第2章:5 『バレンシール修道院/孤児院』
1万文字超えちゃいました。読みにくかったらすいません!
何か、ものすごい圧を感じる。シンゴが最初に感じたのは、そんな感想だった。
体は何か温かく、柔らかいモノに包まれているのが分かる。おそらく、自分は何かしらベッドにでも横たわっているのだろうと判断する。
うめき声を一つ上げると、シンゴに向けて放たれていた圧がさざ波のように変化した。
シンゴはその圧の正体を確かめるべく、ゆっくりと目を開いた。果たしてそこには、シンゴを上からぐるっと囲むようにして見下ろす、子供たちの顔が並んでいた。
「…………え?」
シンゴが目を覚ましたのを確認した瞬間、視界から子供たちの顔が示し合わせたかのようにばっと引っ込んだ。次にどたどたと足音が響き、ドアの開閉音。
遠ざかっていく足音を聞きながら、シンゴはゆっくりと体を起こした。そこは見知らぬ場所で、やはりシンゴはベッドに寝かされていたようだ。というか、
「このパターン、また気絶したのか……俺」
一体これで何度目だろうと嘆息して頭をぽりぽりと掻くと、シンゴは辺りを見渡した。
シンゴが現在寝かされている部屋は木がベースのつくりで、どこか安心感を与えてくれる印象だ。広さは四畳半……いや、もう少し広いくらいだろうか。
自分の体を見下ろしてみると、上半身だけ裸だ。シンゴは、はっとして己の背中に手を当ててみるが、もちろんそこには何もなく、ましてや剣での切り傷なども存在していなかった。そして、徐々に思い出される記憶。目覚めてすぐは状況が分からず、次第に記憶が蘇ってくるのも慣れっこになってきた。
「……できれば、慣れたくはなかったけどな……」
そうこうしているうちに、シンゴは気を失う前のことをようやく全て思い出した。たしかシンゴは、アリス、カズとはぐれてしまい、王都の中心部を目指そうと迷路のような路地をさまよっていたところ、妙な逃走劇に巻き込まれたのだ。
その後なんやかんやあって背中に傷を負い、痛みに顔をしかめながら後ろを振り向いたところ、急に頭をぐいっと横に引っ張られ脳天に衝撃。そこから記憶は一切ない。
シンゴが現在こうして無事でいるところを見るに、痛みで回る視界の端で捉えた男たちが逃走していく姿は、どうやら幻覚ではなかったようだ。
しかし、そこからこんな場所に気絶したシンゴが移動できるとは思えない。ということは、運んだのはシンゴを巻き込んでくれたあの――
「あ、目、覚めたんだ!」
そんな声に顔を上げると、先ほどの子供たちが飛び出していったときに開けっ放しになっていたドアの近くに、少女が一人、腰に手を当てて立っていた。
茶色の髪をツインテールに纏め、その生き生きとしたシンゴを見る目は、澄んだ水を思わせる碧眼。朱色の短いズボンを履き、その下には膝上までの黒いスパッツ。そして、そのズボンに突っ込むようにして白いシャツを入れ、黒い革のベルトで固定。シャツの上にはズボンと同じ色の半袖の服を、前を合わせずに着ている。
そう、この少女だ。シンゴを強制的――というか、勘違いで厄介事に巻き込んだのは。
そして、おそらく気を失ったシンゴをここまで運んだのも、この少女だろう。
「おかげさまで、な。誰かさんのおかげでぐっすり眠れたよ」
「うぅ……わ、悪かったわよ。でも、紛らわしい後退の仕方をしてたあんたもどうかなって思うんだけど……へっぴり腰で」
「うぐっ……」
肩をすくめて皮肉でジャブを打ったところダメージは与えられたが、カウンターで右ストレートが飛んできた。確かにあの時は、抜き身の剣を見て少々トラウマがフラッシュバックしてしまい、及び腰になってしまっていたのは……認めたくないが事実だ。
