第2章:4 『鬼ごっこ2』
「レ、レッジ・ノウだと……!?」
目の前の女性――ユピア・レッジ・ノウの名前を聞いた途端、カズが驚愕の声を上げた。
そんなカズの反応を受け、ユピアはしまったという顔で口を塞ぐがもう遅い。顔を真っ青にしながら口を開いて固まるカズに、現状から置いていかれているアリスが疑問符を頭に浮かべながら首を傾げる。
「あ、あの、今のは聞かなかったことには……できそうにないですよね……」
困った顔をするユピア。とりあえずアリスは、魂が半分抜けかかっている様子のカズの顔の前に、おーいと手をかざしてみる。反応が無いので、後ろに回って膝カックンを食らわせてみた。
膝が半分折れたところで、カズの意識が回帰。筋力にものを言わせ、足をぷるぷるさせながら倒れ込むのをこらえてみせた。そしてそこから、「う、おぉぉおぉ!?」という情けない声を上げながら、見事元の体勢に戻してみせる。
膝に手をついて息を荒げるカズに、アリスとユピアの「「おー」」といった歓声が、拍手と共に送られる。ぎろっとアリスを睨んでみるが、ぷいっと顔を逸らされた。
「――て、こんな事してる場合じゃねぇ……!」
そう言ってカズはユピアに向き直るが、一体何を話せばいいのか分からないらしく、頭をぽりぽり掻くにとどまってしまう。
ユピアもユピアで、どうしましょうといったご様子。なので、アリスは率直に訊いてみることにした。
「レッジ・ノウって、何か凄いお家柄なのかい?」
アリスのどストレートな質問に、カズとユピアは揃ってびくりとする。カズが目線で確認を取るように、ユピアを見る。ユピアはカズの視線を受け、数瞬考えるように下を向くが、今更だと考えたのか、どこか吹っ切れたような表情でカズに頷いた。
「…………あなたがそれでいいのでしたら……。――アリス、お前の考えは正しい。ただ、少し訂正するとするなら“凄い”お家柄じゃなくて、“最高”のお家柄だ」
そこまで言われ、アリスもなんとなく事情を察した様子。そう、ここは“王都”なのだ。そして王都での“最高”のお家柄と言ったら、答えは一つだ。つまり目の前のこのユピアとかいう女性は……、
「王族……」
「はい、その通りでございます」
こんなところでお目にかかれるとは思っていなかったが、目の前に本物の王族がいる。しかしアリスからしたら、元々この世界で育ったわけではないので、芸能人を見たという感じに近い。
一方カズは、さすがに王族の名は知っていたらしく、どうも落ち着かない様子。
しかしそうなってくると、素朴な疑問が生まれる。それは、
「えっと……」
「ユピアで構いませんよ」
もう隠し立てはするつもりはないのか、ユピアはアリスに気さくな態度で応じる。それを受け、アリスも「じゃあ、ユピア」と言われた通り呼び捨てにする。カズの顔が真っ青だったが……。
「どうしてユピアは、こんなところに一人で?」
「…………とある場所に、向かうためです……」
「そこには、一人じゃないと?」
「はい……」
すると、今まで緊張して固まっていたカズが、いきなり胸をどんと叩いて前に出た。
「ユピアさま!」
「ユピアと呼んでください」
「…………ユ、ユユ、ユ、ピア……」
「はい」
苦しそうに言葉を搾り出すカズを、アリスが珍しいものを見たといった様子で眺める。そんな中、なんとかユピアを呼び捨てにできたカズは、息を整えるとやっと話しだした。
「理由は聞きません。しかし、一人で行動するのはやはり見過ごせません! 現に、下卑た野郎どもがあなたのボイ――じゃなくて、麗しいお姿に当てられ、不敬を働いています。そこで! 目的地まで、我々をボディガードとしてお連れください!」
「「え?」」
