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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:45 『目覚めし眠り姫が示すは宝の在り処』

「っはぁ……」


 詰めていた息を深く吐き出し、シンゴは崩れ落ちるようにして椅子に腰かけた。

 現在シンゴは、城の二階にある割り当てられた部屋の中へと戻って来ている。

 先の深いため息は、その安堵から漏れたもので間違いない。ただしそれは理由の一つであり、大部分を占めるのは先行きの不安からくる心労である。


「とりあえず、連れてきちまったけど……」


 途方に暮れるシンゴの眼前――黒い制服を肩から羽織り、太ももの上に枕を置いて要所を隠しただけの、ほぼ全裸に等しい女性がベッドに腰掛けていた。

 書庫の隠しギミックを暴き、出現した隠し扉の奥にあった隠し階段を下って――徐々に冷え込む地下を更に進んだシンゴは、正方形の黒い空間に辿り着いた。

 そこで見つけた白い石棺の中に、この女性は生死不明の状態で眠っていたのだ。


 女性の手には赤い宝石が握られており、シンゴはその宝石に既視感と共に触れた――次の瞬間、宝石は砂が崩れるように壊れ、直後に女性は覚醒した。

 目覚めた女性の口にした、聞き逃す事の出来ない四つの人名について、シンゴはすぐに問い詰めようとした。が、女性が寒そうに肩を震わせるのを見て、シンゴは忘れていた極寒を自覚。落ち着いて話せる場所へ移動する必要があると判断し、この部屋に女性を連れて帰る事にしたのだ。


