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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:47 『もたらされた凶報』

「……ぅ」


 呻き声を漏らし、ゆっくりと瞼を持ち上げれば、真っ先に視界に飛び込んでくるのは鉄格子らしき棒状の隔たりだ。

 背中と臀部にはひんやりと冷たく硬い感触があり、自分が石造りの壁にもたれ掛かった状態で、同じ材質の床に座り込んでいるのだとシンゴは理解した。


「……?」


 身じろぎしようとして、それが出来ずにシンゴは眉を寄せる。

 見れば、手首には枷のような物が嵌められており、その先に繋がれた鎖に両手が斜め上に引っ張られ、傍から見ればバンザイをするような体勢だ。


「ここは……」


 拘束を自覚したシンゴは、動く事を諦めて周囲に目を向けた。

 鉄格子の向こう側に見える壁に、『陽石』が一つ灯されている。その淡い光がぼんやりと、シンゴの現在地を怪しげに照らし出していた。

 独房の中――ここは、そうとした表現のしようのない寒々しい場所だった。


『目が覚めたか、シンゴ』


『ベルフ! ここは……いや……アリスは!? トゥレスはどうなった!?』


 頭の中に響いた『声』の主にシンゴは現状の説明を求めようとするが、途中で気を失う以前の出来事を思い出し質問を変更する。

 そんなシンゴの質問に、『声』の主――ベルフが小さく吐息を挟んで、


『私はお前の五感を通して外の情報を得ている。残念だが、お前が気を失った時点で、あの二人がどうなったのかは私には分からない』


『そう、なのか……』


『あの二人を心配する気持ちも分からないではないが、今はお前自身の心配をした方がいい』


『なんで……って、聞くのは野暮か』


 ベルフの言う通り、他人を心配する余裕などシンゴにはない。

 思い出されるのは、ガルベルトが最後に告げたあの不穏な一言だ。


「俺が自白したくなるよう協力する……嫌な予感しかしねえぞ……ッ」


「――どうやら、目を覚まされたご様子で」


「――!?」


 独り言に反応が返ってきて、シンゴはハッと息を呑み顔を上げる。

 鉄格子越しに、こちらをジッと覗き込む真紅の眼差しと目が合った。

 後ろで両手を組み、ゆったりとした自然な佇まいで、鉄格子の向こう側に立っているのは老執事――ガルベルトだ。


「気配もなく現れるって……忍者かよ、あんた」


「今はもう昔の話ですが、私は誰にも気取られずに障害物を取り除く仕事を生業としておりまして、こうして気配を殺すのは呼吸をするのと大差ありません」


「…………」


 遠回しに言ってはいるが、つまりは暗殺だろう。

 取り回しのしやすい得物を主に使い、暗闇の中でも平然と見通せる目、そして常人の目では追えない速度での移動を可能とする上位魔法を操る吸血鬼。

 なるほど、これほど暗殺に向いている人材はそうそういないだろう。


「あんた、偶然にしてはやけにタイミングのいい登場だったよな? そもそも俺の部屋にあんたが訪ねてくるの自体、今回が初めての事だ」


「ああ、その件でございましたら――」


 あの時、ガルベルトが部屋に踏み込んできたタイミングがタイミングだ。その不自然さから、シンゴは盗聴の可能性を疑う。

 そんなシンゴの疑念の眼差しを涼しげに受け止めたガルベルトは、何やら懐から手の平サイズの黒い箱のような物を取り出した。

 その箱を見たシンゴは、記憶の片隅に引っ掛かりのようなものを覚えて眉を寄せる。言うなればこれは、既視感のようなものだ。


「――『冥現殿』」


「――!」


 ガルベルトが『冥現殿』と口にした瞬間、黒い箱のような物が突如として震え出し、直後に赤く明滅しながら耳障りな音を吐き出し始めた。

 凝然と目を見張るシンゴの眼前で、ガルベルトはその黒い箱を人差し指でトントンと叩きながら、


「これは私手製の魔道具でございます。幾つかの単語に反応するよう出来ておりまして、城内の各所に仕掛けられた子機がその特定の単語を拾うと、この親機に特殊な信号を発信し、こうして色と音でその単語の種類及び発信場所が判別出来る仕組みとなっております」


