第2章:16 『輝かしき日常の風景』
意識が回復したシンゴは、心配そうに自分を見下ろすアリスに背を支えられながら、頭を押さえて起き上がった。見れば、前方からカズ達が各々の反応を顔に出しながら、駆け足でこちらに向かってくるのが窺えた。
「――! シンゴ、目!」
「え? ――あっ、いけね!」
頭を壁でものっくそ強打したことによって、吸血鬼の再生能力が発動して紅く染まったシンゴの右目を指し示しつつ、アリスが咄嗟に警告を入れる。
どうやら意識が飛んでいたのは一瞬のようだ。シンゴは意識が揺さぶられるような感覚に頭を振りながら、アリスの指摘に反応が遅れつつも慌てて右目を元に戻す。
リースとユネラはもちろん、ユピアにもシンゴの吸血鬼体質の事については話していない。彼女らの人となりは、この短い付き合いの間でも十分に理解できている。たとえシンゴの体質を知ったとしても、驚きはするが大事にはならないはずだ。しかし、少なくない波風が立ってしまうのは、やはり避けられないだろう。
そう思えば、わざわざシンゴの魔法習得――結局はアリスのみだが――のレクチャーという我が儘を聞き入れてくれたのに隠し事をするのは忍びなく思うが、またいずれ話す時がくれば話そうと思う。しかしそれは、『星屑』の話題がある程度落ち着きを見せてからで、今ではない。
「――あ、あの! 大丈夫……ですか?」
最初にシンゴ達の元に駆け付けたユネラが、心配そうな表情で問いかけてくる。
シンゴが意識を失う前に警告を発したのは、確か彼女だったはずだ。もしかして、警告するのが遅れたことに負い目を感じていち早く駆け付けてくれたのだろうか。
シンゴは吸血鬼の再生能力で痛みが引いたとはいえ、いまだに衝撃の余韻が残る頭部をさすりつつ、
「あ、ああ……なんとか。――ってか、一体なにが起こったんだ?」
そんなシンゴの疑問に、ユネラは「そ、それは――」と言葉を発しようとするが、それよりも早く、
「ごめん……ボクが魔法を制御しきれずに、そのままシンゴに突撃しちゃったんだ……」
そう言うと肩を落とし、しゅんとうなだれるアリス。
どうしてかは分からないが、アリスにこういった反応をされると無性に「どうにかしなければ!」という気持ちになってしまうシンゴは、今回もその例に漏れず、手をあたふたとさせながら「あ、いや、その――!?」と慌てまくる。するとそこへ――、
「オイオイ、頭打ってさらにおかしくなっちまったのか? シンゴ……」
「“さらに”ってなんだよ!? 俺がもともと頭おかしいみたいな言い方を――っておい……なんでみんなして『え!?』みたいな顔するわけだ!? ……分かったよ……買ってやんよその喧嘩ぁ!!」
そう言って勢いよく立ち上がるシンゴだが、ふと視界の端にリースがユネラのメガネの縁にそっと手を添えるのを見て、「――という冗談はさておき……」と咳払いして誤魔化す。そして、リースがメガネから手を離すのを確認して安堵の息を吐く。
こんなどうしようもない事で『血塗れバニーのユネラ』さんにご降臨なされでもしたら、シンゴの心の中のトラウマノートに新たな一ページが書き加えられてしまうことになる。そんなのは御免蒙りたいというか、マジで怖いし嫌である。
ともあれ、シンゴがモザイク必至の肉塊になる事態は避けられたわけであるが、差し当たっての問題は――
「なあアリス、そんな落ち込まなくても大丈夫だって。あんな所で突っ立ってた俺とカズが悪いだけで、アリスは何も悪くわねえよ。――ってか、俺が“大丈夫”だってのは、アリスが一番分かってるだろ? だから――ほら」
さらっとカズも巻き込んで同罪扱いしたシンゴは、カズの抗議の視線を黙殺し、アリスの眼前に手を差し出す。アリスは差し出されたシンゴの手に目を見開くと、やがてその顔を覆っていた暗いものを振り払い、「うん」と言ってシンゴの手を握り返した。そして、そのまま引っ張られるようにして立ち上がる。