「帰りの道中、リノアに見付からなかったのはマジで奇跡だな……」


 普通の吸血鬼達と違い、基本的に警戒心を抱かないリノアはシンゴの天敵だ。

 そんな天敵との遭遇に怯えながら、シンゴは全裸の女性を背中に背負い、『激情』と『憑依』の併用による無音の全力疾走を敢行。

 隠れながら慎重に移動していては時間が掛かり過ぎる為、居場所を悪意感知で探る事の出来ないリノアが相手では、むしろ遭遇率が上がると判断した結果だ。


 かなり賭けの要素が強かったが、どうにか無事に戻って来る事が出来た。

 自分が不運な方である自覚のあるシンゴだが、あの礼拝堂を訪れてからというもの、何やら全体的に流れが来ているように感じられる。

 地下での分かれ道も然り、リノアと遭遇せずに三階から撤退出来た事も然りだ。


「これが神のご加護だとしたら――」


 その効力が切れない内に、一気に事を進めるべきだろう。

 シンゴは踏み込む覚悟を決めると、まず初めにどこから切り込むべきか、顎に手を当てながらジッと女性を見つめ――、


「いっしん。そんなに真剣に、私の胸元を凝視しても……見せないよ?」


「ぶっ!?」


 胸元を隠すように制服の端を引っ張り、背を丸めて身体を小さくする女性の予想外な発言に、シンゴは思わず盛大に吹き出した。

 シンゴが激しく咳き込んでいると、女性は更に嫌そうに眉を顰め、


「その視線、凄く不快だから……お願いだから、やめて」


「――ッ!?」


 女性から不快だとはっきり言われ、シンゴの心に甚大な傷が刻まれる。

 苦しげに胸を押さえて腰を折っていると、そこへ身内から呆れを孕んだ、深く嘆くような追い打ちが飛んできた。


『シンゴ……わざわざこのタイミングで女性の胸元を凝視しなくとも……』


『し、しょうがねえだろ!? 本能なんだよ、本能! 察しろ!』


 男の本能故に、女性の胸元に自然と目がいってしまうのは仕方がない。そう主張するシンゴは、ベルフに理解しろと念話で吠える。

 そんなシンゴの必死の抗議に対し、ベルフはため息を一つこぼすと、


『生憎、私に性別という概念があるかは疑わしいのでな。――それに、もしも私が人の姿になった場合、それが女性体でないと断言はできないのだぞ?』


『……はあっ!? お前、雌だったのかよ!?』


『例えば、の話だ。そもそも私に人に化ける力など存在しない』


『紛らわしい事を……っ!』


 いらぬ茶々を入れられ、シンゴはベルフに向けて悪態をつく。

 このままでは色んな意味で落ち着かない。シンゴは席を立つと、部屋の隅へと移動した。そこには小さな台があり、水差しが置いてある。

 シンゴはコップを二つ用意し、水差しから水を注ぐ。片方は女性用だ。

 水の入ったコップを持って女性の前に移動すると、シンゴは右手のコップを女性に渡そうとして――、


「だから、その目は不快……」


「だ、だだだだったら! もっとちゃんと身体を隠し――ぁ」


 むっと嫌そうに顔を顰め、再び不快だと主張してくる女性に、シンゴは動揺に舌をもつれさせつつも咄嗟に反論――しようとした、その拍子だった。

 動揺のあまり、手を滑らしてコップを落としてしまった。加えて、落としたのに慌てた事で、左手に持っていたコップも同時に落してしまう最悪のコンボだ。

 あわや、綺麗な絨毯が水浸しに――とはならなかった。


「まじ……かよ」


 驚愕に目を押し開くシンゴの視線の先――女性の両手には、二つのコップがしっかりと受け止められていた。が、シンゴが驚いたのはそこではない。

 シンゴの落としたコップは二つとも空中で傾き、中の水はこぼれてしまっていた。それを女性は、空中で掴んだ二つのコップを巧みに動かし、宙に浮くように舞っていた水を一滴残さず綺麗にコップに収め切ったのだ。


