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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:59 『アステリオス』


 ――広い空間だ。


 平面な床は黒い鉱石のような物で出来ており、弧を描くように伸びる氷壁は、そのままドームのようにこの空間を閉ざしている。

 そして頭上を見上げれば、緩やかにカーブする天井部、その一部分に何かが突き破ったかのような穴がぽっかりと空いていた。


 ――そんな空間内で、一際目を引くモノが三つ存在する。


 一つ目は、この場に似つかわしくない赤い鳥居だ。左右等間隔に並び、真っ直ぐ奥まで伸びるそれは、何やら薄気味悪い印象を受ける。

 二つ目は、その赤い鳥居の先にて悠然と佇む、口元に浮かべた嘲笑を金の扇子で覆い隠す美貌の女――イナンナ・シタミトゥムだ。


「――――」


 ――しかし、それら二つを差し置いて、シンゴの視線は最奥に見える“それ”へと釘付けになっていた。


「あれは……」


 絞り出すような、戦慄に震える声が聞こえた。それは、シンゴと同じ物を見て、唖然と目を見開きながら立ち竦むアリスの声だ。

 二人の見つめる先、見上げるほどに巨大で、氷で覆い尽くされた、静かに荘厳な威容を放つ“それ”を、一言で言い表すとするならば――、



 ――一匹の、巨大な『亀』だ。



 このドーム状の空間、その最奥に、亀を模した巨大な氷像が鎮座している。

 おそよ、シンゴの知る亀の大きさとは桁違いだ。敢えて比較対象を挙げるとするならば、その資格を有するのはおそらくクジラくらいのものだろう。


「おい、貴様ら。そのような畏敬に類する眼差しは、氷の彫刻などではなくこの余にこそ向けよ。その無礼、いくら寛大な余といえども見過ごせぬぇ?」


 苛立ちを孕んだ声が差し込まれ、ようやく意識のピントが現実に焦点を結ぶ。見れば、射殺すような金眼がこちらを鋭く見据えていた。

 その殺意を孕んだ眼差しを紫紺の瞳で受け止めて、シンゴは煮え滾るような怒りと憎悪が腹の底から込み上げてくるのを自覚し――。


「……歪は、どこですか?」


 それをぐっと抑え込み、姿の見えないもう一人の『罪人』について尋ねた。

 辺りを見渡しても、あの飄々とした不真面目な男の姿は見当たらない。

 そんなシンゴの質問に対して、イナンナは一瞬、本当に何を言われたのか理解できないような顔で小首を傾げるが、すぐに「ああ」と思い出したように声を上げ、


「アレなら、途中で捨ててきた」


「――――」


 それは全く予想もしていなかった回答で、あまりにも馬鹿らしいものだった。

 味方を捨てて、わざわざ戦力を減らしたと言うのだ。虚言だと切り捨てるのが普通だろう。だが、果たしてこの女が嘘を吐くような性格だろうか。

 信じ難く、理解もし難いが、おそらく本当に捏迷歪はこの場にはいない。

 この短時間で、そう信じるに足る信用をイナンナ・シタミトゥムは築き上げている。信用と、そう呼ぶには些か抵抗があるのは否めないが。


「そう心配せずとも、貴様らの相手はしてやるぇ。――なに、その浅はかで無謀な蛮勇に対する余なりの敬意よ。それ、感激して涙するがえぇぞぇ?」


 こちらを見下す発言と舐め切った態度、それにシンゴが反感を抱くよりも先に、イナンナが「ただし」と鋭い音を立てて扇子を閉じる。


「余は手を出さぬ。貴様らは無様に舞い、今度こそ余を楽しませてみせよ」


