表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
179/214

第4章:66 『黒い亀』


「ぁ……」


 乱暴に髪を掴まれ、膝を着くアリスは唖然と声を漏らした。

 目の前で、キサラギ・シンゴが喰われた。噛み付いて、引き千切って、食べやすいように細かくバラされた訳ではない。たったの一口だ。一人の人間を、その巨大な口はいとも容易く頬張り――躊躇なく、飲み込んだ。


「シンゴ――ッ!?」


 叫ぶが、既に手遅れだ。シンゴはもう、怪物の腹の中である。

 そう、怪物。人を丸呑みに出来るほど巨大な、一匹の怪物だ。その怪物は、この瞬間までずっとそこにいた。一歩たりとも動いていない。

 だから、アリスも単なる氷像だと思っていた。でも、違った。中身は生きていたのだ。生きていて、生きる為に、捕食したに過ぎない。


「――――――――――――――――――――」


 呆然とアリスが見上げる先で、怪物がゆっくりと動き出す。それに合わせ、その体を覆っていた氷が剥がれ落ち、重い音を立てて落下する。

 やがて、そこに現れたのは、滑らかな質感の黒い体皮に、艶やかな漆黒の甲羅を背負った、恐ろしく巨大な『黒い亀』だった。


「――ふむ。これは、ちとまずいかぇ」


「うっ……!?」


 その『黒い亀』の目覚めを受けて、片目を閉じるイナンナが独り言ちる。

 すると、あっさりとアリスを解放――急に手を離された事で落下し、硬い床に叩き付けられて呻くアリスだったが、イナンナは無視して後ろに振り返ると、


「グガランナ、蚊と戯れるのはいったん中断ぇ。『余を担ぎ、即座に離脱せよ』」


「え――」


 突然の離脱宣言を聞き、目を丸くしたアリスが声を漏らすのとほぼ同時、リノアを執拗に追い回していた十体のグガランナが一斉に方向転換して、イナンナの下へと雷を迸らせながら集結した。

 そして、二体が神輿を担ぐようにイナンナを持ち上げた、その直後である。


「――――――――――――――――――――ッッッッ!!!!」


「っ、あ……ッ!?」


 短い首を上に向け、『黒い亀』が低い地鳴りのような咆哮を上げた。ただそれだけで、甚大な衝撃波が生まれ、咄嗟に耳を塞いだアリスを吹き飛ばす。

 グガランナの咆哮も凄まじかったが、これはその比ではない。その証拠に、十体のグガランナの一斉咆哮にも耐えた壁や床に深い亀裂が生じている。

 そして、暴力的な音の嵐、その音圧により、氷の天井が限界を迎えて崩落――一切合切を生き埋めにせんと、氷の破片が無数に降り注ぐ。


「ぁ、ぅ……っ」


 しかし、アリスは三半規管を激しく揺さぶられ、すぐには動けなかった。加えて、鼓膜もやられたのか、天井の崩落音に気付くのが僅かに遅れる。

 ようやく異変に気付き、歪む視界で頭上を見上げたアリス、その顔が絶望的な光景に凍り付く。慌てて立ち上がろうとするが、よろけて転んでしまった。

 このままでは、氷の下敷きに――、


「――アリス、我に掴まる」


「――ッ!」


 再生を終えていた鼓膜が、正面に降り立った少女――リノアの声を拾う。

 その声に従い、アリスは無我夢中でリノアの小さな体に抱き付いた。全身を浮遊感が包み込み――直後、上下左右に激しく振り回される感覚が続く。

 ぐるぐると回る感覚に気持ち悪さを覚えながら、アリスはこの無茶苦茶な動きが降り注ぐ氷片を回避する為のものだと理解する。


「……ッッ!!」


 その間、アリスに出来る事と言えば、必死にしがみ付く事だけだった。

 やがて、飛翔の軌道が直線に変わったのを感じ、氷片を躱し切った事を悟る。そのまま飛翔も止まり、空中で停滞する感覚にアリスは目を開けた。

 空は黒くて分厚い雲に覆われ、頬に叩き付ける雪は視界を白く染めるほどだ。そして、ここは『冥現山』――その、中腹のどこかだろうか。


「……ひどい」


 眼下、『冥現殿』は氷の崩落で潰され、見るも無残な状態に変わり果てていた。その氷の中から、あの『黒い亀』が無傷で這い出して来るのが見える。

 こうして距離を取り、改めてその全容を視界に収めると、そのあまりの大きさに言葉を失ってしまう。圧巻、その一言に尽きる威容だった。


「シンゴ……っ!」


 あの亀に飲み込まれたシンゴを思い、アリスの端正な顔が焦燥に歪む。

 だってそうだろう。あそこからどう救出すればいいと言うのだ。自ら喰われて、強引にシンゴを引き上げるか。いや、それはあまりにも現実的ではない。それこそ、ミイラ取りがミイラになりに行くようなものだ。


