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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:32 『ガルベルト・ジャイル』

 朝食後、何をすべきかベルフと念話で相談しながら、二階の渡り廊下を歩いていたシンゴは、備え付けられた手すりに肘を預けて佇む人物を見つけて足を止めた。

 中庭を見下ろす彼の横顔はひどく物憂げで、シンゴはつい二日前に腕を引き千切られた相手だと言うのに、思わず声を掛けていた。


「ガルベルトさん」


「――シンゴ殿、ですか」


 顔を上げたガルベルトはシンゴを見て目を丸くすると、「お見苦しい顔をお見せしましたな」と弱々しい笑みを浮かべる。

 そんなガルベルトの隣まで歩み寄ったシンゴは、彼が何を見ていたのか気になり、中庭へと視線を向けた。


「あれは……ラミアとレミア?」


「補足すると、イチゴ様もご一緒ですな」


 中庭には、『だるまさんがころんだ』をして遊ぶ三人の姿が見えた。

 イチゴの掛け声に合わせ、ジリジリと距離を詰めるラミアとレミア。一方は挑戦的で楽しそうな笑みを浮かべ、もう一人は無表情に見えるが、その口元が微かに笑っている。

 二人が、心の底から楽しんでいる事が伝わってきた。


『……つか、ここで一生暮らさなきゃなんねえかもしれないって状況なのに、なんで一緒になってはしゃいでんだ、イチゴの奴?』


『お前がこの計画から遠ざけた結果じゃないのか?』


『まあ、そうなんだけど……』


 当初は、イチゴにも出来る範囲で協力してもらう予定だったのだが、昨日の探索を経てシンゴの考えは変わった。正直、想像以上だったのだ。

 思い出されるのは、あの拷問部屋の存在である。あんな所がある城の探索に、イチゴを付き合わせる事は出来ない。何かがあってからでは遅いのだ。

 だから――、


『脅迫と自衛に使える情報収集は、怪我の出来る俺が全部やる。イチゴには、極力関わって欲しくない』


『シンゴ……』


 たとえ、ちょっとした城の案内であっても、その例に漏れない。不幸に自覚のあるシンゴが一緒にいては、イチゴにまで巻き添えがいきかねないのだから。

 そんな事を考えながら、シンゴが細めた視線でイチゴの事を見つめていると――、


「――先ほどとは、立場が逆転しましたな」


「――ぁ」


 自分から話し掛けておいて、勝手に思考に没頭して黙り込んでしまっていたシンゴは、ガルベルトの苦笑の滲む声で我に返った。

 慌てて顔を上げると、そこには顎鬚を撫でながら朗らかな笑みを浮かべるガルベルトの姿があり――、


「えっと……俺から話しかけておいて、なんかすいません……」


「いえ、私もちょうど休憩が取れまして。シンゴ殿を捜している内に、ふと中庭から楽しげな声が聞こえて、つい立ち止まってしまったのでございます。最優先事項を忘れるなど、少々弛んでいますな、この老躯めは」


「俺を、捜して……?」


 予想もしなかったタイミングで自分の名が出てきて、シンゴは目を丸くする。

 そんなシンゴに、ガルベルトは「ええ」と頷くと、その場で静かに腰を折った。


「な――」


「昨日は、我が娘達と遊んで頂き、本当にありがとうございます」


 ガルベルトの突然の行動に驚き喉を詰まらせるシンゴに対し、ガルベルトは丁寧な感謝の言葉を述べてきた。その声には情が込もっており、ガルベルトの本心からの感謝なのだという事がありありと伝わってきて――、