それに比べ、この少女はシンゴの身を案じてあのような行動を取ってくれたわけで、そのことにシンゴは感謝ではなく皮肉と不満で答えている……と。なるほど、少し冷静になってみると、シンゴの方が少しばかり分が悪い。
「――はぁ……。まあ、巻き込んだ俺を助けてくれたんだし、これでおあいこってことで手打ちにするか」
「そ、そうよね! 確かにあたしが助けなければ、あんた危なかったんだし!」
「なんでちょっと上からなんだよ……」
それに、危ないという意味は傷のことを言っているのだろうか。どちらかといえば、シンゴはあの場に置き去りにされなくてよかったという面での危なかったの捉え方だ。というか、この少女は知っているのだろうか……いや、おそらく知ってしまっているのであろう。
「あの……さ、俺の傷なんだけど……」
シンゴがそう切り出すと、少女の方もそれを受け「そうだ……!」と手を打つ。やはりシンゴの吸血鬼体質は見られていたようだ。正直、この王都で吸血鬼という存在は、あまりよろしくない印象を持たれている様子。もし通報でもされれば、シンゴに抗う手段はない。
――――どうする……?
少女の出方次第によっては、一刻も早くここから脱出しなければならない。
そして、少女の口が開かれる。シンゴも身構える――が、
「あんた、すんごく傷の治りが速いのね。びっくりしたわ! 一体どんな魔法?」
「…………は?」
予想外すぎた少女の言葉に、シンゴの警戒レベルは底を突き抜け、素っ頓狂な声を上げてしまった。そんなシンゴの様子になどお構いなしで、少女は続ける。
「属性魔法にあんなのあるって聞いたことないし、特殊魔法の一種かしら?」
「…………え、と……魔法……?」
「? そうじゃないの? じゃあ、体質?」
どうやらこの少女は本気で言っているようだ。そして今の質問に答えるならば、おそらくシンゴは後者だろうか。
「体質……だと思う」
変に勘ぐりされないように、シンゴはとりあえず自分の異常な回復力に仮の答えを与えて、少女に提示してみる。魔法についてはよく知らないし、質問されればボロが出る可能性が高いのに対して、体質ならば詳しくは知らなくとも“そういうもの”で押し通すことができるだろうと考えての返答だった。
そんなシンゴの無い頭でひねり出した策は、「へえ」という少女の呆気ない返事で、どうやら承認された様子。正直、もっと駆け引きでも展開されるのかと身構えていた分、拍子抜けするシンゴだった。
すると、少女は思い出したかのように「そうだ!」と声を上げると、シンゴに歩み寄って、手袋がはめられたままだった方の右手首をがしっと掴むと、笑みを浮かべて言った。
「マザーが呼んでるから、来て!」
――――――――――――――――――――
「おや、目が覚めたかい」
シンゴが少女に腕を引っ張られて連れてこられたのは、大きな木製の長机が置かれた広い場所――日本で言うところのリビングのようなところだった。ここには階段を下りてやってきている。つまり、シンゴが居た部屋は二階だったようだ。
そして、今しがたシンゴに声をかけてきた人物は、いわゆる修道服のようなものを着た年老いた女性だった。しかしその表情はキリっと引き締められていて、老いを感じさせない厳格そうな雰囲気を纏っている。
「あ、はい。おかげさまで……」
そしてそんな雰囲気からか、シンゴの態度も固くなり、返事も仰々しいものになってしまう。すると、その女性は厳格そうな表情を崩してシンゴに微笑みかけると、こう言った。
「そんなに畏まらなくても大丈夫さね。さ、その辺に座っておくれ」
厳格そうな印象はどこへやら、相好を崩した女性の印象は優しそうなおばあさんのそれになっていた。やはり先ほどのような雰囲気より、シンゴはこちらの方がありがたい。どこか学校の教師のような印象を感じてしまうからだ。