『……驚くべき起用さだな。私でも、さすがに全てはすくい切れない』


「――――」


 ベルフの女性に対する賞賛を頭の中で聞きながら、シンゴは女性の神業とも呼べる先の手捌きにただただ絶句するしかない。

 そんなシンゴへ、女性は片方のコップに口を付けながら、もう片方のコップをシンゴに差し出して――、


「お水、ありがとう、いっしん」


「……俺、シンゴなんだけど」


 ――辛うじて、人違いだという今更な返答を口にするのが精一杯だった。



――――――――――――――――――――



「――トゥレス・デトレサス。それが、あんたの名前なんだな?」


「そう」


 シンゴの確認に短く肯定の言葉を伝える女性――トゥレス。

 そんな彼女の瞳は、縦長に裂けた血のような真紅をしている。それは、トゥレス・デトレサスが吸血鬼である事の何よりの証拠だ。

 ここで問題となってくるのは、トゥレスが『真祖』、『従者』、『混血』のどれに当てはまるか、という事なのだが――。


『――少なくとも、『真祖』ではないようだな』


 シンゴに促され、その瞳を真紅から碧眼へと変化させたトゥレスを見て、ベルフが候補から『真祖』の可能性を除外する。

 あとは、生まれつきの吸血鬼であれば『混血』、血の親から血液を注ぎ込まれて人から吸血鬼になったのであれば、『従者』だと判断できる。

 できる、はずだったのだが――。


「なんで自分が吸血鬼なのか、分からない……?」


「…………」


 眉を寄せるシンゴの問いかけに、トゥレスが無言で頷いて肯定の意を伝える。

 生まれついての吸血鬼なのか、それとも人から吸血鬼になったのか、そのどちらも分からないとトゥレスは首を振るのだ。

 本来なら知っていて然るべきはずの事が分からない――そんなトゥレスの不可解な発言に、シンゴは首を捻る。本当にそんな事があり得るのだろうか。

 悩んだ末、シンゴは試しに別の質問を投げかけてみる事にした。


「なんで、あの白い石棺の中で眠ってたんだ?」


「……分からない」


「……じゃあ、眠ってた理由の方じゃなくて、眠りにつく前の事は? どこに住んでたとか、家族の事とか、あとは……」


「分からない」


「えっと……」


「何も、分からない……」


「…………」


 ゆるゆると首を振り、トゥレスはそのまま顔を伏せるように下を向いてしまう。

 その眉間には微かに皺が寄っており、トゥレス本人も真剣に思い出そうとしている事は伝わってくる。だが、その後に続く沈黙が答えだった。


『――記憶喪失、だな』


「…………」


 どうやらベルフもシンゴと同じ見解に至ったらしい。トゥレスのこの記憶の欠如に対し、記憶喪失という診断を下した。

 予期していた答えではあったが、それでも思わず頭を抱えたくなる。本当に、シンゴの進む道は障害が多く、真っ直ぐ歩く事もままならない。


「だああぁぁぁ……ッ!!」


「……落ち着きがない。いっしんは、黙っていれば……そうでもなかった」


「どういう意味だよ!?」


 乱暴に頭を掻き回し、シンゴはもどかしさのあまり意味のない声を上げる。

 すると、ジトッとした目のトゥレスが容赦のない一言を浴びせてきて、更に続けられた侮辱の言葉にシンゴは勢いよく顔をはね上げる。

 そんな目を剥くシンゴの抗議に、トゥレスは考えるように顎に手を当てて、


「……悲惨?」


「そこまで酷評されるほど俺の顔は酷くねえはずだぞ!?」


「違う。顔じゃなくて――全部」


「尚のことひでえじゃねえか!?」


 あんまりな言い分に唾を飛ばして抗議するシンゴだったが、トゥレスは飛んできたシンゴの唾に激しく嫌そうな顔だ。

 あまり人付き合いが上手くいくタイプではなさそうだな、とシンゴはげんなりした顔で思った。シンゴ自身、少し苦手意識を抱き始めている。

 思っている事を躊躇いなく口にする。きっとそれが良い結果を生む場面もあるだろうが、今のところシンゴに対しては全てマイナスに働いてしまっていた。


「あんだけ手先は器用なくせに、人付き合いは不器用そうだよな、あんた」


「器用……うん、ありがとう」


「おい、自分に都合のいい部分だけ拾うな!」


 極め付けにこれだ。全く皮肉が通じない。あながち、人付き合いは不器用、というシンゴの評価は的を射ている気がする。

 これが学校なら、おそらく友達なんて一人も出来ないだろう。

 私には、私の事を理解してくれる幼馴染がいるから平気、とか言って強がっておきながら、最後はその幼馴染にも愛想を尽かされて捨てられればいい。


「はっ、ザマァ!」


『苛立つのは分からないでもないが、勝手な妄想の結果に対して勝ち誇る今のお前も大概だと思うぞ?』


『ほっとけや!』


 ともあれ、話が脱線してしまっている。

 シンゴは手に持っていたコップに口を付けると、残っていた水を先ほどのやり取りと一緒に飲み干した。

 そして、長く深い息を吐き出すと、シンゴは真面目な顔でトゥレスを見据え、


「――キサラギ・イッシン」


「……なんで、このタイミングで自己紹介? 私は、もう知ってるよ? 今までのやり取りで、そんな簡単な事も分からなかったの?」


「……落ち着け、俺。いちいち反応してたら、話が先に進まねえ……ッ」


 本気で心配そうな顔で首を傾げてくるトゥレスに、シンゴは固く握り込んだ拳を震わせつつ必死に自分を抑え込む。

 そして深呼吸を挟むと、改めてトゥレスと向かい合った。


「俺の名前はキサラギ・シンゴ。あんたの言うイッシンは、俺の親父の名前だ」


「――――」



 ――木更木きさらぎ一心いっしん



 茶髪に碧眼という日本人には珍しい風貌を持ち、真面目で落ち着いた性格ながら情には熱く、真っ直ぐ芯の通った人物だったと聞いている。

 シンゴは髪の色と『心』という字を、イチゴは瞳の色と『一』という字をそれぞれ受け継いでいる。ちなみに『護』という字は母の名から取ったものだ。

 仕事は土木関係の職に就いていたらしく、これは同僚だった前田の父親からも証言が取れているので疑いようもない。

 そして――、



 ――シンゴが物心つくより前に、交通事故で亡くなっている。



 以上が、シンゴの知っている木更木・一心についてだ。

 そして、トゥレスはシンゴを見て一心と勘違いした。それはシンゴに一心の面影を見たからであり、実際に面識が無ければ出来ない勘違いだ。

 まさか、この世界で父親の名を聞く事になるとは思いもしなかった。おかげで、また新たに謎が増えてしまったではないか。しかもそれが身内からとなると、思わず頭を抱えたくなる気分だ。