 妖艶な笑みを纏い、段差に腰を下ろしたイナンナが優雅に足を組む。

 その直後、何かが天井を突き破って、シンゴのすぐ目の前に落下してきた。

 象ほどはある漆黒の体躯に、血走った真紅の瞳でこちらを睨み付けるのは、捏迷歪同様にその姿が見当たらなかったグガランナで――。


「――ッ!?」


 眼前で剥き出しの殺意が放射され、シンゴは鋭く息を詰める。これほどまでの殺意を、しかしシンゴは今の今まで微塵も感知する事が出来なかった。

 イナンナがその権威で何かグガランナに干渉したのだろうか。真相は定かではないが、今この瞬間においてそれは些細な問題でしかない。


 ――そう、問題は、完全に後手に回ってしまったこの状況である。


 帯電する金角と、この悪意の質からして、まず間違いなく例の落雷がくる。

 だが、それを看破したところで、対処する猶予までは――。


「――無駄」


 その声は、蝙蝠に似た翼を広げて、音もなくグガランナの背後に降り立つ人影――白髪を揺らし、ゆっくりと振り返るリノアのものだ。

 それは、あまりにも鮮やかな一瞬だった。リノアは刹那の踏み込みでグガランナを追い越し、すれ違いざまにその鋭利な翼で双角を切断したのだ。


「――――――――ッッ!?」


 一拍遅れて、痛覚を自覚したグガランナの絶叫が『冥現殿』を震わせる。

 そしてそれが、開戦の合図となった。


「いきますよ――ッ!」


 唾液を撒き散らし、悶え苦しむグガランナ――その懐に一気に飛び込み、シンゴは『激情』で強化された拳をその鼻先に躊躇なく叩き込んだ。

 重厚な岩を殴り付けたかのような抵抗感、それを腰の捻りで無理やり突き破り、シンゴの鉄拳がグガランナの顔面を潰しながら吹き飛ばす。

 だが、グガランナの四肢は地から離れる事無く、黒い床を滑るように後方へと――先ほど双角を切断してみせたリノアの方へ。


「――!」


 それを迎撃すべく構えるリノアだったが、ハッとして両翼を眼前で交差させる。次の瞬間、空気の爆ぜる音と共にグガランナの後ろ脚が放たれた。

 その強烈な後ろ蹴りは交差した翼に激突し、踏み止まろうとしたリノアを僅かな拮抗の末に吹き飛ばす。あのリノアを、『激情』を発動させたシンゴを易々と屈服させた『真祖』の力を、あろう事かグガランナは上回ったのだ。


「――――――――ッッ!!」


 リノアを蹴り飛ばし、後退を終えたグガランナが天を振り仰ぎ咆哮。そしてその角を欠いた頭を低くして、今度はシンゴに向けて突進してきた。

 猛然と迫る大質量の黒塊。リノアの件から見ても、これを真正面から迎撃するのは不可能だ。回避するしかない。


「エンチャント・デ・ウィンド――!」


「――!?」


 飛び退こうと足に力を入れるシンゴ、その横を黒い突風が追い抜いた。一陣の風となり、グガランナに向かって行くその背中は――アリスだ。

 先のリノアを見ていなかったのか、グガランナに正面から突貫するその姿は無謀の一言だ。このままでは確実に、アリスの華奢な肉体は挽き肉と化すだろう。


 ――だが、その心配は杞憂だった。


 グガランナと衝突する寸前、アリスの体が深く沈み込む。その勢いを殺さず、アリスは黒い床を滑りながらグガランナの股下へと潜り込んだ。

 そして、ぐっと両足を引き寄せて体を丸めると、次の瞬間、まるで潰れたバネが一気に弾けるように、槍の如く束ねられた両足がグガランナの腹に突き刺さり、その巨躯を砲弾のように真上へと蹴り上げた。