アリスとユピアの「え?」には、それぞれ違う意味が込められている。ユピアの方は、驚き、戸惑い、遠慮から来るものだが、アリスの方はというと……、
「シンゴはどうするのさ?」
「あんな馬鹿は後回しだ。今はユ、ユピ……ア、の……身の安全が第一だ!」
「でも――」
「アリス」
カズは、いつになく真剣な表情でアリスの名を呼ぶと、こう言い放った。
「迷子の馬鹿を探すのと、王族に降りかかる火の粉を払うの――どっちが重要なのか……お前になら、分かるだろ?」
「ユピア、ボクも同行するよ」
「ええ!? ……あの、今しがた会話に上がった方のことはいいのですか……?」
ユピアの不安そうな声を向けられ、アリスとカズは顔を見合わせて頷き合うと、同一の見解を示した。
「「馬鹿なので大丈夫です」」
――――――――――――――――――――
一方その馬鹿はというと、現在、絶賛逃走中だった。隣には、シンゴを鬼ごっこへと強制的に引きずり込んだ少女が、その茶色のツインテールをなびかせながら並走している。
「待てやオラぁ!!」
後ろからは、抜き身の剣を手に追いかけてくる鬼さん複数名。やはりあそこは右――いや、せめて直進以外の道を選んでいればと後悔するが、いくら悔やんだところで現状がどうこうなることはないだろう。というか――、
「何で俺を巻き込むんだよ!?」
「だってあんた、腰が抜けて動けなさそうだったから……!」
「違えよ!? あれは後退しようとしてただけだからね!?」
「…………喋ってないで走る!」
「なんだよ今の間!? 絶対やっちゃったって思ったろ!? てか誤魔化してもあんた表情に全部出てんだよッ!!」
「そ、そこまで言うことないじゃん!!」
「逆ギレ!?」
ぎゃーぎゃー言い合いながら走っていると、少し広めの広場のような空間に出た。辺りは家の壁で囲まれていて、今走ってきた道以外には通り道は存在しない。つまりこれは……、
「また行き止まりかよ……!?」
「なんですって……!? 道はちゃんと合ってたはずなのに……!」
「あれ? これって、もしかして俺のせい!?」
他人をも巻き込む自分の『迷子スキル』に、シンゴは驚愕を隠しきれない。そして、そんなことをしている内に、鬼さん方がご到着した様子。しかも、きっちりと数人で道を塞ぐという用意周到ぶり。はっきり言って、これは詰んだのではなかろうか……。
「はぁはぁ……やっと追い――誰だ、お前?」
おそらくリーダー格であろう息を切らした男が、言葉の途中でシンゴに気付くと不審そうに眉を寄せた。もしやこれは、上手いこといけば切り抜けられるかもしれないのでは――?と、そんな希望が見え、シンゴは巧みな話術を駆使してこの場を支配することにした。
そう、ここからはトークで敵をねじ伏せる時間だ。最近読んだ――元居た世界で――物語の主人公も、そんな風に会話で危機を切り抜けていた。なら、自分にもできるはずだ。少なくとも、コミュニケーション能力には自信がある。
シンゴはフッと不敵に笑うと、男たちの前に歩み出た。
まずは身の潔白を証明することからだ。ツインテール少女には悪いが……この際、生贄になってもらおう。他人を巻き込んでおいて無傷で済むと思われては困る。
しかし、もちろん女の子を一人置いて逃げるなんて外道な真似はしない。いったん罪を全て被ってもらうが、その後は容疑者から外れたシンゴが隙をみて、通路を塞いでいる奴に不意打ちでタックルをかます。その隙間を抜けて二人で逃走する。完璧なプランだ。我ながら、自分の天才的な頭脳が恐ろしい……。
シンゴは、いざ作戦を決行すべく、口を開いた。
「皆さん、俺――」
「構わねえ! 一緒にヤッちまえ!」
「ええッ!?」
