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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第2章 王都トランセル
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第2章:6 『酔いどれ亭』

「あの、これ」


 だぼだぼの修道服を着たメガネの女性が、シンゴにすっかり穴が縫われて元通りになった制服と、中に着る新しい服を手渡してきた。シンゴはお礼を言ってそれを受け取ると、早速制服に袖を通す。


 今は昼食も終わり、その後の皿洗い等の手伝いも終わらして、椅子に座って淹れてもらったお茶のような飲み物で休憩していたところだ。

 昼食には、これまたシンゴが見たことない食べ物が並んだ。知っているのはせいぜいパンくらいだった。


「まさか、こんなところで裸エプロン体験をすることになろうとはな……」


 シンゴは上半身裸で昼食をとった後、昼食のお礼にと皿洗いの手伝いを申し出たところ、この眼前のメガネの女性に笑顔でエプロンを手渡されたのだ。平素なら全力で断るところだが、この女性の無邪気で、自分の行動を一切疑っていない目とあの笑顔を見たとあっては、無下に断ることができなかった。


 仕方なく人生初、誰得な上半身限定の裸エプロンで台所に立つシンゴの変態的な後ろ姿を見て、イレナと子供たちが腹を抱えて笑い転げ回り始めたときは、シンゴは心の中で「ここは普通、お前の役目だろ!」とイレナに吠えたものだ。もちろんその後、アネラスに拳骨をもらっていた。


 しかし下手人がこの女性――名をアルネというらしい――だと分かると、アネラスは渋い顔をして注意するにとどめた。イレナから聞くに、このアルネとかいう金髪メガネの女性は、最近この修道院兼、孤児院で働き始めた新米さんだそうだ。そして、超が付くほどのドジっ子属性の持ち主だという。


 しかし、明らかに無能そうなこのアルネ。実は、おっちょこちょいなところを除けば、他の事に関しては超有能らしい。シンゴが先ほど頂いた昼食も、このアルネが作ったそうだ。正直、味はとてつもなく美味かった。カズには悪いが、月とすっぽんとは正にこのことかと思わせるほどの腕だった。


 この修道院には、いわゆるシスターのような立ち位置の人がもう一人いる。名をコネリアといって、アネラスよりは幾分か若いくらいの小太りで、見た感じ優しそうな初老の女性だ。そして話してみたところ、見た目に違わず優しかった。

 以上の三名でアネラスをトップに、このバレンシール修道院を経営しているそうだ。


 すると、口をつけた飲み物が思ったより苦くて顔をしかめていたシンゴに、アネラスが爪楊枝のような棒で歯をしーしーしながら、こんな提案をしてきた。


「アンタ、ちょっとイレナと一緒に買い出しに行ってきてくれないかね?」


「俺が……?」


「タダ飯食らいは感心しないさね」


「……昼飯はイレナの件のお詫びみたいなもんだったんじゃ……?」


「それとこれとは、話が別さね」


 一体、何がそれとこれなのだろうか……。シンゴの中でアネラスの好感度が地面にめり込み始めたところで、アネラスは「ついでに……」と片目を閉じてニヤリと笑う。


「“あそこ”にも寄ってくるといいさね」


「…………どこに?」



――――――――――――――――――――



 ざわざわと人が目の前に行き交うのを、シンゴはぼーとしながら眺めていた。

 現在シンゴは、食糧品が無数に並ぶ市場のようなところに来ている。そんなシンゴの後ろでは、イレナが店主のおっちゃんと野菜らしき物の値切り交渉で白熱していた。


 ここに来るまでにシンゴはイレナにお願いして、この都市の中心部である中央広場に寄ってきた。気絶してから時間がある程度経っているとはいえ、もしかしたらカズとアリスがシンゴを探してうろついていないかと期待してのことだったのだが、探せど探せど、二人の姿を見つけることはできなかった。


 人が多くて見落としている可能性もあったかもしれないが、アリスの白い髪はこの世界の住人の中でも珍しい。だからよく目立つはずなので、見つからないということは、二人がシンゴの捜索範囲を別の場所に移した可能性が考えられる。まさか、探されていないのでないだろうかとネガティブになるが、二人に限ってそれはないだろう。きっとないだろう……たぶん。


 ともあれ、骨折り損だったことには変わりなく、現在もシンゴの迷子状態は継続中である。当初は、向こうの二人が迷子になったのであって、自分は迷子にはなっていない!という、責任転嫁という名のポジティブ思考で物事を考えてみたのだが、やはりどう考えても人数的に、そしてはぐれたのもシンゴの方だということで、やはり迷子なのは自分なのだと思考が帰結して、現在絶賛ブルーなのだ。


「いつまで落ち込んでんのよ! はい、これ持って!」


 シンゴが何度目とも知れぬため息をついたところで、イレナが野菜の入った袋を手渡してきた。そんなイレナの笑顔の後ろでは、どうやら相当値切られたらしい店主が複雑そうな顔をしながら、こっちに向かってしっしっと手を振っている。


