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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:55 『星屑を散らす黒い流星』


 どれだけ無駄な歩みを重ね、どれだけ無為に時間を食い潰しただろうか。

 結果として得られたものは、この胸に重く圧し掛かる後悔と自己嫌悪だけだ。

 いや、一応は得る物があった以上、無駄でも無為でもなかったのかもしれない。


 ――そんな言い訳など、慰めにすらならなかった。


 サウンド家を飛び出して、行く当てもなく集落を歩き回ったイレナは、気付けば集落の外れにある小さな池の前で足を止めていた。

 濁った水面を覗き込むと、そこには沈んだ面持ちの少女が映り込んでおり、その目も当てられないひどい顔に思わず苦笑が漏れてしまう。


「あたし、何やってんだろ……」


 冷静になった脳裏に蘇るのは、あのカズとのやり取りだ。

 カズは、何かに悩んでいる様子だった。それは知っていた。知っていながら、イレナは自分勝手な持論を押し付け、結果としてカズを困らせてしまった。

 カズの、あのどこか苦しそうな表情を思い出す度に、激しい自己嫌悪で胸が潰れそうになる。――本当に、自分が嫌いになりそうだった。


「アリス……」


 ふと、一人の少女の名が口からこぼれ落ちる。

 美しい白髪を持ち、黒一色の衣服を身に付けた、どこにでもいるような普通の女の子の名前だ。――そう、イレナの、大事な友達の名前だ。


「――っ」


 自分は城に残ると、無理して笑う彼女の顔が忘れられない。

 あの笑顔を思い出す度に、あの別れの言葉を思い出す度に、引き裂かれるような痛みが胸に去来して、イレナはきゅっと唇を引き結ぶと、固く拳を震わせた。


「――んっ!」


 次の瞬間、イレナはふっと拳から力を抜き、開いた両の手で自分の頬を張った。

 左右の頬に鋭い痛みが走り、頭の中で渦巻く様々な思考が外へ追い出される。そうして頭をリセットしたイレナは、小さく「よし!」と胸の前で拳を握り、


「しゃきっとしろ、イレナ・バレンシール! くよくよ悩んでても、何にも解決しないんだから!」


 己を奮い立たせるようにそう言って、むっと力を入れて顔を上げる。

 きっと彼も、諦めずに戦っているはずだ。だから自分も、こんな事で落ち込んでいる場合ではない。そんな暇があれば、今はとにかく動くのだ。

 差し当たって、イレナがまず起こすべき行動は――、


「カズに謝らなきゃ!」


 そうと決まれば即行動だ。――行動、しようとしたのだが。


「ここ、どこだっけ……?」


 自分のいる場所の見当が付かず、首を傾げるイレナは頬を引き攣らせた。

 後先考えずに歩き回っていたツケだ。すぐ近くに積雪が見られるので、ここが集落の外れであるというのは確かなのだが――。


「――え?」


 疑問の声を漏らし、思考を中断したイレナは空を見上げた。

 何か、白くて小さい物体が上から落ちてきたのだ。そして空を仰ぎ見たイレナは、白い物体の正体と共にその異変に気付いて目を見開く。


「雪が……それに、空も……!」


 いつの間にか空は曇天に様変わりし、ちらちらと雪を降らせている。

 リンが言うには、この『金色の神域』は『豊穣の加護』と呼ばれる加護の恩恵によって、外の極寒とは無縁の温暖な気候となっているらしい。

 らしいのだが、しかしイレナの頭上には悪天候が広がっていて、曇天はより濃く、降雪の勢いも激しさを増し、気温も刻一刻と下がっていっている。


「何が――」


 ――起こっているの? 