「――我、仕返し」


 天井を突き破らんばかりの勢いで打ち上がるグガランナ、その先にて待ち構えるのは、翼を羽ばたかせて浮遊するリノアだ。

 仕返しを宣言し、リノアは翼を器用に使って空中で回転。口から血を吐きながら飛んでくるグガランナ、その背骨に鋭い回し蹴りを叩き込んだ。

 くの字に折れていたグガランナが、今度は背中への一撃でさば折り状態となり急降下する。その先にいるのは――シンゴだ。


 追撃しろ、というリノアの意思を受けて、シンゴは腰だめに拳を構える。

 深く腰を落とし、タイミングを計る。狙うは――、


「顔面――ッ!!」


 最初に殴った鼻先、同じ部位に引き絞った拳を激突させる。

 溜めを作った分、最初のような抵抗感はほとんど感じなかった。代わりに、深く突き刺さった拳が骨を陥没させ、不快な感触が腕を這い上がってくる。

 その不快感を奥歯で噛み潰し、斜め下に叩き付けるような軌道で腕を振り抜く。黒い床を罅割れさせ、その巨体が同じ色の床を大きくバウンドする。


「――――――――」


 床を滑り終え、横たわったままのグガランナはピクリとも動かない。それを見届けてから、シンゴはゆっくりと詰めていた息を吐き出した。

 ふと前髪を揺らす風に振り向けば、アリスがここまで退いて来ていた。ちらと視線を交わし合い、同時に目を向けるのは、次なる相手――イナンナである。

 大事なペットを倒されて、その愉悦の絶えない顔が屈辱に歪んでいるかと思いきや、そこにあったのは相も変わらぬ余裕の笑みで。


「確かに、余の美貌に見惚れるのは至極自然の心理、そして至極当然の真理よ。しかし、やはり貴様らは阿呆よなぁ。――舞の佳境はここからぞ?」


「――ッ!!」


 瞬間、吹き上がる悪意を感じ取り、シンゴは鋭く息を詰める。そちらに目を向ける暇すら惜しみ、反射的にアリスを突き飛ばした。

 突き飛ばされたアリスは大きく目を見開き、シンゴに向けて手を伸ばす。だが、その手がシンゴに届く事はなく、ただ何もない空間を掴むだけだった。


 ――おそらく、いや確実に、シンゴは死ぬ。


 『白猿』と戦った時と比べて、アリスの調子は完全に復調した様子だ。

 それどころか、以前よりもその身体能力が大幅に向上しているように思える。それが血を吸った事による恩恵なのかどうかは分からない。仮にそうだったとした場合、再生能力も同様に向上している可能性はあるだろう。


 ――しかし、たとえそうであったとしても、アリスに死より先はない。


 だが、シンゴはそうではない。それに、痛みに慣れていないアリスよりも、痛苦を経験し続けてきたシンゴこそが肉の盾を担うべきだ。当然の結論である。

 そう、当然。つまり、当たり前。故にシンゴは、何も間違っていない。

 醜く、歪んだ笑みが口元を彩る。――本人には、自覚のない笑みが。


「エア・デ・バースト――ッ!!」


「ぅぐっ……!?」


 詠唱が響き渡り、伸ばされていたアリスの手の先で空気の塊が爆発する。その暴力的な突風を全身に浴びて、シンゴの体が後ろに吹き飛ぶ。

 その直後、シンゴのいた場所を一筋の落雷が貫いた。氷の天井を突き破り、降り注いだ雷撃は黒い床を抉って、小さな穴を穿つ。


「キミは……ボクが守る!」


 アリスの声が遠くから聞こえる。その言葉の通り、シンゴはアリスに助けられた。助けたつもりが、助けられていた。

 シンゴだって、死ぬのは嫌だ。避けられる事なら避けたい。だから、ここは安堵すべき場面なのだろう。しかし、胸の奥に募るのは苛立ちで――。


「いや、今は……!」


 かぶりを振り、シンゴは立ち上がると、悪意の発生源へと紫紺の眼差しを向けた。そして、その先の光景に小さく目を細める。

 シンゴの視線の先、倒したと思っていたグガランナが立ち上がっていた。しかも、その頭部にはリノアが切断したはずの金角が復活している。


「再生……っ!」


「……厄介ですね」


 復活した金角に気付いたアリスが驚愕し、シンゴは舌打ちをこぼす。

 よく観察してみれば、先ほど三人がかりで与えたダメージが全て回復している。回復力自体は『真祖』ほど高くない様子だが、問題はその打たれ強さだ。

 吸血鬼に比べて遥かに耐久力がある分、その回復力も相まって、倒すのに非常に難儀しそうな未来が見える。そこに『真祖』であるリノアを凌ぐ力も加えれば、攻略の難易度は更に跳ね上がるだろう。


 ――が、その考えが甘かった事をシンゴは直後に悟る事となる。


「ォ、ォオ、ォ…………ッ!」


「……な」


 ごぎりと、異音を奏でたかと思うと、グガランナの体が不自然に隆起した。やがてその変化は全身に及び、その骨格を著しく歪めていく。

 骨が肉を裂き、皮膚を突き破って、血が噴出する。そして最後には、治癒して完全に塞がる。そのサイクルには激しい苦痛を伴うらしく、グガランナの口から苦しげな呻き声が絶えず漏れ出ている。


