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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:35 『朝霧の中の逃走』

 ――薄く空が白み始めた頃、深い朝霧の中を走る人影があった。


 朝の気配が満ちた清涼な空気で肺を満たし、湿った土を踏み締めて駆けるのは、右目を真紅に染めた少年――キサラギ・シンゴである。

 霧は濃く、まだ薄暗い所為もあって、視界はやや不明瞭だ。しかし、右目の恩恵により薄暗さは障害にはカウントされず、走るのにさほど不便はない。

 足取りの方も軽く、口元には笑みさえ浮かんでいた。


 それも当然だ。何故なら――、


「なんだよ……簡単に脱出できんじゃねえか……!」


 立ち止まり、後ろを振り向けば、霧景色の奥に巨大な城の影が窺える。

 昨日、シンゴはあの親子を和解させようとして盛大に失敗した。双子の信用――特に妹のレミアの信用を大きく損なってしまった。彼女の姉に対する想いを利用する計画は、これで使えなくなったと考えていいだろう。


 失敗も失敗、大失敗。そんな大敗北を喫したシンゴは、精神的に引きずりながらも挽回すべく夜中に二階の探索を断行した。

 しかし結果は、笑えるほどに豪快な空振り。隠された仕掛けらしき物も何一つ発見できず、三日目をマイナスで終えてしまった。


 そして迎えた四日目。とうとう期日まで半分を切ってしまったと言うのに、交渉または脅迫に使えそうな情報の入手は成せておらず、自衛手段の確立に関しては未だ着手すらできていない状況だ。

 臓腑を絞られるような強い焦りと不安で一睡もできず、ベッドの上でひたすらに頭を悩ませ続けたシンゴは、夜が明け始めた頃にふと思い至った。


 ――こんな回りくどい方法など取らずとも、城から抜け出すのは案外簡単なのではないだろうか、と。


 夜中に吸血鬼が巡回しているとは言え、日中のシンゴの行動に対する制限はなく、直接的な監視もない。これは昼間にこっそり悪意を探ってみた事があるのでほぼ断言できるだろう。

 となれば、吸血鬼の目を盗んで城の外に抜け出すのは容易なはず――そう考えたシンゴは、ベルフの制止の声も無視して即行動に移し、こうして無事に城から抜け出す事に成功したのだ。


『な? 俺の言った通りだっただろ、ベルフ?』


『ああ……正直、私も驚いている。まさか、こうもあっさり城の外へ出られるとは……不自然さが際立つな』


『慎重になるのは確かに大事だけど、こういった大胆な一手も時には必要だと思うぜ?』


『それはそうかもしれないが……』


 こうもあっさりと城から出られた所為か、ベルフは不審感を抱いている様子だ。

 ともあれ、城からの脱出が容易である事実は確認できたのだ。あとは城に戻り、イチゴとアリスの二人を連れて改めて城から脱出。集落にいるカズとイレナと合流後、イレナの『ゼロ・シフト』でこの『金色の神域』から脱出すればいい。