 そう続けようとしたイレナだったが、しかし途中でそのセリフは霧散した。

 理由は、大気を震わせる轟音が鳴り響いたからだ。そしてその爆発音にも似た轟音は立て続けに連続し、腹の底に重い振動を伝えてくる。


「あれは……魔法?」


 遠方、この轟音が響いてくる方角に、紅蓮の火柱が幾本も見える。

 あれはおそらく、火の魔法が行使された結果だ。そして、ここの住人の仕業だとは思えない。つまり、あれをやったのは――部外者だ。


「――ッ!!」


 刹那の迷いもなく、イレナは駆け出していた。

 背筋を這い上がる嫌な予感と共に、燃え盛る炎を目指して――。



――――――――――――――――――――



 ――地獄のような光景が、眼前に広がっていた。


「……何よ、これ?」


 燃え盛る炎の海、逃げ惑う人々の阿鼻叫喚、これを地獄絵図と言わず何と言う。

 そして、この地獄を生み出しているのは、黒いローブに身を包む異様な集団だ。彼らはその手から炎弾を放ち、人も物も問わずに焦土へと変えていく。

 その凄惨な光景に、イレナは凝然と目を見開いたまま動けない。そしてその意思とは無関係に、足が後ろに下がり――何かに躓いて、イレナは尻もちを着いた。


「――っ!?」


 自分が躓いた物の正体を見て、喉を詰まらせたイレナの顔が生理的嫌悪に歪む。

 ぐずぐずに焼け爛れた肉、炭化した部分は原型を保てずに崩れ落ち、死の間際までその身を焼く炎に苦しみ喘いだのだろう、焼けた皮膚が溶けて鬼気迫る形相のまま硬直してしまっている。そして、頬に幾筋も走る深く抉れたような傷跡は、苦しみから逃れる為に自分で爪を立てた名残だろうか。


 ――そんな死体が、見渡す限りそこら中に転がっていた。


「……ごめんなさい、驚いちゃって。ゆっくり、休んでね」


 熱で白く濁った眼球、その白い瞳がこれ以上この地獄を見ないで済むように、イレナは優しい手付きでそっと瞼を下ろしてやった。

 と、その直後である。幼い少女の悲鳴が上がるのをイレナは聞いた。


「――ッ!」


 弾かれたようにその声のした方に目を向けると、小さな女の子が倒れているのが見えた。その子の姿が、イレナには修道院の子供達と重なって見えて――。

 次の瞬間、その子に向けて、黒いローブの一人が容赦なく炎弾を放つ。真っ直ぐ自分に向かって来る炎弾に、少女の目が絶望に見開かれ――、


「アイス・ズ・ウォール――ッ!!」


 ――少女の前方に展開された氷壁が、間一髪で炎弾を防いでいた。


「お、おねぇちゃん……っ!」


「大丈夫! あたしが来たからには、もう安心よ!」


 氷壁を展開しながら、イレナは安心させるように腕の中の少女へ笑いかける。

 と、そこでハッと息を呑み、イレナは鋭く細めた目を前方に向けた。

 氷壁が炎によって溶かされ、その先に佇む脅威とイレナは正面から対峙する。


「――――」


 黒いローブに身を包み、年齢も性別も人相も判然としない輩が、イレナを真っ直ぐ見つめていた。そしてその周囲に、同じ装いの連中が十人以上集まってくる。

 その黒い装いと、先ほど炎弾を放った際にちらりと見えた、手の甲に刻まれた反転した三つ巴の痣。――『星屑』だ。


「……ッ」


 圧倒的な形勢不利を悟り、イレナは奥歯を強く噛み締める。

 数の不利もあるが、何より相手が相手だ。謎の多い『星屑』だが、判明している事もある。それは彼らが、吸血鬼のみで構成されているという事実だ。

 常人を遥かに超える身体能力に、不死身と言われる再生能力。たとえ一対一だとしても苦戦は免れない。そんな連中を十人以上も相手に、この少女を守りながら戦うのは、とてもではないが――。