シンゴは女性の言葉を受けると「あ、はい」と返事して、近くにあった椅子を引くとそこに腰を下ろした。シンゴをここまで連れてきた少女も、当然といった様子でシンゴの隣に腰を下ろす。一瞬、女性の表情が先ほどの厳格さを纏い直して少女を一瞥したが、すぐにその雰囲気は霧散する。
「まずは……自己紹介さね。私はアネラス・バレンシール。ここ、バレンシール修道院の経営者だよ」
「修道院……?」
「そう。それと、ここは修道院であると同時に孤児院も兼ねているさね」
「じゃあ……さっきの子供たちは……」
「そう、孤児さ」
――孤児。シンゴの住んでいた日本では、日常生活を送っている分にはあまり聞かない言葉だ。もちろん、日本に孤児が存在しないなんてことはないだろうが、それでも海外の多いところと比べると少ないはずだ。
そして、修道院が孤児院を兼ねていたり、併設されていたりするというのも聞いたことがある。詳しくはよく知らないが、やはり異世界にも子を捨てる親が存在し、それを預かり育てる施設も存在したのだ。
黙ってしまっていたことに気付き、シンゴも慌てて自己紹介をする。
「俺は、キサラギシンゴって言います」
「ほう、変わった名前だね」
「え、と……よく言われます」
「へえ、あんた、シンゴっていうんだ!」
シンゴの自己紹介を横で聞いていた少女が口を開くが、そういえばこの少女の名前をいまだに聞いていなかったことをシンゴは思い出した。ついでだ、この流れで聞いておこうと考える。
「そういうお前の名前は?」
「あれ、言ってなかったっけ? あたしはイレナ。イレナ・バレンシールよ。ちなみにあたしも孤児よ!」
「そ、そうすか……」
笑顔で孤児ですと言われても、正直反応に困ってしまう。すると、そんなイレナを叱るように、アネラスが鋭い声を飛ばす。
「イレナ! あんたって子は……キサラギさんが困ってるじゃないか!」
「で、でもマザー……」
「何さね?」
「…………なんでもありませーん」
唇を尖らせて拗ねるイレナだったが、間に挟まれてアネラスの怒声を間接的に浴びることになったシンゴからしたら、とんだ迷惑である。しかし、そんなシンゴの気持ちなどよそに、どうやら火が着いてしまった様子のアネラスの叱責は続く。
「何さねその態度は? それになんだい、キサラギさんが怪我を負うことになったのは、アンタの勘違いが発端だったって言うじゃないかい?」
「だって……腰が抜けてるように見えたんだもん……」
「言い訳は聞きたきゃないよ! そもそも、どうして騎士見習いどもに追われてたのか、まだあたしゃ聞いちゃいないよ?」
「……だってあいつら、バレンシール修道院のこと馬鹿にしたんだもん! 真似するな〜とか言って! 何も真似してなんかないのにッ!」
イレナの言葉を受けたアネラスは一瞬だけ押し黙ると「はあ、アンタって子は……」とクールダウンしてくれた様子。一方イレナの方はというと、その時のことでも思い出したのか、頬をぷっくりと膨らませてご機嫌ナナメ。
「お見苦しいとこをお見せしたね……その馬鹿娘のせいで厄介事に巻き込んでしまい、大変申し訳ない」
「い、いえ! 俺の方も紛らわしかったのは確かなんで……!」
「そう言ってもらえると助かるよ……ほら、イレナも謝りな!」
アネラスに頭を下げられて、あまり人に頭を下げられるのに慣れていないシンゴは挙動不審になってしまう。そして、アネラスに話を振られたイレナは「さっき謝ったのに……」と言いつつも、アネラスには逆らえないらしくシンゴに改めて謝罪する。
こちらもシンゴは「いいってもう……」といった感じで、たじたじになって応じる。
