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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:56 『再会の修道女』


 ――集落の東西に二か所ある、食糧備蓄庫が緊急時の避難場所になっている。


 黒い牛の化け物と二人の『罪人』が北の方角――ブラン城に向けて飛び去っていくのを見送ったイレナに、助けた少女が緊急時の対応について語ってくれた。

 本来なら吸血鬼達のいる城に避難するのがベストなのだろうが、あの二人と一匹が向かった先に避難するのは得策ではない。故に現状は、この少女の言う食糧備蓄庫を目指すのが最善だろう。


 そう判断して、イレナと少女は『星屑』の目を掻い潜りつつ、現在地から近い東の食糧備蓄庫を目指して移動を開始した。

 道中、運よく『星屑』に発見される事無く東の食糧備蓄庫に辿り着いたイレナは、地下に作られているらしい備蓄庫へ少女を伴い下りて行った。


 そうして辿り着いた地下の広い空間、そこには――、


「う、そ……」


 ――皆殺しにされた住人達の死体が、折り重なるように血の海に沈んでいた。


 密閉された空間には、むせ返るような血の匂いと死の香りが充満している。

 そのあまりに凄惨な光景に、心が限界を迎えたらしい少女が絶叫を上げて意識を手放す。辛うじてその小さな体を受け止めるイレナだったが、しばらくその場に呆然と立ち竦んだまま動く事が出来なかった。


