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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:60 『掴み損ねて――』


「自分から進んでここに来るなんて、はっきり言って神経を疑います」


「――――」


 意識がぶつ切りになり、切り替わった瞬間、最初に視界に飛び込んできたのは、怪しげな微笑を張り付けた美青年の顔だった。

 無言で以て応答するシンゴに、青年は美しい金髪を揺らしながら小首を傾げる。そんなちょっとした仕草でさえ、見惚れるほど様になっていて。


 ――ここは例の校舎。その、教室の中だ。


 そんな教室内にて、シンゴはかつての自分の席に座りながら、前席に座る青年と真正面から向かい合っている。

 どうやら今回は、屋上ではなくここに招かれたらしい。だが、この状況は他でもない、シンゴ自身が望んだ結果だ。何も問題はない。


「御託はいいんだよ。さっさと教えろ」


「教えるって、何をですか?」


「しらばっくれてんじゃねえ。俺が何の為にここに来たのか、どうせお前はもう分かってんだろうが」


 白々しくとぼける青年――カワードに、シンゴは低い声音をぶつける。

 しかし、カワードの微笑が崩れる事は無い。その余裕げな態度に神経を逆撫でされて、シンゴは腹の中を掻き毟りたい衝動に襲われる。

 思わず手が出そうになった、その寸前だ。カワードが口を開いた。


「確かに、貴方があの権威を手にすれば、勝利を収める事は容易いでしょう。ですがそれも、今の不完全な貴方では厳しい。そもそも、貴方があの権威――『憤怒』に至る事は、絶対に有り得ない」


「……なんだよ、そりゃ?」


 握り締めていた拳をゆっくりと開き、シンゴは愕然と声を震わせた。

 シンゴがここに来たのは、『力』を手に入れる為だ。その『力』の存在は、『激情』と対を成すもう一つの権威の存在は、これで確かなものとなった。


 ――『憤怒』だ。


 それこそが、予てより存在の可能性が示唆されていた権威の名で、シンゴの求めて止まなかった『力』の正体に他ならない。

 だが、それを手にする事は不可能だと断じられた。頼みの綱であった唯一が失われ、頭の中が真っ白に染まっていく。


「嘘、吐いてんじゃねえよ……っ」


「どうして僕が嘘を吐かなければならないんです。これは紛れもない事実で――」


「――ッ!!」


 気付けばシンゴは身を乗り出して、カワードの胸ぐらを乱暴に掴んでいた。

 息を荒くして、血走った目を限界まで見開きながら、シンゴは互いの額がぶつかりそうなほどの至近距離でカワードを睨み付ける。

 そんなシンゴを、憐れむような碧眼が見据えていて――。


「貴方はまだ不完全だ。そしてそれが、イブリースの反感を買った。イブリースの許しがない限り、どれだけ時を経ようとも、どれだけ権威を行使し続けようとも、権威が完全に馴染む事は無い。だから、『憤怒』に至る事も出来ない」


