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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:58 『隣に並ぶ足音』


「そんな、事が……」


 事の経緯をゴンから聞き終えて、シンゴは唖然としながら声を震わせた。

 目の前に横たわるのは、静かな寝息を立てるリン・サウンドだ。その背中の深い裂傷は既にシンゴの炎翼によって治療されており、命にも別状はない。

 だが、ホッとするのも束の間、ゴンの口から語られたのは、『星屑』の襲撃によって壊滅に等しい打撃を受けた集落の凄惨たる状況だった。


「――行くよ、レミア!」


「はい、ラミアお姉さま!」


「なっ、待ちなさい――っ!?」


 目を見開いて言葉を失うシンゴと違い、真っ先に動いたのはラミアとレミアの双子だ。そんな二人を咄嗟に制止する声は、父親のガルベルトのものである。

 しかし二人は父親の声に振り返る事無く、集落に向けて走り去って行った。


「……ッ」


 苦虫を噛み潰したような表情で、ガルベルトが伸ばしかけた手を下ろす。

 問題が集落だけにあるのならば、ガルベルトも迷わず二人を追いかけただろう。しかし現在、直面する問題はもう一つ存在する。


「――俺は、あの女と歪を追う」


 そのもう一つの問題、二人の『罪人』と牛の化け物が飛び去った方角――『冥現山』へと鋭い眼差しを向けて、シンゴは決意を述べた。

 本音を言えば、囮となったカズと、所在も生死も不明のイレナが心配だ。それでもやはり、シンゴが向かうべきは二人の下ではないだろう。


 結局、この危機を乗り越えたとしても、状況は振り出しに戻るだけなのだ。

 故に、手に入れなければならない。『冥現山』に存在するという『宝』を。『金色の神域』から解放される為に必要な、絶対不可欠のピースを。

 それに、シンゴは信じている。あの二人を。仲間の事を。だからシンゴは、仲間を信じて、自分に出来る事をするのみだ。


「――ならば、私も同伴しましょう」


 そう言って振り返ってくるのは、既に切り替えたらしいガルベルトだ。先ほど見えた苦渋の表情は、既にポーカーフェイスの下に押し隠されている。

 そしてシンゴは、やはりこうなるか、と心の中で舌打ちをこぼした。


「いや、ガルベルトさんは、集落に向かうべきだろ……」


「ふむ……それは何故ですかな?」


「逆に聞きますけど、なんで集落じゃなくて、『冥現山』なんですか?」


 質問に質問で返すシンゴに、ガルベルトは後ろで手を組み、静かに瞑目。


「それが、最優先事項だからです」


「――違うな」


「……なに?」


 シンゴの否定を受けて、ガルベルトが薄く片目を開く。その鋭い眼差しには微かな険が込められており、無言で言葉の真意を問うていた。

 まるで首筋に刃を添えられたかのような錯覚を覚えながら、シンゴは乾いて張り付いた唇をゆっくり引き剥がすと、背後の『冥現山』を親指で示して言う。


「あんたの最優先は、あの山にはねえはずだ。――あるのは、集落の方だろ?」


「…………」


 声の震えを必死に抑え込み、鋭い眼差しを真っ向から受け止めるシンゴ。その返答に、ガルベルトの眉間が深い皺を刻む。


「……娘たち、そう仰りたいのですかな?」


「――――」


 無言で頷き、肯定する。それを受け、ガルベルトは深いため息を吐き出した。


「よろしいですかな? 現状において、私はシンゴ殿に戦力以上の期待をしておりません。それも、ないよりはマシ、程度のものです。その口がそれ以上不毛な言葉を吐き出すというのであれば、再びあの地下牢に……次は脱獄など確実に出来ない手荒な手段で叩き込む事になりますが、それでも構わないと――」