「残す障害は、ここに残るって言ってるアリスをどう説得するか、だけど……」


 一気に脱出までの道筋が見え、そして乗り越えるべき問題が明確化した事で、今まで不鮮明だった道先が一気に開けたような開放感が胸を満たす。

 しかしアリスの問題だけが、未だ心にしこりのようなものを残していた。

 この城への残留を決めたのは彼女の意思だ。同胞に囲まれたこの城で暮らしていく事が、彼女にとって最も幸せなのではないだろうか。


「…………」


 脳裏に蘇るのは、昨日、廊下の奥で振り返ったアリスが見せた、あの何かを待っているような期待の眼差しだ。

 あの時あの瞬間、アリスはシンゴに何を求めていたのか、その答えを知る必要がある。逃げ出したシンゴに、その資格があるのかは疑問だが。


「どうあれ、やっぱりアリスとは一度ちゃんと話し合う必要があるな……」


 今度こそ、逃げずにアリスと正面から向き合おう。そう決意を心に刻み付け、城に戻るべく踵を返したシンゴは――、


「――ッ!?」


 振り向いた先の光景に、思わず驚愕に息を詰まらせた。


「「「――――」」」


 目を見開くシンゴの眼前、いつの間にかそこには吸血鬼がずらりと並んでおり、こちらをその真紅の瞳でジッと見つめていた。

 ハッとして振り返れば、先ほどまでは誰もいなかったはずの正面にも、いつの間にか同じように吸血鬼が並んでいて。


 ――気が付けば、キサラギ・シンゴは吸血鬼によって完全に包囲されていた。


「なん、で……何も、感じなかったのに……っ」


 今のシンゴは『激情』を発動させており、悪意を感知出来る状態だ。しかし囲まれるまで――否、こうして囲まれた今でも、彼らから悪意を感じる事は出来ない。

 まさかここにきて、悪意感知の力に問題が生じたのだろうか。この現状を招いた原因を己に探してみるが、ここでシンゴはふと、目の前の光景に違和感を覚えて眉を寄せた。


『――シンゴ。彼らの全身をよく見てみろ』


『――! なんだ、あの光……?』


 ベルフの指摘で、シンゴは違和感の正体に気付き瞠目する。

 シンゴを取り囲む吸血鬼、彼らのその全身を淡い金色の光が包んでいた。その光は温かく、見ているだけで安らぎを与えてくれるようで――。


「――よもや、堂々と正門から抜け出すとは、些か無謀が過ぎると思われますが?」


「――!?」


 敵意を感知してそちらに目を向けると、霧の奥からゆっくり姿を現したのは、鋭い眼差しでシンゴを見据える老執事――ガルベルト・ジャイルだ。

 咄嗟に身構えるシンゴを見て、立ち止まったガルベルトはどこか悲しそうにその目を細めると――、


「やはりまだ、この神域から解放される事を諦めてなかったのでございますか。……昨日、我ら親子に手を差し伸べて下さったのも、その為で?」


「――ッ」


 その問いかけを聞いた瞬間、シンゴは自分の中から何か熱いものが込み上げてくるのを感じ、強く奥歯を軋らせた。

 ガルベルトの言う通り、それが主目的だったのは本当だ。しかし、それだけではなかったのもまた事実なのだ。

 シンゴは、彼ら親子に、本当に仲直りして欲しかった。


「――――」


 しかしガルベルトのその眼差しは、シンゴの事を無言で糾弾していた。あの一件の所為で、親子の溝がより深まってしまったのだと。

 確かにその溝は、シンゴが余計なお節介を発揮しなければ生まれなかったものだろう。でも、だとしても――、


「全部が全部、俺が悪いって理屈はおかしいだろ! 俺は昨日、お膳立てはちゃんとやった! それを台無しにしたのは、あんたの方だろうが――ッ!!」


「……私にこそ責任があると、シンゴ殿はそう仰りたいのですか?」


 シンゴの反論を受け、ガルベルトの視線が鋭く細められる。

 頭の中でベルフが『よせ、シンゴ……!』と制止の声を上げてくるが、シンゴはその口を止めない。 


「ああ、そうだ! なんだよあれ!? ふざけてんのか!? 本気であの二人と仲直りする気あったのかよ、あんた!?」


「……あった。あったに、決まっている――ッ!!」


 今まで冷静だったガルベルトが、シンゴの怒鳴り声に声を荒げ返してきた。

 その声は震えており、それが怒りによってなのか、はたまた動揺によるものなのかは分からない。

 しかし今は、そんな事などどうでもいい。


「嘘こきやがれ! 傍から見て弱腰になってるのが丸分かりだったぞ!? 急だったにしても、もうちょっとマシな文句を考える時間はあったはずだ! どうせ怖くて怖じ気づいたんだろ!? あの二人と仲直りする未来を信じられなくて、手ぇ抜いたんだろうがよ! 本気で仲直りしたいんなら、本気でやりやがれ――ッ!!」