そんなアリスの明るさの戻った表情を確認すると、シンゴは「――でも、」と首を傾げ、
「なんで魔法の制御をミスったら、アリスが俺に体当たりしてくるなんて事になんだ?」
「……それは、ボクが使ったのが『エンチャント・デ・ウィンド』っていう、“風”を指定した対象に纏わせて、その対象の速度を底上げするっていう魔法を使ったからだよ。――で、速すぎて止まれずに、シンゴに突っ込んじゃったんだ……」
「へえ、風の魔法か。……ん? 確かそのエンチャント何とかって魔法……どっかで聞いた事があるような…………あ」
片眉を上げて首をひねっていたシンゴが、目的の記憶を掘り当てて声を上げる。
そんなシンゴに、いつの間にか隣に居たらしいイレナが「どうしたの?」と聞いてくる。意識外からの突然の声に、シンゴは「うお!」と驚いて飛び退りつつも、カズにチラリと視線をやりながら、「いやな……」と、あまり思い出したくなかった記憶を想起する。
「アリスの使った魔法って、確か俺の首をチョンパした奴が使ってた魔法だった……ような?」
“あいつ”が使った魔法がアリスの使った魔法と本当に同じだったのかに確信が持てず、シンゴの言葉は疑問形になってしまう。
しかし、チョンパなんて可愛い表現をしてみたものの、ようは首を斬られたのだ。なかなか経験できない貴重な体験ではあったが、そもそも、そんな事を自慢したところで誰も羨ましがらないし、引かれるだけである。
「ああ……ヒィースの野郎の事か。確かにアイツが使ってた魔法は、『エンチャント・デ・ウィンド』だ。アリスの使った魔法と同じだな」
同じ事件を経験し、実際に相対したカズが、シンゴと同じような表情で喉に何か突っかかったように答える。
そしてどうやら、カズの証言からヒィースの使っていた魔法とアリスが使用した魔法は同一の模様。
「まあ、確かにアリスには元々馬鹿力があるわけだし、そこに“スピード”が加われば、鬼に金棒みたいなもんだよな」
「む……シンゴ、ボクも一応女の子なんだよ? 馬鹿力とか鬼に金棒は、ちょっとひどくないかい?」
むすっとしたアリスは腕を組むと、シンゴの発言に苦情を申し立てた。
すると、そんなアリスの周りに他の女性陣も集まり、なにやらシンゴが悪者という状況が出来上がった。
まあ、確かに女の子にあの表現はよろしくなかったかなと反省し、シンゴは女性陣の冷ややかな視線に気圧されながらも、謝罪するために口を開こうとしたときだった。
「おーい! 昼食を持ってきたにゃー!」
上階へと通じる階段付近から、なにやら特徴的な語尾をした声が発せられた。
シンゴ達が揃って声のした方を向くと、おそらく今しがた声をかけてきたであろうネコ耳の少女が、こちらに向かって手をブンブン振っている。さらにその少女の隣には、キツネ耳の少女ともう一人――リスだろうか?手にバスケットを携えた、小さな少女がいるのが確認できた。
「もうそんな時間ですか……」
リースはそう呟くと、アリスに向き直る。
「アリスさん、魔法の習得――おめでとうございます。後は練習次第で上手く操れるようになりますよ。――とりあえず、基本となる魔法はお教えしましたが、今後はあなたが自身の“属性”に合った魔法を自ら探し、または誰かから教わってください」
そう言うとリースは、その顔に微笑を覗かせる。
アリスも、リースの言葉に応えるように向き直ると、
「うん、今日はありがとう。リースも――ユネラも」
「と、とんでもないです! 私はなにも……ほとんどリースが教えていたので……!」
アリスの感謝の言葉に、ユネラは残像が見えるほどの速度で手を、さらにその手とは逆に首をブンブンと横に振る。その首の動きに合わせて耳がヒュンヒュン揺れるのをシンゴが目で追っていると、アリスは「そんなことないよ――」と微笑を湛えて首を横に振った。
それでも尚ユネラは、「で、でも……」と困ったように眉を寄せる。そんなユネラの気持ちを表すように、耳が垂れてきた。
「――ほら、ユネラ。素直に受け取っておきなさい」