 シンゴはとりあえず店主のおっちゃんに手を振り返してから、野菜の袋を受け取り、市場をイレナと共に歩き出した。

 シンゴの手には今、野菜の袋以外にもいくつか食糧品や生活用品等が入れられた袋が握られている。


 今しがた渡された野菜の袋で、既にシンゴの最大許容重量をオーバーしつつある。これをいざ修道院まで持って帰るとなると、後日の筋肉痛は約束されたようなものだ。

 そして、鼻歌を歌いながらシンゴの前を歩いているイレナの手にも、いくつかの荷物が握られたり抱えられていたりしており、その総重量はシンゴのものをゆうに超えている。


 しかし、イレナに疲れた様子は一切見られず、むしろシンゴの持っている荷物を全部渡しても全然いけるのではないと思わせるほどの余裕ぶりである。

 この世界の住人は姿形等が同じでも、シンゴの元の世界の住人とはそもそも体のつくりが違うのではないかと思わされる。


 そういえば、魔法の力を借りていたとはいえ、崖から紐なしバンジーかました挙句、空中でアリスと人外バトルを繰り広げたヒィースも今思えばシンゴたちの世界の常識からしたら少し、いやかなり逸脱しているとも思える。それとも、やはりそれ程までに魔法という力が凄まじいのだろうか。なら、やはり……。


 シンゴが思考にふけっていると、急に立ち止まったイレナに気付かずぶつかりそうになる。

 見ると、イレナはとある店の一つの前で足を止めていた。シンゴも続いてその店を見る。


「…………酔いどれ亭……?」


 見上げた先に掲げられていた看板には、シンゴの見知った字――漢字と平仮名で『酔いどれ亭』と書かれていた。

 今更そこまで驚かないが、やはりこの世界で使われている『字』もシンゴの元居た世界と一緒のようだ。


 しかし、一体なぜイレナはこんなところで足を止めたのだろうと、シンゴは疑問を覚える。まさか、酒の買い出しでも頼まれていたのだろうかとシンゴは考えるが、ふとアネラスがシンゴに言っていた言葉を思い出した。


「もしかして、“あそこ”って……ここのことか?」


「そうよ、ここ酔いどれ亭はマザーの知り合いが経営してるの! ここには色んなところから来た人が立ち寄るから、シンゴの妹さんのこととか、お仲間のことについても何か分かるかもって、マザーが言ってたよ!」


「そういうこと……な」


 シンゴがこの王都に訪れた理由は既にアネラスやイレナ、他二人のシスターにも、異世界出身だという部分だけぼかして話してある。正直、イレナだけなら素直に信じそうなものだが、他の人はそうはいくまい。いちいち説明するのがめんどくさいというのもあったが、異世界出身であることを明かす理由も特に無かったので、出身地は無難に東の方ということにしておいた。


 そして、カランとベルを鳴らしながら木製のドアを開いて中に入るイレナに続いて、シンゴもドアをくぐる。すると、うるさい程の喧騒がシンゴを出迎えた。

 中の席はどこも満席で、既に出来上がっている様子の客で溢れかえっていた。


 甲冑を身に付け武器を携えた強面の男たちや、何かの作業着を着た者たちもいれば、何やら一人でやけ酒をする女に、フードで顔を隠した見るからに怪しそうな者まで色んな客がいる。


「――――なん……だと……?」


 その光景にただただ圧倒されるしかなかったシンゴは、ふと、決して見過ごせないものを視界の端に捉えてしまった。それは、店内をせわしなく駆け回り、客の注文をとったり酒や料理を運んだりと忙しい様子の、いわゆる“メイド”のような姿をした少女たちだった。


 そこまでなら、シンゴは別にそれほど驚くことはなかっただろう。元居た世界でも、メイド喫茶なんかも存在しているし、メイドという存在自体はそこまで珍しくない。目的というか、趣旨が違う気がするが、ここはメイドの格好をしたウェイトレス達が働くところなのだろう。しかし、問題はそこではない。問題は少女たちの“頭上”にある。


 “耳”が生えていた。


 少女たちの頭上からは、獣のような耳がぴょこんと生えており、少女たちの移動に合わせて上下に揺れている。

 シンゴは目をこすり、改めて瞼をガン開きにして見直してみるが、いくら穴が空くほど凝視しても耳は彼女たちの頭上にあり、飾り物かもと疑うが、立ち止まった状態でも音を拾うように色んな方向に向いたりしている。


 シンゴは衝撃に打ち震えながら、目の前の光景にようやく理解する。そう、これは――


「……はは、ケモ耳っ娘だ!」


 イヌ耳、ネコ耳、ウサギ耳とバリエーションも豊富なそれらを見て、シンゴは溢れ出す感情に抗え切れず、だばーと涙を滝のように流した。横ではイレナが、シンゴの奇行を見て口をあんぐりと開けて固まっているが、今のシンゴにはそんなことなどどうでもいい。