「な、にを……」


「――?」


「何を、言ってるの……?」


 その声に顔を上げれば、トゥレスは凝然と目を見開き、顔を青くさせていた。

 真紅に戻ったその瞳は不規則に揺れて焦点が合っておらず、呼吸の間隔がひどく短い。明らかに様子がおかしいのは、一目瞭然だった。


「一心の……子供? でも、その顔は確かに一心で……似ているとか、そんなんじゃ……顔……一心の、顔……?」


「お、おい。あんた、顔色がすげえ悪いぞ……?」


「いっしん……きさらぎ……え? 一心って……誰?」


「おいって!」


「――っ!?」


 片手で顔を覆い、ぶつぶつと独り言を呟くトゥレスに危ういものを感じ、シンゴは咄嗟に怒鳴るようにして呼び掛けた。

 その怒声にトゥレスはハッと顔を上げ、動揺に揺れる瞳でシンゴの事をジッと見つめてくる。やがてその呼吸も落ち着いてきて、表情にも余裕が戻ってくると、トゥレスは一度ぱちくりと目を瞬かせた。


「どうしたの、一心? そんなに熱く見つめられても、何も、出ないよ?」


「…………」


 まるで今しがた取り乱していた事を綺麗さっぱり忘れてしまったかのように、トゥレスはけろりとした表情でそんな事を言ってきた。

 しかも、ちゃんと違うと説明したにも拘わらず、シンゴの事をまたもや一心と呼んでいる。わざとやっているのか、それとも――、


『どうやら、相当に記憶が混濁しているようだな』


『……みたい、だな』


 こんな状態では、これからシンゴがする質問も無駄に終わるだろう。

 そんな半ば結果の見えている質問を、シンゴは小首を傾げて不思議そうな顔をするトゥレスに向けて投げかけた。


「ツウ、フィーア、ベッシュ……この三人について、詳しく教えてくれ」


「……ツウ……フィーア? ……ベッシュ……?」


 ――やっぱり、か。


 難しげに眉を寄せ、困惑した様子で首を捻るトゥレスの反応を受け、シンゴは自分の予想した通りの結果になったと落胆の吐息をこぼす。

 シンゴの父親でもある一心についてもそうだが、今しがた挙げた聞き覚えのある三人についてもトゥレスは知っている。――いや、知っていた、が正しいか。


 一人はつい最近書庫で見かけた名で、一人はアリスの口からちらりと聞き、そして最後の一人に至っては実際に顔を合わせて言葉を交わした事がある。

 ただの同姓同名で全くの別人という可能性も大いに有り得るが、しかしおそらくシンゴの考えている三人の事で間違いないだろう。


「でも、今はそれより――」


 シンゴはかぶりを振ると、思考を切り替えるように呟いた。

 そもそも、その四人についての方がおまけみたいなものなのだ。そして、その四人の事についてこれ以上深く追求しても意味がないのは明白。だったらここは、大人しく当初の目的へとシフトするのが正解だ。

 ただし、こちらの方も望み薄ではあるが――。


「――トゥレス。この城、もしくは吸血鬼について何か知っている事があれば、どんな些細な事でもいいから教えてくれ」


「……分かった」


 ――そこからトゥレスが話してくれたのは、どれもシンゴが既に知っている情報ばかりだった。


 吸血鬼の特性、種類、そして城については多少内部構造にシンゴの記憶と食い違いがあったが、概ね一致していた。トゥレスがどれほど眠っていたか定かではないが、おそらく時の流れで増築や改修、部屋の移動などが行われたのだろう。

 トゥレスは、隠しギミックの存在についても触れてきた。まだ未発見の隠しギミックが――とも期待したが、話に出てきたのは中庭の隠し階段の事だけだった。


「ちく、しょう……ッ」


 爪が食い込むほどに拳を固く握り締め、俯いたシンゴは奥歯を軋らせる。

 これで何度目だ。あと一歩で届くと期待して、踏み出したその足が空を切り、奈落の底へ転げ落ちて振り出しに戻されるのは。

 何も収穫が無かった訳ではない。亡き父の、そして無視できない他三名の事をトゥレスが知っているのは知る事が出来た。だが、それはシンゴが本当に望んでいた情報ではない。仮にトゥレスがその“何か”を持っていたとしても、それは鍵の失われた記憶の引き出し――その奥にしかない。


「――いや、まだだ」


 シンゴは握り込んでいた五指を開き、爪を膝に突き立てる痛みで折れそうになっていた心を無理やり奮い立たせる。

 絨毯を見ていた目線を持ち上げ、顔を上げて前を見据える。そこには、シンゴの事を訝しげに見つめているトゥレスの姿があった。

 脳裏を過るのは、あの礼拝堂で邂逅した謎の人物の事だ。


「あの偽リンが、何の目的があって俺の前に姿を現したのかは分かんねえ。けど、何の意味もなく現れたってのは、やっぱり何か不自然だ。理由があったはずなんだよ。わざわざ俺の前に姿を現すだけの、相応の理由が」


 ――いくらここを調べても無駄なのですよ?