「リース……」
ポンとユネラの肩に手を置くリースに諭され、やがてユネラは眉を下げながらも笑うと、
「……ど、どういたしまして……」
ぎこちなくではあるが、アリスの感謝を受け入れた。
――しかし何度見ても、メガネを外した『血塗れさん』時と性格がかけ離れすぎていて、シンゴは一体どっちが本当の彼女なのだろうか?と、心の中で首を傾げる。
すると、シンゴ達が喋っているうちに、先ほどの獣人少女達がすぐそこまで近付いてきている事に気付いた。そして、背の低いリス耳の少女が、バスケットを掲げるように顔の前まで持ち上げると、
「はい! 食べやすさ優先で、中身はサンドイッチだよ!」
「飲み物もあるわよ」
「ありがとう。コロネ、キア」
リースがそう言って、バスケットをリス耳の少女――コロネから受け取る。そしてもう一人、飲み物を手渡しているキツネ耳の少女は、どうやらキアというらしい。
このキアという少女は、キリっとした雰囲気のリースと比べて幾分か柔らかく、しかししっかりしてそうな、どこか頼れるお姉さん――といった雰囲気を纏った、獣人の女性だ。
一方、コロネとかいう少女は、近くで見ると益々――
「ちっせえな、お前。服装から見るに『酔いどれ亭』で働いているみたいだけど、初めて見るな……。もしかして、ちっさすぎて見えなかったのか?」
そう言ってシンゴは、女児をあやすつもりでコロネの頭をなでなでする。
一方、突然シンゴに頭を撫でられたコロネは、一瞬ビクっと体を強張らせたが、やがてシンゴの撫で方が上手い事に気付き、気持ちよさそうに表情をニヤつかせる。しかし数秒後、「はっ!?」と言って我に返ると、
「ち……ちっちゃいって二回も言った!? コロネはこう見えても、立派なお姉さんなんだよ!?」
「へえ……じゃあ何歳?」
「――――乙女に年齢を尋ねるのは、常識が無いとコロネは思うなー」
そう言ってシンゴから視線を逸らすコロネ。しかし言う割には、頭を撫でるシンゴの手を払いのけようともしない。すると、そんなコロネを見ていたネコ耳少女が、なにやら羨ましそうな視線を注いできている事にシンゴは気付いた。
ネコ耳少女もシンゴの視線に気付くと、なにやら「――!」といった様子で何か閃いたらしく、手をポンと打ち、その尖った瞳をキラキラと輝かせながらシンゴにズイっと詰め寄ると、
「フィ、フィネルも! もう一方の手で撫でて欲しいにゃ!」
そう言うと、ネコ耳をピコピコ動かしながら、撫でろ!と言わんばかりに頭頂部を突き出してくる。
しかし、その頭部に置かれたのはシンゴの手ではなく――どころか、叩きつけるように炸裂したキアの手刀だった。
「いっ――たいにゃ!? フィネルの邪魔をするのは一体誰――って、キアかにゃ! 何故!?」
今しがたフィネルに手刀を繰り出し、怒涛の勢いで反感を買うキアは、歳に似合わない老成したため息をつくと、フィネルへと半眼を向ける。
「フィネル、あなたはもう少し常識を身に着けて。お願いだから。――コロネもいい加減にしなさいよ?」
「そ、そんな! コロネは特段なにも――」
コロネはしかし、抗議を途中で中断して、キアが半眼でこちら側を指差すというジェスチャーに首を傾げる。やがて、それが意味するのが自分の状況だと理解する。つまり、
「いや〜。まさかこんなに懐かれるとはな〜」
「あわぁ!?」
シンゴのその卓越した撫で技術に、コロネは無意識のうちにより近く、より近くと近付くうちに、いつの間にかシンゴに抱き着く程に密着していた。さらに、どうやら本当に指摘されるまで自分の状況に気付いていなかったらしく、キアに言われて初めて自分の状況に気が付くと、驚きの声を上げながらシンゴから身を離し――反射的にパンチを放った。
「おぅぐッ!!??」
しかし、不運な事に身長差もあって、コロネの鉄拳はシンゴの――というより、男性共通の急所に突き刺さった。
股間を押さえ、この世の終わりみたいな顔でぶっ倒れるシンゴに、その様子を見ていたアリスは冷ややかな目を向けると一言。
