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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第2章 王都トランセル
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第2章:20 『職務怠慢な殺し屋』

「がっ!? あっ、は……なせッ」


 シンゴは、飛び掛かってきたあの“オール・イン・ワン”に制服の首襟を咬まれ、そのまま森の中を引きずられるように運ばれていた。

 当然、運び方なんて雑で、シンゴは凸凹した地面に何度も背中を打ちつけ、顔を苦痛に歪ませる。


「だ……から、放せってッ!!!!」


 シンゴは制服の首元に手をかけると、思いっきり引っ張った。――結果、制服のボタンがはじけ飛び、制服の前が開く。

 シンゴはバンザイをするように両手を上に上げると、体をゆすって制服の袖から腕を引き抜く。


 下に着ていた黒いインナー一着になったシンゴは、“オール・イン・ワン”の拘束から脱出。よろけながらも、すぐさま起き上がる。

 当然、シンゴを運んでいた“オール・イン・ワン”も気付き、口に咥えたままの意味がなくなった制服を首を振るって横に捨てると、低く唸りながらシンゴに詰め寄ってくる。


 シンゴの真紅に染まった吸血鬼の右目と、“オール・イン・ワン”の黄色い瞳がぶつかる。

 シンゴは起き上がりざまに見つけた手のひら大の石を、握りやすいように手で転がす。こいつらは数こそ多いが、単体ではそこまで脅威ではない。シンゴでも十分対処が可能なはずだ。問題は――


「ようワンコちゃん……一体どんな魔法使えるのか教えてくれたら、あとでカズの骨をちょっとだけ齧らせてやるぜ……?」


 なんの罪もないカズを餌に、シンゴは額に汗を浮かばせながら眼前の“オール・イン・ワン”に声をかける。

 現在シンゴの周りには、目の前の“オール・イン・ワン”たったの一体だけだ。――たぶん。


 というのも、シンゴがこの目の前の一体に不意を突かれ転ばされた時。あろうことか、灰色の波となって押し寄せていた他の“オール・イン・ワン”達は、シンゴに一切目をくれず、そのまま横を素通りしていったのだ。


 かといって、それでシンゴが助かったかと言われれば話は別で、シンゴの首筋に噛みついた目の前のこいつは、自分の仲間達が過ぎ去った後、シンゴの制服を咥えて森の中に引きずりこんだのだ。


 足を引っ張ってくれれば、まだ蹴りを喰らわせたりと対応できたかもしれないのだが、首襟を掴まれている状況では上手く反撃できず、さっきの制服を脱ぐという対応を思いつくまでに、だいぶ森の奥深くまで運ばれてしまったのだ。


 そして今現在、こうしてシンゴが立ち上がっていられるのも、ひとえにアリスがくれたこの吸血鬼体質のおかげである。もしこの体がなければ、最初に首に噛みつかれた時点でシンゴはいずれ死を迎えていただろう。


 そう思うと、アリスと合流できたあかつきには思いっきり抱き着いて感謝しようと心に決め、シンゴがビンタ確実の未来に思いを馳せていた時だった。眼前の“オール・イン・ワン”が、低く唸りながら徐々に距離を詰めてきた。


「だよな……。お前をどうにかしねえと、アリスとの熱い抱擁もできねえって事だよな……!」


 シンゴはそう言いつつも、すり足で後ろに後退していく。――当然だ。怖いものは怖いのだ。

 両者の間隔は縮まらず、かといって離れるわけでもなく、一定の速度で移動していく。


 しかし――、


「――――!?」


 後退していたシンゴの背中が、何か壁のようなものにぶつかった。この緊張感のなかでの予想外のできごとだ。シンゴはつい、後ろを確認してしまう。そして、そんな隙を見逃してくれるほど、眼前の魔物は優しくはなかった。


 背に当たったのが高くそびえ立った絶壁だと分かると、シンゴは前に視線を戻す。

 眼前には、唾液の糸が引いた口を大きく開き、シンゴの首元目がけて飛び掛かってくる“オール・イン・ワン”という、数分前の焼き直しのような光景が広がっていた。


「――!? ぁああああッ!!!!」


 だが今回、シンゴの体は動いた。握りしめていた石を、飛び掛かってきた“オール・イン・ワン”のこめかみに思いっきり叩きつける。

 甲高い声に、どこか低い声を混じらせながら、“オール・イン・ワン”は地面に叩きつけられ、その体を痙攣させる。


「ひっ……!」


 見てみれば、その顔の側面は陥没し、眼窩からどろっとした神経を引きながら眼球が飛び出している。シンゴが石で殴りつけた箇所だ。

 やがて痙攣は小さくなり、口から泡と吐瀉物を漏らしながら、“オール・イン・ワン”は息絶えた。


 それを見届け、シンゴはいつの間にかする事を忘れていた呼吸を再開させると、背後の絶壁にもたれかかるようにして体を預け、そのままズルズルと腰を下ろす。

 次の瞬間、獣のような「ハァ、ハァ」という息遣いがすぐ近くから聞こえ、シンゴは下げかけていた顔を跳ね上げ、辺りを見渡す。


 しかし新手の姿はどこにも見当たらず、どこかに潜んでいるのかと思い目を凝らしていた時だった。ふと気付く。今も間近で聞こえる吐息。それが、自らの口から漏れていたものだという事に。