 迷子から来ていたブルーな気持ちはどこへやら、シンゴの脳内は子供が初めて遊園地に連れてきてもらったときのように、幸せと感動で塗りつぶされていた。

 すると、シンゴの目の前を一人のイヌ耳少女が通りかかった。


 イヌ耳少女はシンゴの顔を見ると「ひっ」と一瞬顔を引きつらせるが、すぐさま営業スマイルで動揺を塗りつぶすと、「いらっしゃいませ」とお辞儀をした。

 目の前を通過する耳に目を奪われながら、シンゴは少女に一言だけ告げた。


「握手してください!!」


 イヌ耳少女は笑顔を引きつらせながらも、シンゴの握手に応じてくれた。



――――――――――――――――――――



「やっべーわーまじぱねーわー」


「ちょっとあんた……ほんとに大丈夫なの?」


 うわ言のようにそう繰り返すシンゴに、イレナが奇妙なものを見る目で声をかけてくる。

 今は、イヌ耳少女の手を一向に放そうとしなかったシンゴにイレナの手刀が炸裂し、そのまま引きずられるようにしてカウンター席まで連れてこられたところだ。


 シンゴはイレナに振り向くと、その顔をじっと見つめる。

 イレナは若干引きつつ、「な、何よ……?」と言葉を紡ぐが、声が裏返っている。

 シンゴは次いで、両手を眼前にわなわなさせながら持ってくると、一言。


「俺、この左手一生洗わねえわ……」


「汚なッ!」


「俺、この手袋、家宝にして子々孫々受け継ぐわ……」


「重ッ!」


 シンゴはそう心に決めると、再度ケモ耳少女たちに視線を向け、イレナに質問する。


「あの子たちは……?」


「獣人のこと?」


「やっぱり獣人なのか!?」


「そ、そうだけど――て近い近い!!」


 「獣人」の部分でイレナにぐいっと顔を寄せたシンゴの顔面を、イレナが両手でぐいぐい押し返しながら肯定する。

 それを受け、シンゴは「そうか〜!」と言って元の体勢に戻る。


 完全に失念していたが、ファンタジーといえば獣人だ。それも全員が全員美少女ときた。ここは一体なんて天国だろうか……。

 この事知ったら前田の奴、血涙流しながら悔しがるだろうなぁとシンゴが考えていると、カウンターの奥から頭を殴られたかのような衝撃が――いや、声が飛んできた。


「イレナじゃないかい!!」


 この喧騒を押しのけて耳に届くほどの声量に、シンゴはほくほく気分一転、飛び上がるようにして驚きながら声のした方を見る。そこには、フライパンを片手に持った巨大なおばさんが立っていた。


「おばちゃん!」


「イレナ〜!」


 立ち上がり、イレナは巨女と抱擁を交わした。イレナの体はその巨体に埋もれて、そのまま胴体をへし折られるのではないかとハラハラさせられる光景となっている。

 もちろんそんなサバ折り事件など起こることはなく、二人は抱擁を解くと、巨女は次にシンゴに視線を向けてきた。


 その巨体から来る威圧感に、シンゴは頬を引きつらせながら片手を上げ「は、はろ〜」と挨拶する。

 巨女は眉を寄せると、イレナに「誰だいこのガキンチョは?」と訊く。するとイレナは「う〜んと……」と一瞬悩む素振りを見せると、ぽんと手を打ち笑顔で言った。


「あたしの新しい弟!」


「「無理があるだろ!?」」


 二人の突っ込みに、イレナは目をキョトンとさせている。確かに、シンゴとイレナの関係を一言で表そうとすると少し難しいものがあるが、ここはせめて、友達とかの辺りが真っ先に浮かんでもいいはずなのだが、この少女はどうやら常人とは違う思考回路をしているらしい。


「はぁ……俺はキサラギシンゴって言います。ちょっと訳あって、イレナのとこの修道院に厄介になってるだけですよ。まあ、知り合い以上友達未満って関係ですかね」


「そう! あたしもそう言おうと思ってたのよ!」


「さよですか……」


 都合のいいイレナにシンゴが嘆息していると、巨女が小指を一本上に突き出してイレナに問いかける。


「イレナの“これ”じゃないのかい?」


「あはは〜おばさんも冗談きついよ〜」


「何か解せねえ……!」


 ひどく男のプライドが傷つけられた気がして、シンゴは何とも釈然としない気分にさせられる。

 すると、何か思い出したらしいイレナが巨女に向けて声を発した。


「そういえば、マザーがシンゴに情報提供してやってくれって言ってた!」


「いや、それを先に言えよというか忘れるなよ!」


 あはは〜といった様子で頭を掻くイレナに、シンゴはため息を一つ吐く。

 そんなやり取りを見ながら、巨女は「なるほど、アネラスから……」と何か納得してくれた様子。するとそのまま手を叩き、シンゴに向かってその巨大な手を差し出した。


「わたしゃ、シモア。ここ『酔いどれ亭』の店主だよ!」


 そう言って豪快に笑うのだった。


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