「シンゴって、やっぱりロリコンだったんだね……」
「コロネがやらなかったら、あたしが殴ってたわよ! 犯罪者からあの子を守るためにね!」
「死ねばいいと思います――」
アリスに続いてイレナ、ユピアの罵倒。――何か、王女らしからぬレベルの罵倒が聞こえたような気がしたが、今のシンゴには痛みからくる苦しみで届かない。
そして、床を転げまわるシンゴを見て、カズは股間を守るようにそっと両手を添えたのだった――。
――――――――――――――――――――
「そういや“サンドイッチ”って、まんまだよな……?」
「うん。パンで具材を挟むって部分も、まんまだった」
シンゴが先ほど食べたサンドイッチに今さらながらの気付きを口にすると、アリスがそんな反応を返した。
この世界は異世界――シンゴ達の元の世界とは明らかに違っているのは確かなのだが、しかしそれとは別に、シンゴ達の世界の常識が当たり前のようにこの世界に浸透し、生活の一部となっている場面が多々見受けられるのだ。
口が裂けても似ているとは言い切れない二つの世界。しかし、二つの世界の文化が共存しているという本来であれば異様なこの光景に、何故か不思議と違和感が感じられないのだ。
そういった理由もあってか、元の世界と関係あるものが目の前にある――もしくは展開されていたとしても、その事に気付くのが遅れてしまうという現象がシンゴに起きているのだ。
もちろんこの現象はアリスにも起こっており、時折ふと思い出すように、この世界に溶け込んでいる元の世界の文化などが話題に上がるのだ。
そんなわけで、現在二人は遅まきながら“サンドイッチ”について会話しているのだ。
――現在は遅めの昼食を終え、小休憩を取っているところだ。
イレナとユピアは上でお手伝い。カズは行方不明で、ここにはシンゴとアリスしかいない。
ちなみに、リースやユネラ。また、先ほど昼食を運んできてくれたキア、コロネ、フィネルの三人も、アリスが魔法の習得に至ったという事で、今はもう上階に上がって『酔いどれ亭』のウェイトレスとして仕事をしている。
先ほどあの五人が集まることができたのは、ちょうど『酔いどれ亭』の客が空いている時間帯だったかららしい。
「――ってか、ウェイトレスなのにメイド服って……なんかおかしくねえか……?」
彼女達の事を考えていたシンゴが、今さらながらの疑問を口にする。
「……確かにそうだね。……こうなってくると、いるかどうかは分からないけど、本職のメイドさんがどんな格好をしているのか気になるね」
「だよな〜」
すると、アリスが何かに気付いたように「あ」と声を出すと、シンゴにチラリと視線を向ける。
「ねえ、シンゴはメイド喫茶には行った事あるのかい?」
「――なぜに突然?」
「いや、なんとなくだよ」
そんなアリスの質問に、シンゴは眉を寄せながらも答える。
「や、ねえよ。是非とも行ってみたいもんだけど、俺んとこには無かったからな――」
そう言って、シンゴは自分が住んでいた町を脳裏に思い描く。そういえば、こっちの世界に来てから元の世界の事を明確に思い返すのは、久しぶりな気がする。いや、あまり考えないようにしていたという方が正しいだろうか。
別にホームシックになっているとか、そういうのではない。確かに少しはそのような感情があるのは事実だが、シンゴが故郷であるあの町の事を明確に考えないようにしていた理由は、別にある。
その理由とは、故郷を思い返せば必然的に思考が行きついてしまう、“どうやって帰ればいいのか”という問題だ。
イチゴを助け出すのが優先で、帰る方法は後回し。確かにその通りであるが、幾分か現実逃避が入っているのは否めない。
むしろ、“そこ”が一番大変であり、鬼門であろうとも思う。
一体どうやって帰るのか?あの“裂け目”はこの世界の技術等で出現させる事が――もしくは、見つける事はできるのか?いや、そもそも……
――――本当に帰れるのか?
