレナは先ほどの像を指差すと、ユピアを見やり、


「ユピ姉! あれは何よ!?」


 アリスとユピアの視線がイレナの指先を追って、その像へと向けられる。

 ――像は禿頭の男を象っているが、男性器は存在していない。しかし、その体勢は理解し難いものだった。像はその体を地面すれすれまで前傾させ両手を地に着けている。――つまり、四つん這いである。そして、今しがたユピアの参入で減った湯を継ぎ足すために流れ出す湯。その湯は像の、像の――


「なんで口からお湯が出てるのよ!?」


 お湯はキラキラとした透明な色を湛えながら、その四つん這いの像の口から絶え間なく注がれていた。まるでそれは、胃の収縮運動によって行われる、あの生理現象に酷似していて――というか、それ以外、考えられなかった。


 そんなイレナに苦笑を返し、ユピアはその綺麗な艶を示す茶色の髪を掻き上げて耳にかけながら、


「ここを改装してくれた人が、ちょっと独創的な方でね? 地方では有名な方だからって事で、改装を依頼したらしいんだけど……」


「独創的すぎるでしょ!?」


「私の思想は、常に最先端を走っている――って」


「先走りすぎよ!」


 叫ぶイレナの声が無数に反響する。そしてその声は、当然の事ながら――。



――――――――――――――――――――



「「…………」」


 聞こえてきた声に、男二人は無言で上を見上げていた。

 二人の視線の先では、空間を隔てる壁かそそり立ち、しかしその最上部は不自然に一メートルほど開けて、壁の向こう側と空間を共有していた。


 シンゴは悟る。先ほど聞こえてきた声、耳を澄ませば今も微かに聞こえてくる声。その聞き覚えのある声に、シンゴは事実を口にする。


「隣は女湯だな」


「ああ」


 シンゴの呟きに首肯を返すカズは、上を見上げたままさらに続ける。決意するように、自分の胸中に渦巻く感情を解放する。


「――覗くか」


「……まじで?」


 視線を下げてカズを見やり、そう答えたシンゴはふと感じた感覚に眉を寄せる。そして、それはどうやらカズも同じようで、シンゴ同様に眉を寄せている。


「「…………」」


 二人は数秒間お互いの顔を見やり、沈黙する。やがて、シンゴがその沈黙を破るように、胸の中に突然、湧き出てきた感覚の正体に目星を付けて口にする。その感覚は――、


「なんかさ……前にもこんな会話しなかったっけ?」


「ああ……オレも似たような事をお前に向かって言ったような気がする――んだが……」


「ああ……」


 二人は顔を見合わせると、頷き合い、同時に口を開く。


「「思い出せない……」」


 そう呟く二人だったが、カズは頭を押さえるように手を当て、渋面を作ると、脳内に僅かに残る記憶を絞り出すように、


「思い出そうとすると、体が回転するような奇妙な感覚と、不可解な頭痛がするんだが……」


 そんなカズに対し、シンゴも腕を組んで難しい顔のまま、


「俺も、なんか白い物体が頭の中を掠めんだけど、その後に衝撃が走ったみたいに記憶がブラックアウトする……」


「「…………」」


 お互い顔を見合わせると、二人は厳かに頷いて、


「……やめとくか」


「だな……。俺の本能が、大音量でアラーム鳴らしてるし……」


 男二人は最後、名残惜しそうな瞳で壁の上を見やる。未だ聞こえてくる声に、シンゴは本能に逆らい動こうとしない己の体に、悔しそうに歯ぎしりした――。



――――――――――――――――――――



「…………」


 シンゴは目をタオルで覆いながら、湯船の縁に肘をかけて天井を仰いでいた。

 あの後、風呂から上がったシンゴ達は、ユピアの提案で今日はここに泊まっていく事になった。


 今は自由行動となっていて、シンゴはもう一度この大浴場へと一人で足を運んでいた。日本人の性というものなのだろうか。所謂、銭湯や温泉――風呂というものに対しての入浴欲とでも言えばいいだろうか。その欲が、シンゴを無性にこの場へと駆り立てたのだ。


 ――もっとも、理由はそれだけではないが。


「俺はこの先……」


 イチゴの情報は、ここでは得られなかった。皆の前では気丈に振る舞えたが、それでも一人になると、シンゴの頭の中を占有するのはその事だった。

 サラスの返事を聞き、シンゴはずっと考えていた。そして、先ほど天井を見上げている間に、己の中で一つの結論を導き出した。


 つまり――、


「イチゴは、この王都にはいない……」


 どころか、立ち寄ってすらいない可能性がある。それが、シンゴが一人になって至った結論である。

 この都市の中で情報が集まりそうな所は粗方、調べた。それでも、イチゴのイの字すら掠らなかった。その事実が既に、イチゴがこの王都にはいないと雄弁に語っているではないか。