「ガルベルト。行かせてやるといい」


「――っ!?」


 思わぬ人物から横槍が入り、ガルベルトが言葉を詰まらせる。

 その平坦な声音に振り返れば、先ほどまでイチゴの胸に顔を埋めて、小さな嗚咽を漏らしていたリノアがいつの間にか立ち上がっていた。

 目元は赤く腫れ上がり、しかし顔に浮かべられるのはあの無表情で。


「我も行く。だから、ガルベルト。――行かせてやって欲しい」


「しかし、リノア様……っ!」


「シンゴには、その権利がある」


 そう言って、リノアはシンゴを――続いて、イチゴを見やった。

 表情は変わらず無表情で固定されたままだが、イチゴを見つめるその紅い瞳には深い自責の念が揺れていて。

 それを見たシンゴは、小さな嘆息をこぼしていた。


「イチゴの件は、別にお前の所為じゃねえだろ」


「でも、我、何も出来なかった。何も出来ず、挙句……」


「――――」


 足元に視線を落とすその姿は、どこか叱られるのを待つ幼子のようにも見えて。

 気付けばシンゴは、妹にするように、その綺麗な白髪の上に手を乗せていた。


「――大丈夫だ。分かってるから」


「――――」


 優しく微笑みかけるシンゴに、顔を上げたリノアが目を丸くする。

 別に、単なる慰めで言った訳ではない。何も出来なかったとリノアは言ったが、事実は少し違っている。――何もさせてもらえなかった、が正解だ。


「あいつら、お前の事をちょっと過剰なくらい警戒してたからな」


 あの時の、敵方のリノアに対する警戒は群を抜いていた。悪意を微細に感知できるシンゴが見積もって、その配分はおよそ七。

 個人に向けるには過剰なその警戒は、ひとえにリノアの『真祖』としての力を恐れての事か、はたまた他に理由があっての事か。

 理由はどうあれ、あそこまで警戒されていては、迂闊に動く事も出来まい。相手の力が未知数である以上、それは尚更だ。


「だから、一番速く動けるガルベルトさんが先手を仕掛けた。相手に何かをされる前に仕留めるつもりで。……まあ、結果はあの様だったけど」


「耳が、痛いですな……」


 思わぬ飛び火に、ガルベルトが恥じ入るように目を閉じる。しかしシンゴも似たような結果だったので、これ以上そこをほじくり返すつもりはない。

 最後に頭をぽんぽんと叩いて、シンゴはリノアの頭から手をのける。リノアはしばし無言で叩かれた頭を両手で撫でていたが、やがてその手を下ろすと、


「……我は、我が許せない。それ以上に、あの者が許せない」


「リノア様……」


「必ず打倒する。『アレ』も、決して渡さない。我とシンゴに任せて、ガルベルトはあの者らの下へ」


「……しかし、お二人だけでは」


 リノアの懇願、そして最後に添えられた配慮に、ガルベルトの顔が逡巡に歪む。

 だが、確かに戦力不足は否めない。リノアの『真祖』としての力は未知数だが、そこにシンゴを加えたとしても、奴らに勝てるビジョンはまず浮かばない。

 しかし、その懸念は思わぬ人物によって打ち砕かれる事となる。


「――なら、ボクが行くよ」


 不意に割り込んだ声は、今まで沈黙を貫いていたアリスのものだ。

 風雪に白髪を遊ばせながら、アリスはゆっくりと歩み寄ってくる。やがてシンゴの前で立ち止まると、目を丸くするシンゴ、その右肩に揺れる炎翼を見た。

 そして、おもむろに手を伸ばして――、


「なっ――!?」


 ――アリスの手が触れた次の瞬間、火の粉を散らすように炎翼が霧散した。


「どうやらボクには、『罪人』の権威を無力化する力があるみたいでね」


 自分の手の平に視線を落とし、驚くべき告白をしてくるアリス。シンゴは目を見開き、ガルベルトとリノアはそれぞれ息を呑んで、目を丸くしている。

 思い出してみれば、確かにアリスは一度も『言霊』の影響を受けていない。それどころか、アリスに触れられたシンゴは『言霊』の呪縛から解放されている。

 そこに炎翼の件も加味すれば、アリスの言葉が虚言でない事は明白だ。


「どうしてボクに、こんな事が出来るのかは分からない。でも、ボクがいれば、あの『言霊』に縛られても正気に戻せる。ただ、どうやら接触が前提になるみたいで、あまり人数が多いとボクの手が回らない。……それに」


