第2章:19 『灰色の波』
元の世界の生き物に当てはめると、狼のような容姿をした魔物の集団――“オール・イン・ワン”の討伐、もしくは撃退の依頼を受けたシンゴ達は、現在そいつらの根城とされている王都近況の森の中に来ていた。
“オール・イン・ワン”は、根城としている森の近くを通る道――王都へと通ずる道を行き来する人、もしくは積荷に含まれる食料などを狙って、定期的に襲撃を繰り返しているとの事。
つまり当然の事ながら、シンゴ達が現在いる場所は王都の外だ。
依頼は一日で終わらせる予定――終わらせないと金がない――なので、シンゴ達は検問をパスする事ができる、一日だけ有効な証明書のような物を関所の人に発行してもらっている。これで、あの長い列に並ばなくとも別口でぱぱっと通過できるらしい。
しかし、この証明書を使えば誰でも検問を突破できるのでは?というセキュリティ的な部分に触れるシンゴの疑問に対し、曰く、証明書には持ち主の『フィラ』を一回だけ記録するような使い捨ての機能があるらしく、要は一日だけ有効な身元証明、元の世界で言うところのDNA鑑定の結果のように、持ち主の素性をしっかり保証してくれるのだとか。
まあ、詳しい仕組みについてはシンゴの理解力では到底理解できなかったので、とりあえず並ばなくてもいい便利な紙、程度に捉えておく。
補足だが、シンゴには『生命回路』がない。――かといって、体内に『フィラ』が無いという事ではないらしい。つまり、シンゴだけ検問をパスできないなんていう事は起こらないとの事だ。
しかし、証明書の有効期限は今日いっぱい。つまり、依頼の早期達成が求められる事になる。
そうなってくると、やはり方針は“オール・イン・ワン”の討伐――殲滅ではなく、“特異種”とかいうボスの一点狙いよる撃退になる。
そうなると当然、まずはそのボスを見つけなければならない。そして、できれば不意打ちで先制攻撃し、一撃で倒してしまうのが好ましい。が、そうなると、相手に悟られずに“特異種”を見つけらければならない。しかしここで残念な情報が。
「あいつら物凄く鼻が利くから、かなり距離を空けての発見じゃないとこっちもバレるわ。しかも、取り巻きの“オール・イン・ワン”に見つかってもアウトよ!」
「まじかよ……なんちゅう無理ゲー……。俺は隠密でステルスなゲームは、全部ゴリ押しで行くスタイルなんだけどなあ……」
「もし見つかったら、戦闘は避けられそうにないね……」
イレナの注意事項を聞くに、こちら側が見つからずに“特異種”を見つけるのというのは、相当な難易度だという事が分かる。
そんなやる気を削がれるような事前情報に、シンゴは渋い顔で愚痴る。
そしてアリスの言うように、見つかれば新鮮なお肉目がけてましっぐら。お目目爛々のワンコ相手に大立ち回りを演じなければならなくなる。
そうなってくると――、
「本当に付いてきて良かったのかよ……シンゴ?」
「たった今、すんげえ後悔してる……」
カズの問いかけに、シンゴは叶うなら、ノリで同行を決意した数時間前の愚かな自分を渾身のタックルで止めたい気分だった。
しかし、既にシンゴ達は森の半ばくらいまで来てしまっている。ここで一人で引き返して途中で“オール・イン・ワン”に遭遇でもしたら、もう奴らの晩御飯になるのは必至だ。
そんな事を考えていると、俺って食われたら吸血鬼の再生能力が発動して――どうなるんだろ?と、もしかして食べても減らない夢のような食材なのではなかろうかという、自覚したくもなかった自分の優秀な食用性に気付いてしまい、シンゴはどんよりした気分になる。
そんな時、ふと以前、“白猿”と遭遇した際にカズが話していた魔物の特性について思い出す。
確か、魔物というのは――