「あの言葉が、俺があの場所に居た理由を理解してのものだとしたら、俺の目的……欲しいモノが礼拝堂には無いって、あいつはそう言ってた事になる」


 ――書庫、なのですよ。


「その上で、あいつは俺に書庫へ行けって言った。そこに隠された秘密を暴くヒントと一緒に。その言葉に従って動いた結果、俺はあんたを見付けた。だから、俺の探してた“何か”は、やっぱりあんたなんだよ。――トゥレス・デトレサス」


 頭痛を覚えるほどに、自信のない頭脳を絞りに絞って出した答え、それを胸にシンゴは確信の眼差しでトゥレスを真っ直ぐに射抜く。

 これは、そうあって欲しいという願望に基づき、過去の出来事から都合のいい部分だけを繋ぎ合わせた、ただの自分勝手な妄想なのかもしれない。

 だが、妄想だと切り捨てる事もまた難しいのだ。


 今ならはっきりと認める事が出来る。あの時、理性は疑う事を声高に主張していながらも、本能は完全に屈服させられていたという受け入れ難い事実を。

 相対する目の前の謎の人物が、純然たる『善』そのものであると――直感ではなく、より高位の感覚的な理解により、シンゴは深く悟らされていたのだ。

 そこに理由は存在しない。あるのはただの結果だけだ。否、強いて理由を述べるとするならば、あのリンを騙る何者かの存在自体が理由そのものだ。


「だから、あんたで間違いないんだ。あんたの閉ざされた記憶のどれかが、きっと俺の探し求めてる答えだ」


「――――」


 そう言い切るシンゴに対し、トゥレスは困惑の表情だ。それも仕方がないだろう。こんな事を急に言われれば、シンゴだって同じ反応をした。

 だが、詳しい説明はまた今度だ。今は目先の問題に集中すべきである。そしてその問題とは即ち、如何にして記憶喪失という壁を取り払うかだ。

 どうすれば鍵の紛失した引き出しをこじ開けられるのか、その鍵破りの方法についてシンゴが悩んでいると、今まで困惑するだけだったトゥレスが口を開いた。


「ねえ、勝手に一人で悩んでいないで、私にも、詳しく説明して。よく分からないけど、私にも関係がある事……なんでしょ?」


「……そう、だな。当事者であるあんたにも俺の事情を説明しておいた方が、何かと都合はいい、か」


『ああ、その方が円滑に話を進められるはずだ』


 ベルフからの賛成もあり、シンゴは自分が置かれている状況の簡単な説明と、その解決に当たって必要なモノについてトゥレスに説明した。

 黙ってその説明を聞いていたトゥレスだったが、シンゴが説明し終えると、まるで当たり前の事実を告げるように――、


「それ、冥現殿めいげんでんの宝を手に入れれば、たぶん解決するよ?」


「……なんだって?」


「だから、冥現殿。――? 冥現殿……宝?」


 自分で言っておいて、トゥレスは自身の発言に首を傾げている。おそらく今のは、閉ざされた引き出しから偶然漏れ出た記憶――その断片なのだろう。

 そしてその漏れ出した記憶の断片は、シンゴが求めていた“何か”の、氷山の一角できっと間違いない。

 更に運のいい事に、『冥現殿』という単語には聞き覚えがある。いや、厳密には似た響きの名称を持つ山を知っている、が正しいか。

 そう、つまり――


「――冥現山だ」


 呟き、窓の外に目を向ける。望めるのは、透き通るように透明度の高い夜空だ。

 知らない星座を描き出す星々の光が、知らない模様を表層に刻む月の輝きが、壮大な山の陰影をぼんやりと浮かび上がらせる。

 『冥現山』と称されるあの山と、トゥレスの口にした『冥現殿』は、その響きからして無関係だとは思えない。――否、関係がない方が不自然だ。


「やったぞ……大進歩だ!」


『情報の出所が出所なだけに、少しばかり信用に欠けるが……しかし、挑んでみる価値は十分にあるな』


『ああ! その宝ってのが、吸血鬼のウィークポイントで絶対間違いない!』


 一気に活路が開け、シンゴの発する思念の声に隠せない興奮が滲む。

