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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第1章 リジオンの村
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第1章:2 『熱くて寒い』

 シンゴとアリスが川の上流を目指して辿り着いたのは、小さな村だった。


「おお……文明バンザイ!」


 元の世界に近しい建造物を目にし、シンゴの口から思わずそれを湛える感慨が漏れた。


 村の中へと足を踏み入れ、周りを見渡す。シンゴたちが歩いてきた道はそのまま真っ直ぐ村の中央を貫いており、その道を挟むようにレンガで造られた家が点々と、まばらに立ち並んでいる。その家々の近くには田畑のようなものが広がっており、何やら見たことない作物が実を成している。


「これは……すごいね」


 隣のアリスも、シンゴと同じように異世界の文明に触れ、感嘆の声を漏らす。


 ――そう、文明だ。


 今しがた通ってきた道や、先の死体の装い、川で拾ったタオルからも感じられたことだったが、この村を発見したことが決定的だった。

 アリスの言っていたある程度の知能どころか、感覚的にはとある外国の田舎に来たという程度で現状を受け止めても良いのではないかと思えてくる。

 つまり、この村の住人から何かしら情報を入手できる可能性があるかもしれないということだ。


「でも、なんか……」


「うん、人が見当たらないね……」


 呟いたシンゴの言葉に、隣からアリスが同意するように頷く気配がする。


 そう、人の気配がない。シンゴたちのいる所が村の入口に近いせいなのもあるかもしれないが、それにしても、だ。


「何か集まりごとでもあって、ここの人たちは皆どこか別の所に集まっているのかもしれないね」


「ん―、その可能性もあるかもしれねえけど……とりあえずは奥に進んでみっか」


 アリスの憶測にそう返し、シンゴは村の奥へと歩を進める。

 しかし、実はアリスの憶測は半分だけ当たっていた。

 というのも、村の半ばほどまで進んだ頃だった。何やら遠くから、誰かが言い争うような怒声に近い声が聞こえてきたのだ。


 二人ははっとなり顔を見合わせると、頷き合う。そして、駆け足で声のした方へと急ぐのだった――。



――――――――――――――――――――



「――じゃから、我々は何も知りませんと言っておりますじゃろうに……」


「ふざけるな! 隠してないでさっさと白状しやがれ、この老いぼれがッ!」


「そっちこそふざけんな!? 俺たちがそんなことするわけねえだろ!」


 シンゴとアリスの進んだ先は、少し広めの広場のようになっていた。

 その広場を中心にし、シンゴたちが今しがた通ってきた道に加え、広場を挟んで反対側にもう一本。さらにその間に左右へそれぞれ道が伸びており、広場の東西南北に計四つの道が繋がっていた。


 そんな広場の真ん中で、何やら甲冑のような物を身に付けて腰に剣を帯びた三人組と、おそらくこの村の住人と思われる複数の人間が、村長らしき老人を先頭に言い争いをしていた。


 シンゴたちの存在には、双方共に気付いていない様子だ。いや、気付く余裕がないほどに白熱しているのだろう。

 しかし一つだけ言えることがある。それは――、


「生きてる人間……それも、日本語……!」


 そう、シンゴとアリスの前方には、険悪な雰囲気ながら喋って動く人間がいる。

 正直、こちらの世界に来てから――というより、あの神社での一件以降、日常から逸脱した出来事があまりにも連続して起き過ぎた。


 平和という名のぬるま湯に浸かって生きてきたシンゴにとって、今日の出来事は相当なストレスとなって本人の自覚しないうちに蓄積されていた。

 挙句の果てに、あの惨殺された死体だ。


 この抑圧されて精神が擦り減ったところへ、元の世界を――あの平和な日本を彷彿とさせる言語――日本語。さらにそれを流暢に扱う、この世界で初めて遭遇する生きた人間。それも複数。

