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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:62 『日常への転落』


 ――眼前に広がるのは、悪夢のような光景だ。


 復活したグガランナ、それが更に十体に分裂したのである。果たして、この状況に絶望以外の何を見出せばいいのか。

 そもそも、権威を無効化する力があるアリスが触れて、権威の力で蘇ったはずのグガランナに何の変化も起きなかったのはどういう事だ。


「阿呆。完結し、既に現実として固定された事象を無かった事にするなど、そのような傲慢が余以外に許されるはずなかろうぇ」


「――っ!」


 表情に出てしまっていたのか、まるでシンゴの胸の内を見透かしたように、イナンナが苛立ちを孕んだ声音で吐き捨てるように言ってくる。

 その言を受け、鋭く息を呑むのはアリスだ。どうやら今ので理解出来たらしい。だが、シンゴは一向に理解出来ず眉を顰めるばかりだ。


「簡単。権威が干渉したのは復活まで。復活した後は含まれない」


 とは、油断なく敵を見据えるリノアの言葉だ。

 その簡潔な説明に、察しの悪いシンゴもようやく理解する。


「つまり、権威を使われる前に、アリスはグガランナに触れておく必要があったって事か……?」


 愕然と声を震わせるシンゴ、その確認にリノアは小さく首肯を返す。

 絶句する他なかった。確かに、理屈では未然に防げたのかもしれない。だが、実際にそれを実現できるかと言えば、そう簡単な話ではない。

 と、負傷による衝撃が和らいできたのか、アリスがシンゴの腕から体を離し、ゆっくりと立ち上がって口を開いた。


「たぶん、場合によるんだと思う。継続的……つまり、“何かをし続ける”類のものだったら、権威を使われた後でもボクの力は有効なはず」


 そう推察を呟きながら、アリスが鋭い眼差しをイナンナに向ける。対してイナンナの反応は、怪しげな笑みを浮かべて口元を扇子で覆う、だった。

 わざわざ手の内を明かすような事はしない、という意思表示だろうか。ただ、往々にして沈黙は肯定に当たる場合が多いのも事実だ。


「つっても、やっぱ確証がない以上、下手に危ない橋は渡れねえか……!」


「ここからは、なるべくボクの近くに。あの人が権威を使う素振りを見せたら、すぐボクに触れるんだ。そうすれば、最悪の事態だけは避けられるはずだから」


「……もう、平気なのか?」


「……うん」


 見え見えの虚勢だ。それでも、この状況では無茶も通さなくてはならない。

 アリスを中央に、シンゴとリノアは距離を詰めながら陣形を組む。もしも、戦いの最中にアリスから離れるような事があれば、確実に権威の餌食となるだろう。

 問題は、アリスとの距離を維持しつつ、十体ものグガランナとイナンナを相手にどう立ち回るかだが――。


「――っ! 来るぞッ!!」


 思考する暇もない。敵意の変化を察知して、シンゴは警戒の声を上げる。

 次の瞬間、一斉に落雷が降り注ぎ、グガランナ十体が雷を身に纏った。

 咄嗟にシンゴは、『激情』の力を全て中枢神経系の強化に回す。目を限界まで押し開き、グガランナの動きに注視する。


「――――」


 ――見える。


 『激情』の力が強化された為か、肉体の主導権がシンゴにあってこそ権威は真の力を発揮するのか、追い切れなかったグガランナの動きがはっきりと見える。

 そして、中枢神経系の強化は思考速度を恐ろしいほどに圧縮し、まるで世界をスローモーションのように認知させる。加えて、頭が異常に冴え渡っていた。これは、思考能力までもが強化されているという事か。


 経験した事もない圧倒的な世界の中で、シンゴの強化された頭脳が未来を導き出す。――避けようもない、『敗北』の二文字を。

 敗因を挙げ始めたらキリがないが、最たる敗因は圧倒的なまでの数の不利に他ならない。グガランナ一体だけでもあれだけ苦労したと言うのに、それを十体――そこにイナンナまで加わっては、この結末は必然というものだ。


「が、ふ……ッ!?」


 苦悶の声と血反吐を吐きながら、シンゴは顔から床に倒れ込む。どうやら壁に背中から激突したらしいのだが、ここに至るまでの記憶が曖昧だ。

 肉体の再生は既に終わっているが、残留する痛覚の幻が体の自由を縛り付け、立てと急かす意思に反して立ち上がる事が出来ない。


「余が手を下すまでもなく、地に這い蹲るとは……貴様、それは余に対する無礼ではないのかぇ?」


「ぁ、ぐ……ッ」


 朦朧とする頭上から、あの女の冷たい声が聞こえる。無理やり心を奮い立たせ、権威を制御しながら、ゆっくりと顔を持ち上げる。

 侮蔑の面持ちでシンゴを見下ろすイナンナ、その背後に、十体のグガランナをたった一人で相手取るリノアの姿が見えた。


 未だにリノアが無事なのは、その飛行能力によるところが大きい。

 この形態になると飛行能力を失うのか、それとも権威によって飛んでいたのか、グガランナが飛翔する事は無く、故に数の不利によって起こる四方を囲まれるという最悪の事態をリノアは未然に防げていた。