「――――」


 シンゴは、おもむろに空気を肺いっぱいに吸い込むと、一気に湯船の中に潜った。

 世界が遠ざかり、顔を熱い湯が完全に覆う。濁った音が耳に入ってくるのを感じながら、シンゴは次の都市へと向かう事を決意する。


 折角、バレンシール修道院に宿を提供してもらい、そこに住むみんなとも短い期間だったが、それなりの絆を交わす事ができた。そこを離れる事になるのは、正直、嫌だ。

 それだけじゃない。下手をすれば、彼ら彼女らと会うのは、それで最後になるかもしれないのだ。


「…………ッ」


 徐々に体の酸素が少なくなってきて、シンゴの体がアラームを鳴らし始める。息苦しさをどこか遠くに感じながら、シンゴはふとこのまま溺れたら、吸血鬼の力はどう作用するのだろう――いや、そもそも作用するのだろうか、と疑問を抱く。


 そうやってシンゴが思考する間にも、息苦しさはどんどん増し、シンゴはとうとう耐え兼ね――、


「ぶはぁ――ッ!」


 雪崩れ込む酸素を貪るように吸い、シンゴは荒い息を吐く。やがて呼吸が落ち着いてくると、髪から滴り落ちる水滴が水面に映る自分の顔に波紋をつくるのを無言で見やりながら、ポツリと呟いた。


「俺は、これからどうすれば……」


「――悩み事か、少年よ」


「――――!?」


 突如、背後からかけられた声に飛び上がり、シンゴは慌てて背後を見やる。そこには――、


「じ、じいさん……誰?」


 白髪で白髭の真っ白な毛に、しわが目立つその顔。しかし、その目は鋭く細められ、言い知れぬ覇気を纏って、シンゴを鋭く見据えていた。

 シンゴの背後にいたのは腕を組んだ、見た目、六十代のそんな老人だった。


 その老人はシンゴの問いかけに、片方の眉を少しだけ持ち上げ、


「わしか? わしはグリストア・ジャイルというもんじゃ。……お前さん、名は?」


「……シンゴ」


 シンゴの端的な返答に、老人はその口角を僅かに上げる。


「シンゴ……いい名じゃ。大事にするんじゃの。――して、先の話じゃが……何か悩み事でもあるのか? こんな老いぼれで良ければ、話してみい。話すだけも、楽になるぞ」


「…………」


 シンゴは突然、現れた眼前のジャイルとかいう老人の言葉に、不審げに眉を寄せる。当然だ。未だシンゴの中には驚きの衝撃がくすぶっており、その衝撃を与えた張本人にいきなり人生相談をしろと言われても、難しいものがある。


 ――しかし、


「俺には、妹がいて……」


 シンゴの口はそんな前提条件を飛び越え、勝手に言葉を紡いでいた。その事に内心で驚いていると、ふと自分の状態に気が付く。なにやら頭がふらふらし、顔が熱い。どうやら二度目の入浴とあり、さらに長時間考え事をしていたツケが回ってきて、軽くのぼせたらしい。


 しかし、ぶっ倒れるほどではない。しかしその影響もあってか、シンゴの口は止まらず言葉を紡ぎ続ける。


「でも、離れ離れになって……だから俺、ここまで探しにきたんだ。……でも、ここにあいつはいなかった。手がかりも何にもねえんだ。……俺は、本当にあいつの事、見つけられるのかなって……」


「見つけられるとも」


「――――!」


 シンゴの抽象的な心中の吐露に、老人は厳かに頷いて優しく肯定した。その事に、シンゴは目を見開いて呆けたようにぽかんと口を開ける。

 ジャイルは、そんなシンゴの目を少し眉尻を優しくして覗き込み、


「シンゴ、お主は妹の事を諦められるかの?」


「無理だ!」


 反射的に答えるシンゴに、ジャイルは「なら――」と頷くと、


「諦めなければ、希望はある。未来がある。道は続いている。未来が絶たれていないのであれば、後はがむしゃらに走り切れ。――ただ、ひたすらにの……」


「じいさん……」


 何か重いものが、自分の上から少しだけ取り除かれるような感覚が、シンゴを襲った。気を抜いたせいか、その感覚と同時に、視界が徐々に薄れる。薄れ、薄れ、曖昧になり、やがて――、


「おっと……」


「――――」


 前のめりに倒れ込んだシンゴをジャイルが支える。そして、その横顔を窺い見たジャイルは思わしげに微笑み、


「こんな老骨の言葉、若者の道しるべになってくれれば、嬉しいのじゃがの……」


 完全に意識が闇へと落ちる寸前、そんな呟きが聞こえた気がした――。


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