「そういう、事かよ……ッ」


 黒い箱の説明を受け、シンゴは悔しげに奥歯を軋らせて顔を歪めた。

 今、ようやく既視感の正体に辿り着いた。この城を探索している最中、実は何度かこの黒い箱と似たような白い箱をシンゴは目撃している。

 同じ物が各所から出てきて、最初こそ不審に思いはしたものの、調べても特に何もなかった為、そのまま放置して探索の方に専念した。

 あの白い箱こそが、ガルベルトの言う子機という物だったのだろう。


「アリスとトゥレスは、無事なのかよ?」


「――――」


 悔しがっていても仕方がない。切り替えて、シンゴはずっと気になっていた二人の安否について質問した。

 固唾を呑み、どんな答えが返ってくるのか、ガルベルトの口元を注視する。――故に、僅かに反応が遅れた。


「――あ?」


 不意に左側の視界が暗闇に染まり、シンゴの口から疑問の声が漏れる。

 何やら左目の奥に、じんわりと熱が広がっていく感覚があって――、


「目ッ……!? がッ、あ゛あ゛あああああああああああああああああああ!?」


 左の眼窩奥を内側から押し広げられるような異物感――いつの間にか左目には、短刀が深々と突き刺さっていた。

 その事実を残った右の視界端に捉えた瞬間、遅れてやってきた脳髄を抉られるような激痛の波に、シンゴの喉から絶叫が迸る。


「――この程度で喚くな」


「ぎぁ――ッ!?」


 そんなガルベルトの冷酷な声と共に、左目に突き刺さっていた短刀が一気に引き抜かれて、シンゴは二度目の絶叫を上げる。

 引き抜かれた短刀はガルベルトの手の中に戻っていき、よく見てみれば、短刀の柄に何やら細いワイヤーのような物が見て取れた。

 あのワイヤーを手繰って、ガルベルトは短刀を手元に引き戻したのだ。


「この場における質問の優先権は私にある。その事をお忘れなきよう」


「づっ……はぁッ、ふッ……うぅ、ぐ……ッ」


「よろしい。では、質問に移ります」


 左目は再生したが、苦痛の残滓は未だにシンゴの意識を蹂躙し続けている。

 喘ぐように浅い呼吸を繰り返すがシンゴだったが、ガルベルトは休む暇など与えず、早速その質問の優先権とやらを行使してきた。


「どのようにして、トゥレスの眠る場所まで辿り着かれた。どのようにして、トゥレスを目覚めさせた。――答えろ」


「……神、の……お告げを、聞いたんだよ……っ」


「……この状況でシラを切るか。大した気概だが、愚かとしか言いようがない」


 スッと目を細めるガルベルトに、嘯いたシンゴは引き攣り歪む笑みで応じる。

 今の質問からして、ガルベルトはおそらく内通者の存在を疑っている。

 あの書庫の隠し扉は偶然などでは決して開けられない。紙などの媒体に開け方を記してあるという迂闊な可能性もおそらくないだろう。すると、シンゴに書庫の隠し扉の開け方を教えた内通者がいると疑うのは当然の成り行きだ。