 思わず立ち上がり、シンゴがガッツポーズしていると、


『だが、『冥現山』は城の外だぞ? そもそもこの城から出る事が出来ないのだと言うのに、一体その宝とやらをどうやって取りに行くつもりだ?』


『……その件については、俺に考えがある』


 興奮に水を差すように、前提の矛盾を指摘してくるベルフ。しかし、シンゴはすぐさまに冷静な返答を返してみせた。

 そのシンゴの落ち着きぶりに小さな感嘆の吐息を漏らしつつ、ベルフが『どういう事だ?』と訝しげに問い掛けてくる。

 その問いかけに、シンゴは小さく吐息して座り直すと、


『別に、城の外に出る方法がある訳じゃない。それが出来るんならその宝とやらにも用は無いしな。――だから、城の中から『冥現山』を目指す』


『……どういう事だ?』


 再び同じ問いを重ねてくるベルフに、シンゴは今のは自分の説明が悪かったと反省に頭を掻く。


『あー、つまりだな。トゥレスを見付けた時に俺が進んだ通路とは別に、氷漬けになってた本道があっただろ? 俺が何かやばいって言ってた方の』


『――まさか』


『そのまさか、だ。最初はただの当てずっぽうで、もしかしたら? って思っただけだったんだけど、軽く頭の中であの通路の向き……つまり、どこに向かって伸びているのかを立体的に考えてみたんだよ。そしたら……』


『――――驚いたぞ、シンゴ。お前の計算通りだ。あの通路は確かに、『冥現山』に向かって伸びている。いや、しかし、これを軽く考えただけで……』


 しばしの沈黙後、ベルフが驚いた声でシンゴの計算が合っている事を認める。

 その賞賛に対して得意げに鼻を鳴らすシンゴだったが、ベルフの『声』が聞こえていないトゥレスに気味の悪い物を見る目をされ、軽く凹む。


『まさか、お前にこんな才能があったとは……いや、今にして思えば、戦闘時にその片鱗は確かに見え隠れしていた』


『……才能? 何の話だよ?』


『――空間認識能力の高さだ』


『……?』


 褒められているのは分かるのだが、一体何を褒められているのかがいまいちピンとこず、シンゴは眉を顰めて首を傾げる。

 そんなシンゴの様子を見て同じ方向に首を傾げているトゥレスには気付かないまま、シンゴは頭の中で『どゆこと?』と質問を振る。

 それにベルフは『そうだな……』と前置きし、


『簡単に言えば、物の大きさやその配置、間隔等を正確に把握する能力の事だ。シンゴ、お前はよく炎翼を展開した状態で姿勢の制御を行うが、その時はどのような感覚で行っている?』


『えっと、なんつうか、自分を外側から眺めるような感じで……』


『それこそが空間認識能力だ。そして通常、人に翼は存在しない。それも片翼での姿勢制御をお前は難なくこなしている。――誇るべき才能だ』


『そ、そう改まって言われても、あんまり実感ないって言うか……』


『――そして、その能力が顕著に発揮されているのが、あの男の力を借りた状態での時だ』


『…………』


 あの男の力を借りた状態――キサラギ・シンゴに別の誰かが混ざり込むような、あの全能感に支配された状態の事をベルフは指摘している。

 蘇るのは、沢谷優子と戦った時の記憶だ。確かにあの時は、壁を走ったり、全方位から飛来する赤い紐を避けたりと、めちゃくちゃな動きをしていた。

 てっきりあれは、あの亡霊の力のおかげだと思っていたが、ベルフの言う空間認識能力がシンゴの力なのだとしたら、果たしてどうだろうか。

 あの状態は言ってみれば、ベルフとの『憑依』に近い。あの亡霊が混ざる事で、シンゴは己の潜在能力を限界まで引き出せるようになる――のかもしれない。


『――すまない。話を脱線させてしまった。だが、頭の片隅に置いておいて損はないはずだ。今後もしも戦闘に発展するような事態に陥った場合、その能力を意識するのとしないのとでは、おそらく勝敗に大きな差が生まれるだろうからな』