意識して考えまいとしていた事に思考が行きついてしまい、シンゴの心に暗い靄のようなものが立ち込める。それは引くことなく、辿り着いてしまった疑惑を引き金にしてどんどん溢れ出してくる。
無意識のうちに、体を抱くように手で二の腕を掴む。
――――やめろ! 考えるな……考えるな!!
だが、そう念じれば念じるほど、シンゴの中の疑問は大きくなっていく。
ガリガリと内側から音が聞こえてくるような錯覚さえ感じられる程になり、シンゴはこれ以上訪れる未来の事を考えるのが嫌に――
「ボクがメイド服着たら、似合うかな?」
「――――――――へ?」
シンゴの心を蝕む暗雲が、アリスの突飛な一言で吹き飛ぶ。
シンゴは目をパチパチさせながら、アリスを見つめる。
一方アリスはというと、シンゴのそんな反応から聞こえてなかったのかと勘違いしたらしく、「だから――」ともう一度、
「ボクがメイド服着たら……似合うかなって……」
今度は幾分か自信がなさそうに問いかけてくる。そしてそのまま顔を背けるが、返事を待つようにチラチラとシンゴの反応を窺い見てくる。
そんなアリスに、シンゴは思わず――
「可愛い……」
「――! 本当かい?」
「え? あっ、まあ、アリスなら絶対に似合うよ。一家に一台は欲しい。俺は百台でお願いします」
「ふふ、ボクは一人しかいないよ?」
シンゴの冗談に微笑むアリス。しかし、シンゴの方はというと心臓バクバクである。
シンゴの「可愛い」発言は、目の前にいるアリスの態度というか、仕草に対してつい漏れてしまった言葉だったからである。
しかし、我ながら完璧な誤魔化しである。危うく愛の告白と取られて、そのまま振られるとこだった。
「いや、振られんのかよ……!」
「――?」
「あ、いや、独り言アルヨ……」
シンゴのセルフツッコミに反応したアリスへの返答が、若干チャイニーズになってしまったが、アリスは首を傾げながらもこれ以上追及してくる気配はない。
己の危機回避能力を心の中で自画自賛していると、ふと、さっきまでの暗い感情が綺麗に消え去っている事に気付いた。
シンゴはその事に驚き、次いで苦笑する。
アリスのメイド服姿――素晴らしいではないか。ぜひとも「おかえりなさいませ、ご主人様――」を言ってもらいたいものだ。
そんな逆光まぶしい明るい未来に比べれば、たかが時空を超えるくらいどうって事はないと、自分の中で沸いた不安に決着をつける。
シンゴは明るい顔でアリスに向き直ると、
「アリス――ありがとな。メイド服……是非見てみたいわ、俺!」
満面の笑みでサムズアップした。
――――――――――――――――――――
「相変わらず俺には、さっぱり理解できなかったんだけど……」
「ああ、オレもだ……」
あの迷路のような通路を歩きながら、シンゴとカズは女性陣の後ろで疲れた表情を見せる。
休憩も終わり、『酔いどれ亭』の上でお手伝いをしていたユピアとイレナ。そして、どうやら長い便所へと旅立っていたらしいカズが戻ってきたのを合図に、シンゴ達はお世話になった『酔いどれ亭』の面々と挨拶を交わし、帰路に着いた。
そして、あの迷路へと差し掛かった時だった。先導していたイレナが振り向き、腰に手を当ててこんな事を言ってきたのだ。
「さ! そろそろアンタ達も、修道院への道順くらいは覚えておきなさいよ!」
という事で、シンゴとカズ。そしてアリスは、必死こいて頭の中でマッピングしながら歩いていたわけなのだが、当然の事ながら、最初にシンゴが脳みそをオーバーヒートさせて脱落。その後を追うように、カズも「ユリカユリカユリカユリカ――ケタケタケタケタ!」とヤバい壊れ方をして、周りをドン引きさせ――脱落。
「情けないわね、二人共……。アリスを見てみなさいよ! ねえ?」
イレナの主語の抜け落ちた質問にアリスは頷く。
「――うん。問題ないよ」
「ほら!」
確かにアリスは、ポンコツな男性陣に比べ涼しい表情だ。