「もう一度だけ尋ねる。どのようにして――」


「トゥレスは……赤い宝石に触ったら、壊れて……それで目を、覚ました」


「……あれに、触れたと?」


「――?」


 ガルベルトの言葉に被せてシンゴの発した二つ目の問いに対する答え、それを聞いたガルベルトが小さく目を見開いた。

 先の質問に対して答えを誤魔化したのは、偽物のリンの存在から本物のリンに被害が及ぶ可能性を危惧したからだ。

 しかし、この二つ目の問いに関しては特に真実を隠す理由もない。このままだとまた痛い目に遭いそうだったので、都合よく話題も逸らせて一石二鳥だ。


 そう判断して正直に答えたのだが、ガルベルトが予想以上の食い付きを見せて、シンゴは訝しげに眉を寄せる。

 ガルベルトが呟いた一言は、本来ならば宝石に触れる事は不可能である、と言っているようにも聞こえて――。


「嘘は……吐いていない? だとしたら、何故シンゴ殿だけが……」


 顎髭に手をやり、ガルベルトが何か考えるようにぶつぶつと独り言を呟く。

 そんなガルベルトを憔悴の眼差しで窺いながら、思考が可能なレベルにまで回復してきたシンゴは、この一瞬を有効に活用すべく頭を回転させた。

 まずは、目の前に立ち塞がる障害の確認だ。


『この独房からの脱出が大前提で、次にアリスとイチゴの二人を捜して合流。そんで最後に、書庫からあの地下に潜って、『冥現山』に向かう』


『宝は取りにか? 『冥現殿』とやらを探して宝を入手するよりも、外へ出られた時点で集落にいるお前の仲間との合流を目指す方がいいのではないか?』


『いや、宝は手に入れる。もしも『冥現山』へ向かうところまでこぎつけたとしても、確実に追っ手が来て神域を出る前に追い付かれる。そもそも、集落の方に先回りされてカズとイレナを人質に取られる可能性が高い。前も後ろも塞がれたその状況をどうにかするには、もうその宝ってやつに賭けるしかない』


 形も大きさも、何より吸血鬼にとってその宝がどういった存在なのか、現段階では推測する事すら難しいのだ。

 トゥレスの言葉と、ガルベルトの態度から窺うに、その宝とやらが吸血鬼との相対時に優位な立場を生んでくれる事は確かだ。

 しかし、問題が一つある。


『口封じに対する自衛の手段が何もない。強引に宝を奪いにこられても同じだ。仮にその宝が壊されるとまずい代物だった場合、宝自体を人質にすれば多少の牽制にはなるだろうけど……』


 相手は吸血鬼だ。たとえ全員が揃って歯向かったとしても、持って数秒だろう。

 全力で逃げたとしても、相手には素早さに長けたガルベルトが、空を飛べるリノアがいる。イレナの『ゼロ・シフト』は目視で定めた場所にしか飛べない為、最低でも『選別の境界』より先の雪原が見える場所まで移動する必要がある。

 せめて、『金色の神域』と『シバル雪原』の間に跨るあの森が無ければ、微かな光明も見えたというものなのだが――。


『結局は、その宝とやらを見付けてからでなければ判断のしようがない。自衛の手段を考えるだけならば、『冥現山』に向かう道中にも出来るはずだ。アリス・リーベとお前の妹に意見を仰ぐ事も可能だろう。故に今は――』


『ああ……なんとしてここから出ねえとな』


 まずはこの独房から脱出しなければ話にならない、そう脳内会議を締め括って、シンゴが現実へと意識を戻した時だった。


「――アリス嬢を、シンゴ殿の前で斬りましょう」


「……は?」


 ――一瞬、何を言われたのか分からなかった。


 呆けたように口を開け、呆然とするシンゴの視線の先――思考に区切りを付けたらしきガルベルトが、冷たい殺気を放ちながらこちらを見据えていた。

 鬼が立っているのかと錯覚するほどに、『激情』を発動させていないにも拘わらず、その身体から立ち上る殺気がはっきりと見て取れる。先の発言が冗談などではない事を理解するのに、それだけで十分だった。