一瞬で瓦解した完璧なプラン(笑)にショックを受け、シンゴは驚愕の声を上げる。一方リーダーの合図で飛び出した後ろの数人だったが、何を思ったのか、急に目をかっ開いてその足を止めてしまった。シンゴの目の前のリーダーも、目をぱちぱちと瞬きさせて驚いた表情になっている。
男たちの目線の先――自分の後ろに、一人正面を向いたままだったシンゴも「ん?」と振り向いてみる。果たしてそこには――“何もなかった”。
「あ、あれ? さっきのあいつは……」
シンゴの疑問に答えるように、男たちが今起きたことを口々に話し始めた。
「お、おい……あの女……急に“消えやがったぞ”……!」
「どうなってる!?」
「分かんねえよ……お前は?」
「俺の目にも気が付いたら消えたように……」
つまり、先ほどまで一緒に並走して言い争っていた少女は、忽然と姿を消したというのだ。にわかに信じられないが、事実、どこにもその姿は見当たらない。しかしこれは、シンゴからすれば非常にまずい状況になったのでないだろうか……。
「――オイ、お前さんよ……」
いくら辺りを見渡しても、先の少女の姿が見つからないと踏んだリーダー格の男が、その視線をシンゴに向けてきた。シンゴは内心、やっぱそうなるよな〜!と涙を流すが、今からでも言い訳が通用するかもしれないと考え、駄目元で挑戦してみることにした。
「え、と……俺はついさっきあの女の子と出会って、巻き込まれただけでしてですね? つまり、俺はあの子のことなんか一切知らないので、できれば見逃していただけないかなあ〜なんて……」
「嘘だな」
「バッサリ!?」
思考する様子さえ見せずに、シンゴの意見は速攻で切り捨てられた。これは、ますますもってやばい……。ぶっちゃけ、何かしらの不意打ちが目の前の男に決まったとしても、その後ろの男たちには通じないだろう。どころか、敵対行動と見なされ、剣でばっさりといかれても不思議ではない。
シンゴは顔に汗を伝わせながら、一歩、ジリ――と後退した。しかしその後退した一歩分は、リーダー格の男が大きく一歩を踏み出したことで帳消し――どころか、より距離を詰められた結果になった。しかし、リーダー格の男の歩みはその一歩では終わらず、やがてシンゴの目の前までやってきてしまう。
「あの女のことを吐け」
「で、ですから知らないと……」
シンゴの言葉への返答は、無言の圧力と、いまだ腰に吊るされたままだった剣の抜刀だった。そして剣は、ゆっくりと上段に構えられる。刀身が、壁の隙間から差す太陽の光を反射してまばゆく光り、シンゴの視界を焼く。
リーダー格の男の顔が、愉悦に歪んでいく。
「お前に選択権はないんだよ……死にたくなけりゃ答えろ? あの女の居場所を吐け」
目がマジだ。おそらく、この男は躊躇なくシンゴにその剣を振り下ろすことができるのだろう。そして、上手い出まかせを考えられるほど、シンゴの精神状態は穏やかでない。ならばどうするか……。“アレ”を出すしかないだろう。
「よろこべ……お前が異世界で初、この技の犠牲者になれるんだからな……!」
「なに!?」
男の返事を最後まで聞くことなく、シンゴは行動に移った。左足を地面にこすらせるように後ろに引き、そのまま腰を落として膝を着く。そのまま流れるように両手で地面を掴む――握り締める。そして残った右足をなめらかに折りたたむと、シンゴは思いっきり体を後ろに反らせて天を仰ぐと、十八番奥義その三の名称を高らかに叫んだ。
「グラウンド・オブ・ヘッドバットォォぉおおッッ!!!!」
ズドンッ!!と、大地を震わせる頭突きが炸裂した――地面に。