「――――――――ッッッッ!!!!」


「――!?」


 最悪、『ゼロ・シフト』の使用も考慮していた時だった。突如、生物としての根源的な恐怖を呼び起こす、悍ましい咆哮が頭上から鳴り響いた。

 次の瞬間、それは集まっていた『星屑』の上に黒い流星の如く落下した。それが故意であったのか、それとも彼らの運が悪かっただけなのかは定かではない。

 ただ一つ言える事は、いくら吸血鬼といえども、下敷きになったままの状態で復活する事は出来ないだろうという事だ。


 ――残念ながらそれを、幸運だと思える余裕はイレナにはなかった。


「なによ……この、化け物……!?」


 『星屑』を踏み潰し、今もその挽き肉の上に居座る黒い怪物に、限界まで目を押し開いたイレナは戦慄に震える声を上げた。

 四肢を着く巨体は漆黒の皮膚に覆われ、頭部の真横から生えた金角は天を衝く程に長く極太い。そして、その血のように真っ赤な瞳は殺意に満ち満ちており、鼻息荒くこちらを――イレナ・バレンシールを一心不乱に凝視している。


 ――黒い牛の化け物。そんな呼称が、真っ先に思い浮かんだ。


「――――――――ッッ!!」


「……っ!?」


 その黒牛は再び大きな咆哮を上げると、激しく興奮した様子で蹄を掻き、その巨大な金角を真っ直ぐイレナに照準した。

 あれの突進を受ければ、イレナの華奢な体など確実にぐちゃぐちゃだ。しかしそれを理解していながら、イレナはその場から一歩も動く事が出来なかった。


 その巨体に恐怖したのではない。その禍々しい咆哮に竦んだのではない。

 まるでそれが生涯の使命であるかの如く、イレナ・バレンシールという個人に対してのみ向けられた、ただひたすらに純粋な殺意の波動に気圧されたのだ。

 その殺意の濃さはあまりにも異常だった。一体どれだけの殺意を煮詰めれば、これほどの殺意を宿す事が出来るのか。


「――『待て』」


 黒牛がイレナに向かってその殺意を解き放つ――まさにその寸前だ。不意に滑り込んだ女の声が、イレナの窮地を救った。

 鼻息荒く、イレナに向ける殺意は微塵も衰えていないが、しかし黒牛はその場で足踏みするばかりで、一向に襲い掛かってくる気配はない。


「――!」


 そこでふと、イレナは遅まきながらに、黒牛の背に優雅に足を組んで腰掛ける一人の女の存在に気が付いた。

 金色の髪に、金色のドレス。獅子を思わせる長円瞳孔の金眼に、金色の装飾品を幾つも身に付けた、とにかく過剰に華美な女だ。

 その異質さに只ならぬものを感じ、イレナは怯える少女を抱く腕にぎゅっと力を込める。と、そんなイレナを一瞥した女が、その金眼をスッと細め、


「グガランナが突如として余の制御を離れた。『高慢』の権威を振り切るほどの荒ぶりよう……その殺意の矛先は貴様に向けられていた。小娘、貴様、何者ぇ?」


「…………」


「『答えよ』」


「……っ!? あたし、は……イレナ・バレンシール。バレンシール修道院で育った……じゅう、ろくさいで……ッ」


 己の意思とは無関係に口が動き、自らの素性を勝手に暴露し始める。

 顔を歪めて、イレナは咄嗟に口を手で覆う。そんなイレナを見やりながら、女は「ほぅ」眉を上げると、


「バレンシール修道院とは、つまり貴様は孤児かぇ?」


「は、い……ッ」


「実の親は?」


「知ら、ないです……物心つく前に、修道院の前に捨てられて……ッ」


 答えたくなくとも、イレナの口は勝手に女の問いに応じてしまう。

 一体どうなっているのだ。――いや、待て。先ほど目の前の女は何と言った。『高慢』の権威と、確かそう言ったはずだ。それはつまり、この女は――、


「なるほどのぅ……貴様、王家の関係者かぇ」


「……え?」


 一瞬、何を言われたのか理解できず、イレナの口から呆けた声が漏れた。

 王家、とはどういう意味だ。トランセル王国のレッジ・ノウを指しているのか。それとも他国の王家の事か。どちらにしても、王家の関係者とはどういう意味だ。