――まあ、アリスはしょうがない。普通に賢そうだし。しかし――
「お前には言われたくねえよ! 小さいころから遊んでっから覚えてるだけだろ!? たった今、同じ条件で覚えろって言われてもイレナ! お前にも無理だろ!?」
シンゴの逆ギレに近い言い分に、しかしイレナは両手を下に突き出して、同時に片足をダンっと踏み出すと、
「そんな事ないわよ!」
と抗議する。しかし、
「イレナ。嘘はいけないでしょ?」
「ユピ姉!?」
隣のユピアに優しく諭された。
と、そんなこんなしている間に、一同は修道院へと到着する。その後は各々、自由行動という運びとなった。
正直、今からイチゴの情報を集めに行っても、この付近の目ぼしい箇所はあらかた調べてしまった。
可能性を見出すとなると、もっと遠くまで行く必要がある。しかし、今夜はユピアを送り届けるという任務がある。という事で、シンゴが取った行動はというと――
「ケイドロしようぜー!」
子供達を集めると、人差し指を天高く掲げてそんな事を叫んだ。――つまり、遊ぶ事にした。
「ねえ、“けいどろ”って――なに?」
子供達の中から律儀に挙手したリドルが、そんなごもっともな質問をしてくる。
「んーそうだな……」
「“警察”と“泥棒”に分かれて、追いかけっこをするんだ」
「お、アリスもやる?」
子供達への説明に窮するシンゴに、近くで様子を見ていたアリスが助け舟を出してくれる。
「そうだね……。説明がてら、実戦形式で教える役も必要だろうしね」
「なになに? あたしもやるー!」
「何だ? シンゴがまたアホやらかしたのか?」
「一体なにが始まるのですか?」
この騒動を聞きつけたイレナに続いて、カズとユピアもこちらに向かってやってくる。
シンゴはそれを見て、「よし!」と腰に手を当てると、
「みんなでやっか!!」
にかっと笑ってサムズアップした。
――――――――――――――――――――
「逃っげろー!」
イレナの掛け声を皮切りに、子供達が一斉に逃げ出す。一方、シンゴの役割はというと――、
「監視役って……」
捕まった泥棒を逃がさないように見張るという、非常に地味な役回りだった。
ちなみに“警察”の役は、シンゴの他にアリスとカズがいる。子供達以外でじゃんけんした結果である。
「くそ……! 言い出しっぺがこのザマとは……あの時グーを出した俺に本物のグーを味あわせてやりてえ……!」
手袋に覆われた方の手を固く握り締め、わなわなと震えていた時だった。シンゴの前方から、なにやら足音が聞こえてきた。
なるほど、ゲームが始まると同時に、追っ手の裏をかいてスタート地点に戻ってくる。シンゴもよくやった手法だ。
しかし、ここにはシンゴがいる。
シンゴは出番が訪れないものとばかり思っていたため、くすぶっていたやる気を再燃させると、全身にくまなく行き渡らせる。たとえ子供が相手でも、一切容赦しないつもりである。なんとも大人気ない男だった。
そして、シンゴは舌なめずりしながら、のこのこやってきた獲物の姿を確認しようとして目を細めた。――が、次の瞬間には見開いた。
「一人目確保だよ」
「アリスさん!?」
なんと、前方からやってきたのは、傍らに不幸にも捕まってしまったらしい女の子を連れたアリスだった。しかもよく見てみれば、アリスの周りには、なにやら“風”が渦巻いているではないか。
「アリスさん俺より鬼畜ッ!!」
まさか子供相手に魔法を使うとは、同じく子供相手に全力をだそうとしていたシンゴよりも大人気ない――いや、マジで大人気なさすぎる。
「じゃあ後は頼んだよ、シンゴ」
アリスはシンゴに女の子を預けると、気のせいか普段より顔を生き生きとさせながら、文字通り“風”のように駆け出して行った。
どこか子供らしい一面を垣間見せるアリスの後ろ姿を、口を半開きにしながら呆然と見送っていると、シンゴの横からポツリと声がした。
「ほんと……大人気ない女よね……」