しんとした空気が場を包む中、シンゴは勝利を確信していた。今までこの技を使って、シンゴは危機を切り抜けられなかったことはない。もはやこの技は、相棒と言っても過言ではない付き合いだ。シンゴが一番に信頼を置くこの技が、シンゴを――相棒を裏切るわけが……
ガッと、シンゴの頭の上にリーダー格の靴が乗った。そのままの状態で固まる二人の姿は、降り注ぐ陽の光を浴びて、もはや感動さえ覚えるほどの完成された『美』を体現していた。そして、その『美』の体現者の片割れことシンゴの胸中はというと……、
――――裏切られた〜ッ
で、あった。そして誰もが感動を覚え、挙げ句の果てには涙さえ流す者が現れる中、ただ一人冷静さを失わなかった者が、この奇妙な空間に物申す声を上げた――近くにあったゴミ箱の中から。
「ただの土下座じゃん!?」
ズボァという効果音を上げてバケツ型のゴミ箱の中から姿を現したのは、茶色のツインテールに魚の骨を引っ掛けた、あの消えたはずの少女だった。少女はゴミ箱から這い出すと、皆が口を開いて固まる中をずかずかと歩いて、同じく口を開いて唖然としていたリーダー格の男とシンゴの前まで来ると、場違いな説教を開始した。
「ちょっと! あたしが消えれば、後は無関係なあんたは見逃されるだろうって思って、あんな臭いとこに我慢して隠れてたのに!! 何でこんな茶番劇繰り広げ始めんのよ!? グラウンド・オブ・ヘッドバットってただの土下座じゃない!!」
はぁはぁと息を弾ませながらツッコミ終えた少女は、遅れながら「あ」と声を上げて自分の失態を悟る。汗をだらだらと流し、引きつらせた笑顔で「あはは〜」と誤魔化すが、すでに後の祭りである。
「らあああッ!!」
「ぐほぉッ??」
そんな隙を見逃さなっかた、一応場の空気には飲まれてはいなかったらしい――動けなかった――シンゴの不意打ちタックルが、リーダー格の土手っ腹に炸裂する。倒れ伏す男を一瞥し、シンゴは少女に向き直って叫んだ。
「今のうちだ!!」
しかしシンゴに返ってきたのは、全く予想だにしなかった反応だった。少女はシンゴの後ろを指差して目を見開くと、何かを叫ぼうとした。
「うし――!」
「え?」
一瞬――頭上が暗くなった。シンゴはとっさの判断で、前に体を動かした。背中に突如生じる衝撃と熱。シンゴは倒れこむようにして、少女に支えられた。どうやら、他にも冷静だった仲間がいたようで、そいつに背中を斬られたようだ。とっさに動いたことで傷はそこまで深くはないが、やはり痛いものは痛い。
痛みから苦鳴を漏らすシンゴを支えていた少女が、そんなシンゴの背中の傷を見て驚愕の声を上げる――が、途中でそれは「え?」という驚きの声に変わった。そしてそれは、後ろにいる男たちにも伝播していく。
シンゴを襲う鋭い痛みと熱は、その余韻だけを残してすぐさま消えていく。背中からは、しゅうしゅうと白い煙を上げながら、流れ出た血液が蒸発している。そして、同時進行でパックリと割れた傷も逆再生するように塞り、やがて服の傷のみを残して完治した。
そして、この場の全員の視線を集めるシンゴは、ゆっくりと右肩越しに後ろを振り返った。その目は――
「き、吸血鬼!?」
シンゴの紅く染まった右目“のみ”を見た男たちは、驚愕を顕にして我先にと逃げ出していく。そして、シンゴの不意打ちのタックルを食らったリーダー格の男も、仲間の後を追うように逃げ出していく。すると、その男はシンゴが追ってくるとでも思ったのか、左腕に嵌めていたガントレットを外すと、時間稼ぎのつもりなのか、シンゴめがけて思いっきり投げつけた。
すると、シンゴを支えていた少女が「あぶない!」と声を発し、シンゴの頭をずらした――軌道上に。
カァンと小気味いい音がシンゴの頭から鳴り、シンゴの意識はそのまま闇に飲まれていった。