第2章:26 『白混じりの黒い嵐』
前、横、横、前、後ろ、後ろ、前――。
全方位から攻め立ててくる“オール・イン・ワン”に対し、カズはなんとかギリギリで捌いていく。しかし、うち何回かは攻撃をもらってしまう。
「ぐ……くそッ!!」
硬化魔法でなんとか凌いでいるが、体勢を一度崩してしまえば、そこから一気にリズムが崩れてしまう。そこでカズは、その場でコマのように回転して大剣を振り回し、全方位を攻撃すると同時に、飛び掛かられないように“オール・イン・ワン”の動きをけん制する。
既に空中に跳んでいた何体かは大剣の餌食となるが、それでも数体は互いを足場にして大剣の殺傷圏内から上手く逃れる。
カズは回り終えると同時に後方へと大きく飛び退り、距離を取る。
「はぁ、はぁ、こいつら……なんつう動きしやがる……!」
肩で息をして、大剣を支えに膝を着く。
そんなカズの様子を血走った眼で見据えながら、“オール・イン・ワン”はじりじりと間合いをはかっている。
さらに奴らは、現在進行形でその数をどんどん増やしていっており、カズは十体を超えた辺りから数えるのをやめている。
――この、カズが疲労によって集中力を欠いた瞬間を、“奴”は決して見逃さなかった。
「――――!?」
一瞬、完全に意識から外してしまっていた事を思い出し、カズは慌てて肩越しに背後の“特異種”を見やる。そこには――、
「な……何を……」
“特異種”は口を大きく開き、その口の前になにやら“風”を集めていっている。
それを確認したのは当然、カズだけではない。カズが背後の“特異種”の行動に気を取られた一瞬のうちに、彼の周りの“オール・イン・ワン”はカズから距離を取るように逃げ出す。
――何か来る。そう分かっていながらも、カズは疲労からくる体の重さに足がすぐには上がらず、立ち上がるまでにかなりの時間を要してしまった。
そして、カズが立ち上がった瞬間を見計らったかのように、“特異種”は口の前に集まっていた“風”を弾丸のようにカズ目がけて撃ち出した。
「く、そぉッ!!!!」
カズはこれ以上、逃れようとする事を断念。自分目がけて飛んでくる“風の塊”を受け止める事にする。
地面を抉りながら飛来する“風の塊”は、カズが咄嗟に構えた大剣にぶち当たった。
「ぐおぉぉぉぉぉおおおおおおおッッ!!!!」
地面に二本の長い足跡を刻みながら、カズは“風の塊”に押されて後方へと押し返されていく。
“風の塊”は――消えない。
「お……がッ……ぐ、おおぉぉ……ッ!!」
カズが吠えると同時に、“風の塊”は眼前で弾け飛んだ。その余波で、カズの手から大剣がどこかへ弾かれてしまう。
さらにその余波はカズ自身も弾き飛ばし、その身をさらに後方へと吹き飛ばす。
「ぐ、あ……ッ」
背中で地面を抉りながら進んだカズは、ようやく止まると同時に呻き声を漏らす。
“風の塊”が弾けた拍子に、カズの身を守っていた硬化魔法もその効力を消し飛ばされたらしい。それだけでも、とんでもない威力だった事が窺える。
――しかし、まだ終わらない。
「嘘だろ……おい……ッ!?」
なんとか上体を上げたカズが見たのは、先ほどと同じように再び“風”を集めている“特異種”の姿だった。
カズの体を守る硬化魔法は切れ、すぐさまかけ直す時間はおそらくない。さらには、魔法を唱えて硬化魔法をかけられたとしても、そもそも大剣が手元にない。その行方を探している時間も当然の事ながら――ない。
そしてカズ自身、すぐには動けるような状況ではない。
――悟った。カルド・フレイズは、どうしようもなく悟ってしまった。
自分はもう、終わりだと。
彼の脳裏に、走馬灯のような光景が――
「ぁ」
流れる猶予が与えられる事もなく、“特異種”は“風の塊”を一切の躊躇なく撃ち出した。
地を抉りながら、命を刈り取る死神の吐息がカズに迫る。
「――――!」
ここで気付く。前方の死の風の他に“もう一つ”、“後方”からも別の“風”が接近してきている事に。