 ――あれは、ヤバい。


 本能がそう警鐘を鳴らしている。あれをこのまま放置していれば、何か取り返しのつかない事態を招く事になると。

 叩くなら、今しかない。どうやらアリスも同じ事を感じ取ったらしく、ほとんど同時にグガランナへ向けて走り出していた。


「――ッ!?」


 その途中、シンゴはまたしてもあの悪意――落雷を察知して息を詰める。何度も経験しているのだ、タイミングを計って躱す事は出来ないではない。

 ただし、それはシンゴが狙われた場合の話だ。アリスに悪意感知の力はない。いや、たとえあったとしても、“これ”を回避するのは不可能である。


 何故ならば、悪意はグガランナを中心に大きな円を描いており――。


「――――――――ッ!!」


「づぁっ……!?」

「ぅあっ……!?」


 咆哮と共に、歪な形状のグガランナが己を中心に放電を解き放った。

 既にその円の中に踏み込んでいて、回避が間に合わなかったシンゴとアリスを電流が貫く。範囲を広げた分その威力が落ちるのか、ダメージは深刻ではない。

 だが、全身が痺れて、体が一切言う事を聞かない。見てみれば、アリスもシンゴと動揺に膝を着き、苦鳴を漏らしている。


 ――マズい。


 心の中で歯噛みして、背中に冷や汗を掻くシンゴは焦燥を募らせた。

 再び、グガランナの悪意が膨らむのを感じる。明確な殺意、また落雷がくる。それも今度は先の範囲放電ではなく、威力を集約したあの落雷を放つつもりだ。

 その殺意の照準がシンゴとアリスに向けられている。シンゴはともかく、この身動きが取れない状態でアリスがあの落雷を受ければ、確実に死――


「「――!?」」


 死が二人に降り注ぐその寸前、シンゴとアリスの体が黒い何かに包み込まれ、勢いよく後ろに引っ張られた。

 二本の落雷は黒い床を穿ち、クレーターを刻むに止まる。


「……無事?」


「助かったよ、リノア……」


「ボクも、ありがとう……」


 絶体絶命の二人を救ったのは、リノアの持つ蝙蝠の翼だった。その翼が拡大し、二人を包み込んで死地から引っ張り出してくれたのだ。

 腰を床に落として、リノアに感謝を述べる二人だったが、その体は痺れていてまだ上手く立ち上がる事が出来ない。

 そうしている内に、グガランナの変化が完了を迎えた。


「――――――――」


 二本の足で地を踏み締めて、前脚は人のような腕に変化。全身を覆うのは異様に発達した分厚い筋肉で、更にその上を真っ黒な体毛が埋め尽くしている。

 背筋は真っ直ぐに伸び、背丈は優に三メートルは下らない。その外見から連想されるのは、伝説上の牛の怪物――ミノタウロスだ。


「――――――――ッッ!!!!」


「……っ」


 魂を委縮させるような、本能的な恐怖を呼び起こす咆哮が大気を震わせる。

 そこでふと、カチカチと鳴る耳障りな音の存在に気付く。すぐにそれが、自分の口から漏れる音だと理解し、シンゴはぐっと奥歯を噛み締めた。

 『ウォー』での一件、沢谷優子の悪意に精神が悲鳴を上げた時と同じだ。悪意を正確に読み取るこの異能は、行動を束縛される弊害を伴う。


「大丈夫……僕は、死なない……大丈夫……ッ!」


 頭を抱え、呪詛のように呟きながら、強く噛んだ唇から血を流す。

 ふと、その時だ。頭を抱える両手に、何者かの手がそっと添えられた。ハッとして顔を上げれば、左手をアリスが、右手をリノアが握っており――。


「大丈夫。ボクがキミを守るから」


「我も、守る」


「…………」


 力強く頷き掛けてくる二人に、シンゴは呆然と目を見開いていたが、やがて二人の手を乱暴に払って立ち上がった。


「……すみません。少し、取り乱しました」


 もう大丈夫です、と続けると、立ち上がった二人がそれぞれシンゴの隣に寄り添うようにして並ぶ。全身の震えは――幾分か収まっていた。


「……僕も、二人を守ります」


「守らずともいい」


 シンゴの宣言を即座に否定したのは、右に立つリノアだ。シンゴが眉を寄せながら見ると、リノアは油断なくグガランナを見据えながら言ってきた。


「一瞬、止めるだけでいい。――隙を」


「……分かりました」


「じゃあ、ボクが先に出るよ。シンゴは後に続いて」


 リノアには何か、考えがあるのだろう。そう判断したシンゴは静かに頷く。

 その了承に間髪入れず、アリスが先行宣言を続けた。咄嗟にシンゴは否を唱えようとするが、風を纏い駆け出すアリスの方が一足速い。



 ――だが、そんなアリスよりも尚、グガランナの方が速かった。