 女の言葉にイレナはただただ困惑するしかない。と、今度は緊張感をぶち壊すような、ふざけた調子の声が割り込んできた。


「やはー、お久しぶりだねー、イレナちゃん! ……っと、そう言えば、こっちのイレナちゃんとは初対面だったぜ」


「あん、たは……っ!」


「初めまして、イレナちゃん。――相棒、お元気?」


 声の出所――女のすぐ隣に、黒髪黒瞳の少年が立っていた。

 へらへらと笑いながらこちらに手を振る少年、その装いはキサラギ・シンゴと同じ黒い衣服で、それを見たイレナはハッと息を呑む。

 この少年は、シンゴが言っていた『罪人』の――、


「あんたね、捏迷歪ってのは……!」


「あら、僕って割と有名人? それとも相棒から聞いてた? 最高のダチだって」


「ええ、聞いてるわよ。――最低のクソ野郎だってね!」


「あはは! 全く、相棒ってば可愛いなー、もう! そんな照れ屋さんだと、可愛い女の子の一人もゲット出来ないぜ! これは僕が、相棒の恋のキューピットになってあげる必要があるかな! ね、ね、イレナちゃんもそう思うでしょ?」


「……ッ」


 親しげに話しかけてくる捏迷歪に対し、イレナは盛大に顔を顰めさせる。

 一見、会話が成立しているようにも見えるが、実際のところこの男の言葉は空気のように軽く、どこか中身のない空虚な印象を受ける。

 それはまるで嘘で塗り固められたかのような、何か別の存在を演じているかのような、そんな得体の知れない薄気味悪さを感じさせた。


「――おい、阿呆め。誰が勝手に喋ってよいと言ったぇ?」


 次の瞬間、黒牛が宿す殺意とはまた別種の、しかしそれに匹敵するほどに濃密なプレッシャーが女から放たれた。

 全身の汗腺が開き、瞬きすら死に直結すると本能が警鐘を鳴らす。しかし女が睨む先にいるのはイレナではなく、女の隣の捏迷歪だった。


「この余を差し置いて出しゃばりおって、貴様、殺すぞぇ」


「まあまあ、イナンナ様。その熱い衝動を僕で発散したいって申し出は嬉しい限りですけど、僕を殺してもただ疲れるだけですよ? それより今は、先にやるべき事があるんじゃないですか?」


「貴様は阿呆の極みかぇ? このような蛆虫の巣窟に余の眼鏡に適うような逸材がおる訳なかろうが」


「わぉ。その職務放棄宣言にはさすがの歪さんもびっくり! イナンナ様イナンナ様、僕達の目的は『錫杖』の回収であって、決してイナンナ様の個人的なコレクション収集の為に来てる訳じゃ……あ、ごめんなさい。もう黙ります」


 ギロリと、イナンナと呼ばれた女に鋭く睨まれて、捏迷歪は口の前で人差し指を交差させてバッテンを作り、沈黙の意思表示。

 そんな捏迷歪を本気の殺意を宿した眼差しで凝視するイナンナだったが、やがて瞑目と同時に吐息し、そのプレッシャーを霧散させた。


「――は」


 息の詰まる圧迫感が消え、イレナの口から空気の抜けるような音が漏れる。

 呼吸を忘れていたのだと気付くのに、しばらくの時間を要した。

 それほどまでに、イナンナの放つプレッシャーは絶大で、それが自分に向けられていたらと思うだけで、ゾッとするような寒気が背筋を這い上がってきた。


「……行くぞぇ」


「ぁ、まっ――」


 立ち去るような気配を匂わせるイナンナの発言に、イレナは咄嗟に声を上げようとして、しかし最後まで言い切る事無く口を閉ざした。

 イレナの胸に顔を埋め、嗚咽を漏らしながらカチカチと歯を鳴らす少女の存在が、寸前で「待って」という言葉を踏み止まらせたのだ。


 聞きたい事は山ほどある。しかし現状でそれは最善の選択ではない。

 今イレナが考えるべきは、自分の事よりもこの少女の安全だ。


「今度、お茶でもしようぜ、イレナちゃん」


「……っ」


 最後までふざけた態度を崩す事無く、捏迷歪がそんなセリフを残していく。

 しかしイレナは、それに声を荒げたくなる衝動をぐっと堪え、黒牛に乗って空を駆けて行く二人の『罪人』を、ただ黙って見送る事しか出来なかった。


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