 だが、いつまでもここに居座っている訳にもいかない。

 意を決し、生存者がいないか死体の山を掻き分けて捜索する。


 ――結果、ここには死者しかいないという絶望の事実を得て、イレナは気を失った少女を背負い備蓄庫を後にした。


「これから、どうしよう……」


 ぽつりと、弱々しい呟きが口からこぼれ落ちる。

 眼前には業火の踊る煉獄が広がり、背後には死者達の無念が渦巻く墓がある。

 進めば無慈悲な火葬が待ち受けており、退けば死臭に塗れた停滞がある。そのどちらを選んだところで、抗いようのない『死』が伴うのは必然だ。


 ――だとしても。


「こんな所で、諦めてなるもんですか……っ!」


 歯を食い縛り、イレナはぐっと顔を上げる。

 何が何でも生き抜くのだ。追い縋ってくる死を振り切り、がむしゃらに前を向いて走って、走り続け、走り抜いた先で、掴むのだ。――生を、掴み取るのだ。


「――ッ! 今のは!?」


 そうして決意を固めていると、西の方角から何か聞こえたような気がした。

 イレナは咄嗟に周囲を見回すと、燃えずに残っていた建造物の中で一番高い煙突付きの家に目を止める。


「あの高さなら……!」


 その家のすぐ近くまで移動したイレナは、壁に向かって片手を突き出す。

 狙いを定め、フィラの量を慎重に調整しながら、一息に詠唱した。


「アイス・ズ・ジャベリン――ッ!!」


 一メートルほどの長さを誇る氷槍が壁に向かって幾本も放たれる。

 少しずつ横にずらしながら徐々に上へ向かって放たれた氷槍は、家の壁に突き刺さり簡易的な階段を形成する。


 その氷槍で出来た階段を足場に、イレナは家の屋根へ飛ぶように上がって行く。

 そして今度は少し小さくした氷槍を煙突に放ち、螺旋階段状にして足場を確保。気絶した少女をしっかりと背負いながら駆け上がり、煙突の天辺に到達した。

 そうして、西の方角に細めた目を向けたイレナは――、


「魔法……誰か戦ってる!」


 遠くて見辛いが、確かに火の魔法と水の魔法が相殺されるのが見えた。

 火の魔法はおそらく『星屑』だろう。そしてそれを相殺した水の魔法が、この集落にて魔法を使える者が放ったものだとしたら――、


「助けなきゃ……!」


 だが、現在イレナがいるのは集落の東端だ。そして目的地が西端だとすれば、到着までにあまりにも時間が掛かり過ぎる。

 加えて、道中には『星屑』もいるはずで、その目を掻い潜りながら進んでいては、イレナが辿り着いた時には既に手遅れになっている可能性が高い。


「……二回、かしら」


 スッと目を細め、イレナは小さな声で呟いた。

 イレナは目がいい。だが、それはあくまで一般人の範疇に限った話であり、驚異的な視力を有しているという訳ではない。

 そして今ほど、その常人離れした視力が自分にあれば、と感じた事はなかった。


「しっかりしろ、イレナ! 無い物を悔やんでもしょうがないじゃない!」


 自慢のツインテールを揺らしながら首を振り、頬を張って弱気を振り払う。

 そうして深呼吸をしたイレナは、その表情に微かな陰りを差して俯き、


「みんな、ごめん……ここで使うわ!」


 仲間への謝罪を述べてから、イレナは決意の面持ちで顔を上げた。

 集落の中央辺りに存在する建造物、その中でも一番の高さを誇る建物をしっかりと目視し、小さく息を吸ったイレナは――詠唱した。


「――ゼロ・シフト!」



――――――――――――――――――――



 ――東側の食糧備蓄庫が壊滅していたのに対し、西側の食糧備蓄庫が未だに無事だったのには、この集落で暮らすとある二人の貢献が大きかった。


 一人は二十代半ばの女だ。その女は『インサニティ』と言う特殊魔法を有しており、その能力は目の合った相手を発狂させるという恐ろしい力だ。

 この『豊穣の加護』で守られた平和な神域内で暮らす分には、その性格に難が無い限り、まず使われる機会などない魔法である。

 そして女の性格は温厚で優しく、むしろ自分に備わったこの力を疎ましく思い、いっそ消えてほしいと常日頃から願っていたほどである。


 ――よもや、その力が大きく役立つ日が来ようとは、女も想像していなかった。


「それでも、みんなを助ける為なら、私は喜んでこの力を振るいます」


 女はその忌むべき力で迫りくる『星屑』を次々と発狂させ、同士討ちにて『星屑』の戦力を減らし、混乱を招く事で侵攻の勢いを削っていく。

 だが、相手はあの『星屑』――異常な身体能力と再生力を有した吸血鬼である。女の力だけではすぐに押し切られていただろう。


 ――そうならず、今もこの備蓄庫が無事なのは、もう一人の力のおかげだった。


 四十代半ばの男である。力とは言ったものの、この男に女のような特殊魔法はない。どころか、魔法すら使う事が出来ない。

 男の力は、魔法でも、腕力でもなく、その卓越した統率能力だった。


 男は『星屑』の襲撃に際し、まず住人の迅速な避難誘導を行った。

 女や子供、老人などの戦えない者らを優先的に地下の備蓄庫に避難させ、少しでも戦う力がある者――中でも取り分けて、魔法を使える者を多く地上に残し、地下へと続く入り口前にバリケードを築かせた。


「この騒ぎだ、神官様もそろそろ奴らの襲撃に気付いておいでのはず。ならば、我々はここで救援の到着まで生き残ればいい」


 そう言うと男は、遠距離の攻撃魔法が使える者と防壁魔法を使える者とで、それぞれグループを二つに分けた。

 まず、男の合図で遠距離魔法を同時に放つ事で火力不足を補い、次弾を放つまでの間に飛んでくる敵の強力な魔法を防壁魔法の多重展開でやり過ごす。

 この攻守の切り替えを男の指示で寸分の狂いもなく繰り返す事で、あの『星屑』の侵攻をどうにか瀬戸際で食い止めていた。


 住人の迅速な避難と防衛線の構築、そして適切な指示を飛ばす男。

 撃ち漏らして突出してくる『星屑』を『インサニティ』で発狂させ、仲間のリカバリーに努める事で敵をバリケードに近付けさせない女。


 ――この二人がいなければ、ここも東の備蓄庫と同じ惨状になっていただろう。


「アイス・ズ・ウォール――ッ!!」


 そして、二度の『ゼロ・シフト』により彼らと合流できたイレナもまた、攻撃部隊より数の少ない防壁魔法の展開要員として防衛線の維持に努めていた。

 正直、二人分の『ゼロ・シフト』を二回も行使した事により、体力は半分近くも削られている。しかし、安全な場所で休んで守られているだけというのは、どうしてもイレナの性には合わなかった。