「……娘?」


 その感謝に覚えがなく、シンゴは困惑に首をひねった。

 ガルベルトに娘がいた事実にも驚いたが、何より感謝される理由が思い当たらず、シンゴの頭の中は疑問符で埋め尽くされる。

 そんなシンゴの反応を受け、顔を上げたガルベルトは「おや」と目を丸くし、


「既にご存じと思っておりましたが、その様子から察するにまだのようで」


「知らないって……何を?」


 シンゴの問いかけに対し、ガルベルトは後ろに手を組んで姿勢を正すと、持ち上げた片手で顎鬚に触れながら、その真紅の眼差しを中庭に向け――、


「ラミアとレミアが、私の娘だと言う事をです」


「――まじすか?」


 新事実の発覚に、シンゴは呆けたように口を開けながら、ただそう問い返すしか出来なかった――。



――――――――――――――――――――



 ラミア・ジャイル。レミア・ジャイル。それが二人のフルネームだ。

 全く予想していなかった事実の発覚に、シンゴはどういったコメントをすべきか悩み、ふとこの城で最初に目覚めた時の事を思い出した。


「親子って割には、なんかすげえ険悪な感じだったけど……」


「なかなか痛い所を的確に突いてこられますな、シンゴ殿は。――激痛のあまり、うっかり死んでしまいそうです」


「…………」


 笑うのが正解なのか、シンゴは反応に窮して黙り込むしか出来ない。そんなシンゴの困った顔を見て、ガルベルトは「おや、これは失敬」と微笑み、


「神官相手にこれを言うと、『そんな簡単に死ねれば苦労しませんよ』と言った具合のツッコミが入り、笑いが生まれて場が和む、という私の鉄板ネタなのですよ」


 ははは、と笑うガルベルトに対して、シンゴの方は苦笑いだ。――本当に、全く笑えない冗談である。

 そうしてシンゴが頬を引き攣らせていると、ガルベルトは口に拳を当てて咳払いを一つ挟んでから、どこか空虚な印象を受ける淡い微笑を浮かべた。


「確かに、私と娘達の親子仲は冷え切っていると言っていいでしょう。しかし、昔はそうでもなかったのです。――そう、妻が自ら命を断つまでは」


「――っ」


 思いがけない最後の告白を聞き、シンゴは鋭く息を呑んだ。

 ガルベルトは目を見開くシンゴから視線を外すと、手すりに両肘を預け、中庭にて遊ぶ二人の娘に目を向けた。

 その瞳の奥に、どこか哀愁にも似た悲しげな感情を宿して――。


「――少しばかり、この老いぼれの昔話に付き合っては頂けませんかな?」


「――――」


 その申し出に対し、同じように無言で手すりに肘を預けるシンゴを見て、ガルベルトが唇をふっと緩める。

 そうして、ガルベルトは視線を中庭の二人に戻すと、ゆっくりと語り始めた。


「私の妻――ガレッタは、気立てのいい、よく笑う女性でした。そんな妻と二人の娘に囲まれ、私は幸せな時間の中を生きておりました」


 当時を思い出すように、静かに目を閉じるガルベルトの口元には、その幸せを物語るように穏やかな笑みが刻まれている。

 その様子を横目に、無言でシンゴが続きを待っていると、「ですが」とガルベルトは表情に陰りを差し、


「私は見えていなかった。あの笑顔の裏に押し隠された、吸血鬼の業に喘ぐ、妻の苦しげな表情が」


「……吸血鬼の業、ですか」


 呟くシンゴに、ガルベルトは「ええ」と相槌を打ち、


「悠久の時を生きる吸血鬼の特性。その呪いが、妻の苦しみの原因。――ガレッタは、生きる事に疲れ切っていた」


「――――」


 ――生きる事に疲れる。


 まだ十数年しか生きていないシンゴには、その言葉に含まれる途方もない重みを感じられても、到底理解する事は出来なかった。

 否定の言葉も、慰めの言葉も掛けられない。シンゴの言葉では軽すぎて、きっとその重みに弾かれてしまう。だから、軽々しい発言は決して許されないと、シンゴはそう本能的に察して口を噤むしかない。


「そして妻は、私の目の前でその命を断ちました。何度も、何度も、何度も、自らの命を断ち続け、最期にはいつものようにあの愛らしい笑顔を浮かべて、幸せそうに――死にました」