 だが、幾筋もの雷撃が降り注ぎ、飛び回るリノアを執拗に狙う。加えて、十に及ぶ電流が氷壁を這うように駆け上がって行く。


 飛べないグガランナは、その神速で以て重力を捻じ伏せながら、壁を走って高度を稼ぐという力技でリノアに肉薄し始めた。

 頭上を埋め尽くす無数の落雷、壁を蹴り付けて飛び掛かってくる十体のグガランナ、それをリノアは複雑な軌道で飛翔する事で回避し続ける。

 だが、攻撃の密度があまりに飽和し過ぎていた。防戦一方のリノアにその魔手が届くのは、もはや時間の問題だった。


 ――そして。


「っ……ぁ……ッ!?」


 イナンナの右手、細い首を鷲掴みにされて、苦しそうに喘ぐのは、引きずられるようにして捕まったアリスの姿だ。

 アリスは喉に食い込む指を引き剥がそうと抗っているが、それを上回る膂力で押さえ付けられ、脱出できないでいる。


 有り得ない力だ。あのグガランナと真正面から打ち合い、そして競り勝ったあのアリスの抵抗を、イナンナは華奢な細腕一本で捻じ伏せてしまっている。

 アリスに触れている以上、その膂力は権威によるものではない。生まれ持ってのもの、もしくは権威に頼らない別の力の恩恵、有力なのは魔法だろうか。


「余を打ち倒せば権威による結果も消失する、とでも愚考したのか、真っ直ぐ余に向かって来おったぇ。――故に、捕らえた」


 シンゴの視線に気付き、イナンナが見せ付けるようにしてアリスを持ち上げる。

 指が更に深く喉に食い込んで、口の端から涎と掠れた呻き声を漏らしながら、アリスが苦しそうに目を押し開いて足をバタつかせる。

 そんなアリスの腹に、突如としてイナンナの左拳が突き刺さった。


「こ、ぷ……っ!?」


「てめぇ――ッッ!!」


「『吠えるな』」


「――っ!?」


 血の塊を吐き出し、アリスの細い体がくの字に折れ曲がる。

 目の前でそんなものを見せつけられて、大人しく黙っていられるはずがない。額に青筋を浮かべ、牙を剥きながら、シンゴは瞬間的に強化された『激情』を足に集中させて立ち上がろうとした。


 それを、アリスから手を放したイナンナの言霊が妨害する。

 声が消失し、自分の喉を掻き毟るように顔を顰めるシンゴを見て、イナンナが嘲るように鼻で笑う。

 そして咳き込むアリスの髪を掴むと、そのまま痛みに歪む顔を覗き込んだ。


「見よ。あの女狐めと同じ顔が、痛苦に歪む様を。これほど滑稽で愉快で痛快な事が他にあろうかぇ? この不細工な面を見ながら嗜めば、どれほど粗悪な酒でも美酒となろうぞ。――是非とも、余のコレクションに加えたくなったぇ」


「ク、ソ……が、ぁ……ッ!!」


「余の『高慢』を振り払うその精神力、なかなかに興味深くはある。が、余のコレクションの一端に加わる栄誉は与えられぬ。生まれ変わって出直すがよいぇ」


 顔を怒りの形相に歪め、無理やり喉をこじ開けながら、シンゴは立ち上がる。

 侮蔑が、嘲弄が、失笑が、シンゴの心に薪をくべる。そして、今はチャンスだ。

 アリスに触れている以上、イナンナは権威を使えない。これほど強化された『激情』を足に集中させれば、イナンナが反応するよりも先に仕留め切れるはずだ。


「――ッ!!」


 そう判断した次の瞬間には、シンゴは権威の全てを足に集めて床を蹴っていた。

 衝撃で床が割れ、シンゴは刹那の内にイナンナを追い越す。そして、炎翼を前方に羽ばたかせて強引な急制動を掛け、一気に振り向きながら拳を――、


「――――」


 ――金眼が、しっかりとシンゴを追いかけてきていた。


 顔だけを振り返らせた状態で、片方のみが見えるその金眼に、シンゴは瞠目する。が、即座に動揺を捻じ伏せて、権威を集約させた拳を顔面に向けて解き放つ。

 その瞬間、中枢神経系も動体視力も未強化であるにも拘わらず、シンゴの真紅と紫紺の双眸は何が起きたのかをはっきりと目撃した。


 鮮やかな動きだった。イナンナは自分の顔をめがけて迫る拳、その側面に畳まれた金の扇子を添えると、軽く押すだけでシンゴの攻撃を空ぶらせたのだ。

 そして、攻撃を流されて無防備を晒すシンゴの腹に、イナンナの膝がめり込む。肺の中の空気と腹の中身を全て吐き出し、シンゴは悶絶――する暇もなく、無造作に払うようにして振り抜かれた扇子に弾き飛ばされた。


「ご、ぁ……ッ!?」


 最初と同じ壁に激突し、背中を強打したシンゴの喉から苦鳴が漏れる。

 しかしシンゴは、奥歯を食い縛り、膝を震わせながらも転倒だけは堪えた。胸の内に燃え盛る業火、その勢いは微塵も衰えていない。

 血の混じる唾液を吐き捨て、シンゴは再び立ち向かおうと――、


「――ほぅ?」


「……?」


 その時、イナンナが片方の眉を上げ、何やら驚いたような表情を見せた。

 最初はシンゴに向けられた反応だと思ったが、すぐにイナンナの金眼が自分ではなく、その背後に向けられている事に気付く。


「…………」


 ――自分の後ろには、一体何があった?