とりあえず、お互いの気が済んだ――主にシンゴ以外――ところで、アネラスがシンゴにこんなことを切り出してきた。
「ところで、キサラギさん。アンタ、剣で負った傷が瞬く間に治ったとイレナから聞いたんだがね。……その手袋、目覚めるまではそのままにしておこうと思っていたんだが……目が覚めた今、ぜひ、その下を見せてもらえないかね?」
「…………ッ!」
いきなり核心を突いてこられて、シンゴはつい息を呑む。イレナの方は「?」といった様子なので、おそらくシンゴの体質が吸血鬼のものだとは理解していないのだろう。もしかしたら、吸血鬼自体知らないのかもしれない。しかし、アネラスは違うようだ。その目は鋭く細められ、シンゴに視線を縫い付けている。
しかし、検問は通過できたのだ。なら、特段気に病むことではないのだろうとも思う。思うのだが、もし敵意を向けられることがあれば、相手が老人だろうとシンゴでは勝てる保証はどこにもない。この世界には、魔法や魔物なんてものが存在するのだ。相手を見かけで判断すると痛い目に合うだろう。
シンゴはアネラスから視線を外せないまま、右手の手袋をそっと脱いだ。そしてアネラスの眼前に手の甲を上にして差し出す。アネラスはシンゴの右手の痣を見ると、片方の眉をピクリと反応させる。しばしそのまま固まっていたが、次にその細められた目をシンゴの瞳に向ける。
「目を見せな……もちろん紅くして、だよ」
「…………」
そこまで知られているのであれば、今更隠し立てする必要もない――どころか、変に怪しまれるのは避けたほうがいいだろう。もうすでに十分に怪しまれている感じがするが……。
シンゴはそう判断すると、右の瞳を紅くさせる。アネラスはその変化を見て片眉を上げ、次いで目を見開いた。
「…………こりゃ驚いたね、片方だけとは。……ズバリ聞くけどね、アンタは本当に吸血鬼なのかい?」
「え!? シンゴが吸血鬼!? うわほんとだ、目、紅い……!」
「アンタは黙っとき」
シンゴの目を覗き込んで驚くイレナに、アネラスの叱責が飛ぶ。有無を言わせないその声に、イレナも渋々といった様子で押し黙る。イレナはどうやら、吸血鬼の存在自体は知っているようだ。確かに思い出してみれば、シンゴはその瞳をイレナに見せるのは今が初だったように思える。
そして、シンゴはアネラスの質問にはどう答えるのが正解なのかと考える。ここで変に嘘をつけば、シンゴより吸血鬼関係の情報にも精通していそうなアネラスには簡単に見破られる可能性もある。しかし本当のことを言っても信じてもらえるだろうか。その星屑とかいう連中に関しても、シンゴはほとんど何も知らない。
信じてもらえるかは別にして、とりあえず敵意は無いという事だけは正直に話しておこうとシンゴは判断する。が、いざ話そうとしてみるも、アネラスの眼光に気圧されてしまってなかなか上手く切り出せない。しかしアネラスは、そんなシンゴが口を開くのを微動だにせず待っている。
そんなアネラスの態度を見て、シンゴも腹を決めた。ズボンをぎゅっと握り締めると、シンゴは話し始めた。
「……まず、俺はその星屑とかいう奴らとは関係ないです。……というか、俺はついこの間までは普通の人間でした」
「…………ほう……で、その痣は?」
「これも俺が吸血鬼になった時に、いつの間にかあったんです。といっても、その吸血鬼っていう存在にも俺は上手く成りきれずで、中途半端な状態なんです……」
「…………ふむ」
シンゴの告白を聞き終えると、アネラスは腕を組んで目を瞑り、黙り込んでしまう。
緊張感に包まれる場に、アネラスの言いつけ通り黙ったままだったイレナと、シンゴのごくりと唾を飲む音だけが響く。すると――、