「――――」


「あの血に塗れた妻の笑顔が、瞼の裏に焼き付いて消えてくれないのです……ッ」


 痛みを堪えるように顔を歪め、ガルベルトが血を吐くように嘆きを吐き出す。

 その痛ましい姿に、当事者でないにも拘わらず、シンゴは胸の奥に軋むような痛みを覚えて顔を顰めた。

 やがて、ガルベルトは深く息を吐くと、自嘲気味の笑みを浮かべて、


「私も即座に妻の後を追おうとしました。しかし、私は死ねなかった。死ぬ事が、とても恐ろしくて、自らを殺し尽くす事が出来なかったのです」


「――――」


「私は、この世の全てがどうでもよくなった。そして、この神域を一人抜け出したのです。――娘達を、置き去りにして」


「――!」


 ラミアとレミアをこの『金色の神域』に置き去りにした。その告白を受け、しかしシンゴにはそれを糾弾する権利などない。

 責められるはずがないだろう。愛する者の死をその心に幾重も刻まれた男の自暴自棄を、例えこんな若造でなくとも、誰も責める事は出来ない。


 ――たった、二人を除いては。


「私は目的もなく、半ば生きる屍の如く各地を放浪しました。そんな折です。一人の、少年と出会ったのは」


「……少年?」


「はい。身寄りのなかったその少年は、生きる為に私を襲ってきました。ですが、私は人を超越させられた存在。人の、それも何の武芸も魔法も使えない子供では、私という壁の存在はあまりに高すぎたのです」


「まさか、その少年って……」


 殺してしまったのか、そう問おうとしたシンゴだったが、それよりも先にガルベルトが「いいえ」と首を振って否定してきた。

 それにシンゴが眉を寄せると、ガルベルトは何がおかしいのか、呆れるように苦笑気味の笑みを漏らして、


「弟子にしろ、と私に言ってきたのです。その少年――グリストアは」


「――!?」


 思いがけない人物の名が出てきて、シンゴは驚愕に目を押し開く。

 そんなシンゴの反応を余所に、ガルベルトはその目をスッと細めた。まるで、眩い光を幻視するかのように。


「真っ直ぐ、生きる事に貪欲な、そんな強い目だった。きっと、私は羨ましかったのでしょうな。死を欲しながら自ら拒んでしまった弱き己と、生を欲するが故に力強い意志を宿すグリストア。その対照的な在り方に惹かれ、私は彼を弟子としました」


「そんな、事が……」


 あの老人の過去を意図せず知る事となり、シンゴは静かに瞠目する。

 初めてガルベルトの名を聞いた時、その『ジャイル』という部分に引っ掛かりを覚えた。しかし、名や苗字が被る事などよくある事――そう思っていたのだが、どうやらガルベルトとあの副団長にはただならぬ因縁があったらしい。


「偶然にも魔法特性が一致していた事もあり、私自身のほぼ全ての戦闘技術をグリストアには伝授しました。そうしてグリストアと共に旅を続けていたある日、彼は私に向けてこう言ったのです」


 そこで言葉を切ったガルベルトは、静かに目を閉じて――、


「――本当の父とは、アンタみたいな奴なのだろうか、と」


「――! 本当の、父親……」


 父親という存在に限って言えば、シンゴはグリストアと同じ境遇なのかもしれない。いや、シンゴには祖父や祖母、妹のイチゴに、一時期とはいえ母の記憶があるだけ、まだ幸せな部類だ。

