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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第4章 とある兄妹の救済
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第4章:31 『収穫整理』

「――イチゴの兄。こんな所で、何してる?」


 短い白髪を揺らし、表情の抜け落ちた顔で小首を傾げるのは、大神官なる大仰な肩書きを持つ吸血鬼の少年――リノア・ブラッドグレイだ。

 完全に想定外の遭遇に、シンゴは驚きに目を見開いたまま硬直する。


「――――」


「……っ」


 ジッと、返答しないシンゴを、リノアが紅い眼で見つめてくる。

 その無言の眼差しに気圧され、シンゴは思わず後退――しそうになったタイミングで、ふと違和感を覚えて眉を寄せた。

 そのシンゴの反応を受け、「?」と疑問符を浮かべるリノア。そんな彼の全身に視線を走らせたシンゴは、違和感の正体に気付いて鋭く息を詰める。


「お前……その、服は……?」


「――寝間着」


 震えるシンゴの問いかけに対し、リノアの返答はシンプルなものだった。

 しかし、その率直な解答はシンゴの求めていた答えとは違っており、その不服感が顔に出ていたのか、リノアが自分の服に視線を落として――、


「――変?」


「変……では、ねえけど……」


「そう」


 服の裾を摘まむようにして持ち上げ、リノアが短く問いかけてくる。

 その動作に伴い、服の裾端から白い足が艶めかしく覗き、目を奪われるシンゴの返答はまたしてもたどたどしくなってしまう。


 ――そう、変ではない。それこそが問題なのだ。


 何故ならば、リノアが着ている寝間着は、白の薄い生地で作られた上下一体のもので、所謂ところの――、


『――ネグリジェ、と言うものか?』



 ――女性用の、寝間着だったのだから。



「――――」


「イチゴの兄、顔面が凄まじい」


 必死に答えから目を逸らしていたのだが、ベルフが頭の中でその服の名称を述べてしまった事で、言い逃れ出来ない状況に追い込まれてシンゴは百面相。

 その顔を凄まじいと称されても、シンゴはそれに反論もツッコミも出来ない。どうしてなら、そんな余裕がどこにもないからだ。


「――――」


 確認の為に、シンゴはリノアの顔に向けていた視線を少し下へと下げた。

 そこには、よく見なければ分からないが、しかし確実にある小さな膨らみが二つ、白い布地を押し上げて控えめな主張をしており――。


「実は女でしたって、そんなベタな……」


「我、風呂上がり。むしろ、スベスベ」


「お前それ、場合によっちゃ火に油な勘違いだからな?」


 自分の腕をスリスリと撫でるリノアに、シンゴは半眼を作りながらツッコんだ。

 どうにかツッコミを入れられるまでに余裕を取り戻したと悟ったシンゴは、改めて眼前のリノアに目を向ける。

 男だという先入観があった為、未だに違和感のようなものは抜け切らない。だが、目の前にいる人物は、見間違えようもなく女だった。


「イチゴの兄、視線がイヤらしい」


「べ、べべべ別にそんな目で見てねえし!?」


 などと言うものの、リノアは特段その身体を隠そうともしない。そしてその無表情がまた調子を崩してきて、シンゴはやり難さを覚えて頭を掻いた。

 そしてそのまま、「あー」と間を繋ぐように声を漏らしたシンゴは、


「あんま長話して、風呂上りの大神官様に風邪でも引かれちゃ怖いしな。俺はそろそろ寝室に戻るわ。リノアも、寄り道せず真っ直ぐ自分の部屋に戻れな?」


 そう言って手を振ると、シンゴは自然な流れでリノアに背を向け――、


「――まだ、我の問いに、答えてない」


「――っ」


 背中に投げかけられた声に寒気を覚え、シンゴはゆっくりと振り返った。

 振り向いた先にいたリノアは、背を向ける前となんら変わりのない無表情のままだ。しかし、この心臓を鷲掴みされるような息苦しさは、一体何だ。

 そうして、半身で振り向いた姿勢のまま固まるシンゴに対し、リノアは――、


「再度、問う。イチゴの兄。こんな所で、何してる?」


 最初に遭遇した時に掛けられた質問と全く同じ問いかけ。違っているのは、もはや言い逃れ出来ない状況に追い込まれている事だ。

 そしてリノアとの遭遇はベルフにとっても想定外だったらしく、助言らしい事は何一つ言ってくれない。それどころか、一言も発しない事から、もしや変に声を掛けてシンゴを混乱させまいと配慮してくれているのか。