「ん、キサラギさん。やはり、アンタは連中たちとは違うようさね」
アネラスはそう言うと、纏っていた緊張感を解いた。それを聞き、シンゴ――となぜかイレナまで大きくため息をついて、強ばった体を弛緩させた。そしてふと、アネラスの言葉に妙な違和感を覚えて、シンゴは「ん?」と顔を上げてアネラスを見る。
アネラスの表情はすでに優しいおばあさんのそれになっていて、シンゴの言葉を待ってくれているようにも見えた。なので、シンゴは聞こうかどうか一瞬迷った質問を思い切って切り出した。
「アネラスさん、“やはり”って……?」
「ん? ああ、そのことさね……なに、最初からアンタが連中の仲間だなんて、これぽっちも疑ってなかったってことさね」
「「…………は?」」
シンゴとイレナの口がパカリと開き、同じ音を発した。それもそうだ。さっきまであんなに鬼気迫る雰囲気で尋問していたのに、いざ終わってみれば、そんなの最初から知ってました――では、なんとも腑に落ちない。
そんな二人の間抜け顔を見てアネラスは苦笑すると、「理由は簡単さね」と話し始めた。
「まず連中、星屑たちは強い。これが大前提さね。それに対してアンタは、見習いの騎士どもに録に反撃もできず、終いにゃ頭に物をぶつけて気絶ときた……警戒しろって方が難しいさね」
「…………」
結果的にはシンゴの無実というか、敵意がないことは証明されたようだが、その根拠に素直に喜べるかといえばまた話は別だ。そんなシンゴの苦虫を噛み潰したような表情を見て、アネラスはケラケラと笑う。
「…………じゃあ、何であんな圧迫面接したんですか……?」
ツボに入ってしまったらしいアネラスが腹を抱えて笑い、苦しみのあまりむせ始めたところでさすがにシンゴもイラっときて、青筋を浮かばせながら問いかけた。あれでは何か非常に損してしまった気分にさせられる。
ゴホゴホと咳をしながら、ようやく落ち着いてきた様子のアネラスが、シンゴの質問に口を開く。
「――はぁ……これでも一応、あたしゃここの責任者さ。子供たちに危険が及ばないようアンタが危ない性格、思想なんかを持ってないか最終確認をしただけさね」
そう言われてしまえば、シンゴには特に何も言い返すことができない。このババア、意外と頭も切れるようだ……。
そんなシンゴの心の内が顔に出てしまっていたのか、アネラスから『怒』のプレッシャーが放たれた気がしたので、シンゴはイレナに話を振って誤魔化すことにした。
「そ、そういや、イレナは何であんな奴らに追われてたんだ……?」
「あいつらが変ないちゃもん付けてきたから、そいつの顔面殴ってやったの――で、ああなったわけ!」
「なるほど……じゃねえよ!? いきなり殴ったのかよ!?」
「もちろん!」
そう言ってドヤ顔で力こぶを作ってみせるイレナに、シンゴは頭痛がしてきたような気がして天井を仰いで目頭を揉む。後ろでは深いため息をつきながら、アネラスもシンゴと同じ動作を取っていた。どうやらこの少女のことに対しては、アネラスとは気が合うようだ。正直、全然嬉しくない。
「それにしてもあんた……吸血鬼だったんだ。どおりであんなにすぐ傷が治ったわけね。……でも、何で片目しか紅くなんないの?」
「いや、正直そこは俺もよく分かんね。さっきも言ったけど、俺が中途半端だからかなって推測してるんだけど、確証はないんだよな……」
「へえ」
「へえ、て…………」
イレナの反応にシンゴはうんざりしながら、手袋をはめ直した。そして考える。この痣は一体何なのだろうかと。星屑とか言う奴らにもこのような痣があるのだろうか。だとしたら、とんだ迷惑だ。この世界にいる間はこの手袋は手放せそうにない。