「……ッ」


 言っている意味が、全く分からない。不完全とは、どういう意味だ。

 頭の中が疑問符で埋め尽くされる。そんな頭でも、一つだけ明確に分かる事があった。それは、望んだ『力』は手に入らないという絶望の事実だ。

 カワードの胸ぐらから手を放し、椅子に腰を落としたシンゴは深く項垂れる。これで、キサラギ・シンゴの存在価値は、死は無駄になってしまった。


「僕が、力をお貸ししましょうか?」


「……ぁ?」


 甘く、脳髄に染み込むような声に顔を上げれば、妖艶な微笑みがそこにあった。


「はっきり言って、貴方の『激情』の使い方はお粗末です。僕が、お手本を見せて上げますよ。――僕を、受け入れて下さい」


 そっと、細くしなやかな指が頬に添えられる。その甘美な囁きは理性を溶かし、思考を放棄させ、抗い難い衝動のみを顕在化させる。

 喉が震え、涙が滲み、魂が震えた。吸い寄せられるように、抵抗という意思が霧散していき、そして――、


「――僕が、貴方の存在価値を証明してみせます」


「――――」


 その一言が、決定打となった。

 眼前で、椅子が振り上げられる。そのまま己に迫る死を、シンゴはただ呆然と、無抵抗のままに受け入れ――――



――――――――――――――――――――



 ――まるで、トマトを叩き潰すような光景だった。


 黒い床に叩き付けられた巨拳を中心に、血と臓物がぶちまけられている。

 下敷きになるのは、かつてキサラギ・シンゴと呼ばれた肉の塊だ。既に人の形を失い、生命の活動を停止したそれを、絶望に見開かれた少女の瞳が映し出す。


「どう、して……」


 何故、その問いに肉塊が答える事は無い。ただ無音を、死の音を返すだけだ。

 強く決意した。守ってみせると。一度は救えた。それで慢心した。


 ――その結果が、これだ。


「ボクは……ッ!」


 失望に顔を歪め、アリス・リーベは床を這いながら、真っ直ぐ手を伸ばした。

 だが、遅すぎる。もっと早く、手を伸ばさなければならなかった。掴み損ねて、彼が更に遠ざかってしまったのを感じる。

 強い後悔に心を切り刻まれながら、それでもアリスは見苦しく手を伸ばす。



 ――次の瞬間、炎が弾けた。



 グガランナの腕が跳ね上がり、その下で炎が踊るように舞い上がる。

 それは、再生の炎だ。しかし、アリスにはそれが、呪いの業火に見えて――。


「――お久しぶりですね、イナンナ様」


 声が、聞こえた。彼の、声だ。

 でも、どこか、何かが、違っているように感じられて――。


「……誰?」


 炎翼を広げ、再びこの世に舞い戻った彼に、アリスは疑念の眼差しを向けた。



――――――――――――――――――――



 炎が噴出した次の瞬間、グガランナの腕が弾かれるように跳ね上がった。予想外の出来事に虚を突かれ、のけ反るグガランナの頭上に何者かが着地する。


「――お久しぶりですね、イナンナ様」


 薄く微笑み、グガランナの頭を踏み台にする少年――キサラギ・シンゴは、右肩に炎翼を揺らめかせながら紫紺の双眸を奥へと向けた。

 その視線の先にいるのは、優雅に足を組み、宣言通り一切の手出しをせずに傍観を決め込むイナンナ・シタミトゥムだ。


「ハッ! 久しぶりとは、また愉快な事を抜かしよるな、貴様。しかし、余を楽しませようというその姿勢は評価に値する。褒めて遣わすぞぇ」


 金の扇子でシンゴを指し示し、イナンナが無邪気な笑みを覗かせる。

 その直後、頭の上に乗る羽虫を払うように、グガランナが腕を薙いだ。しかし既にシンゴはトンボを切って飛び降りており、危なげなく床に降り立つと、


「相変わらずのようで、何よりです」


 苦笑と共に、皮肉とも取れる返答を口にした。

 そして、咄嗟に上半身を倒して前かがみになると、次の瞬間、その頭上をグガランナの剛腕が通過した。背後からの奇襲を、目視する事無く回避する。

 次にシンゴは、その体勢から跳躍。先ほどの後方宙返りとは逆に、今度は前方に鋭く回転――後方に振り上げられた踵がグガランナの顎を正確に捉えた。


「――――――――ッ!?」


「僕に不意打ちを喰らわせたいのなら、その野蛮な敵意をどうにかしなよ」


 宙返りを終えて着地し、シンゴは踏鞴を踏んで後退するグガランナに振り返る。

 そんなシンゴの挑発に、グガランナは唾を飛ばしながら咆哮。鼻息を荒くさせ、興奮した様子で血走った目を向けてくる。

 その濃密な殺意を、シンゴは涼しげな顔で受け止めて――、


「――アリス・リーベ。手出しは無用だよ」


「――っ」


 振り返る事無く、駆け寄って来ようとしていたアリスに釘を刺した。

 息を呑む気配を背中に感じて、シンゴは薄い笑みを張り付けた顔で振り返ると、


「君は、邪魔だ」


「――っ」


 はっきりと拒絶の意を伝えられ、足を止めたアリスが鋭く息を詰める。

 そのシンゴを見つめる眼差しは、どこか得体の知れないものを見るかのようで。


「――さて」


 そんなアリスから視線を外し、シンゴは顔を前に戻してグガランナを見る。

 そして、首の横に片手を添えると――、


「貴方には今から、教材になってもらいます。――そう、お勉強の時間だ」


 こきりと首の骨を鳴らしながら、優しく微笑み掛けるのだった。


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