「……俺は」


「――――」


 楽な方に脱線しようとする思考を強引に引き戻し、シンゴはとりあえずの言葉を紡ぐ事で引き伸ばしを図る。

 そうして得た時間を限界まで使い、脳をフル回転させた末にシンゴが出した答えは――、


「迷った……そう、迷ったんだよ。トイレに、行こうとして」


『シンゴ、それは……』


 結局、体のいい言い訳は思い付かず、シンゴはイチゴに対してよく用いていた『迷子』を苦し紛れの言い訳に選んだ。

 そのシンゴのチョイスにベルフが物言いたげな声を漏らすが、何の助言も出来なかった自覚があるのか、それ以上は何も言ってこない。

 そして問題の、リノアの反応はというと――、


「迷子、それは大変」


「……それ、だけか?」


 問答無用で攻撃される事も想定していたシンゴは、リノアが呆気なく納得してしまった事を受け、反って警戒の色を強める。

 そんなシンゴの様子に、リノアは何を考えたのか、その華奢な両腕をいっぱいに広げ――、


「我、無害。怖くない、怖くない」


「……子供扱いかよ」


「我のが、年上。つまり、お姉さん」


 腰に手を当て、えっへんと胸を張るリノアからは、残念ながらお姉さんのイメージとは真逆の印象しか感じられない。

 しかし事実、吸血鬼であるリノアの方がシンゴより年上なのは確実だ。とはいえ、これは既にレミアで経験しているので驚きはさほどない。


「つか、自分で言っておいてなんだけど、俺の言った事、信じるのか?」


 あまりに都合のいい方に転がり過ぎて、しっぺ返しが怖くなったが故の質問だ。

 しかしそのすぐ直後、ベルフに『何故すぐに撤退しない!』と頭の中で怒鳴られ、シンゴは自分のバカさ加減に頭を抱えたくなった。

 リノアの独特のペースに調子を狂わされていたのも原因だろうが、それにしても今の質問は明らかに不要だ。自爆だと言われても返す言葉がない程に。


 そうして、シンゴが自分をぶん殴りたい衝動と戦っていると――、


「イチゴに聞いた。イチゴの兄、迷子のエキスパート。さもありなん」


「…………」


 納得の理由が素直に喜べないもので、シンゴは渋い顔で黙り込む。

 そうしてリノアと無言で見つめ合っていると、ベルフが『シンゴ』と声を掛けてきた。その呼び掛けに、撤退するならこのタイミングだ、という意図が含まれている事を察したシンゴは――、


「そんじゃ、聞きたい事が他にないなら、俺はもう行くぞ。――ちょっち、膀胱がもげそうなんでな」


 肩を竦めておどけるように言ってから、シンゴはリノアの真横を逃げるように通り過ぎようとして――、


「イチゴの兄」


「――――」


「便所、逆方向」


「……ご丁寧に、どうも」


 くるりと踵を返したシンゴは、終始リノアの視線を背中に感じながら、引き返す事も出来ず廊下を無言で直進。

 やがて、用のない便座と二度目の対面を果たすのだった。




 ――二日目、終了。



――――――――――――――――――――



『――よく眠れたか?』


『これがよく眠れた奴の顔に見えるか?』


 快眠具合を問うてくるベルフに、眠気で落ちてくる瞼を気合で押し返すシンゴは、もそもそとパンを頬張りつつ低い声でそう返した。

 リノアとの予期せぬ遭遇を経て、実は女だったという衝撃の事実が発覚してから、既に日は跨いで翌日――朝食の席である。

 席に着くのは、寝不足のシンゴ、無言のアリス、綺麗に野菜を除けるリノアと、そのリノアに野菜を食べさせようと奮闘するイチゴといった具合に、その顔ぶれに変化はない。


 部屋の隅にはガルベルトを筆頭とした吸血鬼の使用人が給仕として控えており、シンゴの体調と朝食のメニュー以外、昨日となんら変わらない食事風景である。

 しかし、同じ風景であっても、シンゴの受け取り方は昨日と少し違っていた。

 シンゴの視線の先には、野菜を巡る攻防を繰り広げるイチゴとリノアの姿があり――、


『昨日は、大神官だろうが知ったこっちゃねえ、イチゴに言い寄る野郎は惨たらしく死ねって思ってたけど、リノアが男じゃなく女だって分かってみると、今日も一日頑張ろうって幸せな活力を貰える光景に映るのは、なんでだろうな?』