 こんなものを眼前に提示させられて、安堵するなと言う方が難しいというものだ。


 抑圧からの解放は、人に快感とも呼べる感情を溢れさせる。しかし稀に、その反動で気分が高揚してしまう者もいる。

 ちなみにシンゴは、圧倒的に後者の気分が高揚するタイプだった。それに加え、今回は事情が事情だ。


 ――つまり何が言いたいかと言うと、タガが外れた。


「ひゃっほぉぉぉううう!! な~にを揉めてらっしゃるの――で!?」


「――――!?」


 バンザイして感動の涙を流しながら、変な方向へテンションが振り切ったシンゴが眼前の渦中へと突撃した。

 そんなシンゴの突然すぎる奇行に、隣のアリスはぎょっと目を剥く。

 しかし、慌てて手を伸ばすと、


「ま、待つんだシンゴ――!!」


「ぐえっ」


 アリスが伸ばした手はシンゴの襟首を掴まえ、喉が絞まったシンゴの口から情けない声が漏れた。しかしここで終わりではなく、神社で発覚したアリスの女子らしからぬ力がシンゴの前へ進もうとする力を完全に封殺。結果、シンゴはそのままぐるんと反転。背中から地面へすっ転んだ。


「いってぇぇぇええ!? うおぉぉぉぉおお……ッ」


「あ……ごめん」


 後頭部を抑えてごろごろ転がり悶絶するシンゴに、アリスが謝罪を述べる。

 ようやく痛みが引いてきて、シンゴは後頭部をさすりながら涙目で立ち上がった。しかし、ここではたと気付く。先ほどまでの喧騒がピタリと止んでいる。ふと前方に視線をやると、対立していた村人と三人組がポカンとした表情でシンゴを見ていた。


 ショック療法――と言えばいいだろうか。アリスの行動は、結果的に飛び去ったシンゴのテンションを地へと引きずり戻した訳だが、引きずり戻されたシンゴを待っていたのは、しんと静まり返った場という何とも言えない状況だった。


「あ、はは……俺の馬鹿」


 奇異なものを見る視線に対し、引き攣った笑みを浮かべてサムズアップで応えたシンゴは、先の愚行を敢行した数秒前の自分を恨んだ。

 正直、どうかしていたと自分でも思う。しかし、しでかしてしまったものは仕方ない。とりあえずは言い争いを中断させられたので、割といい働きをしたのではないかと羞恥を自画自賛で上書きする。


 ――だが、現実はそんな楽観視できる状況ではなかった。


「――おいガキ。お前、一体なんなんだ……?」


「はい!?」


 ドスの効いた声で問いかけられ、シンゴは咄嗟に背筋を正して返事をする。

 見れば、村人と対立していた三人組のうちの一人、筋骨隆々の強面がその額に青筋を浮かべながら近付いてきた。とてもとても、気分を害した様子で――。


 その男の後ろには、残りの二人――一人はひょろっとした細めの男で、もう一人は小太りの男――が続く。


 やがて筋骨隆々の男が目の前までやってくると、シンゴの前で凄みながら再び問うた。


「お前は……なんだ?」


「ひっ……」


 喉から細い悲鳴を漏らすシンゴの顔は、影が出来ている。

 眼前の男が日の光を遮るように見下ろしてきたのだ。


 ――見下ろす。


 そう、男は優に二メートルは超える巨体だった。

 一体何を食えばこうなるのかと思うシンゴの身長は、170センチちょうど。

 頭ひとつ分以上はこの男の方が大きい。


 それに、先ほど強面だなとは思ったが、どうやらそれは誤りだったようだ。

 それ以上――軽く睨んだだけで小動物くらいなら殺せるんじゃないかと疑うレベルの、言うなれば『鬼』のような形相だった。


「あ、えと……俺は……」


 シンゴは顔面を蒼白にして後退する。愛想笑いを浮かべようとするが、引き攣ってしまって気持ち悪い笑みにしかならない。そしてどうやらそれが男の癇に障ったらしく、男の顔がさらに歪む。もはや般若も顔負け、鬼など尻尾を巻いて逃げ出すレベルにまでなっている。