 一歩、たった一歩だ。アリスが一歩を踏み出す間に、グガランナの一歩は彼我の距離を全て踏み潰し、アリスの目と鼻の先に到達していた。

 その踏み込みの勢いのまま、グガランナの剛腕がうなりを上げて放たれる。出鼻を挫かれ、完全に虚を突かれる形となったアリスに回避の余裕はない。

 助けに入ろうにも、とてもではないが間に合わない。シンゴはただ、アリスが羽虫のように潰される様を見届ける事しか――。


「ふッ――」


 聞こえたのは、鋭く呼気が吐き出される音だ。

 回避という選択肢を取り上げられて、アリスが取った行動は――前進。つまり、真正面からの迎撃だった。

 左足を軸に鋭く腰が捻られ、流麗な弧を描きながら右足が跳ね上がる。その柔軟な股関節が、足先が白髪を飛び越える事を許容する。


 ――次の瞬間、見惚れるほど美しい上段蹴りと、巨岩の如き黒い拳が激突した。


 生ゴムが破裂するような音が鳴り、弾かれたグガランナの腕が肘の辺りで千切れ飛ぶ。だが、アリスの方も無事ではない。

 足こそ千切れはしなかったものの、衝撃でアリスが後ろに吹き飛ばされる。しかし幸いにして、その先にはシンゴがいた。

 砲弾の如く飛んでくるアリスを受け止めるべく、シンゴは両手を伸ばすが――、


「――っ!?」


 その向こう、千切れた腕の事など意に介さず、グガランナが残った左腕で赤い鳥居を雑草を引き抜くように軽々ともぎ取るのが見えた。

 シンゴがアリスを受け止めるのと、グガランナが手に持った鳥居を大きく振りかぶるのはほとんど同時だった。


「くっ……!」


 ――出し惜しんでいる場合ではない。


 この後に控えるイナンナとの闘い、その為に温存していた切り札をシンゴはこのタイミングで切る事を決断する。

 ぎろりと、危うい輝きを放ちながら紫紺の瞳がグガランナを射抜いた。鳥居を振りかぶったままの体勢で、ビクンと肩を震わせたグガランナが静止する。


「――シンゴ、いい判断」


 ふわりとグガランナの肩に降り立ち、シンゴの咄嗟の判断を褒め称えながら、翼を閃かせたリノアがグガランナの手に握られた鳥居を粉々にする。

 次にリノアは、その小さな口をあーんと開くと、グガランナの首筋に鋭い牙を突き立てた。こくりと、小さく喉が鳴る。――血を、吸ったのだ。

 そして、すぐさまそこから飛び降りる。その直後、数瞬前までリノアのいた空間を黒い剛腕が薙ぎ払った。それは、既に再生を終えたグガランナの右腕で。


 ――明らかに、再生力が向上している。


 加えて先の踏み込み、向上しているのは再生力だけではない。その身体能力もまた、著しく向上しているのが窺えた。――おそらく、耐久力も同様だ。

 でなければ、リノアは鳥居ではなく腕の方を切断していたはずだ。そうしなかったという事は、簡単には切断できないと判断したのだろう。

 そしてそのリノアが、シンゴのすぐ近くに降り立ち、短く告げてきた。


「次は、時間稼ぎを」


「……何秒ですか?」


「六十秒ほど」


 提示された時間に、アリスが形のいい眉を顰めるのが見えた。無論、シンゴも同じ心境だ。今のグガランナを相手に、一分もの時間を稼ぐのは非常に厳しい。

 だが、リノアもそれは重々承知のはず。その上で無茶な要求をしてくるのは、きっと形成をこちらの有利に傾ける策があるからこそだ。

 しかしそうなると、リノア抜きで戦わなければならない訳で――。


「それでも、やるしかないよ」


 そんなシンゴの不安を見抜いたように、アリスが毅然と前に歩み出る。

 その背中を後ろから見つめて、シンゴは胸の奥を羞恥の熱が焦がすのを感じた。

 自分が情けなくて恥ずかしい。怖気づいて、守られてばかりで、自分の存在価値が希薄になるのを感じて、心の底から悔しさが込み上げてくる。

 全身に巡る『激情』の力が強さを増したのを感じた。でも、まだ足りない。もっと劇的に、圧倒的な『力』が必要だ。その為には、やはり――、


「――え?」


 とん、と軽く肩を押されて、その場に尻餅を着いたアリスが呆けた声を上げる。その小さな声を置き去りに、シンゴはグガランナに向けて駆け出していた。

 真っ直ぐ向かって来るシンゴに対し、グガランナが無言で拳を振り上げる。そんなグガランナの眼前で停止し、シンゴは両手を広げた。


「シンゴ――ッ!?」


「――――」


 アリスの悲鳴を背中に受けながら、シンゴは振り下ろされる拳を見上げ――、




 ――狂笑で以て、その死を受け入れた。


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