「……っ」


 何の解決策も思いつかず、歯噛みするアリスの胸に焦燥感が募る。

 きっと、今この瞬間もシンゴは苦しんでいるはずだ。胃液で溶かされ、しかし吸血鬼の力で再生し、終わりなき苦痛に見舞われているはずなのだ。

 助けなければ。一刻も早く、救い出さなくては。こうして手をこまねいているだけなんて耐えられない。やはりここは、アリスも喰われて――、


「――っ! あの人……!」


 冷静な判断力を損ないかけた時、ふと視界に端に人影を捉える。

 崩落した『冥現殿』から這い出てくる『黒い亀』のすぐ近く、この極寒の中でも涼しげに、優雅に金の扇子を扇ぐイナンナ・シタミトゥムの姿が見えた。

 周囲に十体のグガランナを従えながら、威風堂々とした佇まいで眼前の怪物を見上げるイナンナは、音を立てて扇子を閉じると、


「余の視界を遮るとは、いかに神を冠する存在とて捨ておけぬぇ。その無駄に膨れ上がった図体、細切れにしてグガランナの餌にしてやろうかぇ?」


 閉じた扇子を突き付けながら、不敵な笑みで挑発の言葉を並べ立てる。そして、そのままイナンナは笑みを崩す事無く、


「『錫杖を差し出せ』。メー」


 あの、力ある言葉を口にした。

 それは相手の意思を捻じ曲げる言霊ではなく、現実を自分の思い通りに捻じ曲げる凶悪な権威――意思の力で跳ねのける事は、出来ない。

 出来ないはずと、そう思っていたのだが――、


「――――――――――――――――――――」


「……ふむ。貴様、やはり『玄武』ではないのかぇ?」


 『黒い亀』は何の反応も示さず、しかしイナンナは、まるでこの結果を予期していたかのように嘆息すると、豊満な胸を支えるように腕を組んだ。

 黙り込み、微動だにせず、『罪人』と『黒い亀』が視線を交わらせる。このまま膠着状態が続くかと思われたが、しかしそうはならなかった。


 吹雪のカーテンに紛れて、半透明の何かが『黒い亀』の背後で蠢いた。イナンナもそれに気付いたらしく、眉を寄せて目を細めている。

 一方、頭上から俯瞰するように状況を見下ろしていたアリスには、その半透明な物体の全容がはっきりと見えていた。


「あれは……蛇?」


 半透明の蛇、そう形容するのが最も適していると思われるそれは、『黒い亀』の尻の付け根から伸びているように見えた。――尻尾、だろうか。

 アリスがそう推測する間に、その蛇は体をくねらせながら伸び上がり、周囲を見渡すように首を巡らせると、やがてイナンナに視線を固定した。


 ――次の瞬間、大口を開けて、蛇が恐るべき速度でイナンナに襲い掛かった。


「――――」


 真っ直ぐ、自分に迫る蛇をイナンナは無言で見やり、そして、ギリギリのタイミングでその場から飛び退いた。

 雪に顔を突っ込む蛇だったが、それで終わらない。そのまま雪の上を跳ねるように軌道を変えると、後退したイナンナを追って長躯を更に伸ばした。


「躾のなっていない獣と戯れるのもまた一興かぇ」


 凄惨な笑みを浮かべ、イナンナが踊るような華麗なステップで半透明の蛇の攻撃を回避する。

 そんな主に危機に、待機していた十体のグガランナが一斉に動いた。一体はイナンナを抱えて離脱し、他の九体が蛇と本体の亀に襲い掛かる。

 雪煙を巻き上げながら、地を這う一筋の雷撃となり、五体のグガランナが『黒い亀』に突き刺さる。残りの四体も、イナンナを執拗に追いかける蛇、そのがら空きの胴体に次々と掴みかかった。



 ――結果から言ってしまえば、グガランナの攻撃は全く通用しなかった。



 本体の亀に体当たりした五体のグガランナは、かすり傷すら付けること叶わず、衝突の衝撃でひしゃげて、潰れかけたトマトのような無惨な有様に。

 そして、蛇に掴みかかった四体のグガランナは、蛇に触れた瞬間、何やら幽体のような物を引き摺り出され、静かに倒れ伏した。


「今のは……!?」


 その様子を空中から見下ろし、アリスは驚愕と戦慄を孕んだ声を上げる。

 体当たりを仕掛けた最初の五体の方は問題ではない。現に、動ける程度まで再生を終えて、再び亀に攻撃を仕掛けている。

 問題なのは、蛇に触れた四体の方だ。外傷らしきものは見当たらないにも拘わらず、一向に立ち上がってくる気配がない。

 あの時、蛇の体に触れた瞬間、グガランナの体から引きずり出され、蛇の半透明の体に吸収されてしまった幽体のようなモノ――まさか、本当に、魂なのか。


「……どうして」


「リノア……?」


「どうして、目覚めて……」


 頭上から聞こえた呟きに振り向くと、リノアがジッと『黒い亀』を見ていた。

 相変わらずの無表情ではあるが、その紅い瞳の奥には複雑な感情が渦を巻いているのが見て取れて、決して小さくない動揺が伝わってきた。

 しかし、今はそこを追及している場合ではない。


「リノア! アレは、あの亀は一体何なんだいッ!?」


「――――」


「リノア――ッ!!」


 シンゴを助ける為に、あの『黒い亀』の情報が必要だ。何か知っている様子のリノアにその事を尋ねるが、リノアは沈黙したまま何も話してくれない。

 堪らず声を荒げるアリスだったが、そこでふとリノアの異変に気付いた。リノアは大きく目を見開き、唇を戦慄かせながら、とある一点を凝視していて――。


「――ッ!」


 リノアがこれほどの感情を表情に出す事態、その事実に危機感を覚え、アリスは咄嗟にリノアの視線を追った。――そして、見付ける。


「そんな……どうして、キミが……ッ!」


 眼下で繰り広げられる、『罪人』と『黒い亀』の壮絶な戦い。そこから少し離れた場所に、その少女は立っていた。


「どうしてキミが、こんな所にいるんだ……イチゴッ!!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