「ん……? お前は確か……アンナ!」
「アンリよ!」
シンゴの隣から遠ざかるアリスに向かって毒を吐いたのは、昨夜の食事の席でどろどろの昼ドラ空間をアリスに向かって一方的に展開した、あのアンリとかいう少女だった。
少女の名前を間違えてしまいツッコまれたシンゴは、「まったく……」と言ってそっぽを向くアンリに「わりぃ、わりぃ」と謝りながら、“檻”と指定した位置まで誘導する。
「まあ、あんま落ち込むなよ。この遊びは、捕まっても泥棒の頑張り次第でもう一回シャバの空気が吸えるってとこがキモなんだからよ!」
「……子供相手にシャバなんて言い方……ゲスね、あんた」
「なんですと!?」
シンゴの大きな声に対して、アンリは「ふんっ」と言って顔を背ける。この少女、子供らしからぬ性格をしているというか、さっきから結構毒が強めだ。
腕を組んでつーんとしているアンリを、シンゴが難しい顔で眺めていた時だ。ふと、この少女が何故こんな遊びに参加しているのかと疑問を覚えた。
普通、こういった大人びた――悪く言えば冷めた性格をしている子は、往々にしてこういった馴れ合いを嫌う傾向にあるはずなのだ。シンゴが同じくらいの年齢の際にも、クラスメイトに似たような女の子がいたから、ある程度は分かる。
―――――ん?
そんな事を考えていた時だった。何気なくアンリに目を向けると、やたらと辺りに視線を彷徨わせているのに気が付いた。
最初はシンゴと一緒にいるのが恥ずかしくて、それを誰かに見られるのが嫌なのだろうかと思いショックを受けたが、やがて誰かを探しているのではないだろうかと思い至った。
そして思い返されるのは、昨夜の食卓でのアンリの一連の行動。そこからこの状況を照らし合わせてみると――。
シンゴはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、何気なくアンリとの距離を詰める。しかし、すぐさま距離を取られて泣きそうになるが、諦めず再度近付く。
そんなシンゴを、アンリは迷惑そうに睨み付ける。
ようやく自分に意識を向けられ、シンゴは再びニヤリとした笑みを纏い直すと、さりげなく口を開いた。
「なかなかこねえな、お前の王子様」
「は!? な、だ、誰の事よ!?」
シンゴの一言に対して、アンリの反応はもう大変分かりやすかった。
シンゴはその意地汚い笑みをより一層濃くすると、
「決まってんだろ? リドルくんだよ」
「ど、どうしてリドルが王子しゃま――」
「……今噛んだよな?」
「…………」
アンリはシンゴに背を向けると、だんまりを決め込む。しかし、その耳が真っ赤になっており、図星なのが見え見え。
シンゴはそんなアンリの態度に思わず苦笑すると、その頭にポンと手を置く。
「ちょっ!? なにを――」
「俺はリドルとお前……結構お似合いだと思うぜ?」
「――ほんとに?」
頭上の手を払いのけようと暴れていたアンリだったが、シンゴのそんな言葉を聞いて、手を頭に乗せたままくるっと回ると、顔を赤くしたままシンゴに向き直った。
シンゴは「ああ、ほんとだ」と言って、優しく頷いてやる。
言い訳に聞こえるかもしれないが、別にシンゴはロリコンではない。普通に子供は好きだが、特に少女の扱いは得意――というより、むしろ構ってあげたくなる性分なのだ。これは何故かというと、イチゴの存在が原因である。
両親がいなかった分、イチゴの相手はもっぱらシンゴの役目であった。その影響が如実に出ているのだろう。なにせシンゴは、将来の夢の候補に保育園の先生を選択肢として挙げるほどなのだ。
そんな経緯があってか、無性にこのアンリという少女を応援したくなってきたのだ。
「ほんとのほんとに、私とリドルは……その……お似合い?」
「さっきも言ったろ? 心配しなくても大丈夫だって。――証拠に……ほら」
「え?」
シンゴの視線を追うように、アンリが背後を振り返った。果たしてそこにいたのは――