「――動き回り、速さで翻弄する私の戦い方では、相性が悪い」


「……はい」


 ちらりと視線を向けられ、アリスの懸念を見抜いたガルベルトが先に述べる。

 それにアリスが首肯すると、ガルベルトは思案するように目を細めて沈黙。やがて深く吐息をつくと、指を一本立ててきた。


「一つ、条件がございます」


 そう言って、ガルベルトはその紅の瞳をシンゴに向けてくる。

 その視線にシンゴが神妙な面持ちで応じると、ガルベルトはちらりと視線を横に流し――立てた人差し指を曲げて、イチゴを指し示した。


「イチゴ様の身柄は、我々が預かります」


「……ガルベルト」


「ああ、それで構わねえよ」


「――!」


 咎めるように、低い声音でリノアがガルベルトの名を呼ぶ。しかし直後にシンゴがあっさり承諾した事で、驚いたように振り向いてきた。

 リノアにしては珍しく、目を丸くして驚愕を顕にしている。それほどまでに、シンゴがガルベルトの提案を呑んだ事が意外だったのだろう。


「……本当に、よろしいのですかな?」


「よろしいも何も、こっちから頼みたいくらいだって」


 確認してくるガルベルトに、シンゴはむしろ歓迎だと苦笑交じりに肩を竦める。

 事実、現状においてイチゴの身の安全を第一に考えるのなら、吸血鬼の保護下にあった方が一番安全なのは確かなのだ。

 それにもしも、本当にイチゴに手を出そうものなら、その時は――、


「――僕も、躊躇なく貴方の大切なモノを奪いますので、悪しからず」


「……ッ」


 顔を寄せて、耳元でそう囁くと、ガルベルトから息を呑む気配が伝わってきた。

 ゆっくりと体を離し、シンゴは口元に仄暗い笑みを落とす。その紫紺の双眸と微笑みに見つめられて、ガルベルトが警戒と戦慄に頬を硬くする。

 唇を震わせ、何か言葉を紡ぎ出そうと口を開閉させていたガルベルトだったが、やがて脱力するように長い息を吐き出した。


「イチゴ様とトゥレス、そちらの姉弟はこちらから四名の護衛を付けた上で城にて匿います。そして、シンゴ殿とアリス嬢、リノア様の三名は『冥現山』に。私は残った他の者らを連れて、集落の方へ向かう事とします」