 でも、やはり父親がいない、という一点に限れば、シンゴも同じだ。だからだろうか。ガルベルトが、一体どのような反応をしたのかが気になった。


「……どう、なったんですか?」


 思い切って問いかけてみると、ガルベルトは恥じ入るように瞳を伏せ、


「恥ずかしながら、泣きました。そして泣いた自分に驚くと同時に、私は大事なものの存在に気付いたのです。――生きる意味、というやつですな」


「それは……」


 シンゴが中庭のラミアとレミアに視線を向けるのを受け、ガルベルトは「ええ、そうです」と深く頷いた。


「本当に、恥ずかしい話でございます。すぐ近くにあったにも拘わらず、私は何も見えていなかった。……いえ、見ようとしていなかった。盲目にも、程があるというものです」


 自嘲の言葉を吐き出して、ガルベルトは愛おしそうに二人の娘を見下ろす。その真紅の眼差しは優しく、深い愛情が見て取れた。

 その後ガルベルトは、グリストアに餞別として自らの家名である『ジャイル』を授けると、すぐに『金色の神域』に――娘達の元に帰ったらしい。実に、五十年ぶりの帰還だったとの事だ。

 そして、五十年ぶりに再会を果たした娘達は――、



 ――裏切り者。



 開口一番に、ガルベルトをそう罵ったのだと言う。



――――――――――――――――――――



「――その後の私と娘達の関係は、シンゴ殿も既にお察しでしょう」


「…………」


 そう締め括るガルベルトに、しかしシンゴは何も言葉を紡げない。ふと念話にて、ベルフが『辛いな』と呟いたその一言が、ただ頭の中に反響する。

 その反響の中で真っ先に思い浮かんだのは、今の話に対する所感などではなく、もっと前提の部分に対する疑問だった。


「なんで……なんで俺に、こんな話をしたんですか?」


 ここまで壮絶な過去を聞かされるほど、ガルベルトと親密になった覚えはシンゴにはない。そもそも、まだ出会って数日の間柄だ。

 何か意図があるのでは、そんな警戒から出たシンゴの質問だったのだが、それは杞憂だったのだと、次のガルベルトの言葉でシンゴは悟らされる。


「理由、と言えるほどの事はないのですが……強いて言うのなら、シンゴ殿とイチゴ様の深い兄妹愛に感化されて、とでも言いましょうか……」


「俺と、イチゴの……っすか」


「ええ……お二人を見ていると、私はかつての幸福な一時を思い出します。後悔に塗れた過去なのは事実ですが、そこに確かに存在した幸せすらも後悔で塗り潰す事はしたくない。きっと私は、お二人の姿に過去を重ねていたのでしょうな。そしてその想いを、思い出を呼び起こして下さったシンゴ殿に聞いて欲しかった、そのように自己分析いたします」


「……盲目とは、よく言ったものですね」


「……はい?」


 シンゴの口から辛辣な言葉が飛び出して、ガルベルトは目を丸くする。そんなガルベルトを冷めた目で見ながら、シンゴは静かに嘆息した。

 シンゴのイチゴに対する愛は確かに本物だ。それを否定しないし、外からそれを評価されるのも別に嫌ではない。しかし、ガルベルトの言い方は、いくらなんでもシンゴを持ち上げ過ぎだ。


 キサラギ・シンゴは、そんな立派な人間ではない。イチゴとだって普通に喧嘩もするし、罵詈雑言をぶつけ合う事だって多々ある。それでも、最後には謝り合い、そして和解する。上っ面だけなぞって、知った気になられるなど、虫唾が走る。

 そして、妹とは出来る仲直りも、今はたった一人の少女とすら出来ずにいる。これほど滑稽な己を褒められても、ただ不快なだけだ。

 これが例え、ただの八つ当たりに近い感情だとしても、それでもシンゴは――。


「……どうやら私は、シンゴ殿の踏み入ってはならない領域を土足で踏み荒らしてしまったご様子。そのお詫びと、この老いぼれめの長話に付き合って頂けたお礼に、一つだけシンゴ殿の質問にお答えしましょう」


「……俺の質問の全てに答える、っていう都合のいいもんじゃないんですよね?」


「無論、答えられない事柄に関しては口を噤ませて頂きます。ただ、私が何かお答えするまで質問は有効……これでいかがでしょうか?」


「…………」


 背筋を正し、後ろに手を組んで向き直ってくるガルベルトの申し出に、シンゴは考え込むように顎に手を当てた。

 予想もしていなかった展開だが、これはまたとないチャンスだ。質問の内容は、慎重に吟味しなければならない。


『どうする、ベルフ?』


『答えられない質問には答えない、そう明言している以上、この男から有益な情報を引き出す事は非常に困難だ。手がかりの手がかり、といった具合に遠回りな質問ならどうにか通るかもしれないが、そのように複雑な質問をすぐには……』