「ようリドル。囚われのお姫様助けに来るのはいいけど、正面から堂々と来るとはいい度胸じゃねえの?」
「アンリ! 今すぐ助けるからね!」
「リドル……」
アンリはリドルが来てくれるとは思っていなかったのか、その目を大きく見開いている。
しかし、シンゴにも“役割”というものがある。だから――
「さあて、リドル。俺は年下相手でも全力でいくぜ? おかげで近所のガキどもからは『死ねンゴ』なんて罵倒もらって――あれ? 目から汗が……」
シンゴは“汗”を袖で拭うと、「ともかく!」と気を取り直し、カッコつけるようにしてリドルに人差し指でクイ、クイ、と挑発する。
リドルはそれを受け、大きく空気を吸い込むと――
「うわああああああああッ!!」
と叫びながら、真っ直ぐ突っ込んできた。
シンゴはそれを見て、腰を低く落として腕を左右に大きく広げると、急な方向転換にも対応できるように構えを取った。
「しゃあッ! こい!!」
リドルが突っ込んでくる。突っ込んでくる。突っ込んでくる。突っ込――
「――って、ちょ――!?」
リドルの目的に気付くが、もうすでに手遅れだった。
リドルは、わざわざ的を大きくしてしまったシンゴの懐めがけて、思いっきり飛び込んできた。
「ぐおッ!?」
リドルの狙いに気付くのが遅れ、シンゴはタックルをモロにもらってしまう。しかもリドル少年、綺麗に肩から溝内に突っ込んできたようで、シンゴに割と深刻なダメージが発生した。
シンゴは腕の中のリドルを横に投げ出すと、腹を押さえて苦悶の声を漏らす。しかし、すぐさま痛みは消える。――吸血鬼の再生能力だ。
シンゴは白くフラッシュバックする視界に、頭を振りながら身を起こすと、右目を閉じながら首を傾げる。
リドルのシンゴへの特攻。それ自体は、シンゴからしたら不本意ではあるが成功したのだろう。しかし、その行動の“意味”が見出せない。なにせ、シンゴへの体当たりはイコールで“確保”という事になってしまうからである。
ちゃんと事前にルールの説明もしたし、リドルも馬鹿ではなさそうなので、そこんとこは理解しているはずなのだ。なのに、アンリに「助ける」とまで言っておいてこれでは、あまりにも――
「まさか!」
一つの可能性に思い至り、シンゴは慌ててリドルとアンリの姿を確認する。アンリは“檻”の中。リドルも転がった拍子に“檻”の中だ。
二人の姿を確認できた直後だった――。
「行くわよ、ユピ姉!」
「私はアンリを!」
「な――!?」
いつの間に忍び寄っていたのか、イレナとユピアが急に飛び出してきて、最小限のやり取りを交わすと、お互いリドルとアンリの体にタッチしてシンゴの横を駆け抜けていく。
――そう。最初からこれが狙いだったのだ。リドルは囮。まんまと騙されたわけだ。
そして、自由の身となったリドルは、未だ唖然としているアンリに気付くと、咄嗟に駆け寄って手を差し伸べ、
「逃げよう、アンリ!」
「――――ぅ、うん!」
リドルに手を引かれ立ち上がると、そのままアンリは走り去っていった。
「…………」
そのままの状態でシンゴが固まっていると、やがて男の子を一人捕まえた様子のアリスが、別の方向から帰ってきた。
そして、へたれこんだままのシンゴと、誰もいない“檻”の中を見て、おおよその事情を察する。そして苦笑すると、
「――変わろうかい? シンゴ」
「――ああ、俺が『死ねンゴ』の本領を遺憾なく発揮して、悪い“泥棒”さん達を御用してやるぜ……」
ゆらりと起き上がるシンゴの顔を見て、アリスに捕まった男の子が「ひぃ!?」と顔を引きつらせた。
「ほどほどにね……?」
アリスの言葉を受け、シンゴは「ああ――」と答えると、クラウチングスタートの体勢を取る。そして――
「さあ……楽しい“狩り”の始まりだあッ!!!!」
――と駆け出したはいいが、日が暮れるまでシンゴは一人も捕まえる事はできなかった。




