第2章:30 『空の玉座』
「う〜ん……」
「どうしたんだい、シンゴ?」
眉を寄せてうなるシンゴに、アリスがどうしたのだと問いかけてくる。
――現在シンゴ達は、サラスの先導のもと、長い廊下をひた歩いている。途中、壁に色んな絵画が飾られているのが目に入ったが、生憎シンゴに絵のセンスは皆無であり、全部同じようにしか見えなかった。
「いやな……サラスさんのメイド服なんだけど、どっかで見た事があるような――って思ってさ……」
先のイレナの会話背景からサラスの苦労が垣間見えたのは記憶に新しいところだが、先ほどからシンゴはそのサラスの姿に何やら既視感を感じてならないのだ。しかし、その既視感の正体になかなか思い至れず、こうして首をひねっていたのである。
「……やっぱり、君はメイド喫茶に――」
「……こだわりますねアリスさん、メイド喫茶に……」
ちらりと疑わしげな視線を向けてくるアリスに、シンゴは半眼で首を横に振り、否定の意を返す。
そんな二人のやりとりを横で見ていた、何事もなかったかのようにけろっと復調したイレナが、「ああ、それはね――」とシンゴを下から見上げるように覗き込み、
「サラスの着ている服、『酔いどれ亭』のメイド服と一緒だからよ」
「は? 『酔いどれ亭』の?」
シンゴは目を見開くと、今イレナが告げてきた情報を頭に、改めてサラスの姿に視線を向ける。――瞬間、シンゴを悩ませていた既視感への疑問が晴れ、胸の中につっかえていたものがストンと落ちるのを感じた。
「……ほんとだ、確かにあそこのメイド服だわ。……でも、なんで被り?」
「おばちゃんが『酔いどれ亭』を開いたときに、従業員の服装とか勝手が分かんなくて、サラス達のメイド服をそのまま真似したのよ。そうしたら、案外お客さんに評判が良くて、そのまま正装に――って感じ」
意外な繋がりの発覚に、シンゴは「なるほど……」と顎に手を当てて瞑目すると、やがて片目を開けてサラスの姿をその瞳に映して、
「たとえ世界が違えど、野郎が考える事はだいたいどこも一緒――って事だな!」
「いや、女のボクに同意を求められても……」
サムズアップして振り返るシンゴにアリスは、ボクは野郎じゃないよ――と困り顔。
シンゴ達がそんなやり取りをしていると、先に歩いていたサラスが立ち止まる。そしてシンゴ達の方へと振り向くと、
「――みなさん、ここが玉座の間となります」
長い廊下は突き当りを迎え、そこを支点に、さらに左右へと廊下が分かれている。
そして、サラスが指し示すのはその突き当りにある扉だ。サラスはシンゴ達の注意が集まった事を確認すると、
「皆様もご存じの通り、現在この城には王がいません。ですので、玉座の間に主は不在です。――そのような事情ですので、どうでしょう……少し、覗いて行かれますか?」
「是非!」
シンゴの挙手を伴った即答を受け、サラスはかしこまりましたと一礼し、その両開きの扉の片側のみを開き、その場をシンゴ達にゆずるように退く。そしてこちらを向き、一言。
「決して中には入られませんよう、ご注意ください」
「了解です」
シンゴが片手を挙げて了承の意を示し、早速そのまま扉の隙間から中を覗かせてもらう。
中は広く、ぱっと見では体育館ほどの広さがある。おそらく、ここで貴族達のパーティーなどが行われ、その際には賑々しくも厳かな雰囲気で満たされるのだろう。
さらに視線を奥へと向けると、数段の段差があり、その上に――
「おお――! 本物の玉座だ!」
国を統べる者のみが座る事の許される椅子。それはどこか簡素でありながらも、遠く離れたここからも伝わってくる歴史の重みと、見ている側の心を引き締めるような厳粛さを発しながら、奥の中央にひっそりと鎮座していた。
座している者なき状態でこれだ。もしそこに座るに相応しき者が座れば、矮小で低俗な一般市民であるシンゴなど、自然と跪いてしまうだろう。
――が、
「あたし、あそこにはユピ姉に座ってもらいたいなあ……」
同じように玉座を見やるイレナが、ポツリとそうこぼした。
「――――」
果たしてそれは、意図しての言葉なのだろうか、それとも――
「ユピア様が座し、オレが跪いて永遠の忠誠を誓う光景が見える!」
「なんか台無しだよ!?」