温かく、包み込むような、春に吹く“風”。希望の“風”がカズの背後から迫り――死の風の到達より速く、カズの隣を吹き抜けた。
その“風”はやがて、カズに迫っていた“死の風”に正面からぶつかった。そして――弾き飛ばした。
“風”の主は、その純白の髪をなびかせながら背後を――カズを見ると、申し訳なさそうに微笑んで、
「ごめん、お待たせ」
アリス・リーベ、その少女の到着だった。
――――――――――――――――――――
「アリス!」
顔を綻ばせるカズが、アリスの名を呼ぶ。そして、ふと気付く。彼女の手に、自分の大剣が握られている事に。
アリスはカズに近付くと、その大剣を地面に突き立ててカズを支える。
「なんとか間に合ってよかったよ。さすがにボクでも、あの“風”を生身で迎撃するのは無理だろうから、空中に浮いてた君の剣を借りた」
「ああ、それは構わねぇが……今は――」
「うん、そうだね」
二人の周りは既に“オール・イン・ワン”に包囲されており、全方位から寒気がするほどの殺気が注がれている。
アリスはそんな中、チラリと“特異種”へと視線を向ける。
「あれが……」
「ああ、そうだ。――心配しなくても、あの馬鹿はその辺の草むらに隠れてる」
「…………よかった……」
“特異種”を見た後に、その周囲へと視線を彷徨わせたアリスの考えをいち早く見抜いたカズが、先にシンゴの安否を伝える。
それを受け、安堵の息を吐くアリスに微笑みながら、カズはチラリと“特異種”に視線を向ける。
油断なくこちらの事を窺っているのは分かるが、特にアクションを取る事もなく、相変わらずその額の角を輝かせている。
あの輝かせている角は、今の“風の塊”を撃つための準備だったのだろうか。それならば、また撃ってくる可能性がある。
それまでになんとか接近し、倒してしまいたいのだが――。
「アリス、気を付けろ。コイツ等、とんでもねぇ連携しやがる。……あと、死角からの攻撃も避けやがる」
“特異種”に接近するには、やはりこの“オール・イン・ワン”の包囲網を突破しなければならない。しかも、先ほどの“特異種”の攻撃に対処している間に、その数はさらに膨れ上がっている。
アリスがいるとはいえ、かなりキツイ戦いになるだろう。それでも――
「ふー……心の準備はいいか、アリス? まず、コイツ等ぶっ飛ばしてから、“特異種”にしかけるぞ!」
「了解だよ!」
アリスの返事を合図に、“オール・イン・ワン”が飛び掛かってくる。
それを受け、カズも硬化魔法をかけ直し、アリスは魔法の力で底上げされたスピードで踊るように戦闘を開始した――。
――――――――――――――――――――
「アリス……!」
木の上で、シンゴは安堵の吐息を漏らす。
先ほど放たれた“特異種”の、おそらく魔法であろう“風の塊”。カズはなんとか防ぎ切ったが、その手から得物である大剣が空高く打ち上げられた時は、思わず叫んで駆け付けそうになった。
しかし、シンゴの無謀な突撃は行われなかった。
――アリスだ。アリスが駆け付け、空中に飛ばされたカズの大剣をキャッチし、そのままカズに迫る“風の塊”の軌道を変える形で迎撃したのだ。
安堵するのも束の間、二人は一瞬のうちに“オール・イン・ワン”に囲まれてしまう。しかも、奴らは“特異種”の攻撃の間にその数をさらに増やしている。
二人の強さは十分、理解しているが、それでもあの連携と第六感が厄介な事には変わらない。
なら、シンゴのやる事も変わらない。
「ふぅ……行くぞ!」
シンゴは足を曲げて力を込めると、眼前に見える木の枝を目がけて――跳躍した。
空を掻くように腕を回してバランスを取りながら、シンゴは空中を歩くように飛んだ。
しかし、途中で気付いてしまった。このままではギリギリ届くか届かないの位置に着地――いや、少なくとも足で着地する事は不可能であると。
それでもシンゴは、必死に手を伸ばす。
「ご――ッ!?」
シンゴは木の枝に胸を強打する形で、なんとか隣の木に飛び移る事に成功する。しかし、胸を強打した事によって肺の空気が吐き出され、シンゴの口から情けない音が漏れる。