「――っ」


 まくし立てるシンゴの言葉に、ガルベルトが小さく息を詰めた。

 そんなガルベルトを見据えながら、肩で荒い息をするシンゴは、胸の奥に気持ちの悪い痛みを覚えて顔を顰めた。


 分かっている。今しがたガルベルトにぶつけた言葉は、全て諸刃となりシンゴ自身を斬り付けている事など。

 弱腰なのは、本気になれていないのは、一体どちらだと言うのか。そんなもの、論ずるまでもなく、キサラギ・シンゴで間違いない。

 だと言うのに、自分の事を棚上げし、上から目線で他人に説教など、本当に偉くなったものである。一体、何様のつもりなのか。


「俺は……ッ」


 言葉に出来ない感情に翻弄され、シンゴは奥歯をきつく噛み締めると、肩を震わせながら下を向いた。

 目論見が全く上手くいかない焦りと、見つかってしまった動揺が、先の滑稽な発言に繋がった。自棄を起こしている、その自覚はある。


 しかし、ならどうすればいいのだ。事は上手く運ばず、期日は既に半分を過ぎ、ようやく見えたと思った希望の光も、こうして瞬く間に塗り潰されてしまった。

 この八方塞がりの状況を、一体どう打開すればいい。足掻けば足掻くほどに空回りするこの複雑な糸を、どう解けばいいのだ。


「――連れ戻せ」


 数秒にも満たない沈黙を破ったのは、ガルベルトが低く発した拘束の指示だ。

 次の瞬間、一斉に飛び掛かって来た吸血鬼達によって四肢を取り押さえられ、シンゴは一瞬にして地面へと引き倒された。

 吸血鬼の膂力が全身を圧し潰し、頬が湿った大地に擦り付けられる。口の中に苦い砂利の感触を味わいながら、シンゴはその不快感を奥歯ですり潰し――、


「僕に……触るなぁ――ッ!!」


「「「――ッ!?」」」


 渦を巻く激しい感情を『激情』の糧とし、口調を変化させたシンゴは、吸血鬼達の拘束を力技で振り解き立ち上がった。

 そしてそのまま、静かにこちらを見据えるガルベルトに向けて突撃――右の拳を引き絞ると、一気に振り抜いた。

 しかし――、


「――甘い」


 首を振る最小限の動きで、ガルベルトに拳を難なく躱される。が、さすがにシンゴも学習している。躱される事は想定済みだ。

 シンゴは踏み込んだ左足を踏ん張って軸足にすると、その場で回転。右足による回し蹴りで即座に追撃を仕掛けた。


「――ッ」


 微かに驚くような気配を滲ませて、ガルベルトはその場で上体を後ろに大きく反らすと、シンゴの追撃をまたもや回避してのける。

 ここで攻撃の手を止めてはならない。反撃の隙を与えずに、力で押し切るのだ。


「これで、どうです――ッ!!」


 振り抜い右足を地面に着地させると、シンゴはそのままぐっと腰を下ろす動作で、上体を限界まで反らせるガルベルトの顔面に肘を振り下ろした。


「ぐ、ぬぅ……ッ!?」


 全体重を乗せたシンゴの肘による攻撃に対し、ガルベルトは咄嗟に片手を地面に着いて支えにすると、もう片方の手でシンゴの肘を受け止めてきた。

 しかしその無茶な体勢が災いし、ガルベルトの口から苦悶の声が漏れ落ちる。とは言え、辛うじて凌いでいるのはさすがとしか言いようがない。

 だが――、


「――捉えた!」


 肘を引き戻すと、シンゴはガルベルトのその背中を全力で蹴り上げた。

 吸血鬼と言えでも、対応不可能な体勢、そしてタイミングだった。その、はずだったのだが――、


「――え?」


 振り抜いた足が虚しく空を切り、シンゴは驚きにその紫紺の両目を見開く。忽然と、ガルベルトの姿が消え失せていた。

 慌てて顔を上げ、ガルベルトの姿を探して周囲を見渡したシンゴは、ここで三つの気付きを得て息を詰める。


 一つ目は、パリッ――パリッ――と断続的に周囲から鳴り響く、静電気が弾けるような奇妙な音の存在。

 二つ目は、ガルベルトの悪意が周囲一帯のどこかしこからも感じられると言う、不可解な悪意感知の結果。

 そして三つ目は、不自然に屹立して、この戦いに一切干渉してこない、ガルベルトの部下らしき吸血鬼達の存在だ。


「いや、今は――ッ」


 疑問を雑念と割り切り、シンゴは五感を研ぎ澄ます。

 ガルベルトがこの場にいる事は確かなのだ。しかし、悪意の感知による先読みは不可能と考えていいだろう。となれば、被弾は確実だ。

 故に、取り得る選択肢はただ一つ。肉を切らせて骨を断つ、である。


「――――」


 意識を集中させ、シンゴはカウンターを狙うべく身構える。

 シンゴの治癒速度なら、カウンターは狙う余裕は十分にある。加え、まだ知られていない『怠惰』による復活で、意表を突く事も可能だ。そう確信していたシンゴだったが、しかしそれは誤算だった。