シンゴは心の奥で、この手袋をくれた検問のおっちゃんに感謝する。
そして一応の確認で、シンゴはアネラスに痣のことについても質問してみることにした。
シンゴは手袋をはめ直した右手を目の前でプラプラさせながら口を開く。
「なあ、アネラスさん。俺の手の痣って、そんなにその……星屑とか言う奴らの痣と似てんの……?」
そんなシンゴの質問を聞き、アネラスは表情を引き締めると、その首を“横”に振った。つまり、否であると……。
「は、はあ?」
「確かに、あいつらにも体のどこかに決まった痣がある。しかしそれはアンタの痣とは別物さね。……そもそも、星屑の連中について現在で判明していることは、結構少なくてねぇ……」
柳眉を下げて困ったように言うアネラス。しかしその少ない情報ですら、シンゴはほとんど知らない。この際だ、聞けることは聞いておこうとシンゴは考える。
「実は俺も、星屑たちのことに関しては知識が全然ないんで……できれば知っていること、教えてくれませんかね……?」
「…………いいさね、話してやるさ。……星屑っていうのは、吸血鬼の集団さね。そして、体のどこかに奴ら特有の痣を持つとされているのさ。そして、その活動内容は――謎」
「謎……?」
シンゴの疑問の声に、アネラスは首肯する。
「謎といっても、世界各地で殺人を犯したり、暴れたり、物を壊したりとやっていることは分かってるんだがね、そのどれも一貫性がなく、なぜそんなことをするのかもさっぱりな奴らなのさ」
「…………テロリストみてえな奴ら……か」
シンゴはそう小声で呟く。なるほど、身体的特徴は完全には一致はしていないとはいえ、『吸血鬼』に『痣』といった具合で、同じ枠組みの中にシンゴは入ってしまっているわけだ。警戒されて当然ということだ。
「ちなみにそいつらの痣って、どんなやつ?」
「そうさね……三つ巴って分かるかい……?」
「……三つ巴って確か、昔、日本で家紋とかに使われてたやつのことか……?」
「にほ……家紋?」
「ああいや、こっちの話。うん、三つ巴って確か、あのぐるぐるのやつだよな……?」
首をひねって呟くシンゴの横では、頭の上に大量の疑問符を浮かべて、こちらも首をひねっているイレナがいる。おそらく――というか確実に、性格とさっきからの態度、言動からして、イレナは勉学の関係が苦手なのだろう。
咄嗟にシンゴの正体を看破できなかったのも、もしかしたら世間に疎くて、星屑とか言う奴らの特徴について分からなかったからとか、そんなところではないのだろうか。現に、先ほどのアネラスの星屑講座でも、シンゴの横で「へ〜」とか言っていたのだし……。
「――聞いてんのかい?」
「ああ、すいません。えっと、なんでしたっけ……?」
「はぁ、アンタにはイレナに通ずる何かを感じるよ、あたしゃ……」
「「失礼な!」」
シンゴとイレナの声がシンクロする。こんないかにも頭の足らなさそうな女と一緒に――ではなくて……。
「脱線するとこだったぜ……」
危うく違うところに行きかけた話を、シンゴは理性で己の感情を沈めて元に戻す。一方イレナは、「あたしの方が賢いもん!」とかシンゴを指差して叫んでいるが……落ち着け、キサラギシンゴ。こいつは前田だ。そう、こういう生き物なのだ。相手をするだけこっちが疲れるだけだ。
そう己に言い聞かし、シンゴは『前田』の声のみをシャットアウトする。ああ、静寂。
そんなシンゴを見て、アネラスも「ほう……」と感心した様子。さすがにこの異世界でたっぷり洗礼を受けただけはあると自負するシンゴだ。もうお子ちゃまではいられない。というか、それだと死ぬ。