それでも、シンゴはその手を枝から離さなかった。
ここで自分が諦める訳には――いや、こんな簡単な事くらい、こなさなければならない。
「ふっ――ぉぉお……ッ」
シンゴは腕をぷるぷるさせながらも、なんとか体を持ち上げ、足をかけて枝の上に立つ。
幸いな事に、木の枝は太くて頑丈。シンゴが乗ったくらいではビクともしない。――いや、あんまりな事をすれば折れるかもしれない。
なにはともあれ、シンゴは無事に隣の木に飛び移る事に成功した訳だ。そして――、
「ここからが、正念場も正念場……。連続で飛び移る……!」
今のジャンプでだいぶ“特異種”に近付く事はできたのだが、それでもまだ足りない。
そもそもシンゴの目的は、木の上からの奇襲で“特異種”に飛び移り、あの『角』をへし折る事にある。
なら何故、下から行かないのか。それは地理的な問題があるからだ。
――崖なのだ。ちょうどシンゴが“特異種”の背後に回り込むのに、崖がその進路を邪魔している。といっても、そんなに深い崖ではない。しかし、その崖の下の窪みは脆そうな土壁で、下りればシンゴでは上がって来れそうにないのである。
しかし、幸いと言っていいのかは怪しいところであるが、その崖の上に双方の対岸から飛び出す形で、木の枝が伸びているのだ。しかも、向こう側の木のすぐ隣の木は、“特異種”に飛び移るには丁度いいくらいの位置にある。
そして向こうに飛び移るのに絶好の位置にある、今シンゴが居るこの木なのだが、残念な事に取っ掛かりとなるような場所が少なく、シンゴではとてもではないが登れそうになかった。なので、シンゴは仕方なく先ほど隣の木から飛び移り、現在、ようやくスタート地点に立っている訳なのだ。
正直、先のジャンプの物音で気付かれなかったのが不思議なくらいである。それほどまでに、“特異種”は“翼”のないシンゴを脅威とは認識しておらず、さらにはその“嗅覚”に絶対の信頼を置いているせいか、音にはそこまで気を配っていない様子。
いや、あの『角』を輝かせる行為には相当な集中力が要されるとも考えられる。なにせ、あの『角』を輝かせている間、“特異種”は動こうとはしていない。
先ほどカズに行った“風の塊”の射出による攻撃の終わった後、シンゴは“特異種”の『角』が再び輝きだしたのを偶然、見たのだ。
つまり、あの攻撃の際、“特異種”は『角』の発光をやめていた可能性がある。シンゴも最初から見ていた訳ではないので、確証はないが、それでもそうではないかと思っている。
なにはともあれ、シンゴのこれからしようとしている事の成功の是非により、この戦局が大きく、どちらにも傾く可能性がある。成功すれば、“オール・イン・ワン”の第六感的なものを封じる、もしくはそうでなかったとしても、“特異種”に何らかのダメージを与えられるはずである。
失敗すれば――
「俺は気付かれて襲われ、それを助けようとしたアリスとカズの負担が増えて、やがて――全滅」
だから、
「絶対に成功させなきゃなんねえ……」
行動の順番はこうだ。まず、崖の上を飛び越える形で眼前の枝に飛び移り、その勢いのまま、さらに隣の木に飛び移って、最後に“特異種”に飛び乗る。
要は、シンゴは三回の跳躍を間髪入れずに成功させなければならないのだ。
シンゴは眼前の枝を見据えると、深く深呼吸する。チラリと下を見れば、さほど高くはないが、木の上から落ちたとなれば怪我は必至で、上がってくる事ができなくなる崖が、シンゴの落下してくるのを待っている。
シンゴは、緊張で速くなる心臓の鼓動をうるさく感じながら、その心臓の上に手を置くと、静かに目をつむった。すると、瞼の裏に“彼女”の姿が見えた気がした。
ふっと微笑む。そして、小さく呟く。
「弱虫な兄ちゃんに勇気、貸してくれ……イチゴ!」
開眼と同時に、跳躍する。下は見ない。前だけを見据える。
世界がゆっくり見えるような錯覚のなか、シンゴの体が宙を舞い、やがてその右足が枝にかかる。しかし――
――――駄目だ……体が……!