「ああ?」


「…………ッ」


 喉が引き攣ってしまい、声すらうまく出せない。背中は冷や汗でぐしょぐしょ。膝は笑いすぎてもうここから動けない。

 何か言い訳を――。そう考え、必死で何か使えそうな話題は転がっていないか視線を彷徨わせる。


「…………あ」


 見付けた。シンゴの視線は眼前の男、その装いに釘付けになっている。

 見覚えがあった。必死に頭の中の記憶を漁る。そして見付けたと同時に、シンゴの口は知らず知らずのうちに言葉にしていた。


「あ……あの死体と……同じ」


「――――ッ!?」


 反応は――劇的だった。

 眼前の男はその相貌を動揺に歪ませる。しかしその動揺は眼前の男に留まらず、ここにいるシンゴとアリスを除いた全員に伝播した。


「――――?」


 思わぬ手応えにシンゴは頭の上に疑問符を浮かべながらも、内心ではどうにかなるかもしれないと淡い期待を抱いていた。


 ――しかしその期待は、儚く打ち砕かれた。


「おいガキ! お前、あの死体を見たんだな!?」


「ぐぅ!? あ、が……っ」


 抑えきれないほどの激情を顕にした男が、怒声と共にシンゴの胸ぐらを掴み上げた。

 シンゴの体はまるで赤子のように持ち上げられ、自らの体重で首が絞まり呼吸がままならなくなる。


 宙に浮いた足を必死にばたつかせ、酸素を求めて喘ぐが、閉じてしまった喉は空気の侵入を拒み続ける。

 結果、徐々に首元がかぁっと熱くなり、意識に靄がかかったようになる。


 これは――まずい。


 薄れゆく意識の中で焦るが、既に体は言うことを聞かない。現に、腕は力なくだらんと下がっている。

 視界が周りから徐々に暗くなり始めた――その時だった。


 不意に首元の圧迫感が消え、せき止められていた血流が一気に脳へと駆け上がる。

 しかしそのことを意識する前に、シンゴは背中から地面に叩き付けられた。


「っは――!?」


 肺に残されていた二酸化炭素を多量に含んだ空気が押し出される。

 シンゴは痛みに顔を歪めながら、咳き込むように新鮮な空気を貪った。

 そんな時だった。不意に、シンゴの耳に苦鳴が滑り込んだ。


「ぐおあッ――!?」


「――――?」


 徐々に明瞭になっていく視界に映るのは、つい先ほどまでシンゴを締め上げていた男が顔を苦渋に歪ませて膝を着く姿だった。

 そしてその男の手を後ろに回って捻っているのは、自分より一回りも二回りも大きな男を力技でねじ伏せる少女――アリスだった。


 二メートルを超える大男が、華奢な矮躯の少女の細腕一本に屈服させられるその光景は、見る者全員に衝撃を与えた。

 どよめく周りの反応に舌打ちをしながら、男はアリスを睨み付けるようにして見据えると、顔に汗を浮かばせながら質問を投げかけた。


「なに、もんだ……女……ッ」


「ボクかい? ボクはそうだね……」


 考えるような素振りを見せたアリスは、その視線をポカンとした顔で己を見やる少年へと向けると、微笑みながらウインクし、


「ボクは彼の友人だよ。友人がひどい目に合わされてるんだ。助けに入るのが、友人として当然の行動じゃないかい?」


「……ぐ……うッ」


 アリスとの力の差を理解したのか、男は抵抗しようと入れていた力を抜く。

 しかし、これで終わりではない。


「ヒィースの兄貴ッ!!」


「…………!!」


 シンゴが声のした方を見ると、ひょろっとした細身の男が剣の柄に手を、そして小太りの男は何やらアリスへ向けて手の平を突き出していた。


「――――」


 敵意を感じ取ったアリスが、その真紅の瞳を鋭く細める。

 一触即発。どちらかが動けば、もう一方も動く。

 張り詰めた緊張感に、誰もが固唾を飲んだ。無論、シンゴもだ。


 しかし、双方がぶつかることはなかった。

 理由は、アリスに拘束されている男――ヒィースと呼ばれた大男の一声が原因だった。


「やめろ。フゥーロ、ミィート」


 その一言で、二人とアリスは張り詰めた空気を弛緩させる。

 そして、剣の柄から手を離した細身の男――フゥーロが抗議の声を上げる。


「だけどよ、兄貴……!」


「…………!!」


 食い下がるフゥーロの横では、掲げていた手を下げた小太りの男――ミィートが、まるで自分も同じ意思だと主張するように首を縦に振る。

 そんな仲間二人の様子にヒィースは嘆息すると、その鋭い視線を二人に向け、


「分からねえのか? お前らじゃこの嬢ちゃんには勝てねえよ。絶対に、な――」


 その言葉が決定打だった。

 二人は不承不承といった様子で引き下がる。


 二人から戦意が完全になくなったと判断したアリスは、ヒィースを拘束していた手の力を緩めて解放する。

