第2章:31 『机の下』
ユピアの従兄――カワード・レッジ・ノウとの偶然の邂逅を終えたシンゴ達は、当初の予定通り、ユピア先導のもと城内を一通り巡り終え、現在は食堂にて昼食を取っていた。
並べられた料理はどれも見た事が無いものばかりだったが、それでも鼻腔をくすぐる温かな香りは、例外なくシンゴ達の胃を刺激した。
シンゴは何の肉か判然としないステーキを、銀製のナイフとフォークで切り分けてから美味そうに口いっぱいに頬張り、咀嚼。溢れ出る肉汁が口の中に広がり、その味の深さに目を見開く。名残惜しさを感じながらも、やがて飲み込み、シンゴはその頬を緩める。
それはシンゴにだけに限らず、当然、他の面々も同じように満足気な様子だ。
「どうでしょう……お口に合いましたでしょうか?」
シンゴ達の反応を窺い見て、ユピアが嬉しそうな顔で問いかけてくる。シンゴは答えの分かりきっているその質問に対し、ユピアへとサムズアップを向け、
「最高です! なんなら俺、ここに住みたいくらいです!」
「あ、あたしも住む!」
折角、決まった宿を手放す宣言のシンゴと、家出宣言をするイレナの二人に、シンゴの隣の席のアリスが苦笑しながら嘆息する。
そんななか、あの男は――、
「――ユピア様」
「ユピアで構いませんよ。――して、どうされましたか?」
瞑目して食器を静かに置いたカズの真面目なトーンに、何事だとシンゴ達の視線が集まる。そんな好奇の目に晒されるも、カズはそれを全く意に返していない様子で、キリッとユピアへと顔を向ける。この時点で、シンゴ、アリス、イレナの三人の脳裏に「もしや――」と、嫌な予感がよぎる。
しかし、制止の声をかける暇などなく、カズは真剣な眼差しでもって、その口を解放する――。
「あなたの元に、永久就職したいです――!」
――三人の危惧は、ものの見事に的中した。
捉え方によっては告白とも取れるカズの言い分に、その口を事前に塞ぐ事ができなかったシンゴが嘆息しながら、三人の代表としてすかさずフォローを入れる。
「あー、今のは当然の事ながらカズの妄言なんで、心の底から蔑んで、罵倒して、ドン引きして、顔面に唾吐きかけてもらったうえで、忘れてもらえると嬉しいです。――あ、やっぱ唾吐きかけんのはなしで! それだと、本当に喜ばせるだけになるんで!」
シンゴのフォローになっていないフォローに、ユピアは優しく微笑むと、
「ふふ、そんな事しませんよ。それに、ここで働くとなると、かなり大変な事前審査に加えて、厳しい試験などがありますけど……」
「愛で乗り越えてみせます!」
「愛で盲目になって、崖から落ちろ」
シンゴは目を閉じながらツッコミを入れ、カズが再び変な事を言い出す前に話の話題を変え、会話の主導権を握る事にする。――と言っても、シンゴが今から口に出そうと思っている話題は、別にその場しのぎのような世間話ではない。どちからと言えば世間話にどこか近いのかもしれないが、シンゴからしたら大事な話である。
「――サラスさん」
「なんでしょうか?」
シンゴ達を含めた五人の給仕を務めていたサラスは、現在は手持ち無沙汰で、ユピアの斜め後ろで静かに控えていた。
そんなサラスへ、シンゴは雰囲気を真剣なものに変えて口を開く。
「聞きたい事があるんですけど……」
先ほど説明された事なのだが、サラスはメイド長という役職の他に、情報等をまとめて、管理する役割も担っているらしいのだ。
情報をまとめる――と言っても、一概に全ての情報を処理しているという訳ではない。サラス本人曰く、情報を精査しまとめる部署のようなものがあり、そこでしっかりと書類等にまとめられたものが、最終的にサラスのもとに集められるという仕組みらしい。
つまり何が言いたいかというと――、
「とある女の子の情報を、提供してほしい――」
シンゴの発言に伴い、食卓に漂っていた浮ついた雰囲気が霧散する。見れば、先ほどまでふざけた態度を取っていたカズも、シンゴの発言の内容にその表情を引き締めている。
なにせ、カズがシンゴ達の王都行きに同行したのは、シンゴの妹――イチゴを探す手伝いをするためであるからだ。
同じ妹を持つ兄の立場からくる、所謂、共感のようなものをシンゴに感じたらしい。
そんな面々の真剣な視線を一身に浴びるサラスは、しかし動じる事はせず、しばしの瞑目の後、開いた銀色の瞳を確認するように主であるユピアへと向ける。
確認を求められたユピアは、優しそうな微笑みを湛えたままで首肯した。――つまり、イエスだと。
主の許諾を得て、サラスは真摯な視線を向けて来ているシンゴの瞳を見返し、
「分かりました。――早速ですが、その女性の特徴を教えてください」
サラスにそう問われ、シンゴは自分がかなり抽象的な質問をしてしまっていた事に、遅ればせながら気付く。
シンゴは自分では落ち着いていたつもりだったのが、どうやら逸る気持ちがどこかにあったようだ。――いや、逸る気持ちが無い方がおかしい。何故なら、その質問はキサラギ・シンゴがこの世界に飛び込んだ、原因そのものに迫るものなのだから――。