足はかかったものの、シンゴの体重の軸が後ろに傾いている。このままでは、重力に引かれて後ろに落ちる。
――失敗。その二文字が、シンゴの脳裏をかすめる。しかしそんな中、どこからか『声』が聞こえた気がした。
――――『お前の決意はそんなものなのか……?』
――――違う……
――――『なら示してみろ……お前の心を――覚悟を!』
「――んな事、言われなくても分かってんだよッ!!」
シンゴは小さく吠えると、全身の筋肉を限界を超えて稼働させる。
腹筋と背筋を用いて、上体を無理やり前に傾ける。腕を振り回し、反動で少しでも前へ行く力へと変える。着地した足全体に、枝を踏み抜かんばかりの力を込める。
――やがて、シンゴの体はなんとか持ち直し、最初の跳躍を赤点ギリギリで成功させる。
だが、まだ終わらない。シンゴはさらに眼前の少し細めの枝を見据えると、無茶な挙動で悲鳴を上げる体に力を込める。その時――シンゴの右目が紅く染まる。同時に、全身の筋肉の悲鳴が遠ざかる。
「らあッ!!」
先ほど体勢を立て直すために入れた力を、今度は跳躍のために全て爆発させる。
シンゴの体は寸分の狂いもなく最後の枝に飛び移り、さらに着地と同時に最後の跳躍をするために“特異種”を見据える。
その時、シンゴの着地の衝撃に耐えかねた枝がバキっと音を立てる。その音に反応し、“特異種”が咄嗟に背後を見やる。
シンゴと“特異種”の目がぶつかった。その目からは、最初の威圧感は一切感じられず、現在シンゴを見据えるその瞳の奥に浮かぶのは――驚愕のみ。
「ぁあ――ッ!!」
最後の跳躍と同時に、枝が完全に折れる。しかし、シンゴの体は既に空中だ。
“特異種”は驚愕からか、自分に向かって飛来するシンゴをただ見つめるしかできていない。
シンゴはニヤリと口の端を釣り上げると――、
「伏せ――!」
ゴリッ――と嫌な音を立て、シンゴが振り下ろした石が“特異種”の『角』にクリーンヒットする。
しかし、シンゴはそのまま“特異種”の横を素通りし、地面に肩から叩き付けられる。
「がああああぁぁぁぁあああああッ!!!!」
全体重が乗った方の腕が、落ちた肩の部分からおかしな方向を向き、制服の肘の部分から白い骨が突き出る。
一方、“特異種”は――。
シンゴが石をぶつけた『角』は陥没し、額からはとめどなく血が流れ落ちている。そして苦しそうに頭を振り回し、口からは大量の唾液が零れ出る。やがて地面に倒れると、そのまま転がるように暴れまくる。
「ぐ……うぅ……」
ごきごきと異音を立てながら修復されていく己の腕をなるべく見ないようにしながら、シンゴは顔に大量の脂汗を浮かべながら立ち上がる。
未だに地面を転がり回って苦しむ“特異種”を一瞬だけ見やり、その顔に少しだけ憂いの感情を覗かせる。が、首を振って背後を見た。そこには――
「……やった……!」
シンゴの眼前では、大量の“オール・イン・ワン”が泡を吹いて横たわり、体を不気味に痙攣させていた。
何故かは分からないが、シンゴが“特異種”の『角』をへし折った事と無関係ではないだろう。
達成感に自然と口角が上がる。胸の内を喜びの感情が暴れ狂い、シンゴの心が歓喜の涙を流す。
――しかしそれは、背後から聞こえた唸り声で霧散する。
「――――!?」
シンゴは慌てて背後を見やる。そこには、額から流れる血で真っ赤に染まった右目に殺意と怒りを込めてシンゴを見据える“特異種”が、空間が歪んで見えるほどの圧力を放って立ち上がっていた。