 如何ですかな、と問うてくるガルベルトに、シンゴ達は揃って頷いた。

 その肯定を見届けて、ガルベルトも同じように頷き返すと、


「あまり時間もございません。早急に動く事と致しましょう」


 降雪の勢いが増し、もはや吹雪と言っても差し支えない状況下、ガルベルトのその言葉を合図に、シンゴ達は揃って行動を開始した。



――――――――――――――――――――



 城の前でのやり取りの後、シンゴ達が向かったのは城の中だった。

 先導するのはリノアだ。近道をすると言った彼女に率いられて、シンゴとアリスはそれぞれ怪訝な面持ちで小さな背中に続く。

 やがて三人が辿り着いたのは、城の三階――あの書庫だった。


「――シンゴ。届かない」


「あー、はいはい」


 とある本棚の前で立ち止まったリノアが、しばらく上を向いて硬直していたかと思うと、シンゴに向けて手伝うように要求してきた。

 この書庫に入った時点でリノアの考えを察していたシンゴは、バンザイするリノアを後ろから持ち上げて、指示通りにその軽い体を動かしてやる。


 シンゴの手を借りたリノアは淀みない手つきで次々と収められている本を奥へ押し込んでいき、やがて遠くで何かが開く音が響いた。

 その音のした方に移動すると、最奥中央の本棚が左右に開き、その後ろに隠されていた地下へと続く階段が姿を現していた。


「これは……」


「近道。ここから『冥現殿』に行ける」


 物珍しそうな視線を本の山々に送っていたアリスが、現れた隠し扉を見て目を丸くする。それに答えるリノアは、何故か薄い胸を張って自慢げだ。

 そして、そんなリノアの返答を横で聞きながら、シンゴはあの時の自分の考えが間違っていなかった事を悟る。


『どうやらお前の推測通り、あの通路は『冥現山』に続いていたようだな』


『まさか、こんな形で答え合わせする事になるとは思ってなかったけどな』


 頭の中で響く『声』に応じ、シンゴはリノアを見た。その視線を受けて、リノアは無言で小さく頷くと、先導するように開いた本棚の奥へと歩を進める。

 そんなリノアにシンゴとアリスも続く。長い階段を下りて、見知ったあの通路が姿を現すと、三人は特に会話を交わす事無く、無言で先へと進み始めた。


『なあ、ベルフ。あの女の権威……どう思う?』


 ちょうどいいと思い、シンゴは敵の権威について分析する事にした。

 はっきり言って、あの女の権威は未解明な部分が多い。いくらアリスが『罪人』の権威を無力化できると言っても、何も対策を講じないよりはマシだろう。


『……はっきりそうだとは断言できないが、あの一戦にて、私はあの女が二種類の権威を使い分けていたように感じた』


『そこは俺も同意見。一つは、問答無用でその言葉通りに従わせる『言霊』の権威。そしてもう一つは、ガルベルトさんを吹き飛ばして、俺を跪かせたあの力』


 あの時の二回だけ、あの女の悪意が『言霊』を使う時とは違って感じられた。

 あれは『言霊』とは似て非なる、別種の権威と考えるべきだろう。何よりも、『言霊』を使う時とは明確に異なる相違点が存在する。

 そしてそれには、ベルフも気付いていたようで――、


『あの、言葉の最後を結ぶ“メー”という不可解な単語。憶測の域を出ないが、私にはあれが、『言霊』とは別の権威を発動させる為の鍵に思えてならない』


『口癖……なんかじゃないだろうな。仮にだけど、あれがもう一つの権威を発動させる為に必要不可欠な、何か詠唱みたいなもんだとしたら……』


『いや、それが事実だとしても、やはり意味はないだろう。あの女の言葉を最後まで聞いて、それから動いていては遅すぎる。それよりもまずは、『言霊』とは別の権威、その能力についてはっきりさせるべきだ』