 ヒィースは掴まれていた腕をさすりながら立ち上がると、アリスと向かい合う。


 ――次の瞬間、その鋭い双眸が驚きを孕んで見開かれた。


 何かに気付いた様子のヒィースはその瞳を鋭く細めながら、眉を寄せて首を傾げるアリスを睨み付ける。

 そして、ポツリと呟いた。


「その瞳……そういうことか」


 小声だったこともあり、シンゴはうまく聞き取れなかった。

 その後、ヒィースは押し黙り、少しの間だけ考え込むような素振りを見せる。

 やがて、その視線をおもむろにシンゴへ向けた。


「…………ッ」


 ごくりと生唾を飲み込み、シンゴは冷や汗を流しながら後ずさる。しかし、そんなシンゴをヒィースは先ほどとは打って変わって微笑を纏いながら見据えると、未だに地面に座り込んだままのシンゴの近くまで歩み寄り、腰を落として手を差し伸べてきた。


 シンゴはそんなヒィースの行動に驚き、大きく見開いた目を差し出されたヒィースの巨大な手とその顔へ何度も往復させる。

 そんなシンゴの挙動不審な態度に対し、ヒィースはニヤリと笑ってシンゴの手を強引に掴んだ。


 ぎょっと目を見開くシンゴに、目を細めるアリス。

 しかし懸念されるようなことは起こらず、ヒィースは申し訳なさそうに苦笑すると、


「さっきは、わるかったな」


「え……あ、はい……」


 謝罪の言葉を述べられ、警戒で強張っていたシンゴの体から力が抜ける。

 そしてそれは、すぐにでも駆け寄れるように構えていたアリスも同様で、彼女はほっと吐息して構えを解いた。


 ――そして、アリスのその判断は間違いだった。


 ごりごりゅ――というおぞましい音が、広場に響いた。


「――ぁ、え……?」


 突如生じた熱。その発生源である己の腹部へと、シンゴはゆっくりと視線を落とした。

 シンゴの腹部には、いつの間にか剣が深々と突き刺さっていた。

 空白に意識を塗り潰されたまま、シンゴは緩慢な動作で顔を上げ、腹から生える剣の先を見やる。


 剣を握る手の持ち主は、先ほどと同じ顔で笑ったままで――。

 神経を侵す灼熱と猛烈な不快感を伴いながら、腹部からずるりと剣が引き抜かれ、穴の空いた腹部から噴水のように鮮血が吹き出した。


「――こぽぉ」


 腹の底からこみ上げてくる嘔吐感に抗おうとするが、そんなシンゴの抵抗をあざ笑うかのように押しのけ、自分の口から聞いたこともないような音と共に、見たことのない大量の血が吐き出される。


「シンゴ!!」


 遠くでアリスの声が聞こえる。


「ジジイ、今日はこれで帰るが、また来るぞ」


 そう言って去って行く誰かの足を呆然と眺める。

 どうやらシンゴは、横向きに倒れているらしい。

 腹の奥を中心に、体が燃えるように熱い。神経が焼けただれるようだ。


 ――――熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い


 あまりの苦しさと熱で、自分の体が言うことを聞かない。

 体中が脂汗でびっしょりになって、気持ち悪い。

 そんなどうでもいいことに意識を割かなければ、気がどうにかなってしまいそうだった。


 体がガタガタと震える。どうやら自分は痙攣しているらしい。

 口から、血と吐瀉物の混ざった泡がとめどなく溢れ出る。

 呼吸は浅く、ひゅうひゅうと音が鳴るが、聞いている耳は遠く――。


 視界がぐらぐらと回る。

 上下左右、自分がどこにいるのかが曖昧になってきた。


 ――――寒い、苦しい、熱い


 先程までは燃えるような熱を発していた傷口だが、今はもうすでに痛みも、焼け付くような熱も感じられない。


 ――――寒い、嫌だ、寒い


 少しずつ、視界が砂嵐に浸食されていく。

 耳は、既に死んでいる。


 何も――感じなくなった。


 ここは、どこだろうか。

 己という存在が希薄になっていき、もはや自己を認識することすら難しい。


 ――――寒い、寒い、怖い、寒い


 腹に空いた穴から、全てが抜け落ちていくのが分かる。

 刻一刻と失われる命。刻一刻と希薄になる自己。


 薄れゆく意識の中、誰かの顔が頭をよぎるが、それが誰なのかもう分からない。


 ――――寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 理解した。

 これが――『死』なのだと。




 キサラギ・シンゴは――死んだ。



























「キミを死なせはしない……絶対に!」


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