「聞こえなかったか、小僧。――私は、貴様の女を斬り刻むと言ったのだ」


「――ぶっ殺すッッ!!!!」


 胸の奥で、真っ赤に膨れ上がった何かが弾けた。

 込み上げてきた莫大な殺意に『激情』が反応。左目が紫紺に染まり、赤黒く粘ついた力が全身に駆け巡っていく。

 額に青筋を浮かべ、怒りに震える喉から獣の如き低い声を漏らしながら、シンゴは両手の枷を引き千切るべく力を込めて――、


「――ぁ?」


 直後に謎の虚脱感に見舞われ、シンゴの口から無理解の声が漏れた。

 再び腕に力を込めようとするが、またしても途中で虚脱感に呑み込まれ、全身に巡る『激情』の力が打ち消される。


「――『筋緩石きんかんせき』。筋線維の一定以上の膨張に反応し、筋線維を弛緩させる特殊なフィラが流れる魔石でその枷は作られている」


「ぐ、く……ッ」


 この不可解な虚脱感の正体を、ガルベルトが律儀にも説明してきた。

 シンゴが『激情』の権威を有していると知っているガルベルトが、単なる枷ごときでシンゴを拘束するはずがない。そんな事、考えればすぐに分かる事だ。


「元々は吸血鬼の拘束に用いられる枷だ。これを強引に破れるのは、リノア様とアリス嬢……ラミアでギリギリ、と言ったところでしょうな」


「ちく、しょうが……ッ」


 頼りにしていた『激情』をほぼ無力化され、悔しげに歯軋りするシンゴはガルベルトを睨む事しかできない。

 シンゴが拷問を受けるだけならまだいい。だが、アリスが痛め付けられるのは断じて看過できない。アリスはシンゴほど怪我に縁がなく、沢谷優子の騙し討ちを受けた時も、アリスは傷の再生後も苦痛の残滓に長く苦しんでいた。


 そもそもの話、いくらシンゴを肉体的にも精神的にも追い詰めたところで、ガルベルトの疑っている内通者は幻影だ。存在しない答えなど答えようがない。

 が、それを伝えたところで、ガルベルトが素直に信じてくれるとも思えない。

 このままでは、無意味にアリスが痛め付けられる事になり、そしてシンゴにそれを止める手立ては何もなく――。


「――ッ!?」


「――?」


 ハッと鋭く息を呑み、慌てて顔をはね上げたシンゴは、何もない虚空を見た。

 驚愕に目を押し開き、戦慄に身体を震わせるシンゴを見て、ガルベルトが不審そうな表情で眉を顰めている。

 だが、シンゴにはそんなガルベルトなど眼中にない。それどころではないのだ。


「なんだよ……これ?」


 ――遠く、信じられないほどに濃密かつ膨大な悪意を感じる。


 その悪意は何の前触れもなく、つい先ほど突如として出現した。

 これほど大きく、そして強い悪意は、未だかつて感じた事など一度もない。


「外……外だ! 何か、やばいのがこっちに向かってきてるッ!!」


「……そんな見え透いた嘘に、この私が騙されるとお思いですか?」


 狼狽に声を裏返らせ、シンゴはこの非常事態を伝えようと口を開く。

 しかしガルベルトは、嘆息と共に首を振り、呆れた目でシンゴを見てくる。ここからガルベルトを遠ざける為の小細工だとでも思っているのだろうか。

 だとしても、悪意感知の力を説明したところで、ガルベルトはそう簡単に信じてはくれないだろう。だからと言って、一から十まで説明している時間もない。それほどまでに、事態は急を要するのだ。


「嘘じゃない、本当なんだよ! 俺には分かる! あれは本当にまずい! 急いで手を打たねえと、取り返しの付かない事に――」


「――ガルベルト」


 シンゴの必死の訴えに被せる形で、不意に第三者の声が割り込んできた。

 名を呼ばれたガルベルトが声の方に顔を向け、そこにいた人物を見て驚きに目を見開く。そんなガルベルトの視線を追ってみれば、ちょうど暗い通路の奥から、誰かがゆっくりと姿を現すところだった。

 『陽石』の淡い光が、闖入者の姿を暴き出す。


「――リノア様。何故、こちらへ?」


「ガルベルト、緊急事態」


 その全容を顕にした少女――リノア・ブラッドグレイが、ガルベルトの問い掛けに対し、無表情のままで手短に回答した。

 その報告にガルベルトが息を呑み、シンゴに目を向けてくる。どうやら、先のシンゴの言葉がただの虚言ではない事を察したらしい。


「緊急事態、とは……いったい何が?」


 視線をリノアに戻したガルベルトが、その声に微かな緊張を滲ませる。

 そんなガルベルトと独房の中のシンゴ、二人分の視線を浴びながら、リノアは抑揚のない声で静かに告げた。



「――侵入者。『選別の境界』、突破された」



 ――奇しくもそれが、シンゴの訴えを決定的に裏付ける証言となった。

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