「なあ……“オール・イン・ワン”って、なんか魔法みたいなの使うのか?」
「使うわよ?」
「…………俺が訊いてなかったらお前、ちゃんと説明してなかっただろ……?」
「え? そ、そんな訳ないじゃない!」
何故か逆ギレしてくるイレナを、シンゴが半眼で「ほ〜」と睨み付けていた時だった。何かに気付いたのか、アリスが急に立ち止まり、警戒した表情できょろきょろと辺りを見渡し始めた。
連られてシンゴ達も立ち止まり、同じように周囲に気を配る。しかし、辺りにはさわさわと葉が風に揺られる音が響くだけで、シンゴには特にこれといった異常は見つけられなかった。
すると、アリスが無言でシンゴ達に振り返り、真剣な表情のままゆっくり近付いてくると、小声で囁きかけてきた。
「……囲まれてるね」
「――確かにそのようね……」「ああ……どうやらそのようだな……」
「え?」
どうやら異変に気付いていないのは、シンゴだけらしい。
「か、囲まれてるって……何に?」
「決まってんだろ……“オール・イン・ワン”だよ」
「……まじかよ……」
カズの返答に、シンゴはさーっと顔から血の気が引いていくのが分かった。
確かに言われてみれば、何かに見られているような感じがしてきた。これはただ単にシンゴが“そう”だと思っているために、脳が引き起こしている錯覚なのではなかろうか。――いや、違う。シンゴには“この感じ”と似た何かをどこかで味わった事がある。そう、あれは――
「ヒィース……」
脳裏に浮かぶのは、シンゴに躊躇なく剣を突き立ててきた、あの残虐で非道な男の愉悦に歪んだ顔だ。という事は、“これ”は“殺気”というやつなのだろうか。
――――いや、少し違うような……。
いつからか漂い始めた、剥き出しの神経を逆なでするようなヒリヒリとした緊張感。その緊張感がシンゴの鈍い本能を刺激し、幾分か“感覚”のようなものを底上げする。
そして、底上げされたシンゴのその“感覚”が、ヒィースの時との差異を敏感に察知する。そう、この気配。粘つくような欲望を遠慮なく向けられるような感じ。本能のままに欲する、生物が持つ中でも最も残虐で原始的な欲求。それは――“食べたい”という欲求。
しかもそれが全方位から放たれている。この状態が長く続けば、おそらくシンゴは発狂して我を見失うだろう。そうならずにいられるのは、傍らに感じられる三人の体温に縋る形でなんとか飛びかかっている理性を繋ぎとめているからだ。これが一人だったとしたら――考えただけでぞっとする。
「どうする……?」
シンゴは喉がひりつき、声が出せない。そんな中、カズが小さく抑えた声で問いかけてくる。しかし、カズの問いかけに返答を返す者はいなかった。いや、返せなかった。何故なら――
「ごぉるるぅ――」
突如、静寂を破って、茂みの中から灰色の毛並みをした一匹の大型犬――おそらくこれが“オール・イン・ワン”なのだろう――が、低いうなり声を漏らしながら飛び出してきたからだ。それも、よりによって戦闘能力ゼロのシンゴに向かって。
「ぁ――!?」
「――せいッ!!」
シンゴに向かって飛び掛かった“オール・イン・ワン”は、しかし即座に庇うようにシンゴの前に飛び出したイレナのアッパーぎみの拳打により、空中で顎を打ち抜かれて甲高い声を漏らしながら吹き飛ばされる。
――数秒の浮遊。
引き延ばされた時間の中、シンゴの視線の先。放物線を描きながら、やがて地面に落ちていく“オール・イン・ワン”。そして――
ドシャ――
「走って!!」
「――え?」
「シンゴ早く!」
「ちぃ――!」
刹那――。“オール・イン・ワン”が重力によって落下。地面に叩きつけられたその音を合図に、振り上げた腕を引き下ろすと同時に走り出した、イレナの怒声に近い移動を促す声。しかし、シンゴは意識が空白に埋め尽くされており、即座に反応する事ができなかった。