 ――それに、元気とやる気を奮い立たせてくれる出来事もあった。


 イレナが助けた少女は、今も大声で指示を飛ばし続けている男の娘だったのだ。

 自分がここを離れれば防衛線は間違いなく破られる為、男は娘を捜しに走り出したい気持ちを懸命に堪え、ここでの指揮に努めていたのだ。

 しかしその苦悩も、イレナが娘を連れて転移してきた事で解消された。


「感謝を……娘を、本当に、ありがとうございます……ッ!」


 涙を流しながら、深く頭を下げて感謝の言葉を述べてきた男の姿が、イレナに自分の行動が正しかったのだと自信をくれた。

 そう、あの女の子の為にも頑張らねばならない。何としても、城からの援軍が駆け付けるまで、この防衛線を維持しなければ――、


「――あら、見知った顔がありますね」


「……ッ!?」


 その声を聞いた瞬間、イレナは背筋にゾッとしたものが這い上がるのを感じて、鋭く息を詰めると同時に頬を強張らせた。

 しかし、その硬直も一瞬だ。――否、硬直している暇さえ惜しい。

 イレナは急ぎで大量のフィラを練り上げつつ、防壁魔法班に向けて全力で叫ぶ。


「縦に並べて! 急いで――ッ!!」


「……! 言う通りにッ!!」


 その、イレナの怒声にも近しい指示は指揮系統に割り込む形となってしまい、防壁班の間に混乱を生んで一瞬の停滞を生んでしまう。

 しかし、率先して作れるだけの氷壁を縦に多重展開するイレナを見て、指揮官の男が何かを察したように息を詰め、即座に従うようにと指示を飛ばした。


 指揮官の男の素早い対応により、防壁班が機能。イレナの展開した氷壁に続き様々な系統の防壁が展開されていき、分厚く強固な壁を築き上げる。

 と、同時に、『星屑』達が中央を避けて縦に割れる。その直後、中央に開いたスペースに膨大な密度の冷気が流れ込んだ。


 冷気はうねり、やがて一本の巨大な氷柱となって防壁に衝突。何枚も重ねられた防壁がまるで紙を破るように容易く突破されていく。

 指揮官の男の指示で、氷柱に向けて攻撃魔法が放たれる。そこまでしてようやく、最奥に展開したイレナの防壁を二枚だけ残し、氷柱が霧散した。


「あらあら、防がれてしまいましたね」


「なん、で……ッ」


 肩で荒い息を吐きながら、再び響いた声にイレナはくしゃりと顔を歪める。

 聞いた事のある声だった。最初に聞いた時、信じたくはなかったが、それでも今こうして声を聞いた事で、その疑念に近かったものが確信へと変わった。

 そう、この声の主は――、


「なんで、“そっち”にいるのよ……アルネッ!!」


 顔を上げ、涙の滲む瞳でイレナが見据えた先――『星屑』達の間を悠々と歩いてくる、一人の修道女がいた。

 長い金髪を一本の三つ編みに纏め、丈の合っていないだぼだぼの服――バレンシール修道院の修道服に身を包んだ、イレナがずっと捜していた家族。


 ――行方知れずとなっていた、アルネだった。


「何故、つまり疑問。人は理解できない物事を前にした時、その真実を暴こうとします。それは生きる為、進化する為です。しかし、人の疑問が尽きる事はなく、そして暴けない謎も尽きる事はありません。なら、問うしかないでしょう。己にでも、他人にでもない。この世の全てを知る者――即ち、神に!」