ここでシンゴは己の策の最大の欠陥を悟る。そう、つまり――
「あ……後の事……考えて……」
シンゴは自分の馬鹿っぷりに心底、絶望するが、今は反省をしている場合ではない。
しかし逃げようにも、“特異種”に睨まれたシンゴの体は脳の命令を受け付けず、一向に動こうとはしない。
――絶望。その二文字がシンゴの胸中を黒く染め上げる中、“特異種”は口を開け、そこに“風”を集め始める。
先ほどカズに向かって放ったあの“風の塊”をシンゴに向かって撃つ気だろう。
こんな距離で、なんの防御策もとっていないシンゴにあれが直撃すれば、文字通り肉片へと変えられる事は必至だ。
シンゴには死の淵からも回復できる吸血鬼の再生能力があるが、果たしてそれは肉片となってもちゃんと機能するのだろうか。
そんな事を考えている間にも、眼前ではシンゴをミンチにする“風”が集まりつつある。
目尻に涙が浮かび、顔が引きつり、喉からは空気が抜けるような声が漏れる。
――刹那。シンゴの横を“風”が通り抜けた。
「――――え?」
“特異種”の下――腹の下に“風”は潜り込み、やがてシンゴの視界に綺麗な“白”が映り込む。
白髪――その主であるアリスは一瞬だけシンゴを見やると、その表情を安堵に緩めた。
しかしそれは一瞬の事で、アリスは両目を真紅に染め上げると、その表情を鬼のような――しかし、どこか美しさを内包する色に染める。
そして、そのまま逆立ちするようにして上下逆さになると、両足をたわめ、“特異種”の腹に足の裏を添えた。
次の瞬間、ズン――という振動が響き、“特異種”の姿が忽然と消えた。
一瞬の事に呆気に取られるシンゴだったが、見れば、眼前に居たはずのアリスも、シンゴの頬を優しく撫でる風だけを残して消えていた。
慌てて探そうとするシンゴの頭を、何者かの手がぐしゃっと撫でる。シンゴは慌ててその人物を見やると、
「カズ……」
「――――」
カズはシンゴの呆然とした顔を見ると、どこかイタズラが成功したような表情を見せ、上を指差した。
「――――?」
シンゴはその指先を追って、上を見やる。果たしてそこには――
「“特異種”と――――アリス!?」
空高く上空に、“特異種”の灰色の姿と、綺麗な白髪が見えた。
一人と一匹は結構な高度まで飛んで行っており、シンゴは驚愕に口を開いて固まる。
そんなシンゴの様子を見て、カズは苦笑すると、
「ったく、お前はホントに無茶な事をしやがる。そんなところも含めて、お前は馬鹿だってんだよ。――ま、見てな。締めはオレの役目だからよッ!!」
そう言うと、カズは先ほどまで“特異種”の居た場所まで歩を進め、小さく「『エンチャント・ド・グランド』――」と硬化魔法を唱える。
そして、上を見やる――。
――――――――――――――――――――
「――――君は、シンゴに危害を加えたね?」
アリスは見た。シンゴの服の腹部が破かれ、無残な状態となっていたのを。
つまりそれは、シンゴの体が修復され、服だけがその傷跡を残したという事を意味している。それを察した瞬間、アリスの中に今まで感じた事のない規模で、その感情が産声を上げ――あっという間に爆発した。
一度は見捨てた己が、彼の事を思う資格はないのかもしれない。それでも、アリスのそんな上っ面な思いなどよそに、その感情はもっと奥深くからとめどなく溢れ出し、もうどうしようもなく制御が効かなくなっていた。
そう、この感情は――
「ボクは今……すごく怒ってる!!」