そんなシンゴにアリスが慌てた声をかけるが、それよりも早くカズが舌打ちと同時に動いた。
カズは軽々とシンゴを担ぎ上げると、数歩先に行っていたイレナとアリスを追うようにして逃走を開始する。
それを肩越しに確認した前の女性陣二人も、即座に逃走に移る。
そして、頭を後ろにしてカズに担がれ、背後が見渡せる形となったシンゴは必然的に――見てしまった。
三人が走り出した瞬間、茂みの中から無数の“オール・イン・ワン”が飛び出し、四人の後ろはあっという間に――
「――嘘……だ、ろ……」
――灰色となった。
――――――――――――――――――――
「どうするッ!?」
「そんなの分かんないわよ!」
カズの逼迫した声に対し、横から飛び掛かってきた“オール・イン・ワン”を上手く躱したイレナが吠えるように答える。
「とにかく、今は逃げるしかないよ。どこか隠れる事ができる場所を探さない――とッ!」
アリスは言葉の途中で、イレナが躱した事により突っ込んできた“オール・イン・ワン”に対しタイミングを合わせて飛び上がると、すれ違うようにして“オール・イン・ワン”の後頭部に後ろ回し蹴りを叩き込んで地面に叩きつける。
着地するアリスに、イレナはさらに一匹蹴り飛ばしながら首を横に振る。
「だめよ! あいつらは鼻が利く! すぐに見つかるわ!」
「…………ッ。じゃあ、一体どうすれば……」
そうこうしている内にも、後ろから迫ってくる灰色の波はどんどん勢いを増していく。
シンゴを肩に担ぎながら錆びた大剣を振るい、飛び掛かってくる“オール・イン・ワン”を撃退していたカズは、この数に対し片腕で剣を振るうのはきついと判断すると、額にうっすらと汗を浮かばせながら肩に担いでいるシンゴに声をかける。
「シンゴ! 走れるか!?」
「あ、ああ……うおっ!?」
シンゴがそう答えた瞬間。カズは肩に担いでいたシンゴを一旦、空中に投げて浮かせると、一瞬の浮遊時間の間に後ろに振り返ってシンゴと同じ後方へと体を回転させる。そして落ちてきたシンゴを脇に抱えるようにキャッチすると、後ろに振り返った勢いを殺さず再び前に向き直る。
カズの咄嗟の一回転の結果、シンゴは前を向いた状態でカズの脇に抱えられる形になる。
「お、おお……。なんちゅうアクロバティックな……。よくできたな、今の……?」
「やってみたらできた!」
「あぶねえな!?」
「んな事より! ゆっくり下ろすから自分で走れ! 邪魔だ!」
そう言うと、カズは抱えていたシンゴをゆっくり下ろし始めた。
シンゴは足が地面にこすれ始めると、そのまま数歩地面を蹴りつけ、やがて完全にカズの腕から離れる。着地時に少しよろけるが、なんとか転ぶことなく走り始める事に成功する。
「くそッ! 俺はマラソンも苦手なんだよ!!」
吠えるシンゴに向かって、一匹の“オール・イン・ワン”が斜め後ろから飛び掛かってくる。シンゴはこの状況でアドレナリンがどばどば出ているおかげもあって、なんとか回避する事に成功する。しかし、僅かに爪が頬を掠めて血が出る。――が、すぐさま吸血鬼の再生能力で傷は塞がり、血は蒸発する。
躱した個体は、カズが大剣の腹で殴り飛ばす。
シンゴは後ろに吹っ飛ばされていく“オール・イン・ワン”を紅く染まった右目で見送りながら、後ろからの急な奇襲に備える。
やがて、前に走っているアリスとイレナに追いつくと、全く息の上がっていない様子のアリスが眉を寄せながらこんな疑問を口にしてきた。
「……なんだか、一匹ずつしか襲い掛かってこないね……」
「……そういえば……確かに変ね……」
そう、一斉に襲い掛かってくればいいのに、“オール・イン・ワン”達は先ほどから一匹ずつしか飛び掛かってこない。