『……分かった。とりあえず、覚えとくよ』


 そう約束し、シンゴは本線へと戻るべく意識を現実に――前へ向けた。

 シンゴが黙り込んだ所為で暇だったらしく、トゥレスは空になったコップ二つを器用に爪の上で躍らせて遊んでいた。片手は服を押さえるのに塞がっている為、それを片手のみで行っているのだから、本当にその器用さには驚かされる。


「悪い、トゥレス。考え事の整理が今ようやく終わった。あんたのおかげで今後の方針がしっかり固まったよ。本当に、ありがとう」


「――そう。よく分からないけど、力になれたのなら、良かった。これで、放置されていた可哀そうな私も、ちゃんと報われるね」


「うぐ……っ」


 コップを跳ね上げて器用に重ねてキャッチしたトゥレスが、初めて見せる儚げな微笑を浮かべながら、意趣返しを込めた皮肉の効いたコメントで突き刺してきた。

 負い目があるだけに反論できず、シンゴは苦い顔で喉を詰まらせる。


「と、とりあえず、もう少しだけ情報収集を――」


 切り替えるように咳払いを挟み、トゥレスから他にも何か有益な情報を引き出せないか、とシンゴが情報収集の続きを試みようとした、その瞬間だった。

 不意に部屋の扉が遠慮がちにノックされ、直後に『入るよ』という短い断りの文句が続けられる。聞き間違えでなければ、今の声は――、


「アリス――!?」


 予期せぬ突然の来訪者は、傷付けて涙を流させ、より関係が悪化したはずの少女――アリスだった。そんな彼女が何故、とシンゴは驚きと困惑で戸惑う。

 が、すぐにハッと思い出し、扉に固定されていた視線をベッドの上に向けた。

 そこにはシンゴの制服の上着を肩から羽織って、下半身の要所を枕で隠しただけの、ほぼ全裸と言って差し支えないトゥレスが座っていて――。


 ――誤解が生まれない方が無理な状況だった。


「――ッ」


 シンゴは咄嗟に身を乗り出すと、トゥレスに向けて必死に手を伸ばした。その伸ばした手をどうするのか、先の事など全く考えずに。

 それは、この状況をアリスに見られたくない、という一心での行動だった。どうしてそう思ったのか、その理由を考える時間は既にない。手遅れだった。

 入室を告げる声に対して“待った”か“拒絶”を返すのが、この局面を穏便に済ませる事の出来た数少ない正解だったのだ。


「――っ!」


 シンゴの手がトゥレスに届くよりも先に、無情にも扉が開け放たれた。

 その扉の開放に伴い、シンゴは身を乗り出した状態で動きを途中で止めてしまった。結果、全裸寄りの半裸であるトゥレスに、シンゴが今まさに襲い掛からんとしているとしか見えない図の完成だ。


「や、夜分遅くに失礼するよ。少し、キミと話したい事が……あっ……て?」


 どこか緊張を孕んだ声と共に入室してきたアリスが、眼前の光景を見てその言葉を徐々に尻すぼみにさせる。

 口をぽかんと開けてフリーズするアリスに対し、シンゴは顔を青ざめさせながら咄嗟の言い訳を捻り出すべく脳をフル回転させる。

 この、アリスが凍り付いている一瞬がシンゴに与えられた猶予だ。と、シンゴが素晴らしい言い訳を思い付く前に――、


「――一心。この人は?」


 空気を読めない事に、トゥレスがシンゴに向けて誰何を問うてきた。

 それが原因でアリスのフリーズが解除。トゥレスに向けていたその視線を、冷や汗を滝のように流すシンゴへ向けると――可憐な花が綻ぶように笑った。

 その眩しいほどの笑顔に、シンゴは一縷の希望を見るが――、


「これは一体、どういう状況なんだい?」


 ――聞いた事もない、ドスの効いた底冷えするような声だった。


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