アリスの鋭く細められた真紅の瞳に射抜かれ、“特異種”が一瞬、怯えたような表情を見せた気がした。しかし、その真意を確かめる機会はこの先、訪れる事は決して――ない。
“風”を纏ったアリスはその場で前転を開始する。一度、二度、三度――どんどんその回転速度を上げていく。
“特異種”の眼前に、白が混じった小さな黒い嵐が出来上がる。果たして、“特異種”の目にはそれが何に見えたのだろうか――。
やがて、黒い嵐は突如として弾け、中からアリスのかかとが丁度シンゴが潰した『角』――“特異種”の額に突き刺さる。
メキ――と音を発し、“特異種”は空気を引き裂きながら真下に吹き飛ばされた。
――――――――――――――――――――
「――――」
上から物凄い勢いで“特異種”が落下してくる。
カズはその様子を鋭く細めた目で見据えながら、錆びた大剣の切っ先を上に向けて構えた。
そして――
「――――ッッ!!!!」
――衝撃。硬化魔法をかけているにも関わらず、その衝撃で体がバラバラにちぎれそうになる。節々が悲鳴を上げ、踏ん張った足からメキリと骨が軋む音が聞こえる。
しかし、カズは最後まで大剣を構えたまま、その場に屈する事なく立ち続けた。
衝撃でチカチカする視界に、カズは数回まばたきをする。
腕にズシリと重みを感じ、やがて耐えかねて下敷きにならないよう横にずらしながら、大剣を地面に横たえる。
その大剣の中ほどには、腹を貫かれて絶命する――
「“特異種”が…………」
カズの横から、シンゴが目を見開きながら声を発する。
そんな彼の横に――、
「うおっ!?」
ズン――と小さなクレーターを作りながら、アリスが着地する。
そんな彼女のスーパーヒーローのような着地っぷりに、シンゴは思わず驚きの声を上げる。
そんなシンゴを無事に着地したアリスが無言のまま、真紅の瞳で見据えてきた。
しかしそのままの状態でシンゴを見詰め、いつまで経っても反応がないアリスに、シンゴが不審に思って首を傾げると、
「う――」
「う?」
「うえぇぇ……」
「え? ええ――ッ!?」
アリスは顔をくしゃりと歪ませると、その真紅の瞳からぽろぽろと涙を流し、ゆっくりシンゴに歩み寄り、そのまま抱き着いた。
まさかまさかの、アリスの涙の抱擁を受け、シンゴは目を白黒させる。
そんなシンゴの胸にアリスは顔を埋めながら、ひたすら懺悔の言葉を口にする。
「ご、めん……ボク……私、シンゴのこと……見捨てて……ごめん……」
「…………」
シンゴは何か言葉をかけようと口を開くが、震える彼女の肩に気付き、開きかけた口を閉じると、そっと震える肩に手を置いた。そして空いた方の手で、その美しい白髪を梳くように優しく撫でる。
「…………ッ」
ビクリと肩を震わせるアリスだったが、やがて安心したようにその震えが収まっていく。
シンゴは、その様子を受けて苦笑する。正直、女の子を抱きしめる経験など皆無なシンゴは、そのやかましい鼓動を聞かれていないかが非常に心配なところである。
そんな時ふと、シンゴの頭の中でアリスに熱い抱擁をして感謝の意を伝えるという、百パーセント思いつきで冗談のつもりだった決意の言葉が思い出される。
奇しくも、本来の目的とは違うが、その決意はこうして達成された事に――
「なんのかねえ……」
そう呟くシンゴと、未だ涙を流すアリスの二人を見て、カズはイイからかいネタができたなと、意地の悪いニヤニヤした笑みを浮かべるのだった――。