「…………くそッ」


 シンゴは視線を足元に落とすと、自らの足が小刻みに震えている事に気付く。そして、おもむろに両手を眼前に持ってくると、足以上に震えていた。


「…………」


 シンゴは指の隙間から、頭の下に血だまりを作って倒れている“オール・イン・ワン”をチラリと覗き見る。

 “それ”は完全に沈黙し、微動だにしない。


 当然だ。シンゴが“殺した”のだから。

 ――生まれて初めて命を奪った。今まで生きいく上で奪ってきた魚や牛、豚や鳥といった家畜の命とは違う、よりリアルな“殺した”という生々しい実感。


 これがもし――“人”だったら。


「うっ――」


 シンゴは咄嗟に後ろを向くと、腹の底からこみ上げてくる吐瀉物をぶちまけた。

 しかし、吐いても吐いても胸の中にへばり付くドス黒くて、コールタールのように粘ついた“何か”は一向に取れる事はなく、シンゴの胸中にて優しく蠢く。

 シンゴは自分の手を口に突っ込み、胃液だけとなった吐瀉物を無理やり吐き出す。


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 幾度も繰り返す胃の収縮運動に息が上がり、体力が奪われる。それでも尚、胸の内で渦巻く何かは消えてはくれない。

 やがてえずき疲れたシンゴは、四つん這いの状態のまま肩で息をしながら酸っぱい唾液を吐きだす。

 溢れ出た涙で前が見えず、シンゴは未だ震える手で目元をこする。


「おやおや、そんな様子では先が思いやれるよ――私は」


「――!?」


 突如、背後から何者かの声が聞こえ、シンゴはばっと後ろを振り向く。果たしてそこにいたのは――


「…………あんた……あの時の……」


「やあ、久しぶりだね。――少年」


 にっこり微笑む、真っ白な少女だった――。



――――――――――――――――――――



 突如、姿を現した白い少女は、近くに転がっている“オール・イン・ワン”の亡骸には目もくれず、真紅の瞳をシンゴに向けてくる。

 シンゴはその無遠慮に品定めするような視線に、背筋をぶるりと震わせる。

 下から順にねぶるように移動する少女の視線は、やがてシンゴの紅い右目とぶつかった。


 その瞬間――。


「――――ッ!?」


 深い、深い、底の見えない真っ暗な穴を覗きこんだような、決して見てはいけないものを見てしまったような感覚が、シンゴの体を駆け巡る。

 呼吸は乱れ、尋常ではない量の汗が体中から吹き出し、体は小刻みに震え始める。それなのに、その少女の真紅の瞳から目を逸らす事ができない。


 数秒、数分、もしくは数時間だろうか――。

 濃密に圧縮されたようなその時間の中で、シンゴは自分がどこに居て、今何をしているのか。いや、そもそも自分は一体誰で、何者なのだろうかという事さえ曖昧になってくる。

 やがて、意識さえ混濁し始めてきた時だった。眼前の少女がゆっくりと目を閉じた事によって、シンゴは訳の分からない重圧から解放され、意識が明瞭になる。しかし――、


「……っ、ぁ……!? ぉ……????」


 上手く空気が吸えない。今自分が空気を吸っているのか、吐いているのか。そもそも、“どうやって呼吸するのか”が分からない。

 シンゴは地面を転がり回り、空気を求めて自ら喉を掻き毟る。が、どうやっても呼吸の仕方が思い出せない。


 そんなシンゴの様子をしばらく無言で眺めていた少女は、やがて嘆息すると、ゆっくりと近付いてきた。

 途中で“オール・イン・ワン”の亡骸の頭部を踏み潰すが、少女は全くもって意に介さない。


 そしてシンゴも、そんな事をいちいち認識していられる余裕はなく、どころか少女が近付いてきている事にさえ気付けない。

 やがて少女はシンゴの元までやってくると、しゃがみ込み、シンゴを抱きしめた。


「!???!!?」


「さあ、落ち着いてゆっくり息を吐くんだ。そして、私の胸の鼓動を聞くんだ」


 少女はシンゴの顔を横に向けさせると、自分の胸に耳を当てさせる。

 どくん、どくん、という一定のリズムが、少女の胸の中から聞こえてくる。

 シンゴは言われるままに苦しみを無視し、少女の鼓動に耳を傾けながら、落ち着いて空気を吸おうと試みる。


 ――やがて、数回空気を吸おうと試みた時だった。焦燥感で暴れ出しそうだったシンゴの気持ちをよそに、呆気なく喉が開通する。

 それを機に流れ込んでくる酸素を、シンゴは貪るように吸い込んだ。


 それを見届け、少女はシンゴからそっと身を離すと立ち上がる。