 振り向きながら、シンゴは『冥現殿』の構造と自分の立ち位置を頭の中で思い描く。そして、振り向き切る瞬間に、そこに一体何があるのかを理解した。

 しかし、振り返った先にあったのは、シンゴの想像したモノとは全く似ても似つかない――それどころか、微塵も理解できないモノだった。



 ――目の前の世界が、暗闇に塗り潰されていた。



 これがただの暗闇ならば、右目の暗視能力で見通す事が出来る。しかし、右目はその力を発揮せず、ただただ『黒』を映すばかりだ。

 と、視覚ばかりに気を取られて気付くのが遅れた。肌を撫でるこの生暖かい空気と、鼻の奥を突き刺すような異臭の存在に。

 記憶に、魂の奥底に刻み込まれた忌むべき光景が蘇る。これは、この記憶は、『オール・イン・ワン』の『特異種』に貪られた、あの時の――。


「――ぁ」


 ――次の瞬間、キサラギ・シンゴは巨大な口腔の奥に呑み込まれた。



――――――――――――――――――――





【――穢れ無き心を証明せよ――】





―――――――――――――――



「――ぎ」


 温かくて、優しくて、深い幸福に包まれている。

 痛みも、苦しみも、絶望さえもない。そこにあるのはただ幸せで、ぬるま湯の中で溺れるような、いつまでも浸っていたい不思議な感覚に満ちていた。

 覚醒が近いのを感じる。それでも、あと少しだけ、この感覚に身を委ねて――、


「――木更木ッ!!」


「えっ、あ、はい――っ!?」


 鼓膜を叩く自分の名を呼ぶ声に、シンゴは弾かれるようにして顔を上げた。その瞬間、こちらを鋭く睨み付ける黒瞳と視線がぶつかる。

 細身の体にネクタイを締め、白髪が混じり始めた頭髪をきっちり整えた、いかにも真面目そうな顔つきの男性だ。

 その特徴に合致する人物にすぐに思い至り、シンゴは驚愕に目を見開きながら、混乱する頭のままに口を開いた。


「高木……先生……?」


「正解だ。なら次は、今が何の時間か当ててみろ」


「何の時間って……」


 呟きながら周囲を見渡せば、そこには見知った世界が広がっていた。

 今日の日付と日直の名前が書かれた黒板。整然と並べられた椅子と机たち。そして、呆れたようにこちらを覗き見る、見なれた顔ぶれの数々――。


「――ッ!!」


「なっ!? おい、木更木!?」


 突然、自分の顔を思い切りぶん殴り、盛大に椅子から転げ落ちたシンゴを見て、担任の高木が驚愕の声を上げる。

 周囲の生徒もざわざわと騒ぎ始め、床に尻もちを着きながら殴った頬を押さえるシンゴに対し、不審と好奇の入り混じった目を向けてくる。


 そんな視線に囲まれながら、シンゴは頬の痛みが本物である事に言葉を失う。

 停滞し、空白に染まる思考――そこへ割り込んできたのは、もはや懐かしいとさえ感じる、少年と少女の声だった。


「幸せそうな顔で寝てると思ったら、目覚めていきなり自分に全力のグーとは……一体、どんだけ目覚めるのが惜しい卑猥な夢だったんだ?」


「ちょっとバカ前田、この状況で何バカなこと言ってんのよ。バカも休み休み言いなさいっての。バカ、猥褻物!」


「おい上村、バカって三回も言ったか!? あと、最後のただの罵倒では!?」


「事実よ、受け止めなさい。あと、四回ね。……それより、木更木。あんた、本当に大丈夫なわけ?」


「…………」


 前田と上村、二人が心配そうな顔でシンゴを見下ろしてくる。

 幻覚、などではない。自分で殴った頬は相変わらず痛みを主張し、今の二人のやり取りにしても、シンゴのよく知る二人にしか出来ない会話だった。

 そう、だから、むしろ、夢幻だったのは、目覚める前の方で――。


「――ふ、は」


「お、おい、シンゴ……?」


「ちょっと、本当に大丈夫なの……?」


 顔を覆い、天井を見上げて笑い始めたシンゴを、二人が本気で心配してくる。

 その声を聞いて、周囲のざわめきを聞いて、冷たい床の感触と頬の痛みを実感しながら、シンゴは真紅にも紫紺にも変化しない瞳に涙を滲ませた。


「夢落ちって……まじで、笑えねえ……」


 ――嗚咽を噛み殺し、止まらない涙を流しながら、キサラギ・シンゴは引き攣った笑声を上げ続けるのだった。


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