幻想を幻視するカズに対するシンゴの叫びが、静寂に満たされた玉座の間に反響した。
――――――――――――――――――――
その後シンゴ達は左右に伸びる廊下のうち、右の廊下を直進。途中で現れた上階へと通じる階段を上る。
「「…………」」
「二人共……」
先に階段を上るサラスのスカート内の桃源郷を網膜に焼き付けるべく、充血させた目をかっぴらいて首を直角に曲げる男二人に、アリスの呆れた声と共に女性陣二人の軽蔑の眼差しが突き刺さる。
しかし――、
「くそ……ッ! 見えねぇぞ!?」
「これが世に言う、絶対領域ってやつか……!」
サラスのスカートは決して長いわけではない。しかし角度があるにも関わらず、一向にその中身を拝む事は叶わなかった。
歯ぎしりして悔しがるエロ馬鹿二人に、踊り場で立ち止まったサラスが振り返り、
「心得ておりますので」
「「ぐ……手ごわい……ッ」」
一礼するサラスに、シンゴとカズは拳を握りしめて敗北を悟る。
そんな二人にジトっとした目を向けてイレナが、
「馬鹿じゃないの、あんた達……」
「はあ!? 馬鹿言うなし! これは男としては必然の行動なんだよ! 言うなれば、生物でいう呼吸と同じ……お前は俺達に窒息して死ねと!?」
「なら死んでいいから、さっさと行きましょうよ……さっきから全然進めてないじゃない……」
嘆息するイレナの言い分が割と正論なだけに、シンゴは反論できずに口を噤む。そんな面々を見下ろし、サラスは「では――」と声をかけると、
「この階段を上がりますと、王女様の部屋はすぐです。――参りましょう」
そう言って歩き出すサラスに続いてシンゴ達も歩みを再開する。そんな中からアリスがポツリと、
「サラスさんには頭が上がらないな。シンゴの奇行にも、今みたいに呆れながらも黙っていてくれるんだからね」
「ねえ、ところどころに俺への罵倒が散りばめられてねえ!? あと、ちゃっかり容疑者からカズが外されてるのが納得いかねえ!」
「日頃の行いの差――ってやつだな。もしくは好感度の差か?」
「二人共、足が止まってるから……」
再び脱線する二人にアリスが嘆息しながら注意。さすがにシンゴも反省し、やっとの事で階段を上り終える。
そんなシンゴ達を、新たな廊下が出迎える。見た感じ、二階の廊下も下とほとんど変わらない感じだ。
しかし違いがあるとすれば、下の階と比べて人の通りがなく、閑散として、どこか粛然たる印象を与えてくる事だろうか。
そんな静かな廊下をサラス先導のもと進んでいると、やがて一つの部屋の前で立ち止まる。
サラスはその部屋の扉の前に立つと、数回ノックをする。
「王女様、お客様を連れてま――」
サラスの言葉は、最後まで発せられる事はなかった。
バンっと音を立てて扉が開くと、中から綺麗な白いドレスに身を包んだユピアが現れた。そして、驚く面々に気付くと、その表情をぱあっと弾けさせ、
「ようこそ! 待っていましたよ!」
両手を広げ、歓迎の意を示してきたのだった――。
――――――――――――――――――――
「ああ、ああ――! 何とお美し――っぶ!」
「ユピ姉!」
「イレナ!」
くるりと回って両手を広げ、気持ち悪い笑顔でユピアを褒め湛えようとしたカズのわき腹に肘打ちを入れたイレナが、気持ちいい笑顔でユピアに飛付く。
ユピアも笑顔でイレナを腕の中へ出迎え、お互い熱い抱擁を交わす。
「……何してるのさ、シンゴ?」
少し前かがみになっているシンゴに、アリスがその体勢の真意を問いかけてくる。シンゴは抱擁を交わす二人から目を離さず、
「いや、順番的に次は俺かなって」
「ええ……」
渋面でドン引くアリスに、シンゴは「ふっ」っと笑って肩をすくめると、
「冗談に決まってんじゃん」
「いや……シンゴの場合、冗談に聞こえないよ……」
アリスの不当な評価に今度はシンゴがドン引くなか、ようやく抱擁を終えたユピアがシンゴ達の方に視線を向け、
「皆さんも、ようこそおいでくださいました! 今日は私がおもてなししますから、存分に楽しんでいってください!」
「ええ……あなた様のためなら、たとえ煮えたぎる湯に飛び込まされても楽しんでみせます!」
「大丈夫ですよ、煮えたぎるほど熱くはありませんから」
「え!? 熱くはないけど、カズ茹でられんの!? 出汁取られんの!?」