 論点が違うと指摘してくるベルフに、シンゴは眉間に皺を寄せて黙考する。

 『言霊』の権威に関しては、その言葉を聞いた者を無理やり従わせる絶対服従の力、そう考えて間違いないだろう。

 問題は、最後を『メー』で結ぶもう一つの権威だ。あの時の、シンゴとガルベルトの身に起きた事、その比較から見えてくるものは――。


『――何か、見えない力で膝を着かされた感じがした』


『見えない力……?』


『あれが『言霊』だったら、俺は自分の意思で膝を着こうとしたはずだ。でも、あの時はそうじゃなかった。――俺の意思は、縛られてなかった』


 顎に手を当てて、目を細めるシンゴの思考が加速する。

 シンゴに向けて、あの女は『跪け』と言った。やろうと思えば『言霊』の権威でも同じ事は出来たはずだ。故にこの場合、着目すべきはガルベルトの方である。

 ガルベルトに対し、あの女が放った言葉は『吹き飛べ』。『言霊』の権威が相手の意思を服従させる力だとしたら、あんな風に体が勝手に弾け飛ぶのは不自然だ。

 そう、言うなれば、あれは――、


『あの女の言葉が、現実になった……?』


 その可能性に触れた瞬間、シンゴはぞわりと肌が粟立つのを感じた。

 あくまで可能性の話、されど否定も出来ない現実がそこにある。

 仮に、その可能性が正解だったとした場合、イナンナ・シタミトゥムの持つもう一つの権威、その能力とは――、


『現実を、自分の思い通りに、捻じ曲げる力……?』


 愕然と両目を押し開き、シンゴはその場で足を止めていた。

 己が理想を世界に押し付け、塗り潰し、否定する。それはひどく独善的で、圧倒的なまでに他を見下した、さながら神を騙るかの如き思い上がり。

 その悍ましい在り方を、忌むべき勘違いを、人はこう呼ぶのだろう。



 ――傲慢、と。



「――シンゴ」


「……っ!?」


 不意に名前を呼ばれて、ハッと我に返ったシンゴは顔を上げた。見れば、少し先でアリスが立ち止まり、半身で振り返りこちらを見ている。

 通路は既に氷で埋め尽くされており、吐く息は白い。どうやら、トゥレスを見つけたあの部屋へ続く道は通り過ぎてしまった後らしい。


「わ、悪い。何でもねえよ……」


 咄嗟に謝り、シンゴは動揺を誤魔化すように早足でアリスを追い越そうとして――すれ違いざまに、後ろから服の袖を掴まれた。

 怪訝な顔で振り向けば、アリスは何度か逡巡するような素振りを見せ、やがて軽く握り込んだ拳を胸に引き寄せると、絞り出すような声で告げた。


「……もう、死なないで」


「――――」


 吐き出された一言、たった一言に集約された想いは、その全てを知る事は叶わない。それが出来るのは、きっと本人である彼女だけだ。

 ただ、その言葉は重く、アリス・リーベという一人の少女が胸の内に抱えるもの、その大半を注ぎ込まれたかのような、そんな質量を持っていた。


 ――だからこそ、その重みが理解出来たからこそ、衝撃は途方もなかった。


「――――」


 シンゴは凝然と目を見開き、その頬を強張らせる。

 だって、アリスのその願いは、死を否定するものだから。死を否定するという事は、つまり、キサラギ・シンゴそのものを否定するに等しい。

 シンゴから死を取り上げて、他に何が残ると言うのだ。この使い捨てが可能な命以外に、シンゴの差し出せるものなど何もない。


 不十分なのだ。欠如していると言っていい。

 死があって、ようやくキサラギ・シンゴは一人前なのだ。


 さっきもそうだ。シンゴが死んだから、イチゴを救う事が出来た。シンゴがあそこで死んでいたから、リンだって救う事が出来た。

 実証されている。シンゴの死の有用性は、目に見える形で積み上げられている。


 『激情』では守れない。だが、死ねば守れる。

 『憑依』では救えない。だが、死ねば救えるのだ。


 それを否定されてしまえば、シンゴの存在価値など、どこにも――。


「嫌なんだ。辛いんだ。苦しいんだ。ものすごく、胸が張り裂けそうになって、ボクは……!」


「……っ」


 シンゴの手をぎゅっと両手で包み込み、目尻にうっすらと涙を浮かべたアリスが悲痛な顔で言葉を連ねてくる。

 その言葉一つ一つに、シンゴの顔が絶望に染まっていく。まるで駄々をこねる子供のように、シンゴは嫌々と首を振って身を引こうとした。

 しかし、アリスはシンゴの手を強く引いて、決して放してはくれない。


「……まさか」


「シンゴ……?」


「まさか、君は、僕が嫌いなのか……?」


 その震える声に、恐怖に揺れる紫紺の双眸に、アリスが目を見開いた。そしてすぐに、「違う、違うよ……」と首を横に振る。

 だが、その否定の言葉は、シンゴの耳には届かない。


「違わない。君は僕が嫌いなんだ。ひどいよ……あんまりだ。これは虐めだ。苛めだよ。駄目なんだ、イジメはダメなんだって……!」


「違う、ボクはそんな――!」


「――そこまで」


 頭を抱え、徐々にヒートアップするシンゴにアリスが声を上げようとして――そこへ割り込んだ声と共に、ひたりと両者の首筋に黒い刃物が添えられた。

 いや、違う。これは翼だ。蝙蝠の翼だ。そしてその翼の持ち主は、無表情ながらも、その瞳に確かな怒りを滲ませていて――。


「……お前も、僕を虐めるのか?」


「虐められたのは、我々。だから今、その報復に行くところ」


「…………」


 ちらりと見上げてくるリノアに、シンゴは無言で剣呑な眼差しを返す。

 敵意は、感じる。だがそれは、シンゴに対して向けられたものではない。次にアリスに意識を向ければ、シンゴに対する悪意は――感じられなかった。


「……確かに、リノアの言う通りだね。僕も、そう思う」


 殺意を引っ込め――否、正しく向けるべき相手に定める。シンゴはそのまま二人に背を向けると、先に通路を奥へと進み始めた。

 そう、今はこんな事をしている場合ではない。アリスのあれも、言い方には気を付けて欲しいが、きっとシンゴを気遣っての発言だったのだろう。


「死なないで」


「――ッ!? 君はまた……ッ!」


 反省していたところに同じ言葉を投げかけられ、頭に血が上る。

 振り向き、殺意を灯した紫紺の瞳を向けると、アリスは袖で涙を拭い、毅然とした面持ちでシンゴの殺意を受け止め――、


「何度でも言うよ。ボクは、キミに死んで欲しくない。それが聞き入れてもらえないなら、ボクにも考えがある」


「……考え?」


「――ボクが、キミを守る」


 告げられたその一言に、シンゴは一瞬、何を言われたのか理解出来ない。

 硬直していると、アリスが歩み寄ってきて、すぐ目の前で立ち止まった。そして、瞠目するシンゴの紫紺の瞳を覗き込んで、はっきりとした声で言った。


「キミを死なせはしない。――絶対に」


 それはどこか、懐かしさを感じさせるセリフで。

 真っ直ぐ、確固たる決意を宿した瞳に射抜かれる。その真紅の眼差しに、シンゴは自分がはっきりと気圧されるのを自覚した。


「……勝手に、すればいい。僕は、僕のやり方で、やらせてもらうから」


「うん、それで構わないよ。ボクも、勝手に守らせてもらうから」


 顔を背けるシンゴに対し、頷きかけるアリスが頬を緩める。

 その微笑みに見つめられて、無性にむず痒さを感じたシンゴは、早足で歩き始めた。その後ろを二つの足音が追いかけてきて――隣に並ぶ。

 そのまま三人は歩き続け、そして――、


「――余の忠告を無視し、わざわざ殺されに来るとは」


「――――」


「貴様ら、真性の阿呆かぇ?」


 ――嘲弄する、酷薄な笑みによって出迎えられた。


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