「話を戻すさね。星屑の痣は三つ巴を“反転”させたもの。具体的には、中心部から遠ざかるにつれて細くなる従来の三つ巴に対して、星屑たちの三つ巴は中心にいく程細くなる……イメージできたかい?」
「……できた、けど……それってやっぱり……」
「なんだい……何か心当たりでもあるのかい?」
「……いや、何でもないよ。俺の気のせいだ」
ふとシンゴの脳裏に浮かんだものは、シンゴと同じところに、同じ時期にできたアリスの痣のことだ。シンゴの痣がアルファベットの『M』のような形をしているのに対して、アリスの痣は従来の三つ巴のような形だ。やはり、何かしらの関係性を感じる。
「そうかい。連中の痣は、一般的には『裏三つ巴』という名称で呼ばれてるさね」
「裏……ね」
「へ〜」
シンゴとイレナがそれぞれの反応を見せるなか、アネラスは「最後に」と言うと、シンゴの手袋で覆われた手を指差す。
「アンタの痣は星屑には似ていないさね。しかしだ、似ている者らが“別”におる……そやつらは『罪人』」
「罪……人……?」
新たな単語の登場に、シンゴがオウム返しする。そんなシンゴにアネラスは頷くと、「ただ……」と続ける。
「こちらに関しては、星屑より情報が少ないさね……。星屑たちの親玉、上位存在。色々言われておるが、その実態ははっきりしておらんさね。分かっていることといえば、星屑たちのものとは違う痣を手の甲、もしくは額に持っておるということくらいさね……」
「額に……痣」
シンゴの脳裏によぎるのは、ヒィースにユリカと共に捕らえられたときにシンゴたちの縄を解いて助けてくれた、あの“白い少女”のことだ。
そういえば、あの少女の額には今教えてもらった『裏三つ巴』が刻まれていたようにも見えた。だとしたら、あの少女がその『罪人』なのだろうか。でも、『裏三つ巴』は星屑たちの痣だとアネラスは言っていたし……。
「マザー、そろそろ昼食の時間です」
シンゴの思考を中断させたのは、そう言って奥の部屋から現れた、サイズの合っていないのではないかと思われるだぼだぼの修道服に身を包んだ、メガネをかけた金髪の女性だった。
女性はシンゴに気づくと、軽く会釈した。それを受け、シンゴもテンパりながら「ど、ども」と畏まって会釈を返す。
――――いやいやいや、だぼだぼの服で“アレ”はいかんでしょう……!
その女性の体は、ぶかぶかの服の上からでも分かるスタイルの良さだ。しかもかなりの美人。そんな女性の後ろからは、ぞろぞろと子供たちが出てくる。
今しがた女性が言ったとおり、確かに腹は空いている。ちょうどお昼どきだったようだ。
それを自覚した途端、シンゴの腹が情けない音を鳴らした。それを聞いた子供たちの一人が吹き出す。そしてそれは、伝播するように子供たち全員に広がっていく。
バツが悪そうに頭を掻いて、苦笑いするしかないシンゴの背中に、イレナの張り手が炸裂した。
「いッッてぇええ!?」
それを見た子供たちの笑いはさらに高まる。もはや大合唱だ。
シンゴは涙目でイレナを睨むと、当のイレナはシンゴにこう言った。
「シンゴ、お詫びも兼ねて一緒にお昼食べましょうよ! ね、マザーもいいでしょう!?」
「……ま、いいさね。敵意が無いことも分かったし、イレナの件の謝罪の意も込めて、さね」
「やった! さ、シンゴも用意するの手伝って!」
「え、ちょ、ええ……?」
勝手に話が進み、困惑気味のシンゴの背中をイレナがぐいぐい押す。そしてその周りには、子供たちがわらわらと集まってくる。まあ、確かに腹は空いてるし、金は全てカズに預けてある。ここはお言葉に甘えさせてもらうことにしよう。
「ちょ、分かった分かった――て、誰だ!? 今、かんちょうした奴!?」
けらけらと笑う子供たちの笑顔を見て、シンゴからも自然と笑顔がこぼれるのだった。