早速、性格が気持ち悪くなるカズの妄言が発せられるが、ユピア曰く、カズが出汁を取られるのは決定事項としてスケジュールに組み込まれているらしい。
一体どんな呪術的な事が行われるのかと戦慄しながら叫んだシンゴだったが、隣のサラスが嘆息して、
「王女様が言っておられるのは、おそらくこの城内にある大浴場の事だと思います。ですので、出汁を取るなど、そんな物騒な事は致しません」
サラスがしっかりフォローを入れ、シンゴとアリスは安堵、イレナは聞いていない、当事者だったカズは目を見開き、
「オレの出汁が、今晩のユピア様の食事に役立てられるというのは……嘘だと!?」
「……ツッコまねえぞ、俺?」
相変わらずユピアの前では変人よりも変人となるカズに辟易しながら、シンゴはそのカズのあまりの濃さに気付くのが遅れた事実に、はっとなる。
「なん、だと……?」
「……シンゴ?」
戦慄に震えるシンゴに、アリスが不審な目を向けてくる。しかし、そんなアリスの声はもうこの男の耳には届いていない。
シンゴは「なんてこった……」と頭を抱えると、戦慄した顔のまま、ゆっくりと視線を訝しげにこちらを見やるユピアへと向ける。
そして、至ってしまった真実を叫ぶように外界へと放出した。
「混浴だと!?」
「言ってないよ」
盛大な溜めの後に発せられたシンゴのどうしようもない一言に、アリスが冷ややかな視線でもって、神速の否定で両断する。
そんなシンゴ達の相変わらずの様子に苦笑しながら、ユピアは「では!」と手を叩くと、
「これから城内を私の先導のもと、案内します。――もちろん、後で食事や大浴場での入浴もしてもらいますので、楽しみにしていてくださいね?」
「「「「おお――!」」」」
高まる期待に歓声が上がる。そんな面々をユピアは満足気に見やると、「それでは――」と言い、体をシンゴ達が歩いてきた方向とは反対側に伸びる廊下の続きへと向けると、
「私に付いてきてくだ――」
「――――ユピア?」
ユピアの言葉に割り込む形で、ユピアの名を呼ぶ誰かの声が廊下に響いた。
声は、今しがたユピアがシンゴ達を案内しようとして進みかけた廊下の先から発せられたように感じられた。
そしてどうやら、その認識は正しかったようだ。
ユピアがシンゴ達へ向けていた顔に驚愕を張り付けて、声のした方を見やる。釣られて、シンゴ達も廊下の先へと視線を向ける。果たしてそこにいたのは――、
「――ご友人方かな?」
そう言って優しく微笑む、美しい男だった。
――――――――――――――――――――
男は、女性ならキャーキャー言いそうな甘いマスクに微笑を湛え、シンゴ達を見詰めている。さらにその頭髪は、顔に負けないくらいに綺麗でサラサラした金髪。白を基調とした服を完全に着こなし、そこに居るだけで場が華やいで見えるような雰囲気を纏っている。歳は二十歳前後くらいだろうか。
そんなイケメンの登場に、同じ男としてシンゴの胸中はあまり穏やかではない。しかし、そんなシンゴの敵意の視線に気付いた男に優しく微笑まれ、シンゴは咄嗟にキョドりながら会釈を返してしまう。
そして会釈してから自分の行動に気付き、
「イケメン、嫌い……!」
本能的に敗北を悟ったノミのような自分のプライドに、顔を覆ってさめざめと泣いた。
そんなシンゴの肩に、同じ心中なのだろうカズが同情するように手を置いた。
惨めな男二人が漫才を繰り広げる傍ら、ユピアは未だに驚愕に固まったままだ。そんなユピアに男が苦笑し、
「久しぶりだね、ユピア。少し見ない間に、また一段と綺麗になったね。……最初、僕もすぐには気が付かなかったよ」
「…………カワード兄さん」
「――え?」
ようやく言葉を発したユピアだが、その口からこぼれ出た名にアリスが目を見開く。
そんなアリスに一拍遅れて、敵意剥き出しでカワードなる男を睨み付けていたカズも、何やら理解に至った様子で驚愕に目を見開いた。
見れば、イレナも同じような表情だ。
しかしシンゴは――、
「…………誰?」
首を傾げ、一人だけ場に置いて行かれているシンゴに、アリスが咄嗟に耳打ちする。ふむふむと聞いていたシンゴだったが、聞き終えると同時にかっと目を見開き、カワードを指差すと、
「ユピアの王位継承に異議を申し立てたっていう、あの従兄かあんた!」