 ――よもや、一撃で完全決着するなど、想定外である。



「――『伏雷ふすいかづち』」


「あ、が……っ!?」


 ガルベルトの声が響いた直後、両手首、両足首に激痛が走った。痛みに顔を歪めて自分の手足を見れば、そこには短刀らしき物が突き刺さっている。

 飛び道具の存在を完全に失念していた。そんな己の浅慮さを悔いる前に、“それ”はシンゴの全身を貫いた。


「――――――――ッッ!?!?」


 まるで落雷に打たれたかのような衝撃を受け、シンゴは全身を痙攣させながら、ゆっくりと前方に倒れ伏す。

 全身が痺れ、筋肉が勝手に収縮を繰り返す。その痺れが最も強いのが、短刀の刺さっている両手首に両足首だ。


「な、んだ……こ、れ……ッ」


「――ああ、そうでございましたな。シンゴ殿は元々この世界の住人ではない。故に、『上位魔法』の存在をご存じでないのも当然の事、ですか」


「――っ!」


 近くに誰かが立つ気配を感じ、シンゴは元に戻った瞳をそちらに向ける。

 そこには、ようやく姿を現したガルベルトがシンゴの事を見下ろしていた。そしてその全身は、何やら帯電したように稲妻を迸らせており――、


「じょうい……ま、ほう……だと?」


「魔法には、属性ごとに上位に位置する魔法が存在します」


 痺れから上手く口を動かせず、たどたどしくなるシンゴの問いかけに、ガルベルトは魔法には更に上位のものが存在する事を説明してくる。


「限られた者しか至る事の出来ない領域。決まった『意味』を持たず、至った者が自ら見出すしかない、扱う事すら難しい魔法……それが『上位魔法』でございます」


「じゃあ……これ、も……」


「ええ、風系統の上位魔法でございます。――『ライトニング』。一般的にそう呼称される、いかづちの魔法でございますよ」


 短刀を器用に指先で回すガルベルトの説明を受け、シンゴは自分の動きを縛っているのがその『ライトニング』と呼ばれる雷の魔法なのだと理解する。

 おそらく、先ほど一瞬にして姿を消したのも、その魔法の力だろう。また、悪意をそこかしこから感じたのは、ガルベルトが『上位魔法』の力で高速で動き回っていたから、そう考えれば納得がいく。


「――――」


 動きを封じられ、またこんな強力な魔法の存在を知らされて、元より薄かった勝算がほぼ皆無だったのだと痛感させられた。

 しかし、ここで心までも折れてしまえば、本当に終わってしまう。まだ折れるなと、諦めるなと、魂が声高に叫んでいる。


 ――脳裏に、処女雪のように白い髪がちらついた。


 萎えかけていた心に火が灯る。魂が震え、心臓が脈打ち、熱い血の流れを感じて、シンゴは再び脈動を始める“それ”を意識する。

 ゆっくりと、左目が紫紺に染まり、全身に微弱ながら力が蘇る。そうして、シンゴは頬を引き攣らせながらも不敵に笑ってみせて――、


「俺を……監禁でも、するかよ?」


「……まさか」


 挑発的なシンゴの言葉に、ガルベルトは口端を裂いて笑って――、


「シンゴ殿には、これまで通りに城で過ごして頂きます。無論、城内における行動の制限も、監視等もございませんので、ご安心を」


「……随分と、甘いっすね。こっちは、監禁とまではいかなくても、何かしらのペナルティは覚悟してたんっすけど」


「シンゴ殿はもう分かっておいでのはずです。身を以て理解されたはずです。――この城から抜け出す事の、難しさを」


「――――」


 ――霧が徐々に晴れ、四日目の始まりを告げる朝日が、ゆっくりと顔を覗かせ始めていた。


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