「全く……呼吸の仕方を忘れるなんて、君の呼吸器は職務怠慢だね。その身に受けた半身の『怠惰』の罪に相応しいといえば相応しいが」


 少女はそう言って、無垢な微笑を覗かせる。

 だが、少女は咳き込むシンゴを見下ろすと、どこか落胆するような声を発した。


「しかし、前回から全然進んでいない。イレギュラー故なのか、それとも『怠惰』故か……」


 独り言をぶつぶつと呟く少女に、シンゴは首をもたげると、


「は……ぁ……なんの、話だよ……」


「こっちの話さ。それと、君を助けたのは私の気まぐれだよ。むしろ、私の望むべくは“逆”だからね。まったく、これじゃ私の方がよっぽど『怠惰』に相応しいじゃないか。それは本来君の罪でなければならないのに。……君も、そうは思わないかい?」


「知らねえよ……そんなの。そもそも、その『怠惰』ってのは何だ? 罪がどうとか……もっと、分かるように話せよ……!」


 呼吸が落ち着いてきたシンゴは、目の前の奇妙な白い少女を睨むと、ゆっくりと立ち上がる。

 しかし少女は何か閃いたのか、シンゴの質問を完全に無視して「ちょうどいい――!」と人差し指を立てた。


「私が犯した職務怠慢は、“彼ら”に清算してもらうとしよう。うん、我ながらいいアイデアだ。よろこびたまえよ少年! 君はこれからその罪を重ねる最高の試練を受けられるんだ! これほど光栄な事はないだろう?」


 見るものが見れば可愛いらしい、年相応の笑顔を少女は向けてくる。

 しかし、シンゴには素直にそう思えないでいた。確かに先ほどは助けてもらったのは事実だし、感謝している。だが、この少女には“何かある”と、さっきからそう思えてならなかった。


「……人の話は、聞かねえのかよ。一人で勝手に盛り上がりやがって……ッ」


「おっと……私とした事がついつい興奮してしまった。はしたない女だと思ったかい? まあ、それもいいだろう。私としては君に嫌われるのは大いに不服だが、今は名誉挽回を図っている時間もないからね。――さて、そろそろ“彼ら”が来る頃だ。私はこれで消えるが、君は壊れない程度に、その『怠惰』を少しは育てられるよう励んでほしい」


 そう言うと少女は、シンゴを見詰めながら花が綻ぶような笑みを浮かべた。

 やがて少女の足元から、前回と同じように“影”がうぞうぞと蠢きだし、少女の体を飲み込み始めた。


「お、おい待てよ! まだ話は――」


「半端な『怠惰』の罪をその身に受けし少年よ。君とはまた近いうちに必ず会うだろう。その時には、今以上になっていてほしい。それが君に送るささやかな私の願いだ。そして最後に、一つだけ助言をあげよう」


「じょ……げん?」


 “影”に沈んでいく少女の額に、あの奇妙な痣が浮かび上がる。

 首だけを残し、他全てを”影”に飲み込まれた少女は、にこりと屈託ない笑顔で言った。


「『死』を受け入れるんだ。――そうすれば、早く馴染む」


「――――は?」


 その言葉を最後に、白い少女は“影”の中へと完全に沈んだ。


「…………」


 シンゴは、しばしその場で呆然となる。

 少女のさまざまな難解で、複雑な、まるでなぞかけをしているかのような言葉が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 しかし、シンゴは首を振って思考を断念する。

 今はこんな事をしている場合ではないのだ。今すべき事は、一刻も早くはぐれてしまったアリス、カズ、イレナと合流する事だ。


 シンゴはそう判断すると、頭部がより潰れた“オール・イン・ワン”を意識して見ないようにして、そのすぐ近くに落ちていた制服を拾い上げると、腕を袖に通す。

 自分でボタンを引きちぎってしまったので、前は全開になり、ちょっと不良になった気分だ。


 シンゴは意識を切り替えるために頬をはたくと、「よし!」と気合を入れる。

 アリス達は逃げ切って必ずどこかで生きているとは思うが、合流するためには“オール・イン・ワン”の群れをどうにかしてやり過ごさないといけない。


 そのための案を考えようと、シンゴが無い知恵を絞っていた時だった。ふと、先ほどの少女の言葉が脳裏に蘇った。確かあの少女は最後――


「“彼ら”が来る……それに、“『死』を受け入れる”? それってどう――」


 ――最後まで言い切る前に、シンゴの意識は暗転した。


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