 ベルフが唸るのも仕方ないだろう。こればかりは、すぐに思い付くような類のものではない。そしてガルベルトは先ほど、ちょうど休憩が取れた、と言っていた。実際に口にはしなかったが、おそらくシンゴに与えられたこの質問権には、有効期限が存在する。


 ベルフの言うような、手がかりの手がかりを探る質問を考え付くには、残念ながら時間もシンゴの頭脳も足りていない。

 しかし、せっかくの質問権だ。次回に持ち越せる保証がない以上、ここで使ってしまわなければ非常にもったいない。

 だから――、


『わりい、ベルフ。この質問権、俺の個人的な質問に譲ってくれねえか?』


『お前が得た権利だ。それをお前がどう使おうと文句はないが……一体、何を聞くつもりだ?』


 質問の内容について触れてくるベルフに、シンゴはその脳裏に綺麗な白髪を過らせながら――、


『今後、この城から解放されたとしても、この城に永住する羽目になったとしても、いずれ襲い来る可能性が高い脅威……その、正体についてだ』


 迂遠な解答を述べられ、ベルフから困惑する気配が伝わってきた。しかし、その疑問もすぐに解消される事だろう。

 質問を口にすべくシンゴが顔を上げると、静かに瞑目して待機していたガルベルトが、その気配を感じ取ったのかゆっくりと目を開ける。

 その紅い双眸を真っ直ぐ見据え、シンゴはその質問を口にした。


「――デプレシン。そう名乗る吸血鬼の少女を、知ってますか?」


 デプレシン――その名を口にした瞬間、シンゴは胸の奥が締め付けられるような感覚を覚え、密かに顔を顰めた。

 アリスと瓜二つの顔を持ち、同じ吸血鬼でもある少女。そして、自らを『憂鬱』と称する得体の知れない人物。初めての出会いは森の中で、捕まっていた所を助けてくれた。そして二度目の邂逅は、これもまた森の中だ。あの時も、過呼吸に陥っていたシンゴを優しく抱き締め、救ってくれた。


 三度目は、今もしぶとくシンゴの中でその存在を永らえている狂人、その口から語られる形で接点を持っている。シンゴが彼女の名を知ったのは、その時だ。

 出会うのは決まって森の中で、これまた決まってシンゴは彼女に助けられている。しかし、シンゴは彼女を味方だとは思えないでいた。


 二度目の邂逅時、シンゴの事を救ってくれた直後に、彼女はシンゴを死地へと追いやっている。根拠はその矛盾だけに留まらない。『憂鬱』――デプレシン。あの少女は、キサラギ・シンゴにとって『敵』であると、そう本能が告げていた。つまり、直感である。


「……その者の事を、少し詳しくお聞かせ願えないでしょうか?」


 質問に質問で返してくるガルベルトに、シンゴはデプレシンという少女の事について、自分が知っている限りの事を全て話した。

 そうして、シンゴの説明を聞き終えたガルベルトは――、


「……有り得ない。私の認知しない吸血鬼が存在するだけならまだしも、アリス嬢に酷似した風貌を持つ吸血鬼など、そんな事は……」


 口元を覆い、目を見開きながら、激しく狼狽するガルベルト。その過剰な反応に驚きはしたものの、シンゴは落ち着いて自分の推論を口にした。


「もしかしてですけど、大昔に消息不明になったって言う、リアス・ブラッドグレイと何か関係があるんじゃないですかね?」


「そんな、まさか……!」


「――娘、とか?」


「――ッ!?」


 シンゴの推測の言葉を受け、ガルベルトが鋭く息を呑む。

 アリス・リーベは、リアス・ブラッドグレイの娘ではない。そう結論が出た時から、その可能性はシンゴの脳裏にずっとちらついていた。ただそれを、発信する機会がなかっただけだ。