シンゴの空気を読めない歯に物着せぬ言い様に、周りがぎょっとする。しかし、当のカワードは苦笑いしながら、
「確かに君の言う通りだよ。――でも、何も考えないでの行動でもない。僕はユピアの人柄も、王としての器も十分あると思っている。でも、女性ってだけで、反発してくる人はたくさんいる。だから、男の僕が王になって、そんな考えを持っている人達の考えを一から正していきたいんだ」
「――――」
なかなかどうして、シンゴは王の座をただ狙っている下心にまみれた奴だと思っていたのだが、蓋を開けてみれば、大変ご立派な思想と志を持っているではないか。――しかもイケメンだ。
「ええ、私もカワード兄さんなら、いい王になれると思っています」
「ユピ姉……」
厳かに頷くユピアに、イレナが眉尻を下げながら彼女の名を呼ぶ。
そんなイレナに苦笑を返すユピアに、カワードは歩み寄って、
「ありがとう、君にそう言ってもらえると嬉しいよ」
そうのたまうと、優雅に一礼した。その姿も様になっており、シンゴは、あれは自分とは別の生き物だと己に言い聞かせる事で、膝を着くのを何とか堪えた。
顔を上げたカワードは、次にアリスへと視線を向ける。
すると、その視線を遮るように――、
「おっと、うちのお姫さんに色目はやめろよ、イケメン。こちとら、今朝方ようやく大人の階段に一歩、足をかけたところなんでな。あんたみたいな奴は、ちょっと刺激強すぎ」
「ちょ、ちょっと、シンゴ……!」
少し頬を染めたアリスが、おろおろし始める。そんなアリスを見やり、カワードは吹き出すと、
「どうやら、そのようだね」
「分かってくれて嬉しいよ、イケメン」
「……その、イケメンっていうの、やめてほしいな。――カワード、そう呼んで欲しい」
困ったように笑うその姿も堂に入っており、つくづくイケメンは得だよなと心の中で嘆息しつつ、シンゴも負けじとニヤリとし、
「俺はシンゴだ。よろしく、カワード」
「ああ、よろしくだ――」
お互いそのままで視線を交換する。シンゴの目には、眼前のカワードはいい性格した優男といった印象だ。外も内も完璧。正直、羨ましい限りである。
そうやってシンゴがこの世の理不尽に心を少し痛めていると、カワードは先ほどまでとは少し違った笑みを覗かせ、
「――シンゴ。君は、目の前でいじめられている子供がいたら――どうする?」
「は?」
今までの会話からは連続性のない問いかけに、シンゴは素の声で返答してしまう。しかし、カワードは黙したままで、シンゴの答えを待っている。それを受け、シンゴは数秒間ほど考え、やがて口を開く。
「割って……入るな。んで、事情を訊く。まずは、そうする」
「――――」
カワードは、そう答えたシンゴの瞳を覗き込むようにして直視してくる。その行動と先の質問の真意が読めず、シンゴは眉をひそめて訝しむ。
――やがてカワードは瞑目すると、次に開眼した時は好意的な色をその目に宿し、
「すばらしいよ、まさに理想だ。……僕は、王になって、いじめも根絶したいとも思っているんだ」
「……へえ、そりゃ大層な心持ちで。応援しますよ」
「……ありがとう」
目礼するカワードは、次にユピアを見やり、申し訳なさそうな顔をすると、
「お邪魔して悪かったよ、ユピア。僕はこれでお暇させてもらう。それでは――」
そう言ってシンゴ達の間を通り過ぎて行くカワード。
一瞬、ちらりと視線が合ったような気がして、アリスは疑問符を浮かべて首を傾げる。見れば、今の一瞬の邂逅はアリスしか気が付いていない様子。
やがて、集まって会話し始めるシンゴ達に目をやり、再びカワードの姿を追ったアリスの瞳には――
「いない……」
階段へと続く、誰もいない廊下が映るだけだった――。
――――――――――――――――――――
「――――」
階段を下り、踊り場へ差し掛かったカワードはふと立ち止まると、今しがた自分が会話を交わした面々がいた上階へと振り返る。
「…………」
彼がこの瞬間、何を考え、何を思っているのか。その答えは、当然の事ながら本人にしか知り得ない。
カワードは、やがて振り返った首を元に戻すと、おもむろに手を側頭部に添え、そのまま押すように――、
こきり――。
首を鳴らして、下階へと下りていった――。