 イレナの問いには答えず、アルネはどこか陶酔したような表情で祈るように両手の五指を組み、「そう思いませんか?」と意味の分からない同意を求めてくる。

 そこで、イレナはハッと気づいてしまった。こちらを見据える眼差し、そのメガネの奥の輝きが血のように真っ赤に染まっているという事実に。


「どう、して……こんな、事って……!」


 先ほど何故と問いを発した時点で、既に気付いてはいた。だが、理解したくなかった。だから、理由があってそこに立っているのだと、否定して欲しかった。

 しかし、これ以上現実から目を背ける事も出来ない。あの真紅の瞳が何よりの証拠だ。そう、アルネ・ラドネスは――『星屑』だったのだ。


「お久しぶりですね、イレナさん。一つ、お聞きしたいのですが……」


「…………」


「どうして、先ほど魔法を事前に察知できたのですか?」


「……皿を割る時、躓いて転ぶ時、夜中に部屋を間違えてあたしのベッドに潜り込んできた時、決まってあなたが何かしでかす時と、同じ感じがしたからよ」


「ふふ。イレナさん、私のこと、大好きなんですね。嬉しいです。疑問を禁じ得ません。――ああ、本当に、この世は分からない事だらけ」


 うっとりと頬を染め、陶然とした様子で自分の頬に指を這わせるアルネが呟く。

 それは、イレナの知っているアルネではなかった。いや、違う。こっちこそが、アルネの本当の姿なのだ。


「……アルネ」


「はい?」


 上を向き、一人の世界に耽っていたアルネが、イレナの呼び掛けにその眼球だけを動かして反応してくる。

 そんなアルネから目を逸らさず、真っ直ぐに見据えながら、イレナは雪を踏み締めながら防衛線の前に歩み出た。


 完全に孤立し、ここで『星屑』から攻撃されればイレナはひとたまりもない。

 だが、『星屑』から攻撃が飛んでくる気配はなかった。彼らはただ黙って、イレナとアルネのやり取りを静観している。

 おそらくだが、アルネの立場が彼らよりも上なのだろう。上司の邪魔をしてはならないと、そう思って彼らは何もしてこないのでは。


 ――いや、今はそんな事などどうでもいい。余計な手出しがない、イレナに取ってはその事実だけで十分だった。


「決着を、つけましょう。――二人きりで」


「ええ、構いませんよ。では、付いて来て下さい」


 イレナの申し出をあっさり受け入れ、アルネが背を向けて歩き出す。

 その背中を追う前に、イレナは後ろに振り返ると、


「アルネは、あたしが引き受けるわ」


「……分かりました。どうか、生きて帰って来て下さい。娘と一緒に、改めて貴女にちゃんとしたお礼がしたい」


「ええ……必ず!」


 指揮官の男の言葉に深く頷き、イレナは『星屑』の間を抜けてアルネを追った。

 やがて、後ろから攻防が再開される音が響き始める。だが、ここで振り返ってはならない。イレナの役目は、ここからアルネを引き離す事なのだから。

 あのままアルネをここに残して攻防を再開していれば、おそらくあっさり『星屑』側の勝利で終わっていただろう。


 それほどまでに、アルネの実力は抜きん出ていた。

 そしてそれに気付いていたからこそ、指揮官の男はイレナを引き止めなかったのだ。そうするしか、この最悪の状況を切り抜ける術がないと分かっていたから。


「あの子と、彼の名前、ちゃんと後で聞かなきゃ……」


 この戦いが終わったら、まだ聞いていないあの親子二人の名前を聞きに行こう。その為にも、必ず生きて帰らなければならない。

 そう決意を固め、イレナは西側に広がる森の中へと足を踏み入れる。アルネの姿は、既に森が作り出す薄暗い闇の向こう側だ。


 ――と、そこでイレナの足が止まった。


「……カズ」


 ふと、喧嘩別れに近い形で離れ離れになった彼の事が気になった。

 しかし、すぐに首を振ってその心配を振り払う。


「カズなら大丈夫。だって彼は、本当は強いから」


 カズだけではない。シンゴも、アリスも、イレナの仲間はみんな強いのだ。

 だから今は、目の前の事にだけ集中しよう。そうしなければ――、


「――師匠には、勝てないんだから」


 そう呟くと、イレナは雪を踏み締めながら、森の奥へと進んで行くのだった。


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