 しかし、このガルベルトの反応から察するに、どうやらあの少女の事は知らないらしい。つまり、シンゴの望んだ答えは手に入らないという事だ。

 残念に思う気持ちもあるが、そもそも根拠のない話だ。シンゴの直感が外れてくれている事を願うばかりである。


「……貴重な情報提供を、感謝致します」


 先のシンゴの推論には特に言及せず、ガルベルトは深呼吸でその狼狽を鎮静化。感謝の言葉を述べてきた。そして、「ですが」と繋げ――、


「これで質問に答えた、とは言い難いでしょうな。結果だけを見れば、むしろ私の方が得をしている有様。これでは本末転倒、私自身が納得いきませぬ。故に、質問はまだ有効……それでいかがでしょうか?」


「……ガルベルトさんって、優先事項がー、とか言っててお硬いイメージがあったんですけど、案外簡単に意見を曲げるんですね」


「私も、伊達に長く生きておりませんので。硬いだけではなく、柔軟さを求められる場面には幾つも遭遇してきております。そして今回も、その一例だと判断した次第でございます」


「……なら、遠慮なく」


 とは言ったものの、他に個人的な質問も特にない。どうしたものか、とシンゴが悩んでいると――、


『シンゴ。ここは一つ、外堀から埋めていくのはどうだろうか?』


『外堀……?』


 不意のベルフの提案。その『外堀』という単語を拾って問い返すシンゴに、ベルフは『言葉通りだ』と言い、


『何故、この神域にはあのような集落が――人が存在するのか。妙だとは思わないか?』


『……言われてみれば、確かに』


 吸血鬼の領域である『金色の神域』に、人間が存在する意味。外から人の侵入が基本不可能である点から考えても、あの集落の異様さは窺える。

 存外、答えとは思いもよらぬ所に転がっているものだ。集落という未知を既知にする事で、そこから見える何かがあるかもしれない。

 質問すべき事が決まったシンゴは、「じゃあ」と手を上げて、


「この神域内にある、あの集落とそこで暮らす人達について、聞かせて下さい」


「――いいでしょう」


 一瞬の考慮に間が置かれ、応答を拒否される可能性が脳裏を過るも、ガルベルトが相好を崩して頷くのを受け、シンゴは安堵の吐息をついた。

 そんなシンゴの前で、ガルベルトは中庭とは反対を向く。その先には窓があり、奥には小さく集落の様子が見えて――、


「簡潔に述べれば、我々神官と彼ら――『氏子』の関係は、ギブアンドテイクでございます」


「ギブアンドテイク……?」


「ええ。我々神官は『豊穣の加護』の恩恵を提供する代わりに、集落の者らから血を提供して頂いているのです」


「――!?」


 吸血鬼がその身に受けた血の呪い。それを抑えるには、定期的に人から血を摂取しなければならない。そして血の接種は必然的に、相手に傷を付ける事が前提条件となる。それはつまり、危害を加えるという事だ。軋轢を生まないはずがない。

 そこで、このギブアンドテイクだ。よく考えられているのは確かであるが、しかし、これではまるで――。


「家畜じゃねえか……!」


「いいえ、違います。我々も、そして『氏子』にも、そのような認識は一切ございません。互いに対等な立場である、そう認めたからこそのこの関係性なのです」


「そんなもんただの詭弁だろうが! 普通に考えて、人間が吸血鬼に逆らえる訳がねえだろ! いや、そもそもだ! この神域にいる人間は全員、ここで生まれ育ったんじゃねえのか!?」