『重症だな』


 眼前の尊い光景を網膜に焼き付ける為に、シンゴは静かに瞑目。そして次に目を開けると、『さて』と意識を真面目な方へと切り替えた。


『元気も補充したところで、昨日の収穫について整理すっか』


『お前は……いや、そうだな。簡単にだが、昨日で判明した事実をまとめてみよう』



 一、レミアの異常なまでの姉への心酔ぶり。また、その利用価値。

 二、ラミアの不穏な忠告。あるいはその不可解な口調の変化。

 三、中庭に隠された地下への階段、そしてその先にあった拷問部屋の存在。

 四、この城に他にも隠しギミックが存在する可能性。

 五、リノアが女性だったという事実。



『――こんなところか』


『まとめてみると、あんまし芳しい成果とは言えねえな……』


 ベルフが整理してくれた昨日の収穫に、シンゴはやや不足感を覚えた。

 本来の目的である城からの解放、それには吸血鬼との交渉――綺麗な言い方をしなければ、脅迫が必要となってくる。

 その脅迫材料を入手し、かつ脅迫に際し高確率で起こり得る口封じから身を守る為の自衛手段の確立。大まかに分けて、この二つを準備しなければならないのだが――、


『脅迫に使えるのは、拷問部屋の件と……リノアの本当の性別、か?』


『リノア・ブラッドグレイが女性だったという事実に関しては、おそらく何の役にも立たないだろう。この城に居る者には周知されている可能性が高い』


『だよな……イチゴも知ってたし』


 既に、イチゴがリノアの本当の性別を知っている事は確認済みである。むしろ、気付いていなかったのか、と驚かれたくらいだ。

 リノア自身もあんな姿で夜中にうろついていた事から、特にその性別を隠していた訳でも偽っていた訳でもないのだろう。

 ただ、その外見と態度、口調の所為で女だと分かり辛かっただけで――。


『となると、残るは拷問部屋の方だけど……』


『これも難しいだろうな。例えばだが、吸血鬼の一部しか拷問部屋の存在を知らない場合、その存在を公表して内部分裂を狙う事は可能かもしれない。しかしそれも、吸血鬼の良心の呵責を刺激出来てこそだ。刺激される良心が彼らになければ意味がない。この例も含め、不確定要素があまりにも多すぎる。脅迫に失敗した場合、こちらの思惑を無駄に暴露してしまうだけだ』


『一度きりのチャンスに拷問部屋の件を使うのは、はっきり言って割に合わねえって事か?』


『そうだ。私達は、与えられた一度きりに全力を注がなけれなばならない』


 ベルフの言い分を聞けば聞くほどに、拷問部屋の存在で勝負は難しい。

 当然ながら、吸血鬼の良心を確認している時間もない。拷問部屋の存在は脅迫材料に不適当であると、そう判断せざるを得ないだろう。


『じゃあ、ラミアとレミアの件はどう扱う?』


『妹の、レミアの方は利用価値があるのは確かだ。あまり褒められた行いではないが、それでもいざという時は躊躇していられない。……問題は、その姉の方だ』


『ラミア、か……』


 落ち着いている妹とは正反対の、その場の気分だけで生きているような無邪気な吸血鬼の少女。それが、シンゴがラミアに対して抱いていた印象だ。

 そう、抱いていた。かくれんぼが中断され、去り際に耳元で囁かれたあの別人のような声を聞くまでは。


『……あまり踏み込むなって、そう言ったよな?』


『おそらくあの娘は、こちらが裏で画策している事に勘付いている。それを知った上で忠告に留めてきているあたり、得体が知れない』


『とは言っても、変にアプローチを掛けて刺激した場合、どんな展開に持って行かれるか分かったもんじゃねえし……』


『幸いと言っていいのか、妨害してくる気配は今のところない。そして向こうの出方を立ち止まって窺っていられるほど、こちらに時間もない。――ならば』


『ラミアの存在に最大限の警戒を置きつつ、情報収集は変わらず継続、だな』


 ラミアに対する警戒の度合いを引き上げる事で、とりあえず方針は固まった。

 そして今夜は、シンゴ達が寝泊まりしている二階を探索する手筈となっている。故に、問題となるのは夜までの時間、昼間の間にどう行動するかだ。

 食事の手を止め、シンゴが難しげに唸っていると――、


「イチゴの兄、眉間が老けている。……便意?」


「眉間が老けてるって……つか、女の子がそんな汚え言葉を食事中に平然と」


 あまり女性が使うべきではないワードを臆面もなく口にするリノアに、シンゴが苦い顔で注意しようとした時だ。隣から盛大にむせる音が聞こえ、シンゴはぎょっと隣に顔を向けた。

 そこには、咳を我慢するように口元を手で覆い、大きく目を見張りながらリノアを凝視するアリスの姿があり――、


「……もしかして、リノアが女だって知らなかったのか?」


「…………ご、ごちそうさまでした」


 図星だったのか、アリスは返答せずに手を合わせると、そのまま席を立ち、シンゴに一瞥もくれる事無く食堂から退出して行った。

 昨日の焼き直しのようなアリスの退出。その背中を終始無言で見送ったシンゴは、椅子の背もたれに肘を預けながら深々と嘆息し、


「なんつうか、本気でキレてるのは分かんだけど、脇が甘いと言うか、なんと言うか……」


「だったら、さっさと仲直りしちゃいなよ?」


「うぐっ……」


 閉じた扉を見ていたシンゴは、後ろから掛けられたイチゴの正論に背中を刺されたような衝撃を味わった。

 ともあれ、アリスがどうして怒っているのか、その原因を探り和解する事もシンゴに課せられた難題の内の一つだ。


「――悩んでてもしょうがねえ、か」


 やるべき事は変わらない。そう己に言い聞かせ、むんっ、と気合を入れたシンゴは、朝食を一気に掻き込んで盛大にむせるのだった――。




 ――三日目、開始。


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