シンゴは握り拳の横側を口に当てて咳払いをすると、
「――まず、名前はキサラギ・イチゴ。俺の妹だ。髪の色は黒で、後ろで一つに小さくまとめてる。んで、瞳の色は青に近い黒。服は……なんていうか……白を基調とした、珍しい感じだ。あと、とにかく喋る奴だ。……どうすか?」
「…………」
シンゴの探し人の情報を受け取り、サラスは自らの記憶を探るように瞑目して沈黙する。どうやら、書類などをいちいち引っ張り出さなくても、情報はその頭の中にしっかり保存されている様子。そうでなければ、シンゴの質問に誠実に答えるつもりがないのか、それとも――
「――落ち着け、それは邪推だって……」
シンゴは胸の内に湧き上がったサラスへの疑念を、首を振って振り払う。
今まで、何度も裏切られてきた。いや、そもそも裏切られるなどと、大それた事を言う資格はシンゴにはない。何故なら皆、シンゴのために頭を悩ませてくれて、その果てに否と首を横に振っただけなのだ。問われたから、答えただけ。それを理不尽だと言うのは、あまりにも傲慢がすぎるというものだ。
しかし、今度こそ、今度こそ――だ。
仮に、ここでサラスが否と首を横に振れば、この王都以外の都市へ向かわなければならない。いや、そもそも、イチゴは本当にこの世界に来ているのだろうか。
いつしかの推論が、シンゴの脳裏に浮かび上がる。それは、異世界なる存在が、そもそも一つだとは限らないのでは、という考えだ。つまり、イチゴはこの世界とは別の世界に飛ばされてしまっていて、シンゴがこの世界でしている事は、全て――
「――シンゴさん」
「――――!」
思考がどうしようもなく、至ってはいけないところへ落ちる寸前に、サラスの声がシンゴの意識を現実へ引き戻す。
シンゴははっとしつつも、サラスのその目を見返し、
「どう……ですか?」
縋るような、願うようなシンゴの視線。シンゴの事情を知っている他の面々も、皆同じように期待半分、不安半分の瞳をサラスへと向けている。
サラスはその視線を全て受け止め、そのうえで――
「私の知る限り、そのような女性がこの王都に出入りしたという記録は存在しません」
「――――」
――沈黙。
サラスの否という答えを境に、場を静寂が支配する。
しかし、皆の視線は同じ色を湛え、ある一点へと注がれている。
肩を震わせ、顔を伏せるキサラギ・シンゴへと――。
「シンゴ……」
最初に沈黙を破ったのは、この世界では彼と一番付き合いが長い少女――アリスの気遣わしげな声だった。
アリスはそのまま隣で肩を震わせる、表情の見えない少年の肩へそっと手を置く。アリス自身、今の行動は意図しての事ではなく、自然と体が動いての結果だった。
アリスの手がシンゴの肩に置かれた、次の瞬間だった――。
肩を震わせ、顔を伏していた少年の顔が跳ね上がり、その表情が顕となる。果たして、その表情を染めている色はというと――、
「まっ、しゃーなしだな! 想像通りすぎだわ!」
少年――シンゴは、まるで世間話をして盛り上がるような声でもって、そう言葉を紡いだ。そして、その顔は脱力したように緩められ、何気なく買って、あまり期待していなかった宝くじが当然の如く外れた、そんな表情をしていた。
そんなシンゴの予想外な反応に、周りは目を開いて絶句。
シンゴはそんな面々の反応に対し、そうなる事は予想していたのか、軽い調子で肩をすくめると、
「世の中そんな上手くいくもんじゃねえって。それに俺だぞ? 不幸に定評のあるシンゴ君だぞ? むしろ、俺じゃなくてアリス辺りに質問してもらってたら、もしかしたら違った結果になってたかもなー」
腕を組んで瞑目し、うん、うん、と頷きながら「失敗したなー」とひとりごちるシンゴに、アリスが恐る恐るといった様子で、
「ほ、本当にそれでいいのかい? だって、君はイチゴの事をあれほど……」
思わしげな視線を向けてくるアリスに、シンゴはアリスに近い方の目だけを開け、組んだ片腕から人差し指を立てると、
「まあ、確かにショックだった。けど、落ち込んでばかりもいられないだろ? 俺ができるのは、立ち止まる事じゃなくて、あいつの元へ進み続ける事だと思うんだよ」
「…………」
照れ臭そうに笑いながら語られたシンゴの考えに、心の持ちように、気持ちの切り替えに、アリスを含めた周りの面々が感心を含んだ吐息を漏らし、目を少し見開く。
周りのそんな反応に、シンゴは満足そうに頷くと、「よし!」と言って、威勢よく立ち上がると、
「じゃ、気分も一新! 大浴場でさっぱりしましょうや!」
「私のセリフが……」
サムズアップしてキメ顔をするシンゴに、ユピアがセリフを奪われた事に戦慄く。そんなシンゴにイレナが同調し、カズとアリスもその表情を幾分か緩める。
――そんな面々を外から無言で見やるサラス一人だけが、先ほど机の下で固く握りしめられて赤くなったシンゴの拳に気付いていたが、終ぞ、その口がその事について言葉を紡ぐ事はなかった――。