 リン達がシンゴ達に向けていた、あの好奇心の目が何よりの証拠だ。

 生まれも育ちもこの神域の中ならば、そのギブアンドテイクに疑問など持ちようがない。なにせ、彼らに取ってはそれが生まれた時からの当たり前なのだから。


「この、外道が……ッ!」


「ならばシンゴ殿は、我々に血を吸うなと? アリス嬢にも同じ事が言えますかな?」


「――ッ。それ、は……」


 ガルベルトの冷静な切り返しに、シンゴはあの苦しむアリスの姿を思い出して二の句が継げなくなる。

 唇を噛んで、俯きながら震えるシンゴの耳に、ガルベルトからの小さなため息の音が届いた。


「我々は血を吸わねばなりません。しかし、無暗やたらに人を襲う事などしたくない。褒められた事でないのは重々承知しております。ですが、これが最善なのです」


「…………少し、熱くなり過ぎました」


「いえ。我々の都合とはいえ、急にこの城で一生暮らせと言われたのです。心が乱れるのも仕方のない事。今後、もしも苛立ちをぶつけたくなりましたら、いつでも私のもとまでおいで下さい。シンゴ殿の気が済むまで、私は応じ続けましょう」


 優しく気遣いの言葉を掛けられ、シンゴは情けなさに拳を握り込んだ。

 全てガルベルトの言う通りではないが、確かにシンゴは精神的に疲弊しているのかもしれない。それが期せずして爆発してしまった、のだろうか。

 頭の中で『落ち着いたか?』とベルフが問いかけてくるのに、『ああ』と短く返したシンゴは、ゆっくりと深呼吸。改めて顔を上げると、


「……すいません。差し出がましいかもしれないですけど、続き、いいですか?」


「――ええ」


 にこり、と微笑み頷くガルベルトに、シンゴはバツの悪い顔で視線を逸らす。

 そして、一つ咳払いを挟むと、先の会話で度々ガルベルトの口から語られたとある単語について言及した。


「『氏子』って、どういう意味ですか?」


 リンもその呼称を口にしていたが、意味までは知らない様子だった。もしかして、何か深い意味でもあるのでは、そう思っての質問だ。

 対するガルベルトは、「そうですな」としばし考えるようにシンゴから視線を外し――、


「『氏子』とは、『神に使える者』という意味でございます。まあ、我々神官も解釈的には『氏子』です。ですが、集落の者らからすれば、『豊穣の加護』による恩恵と安寧を授けてくれる我々神官こそが『神』なのでしょうな」


「神に仕える者……ですか」


 期待していたような深い意味はなく、シンゴは落胆が顔に出ないよう苦心する。

 そうして、シンゴが必死に表情筋を引き締めていた時だ。ガルベルトが「とは言え」と肩を竦めて、


「『豊穣の加護』自体、神官が展開しているものではないので、彼らを騙しているようで気が引けますがな」


「――? 『豊穣の加護』は、確か大神官……リノアが展開してるんじゃ?」


「――残念ながら、その質問にはお答え出来ません。そして出来れば、今の私の発言は聞かなかった事にして頂けませんか?」


「――ッ」


 スッと表情を消すガルベルトから、異様な圧力が膨らんだ。それに気圧され、シンゴは目を見開いて思わず後ずさる。

 そのシンゴの驚愕の眼差しを見て、ガルベルトはにこりと相好を崩すと、


「分かって頂けた、と受け取らせて頂きます。……いやはや、シンゴ殿と話していると、どうやら私は口が軽くなるみたいですな。最優先事項に、自らの猛省を据えなければなりなせんようで」


 そう言って、ガルベルトは顎鬚を撫でながらカラカラと笑った。笑って、そのままくるりと背を向けると、


「そろそろ時間でございますな。なかなかに、有意義な時間を過ごせました」


 背中越しにそう言い残し、立ち去ろうとするガルベルト。しかしそう都合よく退場とはならなかった。

 何故ならば――、


「待って下さい!」


「――何でしょうか?」


 シンゴの呼び止める声に、半身で振り返るガルベルト。その体勢と立ち位置の問題で、片目だけ覗くその真紅の瞳を真っ直ぐ見据え、キサラギ・シンゴは――、


「一つ、提案があります」


 ――そう、持ち掛けるのだった。


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