既に息が上がり始めているシンゴも置いていかれないように必死に走りながら、アリスの疑問に内心首を傾げる。
そんな中、さらに飛び掛かってきた一匹を大剣で吹き飛ばしたカズが、眉を寄せながら憶測を口にする。
「こいつら、オレらをいたぶって遊んでやがんのか? それとも――」
「カズ! 横だ!!」
「あ?」
シンゴの咄嗟の警告にカズは横を向く。――が、それでは“足りない”。何故なら、カズに襲い掛かってきた“オール・イン・ワン”は“二匹”だったからだ。
カズは飛び掛かってきた一匹を迎撃しようと剣を腰だめに構えている。これでは、もう反対側から時間差で襲い掛かってきているもう一匹には対処できない。
その状況を認識したシンゴの体は考えるよりも前に動いていた。しかし、ここでさらなる事態が起こる。
シンゴがアクションを見せた瞬間を見計らったかのように、さらに“三匹”の“オール・イン・ワン”がシンゴ目がけて飛び掛かってきたのだ。
しかも内二匹は、木々を伝って“頭上”から襲い掛かってくる。
さらに不幸な事に、シンゴは極度の緊張感と集中力で視野が狭窄してしまい、新たに飛び出してきた三匹には気付いていない。
「イレナ!」
「分かってるわよ!」
アリスの呼びかけにイレナが応と答えると同時に、呼びかけたアリスは地を蹴って飛び上がった。
一方イレナは、空中の“オール・イン・ワン”に向かって手を突き出すと――叫んだ。
「『アイシクル・ズ・インジェクション』!!!!」
イレナの手の平の先に冷気が集まり、みるみるうちに一本のつららを形成する。そのままイレナは狙いを澄ませると――射出した。
つららは勢いよく空気を裂くように飛翔し、空中の二匹のうちの片方の“オール・イン・ワン”の脳天に横から突き刺さる。そして、その隣の“オール・イン・ワン”はアリスが蹴り飛ばした。
続けてアリスはそのまま空中で身をひねると、シンゴに向かって惰性で突っ込んでいくイレナが仕留めた“オール・イン・ワン”を、あさっての方向へと蹴り飛ばす。
しかし、二人が咄嗟に処理できたのはこの二匹が限界だった。最後の一匹――茂みから飛び出してきたシンゴの死角を走る“オール・イン・ワン”が残っている。
「シンゴッ!!」
魔法を放ち終えたイレナが咄嗟にシンゴの名前を叫ぶが、すでに遅かった。
シンゴは、カズに向かって飛び掛かる一匹を横から殴り飛ばす。そして再び逃走に移るために、踏み出した足に力をこめて体の勢いを殺すと、振り返――
「――ぇ」
次の瞬間、口を大きく開けて自らに向かって飛び掛かってくる“オール・イン・ワン”が、シンゴの視界いっぱいに広がった。
一気に縮まる体感時間の中で、しかし何もできず、シンゴは己の首筋に牙が突き立てらるのを見ているしかできなかった。そして――
「あぐッ!?」
シンゴは首から血しぶきを上げながら“オール・イン・ワン”に押し倒されると、そのまま灰色の波の中に飲みこまれた。
「――――ッ!!」
咄嗟に駆け出そうとするアリスだったが、その手をイレナが掴んで引き留める。
「だめよアリス! あの中に飛び込むなんて自殺行為よ!!」
「どうした!? 今なにがあった!?」
「シンゴがあいつらの中に!!」
「なにぃ!?」
「カズ! あんたも行っちゃだめよ!」
「はぁ!? 見捨てろってのか!?」
「違う!! でも、今あの中に飛び込むのはもっと違うわ!!」
「…………くそぉッ!!!!」
「…………シンゴ……」
三人は走る。
パターンを変えてきた“オール・イン・ワン”をいなし、何かに期待するように後ろを振り返りながら。
しかし、魔物が織りなす灰色の波に飲み込まれたシンゴの姿は、どこにも見当たらなかった。




